ラ・マルセイエーズ


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ラ・マルセイエーズ(La Marseillaise)

世界大百科事典、金沢誠の記述

フランスの国歌。作者はルージェ・ド・リールClaude Joseph Rouget de Lisle(1760~1836)という1士官。彼はロンス・ル・ソーニエに弁護士の子として生まれ、青年時代から詩と作曲に興味をもった。古典を学んでから、軍隊に入り、1789年フランス革命が起こったころは大尉であった。92年4月、フランスの対オーストリア宜戦が布告された知らせをストラスブールできくと、祖国への情熱を一身に感じ、市長ディートリヒの懇請をいれ、1夜で国民歌の歌詞とメロディーをつくりあげた。その大意は、「たて祖国の若者たち、栄光の日は来た。暴虐の血まみれの軍旗がやってくる。きこえるだろう、いたるところに、残忍な兵隊の牛のようなうなり声が、やつらはわれわれの女子どもまで殺しにくる。武器をとれ、市民たち、そして編成だ。さあ進軍だ。やつらのけがれた血を畑にぶちこもう」。歌はライン河畔の戦闘に加わる祖国の勇士の心をうたったもので、歌うというよりは叫びに近い。が、明るい旋律が歌詞の乱暴さをすくって、まもなく各地でうたわれるようになった。とくに初期の戦闘でフランスが敗北し、国家の危急が伝えられると、各地から義勇軍がパリをさして参集した。これら青年たちはドイツ諸侯の革命弾圧に抗して、祖国と革命政府と国民議会を守ろうとする決意を固めていた。その時マルセーユからきた一団がこの歌を高らかに合唱してパリに入ったので、「ラ・マルセイエーズ」(マルセーユ軍団の歌という意味)と呼ばれるようになった。しかし正式にそれが国歌として採用されたのは、1875年第三共和政が安定してからである。なお、作者ルージェ・ド・リールは革命戦争の間ずっと戦場で活躍し、ナポレオン時代にも幾つかの作曲を残したが、この歌以外は一つも認められていない。