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これからも愛を描くR18

黒田さんの、みずしほ世界観、設定をお借りしております(拙作を書かせていただくにあたって許可は頂いております)

これからも愛を描く

初めての夜を迎えてから、年明けまであっという間だった。クリスマスにはブランド物の鞄を贈り、大層喜んで仕事用に使ってくれている。
失恋のショックで泣き腫らしていた姿から考えると、短期間で人は変わるのだなと思い知らされるくらいに、めきめきと紫歩は綺麗になってきているように感じる。
元から魔的な美を持っていたけれど、歳を重ねて、ますます鮮やかな印象の女になった。あれで微笑まれて、何事か頼まれたら大体従うだろう。一緒に外食しているところを見られた大学の同期には、アパレル? それとも化粧部員? と尋ねられる。公務員だと答えれば、反応はいつも同じだ。
私と付き合い出すまでは、長さ出しまでは職業柄していなかったものの、ネイルサロンに通っていたことも知っている。ベージュだとか薄ピンクに小奇麗に染められた指を、怪しまれない程度に見ていたから。
それが、付き合い出してから。すぐに素の爪になって、長さもぎりぎりまで短くされていることに気づいて。
私は嬉しかった。
化粧も前は派手派手しかったが、大人しくなった。
訊けば、瑞生の好みじゃなさそうだから、だなんて。家で見るのは大抵すっぴんであるのだし、好きにしてくれたらいいさと答えれば、違うんだってば! と頬を膨らましていた。
--できるなら、瑞生が一番好きな私でいたいじゃない?
どうしてくれようか、とっさに悩んで、抱き締めるしかなかった。
これが私の惚気なら、それでいい。
あいつは可愛い。仕事は上手く回せているだろうが、私生活はだらしないところが多いし、性格面では憎たらしいところもあるが、それも含めて。
紫歩は私の身なりには特に何も言ってこない。
「あんたは何もしなくても綺麗でしょーが。あ、でも。一つ注文するなら……たまにはスカート履いてみない? ひひっ」とのことだ。似合うかどうかというより、足を組んだり雑に扱ってしまう癖があるので、なかなか履きたくないだけである。それをわかっていて履いてほしいとは、どんな趣味だと思ったが、足見るのが好きだから! という回答だった。

数ヶ月に一回しか会っていなかった頃が嘘のように、週に何回も会えるようになって、私は今もその幸福の渦の中で、夢じゃないかと疑ってしまうくらいだ。

見慣れた実家の大広間。年に一度の乱痴気騒ぎの中、端っこで酒のグラス片手にスマホのバイブ音に気づく。デニムのポケットから取り出して見れば、紫歩からだ。
部屋を掃除できた! と紫歩からのLINEだった。
添付された写メを見るに、確かに、物が多すぎてごちゃごちゃしていたのが嘘みたいになっている。
小物と服が多すぎたのを処分したらしい。
ぼーっとその画像と、一緒に送られてきた、もう一枚の画像で私は思わず吹き出した----。

付き合い出して年も明け、初詣に行って、のんびりとした三が日を過ごしていた矢先の、滅多とないハプニングに、周りにいた従姉妹やら実姉やらが寄ってきた。
今日、一月二日は雑賀一族が集まって飲むというしきたりの日である。
紫歩のご両親は県外に移住しているらしく、紫歩を一人で残すのもなあと悩んだ。だが、紫歩から、まだ付き合いたてだし、私がいるのを快く思わない人も多いんじゃない? あんたのご親戚って理解あるの? と訊かれ、言葉に詰まった。
こういう血族の場に連れてくるのは、親友ではなく、結婚相手もしくは婚約者くらいだろう。紫歩を連れて行くということは、私の親族に紹介するということになる。連れて恥ずかしいだなんてことは、むろん、ない。自慢の相手だが理解ない者がいたら白い目を向けられるのは紫歩だ。彼女は私より遥かに人の悪意に敏くて弱い。
--会えるうちに会っておきなさいよ、一日くらい過ごせなくても寂しくないわ、と強がっていた。
じゃあ、私は部屋の掃除でもしておくから。また明日ね、と、正月の晩に見送られてから一日も経っていない。
紫歩の家に帰ったら、だるま落としでもして遊ぶか、と考える。口にすると笑われるが、集中力を試されるしスリルある楽しい遊びだ。場所も取らないし。実家から持って行くために鞄に入れておいた。あいつは、だるま落としが苦手だから、どうせ文句を言われるだろうが。
すごいわね! と子どもみたいに目をきらきらさせて賞賛されるのも、どうせ私には向いてないわよ、と拗ねられるのも、どちらでもいいのだ。

実家の大広間で、女手として料理やら酒の配膳を手伝ったり、話を聞いたり、あれこれしていたら時間はあっという間だった。
紫歩と二人で過ごす時には極力飲まないようにしている酒を、たらふく飲んで気分が良くなっていた。
だからスマホも、姉の手で簡単に奪い取られてしまったのだ。
「ちょっと! あんたの友達? えらいまた可愛い子じゃない」
「同い年? このセーラー服、絶対コスプレよね?」
周りに同じような歳の元気な親戚たちが寄ってくる。どいつもこいつも酒が好きで強く、みな上機嫌だった。
私が吹き出したのは、整理された部屋の中で、にっこりと笑って自撮りしている紫歩の写メのせいだった。高校の制服で、真っ黒なセーラーにタイツ。髪の毛には、律儀にも、いつか私があげた紫のリボンが結ばれていた。よく持ってるな、捨てられない体質なのか、とも思うが、一言で言えばときめいた。
「返せ、姉さん」
「やだ。だってこの子、紫歩ちゃんじゃない。久しぶりね」
「覚えてるのか」
「当たり前よ! 明日泊まりに来る? だなんてお誘いじゃない……え、愛してるわ、って? あら、あんたたち、そういう仲なの?」
酒のせいでなく首まで赤くなっている自覚が私には大いにあった。紫歩が悪い。
綺麗になった部屋の写メ、それから高校の制服を着た写メ、それに明日泊まりに来る? 連絡ちょうだい! あなたを愛する紫歩より、だ。
今までスタンプなどはあったが、こんなダイレクトに言われたことはなかった。
一人で、自室で過ごしているとでも思ったのだろう。
「……あら、図星? 早く言いなさいよ!」
既に結婚して家を出ている八歳上の姉さんは、昔から私のことを可愛がってくれていた。
大学時代、実家に寄り付くことも減っていた。だが年に一度は必ずこの場で会うので見るからにやつれていた私を叱咤激励してくれたこともある。
--理由は訊かないけど。溜め込み過ぎるのも良くないんじゃないの。
身内の言葉が刺さりながらも、私はあの時、意地だけで生きていた。憧憬めいた恋心に身を燃やされながらも、すべてを絵に昇華して、自分でも考えられないほど描けるようになった。
高校の時から、ぼんやりとここで働けたら楽しいだろうなと思っていたデザイン事務所に就職を決められたのも、眠れないから絵を描き続けたおかげではあった。
「抵抗、ないのか」
「あるわけないじゃないの。ていうか、あんたが紫歩ちゃん好きなんだろうなっていうのは、あんたが高校の時から知ってたし。頑固なあんたが、他の子に目移りするようにも見えなかった。大丈夫よ、この家のことは私が見てるから。旦那は元々親御さん、早くに亡くしてるし。あちらは一族離散状態なのよ。あんたが仕事の都合で海外赴任したって大丈夫。もう、だったら今日連れてきてくれたら良かったのに! こんな綺麗な子なら大歓迎よ!」
バレてたのか……と、肩を落としていたら、姉にバンバン叩かれた。いつもよりも元気な母親に興味を示したのか、姪っ子と甥っ子も寄ってくる。
「……ありがとう」
「何が? 私は、大学の時の死にそうなあんたさえ二度と見ないで済むなら何だっていいのよ。瑞生の耳がピアスで消えないで済むならね。このご時世に同性だか異性だかなんて関係ないじゃない」
あんまり自分と似ていない、溌剌とした顔立ちの姉はにっこり笑うと、私にじゃれついていた自分の子どもの名前を呼ぶ。
「お母さんとお父さんにも話はしてる?」
「実は、大学の時に白状させられてる」
「カーッ! 知らなかったの私だけってか? 瑞生、あんた姉泣かせね?」
頭をぽんぽんと撫で、姉は旦那のところへ戻っていった。
従姉妹たちもにこやかに笑って、それぞれの席へ。
予想以上に私の一族は現代的で寛容的らしい。

私は返ってきたスマホ片手に大広間を出る。確かにピアスは開けすぎた。紫歩が今もたまに、悲しげな目で私のごちゃごちゃした耳を見ていることもある。なんなら、何個かは潰しても良いのだが、それはそれで生きてきた証を消すようで嫌だった。あいつへの想いで開けたものだ。だから、あいつがもし、何か言ってくることさえなければ。
左耳だけのピアスは守護者の意味もある。恋が叶わないのなら、せめて愛する女一人くらい守って護ってやりたいと願っていたのは事実だ。私のセクシュアリティが筒抜けなのも誤解を招くから、右耳にも何個かは開けたが。
私は、わかる人には相当にわかりやすいらしく、事務所のボスにも紫歩のことは白状させられている。だからあの時、一週間、在宅での仕事がすんなり許可されたのだ。
結果として自分の恋人になりました、と言えば、忘年会で盛大に祝われた。
紫歩の方は職場でのカミングアウトは難しいだろうし、望んでいない。ただ悪い虫がつくのも腹わたが煮えくりかえるので、安物ではあるが左手の薬指に指輪をさせている。
あいつは私の恋人だ。魅力も十二分にわかるが、おいそれと箸を差し出してもらっては困る。

