番長GSS2



SS

『復讐のためのドラゴンテイルズ』#1

#1 オムライスと調味料


「…………いい」

目の前の美人は、あたしを見るなりそう言った。

「何が」
「分量よ」
「は?」
「分量がすごくいい」

何言ってんだかサッパリわかんねえ。
高等部2年の先輩、四万十川アリス。ツンとした印象の美人だったんで
クール系かと勝手に思ってたけど、こうしてファミレスでテーブルを挟んで向かい合うと、
こちらをじっと見る涼しげな瞳が楽しげに揺れているのがわかる。

彼女は目の前のポークソテーに若干の七味をふりかけながら、楽しげに話し出した。

「羽も大きすぎないし、角も短い。あくまで貴女の身体の主役ではなく、脇役だわ。
 アクセサリーと言っても通るくらい。ちょっとしたアクセント……
 この分量が私は好きなの。まさに、ヒトにドラゴンを『ちょい足し』したのが
 貴女というわけなのね。素材を消さない一工夫……私はそういう料理が好き」

「つまり、あたしを食う気なのか」
「食べないわ」

何だよこの会話! あたしは舌打ちしようとして、でも牙に舌が当たりそうになって引っ込めた。
いったい何のためにこんな会合やってんだ? 横のセンセーを見る。

内人センセーはあたしを妃芽薗に迎えた情報科の教師だ。まだ新米とか言ってたけど。
中学生のあたしよりも更にチンチクリンな容姿で、態度だけは尊大なのがちょっとムカツク。
センセーは座席にふんぞり返ったまま口を開いた。

「成程……つまり。とにかく、この子に協力してやってくれるのだな」
「そうね。イエスよ」

アリス先輩は首肯する。

「この子には特徴が沢山ある。さしずめ幕の内弁当ね。私の力で『足せる』要素が多いと思うわ」
「はあ? ちょ、ちょっと待ってよ。センセー、いつのまにそんな話進めてんだ!?」

まったく聞いてねえ。あたしはセンセーに問いただす。あたしの特徴? 足す? 何だそれ。
大体あたしはなあ、自分の身体的特徴を褒められたって何にも嬉しくねェんだよ!
しかしセンセーは悪びれもせず、

「しかしだな、ステラ君。私の元で強化したとはいえ、今の君の肉の強さじゃあ、
 ペイント弾以上のものは撃てないぞ。これ以上の改造にも耐えられないだろう。
 私はハードウェアは専門外だが……ウチの助手もそう言っていた筈だ」

助手とやらの言葉が思い出される。そのポンコツじみた鉄塊はあたしの全身をベタベタ触りながら
好き勝手に計測し……最後に機械音声でこう言ったのだ。

『遺伝筋肉量、限界まであと5%、身長期待値、+3cm。バスト見込み最大値、B-。
 成長の望みは薄いデスね』
「ンだとこのポンコツ! あと胸はどうでもいいだろ胸は! 計れって言われてねーだろ!?」
『私に感情はアリマセン』

――どこまで信頼していいもんか怪しい。

「だからって……あたしは身体なんか強くしたくねーんだよ! なんとかそれ以外の方法で……
 じゃないと意味が」
「無理にとは言わんさ。君が目的よりも、過程を重視したいと言うのならな。
 私だって肉に頼れなどとは言いたくないが……物理的に戦うのなら現行、肉は無視できん」

うう。勿論、あたしにだってそのくらいわかる。強くなる必要だってある。
でも、どうしても拒否反応が出るんだ。肉体の強さ、そんなモノを振りかざす連中のせいで、あたしは――

「それとな、ステラ君」
「ンだよ」
「そう悪い話ばかりでもない。アリス君の力を借りるとな、」



「オムライスが、より美味くなる」



「は?」
「勿論よ。はっきり言ってそこは自信があるわ」

アリス先輩は今日イチのドヤ顔で言い切った。両手には色とりどりのラベルが貼られた小瓶を持っている。
あたしの目の前には、さっき店員が持ってきたばかりのオムライス。
な、何をする気だ。ウソだ、身体が強くなって、しかもオムライスまで美味くなるなんて。
そんな話が……

先輩は勝手にオムライスに、何やら細工をした。あたしはおそるおそる、スプーンで一口目を運んだ。
口に入れた瞬間。自分の羽がピンと張ったのを感じた。尻尾の先まで快感が走り抜ける。
あたしは思わず口にしていた。

「うんめェえええええええええ」



それ以来、アリス先輩とは何かと食事を共にするのだ


『復讐のためのドラゴンテイルズ』#Last-1

#Last-1 置手紙

……センセー。


ダメだ、争いは避けられそうにない。逃げるのも難しい。



……(チッ)



でも……なんとか間に合わせたから。

センセーんとこで勉強した、機械のこと、プログラムのこと、それで作った。

あたしの兵器。

ここに置いていくから。

だから、もしも……もしも。そりゃ、あたしだって考えたくないけど。とにかく。何かあったら。

こいつで……頼む。



……(チッ)



あー、死にたくねーー……。

少なくとも、今は、まだ。

あ、そうだ、あと。



………………。

あー! 恥ずかしいからやっぱいいや!

……じゃあね。



(ブツン)


《『料理の国のアリス』へようこそ!》




ある日の妃芽薗学園。
とぼとぼと廊下を歩く少女、綾崎楓の小さな肩に背負われているのは、大きなギターケース。
いつもなら弾きに行くのが楽しみで忘れてしまうのだが、今日は重さが身にしみる。

「フラれた……」

昼休みに彼氏から送られてきたメールに記されていたのは、「別れよう」のたった四文字。
簡素な文面は、しかしお嫁さんになることが夢の彼女にとっては雄弁に絶望を語る文章だ。
夢への道のりがふりだしに戻ったことを実感し、涙がこみあげてきた。

「……死にたい」

心の闇が広がる。
落ち込みやすいのは悪い癖だと思う。
重いって言われることもよくあった。
でも今日ばかりは辛い。好きだった。一緒にいたかった。
お嫁さんになりたいからつき合ってたわけじゃなかったのに。

このまま空を飛んでみてもいいかもしれない。
そんなことを考えながら廊下を歩き続けていると、急に美味しそうなにおいがして顔を上げる。
家庭科室の前だった。
だれかいるのかな? いないとホラーか。
笑顔がこぼれた自分に驚く。
あっという間に気分上々だ。

扉を開くと広がるさらに芳しい香り。
立ってるだけでよだれが垂れてきそうになる。
美味しそうな匂いの中心地には、大きな鍋と、その中身をかき回す、白と黒のツートンカラーの髪を腰まで伸ばした調理服の少女。

(あの子は……アリスちゃん?)

楓と同じクラスの、四万十川アリスが料理を作っていた。
教室での彼女は、怖い顔でスパイスの瓶をいじっているか料理の本を読んでいるかのどちらかで、自分を含めて話しかける人はあまりいない。
しかし、家庭科室での彼女はうってかわって楽しげで、鼻歌まで歌っていた。
一通りスパイスを入れると、壁際の何やら煙の出ている箱のほうに歌いながら歩いていく。

♪いぶしてやれ 香り付けてやれ
チップを集めて 火をつけてしまおう
いぶしてやれ 豚肉めを
脂はこんがり 肉はカリカリ
引き出してやる 美味しさを
ほら ここまでおいで
ためらわずに 美味しくなれ♪

箱を開けると、先程までの繊細な香りとはまた異なる、野性味あふれる匂いが広がり食欲をそそる。
煙の向こうには、ずらりと並ぶ肉。
その中の一つを運び出すと、巧みな包丁さばきで美しく切り出していく。

(あ、もしかして、あれってベーコン?)

ベーコンを用意したアリスは、皿の上に米を盛ると、その上に鍋の中身をかけた。
カレーだ。
彼女の持っているスパイスの知識を総動員して作られたそれは、チェーン店はおろか行列のできる有名店にも負けない美味しさにちがいない。
食べてもいないのに楓はそう確信していた。
その上にベーコンと、あらかじめ用意していたのだろうチーズが加わる。
もうダメだ……食べたい……。
衝動に負けた楓はこぼれるよだれを拭おうともせず、アリスに懇願した。

「お願いします! そのカレー、私にも食べさせてください!」
「わ! ビックリした! いつからそこに!?」

目を丸くして驚くアリス。
集中のあまり楓の存在に気が付いていなかったらしい。
ちょっとヘコみそうになる楓だが、落ち込んでる場合じゃないと前を向く。

「え、えっと、歌いながらベーコン準備しにいった時ぐらいから?」
「ぎゃー、見られてた! うう、全然気が付かなかった……」
「あ、あのそれより、カレー、食べたい……」
「ああハイハイ、もちろんどうぞ! ちょっと待っててね?」

事態をのみこんだアリスは、快くカレーを分けてくれた。
スプーンを持つ手が期待で震える。
だがアリスはあわてないでと言いながら、腰の小瓶を一つ手に取った。

「最後に、これをサッとふりかけて……完成だよ! さあめしあがれ♪」

アリスがかけたのはブラックペッパーだった。
しかし、ただのブラックペッパーではない。
味を調えるのみならず、自由奔放に広がっていた香りをまるでオーケストラの指揮者のようにひとつにまとめ、スパイスのシンフォニーを奏でているといっても過言ではない。

もう我慢できない!

「いただきます!!」

勢いよくスプーンを口にかきこむ。
瞬間、舌が今まで味わったことのない快感に蕩ける。

「ふわぁぁぁ……」

声が勝手に零れてしまい、顔を赤らめる楓。
匂いがすでに美味しさを確信させていたが、それは看板倒れではなかった。
じっくり煮込まれた豚肉が満足感をもたらす。
ジャガイモとニンジンはやわらかいが形はしっかりしており、玉ねぎは甘みすら感じるほど。
それらとは別に用意されたベーコンが雰囲気を変えるが決して壊してはおらず、チーズが全体を包み込むようにまろやかにしている。

「美味しい、美味しいよぉ」

もうスプーンを運ぶ手が止まらない。
味の刺激に体がビクンと震える。
一心不乱に味わい続け、気が付いたときには……。
最後の一さじを名残惜しむ暇もなく、皿の上には米の一粒も残されていなかった。

「ごちそうさまでした」

スプーンを置く楓。
その表情はゆるみきっていて、気持ち良さそうだ。

「どうだった? お口に合ってたらいいんだけど」
「うん! とっても!! ……うん、美味しかったよ……」

嬉しそうに応える楓だが、不意に表情が蔭り、しまいには涙がこぼれ始めた。
焦るアリス。あわてて楓の肩を抱き寄せる。

「え、ど、どうしたの!? やっぱりホントは不味かった!?」
「ちがうの、そうじゃなくて……」

ぽつぽつと語る楓。
今日、フラれてしまったこと。
死にたいってさえ思ってたこと。
なのに匂いにつられて家庭科室に入ってしまったこと。
料理しているアリスが楽しそうで、ちょっと意外だったこと。
こんなに美味しいカレー、それどころか料理は人生で食べたことがないこと。
カレーがあんまりにも美味しくて、彼と過ごした幸せだった日々を思い出したこと。
また、幸せになりたいって思えたこと。

「ぜんぶ、アリスちゃんの料理のおかげ……ありがとう」
「ううん、私じゃなくて……これが、料理の力だよ」
「そっか。すごいんだね、料理って」
「でしょ?」

涙を拭う。
料理の力がこんなにも素晴らしいなんて、思ってもみなかった。
お嫁さんになる夢を叶えるための、強い味方になってくれそうだ。

「ねぇ、もしよかったら、私にも料理を教えてもらえたらな、って思うんだけど……」
「もちろん大歓迎! 料理の力があれば男を捕まえるぐらい楽勝だよ。よろしくね、コトハさん!」
「………………それ、たぶん違う人かな……」
「うぇぇぇぇ!? ご、ゴメンナサイ!」
「いーよいーよ。じゃあ私は、料理以外のことを教えてあげるね」
「ありがとう! これからよろしくね、楓ちゃん!」
「お、今度はあってる」

えへへと笑うアリスに、楓が微笑みかける。
同じ教室にいながら平行線を辿っていた二人の物語が、いま交わった。
出会いは人生を豊かにする、とはありふれた言葉だが、普遍の真理でもまたあるか。
色とりどりのスパイスよりも華やかな、二人の笑顔がはじけている。

その後、息せき切らした折内こころが楓をあおりんバンドのメンバーにするべく家庭科室に乗り込んできたり、臨海学校ライブ計画の傍らアリスが屋台の出店を計画したりするのだが……。
それはまた、別のお話。



[了]
※作中に登場した歌詞は、映画『ふしぎの国のアリス』より「あいつをいぶし出そう」の歌詞を改変したものです。


【仔狐クリスと凶兆、そして転校生】


準転校生間での争いの五日目。

まずは一人。打ち破った。
UFOの様な機体に乗った敵だった。
邂逅した際に、まず最初に大技であるエナジーフィストを放ったのは間違いだった。
UFOによる突撃を防御できずにまともに食らってしまった。
ただ、後は時折敵の攻撃を防御しつつ追尾弾を放つだけで勝利できたので幸いだった。
単純な体力差で勝利したという印象だった。
元々準転校生戦に巻き込まれる前に、基礎体力を中心に鍛えていたのが功を奏したのだろう。
思ったより早く倒せた為、追尾弾やエナジーフィストを放つだけの気力も充分残っている。
そして大きなキズを負うことなかったのも嬉しい誤算だ。

戦闘衝動が赴くままに、次の敵を捜しに行った。
これまた幸運だった。
相手は初戦で大きく負傷したらしく、かなり消耗している様子だった。
追尾弾とガントレットを使用した締め。それだけで敵は落ちた。
それでも相手も反撃はしてきたため、多少残り体力と気力が心もとないのが心配だったが、それでもなんとかいけると考え戦闘の続行を決意した。

甘かった。
三人目は、初日に戦った虎の仮面を被った少女だった。
相手もこちらが前に戦った相手であったことを覚えていたようで、苛烈に攻めてきた。
甘かったというのは、残り体力・気力の少ない状態で戦闘続行したということだけではない。
一度勝った敵だった為、油断したということ。今敗因を考えると、それも理由の一つとして大きかった気がする。
そして相手は以前より遥かに成長していた。初戦での負けを糧に復讐心を燃やし鍛錬したのだろうか。
私を打ち破った時はさぞかし嬉しかっただろう。
不幸中の幸いとして、この戦いで大きなキズを負わなかったのは良かった。

「やっぱ負けると後味悪いな……」

私は、敗北による消耗を回復して座っていた。昨夜の敗北を思い返して、私は強く拳を握りしめる。
準転校生戦で戦うようになって分かったことがある。
比較的勝負事には冷めているタイプだと自分では思っていたのだが、どうやら私は相当の負けず嫌いだったらしい。
こんな非常事態に巻き込まれて初めて知った自分の本質に、思わず呆れるように笑った。
そして気だるさの残る身体を横たえて、何の気なしに宙を見上げながら呟いた。

「いつまで続くのかな。そろそろ終わるといいんだけど」

その時であった。
転校生の声がテレパシーのように脳に直接響いてきたのは。

「…………ッ!」

転校生の声明は以下の様な内容だった。
――本来はここでもう準転校生戦は終了する予定だったが、転校生との戦闘を特別に開催するということ。
――参加は希望者のみに限られ、強制はされないということ。
――転校生戦は夜に行われ、準転校生が万全を期した状態で戦えるということ。
――ただし一人ずつ順番に相手するということ。
――そして、転校生戦が終われば準転校生戦から解放され、元の世界に戻れるということ。

私は悩んだ。
初日以降、何度か敗北を喫してきた転校生との戦い。
基本的に、連戦で疲弊したところを狙われて負けていた。
それが万全の状態で今度はこちらから挑めるというのは力を証明する絶好の機会だ。
初日は圧倒的、そして絶望的な実力の差を感じたが、今の実力ならばもしかしたらまともに渡り合えるかもしれない。
そう勘違いしたくなる程度には、敵との戦いを経て成長してきたはずだ。
しかし勿論敗北する可能性も大きくある。

「……土星先輩。私はどうしたらいいですか」

私はポケットに入っていたアンジーちゃんのアクセサリーがついたキーホルダーを取り出し、先輩の顔を頭に浮かべながら尋ねた。
土星先輩との思い出の品だ。
私は先輩に相談できない時など、このシャープペンシルを見て勇気づけられ、或いは冷静にさせられ、判断の助けになっていた。

「! あれ……?」

そこで気づいた。
シャープペンシルの一部が欠けていたのだ。
もしかして、準転校生達と戦っている最中になんらかの機会に破損してしまったのだろうか。
やってしまったという悲しさと同時に、何か不吉な予感が脳裏をよぎった。

私は直感というものを割と信じている方だ。
私の好きなもので例えれば、ネットゲームでPVP(プレイヤー同士の戦闘)をしている最中、直感で敵の動きを予知できることがある。
準転校生戦の経験で言えば、直感により攻撃を避けれたり防御できたりした数は少なくなかった。
そしてその直感は間違いなく他の同格の敵達と戦うことで磨き上げられてきた。

だから、この不吉な感覚は見逃せなかった。
そしてこのシャーペンは土星先輩を象徴するものだ。
何か、何か土星先輩の身に起きたのではないだろうか。
嫌な予感が募っていく。

私は。
もし仮に先輩に良くないことが起こったとして、どうしたら良いのだろうか。
転校生戦に参加するべきか否か。

しばらく熟考した上、私が導き出した答えとは――――

【END】


《もしもし》




「もしもし、私シープ。いま、日本に着いたところ」
「おう、俺メリー。いま、東京に入ったぞ」

初めて電話がかかってきたのは一月前だった。
その時は間違い電話だと思っていた。
シープさんもメリーさんも、知らない人だったから。

「もしもし、私シープ。いま、××区に来たの」
「おう、俺メリー。いま、●●町にいるぞ」

次に電話がかかってきたのは半月前。
嫌な汗が流れたが、きっと番号が似ている人がいるのだと思うことにした。
二回連続で、同じような間違い電話がくることがあるのだろうか?

