二人で抱える花束

渡米する大人みなしほ。五芒星プラス瑞生。

空港で大型のキャリーケースを持ち、免税店で化粧品をじいっと見つめる。
「もう充分持ってるでしょ」
「でも、好きだから……」
「なかなか帰ってこれないもんね」
「美南を置いて帰りたくないだけ」
「あはは、上手いこと言う」
「本心よ」
美南が院を卒業し、それから渡米を決めた。研究したいことがあるのだという。
語学には自信があり、大学入学後、半分は海外で過ごした紫歩としては、待ってましたという決定であった。特になんの強みもなかった紫歩にとって、語学センスに長けているということに気付いたのは、美南のおかげであった。
ここにいるのも、何もかも。美南と出会えたからだ。


高校時代、一つ上の先輩である美南に入学式で見初められ、そしてまた紫歩が一目惚れした。
母親の離婚、再婚という家庭環境と折り合いをつけられず、拒食に陥り、それでもぎりぎりの体力で校内で面白いことを彷徨い歩いた。入学式で、美南に言われた言葉があったから。
--つまらないことは、無駄なこと。
美南の信念に紫歩は強く惹かれた。
あの高校に入学したのは、学力がちょうど良かったのもあるが、野村茉莉もとい菱沼綾葉という高校生を超越した圧倒的な小説を書く人に憧れたからだ。
中学の時に一度、あの高校での文化祭で二年生の菱沼綾葉と出会い、そして入学式当日に、美南の案内で再び出会った。
菱沼綾葉は場を制する雰囲気を持つ女生徒だった。高校生の皮を着ているだけの、化け物。正直なところ、そう思った。紫歩の世界を真っ白に焼き尽くすほどの衝撃を与えた作品一つ、覚えていないと言い放つ異様さに、ただただ言葉を失った。
そんな彼女とすら普通に会話でき、かつ、紫歩の初対面の相手にするには重苦しい身の上話すらも優しく耳を傾けてくれた。
惚れるな、というのが難しい。
一年の時はもっとツンケンしていたのよ、あの子。なんて紫歩が慕っている風紀委員長は煙草の香りをちらつかせながら言っていたけれど。
紫歩を見る目はいつだって温かった。
虹のように憧れ求めやまなかった、温かな家庭の雰囲気そのものを美南は持っていた。
片想いの末に、美南が振り向き、付き合うようになった。
生徒会長と生徒会役員という目立つカップルであり、瞬く間に学校中に知れ渡ることとなった。過保護なまでの美南の寵愛に、息が止まるかと思ったこともあったが、卒業するその時まで、親鳥の後ろを追いかける雛鳥のように美南のそばに居られた。

定期試験前。一学年上である美南の教室に平然とした顔で現れ、教師がもう目を瞑るだけの学力を誇っていた紫歩は、美南の苦手科目に気付いた。
「英語、苦手なの?」
「ああ……うん。なんだろ、これだけはどうにもこうにも。相性が悪いのかな」
「んー、私の親族にも語学関連の仕事の人が多いんだけど。センス、って言うものね」
「それ、フォローのつもり? ふふ」
「美南はいつか海外に行くつもりなの?」
勉強会は、ある時はほぼ紫歩だけの城であるマンションの一室で。
ある時は美南の家で。
生徒会活動でも一緒だから、ほとんど連れ添っていた。
美南がもう一つの顔である、科学部に行けば。
強烈に苦手に感じながらも、それでも憧れてやまない菱沼綾葉のいる文芸部へ。
はたまた、中学からの同級生である雑賀瑞生のいる美術室へ。
〆切前やなんやで紫歩が立ち入る隙がなければ、図書館と呼ばれるまでの立派な場へ。
今日は一人なんだ、珍しい。なんて言われるまでになっていた。
「そうだね。いつか行ってみたいなって思ってる。そしたら、紫歩は着いてきてくれる?」
「……うん! 美南のそばに居させて。見捨てないで、私のこと」
「見捨てないよ。そばに居て、紫歩」
「ひひっ」
「ふふっ」
高校の時に結んだ約束は、何年も経て、果たされようとしている。