二階の自室に戻り、高校の時のままで止まっている部屋の中から、あの時の制服を見つけ出す。
白シャツに、すみれ色のセーラーワンピース、襟は黄の強いクリームで、赤いタイ。黒のボレロのカーディガン。
本当ならパンツタイプにしようとしていたが、姉と母の反対でスカートにさせられたのはよく覚えている。
なんで私が苦手なスカートなんか……と最初は反発していた。
履いているうちに、どうせ中にはジャージのハーフパンツを着用しているのだし、と気にならなくなった。
スマホの電話履歴の一番目にある紫歩の名前を押して、コール音が鳴り出す。
「もしもし」
『は? あんた今日、ご親戚との飲み会じゃないの』
「どうせ一日中やってるから。もう出て行っても大丈夫そうなんだよ」
『じゃあ……私の家に来る?』
「ああ。待っていてくれ」
『あ、あんた酒飲んでるわよね? そこに居て。車で向かうから』
「お前、運転できたのか」
『ふざけないで。大学一年の夏に取りました。待ってて』
若干、苛立った声で返される。
だって、助手席が私の席、と断言しそうだろう。
「待ってる」
『……寂しくなっちゃって、ごめんね』
「何が」
『一家団欒の邪魔、しちゃって』
「邪魔なんかしてない。早く来い」
『うん』
電話が切れたことを確認して、再び写メを見る。
既に保存してある。
何を思って、あいつが制服姿の写真を撮ったのかはわからない。
だが、どうせだったら、と自分の制服を手ごろにあった紙袋に入れてゆく。
もうすぐ、あいつの誕生日が来る。私たちの年の差が0から1になる。高校の時点で同級生になったから、特に大きく気にしたことはないが、紫歩の方が一つ上だ。
私は、紫歩の居ない世界を知らない。
ゆっくりと目を閉じれば、紫歩の笑顔が見える。ようやく自分だけに向けられるようになったもの。夢にまで見て、現との境目を見失いかけて、高い高い温度で青白く燃える炎は私を焼き続けていた。
夢は叶った。紫歩という温かな海のなかに招かれて、焼かれていた炎は鎮火し、私を苦痛から解放してくれた。
海のような女の笑顔を思い返すだけで、胸が高鳴った。
1月11日の誕生日には、クリスマスにあげた鞄と揃いのブランドで財布を買ってある。新しいのが欲しい、と喚いていたからだ。
何かをあげること自体がどうというより、喜んでくれて、しかもそれを使ってくれるとたまらなく幸せだ。
それは、こちらが作った料理を、美味しそうに食してくれる瞬間であったり、はたまた、湯上りの彼女を見ても感じられる。

彼女が自分の想いを告白してくれた。
紫歩が自らの心情を吐露することは、高校の時から珍しかった。
何か言いたそうに、構ってほしそうに美術室に尋ねてきては、私の制作過程を真剣に見つめて、何も言わずに帰ってゆく。
口を開けば、言葉尻の強い発言が飛び出す。
仲が良いのか喧嘩しているのかわからない、と同級生に言われたこともある。
その奥底に秘められた孤独な心が、私を惹きつけて離さなかった。
こいつは一人では生きていけない、と強く思わせられた。
それから何年も経って、ヒステリックになり、自棄で告白してきた時は理性で抑えつけたが、彼女がふざけないで真剣に考えた結果、それで本当に好きだと言ってくれるなら。
もうこれ以上のものはない。
私の重苦しいまでの想いを、ただ鏡のように反射しているのではなくて、確かに、彼女からの温かな想いに触れていると思えるから。

紫歩の家からここまで車で15分くらいはかかる。
また一階に降りて、今度は両親のそばに行く。
「どうしたの、瑞生」
「恋人の家に泊まりに行くから、もうすぐ迎えに来る」
「お、紫歩ちゃん?」
「……ああ」
「あんた水くさいじゃない! 上手く行ったのねぇ。一時期は彼氏作ったとかなんとかで、あんた相当病んでたのに」
父親は小さく、良かった良かったと呟いている。
「うん」
「どうせならご挨拶したいところだけど、こんなへべれけじゃねぇ? 残念だけど、ちゃんと機会を作ってお会いしたいわ。なんなら向こうの親御さんとも……ね」
家族は、紫歩の家の事情を知っている。
「何だそれ、私が結婚するみたいじゃないか」
「事実婚予定でしょ? あんたのこと何年育てたと思ってんのよ。今さら他の誰かに目移りなんて、しないでしょうし。性別のことも飛び越えてる。だったら、こちらとしては一度顔合わせしたいってだけ」
私がこんな性格なのは、こんな家族に育てられたからだな、とぼんやり思う。だんだん酒が引いてきて、頭がクリアになってゆく。
その時、無機質な電話音が鳴り出す。
「行ってらっしゃい」
両親に揃って手を振られ、こちらも振り返す。私が結局171cmまで背が伸びたのに対して、少し彼らは小さくなったように見える。
大学時代は制作が、と言って、就職してからは仕事が忙しいと実家になかなか寄り付かないできたが、これからは帰ってこられるだけ帰ってくるか。
あいつを連れて。

「うわあ、顔真っ赤じゃない。どれだけ飲んだの?」
紫歩は、ピンクベージュの軽自動車に乗って現れた。訊けばマイカーだという。この車の存在は知っていたが、こいつの持ち車で普通に乗っていることは今初めて知った。勝手に親御さんのものだと思っていた。
黒のモッズコートに、濃い色のスキニーデニム。足元はムートンブーツ。ぺたんこのものだから、身長差が少しある。
私は、紫歩がクリスマスにくれた、さぞ高いだろうだけあって保温性が高くて着心地の軽いダウンコートに紫歩が履いているのと似たデニムだ。
「つい。親戚に注ぐ内に注がれるし」
「強いのは知ってるけど……。私より先に肝臓拗らせて死なないでよね。ま、立ち話もなんだし、乗って? ご飯は食べてきたのよね。もう六時回ってるし、このまま私の家でいい?」
「お前は何を食べたんだ?」
「私? カップ麺」
がっくりと崩れ落ちそうだった。
こいつが料理をできないのは、ひとえに私がしなくていいと言ってしまったのが大きな原因だろうが、何も三が日にカップ麺は貧相だ。放っておくと食にこだわらなくて、好きなものばっかり食べるのは少し一緒にいたら知れた。それでよく肌荒れも起こさないものだと感心もするが、一緒になったからには、バランス良く食べてほしい。実際、私が紫歩の胃袋を掴むようになってからは、色艶が良くなった気がする。本人も、瑞生と付き合いだしてから体調良いのよね! と言っていたし。
「お腹いっぱいだから、軽いものでいいんだって。買い足すにしても。例のごとく我が家の冷蔵庫は空っぽだし。あんたの部屋に行ってもいいけど……今夜は私の家がいいの」
妥協してコンビニに寄ることにした。そこで、あいつはにこやかにカゴの中にカフェオレとチョコ菓子を放り込んでくる。
見ているうちに食べたくなったの! とパスタまで。
こんなの私が作ったほうが断然美味しいのに、と不貞腐れていたら、今日くらい、あんたには何もしないでいて欲しいのよ……と声をかけられてしまった。コンビニの明るい店内で、人の頬を染めさせるのは非常に良くない。
私は結局、缶チューハイを一つだけ買った。今日くらいは、シャイな私にも酒の力が欲しい。肝臓を痛めつけない程度のおまじないが。

運転が好きなのもあって、なかなか助手席に乗ることはない。グループでどこか行くなら私は後ろに乗ることが多い。私は黙っていると不機嫌そうな顔立ちになっていることが多く、身体から溢れんばかりの威圧感で運転手にプレッシャーを与えるとか何とか言われるためだ。
ペーパードライバーの危険運転に付き合わされるのかと勝手に覚悟していた。が、案外、こいつ運転できるんだなと助手席で横見しつつ思う。
危なっかしさがなかった。
「……何よ、運転できるのかって? あのね、私は仕事も車で行ってるんだけど。満員電車が嫌いなのよ。電車だと駅からバスに乗らなきゃいけないし」
そういえば、失恋騒動で駆けつけた時に、あいつは車で出かけて行っていたし、車で帰ってきていた。車庫の門が開く音、それとエンジン音で帰宅を感じて、嬉々とした顔にならないように気をつけていたのを、すっかり忘れていた。
あの時は、こいつが、またしおれてしまわないように、もっと言えば命を絶たないように見張るだけに精神を研ぎ澄ませていたから、そこに意識がなかったのだ。
がむしゃらだった。清廉潔白な人間だとは自分のことを思ってもいないので、無欲だったとまでは言わないが、いてもたってもいられなかった。死なれたら困る。
誰かに盗られるなら、まだ耐えられる。何年も、他の奴のことを幸せそうに話す紫歩の姿を間近で見る辛酸は味わってきたのだし。
この世から紫歩が居なくなることが、何よりも心臓も胃もひねり潰す恐怖として、そこにあった。
私の一番の友人で、そして、誰よりも愛しい女が消えるなら、私だって生きていたくなくなるくらいに。
愛するがゆえに毒のような存在になっていたが、確かに光を感じている。今は薬だ。存在だけで私を幸せにしてくれる、特効薬だ。

