ポケモン対戦史【第1世代】

本編タイトル:赤/緑/青/ピカチュウ
機種:ゲームボーイ
連動タイトル:ポケモンスタジアム/ポケモンスタジアム2
機種:NINTENDO64


1996

  • 2/27 ポケットモンスター 赤・緑 発売
  • 10/15 ポケットモンスター 青 通信販売開始
記念すべきポケモン黎明期。初代ソフトはバグの多さ、起こりやすさで有名。
10以上あるタイプと相性、基本的な状態異常、急所、3値(種族値、個体値、努力値)の存在などはこの時点からあり、
まだまだ対戦バランスやシステムなどは荒削りと言わざるを得なかった頃だが、今にもほぼ通じる育成・対戦の基本は既に確立されていた。
ただし発売当初はポケモンの収集がメインの楽しみ方で、プレイヤー間での対戦があまりされていなかった。
特に個体値・努力値は当時のプレイヤー間でも「知る人ぞ知る」レベルの知名度であり、攻略本でも深く言及しているものは僅かであった。

そんな時代、当時KTCから出版されていた「遊びつくす本」「極める本」は攻略本なら当たり前のストーリー攻略はそこそこに、
通信ケーブル対戦に大きく焦点を当てた、当時としては珍しい攻略本であった。(というより今の時代から見ても珍しい本だが)
今となっては編集者の主観・偏見にも近い記載が堂々と載っているなど内容に色々疑問点の湧く本ではあったが、
ネットなども普及していなかった当時のプレイヤー達には大いに参考になったのではないだろうか?
これらの本などに記載されていた対戦の重要要素は…

・相手に先手を取れるか否かが分かれるため すばやさが重要
・事実上弱点の存在しないエスパーが強い
・無抵抗にする眠りが強い。加えて眠らせつつ体力を回復できるゆめくいが強い
・3割で永続で凍るふぶきが凶悪(加えて当時は命中90だった)
・はかいこうせんは相手にとどめをさす時に使えば次のターンでは反動が無くなる

これらの要素より、エスパータイプで素早さが高く、技マシンでふぶきも覚えられるミュウツーは文句なしの最強ポケモンという結論に至った。
その他にも素早く先手で眠らせられるゲンガーは強力で、
タイプ一致でゲンガー以上に強力なゆめくいが使えるスリーパーも凶悪ポケモンの一角であった。
特に初代は眠りが最大8ターン継続、目を覚ましたターンでも行動ができない、と歴代で最も凶悪な足止め性能を持ち、
催眠技を使えるアドバンテージは後の世代と比較しても大きかった。
今尚公式・非公式問わず、催眠に対する厳密なルールが敷かれることがあるのはこれらの時代からの教訓であろう。
(実際制限がかかってからは当時の催眠はあまり見なくなった)

こおりポケモンはタイプ一致で強力なふぶきを繰り出しつつ、
なおかつこおり属性は凍らないと言う事もあり、フリーザー・ラプラスなども強力なポケモンとして扱われた。
現在でこそ弱点の多さが目立つ氷タイプだが、鋼はまだ存在せず、格闘はエスパーにより抑えられ、
炎、岩もメジャー水タイプにより・・・と当時は殆ど気にならなかった。

他の戦術として凶悪なものにどくどくやしびれごななど相手を猛毒、麻痺にさせる→まきつくといった拘束系の技のコンボが挙げられる。
当時の麻痺状態は (素早さ1/4)+(20%の確率で行動不能)になるもので、
拘束系の技も今の仕様とは違い、技が続いている間相手は全く行動できないという凶悪な性能を誇っており、
(ただし今と違ってポケモンを入れ替えることは可能だった。また、技が発動しているときはあばれる同様他の技が使えなかった)
一度ハマれば相手の行動を全く受けずに撃破することができた。
これらのことがあったためか、金銀以降は麻痺や拘束系の技の性能が変化したと考えられる。
ちなみに当時麻痺状態になったとき、高速移動などで素早さが上がると麻痺状態のときに低下した素早さが元に戻る現象が起きていた。

