「本当は少しほっとしているのです」と微笑んだシルヴェーヌは、全アスタリカ人の頂点に立ちアスタリカという国の象徴として存在している巫女ではなく、ただの若く美しいアスタリカ人女性に見えた。
 奥の壁にもたれ、シルヴェーヌを真ん中に挟んで、右側にティグリムが、左側にリュンクスが、それぞれ座っている。回廊で立ち話をするイツエとココノエを三人揃って眺められる体勢だ。イツエやアスタリカの面々が見ていたら全力で止める構図でもあったが、今はここに三人しかいない。
「実は、私には、兄がいまして――上の兄が、お二方と同じくらいの年で――年頃と言い、穏やかなご気性と言い、私はお二方とお会いしていると、その兄を思い出して安心するのです」
 はにかんで語ったあと、シルヴェーヌは左右を見て「このようなこと、ご無礼でしょうか」と問い掛けた。双子が同時に「いや」と微笑んだ。
「「このように美しく可憐な妹君がいたら、兄上はさぞかし鼻が高いだろうな」」
 シルヴェーヌが「そうでしょうか、そうだといいのですが」と苦笑する。
「もう、長く会えていなくて――」
「巫女としてのしきたりゆえだろうか」
「いえ、けして会ってはいけないというわけではないのです。けれど、私が何も知らずに巫女になってしまって……その上巫女になったばかりの頃にいろんなことがあって――あっ」
 その『いろんなこと』がステラクスにまつわることであることを、後から思い出したのだろう。自分の指で唇を押さえ、次の言葉に悩んでいる様子のシルヴェーヌへ、双子の王が「続けて」と優しく囁いた。
「「怒りなどはしないから、兄だと思って気楽に」」
「あ……ありがとうございます、申し訳ございません……」
 「とにかくいろいろあって」と、シルヴェーヌは少し強引に続けた。
「神の声を聞く他には、何にもできなかったので。アスタリカの歴史や儀礼、島の外の文化、それからステラクス語――とにかく、たくさん勉強しないといけなくて、神殿から出られず……実家の家族と会う予定を組めないんです」
 双子が「どこかで聞いたことのある話だ」と笑った。
「そうだ、私のステラクス語、おかしくないでしょうか? ステラクス語とアスタリカ語は、大まかなところは似ているけれど、細かいところがどうしても……」
「「いや、まったく」」
 実際はアスタリカ訛りが強く、少し話せばすぐアスタリカ人だと分かってしまう話し方をしているが、双子がそれを指摘することはない。シルヴェーヌが安堵の息を吐く。
「イツエに教わったのです」
「「イツエに?」」
「ステラクス語です。ヤギホ人はみんなヤギホ語とステラクス語を話せるのだそうです」
 「ヤギホ人と会うのは、イツエが初めてだったのですが」と語るシルヴェーヌを挟んで、双子が視線を交わし合う。
 一拍置いてのち、片方が「イツエは、ヤギホ人どころか、旧ステラクス帝国臣民としての高い教養を身につけた女性だと思うが」と言った。シルヴェーヌは少し驚いた顔をした。
「ステラクスで暮らしたことがあるのかもしれないな」
「ホカゲ族は子弟をステラクス人に預けることもあるそうだ」
「ヤギホ人が……?」
「「ホカゲ族『は』だ」」
 シルヴェーヌがうつむいた。
「イツエは……、普段は、自分からはヤギホの話をしないのです。聞いたことは何でも教えてくれるのですが……」
 双子が再度視線を交わし合った。そしてそれ以上、イツエに触れることはなかった。
 三人が三人とも、視線を遠く回廊の方へやる。イツエとココノエが見える。声は聞こえたり聞こえなかったりだ。何の話をしているのかは分からない。けれどとにかく表情は険しい。生き別れの姉妹の心温まる再会とはどうも異なるらしい、ということは誰にでも分かる。
「――ステラクス語だけではなくて、ヤギホ語も、教わっておけば良かった」
 シルヴェーヌが呟いた。
「外国語があまり得意ではなくて……でも、巫女なのだから、もっと頑張らないと……イツエはヤギホのことをあまり話したがらないけれど、この先、ヤギホとアスタリカのやり取りは続くと――続けなければならないと、思いますし」
 双子が「そこまで気負うことはない」と、甘く慰めることを言う。
「お二方は、ヤギホ語は?」
「今ならば多少使えるが」
 そこで二人が同時に唇の前で人差し指を立てた。
