月夜を彩るShuffle Beat ◆wd6lXpjSKY


昼の学園が表だとするならば夜の学園は裏と表現するべきか。
吸血鬼が近付き悪魔が潜み未知なる座標が向かう魔の宝庫は表ではない。
だが裏と仮定する場合何が表であり何が裏であると言えるのか。その基準はどうなっているのか。

世界の理が回っている。それに従うならば参加者の数だけ世界が存在する聖杯戦争には何が真実と言い切れるのか。
ハイラルの勇者が理を司るのか。吸血鬼が闇を体現するのか。魔女が総てを包み込むのか。
それぞれが異なる世界の存在故に。
聖杯戦争に基準など必要なく死ぬ者から死んで行き、生きる者だけが明日を見る。
堕ちた鳥がもう二度と大空を飛べないように、蒼穹を感じれるのは限られた者だけである。



暁美ほむらはエレンに連絡を取った後、改めて職員室を物色していた。
鹿目まどかを始めとする三人の参加者の連絡先が手に入ったが欲を言えば情報はまだまだ掴み取りたい。
サーヴァントを失っている今、完全に窮地なる状況に立たされている彼女には焦りが出始めていた。
天戯弥勒と因縁を持つ男、夜科アゲハ。
彼の所在地を把握出来れば真実に辿り着ける可能性が飛躍的に上昇するだろう。
地獄から手を伸ばし、その手に収まったのは血と同じ赤を纏ったテレホンカード。
聖杯なる唯一無二の願望器を目指してはいるものの、疑念の目を向けずにはいられない。
それは嘗て彼女達魔法少女が一瞬の希望と未来の輝きを永遠の不幸と背負わされた閉ざされた世界が影響しているのだ。
願いがノーリスクで叶う筈がない、甘い話には毒が潜んでいる、ならば聖杯戦争にも、天戯弥勒に裏が存在する筈、と。

聖杯戦争に必要な対価を考えた時、犠牲になる参加者だけではどうも釣り合わない予感が胸を埋め尽くす。
願いを餌に殺し合わせるならば日常生活など不要であり、外部からの干渉を遮断した小島にで参加者を詰め込めればいい。

(例えば魔力や魔法……何かしらの力が必要とか)

魔法少女は願いの対価に小さいころ憧れた正義の魔法を身に付ける。
正義の力あってか一般人とは比べ物にならない程の能力であり、少女だろうが彼女達の世界水準を超えている。
しかし彼女達の世界であって、サーヴァントには到底及ばず、彼らの存在は規格外である。
暁美ほむらからしてみれば、彼らを召喚した時に使用した魔力は何処から来るのだろう。という疑問が生まれる。
もし魔法少女と同じように契約を交わしたなら、その願いの大きさは計り知れない。

聖杯が媒体だとすれば死んだサーヴァントは器に戻るのが道理であろう。
使用された魔力が還元すれば再びは器は器として機能されると考えて問題ない。
暁美ほむらの推測であって、そもそも聖杯自体がサーヴァントを呼ぶ媒体など真実でもなければ掠ってもいない可能性があるが。
更に言ってしまえば本当に聖杯が存在するかも怪しく、天戯弥勒の掌で踊っているだけの世界だって存在しているかもしれない。

仮に聖杯が存在しないとして考える。
考えるまでもなく、結論はさっさと帰る。この一言で総てが終わるのだ。
願いが叶わないのならばこんな世界に居る必要なんて欠片も存在しない。
自分の思うように魔法が使えない空間に長居するほど暇でもなければ馬鹿でもない。
天戯弥勒に生命を握られている、暁美ほむらにとって時間停止に対する制限と軸移動の禁止は首に鎖を繋げられているのと同義。
このまま戦っていても碌な目に合わず、現に悪趣味な人形やそれを創り上げる気色の悪い魔術師を見てしまったんだ。
聖杯が無ければ帰る、鹿目まどかと美樹さやかにはどうせまた会えるのだ、そう何度でも。


(これが夜科アゲハの連絡先ね……ついでに人吉善吉のも手に入ったわ)


小萌先生の席から離れた場所のとある机を物色していると高等部一クラスの名簿が出て来た。
視線を流すと夜科アゲハの名前があり、さらに人吉善吉の名前も確認。その後引き出しを開けると取扱注意と書かれたファイルが一つ。
中を読むと各個人携帯の連絡先まで記載されており、自分の携帯に番号を落とすと何事もなかったように仕舞い込む。

(人吉善吉の連絡先まで手に入るとは儲けものね)

夜科アゲハと喧嘩をしていた一人の青年。
映像だけでしか知らないが聖杯戦争の参加者の時点で無関係ではなく、来るべき時を待っていればいずれ彼と関わるだろう。
最も暁美ほむらは彼が自分と別れたキャスターと再契約をしているなど微塵も知らない。
それに彼女は笑顔の道化師が死んだと思い込んでいるのだ。運命とは時に現実を悪い意味で助けてくれるものだである。
しかもその道化師は新たなる宿主との契約を結び、当面の間は現界出来る条件を揃えてしまった。
対する暁美ほむらはというと、新しいサーヴァントを手に入れるために四苦八苦している。

(……あんなのでも英霊なのよね。人形を使役する量の戦術は強いけれど美樹さやかのサーヴァントのような圧倒的力の前では多勢に無勢もいいところ)

遊園地で監視していたバーサーカー同士の戦いは圧巻の一言であった。
あの戦闘に奇怪な傀儡共が押し寄せても蹂躙されてしまうのが容易に想像出来てしまう。
最もケースバイケースであり、キャスターが創り上げる自動人形は多芸な幅を持っているのだ。
実際戦闘が始まればどう転ぶかなど誰にも予想することは不可能であり、常識は通用しないと考えて問題ないだろう。
そして聖杯に再び、思考を寄せてみる。


(脱落したサーヴァントの魂が素体となり願いを叶える……なら、今は不完全な状態)