以下、上記の他の現在と違う主な初代(ポケモンスタジアム2以前)の仕様を対戦・育成面に絞って列記する。
以下のものの他にも技の威力や効果・タイプなど細かい違いはあるが、ここでは割愛。
・登場ポケモンは初代の通常プレイで入手可能な150匹+イベントで配布されたミュウ。
・タイプは現在から「あく」「はがね」「フェアリー」を抜いた15種類。一部ポケモンは現在とタイプが異なる。
・急所によるダメージ倍率は2倍。
・持ち物、特性、性格はなし。性別はニドランのみが持っていたが、性別を参照する技やステータスの性別差がないため意味がなかった。
・タマゴ・遺伝技はなし。
・「とくこう」「とくぼう」がまだ未分化で「とくしゅ」という一つのステータスに纏められていた。
 特殊技を撃つ時も受ける時も「とくしゅ」の値を参照するため、今で言うと「とくこうが高い」=「とくぼうが高い」であった。
・物理技、特殊技は技のタイプにより固定。例えばはかいこうせんは当時は物理技、ほのおのパンチは当時は特殊技であった。
・急所率が一律ではなく、ポケモンの素早さを参照した計算式が用いられていた。
 このためペルシアンやダグトリオなどの素早いポケモンがきりさくを使うとほぼ確定で急所を引くことができた。
・一撃技は、使う側より受ける側の素早さが上だと無効になる。サイドンなどはつのドリルが効く相手はごく一部だった。
・技「はかいこうせん」は、相手にヒットし倒し損ねた時のみ反動を受けた。
 相手を倒した、外れた、みがわりに当たった場合は次ターンも問題なく動けた。
・回避率上昇の積み技が今よりも効力が高く、相手からの被弾率は2回積むだけで50%、6回積めば25%にもなった。
・命中率100%の技が正確には「255/256」×100%であり、稀に外れることがあった。「がまん」のみは必中。
・状態異常「こんらん」が最大7ターン持続した。
・技「ほえる」「ふきとばし」が対戦で使っても効果がない技だった。
・みがわりを出している状態でも能力ランク変化技や状態変化技は防げなかった。
・個体値は「こうげき」「ぼうぎょ」「すばやさ」「とくしゅ」の4項目に現在の半分の16段階存在した。
 HP個体値のみ特殊で、上の4項目の個体値に連動して算出される。
・努力値を全てのステータスに最大まで振ることができた。

1997

初代公式大会開催。いわゆる「ニンテンドウカップ97」である。
ルール上ミュウツーとミュウ以外は(たぶん)出場できたが決勝リーグで出てきたのは22種だけ。
出場ポケモンはLV50~55で出場ポケの3体の合計は155まで。
当時放送されていた「64マリオスタジアム」では実際にこのルールを用いての対戦が毎週放送されていた。
初期はまだまだ環境が手探り状態で、ルール無しの頃から強いといわれていたゲンガーやフーディンやフリーザーなどが使われていたが
ケンタロスやスターミー、小さくなるラッキーなどはこの番組からメジャーになったものである。

やはり強かったのは攻撃性能・技範囲ともに優秀なLv55ケンタロスで、優勝者も使っていた。
後のポケスタでも対策必須、というか生半可なメンバーでは3ターンキルされる事もある。ある雑誌では「闘神」と評されていた事も。
特に上記の通り相手を一撃で倒せば反動を受けないはかいこうせんが猛威を振るっていた。
今以上の壊れ性能を誇るかげぶんしん戦法も凶悪で、どくどくや再生技と合わせられるとほぼ手が付けられなかった。

ちなみに当時、出場ポケの中にゴローニャはいてブースターはいなかった。
当時は目覚めるパワーなどはないので当時のゴローニャはサンダースに対しては一方的な強さを誇った。

1998

  • 8/1 ポケモンスタジアム発売
  • 9/12 ポケットモンスター ピカチュウ 発売
98年の公式ルールは初代ポケスタを用いる関係上、ポケスタで使用可能なポケモン33匹だけがエントリー可能であった。
レベルは30に統一。前年と違いレベル配分と言う概念はなくなったが
主流のポケモンは前年と変わらずケンタロス、サンダース、スターミーなどであった。

このマンネリ化を打開すべく、前年に引き続きポケモン対戦を放送していたマリスタでは
「この33匹をABCのグループに分け、初手は必ずCグループのポケモンを出す」と言う特別ルールを設けた。
Aはいわゆるケンタロスやスターミーなどの強力なポケモン、BCは今風に言えば中堅マイナーなどといわれる類のポケモンである。

しかしこのルールはエースのAグループポケモンを温存するあまり入れ替えがしづらいと言う側面を持っており、
今ひとつの相性でもゴリおすと言う光景が見られた。
これを逆手に取った戦法が「かげぶんしん+ねむる」戦法である。
シャワーズやナッシーなどの硬いポケモンで相手の攻撃を耐えつつ影分身を積み、回避率で眠るリスクをも減らす黄金パターンである。
かげぶんしんが流行した当初は最初にどくどくを使い、相手を猛毒にする事で対策をとるプレイヤーもいたが
状態異常の回復も可能なねむるの前には意味を成さなかった。
末期は互いにこの戦略が横行し、影分身眠る同士の泥仕合が毎週放送されると言う異常な事態が発生していた。
これらの影響からか、ポケモンスタジアム2ではかげぶんしんの効果が大幅に抑えられる事になった。

