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「お初にお目にかかります。私はかつてヤギホ民族が一部族ホカゲの娘だった者であり、今はアスタリカ神国にて巫女姫の護衛をしております者。ただ『イツエ』とお呼びいただければ幸いにございます。神々の恩寵豊かなるステラクスの新王へのお目通りが叶いましたこと、至極恐悦に存じます」
 ステラクスの双子王が謁見の間に姿を見せたのは、シルヴェーヌとイツエがこの部屋に通されて間もなくのことだった。
 早馬を飛ばしたとは言え、ヤギホノミヤマ王国を出立したのはほんの数日前のことである。実のところを言えば、彼らが自分たちのために時間を割いてくれるとは、まったく思っていなかった。
 それが、定刻に二人揃って現れた。
 何時間待たされるのかと――待たされること自体にはさほどの抵抗もなかったが、それなりの覚悟はしていたので、正直面食らった。
 両方とも登場するというのも、イツエにとっては想定外だった。いずれか片方でまったく構わなかった。突然の来客のために揃って政務を中断して、支障はないのだろうか。こちらが気を使って早急に切り上げるべきか。
 戸惑いながらも、イツエはすぐさまひざまずき、何とか口上を述べた。声を出して挨拶するうちに平常心が戻って、思考の整理が始まる。
 冷静に分析する。
 そもそも、自分の方が『ステラクスの施政者』に偏見をもっていたのかもしれない。元はヤギホ人である自分は、蔑ろにされ後回しになるであろうと――アスタリカの巫女の供として参上したから宮中に入る許可を得られたのであり、本来は面会の約束を取り付けることすら困難なのだと、思い込んでいたのかもしれない。
 とは言え、今のステラクスにとっては、アスタリカが最大の支援国なのは事実だ。その象徴たる巫女が会いたいと言っているのに、そうそう簡単には無視できまい。その供が何人だろうが、彼らは外交上誠実に振る舞わねばならないのだ。したがって、シルヴェーヌの下にいる限り、自分が警戒する必要もない。
 シルヴェーヌを利用してしまったような気がして、イツエは少し悲しい気持ちになった。彼女の権威を笠に着て、ステラクスまでやって来た。非力な乙女であるシルヴェーヌを、長い旅路に付き合わせて、自分の用事を済まそうとしている。
 一方シルヴェーヌは、イツエの隣で、それぞれの手で自らの衣装の裾を少しずつ摘まみ、軽く会釈をしていた。
「ご機嫌よう、お久しぶりでございます」
 シルヴェーヌが顔を上げたのを見計らったのだろう、絶妙な間で、二人がそれぞれシルヴェーヌの右手と左手を取り、ほとんど同時に手の甲へ口付けた。声を揃えて「今日も一段とお美しい、シルヴェーヌ姫」と囁く。
 その瞬間、イツエは、内心で、何だこいつら気安くシーラ姫に触れやがって、と発憤しかけたが、抑えた。そういう蛮性はすべてヤギホに捨ててきたはずだ、貴公子と貴婦人の文化に慣れねば、ここで怒り狂ったら自分はまたただのヤギホ女に逆戻りだ――自分に言い聞かせる。
 頬を紅潮させて沈黙したシルヴェーヌの横顔を見つめて、イツエは無意識のうちに溜め息をついてしまった。
 その溜め息を拾ったかのように、双子の王たちがこちらの方を向いた。イツエは視線に気づいて、急いで背筋を伸ばした。
「「ようこそステラクスへ」」
「堅苦しい挨拶などせずとも、ごゆるりとお寛ぎいただきたい」
「お会いできて嬉しいのは、我々の方なのだから」
「時間の都合で不手際も生ずるかと思うが、できる限りもてなさせていただこう」
「私はティグリム」
「私はリュンクス」
「「以後お見知り置きを、イツエ」」
 二人ともが、微笑んだ。
 イツエは、己れに落胆した。
 だめだ。もはや、戦がどうとか身分がどうとかではなく、ステラクスの気取った美丈夫がただただ憎たらしいのだ――というのが、体内のヤギホの血に刻まれているに違いない。
 だいたい、どちらが何という名前でどちらが何という名前なのかよく分からなかった。と言うか、そこは区別する必要があるのだろうか。それ以前に、そう考えるのも失礼なのだろうか。理解不能だ。
 ひきつる頬が二人に見つからないよう、祈るしかなかった。
 それでも、双子がシルヴェーヌにしたのと同じようにイツエの手を取らなかったことは、イツエにとって多少の評価点になった。ヤギホ人は必要以上の身体的接触を嫌う。その程度のヤギホ文化に関する知識はあるらしい。
「否、『イツエ姫』とお呼びすべきか」
「それは不要にございます、王よ。私は一介の護衛官に過ぎません。ただ、『イツエ』と」
 イツエの主張に対して、王たちが反論する。
「しかし、ホカゲ族の姫君であることには変わりない」
「正式な名には、やはり、『ヒメ』とついているのでは?」
 首を横に振った。
「そもそものところを申しますと。ステラクス語で『正式な名前』と訳されているそれは、名前というより、一種の呪文にございます。儀式の時に式典を取り仕切る者が神とその者を結びつけるために使うまじないのことばです。普段は親兄弟すら呼ぶことはございません。私にとっては『イツエ』こそが名前として正しいものなのです」
 自分が説明しなければ、きっと、誰も、異人に説明しないのだ。
「儀式以外の場でその呪文を唱えられると、我々は呪縛を受けたように感じます。言霊で呪術をかけられ、自由を奪われた、と」