聖杯戦争において他者のサーヴァントを殺すことはその魔力を聖杯に注ぎ込むことである。
格式を多いに上回る規格外な魔力で満ち、溢れんばかりに潤えば聖杯は聖杯としての機能を果たし願望器へと昇華するはず。
例えば現時点で天戯弥勒から聖杯を奪ったとしても願いを叶えることは不可能である。
それならば見知らぬ少女を誑かし、インキュベーターと契約を結ばさせて願いを叶え、絶望を押し付けた方が早い。
……そんな手段を取るはずがないのだが。

(インキュベーター……まさか、ね)

鹿目まどかと美樹さやか。そこに暁美ほむらを加えて何なら巴マミや佐倉杏子が居てもおかしくない。
美国織莉子を始めとする螺旋の軸から外れた主個性が参戦していても不思議には思わないだろう。
何の打ち合わせも無しに魔法少女の参戦が現段階で自分を含めて三名判明している。偶然とは思えない。
何かが彼女達に惹かれたのだろうか。共通項は契約と魔法少女、その先にある始まりの存在インキュベーター。
考えたくもないがこうも魔法少女が多いと悪魔が天戯弥勒に絡んでいるのではないかというくだらない幻想が生まれてしまう。
これで勝ち残れもせずに無残に死んでしまうと聖杯戦争は人生において最悪のイベントになるだろう。
逃げるには世界を移動する魔法ではなくてテレホンカードによる帰還に頼るしか無い。
聖杯を手に入れれば問題はないのだが、元から願いを叶えられない未来も想定しておくべきだ。
茶番だがそもそも願いを対価無しに叶えようとするのが茶番であり愚かであったのだ。
同じ結末を迎えるのは飽きた、次なる世界を理想郷にするためには無茶だろうが奇跡を掌に収めるしか無い。
そのためにはエレンからサーヴァントを奪い取るしか無い。彼の従者のクラスは不明だが時間が無いのだ。
元よりあのキャスターよりはマシだろう。

扉へ振り向くが彼が到着するにはまだ時間が掛かりそうである。








それは心に安らぎを与えてくれる優しい音色だった。
学園から離れ、比較的森林が多い地帯へと避難し休憩を取っていた。
孤独の女王の魔の手に触れないための措置だったが、正解だった。
あのまま学園に残っていれば間違いなく戦闘に巻き込まれ無駄な血を流していただろう。
戦闘を行うことに文句はない、此方としても願いを求めて参加しているのだ。向かって来る敵は倒すまで。
だが無駄な血を流すことには繋がらない。戦力の浪費を好んで行うほど馬鹿ではない。
絶対的な軍略があれば常に優位に立てるだろうが生憎奇跡の伝道師たる零の仮面はこの場にいない。

現に居たとしても今のカレンではルルーシュに信頼を置くことは難しく、彼女と彼には時間と距離と対話が必要である。
嘘の仮面と真実の人間。
優しいことだけでは回らない世界、真なる平和と理想郷を勝ち取るためには聖杯を手に入れなければならない。

(ルルーシュ……)

無論対話が必要なだけであり、完全に彼女は彼を見限った訳ではない。

しかし他の参加者にとってルルーシュ・ランペルージの存在はどうでもよく、そもそも認知していない。
紅月カレンと言う参加者の来歴や日本とブリタニアの関係、黒の騎士団の活動やゼロの存在など知る必要がないのだ。
どんなドラマがあろうとそれは彼女の物語であり他人にとってそれは興味の無い幕間以下の雑音に過ぎない。
勝たなければ世界が危ないだの日本に未来は無いだの……他の参加者からすれば戯言なだけ。

世界にはキーパーソンが存在する。
物語の主人公は自分自身ではあるが、運命には台本のようなものが存在しており、残念ながら活躍度合いは個体によって別れてしまう。
総ての中心になる幻想殺しや偽りの仮面を付けた優しい悪逆皇帝。
幾度なく時間を渡り世界を救った覚悟在る青年と世界を包み込み座に到達した救済の女神。
世界の数だけ物語が在り対極的に見れば其処には主人公『格』と呼べる存在がある。

数多の世界が綴られた聖杯戦争において主人公は存在するのか。
結論から言えばそんなの知ったこっちゃない。の一言で総てが終わってしまう。
世界の運命を背負っていようが、大切な存在が居ようが、叶えたい願いがあろうが此処では一人の役者に過ぎないのだ。
お前のドラマは俺には関係ない。
聖杯戦争に綺麗事は必要なく、血を流し最後に立っていた存在が願いを叶える。ただそれだけである。

そんな殺伐な世界で流れるオカリナの音色は紅月カレンの心に細やかな安らぎを与えていた。
適当な切り株に腰を下ろし今後の方針を考えていたが正直、詰まっている。
他の参加者を倒すにしても総てが初見では対策も戦略も練るには情報不足所ではない。
これまでの戦い総ての頭脳はゼロが担っていたこともあり、孤立である聖杯戦争では正面から戦うだけでは無駄な被害を被るだけ。
だが彼女が勝ち残るには戦うしか無い。つまり彼女らしく正面から倒していくしかないのだ。

「この曲……とても吹き慣れてる感じがする」

決意を決めたところで流れてくるオカリナの音色は己の世界を創造するように表現されている。
創作とは表現の塊であり音楽であろうが文章であろうが彼らは仲間だ。
文章でただ一発殴る動作だけでも人の数だけ表現があるように音楽もまた創作の一種。
譜面通りに吹いてもそれは最低限の音楽であり、自分の色を付着するには己の世界を音色に乘せて表現するしかない。
セイバーが吹くオカリナは優しくて、何処か懐かしさと寂しさを感じさせる音色であった。
まるで遠く離れた存在を感じるように、優しくて、懐かしくて、寂しくて、それでも絆は此処にあるような。

「私はそんなに音楽は知らないけど、やっぱこの音色が好き」

相手を持ち上げるために捻り出す感想ではなく、自然と出てくる偽りのない言葉。
演奏を終えたセイバーにカレンは何度聞いても飽きない創造に感心とも言える感想を告げた。
その言葉に対し、彼は優しい笑顔を見せるとバイクに跨り、エンジンキーを回す。
勇猛なる馬のような雄叫びを、エンジンを吹かしながら主へと視線を移し、後部座先に手を置いた。

