藍(あい)

世界大百科事典、大井次三郎・楫西光速・加藤信八郎の記述

(Polygonum tinctorium)

青色の染料を得るために古来栽培されたタデの一種。無毛の一年草で茎は高さ70cm内外、よく分枝し赤紫をおびる。葉は狭卵形で短い柄があり、基部には筒形で長い緑毛のある托葉がある。花は小形紅色で5個の花被片からなり、夏季に茎頂付近に穂状に集まって咲く。葉に青色の色素インジゴを含む。中国あるいはインドシナの原産で、いろいろの品種があるが、春種をまき、7、8月ころ開花前に刈り取って刻み、アイ玉の原料とする。ヤマアイもインジゴを含むので、日本はいっそう古く青色染料として用いられた。その他インジゴをとる植物にはキアイ、タイセイ(大青)、セイヨウタイセイなどがある(大井)。

アイ(タデアイ)は、天然染料の原料として、江戸時代に阿波・摂津を中心としてさかんに栽培された。とくに阿波のアイ作は藩主の奨励をうけて発達し、1800年ころにはアイ玉の産額15万~20万俵におよび、数量ならびに品質において、独占的地位を確立した。そのほか、筑後・備前・伊予・薩摩・長門などにもアイ作がおこなわれた。明治以後全国的なアイ作面積は、1878年(明治11)の26,139町歩(1町歩=0.991ha)から1897年(明治30)の50,712町歩にまで漸増したが、すでに明治初年からおこなわれた輸入アイの圧迫をこうむって、以後ようやく漸減し、とくに1904年(明治37)以降ドイツからの人造アイの輸入が急増するにおよんで、顕著に減退していった(楫西)。

天然染料の一つ。最も古くから世界中で大量に用いられた植物系染料。アイを含む植物の葉に含まれる配糖体インジカンが、酵素で加水分解されてインドキシルとなり、これが空気中で酸化縮合して青色のインジゴ(インジゴチン)となる。アイ(タデアイ)の葉を積み重ねて発酵させ、うすでつき固めた青黒い塊はアイ玉とよばれ、数%のインジゴを含んでいる。昔はこれを再び発酵還元して建浴としたが、のち石灰・亜鉛建てに変わり、さらに現在のアルカリ・ハイドロ建てになって染色は容易になった。アイの色素成分であるインジゴの合成は19世紀初めから競って研究されたが、ついに1880年バイヤーA.von Baeyerが初めて成功した。その後多くの改良法が生まれ、1897年ドイツで人造アイが工業的に製造されるにおよんで、ついに天然アイは人造品に駆逐された。インジゴは水、酸、アルカリに溶けないが、カ性ソーダとハイドロサルファイトを作用させると黄色に溶け、もめん、人絹、麻、羊毛などに染まり、空気中で酸化すれば元のインジゴにかえって紺色になる。羊毛染色は日光に弱いが、もめん染色はあまり強くない。インジゴには多くの誘導染料や類似染料があって、これらを一括してインジゴイド染料という。アントラキノン系のインダンスレン染料と並んで建染染料の代表的なものであるが、色調は青、紫、赤のものが多い(加藤)。→インジゴ


グランド現代百科事典、花田毅一・矢部章彦の記述

1.藍色の染料を得るために栽培される植物。わが国ではタデ科のタデアイをさし、世界的にはマメ科Indigofera属の数種の植物を含める。2.前記の植物から得られる天然染料。インジゴ。3.藍色。インジゴ。→藍色☆タデアイPolygonum tinctoriumは一年草で、高さ60~80cm。Indigofera属のうち特に重要なインドアイ(キアイ)は高さ1.2~1.8mの草本。どちらも、葉の中にインジカン(インドキシル配糖体)を含み、これが加水分解後、酸化されると、藍色の色素インジゴに変わる。染料の藍をとるには、開花期の葉を採取して、温水でインジカンを抽出して放置すると、オレンジ色のインドキシルが生成する。これに空気を吹き込んで酸化させると、青色の染料藍が沈殿生成する。染色するときは、この染料を水溶性にするため、還元する必要がある(→藍染め)。15世紀にヨーロッパから東洋への航路が開かれて、インドのアイがヨーロッパに伝えられ、インド、セイロン島、中南米などで盛んに栽培されるようになった。しかし、19世紀末にはインジゴの人工的な合成に成功し、世界的に栽培が漸減した。わが国では、古くから特産地として知られる徳島県で、保存事業として10haほど栽培されているにすぎない。