 「なるほど」と、双子が頷く。
「名乗りたがらないのにも、名乗りたがらない理由を語ろうとしないのにも、得心がいった」
「ステラクス領内には今なお大勢のヤギホ人が在留している。彼らと話す時、彼らの正しい名をお呼びするのはひとつの礼儀かと思っていたが」
「同胞がたいへんなご無礼を。ヤギホ人は自らの魂を束縛されかねないと思うならわしについてはけして口に出さないのです。誤解を招くことも多々ございましょう」
「「貴女が謝ることではない」」
「ことばを重んじる気持ちや名前を特別視するがゆえのならわしはステラクスにもあるもの」
「親近感が湧きこそすれ、その程度のことでどうということはない」
「「礼を言おう」」
 双子の王たちが微笑んだ。
「――お二人を信頼して、申し上げましょう」
 本音を言えば、彼らの笑顔をどこまで信頼すべきか、イツエには図りかねた。だが、ここで自分が拒んでも、各方面に不利益を被らせるだけだ。
「私に与えられた真名は『五重碕朗女(いつえみさきいらつめ)』。古い時代にヤギホで話されていた言語で、五重に連なる防壁の断崖を意味することばに、明るく振る舞う娘を意味する、ヤギホでは一般的な女性を示すことばを足したものです」
 「どうかお心に留める程度にしていただき、お使いになられませぬよう」と深く頭を下げた。
「貴方様方が私をそう呼ぶ時、私は自らがステラクスに屈服させられたと感じることでしょう。傲岸不遜ながら、私はそれを我が主以外の方に使われることを望みません。ご了承願います」
 二人の声が「もちろん」と重なった。
「――ですが、『あれ』の真名は」
 無礼を承知の上で、視線を滑らせる。
 さすがと言うべきか。『あれ』はこの道の玄人だ。『あれ』がいつからそこにいたのか、イツエには分からない。けれど、イツエとてかつてはヤギホの戦士だった者だ。最後まで気づかずに過ごすはずもない。今は、確かにそこに、『あれ』が、いる。
 大理石の柱の向こう側に目をやった。
 回廊の外、金細工の施された屋根の下に、小さな素足が二つ、音もなく揺れていた。
「お好きな時にお好きな場所でお好きなように呼ぶべきです。『あれ』を、『ココノエタキカヒメ』と。『あれ』に自らを貴方様方のものであると分からせるためには、そういう手段もございます」
 シルヴェーヌが「あ」と声を漏らした。シルヴェーヌは、イツエが振り向くまで、その存在にもまったく気づいていなかったらしい。
 双子は何も言わない、ほとんど無反応だったと言ってもいい。彼らの立ち位置からは見えていたのか、『あれ』の――ココノエのそういう行動にもう慣れたのか、そもそも双子が最初からそういう性格だったのか。
「「ココ」」
 双子が呼ぶと同時に、屋根の上から小さな影が飛び降りた。体躯の倍近くある屋根からの高さをものともせず、音もなく地面に降り立った。二本の足でまっすぐ立って背を伸ばす。
 そしてこちらを見据える。
 獣の目だ。
 本物のヤギホの戦士、戦士として生まれ戦士として生きる者の目だ。
 イツエは息を呑んだ。
 本物のヤギホの戦士は、まだ、健在だったのだ。
 しかしそうであるからこそ、いけない。一刻も早くどうにかしなければならない。
「ココノエ」
 『それ』は――ココノエは、夜の闇を溶かし込んだような黒く大きな瞳で、イツエを睨んでいた。
『何をしに来た、この裏切り者めが』
 若い娘の高い声だというのに、どこか固く鋭い。
『わたしを笑いに来たのか』
 懐かしいヤギホ語の音も今はひとつの凶器になる。
 否――考えを改める。
 もはや、これが、今のココノエが持つ唯一の武器なのだ。
 戦うことしか学んでこなかった者の末路だ。
 イツエは、再度シルヴェーヌと双子の王たちを振り向き、笑顔を作って告げた。
「少しだけ、二人きりで話す時間をいただけませんか。二人きりで、ヤギホ語で」
 シルヴェーヌはすぐさま「いくらでも」と答えた。その笑顔がなぜか泣きそうに見えた。心配させているのだろうか。自分は彼女にそんな顔をさせないために存在しているのに――しかし、そう思うならばなおのこと早く済ませた方がいい。
 双子はすぐには頷かなかった。どちらが喋っているのかもはやイツエには区別がつかないが、とにかくいずれかに「どうしても『二人きり』が良いと?」と問われた。イツエはただ深く首を垂れるしかなかった。
「すぐそこでの立ち話で結構です。そう長話をするつもりもございません。お二方と姫には、こちらでお待ちいただければと思います」
 そして、回廊で腕組みをして待つココノエを横目で見る。
「――あの子にとっても。聞かれていると思えば、恥じて口を閉ざすようなこともあるかもしれませんので……」
 双子が一瞬だけ視線を交わした。一瞬のことであり、イツエにはその真意を推し測ることもできなかったが、
「「では我々はしばしここでお待ちしよう」」
 許可が出た。イツエは胸を撫で下ろした。
 途端二人が口を揃えて「シルヴェーヌ姫とゆっくりお話しする機会もなかなかいただけないことだし」と言ったのと、シルヴェーヌの方も「私もお二人とお話しできて嬉しいです」と答えたのにもまた腹立たしさを感じたが、今はそんなことを言っている場合ではない。
 早くこの猛獣に人間として生きるよう諭さなければならない。