スプリングアワー

最終学年に上がる四月頭。
始業式より数日前に、学年ごとに時間差で掲示板の前に生徒たちが群れをなす。悲喜こもごもの中に、黒のセーラーとグレーのセーラーは、お互いをちらっと見て、そして小さく二人揃ってため息をついた。
「何よ、私と三年一緒なのが不満だっていうの」
「そんなことない」
「まったく面白くないって顔してるわよ。あ、あんたのカバン、水色の首輪ついてるじゃない。ふぅん、そう」
「にやにやしてる……」
「上手くいったから、あんたはここにいるのよね。ひひっ」
横に並ぶと10cm差はある。
雪恵が少し見づらい紫歩の視線を追っていると、自分たちのいるクラスとは端の位置になるだろうクラスに、紫歩の大切な人の名前を見つけた。
「はあ、体育同じにもならないわね、これ」
「ばれてるんじゃないの」
「は?」
「噂だけど。カップルは目ざとくばれてて、クラスを引き離される、って」
「あんたが噂を口にするとは……」
「今、考えた」
「殴るわよ」
紫歩は掲示板に張り出されたクラス名簿の写メを撮り、見に行くのだなんて面倒臭いと言い放って散歩に行っているらしい件の相手に送信する。
「紫歩は体育なんて、真剣にやらないのに。体調が悪くなくても」
「器械体操の時だけは真剣よ」
「三年の体育はお遊戯だから」
「なぁに、私とバドミントンする?」
「……目が追っちゃうから好きじゃない」
「あんた短距離は強いわよね、そういや。猫みたい」
にたにた紫歩は続ける。あんたの正体なんてわかってたわよ、と言わんばかりに。
雪恵はしれっと興味なさげに歩き出す。今日はこれで終わりだ。
「ご飯、食べに行く?」
「安いところなら」
「おごるわよ、お祝いだから。あんたが三年になれた」
「そんなに大げさにしなくていい」
「和音と佐知子とるりも呼んでるのよね」
どうりで、じりじりと痴話喧嘩の声が大きくなりつつあるのか。距離は遠いが、また何か言い合っている。素直じゃない人たちだ。三年間同じクラスなことをもっと喜べばいいのに。
地獄耳の紫歩にも届いたらしく、眉を顰めている。
「あの調子か……二人で行く?」
雪恵は、隣を歩く黒猫の強引さに再びため息をついた。
その様子に、紫歩は少しだけ心配げな顔をした。
「みんな、心配してたんだから。板野文佳だって、鹿屋さんだって。板野文佳も無事卒業して行ったものね。すっきりした顔してた。やっと地に足着いたような」
「……ありがとう。佳菜子も、元気だし」
「あー! そういや、あの子も瑞生とか彩霞と同クラスだったわね。絵の道に進むのかしら。ひひっ、雪恵。これからもよろしくね。私、あんたのこと好きよ」
「勘違いされるようなこと言わないで」
「勘違いしそうなご本人は来てないからいいの! ご飯も誘ったけど喋ったことない奴がいるから、って断られたし」
ざわめく生徒たちの間を縫っていれば、去年から理系クラスにいる城村優雨花と、雪恵と並ぶと凄まじい身長差を見せる葉梨彩霞ペアがいた。
「やっほー! 二人とも今日も可愛いね! クラス離れたままだけど、よろしく! 英語わからなくなったら頼むよ!」
優雨花の相変わらずの軽率で安易な挨拶に紫歩と雪恵は笑った。
「横の背高のっぽは瑞生とバカクラスね」
紫歩の煽りに、彩霞が反応する。
「バカクラスはないだろ、バカクラスは」
「じゃあ、ぼっちクラス」
「他の奴らに失礼だな」
「瑞生のこと、よろしくね」
「よろしくされてるのは私なんだけどな」
「お互い様じゃないの。迷惑はかけて、かけられるものよ」
そろそろと彩霞が雪恵に興味を示す。手をわきわきして、触ろうとする。
雪恵は敏感に感じ取り、紫歩の後ろに隠れようとしている。
散々、雪恵はその特別な見た目から追いかけ回されてきた。撫でられるのは好きではない。好奇の視線は歯牙にもかけないが、望んでいるわけではなかった。
紫歩の隣にいると、魔除けのように、おいそれと手を出されないことに気づいてからは懐いたようにそばにいた。

