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魔女の天使堕とし

きっかけは覚えていない。
家に帰っても一人ぼっちなのが嫌で、制服だけは脱いで、できる限り綺麗に化粧した顔に装いで街を彷徨っていた。
時間が日付変更線を跨ぎそうになると、歩く人たちの雰囲気も変わってゆく。
仕事帰り、飲んでいたサラリーマンやOLたちが消えて、そして見るからに水商売風の煌びやかな女性や、厳つい風貌であったり、はたまた遊び慣れているだろう男性たちばかりになる。
タクシーから降り立つ高いヒールに何度も目を奪われた。

家に置いてあったアルコールを飲んで、頭が割れるように痛み、吐き戻した経験から、お酒を煽ることもできない。
それでも、通りすがりだろうと近くに人がいるのは心地良かった。
一人きりの家よりは。
「ねえ、あなた」
肩にそっと触れられ、振り返ると、妖艶な美女が立っていた。
妖しく微笑まれ、その、ツヤツヤしたくちびるに紫歩の目は釘付けになる。
「私と、遊ばない?」
無言で、彼女の手を取った。

自分の価値なんて、さしたるものはない。死ぬ勇気がないから死なないだけで、ほとんど幽霊のような生活をしていた。
構いに行くから構ってもらえるだけだ。
そんなからっぽな紫歩に、名を名乗らず、お姉さんって呼んで、と笑った女性は優しかった。
昔の自分を思い出すのよ。私も、そうやって夜の街に遊びに来てたわ。そこで私もこうやって人の熱を知ったの。
ねえ、せっかくあなたは魅力的な容姿に生まれたのだから、寂しいなら、他人に縋ればいいのよ。
悪いことじゃないわ。言わないだけで、してる人は多いもの。
あなたのその、聡くて澄んだ目なら、きっと悪しき者も良き者も見抜けるわ−−。
服をすべて脱がされ、自分でも触ったことのないところに触れられ、舐められ、そして指を受け入れる。
中を揺さぶられ、感じるためだけの器官を弾かれ、細身なのに大きめの胸の先端も固く尖って、甘噛みされて。
聞いたことのない声を出せることを教えられた。
頭が真っ白になるほどの行為を人間はできるのだと知った。
これがセックスなのだ、と紫歩は教えられた。
今まで感じていた孤独を癒す、最善の方法だと少女の頭は判断した。
そこにモラルだとか善悪なんてものさしはない。
生きるためだった。
死ねないのだから、生きるしかなかった。



お姉さんは快楽だけを教え、そして朝になると紫歩を最寄の駅まで送り届けて、何者かの車に乗って去って行った。
あれは誰だったのか。
何もわからなかったが、紫歩が求めていた答えをくれた。
周りも、親も、何も教えてくれなかった自分の欲しいものを。

あっという間に、あの女は遊んでいるという噂が立った。紫歩の通う学校は、何人かあからさまに性の香りを漂わせた者がいる中に、紫歩も加わった。
繁華街で、妖しい女と歩いていたり、はたまた似たような雰囲気をまとう男と歩いているのを目ざとく見つけたハイエナがいたらしい。
自身が悪目立ちする容姿だというのを、紫歩は正しく自負している。
この見た目ゆえに、自分の空虚を埋めてくれる人たちを見つけられるのだとも。
男とするのも、女とするのも紫歩からすれば変わりなかった。
その目なら見分けられる、とお姉さんが言ったように、紫歩に乱暴を働く人間は幸いにもいなかった。
拒食癖があり、生理不順の治療としてピルを処方されているものの、さすがに男性に本気で手を出されたら。そこに、どんなリスクがあるかを知らないわけでもない。
相手の精を奪うように、生き生きとしだした紫歩には、魔女という名が付いた。
馴染むつもりもなかったが、同級生たちからは距離を置かれた。白い目で見られるようになった。
あんたたちに、私の気持ちなんか、わからない。
憤りだけが紫歩を生かし、そして強く在れた。

それでも、紫歩には心の拠り所が存在している。
美術室の一画で、紫歩の愛してやまない美しい絵を描く少女、雑賀瑞生。
他人からの噂に耳を貸すこともなければ、グループに属することも好まない彼女の孤高さが紫歩はいっとう好きだった。
「……紫歩」
「なぁに」
その声に、普段は感じない怒りを見つけた。
料理の練習中なんだ、と弁当を作ってきてくれたり、その弁当箱は瑞生と色違いだったり。訊けば姉の分だったけど使ったことがないから、と言う。
そこの真偽はわからずとも、めったに紫歩に向けられることのない優しさに癒された。
紫歩よりも背の高い瑞生が、歩み寄ってくる。
パーソナルスペースが広いため、距離を保とうと紫歩はじりじりと後ろに下がる。
壁際に追い詰められ、何事かをようやく察知する。
「お前、知らない奴と何してるんだ。姉さんがお前と、知らない奴がどこかに消えてゆくのを見た、って言ってた。噂としてあるのは知ってたよ。でも、事実だなんて私は思いたくなかった」
「錯覚じゃないの」
「その紫のリボンをした奴が他にいるとでも? 私があげたやつだろ、それ」
「……夜な夜な遊んでるって言ったら、どうするの? 潔癖なあんたに、耐えられるの?」
瑞生から立ち上る青白い炎に紫歩はくらくらする。ちらつかせることはあったが、向けられることは初めてだった。
「私じゃ、そいつらの代わりにはなれないか」
「……は?」
「お前が夜遊びしたいって言うなら、誰かの熱が欲しいって言うなら、私がそれを受け止めてやるし、熱をやると言っているんだ」
「瑞生、あんた何言ってるかわかってるの……?」
生々しい話題には赤面し、嫌な顔をするのは中学の時から見てきた。
誰よりも特別だと思っている彼女に、ばれたことに頭を殴られた気持ちでいたら、さらに冷や水をぶっかけられた。
「眠れなかった。姉さんから聞いて以来。私は、お前のことが好きだから。私じゃだめなのか」
嬉しくて泣きそうになるのを、ぐっと堪える。
綺麗で美しくて水晶のような彼女が、この暗く澱んだ自分に落ちてくるなんて。
「良いわよ。私も、瑞生が好き」
手を伸ばして、彼女に思い切り胸を押し付け抱き締める。
発言の強さの割に、あわあわとしている彼女のその速い速い鼓動に、紫歩の全身が打ち震える。
魔女笑いと呼ばれる笑い方が喉をついて出そうだった。
たまらない。
こんなに、こんなに素敵なことって、なかなかない。
「紫歩、どこにも行かないでくれ」
「うん、行かない。行かないから、私のこと、きちんと見ていてね」
「……当たり前だろ」
いくばくか悩んだのか、時間を置いてから瑞生の腕が紫歩の背中に回される。
そのぬくもりに、紫歩は目を閉じた。

かわいそうな瑞生。
こんなに汚れて堕落した私に惚れてしまうなんて。
ごめんね、瑞生。
あんたのことを、離してあげるつもりは、私にはない。

魔女は天使を堕としたのだ。