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&bold(){&sizex(3){Depend on you}} きみの髪、さらさらしてて好きだよ。うふふ。 そう言って、髪に涼海はそっと顔を近づけて、ほんの一瞬、口付ける。 「……寒くないの?」 「紫歩ちゃんが選んだコート、あったかいから大丈夫」 「それにしても変な話ね。大学生の方が高校生より早く出るなんて」 「バイトだからね、仕方ない。ちゅんちゅん」 「行ってらっしゃい」 「ん、行ってきます」 涼海が紫歩の唇に、ちゅっと音を鳴らして、玄関に素早く顔を向けるとドアを開けて出て行った。 朝六時。この季節、ようやく日が昇り始めるか、どうか。そんな時間。 涼海は大学の講義が始まるまでの数時間をカフェのバイトに勤しんでいる。 夜やれば? と紫歩に言われたが、単に彼女が家に帰った時に待っていておきたかった。彼女と彼女の親の亀裂は決定的で、この高層マンションの一室をやる代わりに、親に恥をかかせない生き方さえしてくれたら、それでいいと言われているらしい。 おかげさまで、無料でこの立地抜群の部屋に上がりこむことができて、涼海の貧困と呼んで差し支えない懐事情から言えば助かっている。ついでに、涼海が今年の春から通っている大学はどこで名前を出しても恥ずかしくないところだ。 交流はなかったが、紫歩の部の部長であった菱沼綾葉も通っているという。そういえば、あの浮世離れした、怜悧な眼差しはたまに大教室で見かけるような気がする。 鹿女からは涼海と綾葉以外にも何名か進学している大学でもあるし、なにぶん在籍学生が多いので毎日賑わっている。 紫歩の家から一番近く、さらに涼海は学費免除を勝ち取っていた。家からは一銭も出せないと告げられていたし、姉三人もそうしたように全額奨学金で賄うのは決まっていたが、免除はありがたい。暇な時間は全て勉強に費やした甲斐があった。 カフェまでの道すがら。白い息が断続的に漏れる朝焼けの中を、そろそろ油をささないと、と思わせる、ギィギィ変な音が聞こえている。発生源はシルバーのなんの変哲もない自転車だ。涼海の大事な足であり、これも大学内で開かれていたフリーマーケットでワンコインで買ったものだ。 順調に貯めている資金で春休みにでも車の免許を取ろうと思う。そうすれば自動的に原付も乗れる。だけれど、当分はバイクと名前のつくものには乗れないだろうなあ、と息を吐いた。 バイクには、思い出が多すぎる。後部座席で、目の前の体格の良い彼女にしがみついて見た真っ赤な空は、今も目に焼き付いてそこにある。 金銭的なことは、はっきり言って紫歩に頼ろうと思えば、たぶん彼女は小言を言いながら、今回だけよ、なんて苦笑いして、なんでも買ってくれるだろう。 自分もまともに育ってこなかったが、彼女の欠乏もなかなかに問題だった。 なにせ最初は、身体で繋がる以外に他人の引き止め方を知らなかったくらいで、なんでもしていいから、私を捨てないでと泣かれたくらいだ。言葉は強いし、頭だって回るのに。なにをどうして自分に惚れちゃったのかなあと昼休みのマイクに向かいながら思い悩んだ日々もあった。 それに、お金で引き止められるのは悪い人間しか居ない。 どんな教育を親に受けたのかは定かではないが、過ごしてみて、紫歩のその異様な無垢さ、無知さには驚かされる時がある。なんにも教えてもらえなかったのだろうか。 涼海でなくとも、紫歩の親友である雑賀瑞生あたりが貧窮に陥ったら身を滅ぼしてでも助けそうだ。それに彼女はじめ、涼海がお姫様と揶揄するまでの庇護に包まれていた理由がよくわかる。 放っておけないのだ。自分がいないとだめだ、と思わせるものが彼女にはある。 人を疑わない彼女のことを騙そうと思えば、いくらでも騙せる。彼女をいつぞやと同じく皮と骨だけの姿にして、ぼろぼろにできる。 