対向車のヘッドライトに照らされて、紫歩のまぶたのシャドウがきらきら光る。ドライブ時間としては、ほんのささいなものなのに、ものすごく長く感じた。
「そんなに見つめられると運転しづらい!」
とまで。
私だけが運転するとなると、長距離は走りたくない。視覚情報がごちゃごちゃする車の運転は、好きだが長時間だと目の奥が痛くなる。この歳で二人で事故で……だなんて、ありえてはならない。そういう安全の観点もあるから、近場に限られる。が、お互いに運転できるなら、今度はどこか温泉旅館にでも車で泊まりに行きたくなる。
今までは一人で、仕事の資料取材や出張でしか行ったことがなかったが、隣に紫歩がいるなら行きたいところが山ほど出てくる。
紫歩の家の風呂にはキャンドルやら何やら置いてある。一時間単位の長風呂女で最初は面食らった。こちらが烏の行水で済ませることが、ほとんどなだけに。
わかっちゃないわね、湯船に浸からないと疲れ取れないわよ? と怒られたので、紫歩の家に泊まる時はきちんと湯に浸かっている。
確かに、すっきりする。
温泉、誘ってみてもいいな、と考え、嬉しくなった。
あいつとの未来が着実に増えていくのは、何物にも代え難い。

年明けの渋滞を越え到着した間宮家は、相変わらず人の気配がなく、ただ、紫歩一人の城だというのを私でも思い知らされる。
玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。足元を薄い円型の自動掃除機が通り過ぎていった。
「ひひっ、この前とうとう買ったのよね。もはやペット感覚だわ」
ただいま~と満面の笑みで、そのお掃除ロボットに話しかけているのを見て、なんだか少し妬けた。
付き合いだして、まだ二ヶ月も経っていない。ようやく手に入れた可愛い女と、どう付き合うのか少し揺れていた。
現に自分の部屋であいつに手を出してから、それから一度もしないままで年が明けた。お互い年末で忙しかったというのもあるし、クリスマスも一緒に私の部屋で過ごして、添い寝してしまえば、あっという間に朝だった。
そばにいて、たまに抱き締めてキスができたら、なんというか満たされてしまうのだ。
もちろん突き動かされるものは燻っているが、そればかり求めては二人の時間の過ごし方として、どうなのかと考えあぐねる。きっと求めたら嫌な顔一つせず、応じてくれるのもわかっている。
だからこそ大切にしたい。そばで、ひひっと笑っていて欲しい。

リビングにどさっとコンビニの袋を置き、中身を取り出してゆく。紫歩はパスタを取り、電子レンジで温めだす。
「そういえば、部屋片付けたんだよな」
「うん! 見る? 見ちゃう?」
「パスタは?」
「また温めるわ! 着いてきて」
二階に上がって、紫歩の部屋へ。

確かに、写真通りだった。一日でここまで? と感動する。大晦日からのカウントダウンもここで過ごしたが、ごちゃごちゃしていたはずだ。
「ひひっ、やればできるのよ。何も考えずに捨てまくったわ。高校の時のものから全部置きっ放しだったから」
「セーラー服」
「ああ、あれね。なんかさ、着てみたくなっちゃって。似合ってた?」
「……ああ」
「着てあげよっか?」
にんまり笑ってこちらを見上げてくる。
「あんたが実家にいるって聞いて。じゃあ、たぶん瑞生もセーラー服持ってるだろうし。なんなら二人だけで同窓会できるなって思ったの。で、瑞生は持ってきてくれた?」
「お前の策略に乗ってやったよ」
「やった! 着替えましょう? で、ご飯!」
キヒヒヒヒと悪魔笑いすら漏れている恋人が、なんの断りもなく服を脱ぎだしたので目を逸らす。
「は? あんた、一回、見てるのに。恥ずかしがり屋ね?」
「一回で慣れるわけないだろ……」
「訊きたかったんだけど」
あっという間に懐かしの真っ黒なセーラー服に着替えた大人の紫歩がこちらを見つめる。
髪の毛には紫のリボンまで。
その綻びから、本当に私が渡したものなのだとわかる。目頭が熱くなる。
長いこと、持っていてくれたのだ。
「……ねえ、瑞生。なんであれきり手を出してこないわけ? 嫌だった?」
一歩だけ、彼女がこちらに歩み寄って、立ち止まる。
紫歩の声は震えていた。
こちらも酒は完全に引いている。
少しだけ言葉を選んだ。
沈黙が寒々しく身に刺さる。
「そんなわけない……。お互い忙しかったし、あんまり求めすぎても、負担かと思って。我慢できなくなりそうだから」
私の言葉に、紫歩は、ひひひひっと化け物笑いをこぼした。
私もつられて、あひゃひゃと癖の笑いが出る。
「可愛いこと言うじゃない。あのね、瑞生。お互い、もういい歳なんだから。加減くらいわかるし、嫌だったら嫌って言うわ。私から誘うのも、やらしくて嫌だったのよ。……あんたとしたのが良すぎたのは事実だから」
あ、と紫歩が口を手で覆う。
私は私で耳まで赤くなる。
最初の時、紫歩があまりにも可愛くて夜通しあれこれしてしまった。
目が覚めて、腰が……と訴えられて反省した。
だから、なかなか次ができなかったのだ。
「年明けまで我慢したんだから、ね!」
部屋を綺麗にしたのも、誘いたかったから? 私の中に一つの推論が浮かぶ。
だとしたら、こいつは相当に可愛いことをやっている。私が何回か部屋の掃除のことを言っても頑なに、困ってないもん! と反論してきてばかりだったのに。
私も、持ってきていた紙袋から自分のセーラー服を取り出して、慣れた手つきで着て行く。
その様を紫歩の熱っぽい目が、じーっと見てくる。
足元の短めの靴下まで履いて、背が伸びた分、スカートが短く感じるし、スカート自体をめったに履かないので、なんだか不自然に思ってしまう。
紫歩はきちんと、あの時のペールブルーのタイツを履いていた。あの時より、かなり肉付きが良くなった、と喜ばしく思う。私はどちらかといえば、折れそうな痩躯よりも、しっかりとした身体つきの方が好きだ。
紫歩に熱く見つめられることなんて、そうそうない。こちらの下半身が疼きそうになる。
変な空気になったが、紫歩が、お腹すいた……と漏らしたので、結局一階のリビングに戻った。

暖房を入れるのに躊躇しない上に寒がりな彼女は温度設定もエコなんてどこ吹く風で、部屋はだいぶあったかい。
セーラー服自体が冬生地でも肌寒かったことを思うと、ぬくぬくできているのはこの空調のおかげかと思う。
缶チューハイで、ほんの少しだけアルコール特有の気分の高揚が戻って来る。
隣で器用にフォークを使いこなし、パスタを食べる。生まれ育ちを感じさせる所作の綺麗さに見惚れてしまう。しかも食べる顔はひどく幸せそうだ。
それからカフェオレにチョコ菓子をぱくぱく食べていた紫歩は、こちらの視線に気づいて手を止めた。
「なぁに?」
「紫歩の親御さんは、私たちの関係を知っているのかと思って」
「瑞生のご家庭は?」
「バレてた。応援されたし、なんなら、今度、紫歩の親御さんたちと顔合わせしたいってさ」
「あら、本気」
嬉しそうに紫歩は口にする。
BGM代わりにつけていた賑やかなテレビが、彼女の手で消される。
「高校の時は休学して留年して、瑞生と同級生になった。あの時は拒食もこじらせてて、心身ともにだめだったし、親との関係が悪かった。でも、大学に入って、私が丸くなったの。今ではたまに電話もしてるし、メールも来るわ。嫌われてるわけでもなかったし、私が一方的にツンケンしていただけなの。瑞生とのことも報告してる。あなたが選んだ人なら、間違いないって。そのことも、話したくて」
「へえ……」
「彼女が家によく来るって言ったら、じゃあお邪魔だからなおさら帰れないわね、とまで。働きだしてからはこの家の光熱費は私持ちだし、実質私の家なのよね。ここ。だから、あんたがその気なら移り住んでもらっていいわよ。私の部屋以外、家具しか置かれてないから。あんたと生活時間がちょっと合わないし。いちいち会いに行くのも楽しいけど、良かったら……って。よく家に来てくれる分、一人の家が寂しくて仕方ないの。わがままなのはわかってるんだけど。それにね、一緒に暮らすことだけが家族じゃないんだって今ならわかる。金銭面では何も困ったこともないし、その点は恵まれてるなあって」
「……今、私のことを家族って言わなかったか? いや、思い上がりだ」
「瑞生のことは、家族だと思ってるわよ。パートナーだって」
何も言えず、ただ赤面するばかりで、ようやく絞り出した、そうか、という言葉すらも掠れる。
紫歩の方を見やると、上機嫌そうだった。
高校の頃の、あの、私が誤って工藤と呼んでしまった時の表情に比べたら。凍りついた顔は二度と見たくない。
「話したことあるか、ちょっと覚えてないんだけど。私のお母さんは医療秘書なの。工藤の父親は、サラリーマンで。友人の紹介で出会って結婚したのね。で、間に生まれたのが私。私は見た目も声もお母さんそっくりで。私に前髪作って黒髪にしたら、お母さんね」
「綺麗な人なんだな」
瞬間にイメージして、思ったことをつぶやいた。
「ちょっと、やめてよ。恥ずかしい。……で。お父さんは全国の支社を転々としなきゃいけない転勤族で。お母さんはその都度、病院で働いてたけど、長く働きたくても転勤が待ってて。それがストレスだったみたい。だんだんと夫婦仲は悪くなっていったわ。中学の時には、お母さんは大学病院で働き出して。そこで間宮のお父さんの秘書になったのね。間宮のお父さんは、医者だから。不倫になる前に、お母さんは、工藤のお父さんと離婚したの。私が高校入ってすぐね。で、あっという間に間宮のお父さんと再婚した。お母さんより十は年上で、今年六十なのかな、お父さんは。長いこと独身だったから、お金があるじゃない? それで、この家を買ったの。あんたと家がちょっと遠いのはそれが原因。でも私が脆すぎて。お母さんが母親より女として生きたんだ! って思い込んでしまった。ものすごく生理的嫌悪があって。下手に見た目が似てるから余計に。あの時の私はずっと永遠が欲しかったから。離婚なんて、ありえなかったの」
私がうんうん頷いていると、紫歩はカフェオレを一気に飲む。喉が渇いたらしい。
「今では、お母さんの気持ちもわかる。工藤のお父さんともたまに会ってるの。お母さんも含めての時もあれば、二人きりの時も。工藤のお父さんはそれからずっと独身のままみたいで。私が血の繋がった一人娘なのは変わらないじゃない? お母さんも気を遣ったのか、間宮のお父さんとの間に子どもは作らなかったし。私があんなに病んでなかったら、居たのかもしれないけど」
「でもそれは起こらなかった仮定の話だろ」
「そうね。今となっては、理解できるし、納得できる。……変な話ね、留年して良かったなって思うのよ」
「どうして」
「瑞生と三年間、過ごせたから」
こちらを見て、にっこり笑って言われるのは、何度見ても飽きない顔で胸がぎゅっとなる。私が惚れ込んでいる華やかで綺麗な女が、自分にだけ見せる大輪の花が咲いたような笑顔には悶えてしまう。