「もしもし、私シープ。いま、市役所の前を通ったわ」
「おう、俺メリー。いま、花屋を通りすぎたぜ」

その次の電話は一週間前。
私はようやく、誰かが悪意を自分に向けていることを受け入れた。
それは身の毛がよだつほどに恐ろしくて、私はひとり枕を濡らした。

「もしもし、私シープ。いま、公園の中を歩いているよ」
「おう、俺メリー。いま、踏切を渡ったぞ」

三日前の電話が切れたとき、私はもっと恐ろしいことに気が付いてしまった。
電話の主がどんどん私の家に近づいている。
なぜもっと早く気付けなかったのか。ありふれたといってもいいくらいの話なのに。

眩暈がして、ベッドに腰を落としてしまう。
ツツジが心配してくれた。
可愛いものが大好きな彼女だが、こんな私の執事をしてくれている。

「ツツジ、私は少々疲れました。薬を用意して頂けますか」
「お嬢様……」

薬を飲むと気が安らいだ。
それは何の解決にもならない、仮初の安寧だったが、老い先短い私にはそれで十分だ。
とはいえ、ただ手をこまねいているわけにはいかない。

反撃の手段を考える。
しかし、電話がかかってくる以外に向こうからの接触はなく、こちらが何を言っても返事はない。
不安ばかりが募っていく。

「もしもし、私シープ。いま、あなたの家の前にいる」
「おう、俺メリー。いま、玄関に入ったところだ」

昨日の電話の声を聞いて、私は逃亡を決意した。
家に来るなら、家から逃げればいい。
そうだ、海に行こう。開放的で健康的な、夏の浜辺に。

「もしもし、私シープ。いま、階段の下」
「おう、俺メリー。いま、お前の部屋の前だ」

ビーチのパラソルの下で電話をとったとき、私は久方ぶりに安心した。
敵は家にいるようだ。
砂浜に目をやると、女の子たちが遊んでいる。どうやら臨海学校でもやっているようだ。

だが、私は自分の不運を呪うことになる。


突如として砂浜が闇に呑まれた。
ひととき待つと視界は晴れたが、浜辺の向こうは青い海ではなく……墓標がひたすらに立ち並んでいた。

私はこの光景を見たことがある。
これは妃芽薗学園のハルマゲドンだ。あの生徒たちは妃芽薗学園の生徒たちだったのか。
悔んでいても仕方がない。あの時のように、どちらかの陣営について戦わなければ……。

集まった生徒たちを冷酷に値踏みする。
今回は生徒会の面々の方に分がありそうだ。
魔法少女に変身して皆を安心させ、戦闘配置につく。

すると、鳴り響くポケットの携帯。
表示されているのは、非通知の番号。
震える手で着信ボタンを押す。


「もしもし、僕メリー・シープ。いま、あなたの後ろにいるの」


振り返ることは、できなかった。
濃密な殺意と、獣の生臭い吐息が私を包む。
ツツジの目が恐怖に怯えている。

どうやら、私の命はこれまでのようだ。
長く生きてきたが、こんなところでお仕舞いになるとは思ってもみなかった。
敵をどこかで甘く見ていたのかもしれない。

しかし、私を殺そうとしてハルマゲドンに巻き込まれるなんて、敵もたいがい不幸なやつだ。
すると敵は、番長陣営に所属することになるか。
なら、私の……いや、私たちのとるべき行動はひとつしかない。

「ツツジ」
「はい」
「私を殺しなさい」
「な、何をおっしゃるのですかお嬢様!?」
「輩にくれてやる命はありません。それならば私は、あなたにこの命を捧げたい」
「ですが……」
「ツツジ、これは命令だ」
「でも……!」
「お願い、ツツジ。これが生徒会の皆さんのためなの。それにね、私のためでもある」
「え……?」
「仮にも一度ハルマゲドンを生き延びた私が、こんなところで無様に殺されるなんて、私のプライドが許さない」
「…………………………………………かしこまりました、お嬢様……いえ、旦那様」

私の願いをきいたツツジは当然のようにうろたえて抵抗してきた。
でも、最後には納得してくれたようだ。
それでこそ、私の愛しい執事。

「ありがとう」

涙に顔を濡らしながら、ツツジが自慢の角を私の喉に押しあてる。
私の血で染めてしまうことになって、本当に申し訳ない。
目を合わせたが、逸らされてしまった。やり辛いだろうから当然だけれども。

「さようなら」

皮膚が突き破られ、血管が切り裂かれる。
血しぶきを撒き散らしながら倒れた私が最後に目にしたものは。
可愛い執事の倍ほどもある、大きな大きな羊が見下ろすように向ける、細くて長い瞳。



[了]


美化委員 #2


 倉谷風が、気絶した薬中のイタミをおぶって、美化委員のアジトへ。運動場の隅にある。保健室より近いし、気付け薬も風呂も洗剤もある。この薬中はあまりにも汚く臭く、美化委員として人間として、まずこの薬中をきれいにすべきだと考えた。アジトに近づく。小屋の中からアイドルソングが聞こえてくる。倉谷はヤな予感がして、的中した。
「調子くれてんじゃねーぞ!」
 バギャババーン! 扉を砕いて美少女が吹き飛んできた。薬中を担いだ・倉谷風は、またいつものアレだなと思う。開いた扉から大音量のアレが響いてる。2ndシングルのアレだ。
「♪女の子の夢~ とっても甘いの
 だからダイエット 胸焼けにチュウい☆
 本当の気持ちがシルエット ドキドキ
 胸の膨らみのなか いつか届けたい~
 ラブがやまびこでラブラブに ピクニック
 吊り橋 高架下のキス(こうかな どうかな)
 悩殺ポーズであなたをとりこにしたい」
 学園アイドル・札井塚あおりの、聞いてるだけでぶっ殺したくなると評判の歌だ。美化委員のたまり場で練習でもしていたのだろう。それで、聞いてた役員が腹立って殴り飛ばしたのだろう。札井塚あおりはS級アイドル身体能力(元気さとかダンス・センスとか)はあるため、反撃できたであろうが、やはりそこはアイドル、殴られるままだった。
 札井塚あおりは開いた股をモジモジ恥ずかしがりつつ閉じ、埃をぱんぱんと払って、「ようしがんばるぞ、あおり、めげないもん☆もん☆もん☆だピョン、イェイ☆☆」と胸の前で小さくガッツポーズした。それから、廊下で薬中をおぶってる倉谷を、今初めて気付きました~驚き~という顔で、口にパーを当てて、
「大変大変! フーちゃんどうしたのその人!? 怪我!? 病気!? 熱中症!? 恋の病!? ってそんな訳ないかテヘッ こんなこと言ってる場合じゃないよねええっと115に早く~あれ115って救急車じゃなくて国内電報だっけアワワ」
 倉谷はあおりが苦手だ。同クラスで同委員で、接点は多いが、話すたびに疲れてしまう。こっちまで演技過剰になってさめていく。苛立つ。それからなんとなく避けるようになった。それなのにフーちゃんとか気安く呼んでくる。始業式のときに「あだ名で呼んでいいかにゃ?」って言われたとき拳で返せばよかった。こちらの気持ちになにも気づかずにいるあおりにどんどん怒りがわいてくる。
 倉谷は深呼吸して、背中をふる。
「この人知らない?」
「私のファンだと思うにょ」
 にょじゃねえんだよクソボケが、と倉谷は思った。
「クソボケが、にょじゃねえんだよ、にょじゃよお」
 倉谷のヤクザキックがあおりの鳩尾にヒット。あおりは恍惚にも見える表情をする。それがまた神経を逆なでする。
「私もあなたも死んだら全部終わりなんだしこの愛すべき世界に少しでもなにかを残したいから私はあなたを殺したほうがいいのかもしれない美化委員だし」

ぶっ倒れたあおりに追撃で顔面を踏みつぶそうとする倉谷の肩を叩く。
「はいはい、そこまで。もっと心を強く持って、頑張って。ね?」
 倉谷の気持ちがすっと落ち着く。がんばって自制しようという気になり、振り上げた足をゆっくりおろした。涙目で震えるあおりが目に入り、瞬間的にトーキック。
「あ、こら」
「つい。すいませんこころ先輩」
「ムカつくのも分からんでもないでもなくもないけど、でも、頑張ってこらえてね」
「そうそう、頑張るぺぇ」
 二人分のハイキックがあおりの顔面をとらえる。あおりの意識が飛び、偶然にも同時に、イタミが目を覚ます。
「あー、あー、あーあらー、あ…
あー!!」
 大暴れするイタミ。倉谷の背から飛び降り、一目散に逃げ出す。
「あ、待って。待て、不審な人ー!」
 待たない。
 追おうとする倉谷の肩を、こころがつかまえる。
「あの人はイタミさん。3年生で、上の名前は忘れたけど、みんなは不気味なイタミって呼んでるわ」
「はあ」
 不気味なんて言葉ですまされるのかあのラリ女が、と倉谷は思った。
 顔を左右に振り、二人の先輩を交互に見る倉谷。
「倉谷さん……」こころは言葉を選ぼうとして、やめた。「頑張ってね」
 駆け出した倉谷の背はぺったりと黒く汚れている。あの汚いイタミを負ぶっていたからだ。
 汚いものに触れる手は穢れる。そのことを倉谷は知っているのだろうか。
 こころは美化委員(正式名称・環境美化委員)のアジトへ入った。部長の土星が、ホワイトボードに、図を書いて説明している。
「……そして、ここで私が土星の力を使い、引力で満潮にする。すると目標はずぶ濡れになりますね。間をおかず洗剤班とブラッシング班が三方から突撃。腰まで水だから動きが鈍り……」
 ホワイトボードには、海岸の図と、「マジでイタミピカピカ計画」と書かれている。
 ここにもイタミに触れようとするものが。
「こころちゃん。あなたは、実行班が尻込みしないよう応援するかかりよ」
「そのイタミですけど、さっき外にいましたよ」
「へぇ~珍しい。なんで?」
「詳しく聞いてないんですけどヤフーちゃんが負ぶって連れてきたみたいで。寸前で起きちゃって暴れて逃げて。ヤフーちゃんまた追っかけてましたよ。ちょっと前の部長みたいに」
「気付いてたらピカピカにしてあげましたのにぃ」
 と言ってデッキブラシをカンカン叩く。あれで洗うつもりか。
「ところで、イタミさんって海で泳ぐのかしら」
「イメージないですね」
「こっちで用意しちゃいましょうか。服も洗濯しなきゃだし。サイズ分かんないから調節できるビキニの方がいいよね」
「イタミのビキニ…」
 最後の夏だしね、と土星は薄く笑った。


【My Junior My Hero】



「あっ……あぁ……」

私――土星の目の前で、一人、また一人と無残に死んでいく。

敗北は既に決まったようなものだった。
もう、戦意はほとんど残ってない。
仲間の死により、もう精神はズタボロだ。

仲間が一人ずつ消えていく様は、ただ大事な仲間が死ぬ辛さだけでなく、惑星達が次々と宇宙からいなくなっていく様を思い出させられ、心を抉られる。

――そんな時に、粘液弾は放たれた。

「ひっ……!」

既に崩壊寸前だった精神は、見事に崩れ落ちる。

「あああああああああああああああああああああぁぁぁぁああっ!!!!」

バラバラに砕けていく意識の中で、私は小夜ちゃんのことを想起していた。

◇◇◇

私の危機を救ってくれた仔狐クリスという存在が消えてしまった。
いつもの様に、夜の時間を共有していたらいなくなってしまったのだ。
それは本当に突然のことで、何の跡形もなく消えてしまった。
私は学校中の生徒に尋ねて情報収集したが、それらしい手掛かりは得ることができなかった。

仔狐クリスは一体どこへ行ってしまったのだろう。
いや、仔狐クリスではなく――安藤小夜といった方がいいだろうか。

私はクリスが小夜ちゃんであることを見抜いていた。

何故わかったかって?
だって、私に対する接し方がまったく同じなんだもの。私の言葉に対する反応、懐いてくれてる度合い、その他全てが完全に小夜ちゃんそのものだった。
本人は隠しているつもりだったみたいだけど、バレバレだった。
そして、クリスがいなくなったと同時に小夜ちゃんもいなくなってしまったというのが何よりの証拠だった。

大事な後輩がいなくなってしまったのだから、当然心配する。
必死に情報をかき集め小夜ちゃんを探すことに注力したのだが、まったく手掛かりは掴めず行き詰まってしまった。

そんな時、近々ハルマゲドンが行われることを知った。
番長陣営と生徒会陣営の衝突により起こる殺し合い。
妃芽薗学園ではそれが何度か既に行われていて、その前兆として不穏な事件が起こっていることは知っていた。

もしかしたら、小夜ちゃんはその不穏な事件に巻き込まれたのかもしれない。
そう考えた私は、番長陣営に入った。
番長陣営に入り当事者としてハルマゲドンに参加すれば、小夜ちゃんに関わる何かが分かるかもしれないと思ったからだ。

……けれど、小夜ちゃんに関する情報は何も得られず、大敗を喫する有り様だ。

◇◇◇

――ごめんね。小夜ちゃん。

――私、貴方の為に何もできなくて。

――もし、仮に何かの拍子に小夜ちゃんが戻ってきておかしくなった私を見たら悲しむと思うけど、許してね。

――小夜ちゃんと一緒に過ごした時間は、楽しかったよ。

【END】

《あの珠をさがして》




「なーステラー。ちょっとドラゴンボール出してくんない? 教科書忘れちゃってさ」

ある日の妃芽薗学園中等部3年3組の教室。
忘れ物をした生徒、安東古門が、隣の席の家乃ステラに頼みごとをしている。
次の授業を担当する先生は厳しい人で、忘れ物をすると宿題を倍にされてしまうのだ。
悩みは些細でありふれたものだったが、解決策は常軌を逸していた。

「は? ……いや、無理だけど」
「なんでだよ! ドラゴンだろ!」

できるわけがないと言わんばかりの面倒くさそうな表情で断るステラだったが、古門は憤慨する。
なるほど、ドラゴンだろ! と言われたステラを見れば、確かに羽も尻尾も角も生えているではないか。

「うっせーな! そういうのできないって言ってるじゃん!」
「えー」

どうやらできないようだ。
誰にでも得意不得意はあるということだろうか。
なおも不満そうな古門に、反撃を試みるステラ。

「じゃあお前はなんかできんのかよ」
「出せるぞ、アンコモンソード」
「マジ?」
「おう、マジマジ。白雪だってシャイニングブレスできるもんな」
「いちおーねー」
「それは知ってるけど……」

なんと古門は剣を精製できるらしい。
ちなみにこのクラスには胡亞聞という留学生がいるが、彼女にアモンというあだ名をつけたのも古門だ。
二人の前の席に座って本を読んでいるのは、弐番館白雪。
人間の父と雪女の母との間に生まれた彼女は、冷気を操ることができる。

「だから何もできないのはお前だけだ」
「くっ」

ちなみにステラも一応ドラゴンブレスと呼ばれるものを出すことはできるが、威力が弱くて名乗るのも恥ずかしいので黙っている。
唇を噛むステラを古門が煽る。
白雪は特に関心を払っていない。
いつものことのようだ。

「ほらほら、ドラゴンの力はそんなもんか?」
「ううう…………うがーーー!!!」

我慢の限界に達したステラが、背中の仕込み銃を取り出し、天井に向けて発砲した。
悲鳴が教室に響きわたる。
古門は目を輝かせて、白雪はうんざりした顔でステラに注目する。

「オイお前ら! 撃たれたくなければ教科書をよこせ!」

目を血走らせて喚き散らす。
完全にブチキレちまっているようだ。

「キャー!」「ステラがまたキレた!」「それがドラゴンのすることか!」
「うっせバーカ! オラオラ早くしろ!」

悲鳴を上げる生徒、事態の把握に努める生徒、猛然と抗議する生徒。
それら全てを一蹴し、銃を構えてくるりと回る。
緊張が走る教室の雰囲気とは裏腹に、古門は瞳をキラキラさせてはしゃぐ。