「ねえ、紫歩。気になってたんだけど、雑賀さんとはちゃんと話できたの?」
「へ? 瑞生とは二日前に。元気でな、って」
「あっさりだね」
美南と瑞生は結局、仲良くなることはなかった。紫歩の取り合いとまでは言い過ぎだが、彼女の恋人と保護者めいた立場だったから、相容れなかったのだろう。
「たぶん、本当はもっとたくさん、あの子も言いたいことがあったかもしれないけれど。瑞生は瑞生で、プロダクトデザイナーで忙しいし。私たちは親友だから、日本に帰ってくる時は一番に会いに行くわ、って。笑ってたわ」
全員が成人して、三人で飲む機会もあった。引き合わせたのは紫歩だが、酒に弱いくせに度の強いカクテルを空きっ腹で煽り、すぐさま寝転んでしまった。
激しい頭痛と共に目覚めたら、ほとんど無言ながら、前よりは険のとれた二人が居た。
--紫歩を幸せにしてやってくれ。
愛娘を嫁に送り出す父親かのようなことを瑞生は言っていたらしい。
アメリカに行ったとて、ウェブカメラを用いたネット通話で顔を見ながら話はできる。
ファインアート一本だった瑞生が、高校生活で綾葉と同期の美術部部長、桑城素子と出会い、高三の時にはプロダクトデザイン志望になっていた。そのまま美大で四年間を駆け抜け、名の知れたところに就職した。
それでも、趣味としてファインは続けていて、家に遊びに行けば瑞生の部屋のイーゼルには、彼女が描いた油絵が飾られている。
--私、やっぱり瑞生の絵、好き。世界で一番好きな絵だわ。
呪いじみた言葉をずっとかけ続けた。
もしこれで瑞生が誰とも恋仲にならず、ずっと仕事一筋に生きていくとしたら。それは彼女の選択であれど、心が焦げ付く。
出国審査に並ぶ直前、ふらっとあの長身の金髪頭が見えた気がしたのだ。今日出国することは伝えてある。飛行機の時間もあらかじめ。
見送りにきて欲しいから言ったわけではなかった。
ただ、彼女には逐一連絡したい紫歩がいた。
わがままなのはわかっている。恋人と仲の良くない自分の親友を同じ場に引き合わせるのは、もう、するつもりはない。
それでも来てくれたのだ。
振り返って、一瞬だけ目が合う。
まるで偶然会ったかのように会釈され、手を振られて、すたすたと歩き去って行かれた。
先を歩いていた美南は気付いていないだろう。
--ありがとう。
唇だけ動かして、紫歩は美南を追いかけた。
二兎を追うわけには、いかなかった。


エコノミークラスの国際便で、映画を散々見て、あまり味の合わない機内食を食べ、そして毛布に隠れて手を握りしめ合って眠る。
八時間。海を超えて、新しい場へ。高校卒業を機にお団子頭をやめ、紫歩よりも一段階明るいオレンジブラウンを肩より少し長めのところで揺らすようになった美南と。
何度も喧嘩したし、きついことを言って振られる寸前まで行ったことも、一度や二度ではない。彼女の母性と父性を併せ持った包容力に触れ、繰り返し惚れ直した。
「紫歩は私と別々に生きたいって思う時があるかもしれないけど。私は貴方を置いていくつもりなんてないからね。紫歩のことが、好きだから」
なんて抱き締められて言われたら。
気にしている胸の大きさなんて、関係ないくらい、柔らかい身体で言われては。
離れられるわけがない。