本来であれば、紫歩は一つ上の先輩であり、先に卒業していた。埋まることのない時間の差が私たちの間には存在していただろう。
先輩のままなら、紫歩と私の距離が縮まったとも思えない。中学の時から、犬の絵を描いてというお願いを機に知り合いではあったが、あれからも知り合いのままだった。紫歩は美術室に遊びに来てはいたが、私の絵を見て、すごいすごいと喜んで帰っていくばかりで、親しくなったのは彼女が留年して、同学年になってからだ。
同学年というだけで話しやすくなった。ガリガリの身体で、それでも目だけは爛々としていて、せっかく綺麗な子なのにもったいないと最初は思っていたが、時間をかけてあるべき肉と筋肉がついて、紫歩は私の目を惹き付けて逸らさせなくなった。

キャンバスにどれだけ想いをぶつけても、色褪せるはずがなく、紫歩を想って描いた絵が増えて行くのと比例して、想いは強くなるばかりだった。
それからも、思い出すと今もなお苦しくなることが続いたが、大学生の間に何個も殻を破って壁を壊して、私は強くなれた。
今この状態である以上、考えたくはないが、あの男と結婚して子どもを産んだ紫歩だったとしても、私の想いは変わることなく、紫歩を愛し続けていただろう。

「何考えてるの?」
「え」
「どこか遠くに行ってた」
「お前のこと考えてた」
「ふぅん? セーラー服がよく似合うって?」
「なんか、やらしいよな。この歳で18くらいの格好をするって。お互い、現役にはとても見えないし」
「……でも、懐かしいわ。あんたがもうちょっと背が低くて、人とまともに目も合わせられなかったころを、ありありと思い出せる」
「そういえばさ」
「ん?」
距離を縮め、横に座る。ぴと、と肩と肩が触れ合う。
「お前が文芸部の冊子で一回だけ女と女の恋愛書いてたことがあっただろ」
「……覚えてんの」
「好きで貰ってたからな、文芸部の冊子は。感想を面と向かって言うのは恥ずかしいんだよ」
「で?」
すぐにキスができる距離で見つめられる。私の胸がどきりとする。ご飯を食べている時の無邪気な笑顔とは打って変わって違う、大人びた蠱惑的な笑顔。
伸ばされてきた手を、手で握り締める。しっとりしているけれど、ひんやりとしている綺麗な手。
「あれ、私持ってるんだ。というか冊子は全部。実家に帰って、読み返してみて気づいたんだが……もしかして、あれって私たちが主人公じゃなかったか?」
「……うん」
紫歩は頬を染めて、恥ずかしそうに頷いた。
こいつの話はほとんどが恋愛モノだった。こいつらしい尖った内容が多かったが、その中でも、読み返してハッとなるものがあった。
女子高生の二人が恋愛関係のもので、片方は帰宅部、片方は美術部という設定だった。その中に、犬の絵を描いて、と頼むエピソードがある。話は一貫として帰宅部の少女目線で綴られており、あの時は必死に違う違うと言い聞かせていたが、あれはまさに私たちがモデルだった。
帰宅部の少女の、痛切な片想いの話だったからだ。
二人は幼馴染で、振り向いて欲しいものの、この関係を壊したくない、と少女はジレンマに揺れる。結果として、そのまま卒業してしまうというものだった。
犬の絵に限らず、たとえば美術部の少女はどこでも寝るのが特技で、空の観察が好きだと帰宅部の少女に語る。
そういった、私にしかわからないポイントを集めていくと、あれは。
「無意識だったの。ネタに困ってて。締め切りは守らなきゃいけないし。なんとなく書いてたら、ああなってた。瑞生が特に何も気にした風じゃなかったから、言わなかったの。否定すればするほど真実に聞こえるし。綾葉さんと実花さんにはニヤニヤされたけどね……美南さんにもね……智由利にもか……。そういえば、綾葉さんと実花さんは仲睦まじいし、美南さんは沙冬子さんとだし。智由利は結局知賀となのよね。智由利にも真剣な恋ができたのね~良かったわ。あんたに告白した時、智由利にキスされそうになったって言ったの覚えてる? あれもさ、紫歩のために茶番を打ってあげたんだからね、私は知賀一筋なんだから! って後から言われたけど。あんたと私が上手く行った立役者の一人だし、ちゃんとご飯代はおごったわよ。あの子にお金関連の施しなんて要らないとは思うけど……お世話になったし。しっかし、智由利があんなに人に惚れるとはねぇ。ね、面白くない? カップルだらけだわ。あっ、でも……百香は独り身か。早く彼氏できたらいいのに。そうだ! あのねあのね、沙冬子さんの幸せそうな顔たまらないの! 二人の写真が欲しいなあ。美南さんもますます美人になったし……ひひひひっ! 伊織は朝美さんとアメリカ行ったしなあ……」
照れ隠しをしたくて話を逸らしたいのか、まるで酔っているかのように上機嫌で止まらない紫歩の話に、私はジト目で相槌を打つ。
眉間にしわ寄ってるわよ、と人差し指で突かれる。誰のせいだと思っているんだ。
今は他の人間の話は悪いが頭に入ってこない。というか煽るだけだと早く気付け。
「もう、ごめんってば。一人で盛り上がりすぎたわ」
謝られ、紫歩から抱きつかれる。そのまま、優しく受け止めた。
立ち上るような紫歩の髪の毛の甘い香りに、私は目を閉じる。
紫歩が悪いわけではない。私が楽しく聞けないのが悪いのだ。
こいつがどうして、そいつらにやたらめったら惹かれるのかは知らないが、高校卒業後もずっと好いているし仲良くしている。恋人になってなおさら、面白くは感じない。
だが、本音を言うと、こいつのお供として参加を許されるならば食事くらい、共にしてみたい変わっていて濃い奴らだ。

紫歩は場の空気を変えるためにも、何か映画でも見る? と私に提案してきた。二つ返事で頷くと、かなりの大画面のテレビの隣にまで、すたすた紫歩が歩いて行く。
そこには映画や歌手のライブのDVDやBlu-rayが置かれていて、何か見たいものある? と訊かれる。
何でもいい、と言えば、じゃあこれ、とハリウッド映画のパッケージを取り出した。
プレーヤーにディスクを入れ、部屋を少しだけ暗くして映画が始まる。
距離を置いて、テレビの正面に置かれているソファーに帰ってきた紫歩は私の隣に座った。
あたかも高校生の私たちが、紫歩の家でデートを楽しんでいるような。そんな錯覚を覚える。
紫歩は私の肩に持たれてきた。腕を回し、彼女の華奢な肩を抱く。
映画の内容は私も好きで、自宅に持っているもので、大晦日の一日を描いたオムニバスだ。盛り上がりが激しいアクション映画ではなく、日常にありふれたハッピーエンドの数々を豪華なキャストで描いた優しい作りである。
時々あくびを噛み殺しながら、紫歩と二人で見ているという事実そのものに、私は気分が良くなる。

そして、ゆっくりと高校生活を回想しだす。

知人に振り返って触れられたら、顔から火が出るほど、高校生の自分は対人が苦手で、シャイで人見知りだったので、自発的に輪に入ったことは一度もないが、目の前で繰り広げられる会話の応酬は好きだった。