「……そろそろ行こう、って話だよね」

彼の動きに対し一切の文句を言わずカレンは切り株から腰を上げるとバイクへ向かった。
森林の静けさ漂う環境から立ち上がり彼女たちが向かうは一度退避してきたあの場所である。

「私は日本を取り戻す――だから」

聖杯戦争に身を投入したのだ。
どれだけ策を練ろうと一介の兵士に出来ることは唯一つ。

戦うことだ。






学園の職員室。

小萌先生の席に座っている暁美ほむらは再び聖書を片手に取りながら、エレンとの対話について考える。

「外国の少年……クラスが一緒だから同い年だとは思うけど」

年齢詐称の可能性もあるが同じクラスに在籍しているため同年代と考えるのが一般的であり理想である。
つまり日常世界に置いては対等な関係であり、接し方は普段男子生徒と会話する要領で問題ないだろう。

「……普段はそんなに男子生徒と会話していないわね」

と言いたい所だが暁美ほむらはお世辞にもコミュニケーション能力とやらが高くない人間である。
無関心を装いつつも実際には接し方が解らない難しい年頃な少女だ。
それは彼女が長い間病気で学校に通っていないことも影響しているが、含めても致命的である。
心を開ける人間は数える程しかいなく、『現在の彼女が心を赦す人間は誰一人として存在しない』のも辛い所。
鹿目まどかに真実を告げようが、彼女に要らぬ心配を掛ければそれこそ契約への引き金となってしまう。
美樹さやか、論外。

「まぁ何とかするしか無いわね。私にはサーヴァントが必要、これに変わりはないから」

天戯弥勒の言葉を信じるならばサーヴァントを失ったマスターは六時間後に灰となりこの世から消える。
信じるか信じないかは自由だが、彼にとって嘘を憑くメリットを考えた場合特段見当たらないので真実と考えてよい。
早急にサーヴァントを手に入れる必要があるため、エレンとの交渉に失敗は許されないだろう。

「方舟、ね……」

気分転換の感覚で聖書に目を通す彼女。
開いていたページにはノアの方舟が記載されており、耳にしたことのある単語であった。

仮に方舟が在るならば神話通り自分達を残酷な世界から運び出してくれるのだろうか。
鹿目まどかと共に魔女の存在しない、誰も不幸にさせない理想郷へと運んでくれるのだろうか。
もう一度心の底から笑顔になれるあの時間をもたらしてくれるのだろうか。

「なんて……ありもしない方舟に未来を託そうと思うなんて末期だわ。
 気を引き締めなさい暁美ほむら。私は奇跡をもう一度起こせるチャンスがあるんだから」

「なら方舟とやらに乗ってみるか、暁美ほむら」








空気が変わる。
辺りを包んでいた気の流れが一斉に同じ方向に統一され一片の狂いもなく焦点を彼に合わせた。
突然職員室に現れた彼は意味不明な言葉を呟きながら暁美ほむらに一歩近づく。
彼女は何も言わずに変身し、何時でも魔法を行使出来る状態へ己を持っていった。
何も言わなかったのではない、突然現れた彼に対し言葉を発せず、反射的に己の危険を感じたのだ。
理屈よりも先に本能が働き、言葉よりも早く行動し、己を契約者の真命たる魔法少女へと変身させたのである。


「天戯弥勒……!」


現れた主催者に対し何も考えずに拳銃を構え銃口を彼の額に合わせ何時でも引き金を弾けるように。

「腕が震えて……いない、か。
 まぁそう構えるな。何もこの場で殺すなんて思っていないからな」

「それは逆に何時でも殺せると捉えていいのかしら」

「随分と強気だな……解釈は任せるさ」

最初に見かけた時は大分印象が変わる、そう思うぐらいに天戯弥勒の態度は軽い。
脳内に直接声が響いてきた時よりも重さを感じず、それでも完全に砕けきっている訳ではないが、
まだ会話が出来そうである。
引き金に指を引っ掛けたまま、暁美ほむらは彼に話し掛けた。

「突然現れて何のようかしら」

「方舟に乗ってみる気はないか……そう言った筈だが」

「冗談にしか聞こえない」

「あぁ。冗談だからな」

薄気味悪い笑みを浮かべながら天戯弥勒は暁美ほむらに返した。
その不適で何を考えているか解らない笑みはまるでキャスターのようで彼女の心は必要以上に苛つく。
今すぐにでも発砲したい所だが謎の多い聖杯戦争について言及出来るまたとない機会である。
己の荒波を鎮ませ彼女は冷静さを装い口を動かした。

「もう一度聞くわ。何しに来たのかしら」

「俺は監督役のようなものだからな。参加者の前に現れても構わないだろ」

「監督役を司るなら干渉はいいのかしらね」

「干渉するつもりはない。それに監督役と言ってはいるが俺は聖杯戦争の行く先を見つめ、選ぶだけだ」

彼女をおちょくるような態度で舞台の行く末を語る道化師の真意は未だ掴めず、霧に包まれている。
サーヴァント曰くイレギュラーなこの聖杯戦争。先が読めず、正直に言えば不安が心を埋め尽くしているのだ。
それなのに嘘か真かも解らない話を始める天戯弥勒に対し、暁美ほむらは戸惑ってしまう。
照準が逸れないようにグリップを強く握る。頬を伝う汗は誰も拭いてくれない。


「選ぶ……? 何を選ぶ……?」


思った言葉がそのまま口から漏れだし、静かな職員室の隅々にまで響き渡る。
聖杯戦争で勝ち残った者が願いを叶えられる、ならば選ぶとは一体何を選ぶと言うのだろうか。
優勝者を選ぶつもりならば参加者同士の殺し合いは茶番に成り下がってしまう。
主催者が願望器を捧げる対象を選ぶならば最初から選べ、私達を巻き込むな、誰だって思うのだ。
娯楽に付き合ってる暇は無く、優勝したとしても天戯弥勒に気に入られていなければ願いが叶わない。
そんな事実が真実ならば聖杯戦争何て茶番だ。
最初から夜科アゲハとやらと勝手にタイマンで喧嘩して、知り合い同士で馬鹿をやっていろ。それだけの話しである。