「「ここだけの話」」
「我々が最初に覚えたヤギホ語のことばは、『ぶっ殺す』とか」
「『叩き斬ってやる』やら『ぶちのめせ』やら、」
「「とにかく平生に使うことばではないので」」
「使えるヤギホ語を覚えるには、かなりの時を要した」
 シルヴェーヌが花開くように無邪気な笑顔を見せて笑った。
「ヤギホ語は、ステラクス語とアスタリカ語のように似ている部分はまるでないことばだ」
「ゆえに、貴女もさほどお気に病まれぬよう」
 花開くように無邪気な笑顔を見て、王らも穏やかな笑みを浮かべた。
「今日、お二方とお話しできて、良かったです」
「「こちらこそ」」
「あまりに急だったので、お時間をいただけないのではないかと、イツエと心配していたのですが――まさかお二方ともいらしてくださるなんて、思いもよらず……。貴重なお時間を、本当にありがとうございます」
「アスタリカは我々にとってもっとも大切な友人だ。そのすべてを統べる巫女姫がお求めとあらばあらゆる雑務より優先するのは当然」
「ましてヤギホ人の、それもホカゲ族の女性がご一緒ともなればなおさらだ。こちらこそ、丁重にお出迎えすべきだとも考えていたほど」
 次の時双子が揃って「キハは気にしたら負け」と呟いたのは、シルヴェーヌには聞き取れなかった。
「いつでも歓迎しよう――と、申し上げたいところだが」
 シルヴェーヌが顔を上げる。
「このたびは、ヤギホノミヤマ王国からこちらまで直接お越しくださった、とお聞きした」
「通過地点と言えば通過地点ゆえ、いくらでもお寄りいただいて構わないのだが」
「あの国を出てすぐ、できる限り早く会いたい、という文を拝受したので。少し気にかかった。何か、」
「「あの国で特別なことでも?」」
 シルヴェーヌが、またうつむいた。
「最初は、ヤエ女王から、妹さんがステラクスに嫁いだと聞いて、イツエがステラクスに会いに行きたい、と言い出したのです。イツエは普段あまり自分からあれをしたいですとかこれをしたいですとか言わないひとなので、何とか叶えてあげたい――と思ったのです、けれど……」
「「けれど?」」
「――夢を、見ました」
「「夢?」」
 声を揃えて問うた双子に、シルヴェーヌが頷きをもって答える。その瞳は斜め下を見ていて、双子のうちのいずれも見ることはない。
「あの国を出る、直前の夜のことでした。私の夢に、神が、『そのひと』を、連れてきたもうたのです」
 「恐ろしい夢でした」と、服の腿を握る。
「神の御声が、まったく聞こえませんでした。神の御意思であることは分かるのに、『そこ』には、私と、『そのひと』の、二人きりでした」
 アスタリカの神に選ばれた唯一にして至高の存在は、なおも変わらず鈴を振るような声音で、しかし感情のない瞳で、その存在が確かに神の寵愛を受けていることを証明する。
「静寂、でした。神も『そのひと』も、何も話さないのです。けれど私は、『そのひと』の瞳を見ているうちに、神の仰せにならんとしているところを、理解させられました」
 いずれが促したのかは分からない。ただ、静かに抑えた声で、王が「何を」と尋ねた。
 シルヴェーヌの、薄桃色の唇が、その可憐さに似つかわしくないことばを続けた。
「『そのひと』の死をもってヤギホの呪いが完成する」
 一拍の間を置いて、やはりいずれかが尋ねた。
「呪い、とは」
「私に――アスタリカに関係のあることではありません。おそらく、貴方方に――ステラクスにも、直接害を及ぼすものではないはずです。多少の影響はあるかもしれないですが、ステラクスが昨年のような恐ろしい目に遭うことはない」
 声音は冷めていたが、服を握る手は力が込められて白い。
「ただ、ヤギホが、完成する。私たちの誰も望んでいない形で、ヤギホが、完成するのです。『そのひと』の死と同時に」
 「ヤギホが完成してしまう」と、彼女は繰り返した。
「イツエが――イツエが、とても傷つく形で。イツエがきっととても悲しむ形で、ヤギホが完成する。その前に早く妹さんに会わせないと、と思って。この世からヤギホ語が消えてしまう前に、ヤギホ語で話を」
「『この世からヤギホ語が消える』?」
 それ以上ことばを差し挟まなかったのは、巫女だけが与えられた情報を第三者の手で掘り返すことがアスタリカにおいていかなる意味をもっているのかを知っているがゆえのことだろう。
