久国(ひさくに)が野営地から出立したのは、午前六時だった。
 普段通りといえば普段通りだったが、昨夜は意気投合した兵士達と遅くまで酒を呑んでいた為に、あまり気分が良いとは言えなかった。
 突然の通達があったのは明け方、五時を過ぎた頃。
 エントリヒの軍人――久国はもう名前など忘れてしまったが――が言うには、黒い森と呼ばれる森林一帯の調査をして欲しいとのことだった。
 あまりに唐突だった為に断りたいところではあったが、流石にそんな意見が通るはずもない。
 仕方なしにその命令を引き受け、十六夜(いざよい)と壱(はじめ)の二人を連れて黒い森へと向かった。
 それから二時間程が経過して、一行の姿は現在森の中にある。
 まだ朝の八時を回ったところだというのに、辺りは夜のように暗かった。
 理由は単純だ。
 この森林に自生する樹木は、どれも五十メートルにも及ぶであろう高木ばかりであったからだ。
 黒色に生い茂る木の葉に日の光は遮られ、周囲一面は黒で埋め尽くされている。なるほど「黒い森」と呼ぶには相応しい場所であった。

「なぁ。どこまで行くんだよ久国」

 無言のまま森の奥へ奥へと向かう三人だったが、退屈さにうんざりしたような声で、とうとう十六夜が口を開いた。

「ピクニックに来たわけじゃねえんだろ。いい加減暇だぜ」
「もうすぐ着くから黙ってなって。Gに気付かれたら元も子もないんだからさ」

 やれやれといった調子で久国が十六夜を窘めるが、声に力が無い。酒のせいだろう。

「そうは言うがな。そろそろ目的の場所がどの辺りなのか、教えてくれても構わんだろうに」

 相変わらずムスッとした表情で、壱が言う。
 十六夜もそうだが、この壱は特に猪突猛進のきらいがある。
 普段は冷静なのだが、戦ともなれば可愛らしい見た目からは想像もつかない程の暴れん坊になる。
 流石にこの少人数で行動しているのだから滅多なことはしないだろうと久国は思ったが、どうにも不安感が拭えない。
 結局、森の奥に調査に行くとだけ二人は伝えられていた。

「ここいらか」

 ふと、久国が足を止める。
 先行していた彼が止まったために十六夜と壱も立ち止まり、何があったのかと久国を見やった。

「あんまり深入りすると危ないし、この辺りにしようか」

 危ない、という言葉に反応を示した壱は、

「何を言うか。MAIDが三人もいればマンティスなど恐るるに足りん。そもそも貴様は……」
「はじめー、どうでもいいことでプリプリすんなって。それよか、こんなとこで何するんだ?」

 説教を始めようとする壱を宥め、十六夜が問いかける。
 途中で言葉を遮られたせいで更に壱の表情が険しいものになったが、久国は無視して周囲に視線を向けた。

「ちと、唯一の取り柄をね。と言っても試したことがない術に方法だから、正直上手くいくかどうか」
「取り柄? 術? 方法? なんだよ、全然わかんねえ。もっとちゃんと……」
「この男が術を使うとなれば、陰陽術に決まっているだろうに。それでも門隠大社のMAIDか?」

 疑問符を浮かべる十六夜に、今度は壱が口を挟んだ。

「んなこと言われても、あたしはそっちの方はからっきしだからよ」
「たわけが」
「んだとクソガキ」
「黙れ、間抜け」
「やるか?」
「上等だ」
「はいはいはい。今ちゃんと説明するからその辺にしてくれ」

 今にも喧嘩を始めそうな二人に溜息をつきながら、久国は振り返った。

「あー、今からここを中心に、ええと、大体三里くらいかねえ。まあとにかくそのくらいの範囲の探知をするから」
「探知か。しかしお前の能力は近距離でしか使えないと自分で言ってなかったか」
「そう。普段は五間くらいが限度だ。それ以上に範囲を広げれば、力の消耗が激しすぎてぶっ倒れちまう」
「それが三里って、どんなからくり使えばそこまで手を広げられるんだよ」
「そこで陰陽術の出番ってわけなんだが、十六夜よ。お前さん、地脈って知ってるか」
「馬鹿にしてんのか?」
「いやいや」