「解釈は任せる……が、お前たち参加者が意欲を見せないならば俺が動くしか無いだろ?
 もうすぐ日が変わると言うのに脱落はサーヴァントが一騎だけだ、ペースが遅過ぎる。
 あまり俺を失望させないでくれよ? 何のために再現したと思っているんだ。
 願いがあるならば他者を喰らい、その身を汚してでも、悪魔になってでも聖杯に総てを捧げろ――期待しているぞ」


彼が発する言葉総てが意味不明であり、しかしながら総てに得体の知れない何かが篭っている。
質が悪い。質問をしたところで解答など返ってこず、代りに新たな疑問が生まれるだけであった。
何か一つでも有益な情報を聞き出そうとするも、時は止まってくれない。

目を離したつもりは一切ない。しかし彼女の前から天戯弥勒は消えていた。

一陣の風が吹いた訳でも無く、ドロンと言ったような煙幕も発生していない。
まるで最初から存在していなかったかのように彼は職員室から消えていた。

彼は結局の所、気まぐれか何かで目の前に現れたのだろうか、暁美ほむらは考える。
方舟の冗談から始まり監督役の努めとして参加者の動向を見に来ていた。これだけならばまぁ納得は出来る。
しかしキャスターと共に遊園地で監視していた時、天戯弥勒を捉えていた映像は無かった。
干渉するのが不自然で無ければ他の参加者に接触している映像が一つぐらいは撮れていても可笑しくない。
寧ろ不自然である。このタイミングで自分の前に現れる意図が不明なのである。

関係は不明だが始まりの儀式と仮称する天戯弥勒の宣言。
その時、彼の事を知っているのはおそらく夜科アゲハただ一人だ。
彼の前に現れないで、暁美ほむらと言う一人の魔法少女の前に現れる理由が全く解らない。

「監督役の努めならサーヴァントの一人や二人持って来い……言い過ぎかしら」

そうなら大変有難いのだが、文句も言っていられまい。
サーヴァントはこの後手にいれれば問題ないのだ。そうでなければ死んでしまう。
灰になる未来など認めない、黙って帰る選択は最後まで取っておきたい。

開かれた職員室の扉へ身体を向かせると彼女は口を動かした、


「初めまして――エレン・イェーガー」










館に帰還するため歩いていたウォルターを止める声が一つ。
姿や気配は一切見せず、声だけが彼を止めるために響いていた。
背中に隙など存在せず、後を付けられていることも無い。不意に声を掛けれる存在など一つしかないだろう。


「これはレミリアお嬢様……貴方も帰宅途中でしたか」


ライダーとの交戦を終えた後、それぞれ動いていた闇夜の主従が合流を果たす。
本来ならば館で合流する予定であったが、早くなった所で問題はない。

「首尾はどうかしら」

「血液の確保は出来ていませんが……アーチャーを一人確認いたしました。
 マスター共に若い日本の学生でしょうな」

「そう……やっぱり学園に向かった方が盛り上がるわね」

「ええ私もそう思います。ですが、やっぱりとはニュースを指しているのですか」

「それもそうだけど……夜科アゲハと遭遇したの」

それぞれの成果もとい出来事を簡潔に交換し、現状とこれからの策を考える。
学園で起きた荒れ事に関しては夜が生業の彼女達にとって絶好の狩場と成り得る、吸血鬼ならば。
闇夜を主役に活躍する彼女は日中よりも更に絶大的な戦闘能力を保有する。
事件現場である学園に向かえば少なくとも戦闘痕から他の参加者の手掛かり或いは消息が掴めるかもしれない。

そして参加者の多くが学生、説いう仮設が語らなくして生まれつつ在る。
最初に出会った海賊のサーヴァント、そのマスターは男の学生であった。
ウォルターが遭遇したアーチャーとそのマスター、両者日本の学生風な容姿であった。
レミリアが邂逅した夜科アゲハ、現状この聖杯戦争の裏に最も近い学生。

「夜科アゲハ……天戯弥勒に唯一面識がありそうな参加者と言えば解るよね」

夜科アゲハ。
この言葉を耳にしたウォルターの口角が自然に上がり、夜に緊張感を齎す。
聖杯が言い伝え通りならば、それを持ち主かのように振る舞う天戯弥勒は何者なのか。
そもそも聖杯戦争のシステムを用いて本当に願いが叶うのか、或いは叶える気が彼に在ると言うのか。
聖杯戦争に潜む闇、即ち天戯弥勒の真意に近づけるたった一つの鍵。
それが夜科アゲハだ。現状唯一と思われる主催者との関係者であり、接触は是非とも行いたい所。

「これは興味深い」

「えぇ。彼や天戯弥勒はサイキッカーと呼ばれる超能力者。
 聖杯については……彼の知っている天戯弥勒からは聞いた事がない」

「つまり、有益な情報は持っていない、と」

「彼も情報が欲しいみたい。
 でも、天戯弥勒が接触する可能性が高いのは間違いなく彼よ。勿論生命は奪っていない。
 貴方が言っていた学園に使い魔を放ち探索と罠を張る案だけど――直接行った方が早くないかしら」


提案に意義を唱える邪教徒などこの場には存在しない。
元よりレミリアとウォルターの二人だけ、レミリアの提案に意義を唱えるとしたら彼しか発言権を持たない。
しかし彼がそんなつまらない言葉を発する訳もなく、夜に相応しい妖気と艶を含んだ笑みを浮かべ、無言で彼女に頷く。

戦争が始まる。否、既に開戦は告げられており、戦人が勝手に微温湯に浸かっていただけだ。
願いを対価無しに叶えるなど奇跡、それも『これは偶然ではなく必然だった』『まるで最初から運命が決まっていた』。
『仲間たちが掴んだ勝利の鍵』『意地で掴みとった唯一無二の奇跡』などと言った創作の妄言ではなく真の奇跡。
本来在り得ないであろう一種の世界線の話を無理矢理にでも己の世界に引きずり込み、座に憑かせる強行だ。
ウォルターもレミリアも。天戯弥勒と夜科アゲハでさえ本来の座では聖杯を手にすることがない。触れることすらない。