彩霞は瑞生とは種類の違うやる気のない雰囲気を醸し出し、そして無愛想だが飼育委員で動物は好きだ。
「彩霞、まだ怖がられてるの。うひひひひひっ」
嘲るように紫歩は笑う。
優雨花は、合流してきた佐知子と和音とるりに気さくに声をかけ、こちらのことは見て見ぬ振りをしている。
「怖いわけじゃ……」
「雪恵、無理しなくていいのよ。彩霞は可愛くてちっちゃい女の子は大好きだからねぇ」
「おい、紫歩。お前あんまりあれだと、瑞生にメールするぞ」
「は? なんて、彩霞」
「浮気してる、って」
「殺すわよ。私こそコロさんにメールしてやるから。子猫ちゃんに手出してます〜って。大学からすぐ来ちゃっても知らないんだから、あの先輩」
紫歩のわかりやすい態度に、彩霞は笑いをかみ殺していたが、弱点を突かれ息を飲む。
優雨花はもっとさらに距離を取っていた。
「……紫歩。瑞生が来てないからって彩霞をいじめるのはよくない」
「いじめてないわよ! こいつ、人の名前やっと覚えたと思ったら……瑞生のことで散々いじってくるんだから……」
「楽しいから」
何食わぬ顔で彩霞は言う。雪恵もその意見には同意だった。あの口から生まれた女である紫歩が、瑞生の名を出されると非常に弱い。
「私は楽しくない」
むすっとした声が響く。
「紫歩、瑞生のことだけは弱いから。すぐ顔赤くするし」
彩霞の淡々とした指摘に、紫歩は俯いた。照れているらしい。
このままだと抵抗できなくなった紫歩が爆発する。和音と似たその癇癪玉の扱いにくさには、雪恵は何度も手を焼いてきた。
「紫歩、ご飯行こう」
「あ、そうね。彩霞は? 行かない?」
「あー、デートがあるから」
「うわっ」
紫歩が欧米のような、わざとらしく両手を挙げて、やってられないとジェスチャーして歩き出す。その手は、軽く雪恵の手を握っている。
歩幅の違う雪恵がこけないよう、足を止めた。
その様子を見て、和音たちも着いてくる。優雨花は優雨花で、あの演劇部の先輩と会うらしいとか、なんとか。
「紫歩、さっき聞こえたんだけど、私にもおごってくれる?」
「は? なんで和音におごってやんなきゃいけないのよ。今日は雪恵の誕生会なんだけど」
「ふーん、おごってくれないんだ。けち」
「あんたの誕生日にね、また。生徒会長様が副会長とはいえ一般生徒にたかるなんてねぇ? 世紀末だわ」
「し、紫歩には感謝してるし……副会長になってくれて嬉しい」
「あら? ひひっ、ありがとう」
赤い顔をして告げる和音の頭を紫歩が撫でる。嫌そうながら振り払うこともできず、背が低くなければ……だのなんだの恨み言を和音は言う。佐知子がそれに吹き出す。じろ、と和音は佐知子を睨んだ。
「仲が良いのね」
佐知子は穏やかに言う。今日は靴下がちぐはぐだというのは、もはや誰も触れない。
「和音は紫歩ちゃんのことずっと心配してたもんね! ここ最近は雪ちゃんのことも!」
「るり、あんたばらさないで!」
和音のキーキー声が、るりを制止する。
「へへっ」
しかし、そんなものは慣れている。図書館好きとして付き合いは三年目になる間柄だ。

雪恵が望んだ、これから、がここにはある。
手を引く黒衣の少女は、振り返って、雪恵にしか聞こえない声の大きさで呟く。
「あんたのこと、信じてるわよ。生きる気になってくれてありがとう」
お礼を言われることではない、と緩くかぶりを振る。
手を引っ張られ、まだ校内も出ていないというのに抱き締められた。
やめてほしい、彼女のお相手は独占欲が強いのだから。
「……雪恵。生きててくれて、ありがとう」
震える声に、雪恵は小さな手を、少女の背に回す。
いつかはたかれた頬の痛みもすべて流して。
確かに、鍋島雪恵は、ここにいる。
三年生に、なったのだ。
桜の花びらがひらひらと舞い落ちる。

春が、来た。

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最終更新:2014年12月20日 18:40