それに私が一年の時の美術部部長だった桑城素子--通称、師匠にも紫歩への片想いはバレていたので、そろそろ報告もしたい。バレていたのがわかったのも大学卒業後、二人で会った時のことだが。
師匠は何事も観測するのが好きな人だった。名前は何と言ったか……紫藤真理という見るからに知的な雰囲気を纏った生徒とよく、普通の女子高生がする範疇を大きく飛び越えた議論を交わしていた。
それでいて、日比野礼望と吹上澄香がどうしているかのウォッチングを紫歩と楽しんで、師匠だけタイツを破けさせて美術室に帰ってきたりもする、お茶目さもあった。
紫歩と師匠はどこか似た者同士なのか、よく話が盛り上がっていた。
二人揃って笑い声がかしましく、集中を阻害されたことがなかったわけではないが、嫌ではなかった。二人は楽しいらしい学校探検に誘われたことも一度や二度ではないが、私は大体断っていた。二人だけでも目立つのに、何かと悪目立ちする容姿という自覚がある私が混ざれば、さらに目立つ。それで集める好奇の視線や噂がすべて面倒臭かったからだ。
そんなことに、大して良くない自覚がある頭のリソースを割かれたくなかった。
高校の時は、三年間、真に紫歩のことしか見ていなかった。
彼女を追いかけて、受験勉強を突き詰め、この学校に来たのだ。
一学年上に居るはずが、留年者は出る必要のない入学式に出ていたのを見つけた時の胸のどぎまぎは忘れられない。
私は綺麗なものは総じて好きだし、そこには美少女も含まれる。
その中でも、紫歩の容姿は私を捉えて離さなかった。
見ていて飽きない頭のおかしさも当時からあったし。
今も紫歩ばかり見ていて、紫歩のことばかり考えているのは、さして変わらないが。
私の好きなものは美術と紫歩であるままだし。
師匠は私が卒業した私大とは別の国立芸大の院まで進んで、美術作家としての道を歩んでいる。
圧倒される画力とセンスを持ち、なおかつ努力も怠らない師匠は私の憧れの人だ。
先ほど私の顔を強張らせた、この、よく知らない他人の話を楽し気にされるのが面白くないという気持ち。高校の時によく味わっていた。
師匠と私の話す美術的な話に紫歩は入ってこられなかったことを考えると、あの時紫歩が感じていたものは同じだったかもしれない。生徒会や文芸部の話に、私はついていけなかった。説明され、気を遣われることすら歯痒かった時期すらある。
紫歩と私は趣味も何もかも大きく違う。あいつは化粧やファッションを始めとしたミーハーな話題が大好きだが、私はそういうのにとんと疎い。人の噂話にも興味がない。
それでも、紫歩と過ごす時間は誰と過ごすよりも楽しい。
美術にまつわることであれば、師匠と話すのが一番、刺激的であり、冗談でなく心の底から師匠と呼び慕っているくらいである。女生徒同士の恋愛関係が不思議なくらい当たり前だった、あの高校において、師匠と私の仲を勘ぐる噂だって立ったくらいだ。だが、一度たりとて師匠に恋い焦がれたことはない。失礼なことを言わないでほしいものだ。
私の生涯において、初恋も、最後の恋もたった一人。
間宮紫歩だけである。


そういえば、菱沼綾葉が卒業した時も、甲埜美南が卒業した時も、いくらするやつだそれ、という両手いっぱいの花束を持って、晴れやかな笑顔で紫歩は見送っていた。
菱沼綾葉は、一本だけ抜き取って、他は灰原実花に渡していた。卒業すんのはあんたでしょーが! と足を出されていた。
が、似合う人間が持てばいいと返され、灰原実花がらしくもなく、真っ赤になっていたのは先輩ながら可愛らしかった。
紫歩曰くはいつもあの二人、ああよ。--文芸部は濃かった。こいつ含めて。

甲埜美南は、穏やかな笑顔で、ありがとう、とその花束をしかと嬉しそうに受け止めていた。この時は紫歩が大号泣を見せ、なぜか卒業する側であるはずの甲埜美南が、泣き崩れる紫歩の背中を撫でていたのを今もなお鮮やかに記憶している。鶴留沙冬子には涙腺が決壊寸前の笑顔で踏みとどまって渡せていたのに。私の知らないところで育まれた絆に、その時はひどく嫉妬していた。甲埜美南には特に何かと世話になっていたらしいし、仕方ないことではあったが。

そのくせ自分たちの卒業時は、悲しげな顔だった。私は一輪だけのマーガレットをもらった。
見た目が好きだから、それにしたの、と言っていたが。
飛田智由利には別の花を渡していた。小さい花が詰まったブーケを。
確かに、客観的に見てそれぞれに似合う花の選択肢であったが。
なんでまた一輪だけなんだ、と小さく腹を立てていた。
その時は花言葉も何も知らず、仕事でマーガレットの花言葉にまつわるフライヤーを作って意味を知った。
あの高校の人間とは奇妙な縁が続いている。偶然にもクライアントは、図書館で司書をしている鍋島雪恵であり、彼女の友人かつ私とも同級生の鹿屋佳菜子と、ゴシップ女のくせに毛色の違う鹿屋佳菜子をやたらと慕う板野文佳、その三人の共同で雑貨屋を経営するための開店告知のフライヤーだった。
鹿屋佳菜子は美術部ではなかったが、絵を描く趣味があり、美術室を借りに来ていたので顔見知りである。
あれは、趣味と呼ぶには本気で、どこかこの世ならざるものを感じる作風だったが。

マーガレットの花言葉の意味を知った時。皮肉にも、その時点で紫歩には彼氏がすでにいた。
自分の記憶間違いだと言い聞かせた。だが自室の写真立てに飾った写真でぎこちない笑みを浮かべる私が持っている花は、見間違うことなくマーガレットだった。
--マーガレットの花言葉は、秘めた恋である。


本当は、きっと、あの時から惹かれ合っていたのだろう。


さながらラブレターのような、紫歩の書いた一つの小説に、私の片想いは支えられていた。
物語の中の帰宅部の少女の激情を、綴られる好きだという想いを、紫歩に言われていると思い込めば。
眠れない日々も、何もかも。
報われないことがわかりきっているやり場のない、身を貫く痛みさえも乗り越えられた。
愛する女一人振り向かせられないのなら、この世は地獄でいいとすら思った。
苦しいままでいい。苦しくとも、紫歩が幸せであるのなら。
恋人になれずとも、彼女にとっては特別な友人であり、こちらが何もせずとも連絡を取ってきてくれる。
そうやってしてもらえるだけ、私は好かれているというだけで、良くなった。
だからこそ、二月のあの時、彼氏できたの、とメールが来た時は車にはねられた衝撃だった。
車にはねられたなんてものではない。その上で何キロメートルも引きずられて、身をずたずたに切り裂かれ、心臓だけを悪魔に掴まれているとすら感じた。
ショックのあまり、その時は講義中に気絶するまで眠れなくなり、大学から実家に連絡が入って両親を駆けつけさせたくらいだ。
連絡一つ私から取らずとも、寂しくなってきた頃合いにタイミング良く遊びましょう! ご飯行きましょう! と連絡をくれていた。そこには少なからず好意があってだろうし、見た目の華やかさの割に一つも浮ついた話をしてくることもなかった。
探りを入れたら、居るように見えるの? なんて、その言葉に、私が暗い喜びを感じていたのは紛れもない事実だ。
私はあぐらをかいて、何もしてこなかった。
歳をとって勇気が出たら告白できる日が来るかもしれないと思っていた。それに、紫歩から言ってくるかもしれない、と。
それらがすべて私の甘えだったのだと、彼氏を作った時に痛感した。好きな人がいるとも何も聞いてこなかったから、菱沼綾葉と灰原実花の件でパニックになって、あいつの見た目に騙された野郎に絆され、衝動的に作ったのだろうと軽く推測できた。
が、紫歩は彼氏と仲を深めるばかりで、どこにも別れる気配はなかった。
やがて私は、紫歩が幸せなら、それでいいという結論に辿り着いた。
不眠症とも上手く付き合えるようになった。
今まで見ていた景色より、一段階、いや、三段階は世界の彩度が下がった。だからこそ私は制作に打ち込めた。
ここになら、思い描いたままがある。
紫歩との未来という絵空事ではなく、れっきとした作品として。
事実、評価され、そしてそれは私を生かしてくれた。

でも今は。
私の手で、紫歩を幸せにできる。
傲慢でも自分勝手でも、なんだっていい。
私に感情を、熱を、何よりも笑顔をくれるのならば。
一生、手離してなんかやらない。
紫歩が何度道に迷おうと、私が手を差し伸べてみせる。

片想いだったことも、紫歩が数年間、彼氏を作っていたことも、それらはすべて過去の話だ。
それでも、私たちが歩んで生きてきたこれまでの話でもある。
両耳にたくさん開いたピアスは、私が生きてきて、そして、紫歩を愛してきた証だ。
私は、紫歩を愛するために生まれてきたのだから。

どいつもこいつも地元を離れる気がないのか、街を歩けば小室青夏と、私のクラスメイトだった葉梨彩霞をたまに見かける。その二人と仲の良かった城村優雨花とは今も私が仲良くしている。
たまに学内のベンチで寝ていたら、隣でぼーっとしていて話すことがあった長南阿理佐と、一人きりのダンス部という環境を苦にせず、そこかしこで楽しそうに踊っていた浦谷芽緋の姿も街で見かける。
そういえば紫歩と上手く行ったことを一番に喜んだのは日比野礼望と吹上澄香だった。二人には、ありがたいことに特に応援されたのをよく覚えている。
このバカップルと同じく漫研部で、灰原実花の小説に挿し絵を描いたりしていた紺野多佳子はスポーツ故障の経験から、その筋のケアに携わっているらしい。
紫歩と仲の良かった三川和音が生徒会長を務めあげるとは思っていなかったし、私は今でも顔見知り程度でしかないが、紫歩がたまに会っているらしいと聞く。三川和音周りの元気なすばしっこい西城るりとキーキーうるさいドジっ子の伊藤佐知子も元気だとか。
あとは何のきっかけかは知らないが、紫歩の気に入りの中華屋の奴らとか、城村優雨花の所属する演劇部のことだとか、挙げだすとキリがない。
誰とでも分け隔てなく仲良くできる紫歩の力があって、私の高校生活は思い出で溢れている。
あいつが無理やり私の手を引っ張って行ってくれたから、叶ったこともある。
このままじゃいけない、と距離を置けば、私のこと嫌いになったの? と泣きつかれては、どうしようもなかった。
片想いは苦しかったが、あの学校に入って良かったと今は改めて素直に思う。三年になってからは、私のそばに紫歩はほとんどずっと居たのだし。とりとめのない話だとか、たわいもないことすべてが、この歳になれば価値を持ってくる。
三年間は一度しかこない。
またたきをしている間に、終わってしまう。
あの時は毎日がやけに長くて、そして目に入るものすべてがうるさく感じることもあった。
勉強は不得意であったし、紫歩の叱咤激励で赤点を回避したことも一度や二度ではない。
それからも彼女をひたすら想い続け、そしてその為に画力も精神的にも強くなれたのは、記憶があったからだ。
私を構成し、私のこれまでを永遠たらしめてくれる、記憶が。
ただ、仮に記憶喪失になっても、私は紫歩に恋をして愛するようになるだろう。
あいつから放たれる光に、私は何度でも何回でも、惹かれてやまない。