これより吸血鬼は夜を舞台に学園へ向かう。
其処に戦はあるのか、刺激はあるのか、そんなことはどうでもよく、脚本家にしか解らない。
その脚本家の存在も危うい此度の聖杯戦争に当たり前や常識と言った概念は存在しなく。
先を見据えることなど参加者には不可能であり、泥に塗れてでも聖杯を掴み取る覚悟が無ければ死んでしまう。

吸血鬼が求めるのは――何だ。
聖杯戦争に召喚されたサーヴァント、其処には聖杯を求める戦でしかない。
所詮は二度目の生だ、ならば骨の髄まで愉しんでも構わないだろう。誰も止めやしないのだ。
愉しめ、常夜総ての主役はこの吸血鬼に在る、夜は私の時間だ、雑兵は下がれ、力無きものは砕け散れ。








「早速他の参加者に遭遇するなんて……運命って奴かしら」

学園に吸血鬼が到着した時。
時を同じくして一台のバイクが校庭に停まり、二人の男女が現れた。
心が踊る、思えば戦争と銘を翳しているが、戦闘を行ったのはライダーとの一戦のみ。
欲している、欲しているのだ。身体が、生命が、魂が刺激を求めて疼いている。

夜は私の時間。
この闇こそが私を一番美しく輝かせてくれる最高の瞬間だ。
時計の針を止めて、永遠の刹那をこの光に弱い白く鮮やかな肌で一生抱きしめていたい。

「……ウォルター。あのサーヴァントは私に頂戴」

「かしこまりました」

得物を前にし高ぶる鼓動は抑えようもなく、得物を狩ることでしか終わらない。
自分でも何故高揚しているか解らず、普段とは言動や思考も違ってくるかもしれない。
本来在り得ぬ話ではあるが、レミリアは主であるウォルターに命令を下す。彼も承諾した。

対する男女の主従は自分達の発言の有無に関わらず話を進める敵のサーヴァントに対し呆れとも言える表情を浮かべた。
戦闘することに意義はないが、もう少し正規な順序というか、話そうと思わないのか。
思わない、少なくとも紅月カレンは、黒の騎士団には必要なかった代物だ。
目的のためならば手段は選ばない、実質NPC以外に被害を与える存在が居ないのだ、思う存分戦える。
彼女は戦闘狂の類ではない、けれど叶えたい願い在る故に、この戦に馳せ参じた。


緑のセイバーが盾と剣を取り出す。
その剣、真名を開放していないため、本来たる輝きを宿していない。
だが宝具だ、その逸話、成り立ち、業……真の力を開放していなくてもサーヴァントが操る最高の武具だ。
油断など出来ず、したところで自分に得など一切存在しない、そう思い慢心しないランサー。

「今夜は愉しい夜になりそうね」

言葉と同時に片手をセイバーに翳すランサー。するとその腕には光が収束し始め、一つの球体が完成していた。
魔力から構成されるエネルギー体を弾丸のように飛ばしセイバーの身体を貫かんとする。
常人では目に捉えられないような速度で進む弾だが、サーヴァントにとって見切れぬ速度ではない。
マスターであるカレンに被害が及ばぬように数歩前に出ると、セイバーは盾を突き出し弾を防ぐ。
辺りに音が響くがダメージの類は一切発生しておらず、盾に直撃した弾は消えていた。

「ならこれはどうかしら」

翼を広げ空に舞い上がったランサーは両腕を突き出し再度、魔力を収束させる。
その密度は単発であった先ほどよりも濃く、色彩も深くなり夜に輝く一つの星と見間違えるほどに。

収束する魔力から察するに攻撃は単発ではなく複数、それも一撃二撃といった優しい数ではなく無数の嵐。
「セイバー……下がっていろ? ……うん」
カレンの前に腕を伸ばしこれ以上の踏み込みを抑制し、後退させる。
一発ならば防げるが嵐となると話は別だ。盾では防ぎきれる面積に限界が生じてしまうのだ。
己は魔力に対する力が備わっているため直撃しても問題はないだろうが、マスターは別である。
サーヴァント同士の戦いで守りながら戦うのは自分にも、そしてマスターにも危険を伴わさせてしまう。

しかし後退させたところで目が届く範囲に留まってもらわなくてはならない。闇討ちに対応出来ないから。
マスターを信頼していない話ではないが、自分が動けない時に他者に襲われれてしまえば救援には迎えない。
敵のマスターは戦闘に参加する意思を見せていないが油断と過信は禁物である。
老体と云えどサーヴァントに対峙しても恐怖を見せず、此方の動きを目で追っており、漂わせる空気も一般の其れに括れない。
カレンを一人にしたとして、老体が仮に攻めの動きに出る可能性を考えると……どちらにせよ危険には変わりない。

「さぁ遊びましょうか、剣士さん」

剣を握る手に力を込め月を背景に浮かぶ紅い少女を見つめる。
セイバーの視線と全神経は彼女に注目しており、余程のことが無い限り視界から消えることはない。
敵に背中を向けることもなく、彼は駆け出し荒れ狂う弾幕の中へ己の身を投じた。

「弾幕に自分から突っ込むなんて面白いことするのね……!」

躱さず単身乗り込んでくる輩は生前の記憶でも珍しく、心が躍動する。
戦いを楽しんでいるのだ。次はどうする、どの手でくる、どうやり返せばいいのか。
思考の渦が戦を中心に渦巻き、セイバーとの戦のみに全思考が傾いているのだ。
サーヴァントになってから戦闘に好意的になったような気がするが、今はそんなことを考えている時間も惜しい。

