山城・山崎城

山崎城(やまざきじょう)


山崎城は、京都府乙訓郡大山崎町字大山崎にに築城された城郭で、「鳥取尾山城」「天王山城」「天王山宝寺城」「宝寺城」「山崎宝寺城」「宝積寺城」と呼ばれる。

概要


山崎城がある天王山は、淀川を鋏男山があり、宇治川、木津川、掛川が合流する所で、山城國と摂津國の国境にある城郭で、山嶺には西国街道が通っており河川を含め軍事、経済、流通の要所となっている。
京都への圧力と、防衛を防ぐ両面を持った地で、古来より何度も戦場となっている。有名な戦いでは明智光秀と豊臣秀吉による山崎の戦いが有名である。

通称・別名 鳥取尾山城、天王山城、天王山宝寺城、宝寺城、山崎宝寺城、宝積寺城
所在地 京都府乙訓郡大山崎町大山崎
城郭構造 山城
天守構造 不明
築城主 林直弘
築城年 1338年
主な改修者 細川晴元、豊臣秀吉
主な城主 林直弘、薬師寺国長、細川晴元、豊臣秀吉、新庄直頼
廃城年 1584年
遺構 曲輪、土塁、堀、土橋、井戸、堅堀
指定文化財 -
再建物 -
移築物 -
石碑 有り
説明板 有り

遺構


現在残っている遺構は、最後の城主となった豊臣時代のものがおおく残っており、山崎城の城郭規模の東西250m、南北200mで本丸北側には35m、南北20mの小曲輪があり、天守台のあった場所と考えられている。
本丸を中心に東側、南側、南西側に曲輪を配置し、北側は断崖の要害となっている。
山崎城の本丸に向かうまでには、虎口、枡形、土塁、堀、土橋と連続した防衛しすてむがあり、現在も虎口跡や土塁、櫓台、天守台、空堀、井戸、堅堀を見ることができる。
本丸には、礎石跡、井戸跡、石垣、門柱礎石が散見出来るが、発掘調査が進展していないためこれからの発掘調査が望まれる。

所在地


京都府乙訓郡大山崎町字大山崎

アクセス


最寄駅 - JR西日本京都線山崎駅

地図



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最終更新:2014年08月18日 10:50