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 イツエが気づいたのは、ココノエの背中へたくましい腕が伸びてきてからだった。
 双子の王の片割れが、ココノエを抱き上げ――というよりは担ぎ上げる。左腕にココノエを座らせ、右手でココノエの頭を抱え込み、自分の肩に顔を埋めさせる。まるで父親が幼い娘をあやしているかのようだ。
 そう思い、イツエはなるほど、と思った。この状態でココノエに自分が何をされているのか今すぐ理解しろと言うのは少し酷かもしれない、ヤエの言ったことが本当であれば彼女は彼らの好みにしつけられるよう何も教わらずに投げ渡されている。
 双子の王のもう片割れが、そんな二人を庇うように、イツエと二人の間に入った。左目で――右目は髪に隠れてどうなっているのか分からなかったが、本当はきっと両方の瞳で――まっすぐイツエを見つめる。
「良ければ、続きは皆で食事でもしながら、にするのは、いかがだろうか。そんな思い詰めた顔をしていては、せっかくの景色も曇って見えよう」
 言われてから、自分たちが回廊にいることを思い出した。空は晴れ、緑が輝き、遠くに湖面の穏やかな波も眺めることができた。
 こんな美しい国で、ココノエはいったい何をしているのだろう。
 ココノエを抱えている方、髪をすべてひとつに結い上げている方が、大きな手でココノエの頭を撫でた。
「少し外出るか」
 彼がココノエの耳元で囁いた途端だった。
 すすり泣く声が聞こえてきた。
 声を上げ、肩を震わせて、ココノエが泣いている。たくましい肩に額を押しつけ、大粒の涙をその肩に注いでいる。
 イツエは胸を撫で下ろした。
 ココノエ自身が言うほど、彼女は孤独を強いられているわけではなさそうだ。ことばにはできなくても、多少は甘えられるのかもしれない。
 そうであってほしい。
 この双子以外に頼れる者がなく、この双子に依存して服従して隷属して、どうにかこうにか心をつないでいるのでなければいい。
「……貴女の妹君であると同時に、私どもの妃でもあるので」
 正面に立つ方が告げる。
「ほどほどにしておいてくれるとありがたい」
 言われてから、急いでその場にひざまずき、「たいへん申し訳ございません」と言って首を垂れた。こんなことでステラクス王との間に禍根を作りたくない。ましてココノエはステラクスから動けないのだ。
 この二人に捨てられたら、ココノエにはもう居場所がない。
 そこだけは、ココノエの認識通りだ。
「しばし、休息を。イツエもお疲れではないかな。……ココノエには、休憩が必要そうだ」
「お気遣い、痛み入ります。仰せのままに、一度下がらせていただきます」
 斜め後ろから「イツエ」と呼ばれた。振り向くとシルヴェーヌが立っていた。彼女の表情もやはり明るくない。イツエも無理に笑顔を作って「お騒がせして申し訳ございません、私は大丈夫です」と応じた。
 ココノエは大丈夫ではないかもしれない。
「「では」」
 イツエとシルヴェーヌを見送ることなく、双子の王たちが踵を返した。その片方にしがみついたまま、ココノエは声を上げ続けていた。嗚咽が止まらない。
 感情があることすら表に出さないのが戦士の美徳だった。
 ここにいるのはもはやただの非力な女だ。
「――ヤギホでは、」
 イツエの唐突なことばを耳にして、双子の足が止まった。
 立ち止まった。
 彼らは話を聞いてくれる。
「ヤギホでは、八という数字は、世界のすべてを表わします。八は全であり世界を丸く治め幸福をもたらす数字です」
 ステラクスは、星の国でもある、と聞いた。
 火の民と呼ばれながらも、その実土の民でもあるヤギホとは、本来はけして共存できぬものではないのだと――空と土の双方が存在してこそ世界は成立するのだと、
「その、八を超えたところにある、九という数字は。世界のすべてを内包する、宇宙(そら)を表わす数字です。広大で強大な、縁起の良い、数字です」
 イツエは、信じよう、と思った。
「どうぞ、ココノエをよろしくお願い申し上げます。ステラクスにとっても、きっと縁起の良い娘です。今はこのような――ですがいつかはきっと、ステラクスに何らかの恵みを。ですから、」
 「いや」とことばを遮られた時には、一瞬胸が冷えたが、
「『いつか』ではなくもうすでに我々にとっては幸いだ」
「貴女が案ずることはない」
 大きく息を吐いた。
「どうぞ――どうぞ、ココノエから話を聞き出すようになさってください。きっと自分からは何も話せないでしょうから、お手を煩わせることになって恐縮ですが」
 大丈夫だ。
「とにかくこの子は話すということ自体が上手くできないのです、できる限り話す練習を――」
「「承知した」」
 しかしそれはどことなく、そんなことはとうに分かっているとでも言いたげで、それでもなお手こずらせているのではないかと思うのも悲しくて、
「私が望むのは――お話ししたいのは、それだけです。これ以上お手間を取らせるわけにはまいりません。おいとま致します」
 シルヴェーヌの「イツエ」と言う声もどこかなじるようだったし、双子も「少し急すぎるのでは」「今宵くらいゆるりと過ごされてはいかがか」と言ったが、どうしたものだろう。イツエとしてはもうアスタリカに帰りたい気分だが、シルヴェーヌへの負担を考えたらここは甘えて一泊くらいすべきか。
 いずれにしても、今回の滞在中に再びココノエと会話する機会はないだろう。

 イツエの予想通り、そのあとココノエが姿を見せることはなかった。夕食にも、明くる朝食にも、ココノエは現れなかった。
 シルヴェーヌは最後まで案じてくれたようだったが、イツエは振り返らなかった。翌日早いうちに馬を借り、シルヴェーヌを乗せて湖の向こう側――新しくアスタリカ領となった半島にある、本土との連絡船が出ている港へ急いだ。
 一刻も早く、あの島に帰りたかった。
 自分にできることは、もう、何もない。





「「『我々にとっては』であってキハにとっては知らないが」」
 泣き疲れてそのまま眠ってしまったココノエの髪を撫でつつ、どちらともなくことばを紡ぎ出す。
「シルヴェーヌのご神託とやらが本物なら、ヤエの奴は今頃俺らに黙って大規模にきな臭ぇことを始めてるはずだ。道理でヤギホから出たがらないわけだ」
「いっそのこと俺らでヤギホに乗り込んじまった方が早い気もする。それでまずトオヤの確保だ。ヤエがトオヤを使って何かする気なら即行取り上げるべきだし、何より、ココが唯一可愛がってた弟だろ? しかも可愛いんだろ、ココに似て」
「「すごい見たい」」
「問題はキハが何と言うかだが――」
「「最悪無断外泊だな」」
 話し合うまでもない。合意であることを確認し合っただけで、双子はココノエを挟んで左右に横たえた。二人ともゆっくり目蓋を下ろしていく。
「トオヤを連れてくれば、ココは喜ぶよな」
「それはそれで何だか悔しいけど、まあ、弟は弟だからな。きょうだいは特別だろ」
 間で眠る花嫁に、手を、添えたまま。
「ああ」
「でも」
「「ココにまだ泣く余力が残っていて良かった」」