大日本百科事典、本田正次・後藤捷一・東堯の記述、「アイ」が項目名

(Indigo/Persicaria tinctoria(Aiton)Gross)

タデ科の一年生栽培植物で、葉から染料をとる。原産地は中国南部またはインドシナ半島とされ、日本へ伝来や起源は明らかでないが、相当古く(飛鳥・奈良時代)から利用され、染織に革命をもたらしたものとみられる。藍染めの原料植物としてはこのほか、タイセイ(アブラナ科)・リュウキュウアイ(キツネノマゴ科)・インドアイ(マメ科)などいろいろあるが、タデ科のアイがもっとも代表的である。他の種類と区別するためにタデ科のアイのことをタデアイと称することもあるが、ふつうアイといえばタデ科のものに限られていると解してよい。形態は一般タデ類に似ており、路傍の雑草のイヌダテ、俗にいうアカマンマを大きくしたようなものと思えばよい。高さは60cm前後、葉は短い柄で互生し、楕円形・卵形その他いろいろあり、概してイヌダテより大きくて広い。ただし、イヌダテの葉と違うところは、傷つけると藍色に変わることで、これが藍色の染料植物として用いられるゆえんである。夏季、茎の先端や葉の付け根から長い柄がでて、紅色または白色の小さい花が穂状に咲く。花弁のない、五萼片の花であることも一般のタデ科の花と変わらない。花がすむと長さ1mmぐらいで黒褐色をした三稜形の果実ができる。栽培量であるから品種が多い。藍染めになる主成分は葉に含まれている配糖体のインジカンで、これがインジゴに変化する。新鮮な葉の汁は毒虫に刺されたときや腫物に貼用し、果実は漢方で解熱・解毒に応用する。また、第二次世界大戦中、栽培実績を保持するため、芽ものとして日本料理のつまに利用する品種を栽培、穎割(発芽したばかりのふた葉)や芽を用いたが、辛味がなく、タデより劣った。藍の産地として古くから播磨国(兵庫県)が知られるが、これは歌枕として有名で、実際には山城国(京都府)や摂津国(大阪府)が盛んであった。主産地が阿波国(徳島県)となったのは江戸時代で、蜂須賀家政はじめ代々の国主が栽培した製藍を大いに奨励したことによる。二月初旬に苗床に微粒の種子をまき、約一ヶ月半後、苗が20cm前後に成長してから前作麦の畝と畝の間に定植する。七月上・中旬、藍畑に一つ二つ出穂したころ葉を収穫する。花は九月中旬から十月上旬にかけて、開きはじめる。現在栽培されているのは「小上粉」とよばれる品種で、赤花種と白花種があり、品質は白花種がすぐれている。1903年(明治36)の栽培面積は1万5000haであったが、化学染料の発達とともにしだいに斜陽化し、今では数十haにすぎない状態で、昔をしのびながら、アイが徳島県の郷土の花となっている(本田)。→

