花束の一つもなしに

セーラー少女。紫歩二年生、実花・綾葉・美南三年生。

美南さん、と呼んだその先には、文芸部の部長と副部長と親しげに話す彼女の姿があった。
ぎり、とくちびるを少し噛んでしまう。また彼女に、リップクリームを塗りなさいと怒られてしまうのだろうか。
いつ?
どこで?
今日で最後の日なのに。
「あ、紫歩だ」
「卒業おめでとうございます」
「棒読みだよ? いいや、ありがとう。知らない顔じゃないし、混ざる?」
こくりと頷いて、彼女を探し回った結果、たどり着いた文芸部の部室に入る。
そこからは、ただただ、たった一年の差を噛みしめるばかりだった。
口達者で独特の雰囲気を持つ文芸部の部長に、彼女とは旧知の仲の副部長、それに彼女。みんな三年生だ。今日で、制服を着て学校に来るのは終わりのメンバーだ。
たった365日以内の差しかないのに、その差はどんな壁より高かった。
知らない三年生の話に、知る由もない入学当初の話。よくある黄色い声にはならないものの、しっかりと盛り上がっている。
片手に持っていた500mlのコーヒー牛乳のパックは、すでにすっからかん。これ以上飲めば下品な音が鳴るばかりだ。
「いいなあ」
今までつまらなさそうに、だんまりしていたのに、突然口を開いたことで思わぬ注目を集めることになった。
ぱちくりとまばまきし、頬が赤く染まってゆくのが自分でもわかる。
コーヒー牛乳が戻ってきそうな感覚すらあった。
文芸部の部長の−−綾葉の目が、苦手だった。純粋なる日本人ではないのか、不思議に深い青で染まった目。すべてを見透かすように、紫歩には刺さってくるのに、紫歩の茶色い目では綾葉の考えはまったく読めなかった。
苦手な人はいない、みんなと仲良くなれると豪語してきたけれど、綾葉と文芸部副部長の実花とは仲良くなれなかった。
美南が間にいるからこそ、彼女たちとの距離は近く思えるのに、今日というこの日までずっと遠いままだった。
きっとこれからも、この距離は埋まらない。
「ああ、紫歩は本当に美南のことが好きだね」
綾葉のその言葉に、ますます顔が熱くなる。
科学部部長なんてへんてこなポジションで、それでいて生徒会役員なんて、かなりへんてこだと思って近づいただけだったのに。
もっと近づきたくて、生徒会に入っていた。
話しかけて、話しかけて、話しかけて。
仲良くなっていた。そう錯覚すら覚えるくらいにはなった。
何を望んでいたんだろう?
何が欲しかったんだろう?
夜空を詰め込んだような目に見つめられると、何も考えられなくなる。
「尋問じゃね? 綾葉のそれ」
「そんなことない」
くつくつ笑いながら、実花はちら、と紫歩を見た。少しつり上がったその目は、優しかった。
「春から生徒会頑張ってね? 私たちはもう居ないけどさ。遊びには来れるし、連絡は取れるし」
「うん」
美南からの言葉に、ぶっきらぼうに頷いた。
「また会おうね。楽しかったよ、紫歩が入ってきてからの二年間」
思わず立ち上がった。
廊下は走るものだ。誰も居ない二年生の階に逃げ込んだ。水場の蛇口をひねって、飲まない方がいいと言われている水で、顔を何度も何度も洗った。
三月の頭の今では、まだまだ水は冷たい。それでも、なかなか頭の中はすっきりとしない。
「そんなにあいつのことが好きなの?」
かすかに笑いが込められた言い方に、紫歩の身体はびくついた。
誰にも馬鹿にされたくない。気持ちは真剣だった。これからを夢見ていた。彼女が、頷いてさえくれたら。こちらが、きちんと口にする勇気が持てたら。そんな日は来ないままで、終わるのだ。
「なんですか……実花さん」
「だって二人とも心配そうにするんだもん。足が速いのは私だし。追ってこいって言われたも同然でしょ。なんだかんだ、人の子だよね、あなた。散々人外扱いされていたけれど」
自然に振舞っているだけなのに、学年を問わない交流の広げ方に、その漆黒のセーラー服がまた目立つのか、紫歩には絶えず噂が尾ひれも背びれもつけて付いて回った。
「最初から言ってるじゃないですか、私は人の子ですし、化け物じゃないって」
「いいじゃんいいじゃん。みんなあなたのことが好きなんだよ」
「……どうなんでしょうね。見世物じゃないんですか」
「やけに自虐するね? 美南が聞いたらへこみそう。あいつ、なんだかんだ可愛がってるし。つぐみとも仲良いんでしょ」
美南の家に遊びに行くと、スマホのゲームをすすめてくる鈴の鳴るような可愛らしい少女の姿が目に浮かぶ。
「楽しかったですよ。実花さんたちと過ごすの」
捨て台詞しか、誰よりプライドの高い紫歩には残されていなかった。
泣いているところなんて、誰にも見られたくなかったのだ。
ましてや、実花になんて。
誰より何より紫歩が望んだ立場に居る彼女になんて。
残してきた500mlの紙パックの残骸の行方を少しだけ気にしながら、校舎の隅で、ぼろぼろ泣いた。
散々泣いた。
さみしい、と、言える弱さを、持てないまま、先輩たちは卒業してゆく。
さよなら、すらも言えないで。