最初は、そうなってもいいと思っていた。害鳥と自らを罵り、こちらの事情も何も知らないで嘲笑ってきた高飛車で世間知らずなお姫様。 琥珀のような薄い茶色のまんまるで綺麗な目に、その真ん中にいつからか映る自分が嬉しくなっていた。囁かれる甘い言葉が、冷え切っていた自分をあっためた。 好きだよ、好き。 自然と涼海も紫歩に抱きつくようになっていた。 夕焼けに血の涙が流れて視界がけぶるような、苦しい苦しい片想いから、気持ちを紫歩に向けられるようになった。 改めて紫歩と向き合うことにした。 見た目の可愛さはもちろん、無垢さだとか切れ者と評される対応に惹かれるようになった。 この子となら、生きていける。 そう思えるようになった。 彼女と生きるためにも、涼海は紫歩に居住以外では頼ることをせず、カフェのバイト以外にも不定期ではあるが模試の試験監督なんかもして、食費は折半できるようにしている。 紫歩はお金に困ったことは一度もない。それは紫歩が稼いだものではなくて、会ったことのない彼女の親の金だ。その環境がたまに恨めしくもあり羨ましくもある。 だが裕福な家に生まれていたら鹿女には入っていなかったろうし、紫歩と出会わなかったろうし、好きな言葉ではないが運命、と呼んで良いのかもね、と自転車を停めて冬空を仰いだ。 * 涼海が作り置いていった白ご飯に味噌汁にひじきに鯖の煮込みを食べる。一緒に食べられたら理想だが、夜更かし癖がある紫歩は五時には起きられない。しかも、昨晩は。涼海が寝かせてくれなかったから仕方ない。 皿洗いを済ませ、学校に行くためにも寝癖を整えるために洗面台へと向かう。トリーメントオイルをつけ、ブラッシングしながらブローして、生まれつきの明るいマロンブラウンの手入れをする。フリース生地のパーカーの首元からは、昨晩の跡が覗いていた。 指で触れ、鏡に映る紫歩の顔は幸せそうにしている。最初は、お互いがセーラー服だった頃は。涼海はひどく乱暴なことを紫歩にしてくるばかりだった。噛み付いてくるわ、首を絞めてくるわ。それは紫歩もやり返していたし、熱を分け合うと言うよりは奪い合うような行為を繰り返していた。 快楽よりなにより、まさに傷の舐め合いだった。 紫歩は自身の惚れっぽさを自覚している。あの時は、当時の生徒会長に恋をしていた。だけれど彼女には別に想う人がいた。目の当たりにして、自分に向けられていたものは憐れみの混ざった優しさだったのだと知って、取り違えて惚れた自分の愚かさに枕を泣き濡らした。 そんな折、神出鬼没とまで言われるくらい校内を飛び回っていた紫歩が出会ったのが涼海だった。三年生の放送委員会。その声だけは昼休みに聞いていた。 涼海は、本来、どこか世間と一線を引いていたり、冷たいところもあるが穏やかな気質である。紫歩が無理やり引っ越させるまで彼女が暮らしていた家。 その部屋の主人。 鈴木美馬。 涼海の行為の発端はすべて、あの女のせいだった。聞けば、気絶するまでするのが普通だよ? と何事でもないように、朝ごはんには卵がけご飯だよね、とでも言うように普通に話をされた時は頭が割れるかと思った。 温室もしくは箱庭で育てられ、勉強ばかりしてきた自分の知識が何かと抜けているのは自覚があるが、気絶やら異常なまでの全身の噛み跡やらが普通であるはずがない。 何よりも、涼海と美馬の関係は恋愛ではなかった。 共依存だった。 鈴木美馬には本多涼という恋人がいる。それなのに、それでも、それでいて。 同居している涼海に手を出し、拒まないからと行為はエスカレートしてゆくばかりだったのだという。 あまつさえ涼海が秘密裏に貯めていたお金で美馬は涼とデートする、なんてことまでしていた。 −−ぼくは、美馬のことが好きだからね。 涼海の目は、真っ黒だった。あるべき光はどこにも見えなかった。恋する少女なら、そこにはきらきらとした光がある。