「よっしゃあケンカか⁉︎ それでこそステラだな!」

二人の視線が交わる。
いつのまにか生徒たちが周りを円になって取り囲んでいた。
この二人がバトるのは初めてのことではない。
始めは怯えていた生徒たちも、今ではすっかり慣れており、格闘技の試合前のように盛り上がっている。
だが、今日は騒動をよしとしない人がいた。
白雪は読んでいた本を閉じると、おもむろに立ち上がった。

「もー、いいかげんにしないと怒るよー?
……フリーズブリザード」

彼女が技の名前を口にし終わったとき、先端に人の頭部を抱いた二本の氷柱が、教室の真ん中に聳え立っていた。
さきほど話題に出たシャイニングブレスよりも威力は低いが、騒々しい中学生を黙らせるには十分だ。

「そ、それはもう怒ってるんじゃ……」
「寒い……ごめんなさい……」

すっかり大人しくなった二人。
クラスメイトたちは安心しつつも、どこか物足りなさそうに席についた。

「しずかになった。一件落着……」

満足気に自分の椅子に座る白雪。

このあと教室に入ってきた先生に、一番怒られたのは言うまでもない。


 *  *  *


「んー、やっぱりドラゴンボールは漫画の中だけなんかなー」

お昼休み。
弁当を食べながら古門がぼやく。
ちなみに騒動の結果、教科書は手に入れることはおろか借りることさえできなかったので、彼女の宿題はあえなく倍になっている。

「……出せる人も、いるよ。村には」
「マジか! じゃあなんでお前は出せないの?」
「ッ、それは…」
「ちょっとコモン、いいすぎ」

バツが悪そうに言うステラに、古門は他意なく問いかける。
さらに口ごもるステラを見て、白雪が古門をたしなめた。

「は? お前が弱くても気にするこたぁねえぞ」
「ホント?」

けれど古門は、真面目な顔をしてステラを励ました。
嬉しく思わず前のめりになるステラだったが。

「お前は面白いからな! ししし」
「だーもう! 絶対バカにしてるだろ!」

結局笑われてしまった。
古門に侮蔑の気持ちはないけれど、ステラがオーバーに反応するので、ついからかってしまうのだ。
彼女を本気でバカにしているやつらには全力で食ってかかっていくのだが、それをステラはまだ知らない。

「してないって~。てか、それならあるのか⁉︎ ドラゴンボール」
「ああ、あるよ」
「じゃあさ! 探しに行こうよ! みんなでさ!」

身を乗り出して、またしても目を輝かせる古門。

「えぇー……知り合いなんですけど……」
「あついのはー、いやー」

対して二人は冷めている。また何か言い出したという顔だ。

「まあそういうなって! でも暑いのは確かにツラいな。じゃあさ、臨海学校が終わってお盆も過ぎて、ちょっと涼しくなったらにしよう!」

白雪の意見はもっともだと思ったのか、ちょっと修正が加えられた。
ステラの言葉はおかまいなしだが。

「だからイヤだって……!」
「それくらいならだいじょうぶー。いこう」
「よし決まり! これでステラもちょっとは強くなれんじゃね?」
「うっせ。あーもう、ケガしても知らんから」

白雪もなんだかんだいって古門の企画は楽しみにしている。
ステラは渋るが、二対一では勝ち目はない。
よくあることのようで、もう諦め顔だ。

「大丈夫大丈夫! ウチらなら余裕だって!」
「よゆー」
「どっからそんな自信わいてくるんだっつの」

苦笑いするステラ。
でも、この時間は好きだ。
最低の竜人である自分と、対等に接してくれている。
それがとても嬉しくて。
ドラゴンボール探しもその前の臨海学校も、思いっきり遊ぼうと心に決めたステラだった。



[了]


【レッツ!肝試し!】



妃芽薗学園臨海学校の、とある夕方。

「えー、それではお待ちかね、肝試しを開催致します」

放送委員の百端一茶が高らかに宣言する。

妃芽薗学園臨海学校の肝試しはチーム対抗戦――
驚かし側と、探検側に分かれての戦いである。

事前のくじ引きで驚かし側と探検側にそれぞれ分かれ、
驚かし側が用意した仕掛けやビックリネタをクリアすることができれば探検側にポイントが入り、
逆に探検側が怖さの余り降参、あるいは逃走などすれば驚かし側のポイントになる。
そして、最終的にどちらが上だったかを競う。

「くじには、挑む内容や向かうチェックポイントなども指定されてますので
 くれぐれも間違えないよう気をつけて下さいね。
 あと、いくら驚いても脅かし役を攻撃したりしてはいけませんよ」

一茶が注意事項を探検側に告げる。
既にチーム分けは済んでおり、準備完了して皆を待ち受ける脅かし側にも注意事項は伝達済である。

「万が一怪我したときのために保健委員の砂漠谷さん、
 怖くてどうしようもなくなった時の為に折内さんと呉石先生がそれぞれ待機しているので
 もうダメ、って思ったら無理せず戻ってくるか、連絡して下さいね」

こうして、夏の風物詩がまた一つ、臨海学校に彩りを添えるべく開催された――
だが、誰もこの時点では予想していなかった。

まさか、あんなことになるなんて――


【人外対決?:ステラとアリスの場合】


竜人・家乃ステラと四万十川アリス――探検側の二人は
指定されたチェックポイントへと向かっていた。

驚かし役の妨害に負けず、チェックポイントに置いてある小物を
持って帰ることができればOK――肝試しとしてはスタンダードなルールである。

とはいえ、暴力や危険行為がなければ何でもあり。
どんな手段で驚かしにかかってくるかわからないことが、否応なしに探検側の不安をより煽る。
時刻は夕暮れ時――日没も間近の頃合いである。
探検側には懐中電灯やLEDランタンなど照明は渡されているが、それでも闇は刻一刻と深くなる。

「……うう、アタシこういうのあんま好きじゃねーんだけどな」

「意外ね……竜人だから物の怪には慣れてそうだと思ったのに」

「ジャンルが違うっての。遠い親戚に東洋の胴のなっがい龍とかならいるらしいんだけどなー。
 噂じゃモヒカンになってキボーザキ?とかいうとこでぶいぶい言わせてるらしいけど」

恐怖を紛らわそうと、自然と雑談に花が咲く二人。
オムライスの一件以来、何かと一緒にいることが多くなり
今回の肝試しも、自然とペアを組もうという流れになったのだった。

「……にしても、風が涼しいなこのへん。
 昼間はあんなにムシムシしてたのに」

「日が落ちたからかしらね……にしても」

少しばかり肌寒すぎる――アリスがそう言おうとした、その時。

がさり、と茂みが揺れる音がした。

「な、なんだ今の音」
「……多分、驚かし役の子だと思うけど」

ステラにしがみつかれながらも、冷静な表情を崩さないアリス。
二人が音の方に視線をやった瞬間、茂みから何かが現れ――鳴き声を発しながら、二人の前に立ちはだかる!


【先輩との再会】




転校生戦を終え、元の世界に戻ってきた私は、まず第一に土星先輩の安否を確認しに向かった。
そこで、絶望的な報せを聞く。
妃芽薗学園のハルマゲドンに、土星先輩が参加したというのだ。
そして番長陣営は生徒会の猛攻によって壊滅した、とも。

番長小屋に向かった私は、土星先輩がどうなったのかと番長グループのメンバーに詰め寄った。

「……土星さんは、今病院にいます」

目を伏せるように答えたその人に、病院まで案内してもらうことにした。
病院にいるということは、生きているということだ。
最悪の事態すら想定した私は、少し安心した。実際に先輩に会う、その時までは――――

「土星、先輩……!」

私が病室に入った時、土星先輩はベッドから上半身を起こした状態で窓の外を眺めていた。
見たところ、包帯などを巻いている様子はなく、点滴も見当たらない。
大した怪我ではなかったのだろうか。
でもそれなら、何故病院に居る……?
不思議に思いながらも、先輩に声を掛ける。

「先輩! 土星先輩! 私、戻ってきましたよ! 無事に、戻ってきましたよ!」

その声に、振り向いた先輩は――

「…………ぁー……?」

焦点の定まらない瞳でこちらを見て、首を傾げながら小さく言葉になっていない音を発していた。

「せん、ぱい……?」

これは、どういうことだ。
嫌な予感が爆発的に増していく。
説明を求めるように、案内を頼んだ人の方を見た。
そこで、私は絶望を叩きつけられる。


「――土星さんは、精神崩壊してしまいました」


「そん、な……」

もう、今までの先輩ではない……?
あの優しい先輩とは触れ合えない……?

「何故、なんで、先輩はハルマゲドンに参加したの……? まさか、あなた達番長グループが強引に引き入れたとか――」
「……違います。土星さんは、貴方を探していました。貴方がハルマゲドン関連の事件に巻き込まれて消えたではないかと思い、少しでも情報を手に入れる為にとハルマゲドンに参加しました」
「私を、探して……?」

つまり、私の為を思って行動して、その結果こうなったということなのか。
優しい先輩は、その優しさが為に壊れてしまったというのか。
そんな、残酷なことが起こっていいのだろうか。

「土星、先輩……! そんな、そんなぁ……!」

しばらくの間、土星先輩の腕にしがみつき、思いっきり泣いた。叫んだ。
それでも先輩の反応は首を傾げて小さな声を発するだけで。
それが余計に悲しくて。

「先輩、私、必ず復讐しますから――」

私は、ハルマゲドンに参加することを決意した。

【END】




【ドラゴンテイルズ】



竜人ヒィロは戦火を前に舌なめずりした。不謹慎であるのは解っている。
だがこれでこそ、今この時代、この場所に、彼が生まれ落ちた意味があるというものだ。
危機なくして英雄は生まれない。後に己がそう呼ばれるであろう事を彼は確信していた。

頑健な肉体、何層にも折り重なるぶあつい鱗、規格を超えた肺活量。
ヒィロはそれら全てを持って生まれた。一族では竜神の子と呼ばれている。

目の前で戦火を拡げるのは、迷彩色の特殊武装を身にまとった愚かなヒトの群れ。
教えてやらねばなるまい。強さとはどういうものか。
隣で、第七婚約者のツィンテが不安げに祈る。だがヒィロが逞しい腕で肩を抱いてやると
彼女は涙を拭いて笑い、耳をくすぐるような声で彼に応援の言葉を伝えた。

高揚で背筋が震える。この場面はまるで昔、本で読んだ覇道の物語そのものだ。
そのストーリーを現実にする時が来たのだ。機は満ちた。
ヒィロは翼を大きく広げ、戦場へ飛び込んだ。

――さあ、英雄譚を始めよう。



【ドラゴンテイルズ】



一騎当千の猛将が単騎で挑んでも、その力の及ぶ範囲には限りがあったという事なのだろう。
ヒィロらは村はずれのキャンプへ撤退を強いられた。
敵の戦法も卑劣であった。個々の戦功を全く考えぬ集団戦法には、血も涙も誇りもない。

"竜神の子"ヒィロに加え、ポニィ、ロング、オカパ、サイドティル、ショート、セミロ、ツィンテの
七人の婚約者はいずれも並みの竜人ではない。脆弱なるヒト種など、一対一はもちろん
数人相手でも一呼吸で灰にできる使い手ばかりである。
だがそれでも、数を頼りに多角的に襲い来るヒトの群れから竜人の里を守りきるには駒不足が否めなかった。

だから此処、村はずれの「伝説のほこら」の前にキャンプを構えたのであるが。

このほこらには、古より伝わる伝説がある。里に危機が訪れた時こそ紐解くべき伝説が。
ヒィロは今こそがその時であると感じていたし、己こそがその役割を担うに相応しいと考えていた。
異を唱えるものはいなかった。

伝説にはこうある。竜の血肉たる八枚の鱗を捧げよ。さすれば厄災に抗す古の竜人兵を与えん。

幸い、ここには精鋭たる八竜がおり、血肉たる鱗もある。
彼らはそれを、ほこらの「竜神の口」と呼ばれる大穴へ落とし、祈った。
すると穴の底が光り始め、やがて光は「竜神の口」から漏れ、立ち上る程となる。
そして光が晴れるとそこには――見目麗しい、竜人の巫女が居た。

ミツァミと名乗った彼女は優れた治癒能力を持ち、たちどころにヒィロらの傷を癒した。
聞くと彼女は古き時代の大戦で命を落とした、竜人軍の一人であったのだという。
治癒の巫女を加えたヒィロのパーティは格段に継戦能力が向上した。
さらにミツァミは竜神の再来たるヒィロに惹かれ、第八の婚約者ともなったのである。

しかしそれで、ヒト共の全ての攻撃を防ぎきれるようになるわけではない。
ミツァミによれば、さらなる鱗を投じれば古の兵力を補充する事は可能であるという。
だが、そんな事を繰り返せば自慢の鱗が足りなくなってしまう。

では、どうすればいいのか? 古の巫女たるミツァミはその解決法を知る。

現金を「竜神の口」へ落とせば良いのだ。そうすれば一定量の鱗と交換ができる。
しかも! 本来なら1000円あたり80鱗のところ……今ならば3000円で300鱗という
サービスパックが存在する!

8鱗で挑戦できる"梅"召喚では男性の汎用兵士が大半だが、80鱗で挑戦する"松"召喚ならば
個性的な魅力を持った女性の竜人を得られる確率も大幅アップ!
そう、戦力を揃えるならば今……待ったなしなのだ。

キミも、自分だけの竜人軍を結成して他のプレイヤーに差をつけろ!!


竜人の里、その外縁の森で複数のスマートフォンが発見されたのが一ヶ月前。
そこにインストールされていたソーシャルゲーム「ドラゴンテイルズ」は、
竜人の若者たちの間で瞬く間に流行した。

彼らの憧れである竜人の英雄たる主人公になりきり、里を救うストーリー。
多種多様な女性キャラクターのグラフィック。全キャラに用意された夜伽シーン。
高難度のステージを限られた期間でクリアする事で得られる「英雄の称号」システム。
そして月間の称号数ランキングによるレアアイテムの配布。

若者たちは攻略法を交換して盛り上がり、称号の数を競い、ツィンテ派とロング派に分かれて争った。
(メインヒロインとして位置づけられたミツァミはさほど人気がなかった)

困ったのは大人達である。若者たちの、訓練や狩りへの参加時間が激減したのだ。
年に一度、力を競う伝統の「祭」への参加者すら減少した。由々しき事態だ。
さらには少ない小遣いを投げ打ち、または親の金までも盗んで課金する者まで現れる始末。
そもそも外縁の森に落ちていたスマートフォンなど、怪しいにも程がある。

長老部が『ドラゴンテイルズ』の禁止、および当該スマートフォンの廃棄を決定するのに
時間はかからなかった。速やかに回収し、機器を破壊すべく大人達は動き出した。
だが竜人の里は知らなかった。彼らは歴史上、経験した事がなかったのだ。

――「子供からゲームを取り上げるとどうなるのか」という事を。

彼らは生まれて初めてゲームの、仮想現実の快楽を知った。
日頃鍛え、切磋琢磨する竜人たちであっても全てが英雄である訳もない。
彼らも常に感じている。劣等感、超えられぬ壁、思い通りにならぬ現実を。
それを『ドラゴンテイルズ』のストーリーは、見事に解き放ったのだ。彼らは初めて英雄になった。

そんな彼らの貴重な逃避先が。「もう一つの現実」が、大人の都合で奪われようとしている。

そもそも竜人は元来血の気が多い。
腕力や戦闘力を価値観の中心に据えてきた事が主な理由だ。決闘の風習もある。
そのような環境で鍛えられた血気盛んな若者は、力を持っている。場合によっては大人以上の。

すると、どうなるか。
若者らの選択は「徹底抗戦」であった。

彼らは結託し、所持するスマートフォンを隠し、探し回る大人達に食ってかかった。
勿論、そうなれば大人達も黙ってはいない。若造に躾をすべく、すぐさま反撃を開始する。
炎の息吹が飛び交い、森や家々は次々に燃やされた。

経験の差もあり、当初の戦局は大人側有利で進んだ。
だが追い詰められた若者達の前に……謎の科学者が現れた事で戦局は一変する。
その女科学者は若き竜人達に武力を与えた。人間の兵器を。
しかも、科学者は言ったのだ。もしこの争いに勝利した暁には、ここにいる全員に。

10000鱗のゲーム内通貨を進呈すると――!