 十六夜は眉間に皺を寄せるが、久国は苦笑しながら続ける。

「地脈ってのは要するに地面の下にある気の流れのことだ。例えば今俺達がいるここにも当然地脈はあって、ありとあらゆる方向に広がってるってわけだ」
「ふむ。いわゆる竜脈というやつか」
「そう、竜脈ともいう。その地脈竜脈ってのは万物を生かし、万物に影響を与えている。人間や他の生物、それにMAIDだって例外じゃないんだが、全ての生き物はこの地脈から生命活動に必要な力を得ているってのが陰陽道の考え方だ。
 ちなみに地脈を活かすように家なんかを作ると一族繁栄、逆に地脈を遮るように家を建てると家相が悪くなる、なんて言われてるね」

説明しながら、久国は腰に下げていた大太刀を手に取ると、すとんと地面へ突き立てた。

「さて、地脈は万物に影響を与えると言ったが、実は地脈自身も万物から影響を受けている。勿論、建物なんかもそうだ。それによって地脈は本来の流れを変え、陰陽の性質を異にする」
「何が言いたいんだよ」
「この黒い森に、マンティス種が巣食っているってのは当然知ってるね。数は不明だが、報告から察するに数十匹、下手をすれば数百匹はいるんだろう。中には変異個体の目撃もあったなんて聞いてるから、相当なもんだ」
「大量のマンティスによって変化した地脈の流れを利用する、と?」
「ご明察。ただし俺は元々の地脈の状態を知らないから、本来はそこから調べなきゃならないんだが、残念ながら本格的にやろうとすると本業の陰陽師が十数人は必要になる。それに、地相で敵の情勢を把握するなんて芸当、俺には無理だから、そっちの術にも期待しないでね」
「じゃあ、どうするってんだ?」

当然の疑問を投げかける十六夜に、久国は頷いた。

「やることは単純さ。まずは地脈の位置を把握する。これは森の中に入る前から分かってたんで問題なし」
「森の入り口で何やらごそごそやっていたのはそういうことか」
「まあねえ。で、次は俺のコア・エネルギーを地脈に流し込む。地脈から拡散したコア・エネルギーは、この森にいるマンティスに、気と共に流れていく。流れ込んだコア・エネルギーは俺の能力によって性質を変化させ探知の異能となる。つまりは情報を伝えてくれるってなわけだ。地脈を利用すりゃ、時間はかかるが普段よりもっと楽に遠くへコア・エネルギーを運べるから、さっき言ってた三里くらいってのはつまりそういうことだね」
「なんだそりゃ。つか、マンティスに直接コア・エネルギーをぶち込めるんなら、一網打尽じゃねえか」
「残念ながら大量のマンティスを殺せる程のコア・エネルギーは、いくら地脈を利用したところで流せないよ。俺が一瞬で干からびちまう。
 精々、小さな小さな影響を与えるくらいが関の山」
「どれくらいだよ?」

問われた久国は、口元に手を当ててしばし考え込み、言った。

「上手くいけば、刀で頭を小突かれる程度の衝撃を与えられる……かもね」
「意味ねえ!」
「阿呆か!」

 二人から同時にツッコミを受けて、しかし久国はにやりと笑みを返した。

「今回の目的は、あくまで調査。別にGを全滅させろなんて言われちゃいないからね。問題ないよ」
「なんだかなあ」

 気の抜けた声を上げ、興味を無くした十六夜はその場に座り込んだ。
 同じように壱も腰を下ろし、背後にあった木へ背中を預ける。

「やるならさっさと済ませてくれ。場所が場所だ。いつも通りの力を発揮できるとは限らん」

 そう告げる壱に、久国はようやく合点がいった。どうにも朝から不機嫌だと感じていたが、壱の装着するロボットアームは、細かい動作を苦手としている。
 勿論出力を押さえれば可能だが、威力は抑えられてしまう。つまるところ、遮蔽物に囲まれている森の中では大暴れ出来ない、それが不満だったのだ。