セイバーは盾を構えながら弾幕の中を走り、ランサーの元へ己の身体を動かす。
盾で防ぎ切れない弾幕は剣で受け流し、跳ね返し、斬り落とす。
嘗てその刀身に魔力を宿し、一種の魔力放出として放っていた剣ならば実体を持たぬ塊も斬れるのだ。
弾幕とて例外ではなく、■■の剣に恥じない力を発揮し、単身ながら嵐に走るセイバーを守る攻防一体の武具。

弾幕が数発身体を掠るが気にするほどの傷は受けない、対魔力なるサーヴァントの力によって。
極論防がなくてもいいのではないか、しかし油断と過信、そして慢心は足元を掬われる原因となってしまう。
有利な状況に酔いしれ他者を見下し、それでいて足元を掬われ結果として窮地に立たされては笑いものである。

気付けばセイバーは何一つ手を抜かず、大地を飛び、ランサーに対して剣を振ろうとしていた。
刀身に月が反射し闇夜を美しく照らす。剣の美しさと月の灯り、暗い夜。

「――!?」

その刀身に反射する光の中に一つ、いや二つだ。
小さな、とても小さいが紅の輝きが二つ灯っており、その持ち主はセイバーが今正に斬らんとしている対象の少女だ。

小さな紅い瞳を輝かせ、口からは小さくも鋭利な牙のような歯を覗かせ、背景になっている月が演出を担う。
其れは闇夜に輝く孤独の女王、誰一人として触れることを許されない紅い吸血鬼。

危険を直感で察知し、逸早く斬り付けるセイバーだが弾幕によって剣先を物理的に流されてしまう。
剣の一振りは少女に当たること無く宙を斬ってしまい、彼女と違い飛行能力を持たない彼は落下するしか方法がない。
よって追撃は不可能であり、寧ろされる側の彼は身動きの取れぬ空中で来るであろう攻撃に備えんと武具を身体に寄せた。

「……?」

しかし追撃は発生せず、依然として少女は宙に浮かんでいた。




ドクン。




月並みで幼稚な表現ではあるが、その光景を見てセイバーの心臓は短く、強く跳ねる。
瞳に映るランサーは追撃することなく、ただ独り宙で嗤い、その右腕に魔力を集中させていた。
その密度は弾幕なぞ比ではなく、サーヴァントと呼ばれる故の規格外な魔力を宿らせている。


「今夜は月が綺麗ね。紅く見えちゃうぐらいに――冗談だけど」


血の如く紅い魔力が夜空を飾る星々のように数多の粒子となりて突き上げられた右腕に収束していく。
球体ではなく得物を捉え、その心臓を貫くような鋭利な形状へと紅い粒子が形を形成し始めた。
数は三つ、例え一つを防いで躱したとしても三つ分の攻撃を捌ききれるだろうか。
弾幕のような攻撃ならば構わないがそうもいかない――空気が変わった。


「初お披露目……私の力」


口から零れる言葉には笑みと感情の昂ぶりが込められている。
早く、あぁ早く。そうだ、今直ぐにでもこの魔力を開放し己がサーヴァントたる所以を証明して見せたい。
収束する力はその矛先を求めて、爆発寸前の火薬のように、得物を待ち侘びていた。


「逃げてもいいけど無駄よ……この槍は貴方を夜から逃さない」


三つの魔力はセイバーを裁く魔の槍となって上空に形成された。
突き上げた彼女の右腕が振り下ろされれば、審判の一撃は連撃となりて彼を貫くだろう。

「避けれるものなら避けてみて」

無邪気に嗤うように。
純粋な楽しみから生まれる好奇心を以ってランサー、レミリアは宝具を発動していた。


「月は貴方を見ている……この運命から逃れられるかしら」


放たれた三つの結晶――運命の槍はセイバーに吸い込まれるように推進する。
まるで最初から彼に刺さっていたかのように、何事も無いように彼一直線に飛んでいるのだ。
彼は察する、この一撃は躱せない。

何かが次元を歪ませているから。

セイバーは時の勇者と讃えられたとある世界の救世主である。
時空を行き来しハイラルを包む闇を祓った勇気の黄金三角を宿した存在である。
魔力や異能に耐性或いは関わりが在ったため、歪んだ槍の異常さを彼は察知した。
その紅蓮たれる魔力で構成された紅い槍、小柄な少女、闇夜に浮かぶ赤い瞳――英霊の候補は大分絞られた。

そしてランサーはその真たる名を開放した。


神鎗――スピア・ザ・グングニル。


オーディンが所有していた逸話を持つ神話の神鎗の名を宿したレミリア・スカーレットの宝具。
血のように紅く、後ろに聳える月までもが紅く見えてしまう程に濃い、濃い、濃い紅色。
紅――彼女の雰囲気から表せば赤の方が適切だろうか。見た目幼い吸血鬼はその幼さ故の不気味さを醸し出している。
手が滑っても許されるような、不安や失敗さえも正当化してしまうような愛嬌さ。

「踊りなさい――言ってみたかったのよね」

幾ら可愛く役者のように台詞を吐こうが、セイバーの状況に変わりはない。
彼は迫る槍から感じる禍々しさを直感で感知し之は避けれぬ必中の裁きと認識し盾を背中に戻した。
宝具となれば弾幕のようにはいかず、防げる保証など存在しない。
永劫の旅を共にしてきた盾であるが、宝具へ昇華されていない現状を考えると槍を防げるとは思えない。
ならばどう対処するか。

因果の逆転を兼ねる槍を回避するのは至難の業であり、突発的に行える芸当ではない。
直前とは言え、その性質に気付けただけでもよしとするしかなく、黙って貫かれるよりはマシである。

だが彼が取る行動は最初から決まっており、宝具を粉砕するのは同じ宝具だ。




「――っ」




その輝きは常夜を照らす永劫たる黄金の輝き。
媒体の大きさは月よりも遥かに小さいながら、その輝きに吸血鬼は声を漏らし瞳を閉じる。

何だあの光は。
何だあの輝きは。
何だあのサーヴァントは。

「魔を祓う……剣?」

何だあの剣は。

瞳を閉じたい程に、目を背けたい程に輝く剣。
高まる魔力の密度は通常の其れとは違い、周囲だけが別次元に感じる程の神々しさ。

腰を落とし、剣を後方へ伸ばすように構え迫る神の三撃槍を見つめる時の勇者。
一撃を放つために大地を削りながら後退する軸足に体重を乘せ――溢れる魔力を今此処に開放する。