また、98年全国大会には7人中3人が
前述の通りほとんどプレイヤー間で知られていなかった個体値・努力値システムを把握して育成したポケモンを実践投入していた。参照
そのうちの1人は当時の捕獲難易度が今で言うXD産サンダーに近いといわれていたラッキーにも及んでいて、
ほかの2人よりも上の個体値を厳選したという今から見てもその根性を賞讃してもいいくらいだった。
ただし、LV30なので努力値がMAXまで入れられず能力が低くなるポケモンが多かったため、防御の低いラッキーは使いづらかったと思われる。

1999

  • 4/30 ポケモンスタジアム2発売
  • 10/10 ポケットモンスター 青 一般発売開始
次回作である金・銀が発売延期を繰り返す中、
赤・緑ベースでの開催を余儀なくされた99年大会では使用ポケモンに関して大胆なルールが設定された。
それは「ミュウ、ミュウツーおよび今までの公式大会の全国トーナメントに参加していたポケモン使用禁止」というものである。
これは97、98年の大会で使用されるポケモンのメンツが固定化されていた為にそれまでと差別化する意味と、
ポケスタ2発売による追加ポケモンにスポットを当てる意義があったと思われる。
これによりスターミーやケンタロスといった従来のいわゆる強ポケが軒並み姿を消し、
それまではマイナーに分類されていたポケモンの活躍が目立っていた。

当時はステータス上特攻と特防は特殊ひとつにまとめられていたため、
特殊を2段階上昇させることができた度忘れ(さすがに強すぎたのか金銀以降は特防のみ2段階上昇に調整)が異様な強さを持っていた。
(今で言うと1ターンで瞑想を2回使えるようなもの)
このため、特殊が高くて度忘れ(+眠る)を使えたヤドランを愛用する人が多かった。
(初代ではエスパーの弱点はあって無いようなものだったため、度忘れをうまく積むことができればなかなか落ちなかった)

同時に当時は急所技のきりさくやはっぱカッターの急所に当たる確率が高かったため、
急所技をタイプ一致で使え、攻撃と素早さが高いペルシアンを使う人も多かった。
また身代わりの仕様もポケスタ2から変更になり、変化系や状態異常技を回避できるようになった。
逆に、はかいこうせんの反動が相手を倒した後も発動するようになり、はかいこうせんの人気がすっかり落ちてしまった。
上記の通りかげぶんしんも弱体化を受けている。

硬いヤドランを突破するためにじわれなどの一撃必殺技が台頭し、ペルシアンのきりさくへの対抗にカウンターなどが使われた。

このようにポケモンどころか戦略性までも大きく変化した。

余談だが、ファイヤーのみこの公式大会で使用できた唯一の伝説ポケモンであった。
当時は炎タイプ自体人気が無かったので当然とも言えるが。

2016

  • 2/27 バーチャルコンソール「ポケットモンスター赤・緑・青・ピカチュウ」配信
ポケモン生誕20周年を記念して、ニンテンドー3DSにてバーチャルコンソール(以下VC)のポケモン赤緑青ピカチュウが配信された。
このソフトのポイントは、エミュレーターでは実現は難しいとされた「ワイヤレス通信によるポケモンの交換」を実現させた事である。
この「ポケモンの交換」を実現させた為に、
他のVCソフトに備わっている「まるごと保存」や「ゲーム中断」の機能が、ポケモンのVCソフトでは使用できない。
また、価格も1,500円と、他のVCソフトよりも割高になっている。
だが、当時のバグ技も忠実に再現されており、オールドファン感涙もののソフトとなった。

ちょっとした事だが、
ピカチュウ版のミニゲーム「ピカチュウのサマービーチ」が、なみのりピカチュウを持っていなくても遊べるようになっている。
現時点ではなみのりピカチュウの配布はVC版では行われていないので、嬉しいサプライズだろう。

  • 3/18 ミュウ配信
ニンテンドー2DS購入者を対象に、VC版へミュウの配信が行われた。
第1世代という事で当然、ふしぎなカードではなく、ポケモンとの交換という形での配布となる。

そして、このミュウの個体値は、なんと4F(第1世代の6V)で固定である。
バグ技等で入手したミュウでは、まずこの個体値にはならないので、かなり貴重であるといえる。

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最終更新:2023年10月19日 10:26