若者らはその誘いを受け入れた。
爆発的に高まった士気は彼らに、伝統と誇りを捨てさせた。そう彼らは科学の兵器を是とした。
伝統に支配されてきた今までの鬱憤も含め、全ての怒りは里の老害たちへ向けられていた。
頭に血が上った竜の民には、常識や故郷への恩義を慮る理性は残ってはいなかった。



一度逆鱗に触れてしまったドラゴンを止める事はできない。



争いは一週間続いた。


ほら。

――ほらな。

周囲に転がる味方だったものの肉塊。自分自身の服も返り血で真っ赤。匂いだけで頭がおかしくなりそうだ。
アリス先輩も死んでしまった。後ろでは世話になったメリーさんが憔悴しきった顔で震えている。
だからこの場面で身体を張るべきは自分だ。それは理解っている。

地獄のような戦場。里で受けた「制裁」とも違う、本気の殺意のぶつけ合い。命の奪い合い。
恐怖で膝が震え、涙が止まらなかった。これが「肉」の壊しあいだ。

電磁銃に身体の自由を奪われ、銃弾の雨に全身を抉られる。
激痛とともに、命が身体から離れていくのを感じる。
苦痛と恐怖に表情が歪む。だが、竜人の少女ステラはそれでも、口の端だけは嗤っていた。

ほら。見ての通りだ。ヒトの科学は、竜を殺せる。
きっとお前らだって――殺せるぞ。

そのための方法を、自分の「兵器」を用意した。センセーにそれを託してきた。
これを使えば竜人の里は、めちゃくちゃになるだろう。何しろ、そういうふうに作った。
惜しむらくは里が滅ぶ様子を、この目で見る事が敵わない事か。

はは、ははは。

悔しい。

悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい
悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい
悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい
悔しい…………っっ!!!

この為だけに生きてきた。人生の選択は全て復讐の為に舵を切った。
平和な居場所は捨ててきた。心配してくれる家族をも切り捨てた。
最後に感謝の一つも伝えやしなかった。

やはり自分も竜人であったのだ。
全てを怒りに捧げるしかなかった。
頭に血が上った竜の民には、常識や故郷への恩義を慮る理性は……残らなかった。
一度逆鱗に触れてしまったドラゴンを止める事はできない。

そこまでして辿り着いた復讐の手段。完成した兵器。その成果をこの目で、見られないなんて。
奴等が苦しみ、もがき、命乞いをする様子が自分の元へ届く前に、
まさか先に自分が逝く事になろうとは。

後に竜人の里を滅ぼす罪人への、これは先手を打っての因果応報ってところだろうか?
でも、だったら。
復讐は成功するって事だよな。それでいいんだよな。

嗚呼、ならば、せめて。
ステラは誰にともなく祈った。我侭な願いであろう。それでも願わずにはいられなかった。
どうか、どうか。



――憎き竜人どもの悲鳴が、あの世にまで届きますように。



そして最後の銃弾が、少女の両の角の間を貫いた。


劣勢の側に兵器を届ける科学者の役は、ステラ自身がやる予定であった――らしい。
それを以って、科学の武器を目の前で受け入れさせる事で復讐と成すのだと。
当然そのためには彼女自身も強くある必要はあった。
終盤には自ら参戦し、父の首を取る事までも彼女の頭にはあったようだったから。

しかし今にしてみれば、こちらの種明かしのほうが効果的だったのではないだろうか、と思う。

約定通り、10000鱗のポイント配布を終えていた内人王里は窓の外を見やる。
山の方角から、凄まじい咆哮が幾重にも聞こえてくる。
ゲームを最終ステージまでクリアした者が現れたのだろう。

そのエンディングのクレジット、製作者として表示された名前を見れば
このゲームが何のために製作されたものか、この騒動が何のために起こったのか、一目瞭然に理解できる筈だ。
それがドラゴンのする事か――とでも叫びたくなるに違いない。

「大成功じゃないか」

王里は中空に呟いた。片手でスパイスの瓶を弄びながら。ある人物の遺品である。
そのうちステラの墓前にでも届けてやるとしよう。
死後にまでオムライスが食べたくなるものかは知らないが。


ここ数ヶ月は竜人の孤児をやたらとよく見かける。
そのたびにあの日の事を思い出し、家乃真々は気が滅入ってしまう。
とはいえ、それでも見かければ必ず拾って帰るのが真々という人間なのだが。

みなしごの竜人による農作物の盗難や強盗の被害は少しずつ増加していた。
それが表面化する前に、可能な限り彼らを養子として迎え入れ、養いたいと真々は考えていた。

中学生の娘の尻ぬぐいを親がするのは自然な事だろう。
人間である真々が拭いてやれば、痔になる事もあるまい。
ついでに尻の一つもひっぱたいてやりたいとは考えていたが。

いま『拳羅』には3人の竜人がいる。
羽や尻尾を恐がられないか、と少し他の門下生と距離を置き気味だが、そのたびに真々は彼らに言ってやる。

「安心しなさい、私はベテランよ? 竜人の面倒見るのだって初めてじゃないんだから」
「そうなの?」

すると竜人の子のひとりが興味を示したように、真々に聞いた。

「どうだった? 強かった?」
「いやー……全然強くは、なかったねえ」
「えー、なんだよそれ。どんな人だったの?」
「そうねえ」

真々は思い出す。
不真面目で、稽古にも参加せず、全然言う事をきかない。
おまけに、ついに――帰ってこなかった。もう顔を見せてくれる事もない。

そう、全くあの子は、本当に――

「サイテーだった」
「え?」



「最低の、竜人だったよ」




『復讐のためのドラゴンテイルズ』

The Last Episode

"最低の竜人ステラ"







【そしてハルマゲドンへ】



「気に入りませんね」
十七夜月美女が呟く。そして息を吐くともう一度呟いた。
「とても気に入りませんね」

月雨雪に負けたのは構わない。瓶ヶ森瓶花との戦闘でこちらがダメージを負っていたのに対し、彼女はほぼ無傷だった。

問題はそのあとだ。
鮫氷しゃち、雨竜院愛雨、雨月星座。
美女に勝った相手。
どいつもこいつも気に食わない。

別に彼女たちが何を考えていようがどうでもいい。
そんなことは重要ではない。
だが、あの結果は問題だ。

一位である必要はない。だから、敗北も構わない。
だが、それは彼女が場をコントロールしていればの話だ。
この敗北はそうではない。
彼女の負う敗北とはあくまでNO.2を目指すためのものであって、断じてあのような惨めな敗北ではない。
あれでは有象無象と変わらないではないか。

「もっと力が必要なようですね」
美女が笑った。彼女を慕う弓道部の後輩たちがその場にいれば、普段は見ないその表情に怖気を震ったところだろう。

もっと上を目指さなくてはならない。誰をも上回る誰も比肩することのない力を。
そして、誰にも揺るがされることのないNO.2の座を手に入れるのだ。
十七夜月美女の持っていた歪んだ向上心は、転校生達の闘諍の中でより大きくなっていた。
すでに彼女自身にも制御できないほどに。

「では参りましょうか」
どこへ?決まっているではないか。ハルマゲドンだ。

「ほかの皆さんも向っているのでしょうしね」
美女が眼鏡を取り出し、それを自らの顔にかけた。これは彼女が本気を出すとき使用する業物だ。
久しく使っていなかったが、機能に問題はない。

そして彼女は新たな戦場へと赴いていった。




【茶室の怪談:五六八と通訳の場合】



肝試しのスタート地点。
リタイヤ者や、緊急事態に備えての救護班などが待機している中――
ひときわ目を引く、一軒の庵が出現していた。
百端一茶の能力によって生み出された茶室『隠世庵』である。

中には、一茶の他に二人。
驚かし側の口舌院五六八と、探検側の雪月通訳である。

茶室の中は、灯籠による薄暗い間接照明で僅かに照らされているのみ。
そう、ここでの驚かしは『怪談』である。
怪談を最後まで聞くことが出来れば探検側の勝ち、
途中で怖さに耐えかねて悲鳴や気絶、茶室からの逃亡などすれば驚かし側の勝ちとなる。

「……つーか、なんであたしが怪談担当なんだ。
 そういうのは……その、あんたの方が得意じゃねえのか」

「いえいえ、私も人様に怪談を語れるような話術は持っておりませんわ。
 外国語ならば心得がありますけれど……」

五六八が、どこか不満げな表情で通訳を睨む。
くじ引きで決まったこととはいえ、こういうのは不得手だ――
寧ろ、外でワイキャイと驚かせるほうがやりたかった。
そう言わんばかりの、というか実際そのような恨み言を呟いている。

「……しかも相手があんたなのがなあ……」

「あら。そこは私も同意見ですわ」

口舌院の例外にして埒外と、口舌院の名を捨てた通訳者が
狭い茶室で向かい合うという、なんとも皮肉な構図。
茶室さながらに、世間も狭いものだ――
そんなことを思いながら、五六八が頭を掻く。

「しゃあねえ……そんじゃあ、やるぞ」

正座を崩さない通訳に対して、あぐらで差し向かいになる五六八。
そして、静かに語り始めるのだった――

「これは、こないだあった話なんだけどよ……」

~~~~~~

今日みてーに蒸し暑いある夜のことだ。
文芸部の合宿中に、集まって色々駄弁ってたんだけどよ。

「ひ、ひえーっ!」

いきなり五十鈴のヤツがなっさけない悲鳴あげたもんだから
何事か、って見たらちっちぇえクモが床を歩いてたんだよ。
どうってことないだろうにやたら騒ぐから、あたしがつまんで外に逃がしたんだけどさ。

「てんちゃん、怖いモノ知らずだよね」
「そういや、毛虫とか他の虫も平気で近付いてくッスよね」
「うるせえ。お前らがビクビクしすぎなんだっつの」
「じゃあ、先輩怖いモノとかないんスか?」
「怖いモノ?……ねえなあ」

んでまあ、夜も更けたし部屋に戻って寝ることにしたんだけどよ。
……夜中に、妙な気配がしたんだ。

あたしも眠かったからさ、その時はすぐ行動できなくて。
(……また五十鈴がこっそり布団に潜り込もうとしてきやがったのかな、
 そしたら一発ブン殴ろうかな、安眠妨害する奴ブッ飛ばすのは『アリ』だもんな……)
とか考えてたら部屋から気配が消えて。
じゃあいいか、寝直そう……と思ったところで。

……嫌な匂いが漂ってきたんだよ……
嗅いだ覚えのある、嫌ぁな匂いがな。

すぐに飛び起きて、部屋の電気つけたら――そこには……




いくつもの、カレーの乗った皿が置いてあったんだよ……!

「ひ、ひいいいいい!?」

ドアの前には、にんじんとじゃがいもの入った甘口カレー。
その横には、タマネギと牛肉だけのシンプルな辛口カレー。
テーブルの上には、ココナツと青唐辛子がたっぷりのグリーンカレー。
ベッドの脇には、ピーナッツペーストが溶け込んだマッサマンカレー。
窓の手前には、ビネガーとスパイスを効かせたビンダルーカレー……!

~~~~~~

「……ちょ、ちょっといいですか?」

予想外に流暢な五六八の語りを止めるように、通訳が口を挟む。

「あ?……てめえ、いいとこなのに何止めてんだ。
 それとも、怖くて聞けないからこれであたしの勝ちってことでいいのか?」

「いえ、その。
 その話……元ネタは“まんじゅうこわい”ですよね……?

 それは、怪談ではなく落語です」

「……あ」

極めてもっともな通訳の指摘に、五六八がしまった、といった表情を浮かべた。

「あと、カレーが嫌いな割になんでそんなにカレーに詳しいんですか」
「いや、こういうのはリアリティが大事っつーから……わざわざ調べて……」
「凝るべき処を間違えています。大体寝てる間に枕元やら何やらに
 カレーを置くという時点でリアリティなど無いじゃないですか。
 あれはまんじゅうだから辛うじて成立する噺です」
「う、うるせえ!」

通訳の冷静な指摘に、遂にまともな反論の言葉すらなく悪態をつく五六八。

とはいえ、いきなり「怪談をやれ」と言われてほんの一、二時間ほどで
普通の女子学生が上手に怪談を語るほうが難しいのも当然。
スマホでググって良さそうな話をパクってくるのも、無理もない話である。
その元がよりによって有名な落語で、それも怪談とは言い難い噺だったことは迂闊と言わざるを得ないが……

「ええと……ところで、この場合肝試しの勝敗はどうなるんでしょうか。
 怪談を最後まで聞かなかったのは確かですが、そもそも怪談ではない話でしたし……」

「いや怪談だろ!」と異議を唱える五六八を尻目に、通訳が一茶のほうを向いて尋ねる。

一茶はしばし悩んだ後、「では無効試合ということで」と答えるに留めた。

【口舌院五六八VS雪月通訳:無効試合(ノーコンテスト)】




無題(byタイガービーナス)



妃芽薗学園、コンピュータルーム。
学園中の情報を管理するその一室に忍び寄る一つの影があった。
怪しげな覆面を被り、コソコソとした動きで侵入を試みる様は、傍から見ればどう見ても怪しい。
とはいえ、そんな風体とは裏腹に、彼女は事前の準備を完璧に済ませていた。セキュリティロックは既に解除されており、監視装置の目をかいくぐって、彼女は学園中の端末へアクセス可能な中央制御コンピュータの前に立っていた。

「寅流の技術、完璧に取り戻せり……。ふふふ」

そうして、少女はコンピュータのキーボードをカタカタと手早く操作していく。
当然、PC自体にも複雑なパスワード入力が必要なロックがかけられていたが、彼女はある方法でそのパスワード入手に成功していた。
彼女はここから学園中の端末にあらゆる制御を行うことが可能な立場にある。一時的に学園そのものを支配できる、と言っても過言ではない。
一体、どのような恐ろしい企てがあるというのか……。

「これでっ、千本桜明菜(せんぼんざくら あきな)! 学園中のデータベースにある彼女の記録を全てゴリラに上書きしてやるわ!」

覆面の下がニヤリと笑う。
さて、説明しよう。紅井影虎こと、タイガービーナス。妃芽薗学園の平和を守るためきた転校生の一人。
戦いの中、一度は昏睡し死の淵に倒れた彼女であったが、奇跡によって蘇った。
……しかし、奇跡が必ずしも善き心によってのみ起こるとも限らない。
彼女が蘇ったのは、温かい周囲の心が大きかったのだが、親友美鳥の心を奪った千本桜明菜への嫉妬心も大きなものを占めていた。
そんな彼女は激戦と並行して千本桜明菜攻略の糸口を探り、かつて学園を震撼させたゴリ剣の存在を知り、千本桜明菜の評判を地に落とそうと、明菜の正体をゴリ剣の首魁……、キングゴリラに仕立て上げようと暗躍を開始したのであった。

明菜のゴリラ映像が端末を通じて学園中へ流れていく。
そんな様を満足げに見つめるタイガービーナス。
彼女が比較的規律の固い妃芽薗学園においてこんな悪辣な活動ができたのは、彼女が元寅流の忍術を極めていた(寅流は近代的なスパイ活動の技術も進んでいたのだ)ことと……。

「え~っと、そこまでだし~~」

カッ―――ー

突如、部屋の明かりが点けられた。
虎覆面、タイガービーナスの姿が白日の下に晒される!

「な……何者!?」

「一 二十四(にのまえ いぶ)、女子高生探偵……な感じ~?」

タイガービーナスの前に現れた一人の少女。
小麦色に日焼けした肌、ショートカットの金髪、大きく胸元を開けて着崩した制服。
この学園には珍しいギャル姿のその少女は、しかして類まれな情報収集能力を持った、名探偵であった。

「千本桜先輩、ゴリラ疑惑ばら撒き事件の犯人、追い詰めたし~」

ギャル言葉でタイガービーナスを追い詰めていく一 二十四。

「くっ……な、何故私のことが分かったの?」

すっかり追い詰められた二流悪役のセリフを吐くタイガービーナス。

「いや、あなた自身のやり方は完璧だったよ? あたしの力じゃ、足跡を掴むこともできなかった」

一 二十四、彼女は探偵としての推理力や身体能力は決して優れている方ではない。
寅流の技術を駆使して『一人で』学園の陰で動いていたなら、タイガービーナス自身の姿を彼女が調べるのは困難であっただろう。
しかし、タイガービーナスは重大なミスを犯していた。

「あんたさ~、ここのパスワードを調べるのに、男連中を使って学園の人から情報を聞き出させたよね~」

「うっ……」

「マジ楽勝だったよ? そいつらから、あんたのことを聞きだすのは~」

そう、一 二十四が優れていたのはその魅力を使った『人との関係』を用いた情報収集力。彼女はタイガービーナスの協力者を自らの手玉に取ることで、その黒幕の情報を得ていた。
タイガービーナスは彼女が撃破してきた虎十字団の幹部連中を使い、彼らが持つクソ作品による洗脳技術を使わせて学園関係者からパスワード等の重要な情報を聞き出すのに成功していた。
勿論、虎十字団の連中にもそれなりに固く口止めはしていた。……が、虎十字団、彼らはクソ作品によって闇に堕ちるような連中である。女日照りな人間も数多い。
そんな彼らが一 二十四が持つ手練手管の探偵能力という名の色仕掛けによって、あっさりと落とされぬはずが無かった。
見事、一 二十四は虎十字団のアホ共を通じて遂にタイガービーナスの尻尾を掴むことに成功したのである。

「ま、あたしに取っちゃ、朝飯前の仕事だね~」

「くそっ!」

逃亡すべく、入口へと向かってタイガービーナスが突進する!

「おっと、逃がさないよタイガービーナス……いや紅井影虎」

一 二十四の人差し指がピン、と伸びる!