 シルヴェーヌは、そのことばには答えず、服をつかんでいた手を離して、一度両手で両目を覆った。
「これ以上イツエが傷つくのを見たくないのに」
 すぐさま「申し訳ありません」と続ける。
「私の、そんな、わがままでした。――王らやステラクスの他の皆様にも、とてもご迷惑を」
「「いや」」
 そんなシルヴェーヌの告白に、双子が答える。
「我が国にはまだ大勢のヤギホ人が住んでいる」
「そして我が妃も」
「もしヤギホに貴女が言うような災いがもたらされ全ヤギホ人が損害を被るのならば」
「「我々はヤギホ人をも守らなければならない」」
 目で見て分かるほど確かに、シルヴェーヌの肩から力が抜けていく。
「ココノエさんにとってもきっとつらいことです。ヤギホが完成すれば、ココノエさんはひとりになるでしょう。そうなる前に、イツエとココノエさんの間にもっと強いつながりが必要だと思った」
 双子のうちの片方が、「ココノエがひとりになるというのはないと思うが」と言った。珍しく呟くような小さい声だったが、シルヴェーヌは聞き取って「そういう意味ではないのです」と断言した。こちらもまた珍しく、力強い声だった。
「ヤギホ人として。ヤギホから切り離される」
「……ほう」
「イツエもです。イツエとヤギホは切り離されます。そうなる前に唯一の肉親とヤギホの外でつながる必要があると私は思ったのです」
 双子の声が「ちなみに」と重なった。
「『そのひと』というのは?」
「どんなひとだった?」
 もしシルヴェーヌが冷静だったら、双子のことばが本物の兄のように優しいことに――しかし何かを秘めてわざと優しく整えられたことばであることに、気づけたかもしれない。
「とても美しい方でした」
 シルヴェーヌは堰を切ったように、一気に説明した。
「夜の闇を溶かし込んだような黒髪に、同じ色の瞳の、とても美しいひと。まだ若い――もしかしたら私より年下かも――でも私はついこの間までアスタリカから出たことがなくて、イツエ以外のヤギホ人を知らないから、想像がつかないんです、年上か年下か、それどころか、男性か女性かさえ――ヤギホの着物もイツエが着ていたものしか見たことがないから――こんな時に限ってどうして私はこんなに役に立たないの……!」
「「落ち着いて」」
 左右から手が伸び、華奢な背をさする。いつの間にかまた体を強張らせていたシルヴェーヌが、説明の途中に「ごめんなさい」と差し挟む。
「長い黒髪を太い一本の三つ編みに束ねていました。あと、着物――黒い着物に、赤い、三角を組み合わせたような図形がたくさん――ヤギホではよくある組み合わせなのでしょうか、イツエも確か同じ模様の襟の――」
 双子が「いや」と否定する。その表情はけして明るくない。
「『火の波』だな」
「確かにヤギホではよく使う紋章だが」
「着物にも使うのは」
「「ホカゲ族のみだ」」
 「やはりそうなんですね」と、うわ言のように呟く。
「最初はヤエ女王に似ていると思ったんです。でも私にはヤギホの方々の顔の区別がつかないから、イツエよりはヤエ女王に似ていると感じただけかと思っていました。でも、」
「「ココノエにはもっと似ている」」
 声音を震わせながらも、シルヴェーヌは断言した。
「はい」
「「トオヤだ」」
 うつむいたシルヴェーヌの頭の上で、双子が視線を交わす。
「「『トオヤの死をもって呪いが完成する』?」」
 シルヴェーヌの「お知り合いですか」という問い掛けに、双子は「直接会ったことはないが」と答えた。
「女王ヤエと我が妃の姉妹には、母も同じくする弟がひとりだけいる。伝え聞くところによれば、ホカゲ族でも並ぶ者のない美少年だそうだ」
「名だけは成人した時にトオヤという男性名に改めたそうだが、我が妃が申すには、三人の中ではもっとも雅やかで、一目でトオヤが男だと察する者はなかったと」
「きっとその方です、名乗るどころか一言も話してくれませんでしたが、その方に違いないと――」
 空気を切り裂く悲鳴が響いた。
 三人とも弾かれたように顔を上げ、立ち上がり、駆け出した。





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最終更新:2015年08月04日 01:35