時折今も身を蝕む溢れんばかりの独占欲を、爆発させないように私は理性で抑えつけていて。その浅ましさだけは、自分の性格ながら、呆れてしまう。たとえば、こいつの身体に絵筆を這わせてみたい、とか。意地っ張りなこいつが通常なら絶対言わないような、やらしい言葉を言わせてみたい、とか。せっかく持って生まれたスタイルを活かした格好を見てみたい、とか。
覚悟しろ、とは最初に宣言してある。あの時の紫歩の目には、期待が見えた。
これから、時間はたっぷりある。あいつの仕事に支障が出ない程度に、やりたいことがたくさんある。

映画のエンドロールを眺めながら今も髪型はまったく変わらない紫歩を、間近で見つめる。どことなく、シャンプーのものか、柔らかい花の香りがする。こいつの風呂場には浪費癖を物語るだけの数々のシャンプーとトリートメントの類が置いてある。市販品ではなく、美容室専売品かつ、ボトルサイズも大きい。髪の毛の長さ分、消費量もずっとショートボブの私とは桁違いだろうが、さすがにお前はたった一人だろうと突っ込みたくなる量に最初は唖然とした。
先にあいつが風呂に入る時は、出てきたと声をかけられた時に、どの色のボトルを今日使ったのか尋ねる。
同じものを使えば、翌日まで紫歩と同じ香りが私からする。

他人に話すなんて考えられない行動だとわかっているが、私は今もどこかで不安なのだ。
夢じゃないのか。眠れなくなって、寒さも何もわからなくなった身体が限界に来て、倒れてしまった果てに見ている幻想なのでは、と。
その焦燥が、香り一つで霧散してゆく。
自分の現金さに笑うが、紫歩が振り向いてくれたことが、それだけ私にとっては幸せなのだ。

浪費癖のことを詰ると、あからさまに不機嫌な顔をされる。
どれだけトラブルを起こそうと、他人を敵に回そうと、人の本質を突くことは散々やってきて悔い改めることもなかった。
そのくせ、彼女は突かれると大層弱い。
強気な発言だとか奇特な笑い声の裏に隠されているのは、傷つきやすい、ちっぽけな娘そのもの。
だからあいつの周りには、私みたいな過保護な奴が多かった。私の独占欲をどこまでも煽られ、焚き付けられて仕方なかった。
その浪費癖であるが、おかげというのも少し皮肉めいているが、こいつの家に泊まりに来る時は、服と下着以外は何も要らない。新品同然のボディクリームや化粧水、乳液に美容液。安いものから誰もが知るハイブランドのものまでよりどりみどり。浪費癖かつ飽き性なのは、さすがに悪いところだと思う。
こだわるのはわかるが、一つでいいだろうものを。
口にすれば、つい買っちゃうの! と、しょんぼりする。口コミを漁るのが大好きなこいつが選んで買っているものなのだから、どこかしら優れているのだろう。
だから金が貯まらないんだと嫌味を言えば、堅実に貯金だってしてるんだから、うるさいわね、と拗ねられる。
おいそれと触れないように口座を分けているらしい。
私も口が悪いので、ああだこうだとケチを紫歩にだけはつけたくなるが、いけないことだとは思わない。私の職場にも、何人か紹介したら紫歩と仲良くなるだろう美容家がいる。
綺麗な女が綺麗であろうとする様は見ていて楽しい。私が突き詰めてきた絵画における美とは違う世界だが、熱意は通ずるものがある。
「眠くなってきた?」
紫歩の声で、私は現実に戻ってくる。
「いや、別に」
「私の隣の部屋、ゲストルーム扱いで作られてて、ベッドしか置かれてないから良かったら、そこ住んでもらっていいのよ。あんたに前、すすめた寝具がそのままだし。あ、でも自分の分、買ってたわよね? 家のは閉まっておけばいいか」
「紫歩。それならそれで引っ越さないといけないから。今は紫歩の部屋に泊めてくれ。嫌なら、ここで寝る」
「やだ、一緒に寝ましょう。急には越せないわよね。うん、そっか、借りてるんだしね」
「怒ったんじゃないぞ?」
「わかってるってば。瑞生って私に対して過保護で心配性なんだから」
「放っておけないんだよ……」
瑞生、と呼ばれ、上目遣いに見つめられる。長いまつげが縁取る大きな目が、私を射抜く。
「いつも、私のこと見ててくれて、ありがとう」
そんなの、惚れてるからに決まっている。私は10年以上見つめてきたのだ。

胸のせいで斜めから見ると黄色のスカーフがだいぶ曲線を描かされている。裾から伸びる足はしなやかで。
ソファーに座って優雅に足を組んでいる、その脚線美に魅了される。
「お前、何日まで休みだ?」
「言ってなかったっけ? 七日まで休みよ」
「そうか。なあ、紫歩、いいか?」
肩を抱き寄せて、囁く。
何を訊いているかは、察しの良い紫歩ならわかるだろう。
「……いちいち確認取らなくていいってば。生理も終わってるし」
手を一旦離して、両手を広げて紫歩に抱きつく。
目の前にいるのは、一度でいいから抱き締めたいと願った制服姿の紫歩だ。
二十代も半ばになって、何をしているのかと思わなくもないが、一つの夢が叶えられている気分になる。