「犯人はあなただしっ!」

決め台詞と共に桃色推理光線が発せられる!
真実を暴く光がタイガービーナスに直撃する!

「あうっ……!」

桃色推理光線は虎覆面を消滅させ、更にどのような原理か、タイガービーナスのコスチュームを適度に引き裂き、その姿を半裸同然にした。
タイガービーナス……否、紅井影虎はしかしその勢いのまま窓ガラスへ向かって突進する!

ガシャーン!!

音を立てて、紅井影虎は学園の外へと飛び出した……。

「うう……またこのシチュエーション……」

窓ガラスを突き破った影虎はその勢いのまま地面へと落下。
何とか受け身を取り、その身を起こす。

(あの時は、美鳥が助けてくれたんだっけ……?)

影虎はいつかの事を思い出す。
前の時はそのまま昏睡してしまったため、あまり覚えがないが、地面に落ちた後に美鳥の声が聞こえて来た覚えがある。

「影……」

(とにかく、ここを離れないと……)

「影虎……」

(あれ、また美鳥の声が聞こえる? 幻聴……?)

「影虎!!」

はっと顔を上げると、そこには紛れもなく、彼女の親友、紅井美鳥の顔があった。

「み、美鳥……なんでここに?」

「なんとなく、です。やはり、私たちには不思議な縁があるんでしょうね……」

奇縁について呟く美鳥の顔は、しかしいつになく神妙な面持ちをしている。

「千本桜先輩のご友人が自分に関する良くない噂を広めている方の正体を掴みかけていると聞き、もしやと思い私も外に出たのですが……」

「え……?」

「やはり、貴方だったのすね、影虎……」

美鳥は呟き、そして一枚の紙切れを取り出す。
それは、影虎がばら撒いた千本桜明菜に関する無いこと無いことを羅列した千本桜明菜=ゴリラの醜聞であった。

「ど、どうしてそれを……」

「この紙面は全て虎筆(とらふで)で書かれています!! これはまさに寅流(とらりゅう)の証! そもそも、私が貴方の書いた文字を見違えると思うのですか!!」

「ううっ……!」

「答えなさい! どうしてこんなことをしたのです!」

「それはその……私は……私は……」

自分の中にある想い、しかし影虎はそれを上手く吐露できない。
戸惑う影虎。ふと美鳥の顔を見上げると、その目からはぽろぽろと涙が零れていた。

「影虎、貴方は……貴方は、人の気持ちが分からなくなってしまったのですか?」

「え、あう……」

「千本桜先輩に対して貴方が何を思ったのか、私は知りません。でも貴方は彼女がどのような方か、知っているのですか?」

美鳥は瞼を濡らしながら、しかし真剣に影虎を見据える。

「千本桜先輩は凛々しい方です。剣の道に向かって真っすぐで、常に正しく美しくあろうとする方。けど、あの人の心の中には危うい何かが棲んでいる……それは私も感じています」

一瞬、物憂げに顔を沈める美鳥。
しかしすぐに顔を上げ、手に握った紙面を影虎の前に突き付けた。

「けど、それは決してこんな醜悪な姿の事ではありません!! 冗談でも決してこんな姿に例えられるような謂れは彼女にはありません!!」

「ま、まって美鳥……私は決してそんなつもりじゃ……!」

「では、どういうつもりです!」

「私は、私はただ……美鳥に私の知らない人と仲良くしてほしくなくて……その……」

力なく言い訳を呟く影虎。
美鳥は影虎に近づき、勢いよくパン!と平手打ちを見舞った。
頬を赤く腫らし、影虎はただきょろきょろとする。

「あ、あう……」

「もう、知りません! 二度と私の前に顔を見せないでください!」

そう言い放ち、美鳥はそのまま後ろを向くと駆け出していったのだった。

「み、美鳥……」

「みとりぃぃいいいいいいいいっ!!」

影虎は、ただその姿を見送って絶叫するしかできなかった。



《応援1:そして父になった》




都内のとあるカフェバーは、日にちを問わずいつでも賑わっている。
店長夫妻が自ら選び育てる野菜を用いた料理はとても美味しいと評判で、ガイドブックにも掲載されるほどだ。
店舗の二階は住居になっており、店長夫妻とその娘に加えて、去年からは彼らの親戚の少女も、通学のために共に生活している。

彼女が妃芽薗学園で実施されている臨海学校に出かけた日の夕暮れ、いつものようにごった返す店に、ギリギリ青年といえそうな男がひとり、訪れた。
カランと扉のベルが鳴る。
いらっしゃいと迎えた店長は、友人がやってきたとわかって相好を崩した。

「おう、また来てくれたのか」
「ああ、相変わらず繁盛してんな」
「おかげさまで」
「たいしたもんだ……ビールと枝豆」
「ここ居酒屋じゃねぇから」
「置いてあるくせに」
「売れるんだよコレが」
「まほろちゃん家の枝豆うめぇもんなー」
「枝豆だけじゃないよ」
「知ってる」

最近はやりのお洒落な創作料理と、昔ながらの居酒屋メニューが共存していることが、人気の秘訣だとか。
店内を見渡した友人は、普段との唯一のちがいに気づいて言った。

「そういえば、今日は結丹ちゃんいない?」
「今日から臨海学校なんだ」
「そっか、じゃ帰るわ」
「オイ」
「冗談だよ」
「お前らがそういう目で見てるなら店には出さん」
「だから冗談だって……自分の娘みたいだなー。夢美ちゃんは元気?」
「あぁ元気だよ。今まほろと夜ご飯食べてる」

店長の娘の夢美ちゃんは、ときどき店内にやってきて、お客さんに癒しを振りまいている。
今日はまだ早いので、お母さんと一緒にご飯の時間だ。

「いいなあ、俺も早く結婚してぇー。でも、自分の子とあの子で大変じゃ? 親戚っていっても中学生だろ」
「ま、色々面倒なこともあるけど……」
「なんでそんなにがんばれるんだよ」
「あー、そうだな。色々あったんだ」
「なんだよ勿体つけんな」

頭をかく店長は、友人に笑いながら問いつめられる。
観念したのか、彼は照れくさそうに話し始めた。

「いや、昔からあいつは妹みたいなかんじだったんだけどさ、俺がまほろと結婚するって言った時にな、すげえボロ泣きしたんだ。おいおい泣きすぎだろって思ってたらさ、『ゆにがお兄ちゃんと結婚したかった……』て。ぶっちゃけ、世界で二番目に可愛いかった。可愛いっていうのは恋愛的な意味じゃなくて、何ていうか守りたいっていうか。まあ今は三番目なんだけど」
「はぁ」
「だから、俺はコイツのために何かできたらってずっと思ってた。そしたら、俺の伯母さん……あの子のお母さんがさ、ウチで面倒見てやってくれないかっていうから、じゃあ任せてくださいってことで今に至ると」
「へぇ」
「魔法にかかっちまったのさ」
「ふーん」
「反応悪いなおい」
「父親がわりのことをしてるぐらいだから物凄い深刻な理由なのかと思ってたけど、全然どうでもよかったわ。ビールおかわり」
「なんだそりゃ…真剣なんだぜ俺は」

会話と友人の酒が進んでいく。
何杯目かそろそろ怪しくなってきた頃合に、カウンターの奥から、男たちと同年代の女性が現れた。
薄い化粧は彼女の僅かにあどけなさが残る顔を慎ましく引き立て、飾らない美貌を実現している。
店内の客の視線も、自然と彼女に集まっていた。

「こんばんは! 夫がいつもお世話になってます~」
「まほろさん! いえいえこちらこそ!」
「ゆっくりしてってくださいね」
「ありがとうございます!」

無邪気といって過言ではない笑顔であいさつをするまほろ。
目尻が下がり、頬が緩んだだらしない顔で礼を言う友人に、店長はあきれ顔だ。
まほろと話した男はだいたいそんなかんじになってしまうので、もはや慣れっこだったが。

「デレデレしやがって」
「お前には過ぎた嫁さんだよ」
「うるさい」
「ハハハッ」

軽口を叩きあうふたり。
もう二十年以上の付き合いになる。
変わらない日常が、お互い幸せだった。

「ま、お前もがんばれよ」
「サンキュ」

店はまだまだ賑わい盛り上がっていく。
夜が更けていくとともに。
臨海学校の夜も、この店ぐらい楽しいものでありますように。そう願う店長だった。



[了]




【瓶花とエンプレスの事情:決意編】



「……」

一人と一本、二心同体の状況にも馴染んできた瓶花とエンプレスだったが――
襲撃者との戦闘では、敗戦に次ぐ敗戦の連続である。
その中で少しずつ強さを取り戻し、得てはいたものの。
あちこちの怪我と、精神へのダメージと引き替えの、苦い成長であった。

しかも――悪いことに。
そんな無茶をしての成長すら、満足行く結果には至っていなかった。

「……せめて、あと二つ。私の“力”を取り戻せていればねえ」

エンプレスが、苦々しく呟く。
不甲斐ない己に対する皮肉。
アキビンの“女帝”として不遜な態度を崩さなかった筈の彼女が、自らを責めるほどに。
――今の状況は、芳しくない。

そもそも、この謎の戦闘は――
エンプレスと瓶花にとっては、本来積極的に関わりたい戦いではなかった。

エンプレスの目的はあくまで、失われた己の“能力”を取り戻すことにあり。
瓶花に至っては完全に巻き添えで、女帝の目的が達成されない限り
この奇妙な寄生状態が解消されないから、従わされている状況だった。

だが―― “惨劇”までの期日が迫り、朧気だった『瓶底望遠鏡』のヴィジョンも
少しずつはっきりと映し出されていく中で、二人の心境は変わった。
二手に分かれ、争い、殺し合う少女達。
犠牲者の中には、瓶花のよく知る少女も少なくなかった。

“惨劇”そのものの阻止は出来ない――だが、もし仮に。
自分達がこの“惨劇”に直接介入できれば、犠牲者を少なく済ませることは出来るかもしれない――
女帝の見立ては、瓶花にとって十分に冷酷な判断であったが、それでも。
瓶花は、女帝と共に戦う道を選んだ。

(……でも、女帝さま。まだ手はある、と仰ってましたよね?)

瓶花が、静かに女帝に語りかける。
だが、エンプレスは――瓶花の身体でかぶりを振り『それはできない相談だ』と言わんばかりの態度を示した。

「ああ。……ひときわ強大な気配が、三つ。
 アレに挑めば、もう少し力を得られるとは思う……だが」

以前の彼女ならば、瓶花にそもそも相談されるまでもなく挑んでいただろう。
瓶花の肉体がどうなろうが、お構いなしに。
しかし、今彼女が戦いを拒むのは――他ならぬ、瓶花を案じてのことだった。

「……『瓶底望遠鏡』で、見ただろう。十中八九、負ける。
 そうなれば、瓶花ちゃん……キミの心は、粉々に砕け散る。
 落とした瓶のようにね」

あるいは、私の精神も諸共かもしれないがね――
エンプレスはその光景を“見た”ことで、最後の襲撃に参加しない腹積もりであった。
“惨劇”のときと違い、こちらは『挑まなければそもそも発生しない未来』。
避けることは、そう難しくはない――

だが、瓶花は。
毅然と、しかし穏やかに言ってのけた。

(構いません。
 たとえ今負けてでも、私達は強くならなければなりませんから)

「……しかし」

(女帝さま。……ちょっとだけ、身体と……能力を、貸してくださいませんか?)

なお躊躇するエンプレスに、瓶花が奇妙な提案をする。
エンプレスは、瓶花の考えを読もうかどうか悩んだが――それをせず、身体の支配権を瓶花に渡した。

(……いいけれど、何をする気だい)

「……えっと、確か……」

二心同体の今は、瓶花もまたエンプレスの持つ、様々な“ビンに纏わる能力”を行使できる。
そして、彼女が使いたかった能力――その答えは、すぐに理解できた。

(『流離う速達瓶』(スパムボトムボトル)……)

『流離う速達瓶』は、ボトルメールの能力である。
相手の力や記憶、存在でさえもボトルメールにして封じることのできる強力な能力であり、
エンプレスはこの能力を己に使うことで窮地を脱したこともあるが――
今の力では、こうして何の変哲もないボトルメールを生み出すことしかできない。
つまり、手で直接書いて瓶に入れる手間を省くだけの、つまらない能力に成り下がっている。

だが、今の二人―― 一人と一本には、少しだけ特別な意味を持っている能力でもある。
これこそ、瓶花とエンプレスの出会いの切欠を作った能力に他ならないのだから。

「……この中に、色々綴っておきました。
 私の生い立ちとか記憶とか、あと…… 女帝さまに出会ってからのこととか」

そして、そんな能力を瓶花が借りたいと言った理由は――
心を読まずとも、エンプレスにはわかるような気がした。

「もし、私の心が壊れちゃったら……お礼とかも言えないでしょうから。
 その時に、読んで下さいね」

瓶花は、気丈に微笑むと――再び、エンプレスに身体を明け渡した。

「……やれやれ。瓶花ちゃん。
 君のことを、まだまだ見くびっていたことを、許しておくれ」

嘆息し、封のされたボトルメールを懐にしまい込むエンプレス。
出来ることなら、この手紙を読むときは――何もかもが笑い話にできる、その時になるように。

エンプレスは、シニカルな笑みを一つ浮かべ――
おぞましい気配が漂う、死地へと向かっていった。




《パラレル・パラノイア》



わたしはメリー。
おれはシープ。
それならぼくはいったいだあれ?
わからない。
分からない。
判らない…。

ぼくの頭から綺麗な花が咲いた。
死体が急に起き上がった。
覚えていることはそれだけ。
わからない。
分からない。
判らない…。

わたしはだれかを『レッスン』したかった。
おれはだれかを『調教』したかった。
ぼくはだれかが『好き』だった。
わからない。
分からない。
判らない…。

だれかを殺したい気持ち。
だれかを従えたい気持ち。
だれかを愛したい気持ち。
赤。
青。
黄。
花が咲く。花が咲く。花が咲く。
ぼくの目に映る花はどんどん生えてみるみる咲いてばらばら枯れて土に還って。
平行する視界。世界。理解。
認識。
だれがわたしでだれがおれでだれがぼくでおれがわたしでわたしがぼくでぼくがわたしで重なり交わり溶けて融けて絡み合い腐る。
平行する想像。空想。妄想。
認識。
向日葵。薔薇。菫。色とりどりの花が華が空を地を咲き誇って埋め尽くす。
わたしはぼくはおれは………………。
ひつじ。xxx……。


嘘だ。
嘘か?
解らない。



[了]




<<千本桜明菜 エピローグ>>



「これでお仕舞い、ですか」

胸に手を当て、その掌にべっとりとついた血を見つめながら、千本桜明菜(せんぼんざくら あきな)は呟く。
その胸には生徒会の彩妃 言葉(あやさき ことは)が植えつけた多種多様な植物の種が穴を明けていた。
本来なら人を殺すほどの力の無かったそれは、同じく生徒会の砂漠谷レマによって潜在能力を最大限に発揮され、人体を貫き、食い破るほどの力を持つに至っていた。

「結局、この私の生(せい)は何だったのか……」

明菜の脳裏にこれまでの人生がよぎる。
ただ父の背中を追いかけた日の事、その父が日に日に豹変していったこと、その父を斬り、魔人能力に目覚めた日の事、ただ美しくあろうと悪しき者を斬り続けた日々、妃芽薗学園へと入り剣道部へと入った日、一 十(にのまえ くろす)との出会い、ゴリ剣との戦いの日々、百端一茶(ばたばた いっさ)のお茶を皆で囲んで飲んだ日、自分を圧倒した謎の羊男、そして後輩の紅井美鳥。

「ごめんなさい、一緒に能は見に行けませんね……」

彼女と約束を思い出し、明菜は悔いる。
学園に入ってから明菜を慕う多かったが、なぜ彼女に特に惹かれるものがあったのかは分からない。一十の百合粒子に長く当てられたからであろうか。
彼女は果たして大切な人と分かり合うことはできたのだろうか。

「十さん……」

唇に一十と触れ合った感触が蘇る。
彼女が知らせてくれたあらぬ噂……、最初に見た時は面食らったものだが、十の友人が明らかにしてくれたことには
それほど悪意の無い他愛も無い悪戯のようなものだったらしい。
その犯人こそが紅井美鳥の大切な人だったようだ。二人は和解できたのか……今の自分にはもはや知る由もない。

「何故人は、醜く争うのでしょうか……」

周りには自分が属していた番長陣営の魔人達の死体が累々と横たわっている。
これが、今まで悪人を散々桜にしてきた自分への罪だというのか。
その自分の力、刀妖血界を張る力は今の自分にない。死の淵にいるからではない。学園中に張られた高二力フィールドがそれを許さないのだ。
自らの力が十分に生きるのはこの戦いの後半戦だったが、彼女の優れた攻撃力は前半戦においても生きるため、彼女は力を抑えられた場においても先陣を切って生徒会陣営へと向かっていくことになった。
その結果が、これだ。
美しく桜を舞わせることもできず、今倒れ伏すしかない。これが自分に与えられた罰だというのか。