###

実の父親が出て行って、母親は新しい父親とすぐに再婚した。勝手にしたらいい、と思っているのに、身体は言うことを聞かなくなった。もともと食べるのが好きだったのに、身体が受け付けるのをやめた。食べても、胃液の味とともに戻してしまう。日に日に身体は細くなってゆく。授業中でも構わず吐き気は紫歩に牙を剥いた。
いかに自分の不調を隠すか、弱音を吐かないかを意地で貫いてきただけに、マスクをして、ひたすら我慢した。授業なんて一つも頭に入ってこなくなった。
さすがに母親の目はこちらをしっかりと向いた。
「紫歩、一年、休みなさい」
頷くしかなかった。体重は三ヶ月で十キロも落ちていた。
病院にも通い、病名を付けられた。
メールアドレスも電話番号も変えた。あれほど毎日、手を痛めるほど好き好んでやっていたコミュニケーションの手段を断ち切った。一年、遅れる。
紫歩も生徒会、やってくれるの? 助かるなあ。
そう言って、穏やかに笑った彼女のことばかり考えるようになった。
たぶん、彼女の、温かい家庭で育ってきましたという雰囲気に惹かれてやまなかっのだ。
欲しくて、欲しくて仕方なかったもの。
彼女の『特別』に、なりたかった。
大学は理学部だという。またとないキラキラした目で話す彼女に、紫歩は息を飲んだ。目が離せなかった。
夢を語る甲埜美南は、紫歩が触れられるようなものではなかった。
困ったように笑わせるくらいなら、と紫歩は想いを小さな胸に仕舞い込んだ。

「虹を追いかけてその先には何があるの? 紫歩」
「……智由利」
智由利は空からものを見ているのか、紫歩の泣き場所がわかったらしい。取り出したスマホには智由利はじめ、美南からも着信履歴があった。
「そんなひどい顔をする紫歩を見たかったわけじゃないよ、私も」
理由は違うが、智由利も一年留年している。クラスメイトでもあり、そばにいることは自然と多かった。
「私なら、紫歩にそんな顔させないのになあ……ああ、独り言だよ」
眩しい空色のセーラー服は、これ以上近づいてこない。ふわふわの髪の毛から漂う甘い香りは、静かに紫歩を包み込んだ。
おめでとうございます。
好きな人へのたった一言も、弱さゆえに、口にできない。悔しくて、また涙は溢れた。
智由利になら、見られても構わなかった。
「今度は……本当の先輩と後輩になりたい」
「可愛がられたいってか?」
「あの人の横に立てなくていいの。そばにいられたら、いいから」
「どうなんだろうね。美術室の神様は願いを叶えてくれるかな」
智由利はそのトレードマークの帽子を取り、ぽすりと紫歩に被せた。しゅるりと紫の髪紐を外し、器用に自分の髪の毛に編み込んでゆく。
「また、会えるでしょ。会いに行けるし。会いに来てくれるよ」
「……終わりにする」
「は?」
「私の恋は、これで、今日で、終わりなの。賭けをしていたの。あの人を呼び出して、想いを伝える勇気が出るなら、だめでも想い続けようと思っていたけれど。そんな、勇気は出なかった」
声は震えるばかりだ。
智由利は気の毒そうに紫歩を見やった。
枯れ葉のような彼女に、春の女神は微笑まない。
例年になく肌寒い式だった。
終わらない冬が、紫歩の世界には広がっていた。

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最終更新:2014年12月20日 10:57