愛する者が世界にいること。その人の一挙一動に胸を弾ませ、時に落ち込み、たった一言で救われる。そんな感情は通り過ぎて、さながら死を待つ老人のようにしか見えなかった。 惚れたものが、恋愛においては圧倒的に不利だ。追いかけなければならない。 死にかけのスズメを追いかけて、たとえ疫病に罹って苦しむとしても免疫で跳ね除けて、傷ついた翼を手入れして、餌を与え、寝床を作って、その嘴でどれだけ傷つけられても泣いてなんかいられなかった。 −−美馬のどこがいいのよ、私のことをちゃんと見てよ! 切実だった。紫歩の周りの者たちが口出しをやめるほど、紫歩の恋は真っ直ぐで一途だった。 美馬に受けた凶暴さを、涼海の中で変換して、紫歩にぶつけられたとしても。痛くて泣くことはあっても、美馬の家に帰っていった涼海がまた、このマンションのインターホンを鳴らしてくれるように。 涼海には拒まれたが、美馬にも話をつけに行った。それに、涼にも。 −−あなたの耳に入れるべき話ではないのかもしれませんが、美馬のことを知ってほしいんです。 紫歩の勝手な行動に激昂した美馬が、紫歩のマンションにバイクで押しかけ、オートロックに阻まれた挙句、暴れて警察沙汰になりかけた。それすらも涼に電話し、涼と涼の父親を呼びつけた。 −−紫歩ちゃんって、行動力あるんだね。 半ば呆れたように涼海には笑われた。今まで見たことのない、憑きものの落ちたその笑顔に、紫歩は涙した。 美馬は涼の家に移り住むことになり、二人の忌々しい思い出が詰まったオンボロアパートは引き払われた。 そして、美馬の家からボストンバッグ一つで涼海は、紫歩の家に越してきた。 去年の今頃、十二月のクリスマスソングが街を彩る時期だった。 二年生になって、二つ年上の涼海は第一志望の大学に合格し、二人の生活時間は少しずれるかと思っていた。が、涼海は、夜は家に居たいと朝か日中のバイトで、サークルには入らなかった。実際、興味もなかったんだ、と言っているが、どこまでが紫歩への配慮なのかは計り知れない。 朝はこうやって先に出て行くけれど、紫歩が帰ってくる時は必ず家にいる。ただいま、と言えば、おかえりと返ってくる。 今まで、ただいまと声を出すことすら忘れていた。下手に何かの声が返ってきたら怖いし、一人きりなのだと思い知りたくなかったのだ。 「……ありがとう、涼海」 いつかの夜。美馬との関係をずるずると引きずり続けながら紫歩の誘惑に乗り、身体を重ねた夜「一緒に死んで」と本気で発言した。 その時、涼海は「やだよ、一緒に生きたい」と答えてきた。意外だった。てっきり彼女は美馬への片想いに病み、紫歩と死に場所を探しているのだと、だから紫歩とも戯れているのだと思っていた。 一緒に生きたいと言ってくれたから、紫歩は何にだってなれた。 手に入れた鳥のさえずりに、紫歩は涙目になる。自分よりずいぶんと小さくて華奢なその身体には、まだ美馬がつけた跡が残っている。見て見ぬふりではなく、しっかり見つめて撫でて、口付ける。優しくされて泣く涼海を見たことがあるのは、自分だけでいい。なんの治療もされなかったのだろう、その瘢痕を、涼海さえ頷くのなら病院に連れて行く気だ。 冷たい水で顔を洗い、セーラー服を着て、化粧をして、そして、家を出て行く。 帰ってきたら、涼海がいる。 なんと尊くて素晴らしいことか。 スマホの画面がパッとつく。 −−バイト先に着いたよ、今夜は美馬とぽんちゃん、それになっちゃんとシロくん、六人でご飯だよね。楽しみだなあ。行ってらっしゃい。 その画面を見て、紫歩はカバンを肩にかけ、部屋を出た。 朝のつんとした空気の中に、二匹の鳥は羽ばたいてゆく。十二月のお祭ムードに負けないくらい、鮮やかに。

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