「せめて、最後は見苦しくなく……」

手に持った刀に力を入れる。
最後はせめて割腹し、果てたい。このままただ何もせず死ぬのは自分のこれまでの生き方に反する。

「番長陣営の皆さん、せめて幸運を……。そしてこの学園に平和と安らぎを……」

ギリギリ……と刀が腹を抉る。
明菜の意識が闇へと沈んでいく。

(十さん、貴方は果たしてどちらの陣営に……。美鳥さん、貴方の想い人は……)

そして、大きな紅い華が散った。


――――それからしばらくして。
千本桜明菜の胸に植えられた種からは、まるで彼女の血を吸って育ったかのように大きな芽を伸ばし、木となり、枝の上に花を咲かせた。
ひゅうひゅうと風が吹き、桜の花びらが舞っていく。
その欠片は誰に届くのか。彼女の最期の祈りの行方はまだ知れない……。




【快進撃?:後藤さんとツツジの場合】



「いやあ、なかなか愉快じゃのー」

「ゆ、愉快ですかあ……?けっこう怖かったですよー……」

暗い森の小道を、二人の少女が進む。
一人は、ウサミミめいた甲冑に身を包む魔法少女、後藤うさ。
もう一人は、その執事にして羊角の少女、ツツジ。

肝試しで探検側に選ばれた二人は、ツツジの強い要望でペアとなった。
主従関係による本能的な部分も大いにあるが、それ以上に
ツツジは怖いモノが苦手であった。

一方、後藤うさ――ナリこそ幼女だが、実年齢数十歳の老人である。
ましてや人外化生のモノを相手取る魔法少女歴80年の大ベテランとあらば、
十数年しか生きていない少女達が精一杯絞った知恵程度では驚かない胆力がある。

それでは、ここまでに彼女たちの前に現れた驚かし役達の奮闘を駆け足で御覧頂こう。

~~~

「ウサー」
「むむっあれはヴォーパルバニー!お二人、下がっていなさい!」

二人の前に現れたのは、烏兎々々と彩妃言葉の二人……と、人形が数体。
烏兎々々はこれといった仮装はしていないが、言葉は己の能力で編み上げた植物性の鎧を着ている。
人形も同じように、甲冑騎士を模して作られている植物製のものだ。

「ふ、ふぇ?ボーパル……なんですか?」

突如出てきた大量の鎧騎士(に扮した人形)と、かわいらしい兎人の組み合わせに
戸惑うツツジをよそに、烏兎々々が突如動く。

「ウサー」
「グワーッ」

兵士人形の横を烏兎々々が通り過ぎるタイミングで、言葉が棒読みで悲鳴をあげる。
すると、兵士人形の首が次々はねられていく!
これぞ古事記にもその名を残す伝説の邪悪存在・ヴォーパルバニーの再現だ!

「び、びえええええぇぇぇ!!!」

あまりの怖さに泣き叫ぶツツジをよそに、後藤さんは平然とツッコんだ。

「……いや、今時モンティ・パイソンのわかる女学生がおるかの?」

~~~

「市民、あなたは幸せですか」

「もっとよくしてください」

続けて現れたのは……奇妙なロボットと人形のコンビだった。
人間型の警備ロボ、N-SR-CA2-T-1 ハイレッグ・プリンセス。
自己学習能力を備えた高性能ラブドール・かれん。

ハイレッグ・プリンセスの問い掛けに、回答になっていない回答を返すかれん。
彼女のAI回路は今「若奥様のおねだりモード」に切り替わっているので、男の情欲をそそる台詞のみしか喋れないのだ。

「回答が不適切です。回答を拒む者は市民ではありません。
 市民でない者は不穏分子なのでZAPします」

ハイレッグ・プリンセスの腕に取り付けられた電磁ZAP銃が不穏な光を放つと同時に
かれんの肉体がビビビビと痙攣し、男の嗜虐心を煽る悲鳴を上げる。
なお、これらは実際に電磁ZAPが行われているわけではなく音と光と高度AIによる演技である。ご安心ください。

「な、なんですかこれえ……!怖いよう!怖いですよう……!」

涙を目に溜めて後藤さんにしがみつくツツジ。
後藤さんはツツジの頭を難儀しながら撫で、やはり冷静にツッコミを入れる。

「『パラノイア』のパロディなのはわかるがのう……せめてZAPされる役がもうちっとマシな演技できんかったのか」

と、ロボ(とラブドール)に対してダメ出しまでする始末だった。

~~~

「……で、お主らはなんなのじゃ」

三組目は――シトラ・ストロベリーフィールドと、小灰陵墓色の二人。
しかし、一目見てそうと気付ける人間は少ないだろう。

というのも、二人とも全身を着ぐるみに身を包んでいるからだ。
それも――バナナとハマグリの着ぐるみである。

「……どうも、キラーレモンです」
「……どうも、シジミチョウでございます」

着ぐるみの中から、明らかに士気の低い声が漏れる。
キラーレモンと名乗ったシトラの着ぐるみは、バナナ売り場にいそうな
アメコミ調の顔が描かれたバナナのキャラクターである。
その表情は明るくファンキーで、キラーっぽさは微塵もない。
せめて禍々しい表情であれば、B級ホラーのキャラクターで通せただろうが……

もう一方の墓色に至っては、シジミチョウと名乗りながらハマグリである。
殻を閉じた状態で、蝶番を上にした格好で
そこから人間の手足部分だけが突き出ている――着ぐるみとしても色々とチープな姿だ。

「ひ、ひええ!バナナに貝が喋りましたよう……!」

それに本気で怯えるツツジも大概ではあるが。

「いやこれは怖くないじゃろ。別の意味で怖いがの……
 というかどう見てもバナナとハマグリなんじゃが」

「誰がなんと言おうと、私はレモンであり凶暴なキラーレモンです」

「私も、死の匂いに誘われた妖艶なる蝶でございます」

多分表情が見えれば、二人とも目が死んでいる状態であったろう――
それが容易に推測できる程、二人の声音はどこか淡々と、ぼんやりとしていた。

「で、どうしてこうなったのじゃ」

後藤が、近くの切り株に腰掛けて話を聞く姿勢を見せる。
人生の先輩にとりあえず話してみなさい――その気配に、二人も口を開いた。

「……着ぐるみの発注が……」

「衣紗早さんにお願いしたのですが……他にも沢山の人が頼んだらしくて
 どこかで取り違えが起きた結果、こうなりました……」

「あー……それは、なんというか……
 じゃがまあ、その格好も人を驚かすには悪くないからの。
 創意工夫が大事じゃよ……うん」

こうして、バナナとハマグリは幼女相手に人生相談を繰り広げるに至ったのだった。

~~~

「……ふう。やっとこさチェックポイントじゃの」

こうして、数々の難関(?)を攻略した後藤さんはチェックポイントへと辿り着き――
置かれていた小さなマスコットを手に取る。

「これを持って帰ればしまいじゃ、さっさと帰るぞ――」

そう言って振り返った、そこには。

「……む?」

ツツジの姿はなかった。

「……ありゃー、どこかではぐれてしもうたかの……」

己の迂闊を、額をぺしゃりと叩きながら反省する魔法少女。
すぐに気配を辿ろうとした、その刹那――


「ぴぃぎゃあああああああぁぁぁぁぁぁ!?」


森中に、探していた少女の悲鳴が木霊した。




【人外対決?:白瀬の場合】




「……ううむ」

白瀬・ウルフレット・桜子は不本意であった。
驚かし役に任命された時、自分が『銀狼の騎士』と呼ばれることから
人狼の仮装をしよう、と思い立ったまでは良かったのだが――

同じように仮装道具を欲する驚かし役がよほど多かったのか、
桜子の元に届いたのは――狼とは似ても似つかない、別の動物だった。
それも、頭だけ。

だが、桜子はそれを嫌な顔一つせず受け取ることにした。
それを見た時、彼女の心に何か――奇妙なときめきが広がったからだ。

そして桜子は今、それを被り――探検役が来るのを待ち受けていた。

ところが、探検役の子がなかなかやって来ない。
理由としては、桜子の配置されたポイントがかなりの奥地であり
臆病な子達はそこまでにリタイヤしてしまうし、他の子にはもっと難易度の低いチェックポイントが
割り振られていて桜子の所を通らないという不運が重なったためだが、桜子は知る由もない。