まず一つ目の槍は半月を描く軌道の剣先によって裂かれ、構成していた魔力が粒子のように夜を赤く染め上げた。
続く二撃も動き続ける剣が横から一閃し行き場を無くした魔力は雪のように儚く大地に赤を落とす。

三撃目。

二撃を斬り捨てた勇者はその勢いを殺さず、身体ごと動かし己を剣と共に後ろへ。
再度正面を見た時、それは回転の力を剣に上乗せした勇者が幾度なく愛用した伝家の宝刀。

「運命を超越して無傷……その『退魔の剣』は流石と言うところかしら、ハイラルの勇者さん」

クルクルと子供が木の棒を拾い、振り回すように赤い槍を回すレミリアの表情は悪い笑顔。
宝具を正面から潰されたことに対して怒りや悲しみではなく、純粋なる興味と楽しみが顔に浮かんでいる。
噂に聞く退魔の剣とやらをこの目で見れたこと。
多くの世界で闇を祓い、人々に黄金の輝きと永劫たる未来を見せ続けたあの時の勇者で出会えたのだ。
本来有り得ない邂逅だ、こればかりはサーヴァント化したことを、聖杯戦争に感謝するしか無いだろう。

「ふふ……さぁて。この先はどうしま――そう」

これからどうしましょうか。
セイバーの険しい表情から彼も己の真名――までは判明していなくても近しい所まで辿り着いているようだ。
歴戦の武具の中から退魔の剣を選んだのだ、己が邪なる存在で構成されていると感じ取ったのだろう。
そしてその予測は確信に変わる。

「炎……生憎吸血鬼だけど私は其処まで弱くないの」

戦場に流れる激しい旋律は炎となって具現化しレミリアを多い囲む。
しかし吸血鬼と云えど、彼女にとって炎は然程脅威ではなく、この程度なら対魔力なる防壁で対応可能だ。
依然として空で嗤う少女の表情は黒い笑みであり、まるで何を見据えているような悪い瞳。

「私の相手もいいけれど貴方のマスター……大丈夫かしらね」

「――ッ」

弾幕と神槍。
迫る裁きと対峙していた時、セイバーの視界からマスターであるカレンの存在は消えていた。
少女の薄ら嗤いの籠もった言葉を耳にし意識が覚醒するように脳内は白く包まれ、彼は後ろへ振り向いた。


其処にはワイヤーによって右腕が血塗れになっていた己のマスター。
足は崩れ大地に腰を落としており、その近くには応戦したのだろうか拳銃は転がっていた。
セイバー自身、総てを目撃していないため何が起きたか分からないが、月夜の中に赤く光るワイヤーが物語る。
接近した執事がワイヤーでカレンの右腕を斬り付けたのだろう。迫る銃弾を回避する常人離れした身体能力を以って。
月明かりだけでは常夜総てを照らすのは無理があり、鋭利なワイヤーは肉眼で捉えることは出来ない。

故にカレンはウォルターに対処する術もなく、個人としての完成度は彼が圧倒的に上回っただけの話しである。

セイバーは即座に弓を構えると、予備動作無しにウォルターへ射出するが彼は矢を数歩下がるだけの行動で回避した。
追撃を挟まずセイバーは再度オカリナを吹き炎をウォルターとカレンの間に発生させ接触を断絶させる。
彼自身は走り出し無言でカレンを担ぐように広い上げるとそのまま学園内に向かう。
カレンは小さな声でありがとうと呟き己の無力さを噛み締めていた。
何も出来ずに傷だけを負った己が情けない、これでは願いを叶えるどころか朝日を拝めるのも危うい。
情けなくても声も出せないまま、セイバーに担がれながら彼女は学園の中へ踏み入った。


「お怪我は……要らぬ心配でしたかな?」

「見ての通りよ。貴方にも言っておくけど私に炎は効かないと考えてもらっていいわ」

「それを私に伝えてどうしろと?」

「さぁ、自分で考えることね……それと、私に気遣って彼女を殺さなかったことには礼を言うわ」


炎に包まれながら吸血鬼と執事は何かを含んだ言葉を交わす。
彼は本当に彼女を心配しているのか、彼女は彼に説明したのか忠告したのか。
闇夜にせせら嗤う声は真実か偽りか、聖杯戦争に置いて真なる敵は一体誰なのか。

「それにしても学園の中に逃げるのは悪手じゃないかしらね」

「血を辿れば居場所の特定も容易いでしょう」

炎を遮って追撃することも可能だが無理に追う必要もなく、レミリアは黙って彼らを見逃した。
最優のサーヴァントたるセイバーが相手だとお世辞も死合を有利に進ませるなど言えない。
けれど彼女は楽しんでいるのだ、その顔は嗤い、その心は初めての玩具を与えられた子供のように輝いている。

「狩りとは言わないけれど、彼女には此処で退場してもらいましょうか」

「ええ。あの傷では聖杯戦争を生き残るにも傷が深すぎる」

利き腕の粉砕は戦争において致命的な痛手となる、日常生活でさえ不便になるのだ、生命の賭博では邪魔にしかならない。
余程の馬鹿か筋金入りの夢追い人でも無ければ諦めて幕を引くだろう。しかし彼女はどの人間なのだろうか。
少なくとも拳銃を持ち込んでいる或いは所有している以上、事情に詳しいか裏側の人間だ。
ならば退けない理由もあるかもしれないが――此方には関係のない話しである。