染料の名。単に藍という場合は、タデアイとその製品をさし、インジゴを合成したものを人造藍とよんでいたが、現在ではこれが逆になり、藍といえば人造藍をいい、植物藍には天然の字を冠してよぶようになった。天然藍は、タデアイを出穂前に刈り取ってきざみ、筵に広げて乾燥し、茎を除く。これを葉藍とよび、この葉藍をつくる作業を藍粉成(あいこなし)という。種まき、栽培管理後の収穫、藍粉成までが農家の仕事で、とくに、収穫したうちに藍切作業をおこない、翌朝から藍粉成となり、日没までに葉藍として俵につめるため、一家総出しても間に合わなくなる。農家は葉藍をあいい師(藍製造人)か仲買人に売る。インジゴは植物中では配糖体インジカンの形で存在しており、そのままでは染料とならないので、製藍の必要がある。藍は「寝床」内で葉藍に施水・掘返し・篩通しなどの搜査を繰り返し、約75日たつと発酵が完了してできたものが蒅(すくも)で、この段階で完全な染料となっている。この蒅をさらに藍臼でつき固めたのが藍玉で、藍玉は蒅に比して運搬に便利なうえ、藍建(藍染め用の藍液をつくること)の場合、蒅よりも短時間で建つ長所がある。☆藍染め…インジゴは水に不溶解性であるので、染色のためには、水溶液を必要とする。この溶かすことを「建てる」といい、現在は薬品による簡易な建て方もあるが、古来おこなわれた方法は、発酵建とよぶ方法で、長年の習練・体験・眼識・勘などを必要とする伝統的作業であった。古代では、中国・インド・イエメンなどでおこなわれていた方法(これらの国ではタイセイやインドアイなどを使う)、すなわち、甕または桶のなかにあいいと灰汁と水を入れ、自然発酵させたので、日本の気温では夏季以外藍染めはできなかった。その後需要の増加によって15世紀以後、保温設備をして染色期間を広げ、17世紀にはいってさらに加温設備を考案して年中染色できるようにして現在までつづいている。建て方においても、発酵剤の添加が考えだされ、地方によっては一定はしないが、小麦粕・うどん粉・甘藷粉・糖蜜・黒糖・水飴などが使われる。藍甕は、普通容量一石五斗(約270リットル)内外のもの4個を一組として、中央に火壺を設け、甕には、蒅・藍玉のどちらかと水を入れ、これに石灰・灰汁・発酵剤を添加する。夏以外は火壺で、綿の実粕・鋸屑・籾殻などをくすべて藍液を40~50度に保ち、ときどき攪拌する。その液が黄緑色、表面が銅赤色となって藍の華が浮くようになると、藍が建ったことになる。今日では、天然藍で染色する人は無形文化財保持者(宮城県の千葉あやの)以外になく、一般には合成藍を主体とし、これにわずかの天然藍を混和する割建という方法によるが、これさえも減少し、コンクリートバット中で合成藍をハイドロサルファイトで還元して用い、染色操作も手工から機械化されつつある(後藤)。→インジゴ

色名の藍は、植物のアイで染めた色相からきた慣用色名の一つ。インジゴともいう。青紫の色あいをもちマンセル表色系ではだいたい2PB3/15ぐらいに相当するが、ふつう、これを中心にしたかなり広い範囲の色も藍色とよんでいる。わが国でも古代から使われてきた色で、化学染料が導入されるまえはアイからとった植物性染料や藍銅鉱を粉砕した鉱物性の顔料が布地の染色や絵の具に用いられた。これと似た色に紺青色・群青色またはコバルト=ブルー・ロイヤル=ブルー・ネービー=ブルーなどがある。感覚的には寒色系に属するが、静かに落ち着いたなかにも一種のはなやかさがある(東)。


世界文化大百科事典、小清水義隆・小川安朗の記述

双子葉植物・タデ科の一年生草本。タデアイともいう。最も古く中国から輸入された染料植物。茎は紅紫色で、高さ50~60cm。葉は長楕円形で先はややとがり、長さ7~9cm。乾燥すると黒っぽい藍色となる。飽きの初め、茎の先から出た枝にたくさんの紅色の小花を穂状につける。全草にインジカン(加水分解を受けてインドキシルとなり、さらに酸化されるとインジゴ隣る)を含む。果実は黒かっ色2mmほどで、漢方では解熱薬として用いられる(小清水)。

天然染料の植物染料の一種。藍を含む植物はマメ科・コマツナギ属のインドアイ、アブラナ科のセイヨウタイセイ、タデ科のタデアイ、キツネノマゴ科のリュウキュウアイなどである。藍をつくるにはこれらの植物の葉を発酵させて遊離青藍とする。日本では古くからタデアイ・ヤマアイが利用され、藍の生産では阿波(徳島県)が著名であった。藍は石灰とふすまを用い暖めて還元して染色し、空気中で酸化発色する方法で紺色を染め、淡色では浅葱・花色・納戸などの色が染められた・かすり・し・小紋・中形・無地などの藍染め物が広く普及した。しかし、人造染料のインジゴが発明されてからは天然藍の需要もしだいに減り、現在ではきわめて少ない(小川)。→藍色

最終更新:2014年05月26日 20:43