「驚かす練習は大分やったのだがな……」

そろそろ肝試し自体も終了する頃合い――
桜子も諦め、そろそろ戻る支度をしようとした、その時だった。


「ぴぃぎゃあああああああぁぁぁぁぁぁ!?」


「!? 何だ、あの悲鳴は――!」

桜子が思わず身構えた瞬間、悲鳴をあげながら走り去る影が目の前を通り過ぎた。

「! あれは……待って!」

桜子が咄嗟に後を追いかける。
この辺りは道も入り組んでいるので、見失って迷子になってはまずい――
風紀委員としての判断であった。

~~~

「なにあれなにあれなにあれぇ!こわいよこわいよこわいよーっ!」

羊角の少女、ツツジは――大粒の涙をこぼしながら、暗い森の中を走って逃げていた。

チェックポイント寸前、主である後藤さんが先に進む中――
不意に横の茂みを見た時、

“それ”と目が合った。

恐怖が臨界点を迎え、彼女は主に縋り付くのも忘れて逃げ出した。
闇雲に走り回るツツジの脳内は、パニックに支配されている。

「待って! そっちは危ないから!」

不意に、凜とした女性の声が背後からする。
恐怖と混乱で塗りつぶされていたツツジの心に、ほんの少しだけ余裕が生まれる。

「大丈夫、私は風紀委員だから……!
 そっちに行くと戻れなくなるから止まって!」

女性の必死の呼びかけに、少しずつ走るペースを落とし……そしてへたり込むように止まるツツジ。

「ふ、ふええう゛ぇえぇぇ……」

目の前には、段差が広がっていた。
さほど高くはないが、あのまま走っていたら――転落し、怪我していただろう。

「あ、あの、ありがとうございま――」

自分を救ってくれた女性に、お礼を言おうと振り返ったツツジが見たものは――


白馬の頭部を持った、奇妙な女性だった。

「~~~~~~~~~~~!?」

声にならない悲鳴をあげ、ツツジは――気を失った。

【白瀬・ウルフレット・桜子VSひつじ執事ツツジ:無効試合(ノーコンテスト)】




「意思を継いで」



~第一戦終了後~


遠くでの戦いの音がやんでしばらく
斥候に出た一二兆と里見晶は戦場になっているであろう校舎の傍へとやってきていた
脇に差した刀を確認しながら歩く晶と両の手を頭の後ろに手を組んで歩く二兆

「だっ、大丈夫ですかね先輩」
「大丈夫にゃよ、千本にゃくらさんも一緒にゃし」

気楽に話す二兆とは違い、晶の顔は暗いままだ
晶は携帯で何度か前線に出た仲間に連絡を取ってみていたが返事はないままであった
二人がしばらく歩くと、ふと目の前に何かが飛び出してきた
白い巨大が二人の前で立ち止まる、赤と白の斑な身体と光が霞んだ瞳を向けるそれは飛び出した姿勢のまま二人と対峙していた

「だっ、誰にゃ!?」

思考停止から先に戻ったのは二兆だった
エアガンを引き抜き目の前のそれへと向ける
慌てて晶も刀を構える

「まっ、待ってください!?」

一瞬の対峙であったがそれは少女の声によって遮られる
その声には二兆も晶も聞き覚えがあった
もぞもぞと巨体の赤斑な身体から別の存在が姿を出す
それは先陣の援護に行った折内こころであった

「敵じゃないです、敵じゃないです!!」

涙を浮かべながら手を振るこころの姿と彼女しかいない状態に晶は嫌な予感が当たったことを感じ、二兆は陽気な表情を引き締める

「こころさん……ほかの方は?」

振るえる声で聞く晶の言葉にこころは咄嗟に声を返せなかった
その様子に二兆は予感が確信へと変わったことを感じた

「わかったにゃ、すぐに番長小屋に引き上げるにゃ」
「は……はい……」

深く聞かれないことに後ろめたい思いを感じながら
こころは静かに頷き、彼女の乗る存在の耳元へと唇を寄せる

「シープさん、もう少しです……頑張って頑張って」

その言葉に少しだけ彼女の乗る物体の瞳に光が僅かに戻る
一歩一歩と歩み始めるその姿は、巨体でありながら今にも崩れ落ちてしまいそうなほど弱弱しく
晶と二兆は気が気でないまま、番長小屋へと戻った





―――――――


「つまり十三人中生き残ったのは五名ということか」

誰とも知れない発言に番長グループのメンバーたちの顔は一様に思い
メンバーの真ん中ですべてを話して、まるで何事かの糾弾や罵詈雑言を待つかのように、ただただうつむくこころに誰もが声をかけられないでいた

「ひっ、ひっぐ、約束したのに、一緒に頑張ろうって……」
「晶さん、少し部屋の外に行きましょう」
「うっ、うぁあああああああっっっ」

経過を話せば話すだけメンバーの多くが目を伏せ、中には涙をこらえられず泣き出してしまうものも多かった

「ステラ……」
「……亞聞ちゃん」
「……大丈夫、私は大丈夫だよ白雪」

友達や憧れの先輩といった者たちが倒れた、彼女たちが死んでいったことを受け入れられるほど強い心を多くの少女達は持ってはいなかった

「……桃ちゃんの能力のブラフが上手くいかなくて」

人の口に戸は立てられない、彼女の友達の何気ない一言が生徒会のメンバーに漏れ、そこから一気に隊列が瓦解することとなった
番長の右腕的な存在であった「四万十川アリス」は凶弾に倒れ、番長である「メリー・シープ」も敵であるパラノイアの能力により魔人の身体を維持できず、今はただの羊に戻ってしまっている
生き残ったシアクは口から泡を吹き、土星、不定もいまだ昏睡から覚めないままである
千本桜明菜を始め、ステラ、綾崎楓、草野珠、赤牛崎黄毬といった大半のメンバーを一気に失い小屋の中はまるでお通夜のようになっていた

「何をしているのですか、みなさん?」

そんな悲しみにくれる小屋の中に凛っとした声が響く
自然と集まった視線が小屋のドアへと向けられる
そこにはいつものようににこにこと笑みを浮かべた百端一茶が立っていた
彼女は番長小屋に入れずらいメリーを陰世庵に運んでいたはずであったが
何故かポットを持って戸口の前に一人たたずんでいた

「とりあえず、皆さんお茶にしましょう。ゆっくりと今をかみしめましょう」

そういって、小屋に入るや否や彼女はゆっくりとお茶をたてる
彼女へ向けられる視線の中にはいらだちを含む者や呆れが混じるものもあった
だが、彼女はまるでそのようなものを気にせず、やがて一杯のお茶をたてた
何とも言えないほのかなお茶の香りが小屋の中をつつんだ

「さあ、こころさん」
「……あっ」

差し出された茶碗に戸惑うような反応を見せるこころに一茶は優しい笑顔を向ける
ゆっくりと椀を傾け、飲み込んだそれはこころが今まで飲んだ何よりもおいしかった。そこで初めてこころは生きててよかったと小さく思えた

「……おいしいです」
「ゆっくりとはいえないけど、しっかりと受け入れましょう彼の思いはまだ失われていないわ」

番長グループ
それは突如、学校に現れた部外者によって作られた組織だった
得体の知れない胡散臭いものによって半ば強制的に集められたメンバーではあったが、それでも皆何かの思いがあってここにいた
彼の危惧する危機に呼応するものもいた。生徒会の組織に反感を持つものも居た。友達が入ったから入ったものも居た
こころの小さな頭を撫でつつ、一茶はグルリと小屋に集まるメンバーを見回す

「これから、反抗戦のための作戦会議を始めます。まずは番長を新しく選定します」

凛とした声に沈んでいたメンバーの顔がゆっくりと引き締まる
そうだ、まだ終わりじゃない
私たちは生徒会には屈していないのだと

「やるにゃ、生徒会に目に物見せてやるにゃ!!」
「ステラちゃんの~かたきは~ちゃんと~とりますよ~」
「そんなまったりじゃ全然ダメにゃー!!」
「やるきは~あるん~ですよ~?」

二兆の勇ましい言葉と、白雪の気の抜けた言葉のコントラストに何人かの生徒の口元に笑みが浮かぶ
まだ負けてない、ここから大逆転だ

「わっ、私もやります千本桜先輩の分も頑張ります」
「ええ、頼りにしてますよ」
「はい、柿内先輩。泣いてたら怒られちゃいますもんね」

番長グループはその日再度結束を固める――

「さあ、お茶で申し訳ありませんが献杯しましょう。皆の魂に報いる為に」


――勝利を信じて




一戦目一日目3T後手SS『渡り廊下の変』



ーーー嘘つきわんこーーー

「音隠ちゃん! 無理しちゃダメだからね!」
「はい。大丈夫です」
 私は、嘘つきだ。音隠は自嘲した。
 包は、応援でやってきた音隠を気遣いながら、ウミウシの着ぐるみでバタバタと後退していった。音隠のどこか心ここにあらずといった様子に若干の胸騒ぎを覚えたが、早く動かなければ作戦に響く。不安をかき散らすように頭を降り、先を急いだ。
 音隠は、戦闘用糸電話を構えながら、渡り廊下を見つめた。そこに陣取るのは、仁王立ちをする竜人の女の子。家乃ステラという名と聞いている。
 私の役目は、この渡り廊下から先にステラを行かせないことだ。今、もう一か所の渡り廊下では生徒会陣営の総攻撃がされているはず。その間、ここの守りを固めることで、挟撃を防ぐのだ。結局はにらみ合いをするという、死線となっているであろう反対翼の渡り廊下に比べればまだ安全な仕事だ。
 だが、音隠は己を犠牲にする覚悟を決めた。
 渡り廊下に陣取る、竜人の子は、決して侮っていい相手ではない。だがそれ以上に危険なのは、その奥でギターを構える、帽子を被った女、綾崎楓だ。
 音隠は以前、目撃している。妃芽薗学園のグラウンドで暴れるゴリラたちを、一瞬にして惨殺した楓の力を。
 楓は危険だ。彼女を生かしておけば、いずれ生徒会は大打撃を受けるかもしれない。今ならば、相手も油断している。私の能力ならば、殺せる。生徒会のためには、今削っておくべき戦力だ。
 生徒会のため。自分で言って笑えてくる。正直言って、陣営なんてどっちでも良かった。結局、お互いがお互いの正しさを主張しているだけだ。ガキのケンカと変わらない。そんなものに巻き込まれるなんて、私からしたらごめんだった。
 でも、”あの子”が生徒会に入ると言ったから。
 あの子は今も、生徒会が陣取る校舎で非戦闘員として、お茶くみや洗濯などの雑用を頑張っている。本陣まで、敵を近づけるわけにはいかない。
 生徒会のみんなは、私の能力を心肺機能を強化して運動能力を上昇させるものとしか認識していない。一度使えば、ハルマゲドン中には復帰できないということは話した、だが、本当の副作用については誰も知らない。私が、言わなかったから。
 いざというときに、それを理由に判断を鈍らせてしまえば、生徒会全体を危機に陥らせる。それは、あの子を危機にさらすということでもある。それだけは、絶対に嫌だった。
 死ぬのは怖い。でも、あの子に死なれることの方がもっと怖い。生徒会を守ることが彼女を守ることに繋がるのなら、それ以上に理由なんか必要ないのだ。

 命には、使い時というものがある。

 私にとって、それが今だ。

 音隠は、静かに糸電話の片側を口に当て、もう片方を左胸に当てた。
 思い返すのは、茶道部の先輩。私みたいな偏屈者も、笑って受け入れてくれた優しい先輩。生徒会に行くと言ったときも、「体に気を付けてね」と送り出してくれた。私は、貴方の敵になるのに。ごめんなさい。言うこと、聞けませんでした。
 思い返すのは、古武道部によく顔を出してた剣道部の先輩。私みたいなやる気のない部員にも、とてもよくしてくれた。あの子が先輩に向ける尊敬の眼差しに少し嫉妬したときも、見透かしたように笑いかけてくれた。強い、きれいな人。
 思い返すのは、あの子の笑顔。

 ねえ、知ってる? 私は、嘘つきなんだ。

 最初から、古武道部への誘いを断るつもりなんてなかったの。

 ただ、照れくさかっただけなんだよ。

「静那。静那。静那…」
 その言葉に呼応して、音隠の心臓は強く胸を打つ。まるで、悲鳴をあげるように。まるで、飼い主を探して鳴く子犬のように。


ーーー竜の人ーーー

 渡り廊下に仁王立ちで立つステラは、糸電話を手にする女を視認していた。翼の仕込み銃は準備オーケーだ。近づいてくれば、いつでも迎撃体勢は取れる。
 ステラは、渡り廊下の守りを任された。ここは、番長グループの最前線だ。もっとも危険な場所であり、もっとも死に近い場所である。
 全く、とんだ役回りだ。復讐以外に使う命はない。そう思っていたのに、なぜあたしは最前線で命のやり取りをしているのだ。
 番長グループには恩義がある。メリーさんには世話になった。アリス先輩が作ってくれたオムライスは、本当に美味しかった。何よりも、こんな私を疎まず、仲良くしてくれたみんなのために、命を張りたいと思っている。
 しかし、これはただの情だ。あたしの本来の目的を考えれば、一時の感情に惑わされることなく、他人を犠牲にしてでも生き延びるべきだろう。なのに、あたしはここから下がるつもりはない。本当に、馬鹿げている。大局を見据えず、断捨離をせず、やりたいことをやるなんて。
 "やつら"に言わせれば、それがドラゴンのすることか、ってなもんだろう。
「上等だ」
 ステラは、自らを鼓舞するかのように、握り込んだ右拳を、開いた左手に叩きつけた。恩義は貫く。復讐も果たす。あたしの身を焦がすような二つの衝動を、仕方ないなんて言葉で決して誤魔化したりはしない。

 あたしがあたしであるために大事なものを、一つたりとも零れ落とすつもりはない!

「来るならこい! あたしは逃げも隠れもしねえぞクソがぁーっ!」
 ステラが、咆哮したその瞬間、一陣の風がステラの真横を瞬く間に通りすぎた。
 背後から、肉が裂ける音。その更に遠くから、人の名を呼ぶ声が聞こえる。
 ステラは、一歩も動けなかった。膝が震えて、恐怖で後ろを振り向けなかった。
 ステラが真の意味で、この戦いを殺し合いと認識したのは、この瞬間だった。


ーーー風に吹かれてーーー


 綾崎が全身に風を感じたのは、音隠の拳が自身の腹部を貫いた数瞬後だった。
(なにこれ)
 口の中に血の味がする。目線を下ろすと、糸電話を握りしめた音隠が血を吐き、そのまま崩れ落ちるように倒れた。音隠の腕が綾崎の腹部から抜けると、水道のコックを捻ったように血が大量に流れ出す。
 綾崎の膝が笑う。立っていられず、たまらず尻餅を付いた。
(血、ガンガン抜けてくな…)
 お漏らしでもしたみたい、と間の抜けたことを考える。痛みはない。脳が痛覚をシャットアウトしているのだろう。
「楓ちゃん!」
 草野の叫び声が聞こえる。だが、綾崎の視界は水中のように歪み、聞こえる音は一枚壁を隔てたかのように遠い。
 これが、死か。
 そんな、中二病のような言葉が頭に浮かび、綾崎は自嘲した。全然美しくない。どうせなら、もうちょいいい最期を迎えたいところだ。
 ふと、鼻歌が口をついた。路上で弾き語りをするとき、シメに必ず歌っていたこの曲。あいにくと力が入らないから、ギターは弾けないし、ブルースハープも吹けないが。

「How many roads must a man walk down.Before you call him a man ?」

 息継ぎをする度、肺に血が入って咳が出る。多分、音程もめちゃくちゃだ。格好悪いけど、でも、なにもしないよりはマシかな。

「How many seas must a white dove sail.Before she sleeps in the sand ?」

 そういえば、ももっちとやってた将棋の対局が途中だったっけ。出陣の時間が来たから、私が封じ手をしておいたのだ。ちょっと勝ち目は薄かったけど、詰むにはまだ早すぎる。早く帰って、続きを打ちたかったんだけどな。ももっち、無事かな。あの人、やたら自信満々だったから、大丈夫だと思うけど。

「Yes, how many times must the cannon balls fly.Before they're forever banned ?」

 ああ、お嫁さん。なれなかったな。結構お料理だって自信あったのに。胃袋、掴めると思ったんだけどな。

「The answer my friend is blowin' in the wind.The answer is blowin' in the wind...」

 私の魂も、どこかに吹かれていくのかな。
 綾崎の体から、ゆっくりと力が抜けていく。それでも、意識を手放す最後の瞬間まで、綾崎は歌うことをやめなかった。

 その歌声は、風に吹かれていずこかへと流れていった。
 誰の耳にも、届くことなく。


劇中歌 ”Bob Dylan「Blowin' in the Wind」”



【不定】エピソード『迷子』



「躑躅は迷信深いほうだったかな? 神や仏に祈りを捧げたり、お化けに怯えたりするかい?」

紅茶の注がれたカップをソーサーに置き、椅子に腰かけた「お嬢様」が投げかけたその言葉は、
彼女の背後に立つ、執事然とした黒服に身を固め直立の姿勢を保っていた有角の少女の眉間に
「なにを言いだしたんだこいつ」と、いぶかしげなシワを彫らせた。

ここ三日ほど、授業にも行かず寮の自室へひきこもり怠惰のかぎりをつくしていたその発言の主は、
いつまで週末気分なんですかとたしなめる執事に対しても平然と――むしろしたり顔でもって、
「私の神は世間のそれより優秀でね。世界を創るのに六日もかけなかったのさ」と返す人間である。

そんな傲岸不遜の体現者、神をも恐れぬ彼女が神仏だお化けだと口走ったのだ。
お嬢様のことを知る人物ならば、特に彼女の幼馴染として幼少期を共に過ごしてきた執事ならば、
まず裏のある話が始まったと疑ってしかるべき事態であった。おそらくは碌でもないたぐいの。

「いえ、特別……」

語尾を濁し、あいまいな返事をした執事をふり仰ぎ、そうかそうかとお嬢様は唇の端をつりあげた。
少女の動きにあわせて余所行きの白いワンピースの裾がふわりと広がり、その笑顔に彩りをそえる。
その「不穏な」笑顔にはまったくもって不必要な彩りだと、執事はため息をついた。

せっかくひさしぶりの外へ――臨海学校という思春期まっただなか、学生生活の一大行事に参加し、
この海岸線沿いに建てられた、白くて丸い石造りの、これぞリゾート地と言わんばかりの宿と
青と緑が交じりあった水平線と白い砂浜と、これほどまばゆい青春を謳歌できそうな場所へきて、

「変なことを考えていないで……泳ぎにいきませんか?」

海も砂浜も窓の外に追いやって、宿の部屋で紅茶を淹れるだけなどと、これはなんの罰ゲームか。
怨嗟の念をこめた執事の提案も、哀願の意図をこめた執事の視線もまたどこ吹く風と、
お嬢様はふふんと鼻で笑い、椅子の背もたれにしなだれかかったまま執事を流し目で見あげている。

「躑躅はアレをなんだと思う?」
「また話が飛びましたね。アレと言うと?」
「近頃、学校に出没しているじゃないか。あのクネクネだよ」
「ああ」

お嬢様と執事の二人が通う全寮制の高校、妃芽薗学園の校内に、近ごろ、ソレは居ついていた。
「一人ひとりにマスコット」を教育の売り文句とする学園の、珍妙な生物が闊歩する校内において
なお誰と一緒にいるでもなくふらふらと移動するソレは異質な雰囲気だった、と執事も思いおこす。

「ああ、だなんて躑躅は相変わらず鈍いな。臨海学校にもついてきているんだよ?」
「そうなんですか?」

しかし、それがどうしたというのか。私たちが夏の海で貴重な思い出作りをする責務も放棄して
若さという宝石を石壁の内側に閉じこめ中天の陽光で釜蒸しにして燻らせる正当な理由になるのか。
お嬢様の話の先が見えず、執事は思考の半ばを部屋の外へ遊ばせながら、なげやりな返答を導き、

「誰かのマスコットでは?」
「マスコットというには愛嬌に欠けるだろう」

その「早く海にいこう」をオブラートに包んだひねりのない回答は、にべもなく一蹴された。
まあ、ああいう見た目を好む人間が一定数いるのも確かだが、と言い足してお嬢様は言葉をつぐ。

「だが、マスコットではない。今回の臨海学校に参加している生徒全員の情報は調べたが、
 アレをマスコットとして使っている者はいなかったからね。隠している可能性もあるが、
 そうする利益も見つからなかった。まあ部外者――闖入者と見て間違いないだろう」
「お嬢……まさか、最近ずっとひきこもってそんなことを調べていたのですか?」
「そうさ。なかなかに面白そうなものを見つけたからね」

嬉々としてそう言ったお嬢様は、机に向き直ると置かれた自前のノートPCに手を伸ばし、
こんなところにまでそんなものを持ってきてという執事の白い目をものともしない笑顔で
ディスプレイを執事に向け、丁寧に指差しで「これを見ろ」とアピールした。

執事が覗きこめば、そこには白地を背景にしたシンプルなデザインのWebサイトが映っていた。

「なんですかこれ……ブログ?」