「じゃあ行きましょう。
それにしても建物の中に入るなんて……ふふ。
このまま『館』の中で苦しむってのもそれはそれで愉しい結末ね」

槍を消滅させ、朽ちた魔力の結晶が雪のように舞い散る中でレミリアは学園を見つめる。
何を思って逃げたかは不明だし解るつもりもないが、もし、もしもの話しだ。

生命からがら逃げ込んだ場所が『吸血鬼住みし赤い館』だとしたら。

「どんな顔をするか愉しみで……あぁ、愉しみ」

喘息を漏らし潤いを秘めた小さい瞳を細々とさせながら彼女は――。



「避けなさいっ! ウォルター!!」










学園で一騒動が発生する少し前に。
架空世界の夜空を吹き抜ける影が一つ。

それは隼ではない。
子供が後部座席で妄想しながらガードレール等の上を走る忍者でもなく。

(――気持ちいい)

腰に纏った立体機動装置の重さを感じさせない程の爽快感。
遂に外に出ることが出来た開放感から少年は満面の笑みで夜空を翔けていた。

(溜まっててたモン全部ぶっ飛ぶぐらいには最高だ)

トリガーを引く指の感覚も。
重力に引かれるこの感覚さえも己を興奮させる刺激となっている。

電信柱を掻い潜り、屋根の上を傳い、宙を蹴る。その姿は空想上の忍者とも捉えられる。
暗闇なのが幸いし、人々に感知されていないのが彼にとっての救いであった。
目撃され情報が拡散されれば一躍有名人となりエレン・イェーガーとしての知名度はこの世界において爆発的に上昇する。
そうなれば他の参加者から目を付けられてしまい、己を破滅へと導くことになる。
何のためにアサシンが彼を隠蔽させ続けたのか、総てが無駄になってしっまうのだ。
故に月明かりしか無いこの常夜は彼に味方しており、彼は堂々と空を飛べるということになる。

「アサシンには悪いことしたけど……俺だって黙ってるままじゃないんだ。
 これじゃあ何のために聖杯――なんのために……?」

彼の自分に対する態度は正直に言って不愉快であり、理解に苦しんでいた。
圧倒的圧力で密室に閉じ込め必要以上の外部との接触を断たせる。
その癖に口数は少なくて、精神面を支えることも無ければ、外出を強制的に阻止してくる。

エレンにとってジャファルは気に食わない教官と同等かそれ以下の捉え方をしてしまう存在になっていた。

「……俺のためだってのも解る」

その態度と行いが自分を守ることだとエレンは理解していた。
彼が部屋で腐っている時、とある夢を見た。

その青年は捨て子で、拾われた人間は心を何処かに忘れてしまった闇の住人。
冷徹なる殺人鬼へと育てられた彼は感情の代わりに闇の業を身に纏ってきた。
依頼があれば王族だろうと殺し、組織の人間だろうが命令が下れば殺害してきた。

そんな殺人鬼の元に一人の少女が現れる。
その少女は優しく、太陽のように眩しい笑顔を持った闇の世界とは対極の存在であった。
彼女と行動を共にしていくにつれ殺人鬼は言葉にし難い暖かい感情を感じるようになる。
そんな彼女を殺害する命令が下った時、彼の中で何かが動き始めた。

来る決戦の月夜。
彼は彼女に暗殺命令が下されたことを話し――組織と敵対する道を選んだのだ。
きっと彼にとって初めて感情に身を任せた行動だったであろう。理屈では説明出来ない何かが彼を動かした。

「誰にでも大切な人はいる……っ」

その後は思い出す気にもならない。
決して訪れぬハッピーエンド、運命分岐点は彼の在り方を変えた。けれど、最後まで幸せにはなれない。
彼は血を浴び過ぎた、人を殺し過ぎた。
再び陽の光を浴びれる程真っ当な人生を送っていない、太陽を感じることさえ運命は許してくれなかった。

(ごめん)

心で謝る、念話は飛ばさず、思いは伝わらないがエレンは独り呟いた。
だが、彼は戻らない。気付けば学園の前に降り立ち、玄関から中に入る。
事件の影響もあって学園内から人の気配は感じず、お構いなしに土足で侵入し職員室を目指す。
所々ガラスが割れていたり、校庭にクレーターが出来ていたりと非日常を感じさせていた。

階段一つ一つを昇る足が軽い。
このまま天井と言う名の壁を突き破り天元と言う名の蒼穹へ飛び出してしまう程に軽い。
楽しいのだ。
彼は聖杯戦争に参加して日常を感じてしまった、巨人の存在しない世界を感じてしまった。
明日に怯えること無く、安心して眠れる世界を、優しい世界を知ってしまった。
ミカサやアルミンはいない。それでも彼はこの世界に一定以上の理解と感情を抱いてしまったのだ。
戻りたくても戻れない、いや本当あのか、戻る気がないのか戻れる気がしないのか。

「ふぅー……」

辿り着いた職員室前。
此処の中に入れば自分を呼び出した小萌先生が居る筈だ。

改めて考えると、先生の連絡一つで飛び出すのは異常であった。
学園でテロと同義級の事件が起きているなら尚更であり、行きたくも無ければ呼びもしないだろう。
罠だ。誰がどう見ても聞いても考えても感じても、罠である。

エレンは気付いていない、気付きたくないのかもしれない。
小萌先生は自分に接触してくれた数少ない存在である。
外出を許されぬ環境で日々過ごす変わらない一日を変えてくれる彼にとっての救世主である。
その一声が彼の起爆剤となりアサシンの言い付けを破るまでして行動するにまで至ったのだ。

それもあるが本当は。

聖杯戦争に参加してから初めて誰かに必要とされたのが嬉しかった。
誰一人として知り合いがいないこの世界は不安に包まれており、憩いの場何て何処にも無かった。
従者であるアサシンは口数が少なく、自分に総てを話してくれない不器用な男。
彼に総ての責任を押し付けるつもりはないが、自分を苦しめる大きな理由になっていた。
そんな環境の中で、自分を呼んでくれた小萌先生の存在は太陽のように輝いていたのだ。
必要とされているのが嬉しかった。この世界に自分の価値が在ったことが嬉しかった。

感じていたい、刹那の一時を永遠に抱いて噛みしめたい。
この輝きを更に浴びるにはこの扉を開ければいい、自分を待っていてくれる人がいる。

そして。


「初めまして――エレン・イェーガー」


彼の学園生活が始まった。





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最終更新:2016年01月12日 19:34