「悪いね壱ちゃん。出来るだけ早く済ませるからさ」
「二度とその名で呼ぶなと言っただろう!」

 鬼のような形相で睨みつける壱だが、久国は知らぬ振りをして、懐から数枚の紙を取り出した。
 紙には複雑な紋様と文字が描かれており、それを先ほど久国が突き立てた大太刀を中心に、一定間隔で木に張り付けていく。

「何だよそれ」
「触るなよ、十六夜」

 地面に座り込んでいた十六夜は、久国の張った紙の一枚を、身を乗り出して凝視している。
 久国はそんな十六夜に釘を刺しつつ、最後の一枚となった紙を壱が背を預けていた木に張り付けた。

「ま、こんなもんか」

 張り終えた久国は再び大太刀の前に立つと、

「これから簡単な術式を行うから、悪いけど少し離れてくれ。
 あと同時に探知も始めていくから、終わるまでは身動き取れなくなるんで、何かあったらよろしく」

 言われるがまま、十六夜と壱がその場から離れていく。
 それを確認した久国は、おもむろに着流しの袖をまくり上げ、両手を刀の柄に当てる。
 突然、何処からか風が吹いた。
 久国の伸びきったぼさぼさの髪や着流しが揺れ、両の手から薄ぼんやりとした白光が出現する。

「なー。どんくらい時間かかるんだ?」
「一時間くらいかねえ。あと気が散るからこれ以上話しかけないでくれよ」
「なげーよ」

 がっくり肩を下ろす十六夜に忠告しながら、久国は術式を続行させる。
 先ほどの白光が、久国手から大太刀の柄へと移り、それは徐々に太刀の刀身へと延び剣先へ、そして剣先から地面へと流れ込んでいく。
 地面が輝きを帯び始めると、光は範囲を広げ、刀を中心にして輪を作る。それは断続的に発生し、地面のさらにその先へ広がっていった。
 先程木に張り付けられた紙は風に大きく揺れ、そこへ一つ目の光の輪が到達すると同時に、周囲に小さい地震のような、振動が起こる。

「なんか凄いことやろうとしてないか、あいつ」
「さてな。専門外すぎて私にも何が起こっているのか皆目見当もつかん」

 不可思議な出来事に戸惑う二人は、しかしやるべきこともないまま、ただ一連の状況を眺め続けるしかなかった。

「こんな派手なことしてたら、Gが近寄ってきそうだな」
「その前に久国が気付くだろう。まあ、見ているしかないな」
「ああ、うん。早速で悪いんだけど、割と近い場所にマンティスが二匹いるから。対応は任せたよ」

 久国の言葉に呆気にとられた二人が動き始めるには、多少の時間がかかった。

――――――

 複数のMAID及びMAILから構成されるテスト部隊――通称、アウセンザイター――の姿は、常に最前線にあった。
 如何なる時も、彼らの居場所が後方にあったことはない。ただ只管に前線を押し上げること。それこそが彼等に与えられた唯一の使命であった。
 部隊の隊長を務めるMAILの名は、ヤヌス。
 彼に特殊な能力などは無く、身体能力も他のMAID達と比べてさほど突出しているわけではない。
 何故彼が隊長に選ばれたのか。部隊が結成された当初、それを疑問視する人間も少なくはなかったが、しかしヤヌスは部隊を率いて多くの戦果を上げ続ける。
 いつからか、ヤヌスは部隊の隊長として相応しい実力を持っていると、誰しもが認めていた。
 特別な力はなくとも、戦える。それは人々に、特殊な能力を持たないMAID達に希望を与えた。
 Gに対するMAIDの有効性、ひいてはMAIDの可能性を、人々に示したのだ。
 当の本人に、そんな自覚はありもしなかったが。

 ヤヌスが目を覚ますと、そこは薄暗い車両の中だった。
 整備の行き届いていない道を走行しているためだろう、輸送車両は常にガタガタと揺さぶられていた。
 そんな状況で眠ってしまったのは、それだけ疲労が溜まっているということだろう。 

――――――

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最終更新:2016年12月26日 01:53