戦闘民族であるヤギホ人にとっては、武術はもっとも重要な無形文化である。

先史時代

 古ヤギホ民族は元来身体能力に優れていた人々であったようだが、科学的な裏付けは取れていない。しかし、大陸に到達してから鉄に出会うまでの間も土着の住民たちを制圧し支配下に置いているため、何らかの格闘術には長けていたものと思われる。
 『神の火の山』に辿り着き、『力の源の石』に出会ってからは、『力の源の石』を加工して作られた鉄器を用いての戦闘術を考案し広めている。当初は研磨技術が未熟だったため、棒状の鈍器からスタートした(およそ1400年前に鋳造されたと推定される棒状鉄器が出土)。

古代ステラクス帝国支配時代

 ステラクス帝国の支配下にあった時代に、多くのヤギホ人奴隷が軍役に就いたり剣闘士として見世物にされたりしていた。
 ステラクスの歴史書には、以下のような記述が残っている。
 ――かの蛮族ども(ヤギホ人のこと)はねずみより素早い。人の足で追い掛けて捕獲することは困難で、人々はしばしば蛮族どもに罠を仕掛けた。最初のうち蛮族どもはよく落とし穴に落ちたが、彼らはいつしか足元を見ることを覚え身の丈よりも高く跳躍した。(『闘技場に生きたひとびと』より)
 ――小人たち(ヤギホ人のこと)は言動の粗暴さに反して計算能力に長けている。彼らはけして腕力が強いわけではないが、どのように棒を動かせば棒に触れたものがどうなるのか瞬時に計算することができる。教養はないが、投げたものがどこに届くか正確に判断する能力はあったため、神官たちはこれを非常に懸念した。(『第四騎士団戦中記』より)
 ――獣より獣めきたる者ども(ヤギホ人のこと)、騎士道なるものを解さず、四方八方から多勢で攻め来ること多々あり、げに恐ろしきかな。見えざるところより矢を射かけるるはまさに畜生のすなるところあり。(『まつり物語』より)
 以上より、当時のヤギホ人は、型にはまった戦闘様式を好まず、自らの身体能力の高さと力学的な知識をもって臨機応変に動き回っていたようである。また、当時は多人数で一人の敵を取り囲むことや物陰から相手を狙うことも多々あった。同時に、自らの立場が不利になった時はためらわずに逃亡することが多く、生き残ることに全力をかけていたと言える。
 使用する武器も多種多様であった。刀剣を初めとし、弓や棒など、身の回りにある鉄器をすべて戦闘に使用していたと記録されている。発掘調査でも、矢じりや薙刀の刃などが多数出土しており、刀にこだわらない武器作りが行われていたことが窺える。
 この頃すでにヤギホ人の間では『ヤギホ魂』という言葉が使われていたようだが、この頃の『ヤギホ魂』は定義が曖昧であった。大雑把に、ヤギホ人の民族文化を共有する仲間同士の連帯感、『身内を救うためであれば命を懸けてともに戦う』程度のものであったと考えられている。

建国から戦国時代まで

 女王ヤエケブリホムラオオキミによるヤギホノミヤマ王国建国の後、身分制度の整備が行われ、文官(神官)・武官(武士)・平民の分離政策が採られた。
 この時、武士階級とされた七部族のうち三部族が『いくさびと』の子孫として讃えられ、それを根拠として子弟により戦闘に特化した教育を施すよう指示されている。上武士教育の始まりである。
 身分の別によって戦闘の専門家集団は形成されたが、武士以外のひとびとの武芸が制限されることもなかった。ほぼ鎖国状態にあったヤギホでは外敵と戦う機会はなかったが、神官や平民もそれぞれ武器を所持し有事に備えて鍛練を続けた。
 実際に実戦に至ることはほとんどなかったため、徐々に戦闘能力や戦闘技術より戦闘を通じて育まれる精神性を重んじるようになる。こうして生まれたのが『ヤギホ武士』という言葉である。
 この時代の『ヤギホ武士』という言葉は、武士として生まれ、武士として教育を受け、さまざまな対立を『正々堂々とした』一対一の決闘で解決する『卑怯な振る舞いのない』武士のことを指した。
 『ヤギホ魂』の意味の変容が確認できたのもこの間のことであると考えられる。『ヤギホ魂』は『ヤギホ武士』が備えているべき美徳のことを指し始め、『恩人のためならば命もなげうつ』『卑怯な振る舞いはしない』などの意味が追加されていった。