私たちが互いに臆病でなければ、叶えられた虹色の夢を。

「ん……っ……」
二人分の唾液を飲み込ませ、カフェオレの味がする咥内を弄り、それから口を離す。
潤んだ目で見つめられつつ、そのまま首筋にキスをした。細い首筋のど真ん中を舌で舐めて、身をよじる紫歩を逃さないようにしながら、吸い付く。
仕事がないなら。
やっと、目立つところに花を咲かせられる。
血の通う音と熱を感じて、目の前の紫歩は絵空事ではなく、真に存在するのだと、まだどこかで疑う自分の心に教えてやる。
唇を離すと、そこには立派な赤い花が咲いていた。
「だから訊いたのね……」
「夢だったから」
「んー……ひひっ、悪い気はしないわよ。なんかね、後から見ると、気恥ずかしいけど嬉しいから」
にこにことしたままで言われる。その溢れる笑顔に圧倒されて、こちらもカァと赤くなる。
電気が点いているのに気づいた紫歩が、ローテーブルに置いてあった照明用のリモコンで、明度をかなり下げる。
時刻は夜九時過ぎだろうか。
どうせ明日も二人きりなのだから、何をしても許されるだろう。
こちらが一歩身を引き、ソファーの上に腰かけたままの紫歩の胸を優しく掴む。
ん、と声を上げだした紫歩を見つめていたら、恥ずかしそうに顔を逸らされる。
裾から手を入れ、捲り上げ、ブラのホックを外して大きい胸を露わにする。本能のままに吸い付いて、吸い続ける。その度に漏れ聞こえてくる紫歩の声がたまらなく可愛くて仕方ない。
普段は散々減らず口ばかり叩くのに、この時ばかりは甘ったるく可愛くなる。
空いた側の胸の先端を指で優しくこねると、腰が揺れる。
こちらが着ているものもまたセーラー服であるというのに、どうしてか、年下の女子高生の紫歩を襲っている気分になる。
それはそれで、たまらなく気持ちが盛り上がる。
再び唇にキスをして、カフェオレとチョコの味をまた貪る。
私がソファーに座ったままで、足の間に紫歩を座らせる。背中ばかりで顔が見えないが、声と身体の熱で、だいたいは想像がつく。
捲り上げていたセーラーをまた元に戻し、生地の上から胸に触れたら、紫歩が身をよじらせた。
ブラの支えがなくとも、上を向いたままの美しい形を保つそこをひたすら、セーラー服の上から揉みしだく。紫歩の手が彼女の口を抑えようとするから、髪の毛を避けてうなじにキスをして、吸い上げて、舐めて、我慢できるものなら我慢してみろと挑発する。
服の上からでも、しっかり立ち上がっているのがわかる胸の先をぎゅっと掴めば、紫歩は喘ぎ声を我慢するのをやめた。最初から、胸が弱いのは伝わってきていた。
紫歩の口に、私の指を差し入れ、彼女の唇や咥内を指でなぞる。それから、てっぺんを再び触る。セーラーはそこだけしっとりと濡れ、擦れる感触を変える。自分自身の唾液のせいで、紫歩はますます声を上げさせられる。
スカートの中に手を潜らせ、タイツとショーツの上から秘部に触れる。むわんとした湿気に、私はにやりとした。
身体の柔らかさは高校の体育で見てきている。
タイツに包まれた両足を抱え、私の足を挟んで、ぐいっと開かせる。スカートがめくれ、足が露わになる。
ほんの少しだけ、紫歩の香りが広がる。
「恥ずかしい……」
「二人きりだから、気にするな。教室じゃないんだし」
「何言ってるのよ……って、あっ」
爪先から太ももまで、指でなぞる。中心には触れてやらない。何往復もタイツの上から。くすぐったがりで敏感な紫歩には、これすらも快楽になるだろう。
きゅっと締まった足首から、触れば柔らかいふくらはぎに、さして太さの変わらない太ももまで。いつかの骨だけにしか思えなかった頃とはまるで違うのだと微笑む。
ぴく、ぴくと紫歩が身体をよじる。
「感じてるな?」
後ろから彼女の耳に息を吹きかけて尋ねる。何も言わないでいるから、また言葉をかける。
「胸と足だけで、それと、この格好をさせただけで。どれだけ気持ち良かったんだ? やらしい」
「あんたのせいじゃない……」
「私のせい? じゃあ、ここで終わりにするか?」
「そ、それは嫌……」
形の良い耳たぶに甘くかぶりつく。紫歩はピアスを一つも開けていない。前回のお返しも込めて、舌でなぶり、世界を支配してやる。
「や、やぁっ……も、瑞生……お願い、続けて……」
服の上から、胸の先端を思い切り弾いた。それから両方の先を痛くないように掴み、ずっと刺激を与え続ける。
「気持ち良いんだろ」
「ん……あっ……」
腰を揺らめかせ、可愛い声を私に届け続ける。
何度も紫歩の口に、私の指を食ませては、胸を生地越しに濡らしてやった。
裾から手を入れ、ぺたんこの腹を撫でて、時間をかけて胸にまで手を登らせる。わざと中心には触れないでいた。ぷくりと膨らんだ輪郭をなぞっては、ゆさゆさと揺らすだけ。
「も、それだけじゃ、いけない……」
「どうしてほしい?」
「触って……」
「わかった」
直接、尖ったそこを指で触ってやれば、紫歩は全身を震わせた。何度か大きく痙攣し、そして力が抜ける。
へたりとした彼女を、ゆっくりと抱き締める。
「……瑞生も、心臓ばくばく言ってるじゃない」
「当たり前だろ、お前がそんなに可愛いんだから」
「……照れる」
「お前ので、制服あれにしたから、クリーニングだな」
「恥ずかしい……何したかバレるじゃない。家で手洗いするわよ……」
「そうか」
それはそれで洗う時に羞恥心が発生しそうだな、とにやにやしながら、また胸を弄ぶ。
体型に似つかわしくないから嫌い、と何度か言っていたそこだって紫歩の一部だ。せっかくなのだから堪能させてもらう。
うなじにまた口付ければ、こそばゆそうにしていた。
長いこと、そうしていたら、どんどん紫歩が足をもじもじと焦ったそうにしだす。
「まだ触ってほしいのか?」
「……うん」
「胸だけじゃ、だめか?」
「だめじゃないけど……触って、ほしいの……」
要望に応えることにする。
前回、あんたも脱いでよと後から言われたので、カーディガンを脱ぎ、ワンピースもパッと脱いでしまう。シャツもボタンを外して、あとは下着だけだ。
「ねえ、あのね……瑞生のシャツ、着ちゃだめ?」
「え?」
「彼女シャツ……」
「良い趣味してるんだな。わかった」
紫歩のセーラーの上着を脱がせ、私のシャツを羽織らせる。
扇情的だった。何一つ隠れていないし、私の服を着ている。
シャツにスカートだと、出会った中学校の制服にも見えてくる。
着ているのは、どこからどう見ても大人の紫歩なのに。ちぐはぐなところに、私の頭は沸騰しそうになる。
何せ、この服には私の想いが詰まっている。
「ん……瑞生の匂いする……」
シャツを引っ張って、匂いを嗅ぐ様は、それだけで喉が鳴った。
タイツは、ゆっくりと脱がせた。破きたいが、それは後日。
濡れて役目を果たし終えたショーツも脱がせてしまう。
「お前、下着好きだよな」
前回と今回だけでも、私の着心地が悪くなくて服に響かなければ何でもいいという着けるものとは、一線を画したこだわりを感じた。下着用の小さいタンスがあると以前、口にしていたし。
「集めてるもん。趣味で」
「やらしいのとか?」
「ば、ばか! 何よ、あんたがお願いしてくるなら着てやってもいいけど」
「ふぅん、持ってるってことか。今度な。楽しみにしてるさ」
持ってない! あんたのために買ってきてあげるだけ! と言い出したので、キスで口をふさぐ。
またさらに可愛いことを言い出す前に、紫歩の大事なところに舌を這わせる。ひぅ、と声が上がる。
「ずいぶん興奮してたんだな?」
「当たり前じゃない……。あんたとするのが良すぎて……」
その言葉に、頭を焼き切られそうになりながら、紫歩の中に舌を入れる。
膨らんだ突起をちろちろと舐める。私を招くようにひくつく中は熱くて、秘肉が跳ね返してくる感触を味わう。
彼女がまた、昇りつめるまで執拗に舌で舐め続けた。
顔を離して、ぐったりとしてはいるが心地好さそうな表情の彼女の頭を優しく撫でる。
触って欲しそうに揺れる胸を弄べば、目をぎゅっと瞑り、あ、ぅ……んんっ、と声にならない声が出てくる。
聞きながら、紫歩のぬかるんで光る秘部に今度は指二本を突き立てる。ぎちぎちと締め付けられながら、熱く濡れたそこを味わっていると、再び紫歩の身体が大きくビクつき、中が痙攣する。
「ずいぶんといきやすくなったな、紫歩」
「もう……だから、瑞生が気持ち良すぎるんだってば! 何回言わせんのよ!」
真っ赤な顔で言われては、焚き付けでしかない。
「……そんなの、何回だって聞きたいだろ……」
掠れた声で呟けば、紫歩も少し目をそらして、はにかんだ。
「調子狂うのよ……こんなに気持ち良いなんて、知らなかった……だって、あんたの指というか手で描かれる世界が私は好きで、それきっかけにあんたと出会って。その指に、自分が翻弄されてるの、たまらなくって」
「私だって、ずっとお前のこと、こうしたいって思ってた。昔から。知識も何もなかったころから」
「は? 馬鹿じゃないの変態……」
「変態で何が悪いんだよ。こっちは真剣なんだぞ」
「照れ隠しなの! 私の口が悪いのは!」
「……お互い様だな」
今度は鎖骨に赤い花を咲かせて、それから、ぐるりと背中をこちらに向けさせる。
四つん這いという、紫歩らしくない屈辱的だろうポーズに、私は興奮してやまない。
「なんて格好させるの」
「したそうだったから」
「……あんたって」
「なんだ? 良い趣味してるだろ」
シャツを捲り上げ、剥き出しの生白い背中に唇を、舌を這わせてゆく。微かに残る下着の跡すらも愛おしい。
辿った跡が静かに光る。
わざと水音を立ててやる。
「ひゃ、あ、あっ……」
紫歩がよがっている様だけで、こちらだって子宮が疼く。
浮き出た肩甲骨をなぞり、きめ細やかな肌を堪能する。
時折、細い腰から性的な曲線を描く、まあるい臀部を触り肉感を手で味わいながら、秘部に指を伸ばせば、そこは絶え間なく溢れ出していた。
わざと内腿に紫歩から溢れる蜜を塗りつけたら、恥ずかしそうな横顔がちら、と見えた。
濡れて妖しく光る指を見せつけてやれば、そこが切なげにひくつく。
その指で、大きく実った胸の柔らかさを堪能させてもらえば、先端は固く固く尖って、紫歩にダイレクトに快楽を届ける。触った分だけ、紫歩は腰を揺らし、声を上げた。
「お前は色気があるんだよ……だから、手が勝手に動く」
「褒めてるの、それ」
「もちろん。何してても、紫歩は綺麗だし、可愛いから」
「み、瑞生だって、あんただって、何してても綺麗で……近くで顔を見ると息が止まりそうになる……」
「やめろ、照れるだろ」
うひひっ、と場に相応しくない声を出された。負けじと、大きくなっている肉芽を弄り、再び喉の奥から絞り出された嬌声がリビングに溢れてゆく。
もう、だめ……と、かぼそく言いながら、身を震わせ、紫歩が絶頂を迎えるのを見て手を止めた。
「愛してる」
私の囁いた言葉に、紫歩はまたも身体を震わせた。
ソファーの上に崩れ落ちるように倒れ込んだ紫歩の背中に、優しく口付ける。
「や、だぁっ……」
「まだ続けられるだろ? もっと気持ち良くなりたいだろ? 私は紫歩のことをもっと愛したいだけだから」
秘部から垂れ落ちるものを、すくい、塗りつける。
何度も達したせいか、何をしても感じる状態らしく、紫歩は断続的に声を上げ続けていた。
全身に走る快感から逃げようと、空間を彷徨う手を、がしりと握り締める。
「あ、っ……ん……わたし、も、だから……瑞生……愛してる」
その言葉に、たまらず手を引っ張って、上体を起こさせ、汗ばむ身体を抱き締めてキスをした。
とろんとした顔で微笑まれると、手が止まらなくなる。
「すき……」
私の耳を、ピアスを舐めながら言われた。いつもより数倍、甘い台詞に私は翻弄される。
もっともっと、こいつを愛してやりたくなる。