美南には運命的に惹かれていた。

無数の選択肢の上に広がる世界のどこかで、彼女に失恋した自分が居たように紫歩は強く、白昼夢を見るように感じていた。
美南の卒業式には、どうかどうか花束を渡したい。
いつかどこかの自分が一つも渡せず、おめでとうございますの言葉すら言えなかった後悔をなぜかずっと抱えてきた。
その悔恨を、美南の卒業式では果たせた。
黒セーラーに赤いスカーフという何色も持っているうちの中で、紫歩にとっては正装で。
自分の入学式では、よりによって黒スカーフという、見る者の度肝をつく様相で現れ、結果として美南の目に留まったのだが。
「あなたに、私、生まれる前からこの言葉を言いたかったんだと思います」
「……ふふっ、どうしたの? やけに情熱的」
「ご卒業、おめでとうございます」
歩くたびに花びらが、少しずつ落ちていっても気付かない大輪の花束。紫歩よりも背が低く、ちょっと幼く見える美南が持てば、埋もれそうになる。
「私、この時のために生まれたんだって、思うから。受け取って」
「うん、ありがとう。紫歩。生まれてきてくれて」
「……美南こそ、私に振り向いてくれて、私に未来をくれて、ありがとう」
周囲が空気を読んで立ち去り、のちに卒業式で結婚式を挙げたとネタにされるほど、熱い抱擁を交わしたことは大人になってもよく覚えている。
美南と違って、特に将来の夢も何もなかったので、美南のアドバイスもあって国際関連の学部に進学した。そこで、めきめきと頭角を表した。同じ大学の文学部には綾葉が居て、たまに学食で会ったりすれば共にランチを食す仲にもなれた。
「君は、他人のために生きるのが好きなんだな」
「悪いことですか」
「いや。私も、子どもたちに夢を見せるために生きたいと高校の時は強く思っていたからな」
「でも、あなたは児童文学から離れた」
「離れたわけじゃない。今だってたまに書いているよ。あの高校は定期的に読み語りを開いているだろう。私の書いたものを読んでもらえる時があるんだ」
「え、本当です? もらいに行かなきゃ」
「君は今も変わらず私の物語を読んでくれているのか」
「は? 何言ってるんですか、綾葉さん。私、あなたの書いた物語が好きですよ。酔狂で大学も同じところに来たわけじゃありません。あなたの見ている世界を、私も見てみたかったから」
照れたように、綾葉が手で顔を扇ぐ。そういえばボールペンで遊ぶ癖は抜けたのだろうか。
「あんまり言ってくれるな。甲埜の焼き餅は厄介だと私も心得てる」
「なんでそこで美南が……」
「君は無自覚かもしれないが。君の言葉は、誰にでも届く平凡さを持つがゆえに、数多くの人間の心に刺さる。言葉は刃だ」
「綾葉さんにそんなことをおっしゃってもらえるような私じゃ……」
「ものは使いようだよ、間宮。誰かを泣かせることができるならば、誰かを喜ばせられるだろう」
さて、灰原が来たような気がする。締切に追われているんだ、じゃあ。
なんてトレーを持って、颯爽と綾葉は消えて行った。
綾葉との遭遇はだいたい突然で、だが相手は狙ったタイミングでやってくる。
美南や、美南の幼なじみかつ紫歩の先輩かつ綾葉の介護人である灰原実花いわく、可愛がっているつもりなんだよ、紫歩。わかってあげて? だなんて。
その日一日頭が真っ白になるだけだ。可愛がりなんてものじゃない。綾葉にとっては頭を撫でているつもりでも、完全に光の矢で紫歩を貫いている。
言葉の魔術師に言われると、本当に何も考えられなくなるから、やめてほしかった。
卒業後は某国際子ども図書館で勤めていると聞く。普段の何かを超越した眼差しでなく、まさしく慈愛の目で子どもたちと触れ合っている綾葉を見て、どうしてか紫歩が泣いた。
灰原実花はその恵まれた運動神経を活かして、彼女もまた子どもたちと触れ合う仕事に就いた。
なんでも、職場に遊びにくる綾葉が幸せそうだから、ベストの選択だった、とか。

別の大学でグライダーサークルに入り、悠々自適に過ごしていた智由利からは空の写真がよく届いた。今は海外の空を堪能しに行っている。誰より裕福な家庭環境に生まれた彼女は、家を継ぐための勉強も兼ねているのだ。
アメリカ移住のことも、智由利が相当力になってくれた。書類のことだとか住居から何から。彼女自身、海外在住経験もあり、飛田グループは世界中に支社を持っている。
ここに住んだらいいんじゃないかなあ、ふふっ、と口調はあくまでも可愛らしく柔らかい、紫歩にとって、瑞生とは立ち位置の違う親友の助言に、何度助けられたかわからない。
いいよ、お礼なんて。美南とお幸せにね。
小悪魔だ何だとからかってきたが、空を見つめる彼女の真摯な眼差しに、濁りは一つもなかった。

くじ運と呼ぶと失礼かもしれないが、あのどんよりとした気持ちで臨んだ入学式からは考えつかないほどの未来をもらった。
そういえば、昔、親にもらって結ぶことが多かったトレードマークの紫のリボンは、美南の妹であるつぐみの高校入学記念にあげた。
どことなく美南にも紫歩にも似た雰囲気に成長したつぐみのこれからも楽しみである。

何より、海の向こう側で始まる美南との新生活に胸を高鳴らせながら。
ゆっくりと目を閉じた。

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最終更新:2014年12月20日 11:09