戦国時代

 ヤギホ武士たちがヤギホ史上初めて経験した内戦である。全国の武力をもった部族が、それぞれ自らの部族に伝わる形式の戦闘術をもって衝突した。
 この頃すでに『ヤギホ武士』『ヤギホ魂』という概念が定着しつつあったため、どの部族も幹部級の武士は名乗りを挙げた後に一対一で『正々堂々』と自らの刀・自らの部族に伝わる流派の剣術で戦った。最終的に命を落とすことになっても、刀と刀で『正々堂々』と戦って敗れることを『名誉の死』と捉えたため、討ち取った敵の者に讃えられることすらあった。
 身分の低い者や『野蛮な者』は特定の刀を持たず様々な武器で名乗らずに相手へ迫ったが、勝利しても名誉とはみなされなかった。

天下統一以降

 内戦が終結したのち、長きにわたる泰平の世を迎え、武士が国内で刀を振るう機会が激減する。
 ここで武士の二分化が発生する。
 身分の高い『上武士』は、『ヤギホ魂』『ヤギホ武士』の精神性にさらなる磨きをかけ、形式美を追究し、『女王や部族のために死ぬ』『刀は命より重い』などの美徳が次々と付加された。実際の戦闘が起こることはごく稀であったが、実戦形式の模擬試合や訓練は武士の義務とされ、技術と哲学は継承され続けた。
 身分の低い『下武士』は、豊かな土地も専属の職人も先祖伝来の財もないため、生活が困窮し、唯一の特技である剣術や戦闘能力を商売道具に自らを売りに出すようになる。これがヤギホ系軍人奴隷またはヤギホ傭兵と呼ばれる武士集団の始まりである。彼らは当初港や通商路などで用心棒をすることが多かったが、異国人も多い場所での活動だったため、いつしか異国人が富をちらつかせて自国にこれらの集団を連れ帰ることが始まる。下武士たちは『ヤギホ魂』が大陸に拡散される名誉や王国を富ませる下地になることを胸に抱いて自ら出国を望むようになる。これを利用した神官たちが下武士を秘密裏に売買することも徐々に増えていった。時代を経るにつれ下武士たち自身もまた豊かな生活を夢見て旅立つようになっていったが、買った先の国によって対応は様々であり、悲惨な運命を辿った軍人奴隷も多い。それでもなおハイリスクハイリターンが軍人奴隷を志す下武士の若者たちにとって魅力的なのである。
 女性が戦う機会はとうとう消滅した。女性は家系を守る存在として、男たちに自らの身を守らせつつ子を産み育てることに専念するよう求められ始めた。女児教育の必須科目から武芸が消え、剣術を使えない女性が増えていく。自ら剣術の習得を望む女児を否定する風潮はないが、体力作りの一環とみなされ、『ヤギホ魂』の完成までは求められない。逆に言えば剣術に興味を示さない女児は運動する機会がなくなったため、出産時死亡率の上昇にもつながったとされている。


現代

 火薬と銃の登場により武士のあり方も過渡期へ突入した。
 ヤギホ刀で戦う『ヤギホ魂』を至上のものとする伝統的な上武士からの反発は大きく、銃で戦うことを無粋で野蛮で不名誉と言う者も多かった。しかし、なぜか主な反銃使用者は不幸な突然死や謎の失踪を遂げやすく、火の神の呪いではないかと思い始めた人々は口をつぐんでいる。
 開国と同時にヒルディカの軍艦を目撃し恐れをなした北部の下武士たちほど、新たな武器・兵器による新しい戦い方の模索を始め火薬研究に熱心である。南部でも上流階級より国境線で紛争地帯や『壁』と相対している下級上武士の警邏たちが銃の改良を求めている。

 現在女王ホヅカサヅチオオキミは銃の増産と使用者の訓練を急かしている。大砲の鋳造も行われており、本格的な完成は間近であると言われている。
 しかし女王は、ヤギホ刀や『ヤギホ魂』の保存・継承も奨励し、御前試合(この国においては『神前試合』)も定期開催している。『ヤギホ魂』が女王への忠誠や信仰を含むためである。他国に輸出できる無形伝統文化財としての『ヤギホ魂』を意識しているとも言われているが、女神の心中はさだかではない。
 また、下武士の整備も進められ、国家的な規模の傭兵産業も確立された。




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最終更新:2015年07月16日 13:05