今度は私が腰かけて、紫歩と向き合ったまま膝の上に乗ってもらう。
ねえ……瑞生も全部、脱いでよ、と小さく声をかけられ、彼女の手が私のブラを外し、外気に裸を晒される。ショーツも脱げと手でぐいっと引き摺り下ろそうとしてくるので、一旦紫歩を下ろし、素早く脱いでから、同じ体勢に戻った。
思い切り足を開く格好となり、紫歩が恥ずかしそうにしているのがたまらない。
まだどこかに理性は残っているらしかった。全部、吹き飛ばしてしまえば、いいのに。私の前でだけ見せる、可愛い恋人の放つ淫蕩さを、飽きるまで堪能させてほしい。
彼女のものがべっとりと付いている指を二本まとめて、突き上げるように彼女の中に挿入した。
「ひうっ……」
中はさっきよりも、ひどく熱くて、私の指を精一杯感じようと必死に吸い付いてくる。奥の奥、さっきまでは感じられなかったところに触れる。紫歩の身体が悦びに着実に反応している。
指先で最奥を突っつけば今日一番の声を出した。
「だ、だめ……そこは、おかしくなる……」
「なるためにしてるんだろ」
「ひ、あ、あっ……や……だめ、だってば……みずき……」
私の与える快楽で、身体が揺れ、質量のある胸ごと押し付けられて、彼女の細腕が私に抱きついて来る。私も背中に片腕を回し、距離を互いに、これ以上ないまでに縮める。
ソファーの上で私の少し開いた足の上。そこに紫歩の足から尻がぴたりと密着している。
「やらしい……」
「紫歩がな」
「あんたの発想がよ……あ、んっ、そんな、強くしちゃ……」
「近くで見つめ合えるだろ、こうしたら」
「……ん、あ、ああっ……」
部屋が温かすぎるせいもあって汗でしっとりしたお互いの肌が熱くて仕方ない。
重くないの……? と不安げに尋ねられたが、重くないし、紫歩の存在の確かさ分、そのささいな圧迫すら私は嬉しい。
「そんな真剣な目で見つめられたら、だめっ……」
「何言ってるんだよ。ちゃんと、お前の顔を見せてくれ」
わざと、指の動きを大きくする。性具として何度も何度も挿れては出して、突き入れる。
紫歩の太ももを伝った愛液が私の腿にまで。
「すごいな」
「こんなの、知らない……あんたが……加減知らずにやるから……」
「じゃあ、見つけていってやる。ちゃんと教えろよ? どこをどれくらい、どうされたいのか全部」
「馬鹿、言わないでよっ……」
「わがままだ。可愛いけどな」
これ以上、私に何も言わせまいと紫歩からキスしてきた。舌と指、どちらともが紫歩の中にある。繋がっている。一つになっている。
私がだめになりそうだった。
酸欠になる前に唇を離し、確かに架かる銀の橋が、つうっと重力に負けてゆく。
ぐちゅぐちゅ言わせながら弄れば、間近で響く声が私の脳も身体をも悦ばせてくる。白い肌が朱に染まっているのが、ぼんやりとわかった。上気しきって、汗ばんで、光る身体が暗い照明に照らし出されて、私の手は止まらなくなる。
紫歩の反応が一番良いところを探そうと必死になる。
「そんなに、そんなにしなくていいってば……あっ……」
声がかすれ、さらにセクシーさが増す。こいつが私を止めれば止めるほど、私の炎は勢いを増す。
「私を、紫歩に刻みつけたいんだよ」
何年、他人に奪われていたことか。
どす黒い嫉妬も、独占欲も、あるに決まっている。
生理的に目を潤ませ、泣きそうになっている紫歩の丸い目が、快楽で蕩けっぱなしになっている。
この姿を見られるのは私だけだ。これからも、ずっと。
他の奴になんか二度と渡さない。この先の、天国にだって、地獄にだって、ずっとずっと。
「みずき、そんなこわい顔、しないでよ……何しても、いいから……」
「……紫歩」
「目の前に、私は、居るじゃない……そんな、虚ろな目、しないで……私にできることがあるなら、何でもするわ」
紫歩の手が私の背中に爪痕を残すくらい、強くしがみついてきた。
その微かな痛みすら、私の炎を燃え上がらせる。
中の、腹側のざらついた面を集中的に弄り続け、それから最奥を攻め立てた。
やがて、きつく私の指を何度も咥えて、そして弓なりに身体を反らさせて、再びの絶頂を伝えてきた。
今度ばかりは全身から力が抜け、ともすれば後ろに倒れそうになる紫歩を無理やりに抱き締めて、止まらない彼女の身体の震えをも一緒に味わう。
額に浮かんだ汗を舐めとる。
それからキスを何度もし、熱い息に眩暈がした。
快楽ゆえに、顔が蕩けて、やらしい微笑を浮かべっぱなしの紫歩が私の首筋にキスをし、痕をつけてくる。
「みずきは……わたしのもの、なんだから……んぅ、あ、あっ……ん、ひひ、きもちいいわ、みずき……すき……」
舌ったらずに囁かれ、思わず、こちらがそれだけで達しそうだった。
すぐに、指を抜いた。彼女のもので塗れた指を、自分の口元に運ぶ。
少し間を置いて、紫歩の期待と羞恥の混じったトパーズの丸い目を見つめながら、舌を伸ばして紫歩の味を堪能する。
「やだ……」
と小声で言うものだから、
「ごちそうさま」
と低い声で囁いてやる。
目を一瞬見開いて、何も言い返せないでいる彼女を、また両腕でしっかり抱き締めた。
細い身体が軋んでしまうくらい。
痛いだろうくらい。
んん、と紫歩が鼻から抜けるような甘い吐息を漏らす。
「ね……みずき、ちゅーして?」
お望み通り、息ができなくなるまで口づけを送った。
上気した赤い顔で、やっていることに相応しくないまでの、あどけない笑みに、私は心底くらくらした。


そのまま夜は更け、紫歩が気絶するように眠ったのを機に、ソファーベッドにしたままで、紫歩の部屋から毛布を引っ張ってきて、朝を迎えた。嫌なわけではないが、放っておくと、こいつが攻めてくる。自分が自分でなくなる感覚が、私はまだ怖かった。耳を攻められると、本当に何も考えられなくなる。
もう少し、回数を重ねて。私が紫歩の身体を思う存分味わうことがあれば。たまに見せる紫歩のあの獰猛な目に愛されてもいいかもしれない。

それにしても、紫歩があんな風になるとは知らなかった。よほど寂しかったのだろうか。子どもみたいだな、と思い返して小さく笑う。
起きて問えば、その話はしないでよ! と真っ赤になるのが軽く浮かんだ。あのプライドの相当に高い女が、私の手で、こんなに乱れてくれるだなんて至高の喜びである。
不埒なことを考えていれば、小鳥のさえずりでじわじわと意識が覚醒してくる。隣でスヤスヤ眠る紫歩にキスをする。
昨晩は紫歩があんなに可愛く甘えてくるまで、あれだけ一方的に攻め立てたのだから、なかなか起きられないだろう。
自身の高校時代のシャツを羽織って眠っている恋人は、また一段と可愛く見える。
柔らかな栗色の髪を梳いて、ほどけかけた紫のリボンを結び直す。
なんとなくまたほどいて、自分の左手の薬指と、こいつの薬指とに巻こうとしてみる。
……起きて気づかれたら恥ずかしさで死にそうだな。
やっぱり、やめた。
このリボンは、こいつの髪で揺れている様がいっとう好きだ。また、次の機会があったら結んでもらおう。

少しでも身体を動かすと存在を主張する豊かな胸の、その先端を、悪戯心で爪で弾く。すると、鼻から抜けるような声とともに、むず痒そうに腰を揺らめかせた。
このままだと、寝ている紫歩に手を出しかねないので、頭を冷やす。
少し、部屋が寒く感じられた。寝る時に暑くし過ぎたかと思って調節したのだが、あれはおそらく情事後ゆえにそう思ったらしい。
私とは体感温度の違う紫歩が風邪を引かないようにと暖房の温度を少し上げる。
ローテーブルの上を片付けて、起きたら一緒に風呂でも入ればいいか、と思いついた。
機械音を静かに鳴らしながら部屋を掃除しているお掃除ロボットの電源は、一旦切った。充電器に置いて、小さくでこぴんする。
今だけは、紫歩と私の時間の邪魔を何物にもされたくないのだ。
というか、私だって紫歩に、あんな笑顔で出迎えられたい。

幸せを、ただただ、至福を感じる。
紫歩のそばから離れたくなくて、毛布の中に戻る。
胸と胸がくっつきあって、鼓動が共鳴し合う。
んん、と声にならない声でむにゃむにゃ何か言っている。面白くなってきて鼻を摘んで、すぐ離す。しかめっ面が、あどけない童顔に変わる。
「瑞生……好き……」
明瞭に聞こえた言葉に、朝から赤面させられる。
いったいどんな夢を見ているのか。
早く教えて欲しいと祈りつつ、結局、同じ毛布の中に包まれる。
こんな一日を何年も何年も夢見ていた。
夢だけは、ずっと見ていたのだ。
それが今、ここにある。
まどろみ出した意識の中で、隣の最愛の女性をしかと抱き締めた。
寝ているそちらが悪いと首筋に吸い付いて、何度でも、愛を描いた。

ちなみに、一時間後にようやく起きた紫歩に、ちゅーして? を覚えてるか訊けば、泣きそうな顔で、あれは忘れて、と言われた。
あひゃひゃ、忘れてなんかやるものか。
ふざけないでほしい。こっちは真剣なんだ。
それから、甘茶色の髪の毛をすくって、口付ける。恥ずかしそうに、もう眠気も吹き飛んだであろう彼女はそっぽを向く。白い首筋には赤い花がたくさん咲いていた。
リビングの、一般家屋にしては高めの天井まである大きな窓からは朝陽が降り注ぐ。
朝はどこの世界にだって訪れ、闇夜を照らす。
一時は叶わぬ恋に病みに病んだ私でも、たくさんのことがあって、分かれ道を何度も選んで、なんとか、この朝に辿り着いたのだ。
こんなに生きている喜びを噛み締める朝が世界にはあるのだと彼女は教えてくれた。
いつか永遠の眠りに就くその日まで、絶え間なく笑っていて欲しい。

どんな酷い雨だって雷だって、いつかは止んで、晴れて、運が良かったら虹が架かる。
虹もあっという間に消えた空には、太陽が光る。
太陽は、薄やかな空色から私たちの居る、この美しい世界を照らし続けている。


→黒田さん著『光の道