「躑躅には海より先に見ておいてもらいたかったんだ」

どうあっても、このお嬢様のきまぐれを解決するまでは自分は海にいけないらしい。
どうせわかっていたことだけれど、と執事はため息をひとつつくと、せめてもの抵抗の表明として
穴でもあけよと全力の眼力をきかせ、青白く発光するPCの画面をにらみつけた。


※※※


「なんですか……これ」
「見てのとおりだよ。ブログだ」
「そんなことはわかってますよ。これ……不定生物ってあのクネクネのことですか?」
「あんな見た目のものはそうそういないだろう」

執事は口元をおさえ、PC画面の前から上体をおこした。
思ったとおりの反応を引き出せたからか、お嬢様は満足げに目を細めている。

「悪い冗談じゃないですよね?」
「これの舞台の希望崎にも確認はとってみたよ。たしかにこの同好会が遭難していたそうだ」

はあ、と執事の口からため息がこぼれた。浮かれていたところに冷や水を浴びた気分であった。
妃芽薗に現れた闖入者。同じ容姿のなにかが別の高校でおきた事件の渦中にいた――偶然にしても
あまり良い気はしない。執事の曇り顔を見ながら、お嬢様はそれで、とさらに話を続ける。

「躑躅はこの遭難事件をどう思うかい?」
「どうって……私としてはただ探検隊が洞窟で運悪く遭難した、で片づけたいのですが」
「だが、これを見てすぐに、このブログに登場する不定生物とアレをつなげて考えたのだろう?」

ようやくだが、お嬢様の言いたいことがわかってきたと、執事は口をおさえる手を頭に運んだ。
こめかみからはえた羊の角がごつごつと存在感を手のひらに返し、自分と同じ有角の少女が遭った
事件に自分もまた巻きこまれかけているのではという予感を伝えてくるのであった。

「お嬢はアレがなにかやったと……?」

ひとときの間をはさみ、執事が思い切って口を開いた。
お嬢様のティーカップに新しい紅茶を注ぎ、慣れ親しんだ日常の行為の反復作業によっていくらか
冷静になった執事に、いや、とお嬢様は大げさにかぶりをふってみせた。

「この記事を読んだだけでは情報が少なすぎる。本当のところなんてわかりはしないさ」

そして、執事のその言葉を待っていたとばかりにまくしたててきた。

「たとえばこの同好会内のマスコットの地位をかけた愛憎のもつれでドラ娘君がおこした狂言遭難。
 あきらかにまともじゃなくなっているこの記事の筆者がなんらかの利益を求めて仕組んだ事件。
 あるいは躑躅の言ったとおりにただの事故だったのかもしれないし、そもそもこの記事自体が
 現実の遭難事故にのっかった、ただの悪ふざけという可能性だってある」
「ブログはここから更新されていないんですね」
「うん。過去の記事の更新間隔からいって一週間以上も更新が止まるのは珍しいようだから、
 その点から言うとただの悪ふざけでは済まないなにかはやはりあったのだろうね。
 書いてあるとおりにブログの筆者が袋叩きにされて入院中だなんてオチかもしれないが」
「私は冗談で済ませてほしいですね」
「だがね躑躅。こんどはこれを見てくれ。
 ツテで希望崎の友人から、このときの通信端末のログをもらえたんだ。
 遭難していた側の子たちのものだが、見ていておかしいと思わないかい?」
「はあ……これは記事に出てきた最初の被害者の?」
「部室側から、単独行動をそそのかすような指示が飛ばされているだろう?
 この子はどうやら甘言にコロッとのるタイプだったみたいだし、これが事態悪化の原因だろうね」
「『この子』ってお嬢よりだいぶ年上ですよこの人……。それで、ということは部室の人が……?」
「いや、部室の端末にはこんな送信ログはなかったんだよ。
 誰かが遭難者側の端末になにか細工をしていたのかもしれない」
「ああ、だから記事にも通信記録に不審な点があるとかなんとか」
「次はこっちだ。これはドラ娘君の端末のものだが、七月十二日以降に通信した形跡がない」
「……は? 記事にのっていたログでは」
「そう。部室の端末には十二日以降もドラ娘君のログが書きこまれているね。
 部室にいたブログの筆者をあざむくための偽装工作がおこなわれていた可能性がでてくる」
「でも待ってくださいよ。お嬢の言うとおりだとすると、遭難者側の端末と部室側の端末の両方を
 誰かが同時に細工していたってことになりません? 犯人はテレポート能力者かなにかですか?」

気づけばお嬢様の勢いにのせられてすっかり話しこんでしまっている自分がいる――
執事はその事実に、我がことながらお嬢様に甘いものだ、と頭の片隅で苦笑し、そのまましばらく、
少々傲慢で気まぐれな安楽椅子探偵の名ワトソン役をつとめることにしたのであった。


※※※


「――だから、海にはいかないほうがよい。少なくとも、アレがいる今はね」

机におかれた携帯電話ほどのサイズの通信機器を指先ではじき、お嬢様はそう言葉を結んだ。
唐突に始まったお嬢様の話だったが、つまるところ、これが言いたかったのだな、と執事は頷いた。
相変わらずいつも迂遠でまわりくどい手段をとる、ひねくれた人だ――と。

ただ、今回ばかりはその面倒くさい言葉にも従うべきだろう、とも、転がされた端末を見おろし
執事は考えていた。事件の被害者の一人が持っていたと思われるその端末の画面に映る、
最後の通信メッセージ、「KILL YOU」の文字は憧憬にきらめく海よりも深く暗い意志が滲んでいた。

あのクネクネが落とした通信端末を他でもない、このお嬢様が拾いあげたのが始まりであった。
そして――それに刻まれていたのが元の持ち主による気楽な通信記録と、クネクネがいじって
入力したであろう無意味な文字の羅列と、脈絡なく入力された明確な危険信号であった。

元の持ち主が最後に訴えた誰かへのメッセージか。あのクネクネが入力したのか。それとも……?
そもそもアレが端末を持っていたのは偶然や気まぐれで拾っただけか、誰かの意思が働いた……?
執事には真実を判断するだけの情報も、真実を知ろうという熱意もなかったが――

「アレ自身がやったにしろ違うにしろ、こんなぶっそうな言葉が絡んでいる相手に近づくな……と」
「躑躅が迷信深いならなおさらね。本当に危ないかもしれないし、ほら、『呪いは気から』さ」

執事は背筋を伸ばし、ピンと姿勢を正したまま目を閉じた。
まぶたの裏に映る青い海と、白い砂浜と、波間にたわむれる自分とお嬢様の姿は惜しいものだが、
そこに不審で、不穏で、不定の影がある以上は執事としてお嬢様を危険にはさらせない。

「海に行けないのは残念ですが……仕方ないですね。今日はお嬢と引きこもっていましょうか」
「やあ、そう言ってもらえると嬉しいね。それじゃあ躑躅。さっそくだが――」
「はい。紅茶のおかわりですね。もう淹れましたよ」
「さすがは私の執事だ。気が利くじゃないか」
「さっきは鈍いとか言っていたくせに。……それに私は野良執事ですから。お嬢のものでは」
「おっと、つれないな。私と躑躅の仲じゃないか。いい加減に私のところへ嫁ぎにきたまえよ」

こうして今日という青春の一日も、臨海学校という学生の楽土も、お嬢様と二人、
不健全に消費していくのだろうな――執事はため息をつき、腕をからませ体重をあずけてくる
お嬢様をつとめて見ないよう天井を仰いだ。一面の白い漆喰には汚れひとつ見あたらなかった。


※※※ 【不定】エピソード『迷子』完 ※※※


※※※ おまけエピソード『ひつじの皮をかぶった執事』 ※※※


「ところで躑躅。さきほど海へ行けなくて残念と言っていたね。躑躅はそんな海好きだったかな?」

海を臨む絶景をよそにPCにかじりつき、はやりもののソーシャルゲームを始めて一時間もしたころ、
いかにも「そういえば思いだしたが」という口調でお嬢様がふり返った。
身をかがめてゲームを見ていた執事は、一瞬、間近でお嬢様と向きあい、直後に背を伸ばしていた。

「これでも健全な女子ですから。日光と水を与えられないとひからびるんですよ」
「躑躅は羊だと思っていたけれどバロメッツ(羊の実る空想の植物)だったのかい」
「そりゃあ躑躅(植物の名前)ですから」

冗談を言いながら、執事はお嬢様のいたずらの成功を期待する眼差しを受け止め、それに向かって
全力の抗議の視線を返した。――どうせ全部わかっているくせに、などと、言うまでもない。
執事はふいとお嬢様に背を向け、窓へ手をかけた。外の風を入れなければ頬と耳が熱くて仕方ない。

「……お嬢と海へ旅行なんて最高の思い出じゃないですか。期待してたんですよ」
「うん? なにか言ったかい?」
「潮の香りが強いですねって言ったんですよ」
「『臨海』学校なのだからね。ああ、確かに塩気のある風がこちらにも届いてくるよ」

結局、畢竟、とどのつまり――今回の話は徹頭徹尾、ただの閑話であり、

「それでだ。そうかそうか。ごまかすということは本気で私との旅行を期待してくれていたんだね」
「ばっちり聞こえているじゃないですか!」
「安心してくれよ躑躅。私も躑躅と旅行ができて、今、とても嬉しく思っているんだよ。
 可愛いかわいい私のふわふわ子羊ちゃん。私も君のことが大好きだからね」

執事のことが大好きで仕方がない、好意をまっすぐ伝えられない、ひねくれ者のお嬢様と、
そんなお嬢様が大好きで、押されればごまかすが引かれると必死で好意を示してくるお嬢様の性格を
よく理解して、だから望む言葉を聞きたいがためにそっけない態度で接する執事との――

「だから私はまだ野良執事です。仕えるべきお嬢様を探す流浪の身です。お嬢のではありません」
「幼馴染の私を見捨てるなんて躑躅は薄情じゃないかい? 将来を誓いあったというのに?」
「何歳のときの話ですか、それ」
「けれど、安心はしているよ。先ほどの呟き、アレは私に聞こえるように言ってくれたんだろう?
 わかっているよ。躑躅は優秀な執事だから、うっかりひとりごとを聞かれるドジなんてしない」
「ああ……もういつもの調子に戻っちゃいましたね」

日常の、仲むつまじい、じゃれあいでしかなかったのである。


<了>




里見晶SS『鬼胎 #1』



 百端一茶の主導による、散っていった仲間達への献杯の後、晶は一茶と共に海沿いを歩いていた。
 晶はつま先で、足元に寄る波とパシャパシャ戯れる。本当に、臨海学校で遊んでいた時の海そのままだ。蓮柄円の説明によると、ここは爆心地である臨海学校宿舎によく似た異次元空間らしいが、とてもそうとは思えない。山間に広がる無数の墓石さえ目にしなければ。
 晶は、山側を見ないようにしながら、前を歩く一茶に話しかけた。
「さっきは、ありがとう。おかげで、持ち直せた」
 晶は、ばつが悪そうに苦笑する。そんな晶に、一茶はいつもと変わらないたおやかな微笑みで返した。
 晶と一茶は同い年だ。千本桜先輩と親しくなる切っ掛けになったお茶会の後、家の方向が近いこともあって親しくなった。晶は、委員会に入っているとはいえ帰宅部。一茶は、茶道部の次期部長。当然下校の時間は合わないが、お互いなんとか一緒に帰る機会を作る程度には仲が良い。
「いいえ、晶さんのためだけというわけでもありませんわ。私自身も、動揺していましたし。そんな時は、茶の湯を点てるのが一番ですから」
 そう言いながら、一茶は着物のひざ裏を押さえてしゃがみ、海岸に流れ着いた丸く白い貝殻を手の中で弄ぶ。つい先程、自陣営が大敗したことを一瞬忘れるほど淑やかな後ろ姿に、晶は思わず目を奪われた。
 ふと、一茶が目線を落とし、物憂げに一息吐いた。
「許せませんね」
 晶は、突然の一茶の強い言葉に、眉をひそめる。
「生徒会を、かい?」
「いいえ、こんな茶番劇を仕組んだ者を、です。どのような思惑があるのかはわかりませんが、他人を都合のいいように操って、利権を得るような卑怯者を、許すことはできません」
 立ち上がって振り返り、墓場を見つめる一茶に、晶は一瞬気圧される。その眼には、普段の柔和な雰囲気を押し退け、冷たく燃える炎のような鋭い憤怒が宿っていた。
「そのためにも、私たちは生徒会との戦いに勝たなければなりません。生き残って、真相を暴いて、私たちの手で黒幕を断罪するのです」
 一茶は、風に乱れる髪を押さえ、自分に言い聞かせるように言葉を続けた。
「私から茶飲み友達を奪ったこと、心底後悔してもらいます」
 一茶のゆったりとした言葉は、内に秘める確かな強い意思を感じさせた。
 晶は改めて、一茶の胆力に感心した。何度も話して、よくわかっている。百端一茶は、茶のことしか考えていない、争いの嫌いなのんびり屋だ。だからこそ、どんな極限状況でも自分を決して見失わない。戦闘力は決して高くないが、人間力という意味では番長グループの誰よりも強いのではないかと感じる。
 それに比べて、ボクは情けない。はじめから、人が死ぬかもしれないということはわかっていた。わかっていたつもりだったのに。目を閉じれば、思い出す。こころちゃんやメリーさんの体にこびりついた、鉄臭い血の臭い。土星先輩の、虚ろな目。
 晶の体が、ぶるっと震えた。暗雲を払うように頭を振り、なるたけ元気よく一茶に声をかける。




里見晶SS『鬼胎 #2』



「ごめんね。先に戻ってて。ボクは、もう少し刀を振っていくよ」
 晶の言葉に、一茶が怪訝そうな顔をする。晶は必死に平静を保つが、どうしても顔がひきつるので、意識的に一茶と目を合わせないようにした。
「明日も早いし、ゆっくり休んだら?」
「いや」
 晶は、腰に指した鞘から真剣を取り出した。背筋を正し、左手の小指に力を集中して、雑巾を絞るように刀を握る。千本桜先輩に教えられた、刀の持ち方の基本。こんなことすら、おじいには教えてもらえなかった。
「千本桜先輩に教えてもらったものを、無駄にしたくないんだ。少しでも、体に染み込ませておきたい」
 一茶は、少しだけ不安げに顔を曇らせたが、やがて皆に茶を振舞ったときのような、穏やかな微笑みを湛える。
「そう……。わかったわ。けど、無理しないようにね」
「うん、ありがとう」
 一茶が、砂浜に足を取られないよう着物の裾を摘まんで、ゆっくりと離れていく。晶はそれを、刀を振りながら見送った。
 晶の視界から、一茶の姿が消える。素振りを百本ほどしただろうか。まだまだ、体力に余裕はある。
 だが、晶はそれ以上刀を振ることができなかった。刀を下ろし、左手で胸の真ん中を鷲掴みにする。夜の闇が、晶の小さな背中にのし掛かってくる。重みにつぶれないよう懸命に踏ん張るが、とても押し返すことなどできない。
 涙は出ない。取り乱しもしない。それは、真綿で首を絞めるようにゆっくりと、晶の呼吸を塞いでいく。心臓が鉛に包まれたかのように重い。気管に砂が詰まっているかのように息苦しい。
 折内こころから、先発隊の死に様を聞いたときのことを思い出す。そのとき晶の心中を支配したものは、仲間を失った悲しみや、大切な人を守れなかった無力さではない。

(ボクはあのとき、悲しくて泣いたんじゃない)

 それは、庇護者がいない戦場で、初めて感じた死の重圧。

(戦ったのがボクじゃなかったことにほっとして、それが情けなくて泣いたんだ)

 刀がカタカタと音を出す。柄を握りしめる右手の手首を押さえるが、それでも雑音はやまない。殺すのも、殺されるのも、覚悟していたはずだ。それなのに、手の震えが止まらない。
 唇を噛み、恐怖を押し退けようとする。美咲先輩なら、それでも顔をあげるはずだ。己の正しさを信じて、最後まで戦い抜く。ボクの知っている美咲先輩は、そういう人だ。
 美咲先輩。ボクに力をください。正義なき力は無能なり。力なき正義は無能なり。一番大事な言葉を、おまじないのように唱える。それでも、震えは止まらない。
 千本桜先輩の笑顔。ステラちゃんの憎まれ口。綾崎さんの弾き語り。みんなで食べた、アリスちゃんのオムライス。大切な思い出の全てが、過ぎる時間の恐ろしさを、人が死ぬということを晶に実感させる。
 次の出陣の時、ボクが死ぬかもしれない。ボクが殺すかもしれない。
 暗闇に溺れまいと、無理矢理に顔を上げる。しかしその先には、並び立つ山ノ端一人の墓石。その奥で、今までのハルマゲドンの犠牲者たちが手招きをしているように見えたとき、晶の精神は限界に達した。

「おじい…助けて…」

 刀を取り落として肩を抱く晶は、決して口にしたくなかった言葉が漏れ出ることを、止めることは出来なかった。


用語解説『里見無人流剣術』

 対多人数に特化した、無差別殺人剣術。速さと切れ味を重点としており、技から技への繋ぎが流れるように速いため、休みなく攻撃し続けることが可能。
 その技は徹底して甲冑の継ぎ目など急所を捕らえるようになっており、真後ろへの斬撃など全方位にも対応しているため、達人であれば四方を囲まれたとしても、剣を振り続ける限り生き延びることが出来ると言われている。
 里見無人流は、関ヶ原の戦いが始まる頃、創始者である里見権十郎宗近が妻と共に富士の樹海で山籠りを始め、その中で生まれたとされている。
 権十郎はそのままサバイバル状態で暮らしていたことから、江戸時代における竹刀剣術への移行や、明治時代における廃刀令等をことごとくスルー。里見無人流剣術は、近親相姦を繰り返しながら作られた「里見村」で村人同士の争いにより発展し、ガラパゴス状態で独自の進化を遂げた。よって、武道としての理念や信念は一切なく、ただ敵を倒すための方法としての殺人剣術としてしか伝承されていない。
 里見村は非常に閉鎖されていたことから、村人には現代における常識的概念がほとんど身についていない。それはすなわち、『認識の壁』を突破することが容易であったということであり、里見村の住人はそのほとんどが現代で言う魔人であったといわれている。
 富士の樹海に所在する里見村を来訪した者は村人に一人残らず斬殺されていたため、里見村の存在は長らく認知されなかったが、第二次世界大戦後日本警察の調査により初めて発見される。警察は、殺人に対する倫理観が一切ない村人を未開の野蛮人と判断し攻撃を開始したが、里見村の人々は徹底抗戦を挑み、大激戦を繰り広げた。
 最終的には自衛隊をも巻き込んだ戦いとなり、ほとんどの村人が近代兵器に破れその命を落としたが、一部の逃げ延びた人は里見無人流を途絶えさせてはならぬと考え、これを門外不出とし、ごく僅かな門弟に伝承して生き永らえさせている。


 権蔵は少年期に憲兵隊の襲撃を受け、その際は近代兵器に歯が立たず敗走したが、その数年後、日本警察及び自衛隊を相手取ったリベンジを仕掛け、完勝した。
 結果として、日本政府からアンタッチャブルな存在として認識されたことから、自らが里見無人流伝承者であることを隠そうともせず、悠々自適に毎日を過ごしている


 なお、里見無人流には、刀を主とした武器による技を磨く剣術の他に、素手による殺し技を使う拳術、内効を高める健術がある。それぞれ伝承者が存命しており、そちらは細々と素性を隠して生きている。




【不定】エピソード『迷子』(承前)


「なんですか……これ」
「見てのとおりだよ。ブログだ」
「そんなことはわかってますよ。これ……不定生物ってあのクネクネのことですか?」
「あんな見た目のものはそうそういないだろう」

執事は口元をおさえ、PC画面の前から上体をおこした。
思ったとおりの反応を引き出せたからか、お嬢様は満足げに目を細めている。

「悪い冗談じゃないですよね?」
「これの舞台の希望崎にも確認はとってみたよ。たしかにこの同好会が遭難していたそうだ」

はあ、と執事の口からため息がこぼれた。浮かれていたところに冷や水を浴びた気分であった。
妃芽薗に現れた闖入者。同じ容姿のなにかが別の高校でおきた事件の渦中にいた――偶然にしても
あまり良い気はしない。執事の曇り顔を見ながら、お嬢様はそれで、とさらに話を続ける。

「躑躅はこの遭難事件をどう思うかい?」
「どうって……私としてはただ探検隊が洞窟で運悪く遭難した、で片づけたいのですが」
「だが、これを見てすぐに、このブログに登場する不定生物とアレをつなげて考えたのだろう?」

ようやくだが、お嬢様の言いたいことがわかってきたと、執事は口をおさえる手を頭に運んだ。
こめかみからはえた羊の角がごつごつと存在感を手のひらに返し、自分と同じ有角の少女が遭った
事件に自分もまた巻きこまれかけているのではという予感を伝えてくるのであった。

「お嬢はアレがなにかやったと……?」

ひとときの間をはさみ、執事が思い切って口を開いた。
お嬢様のティーカップに新しい紅茶を注ぎ、慣れ親しんだ日常の行為の反復作業によっていくらか
冷静になった執事に、いや、とお嬢様は大げさにかぶりをふってみせた。

「この記事を読んだだけでは情報が少なすぎる。本当のところなんてわかりはしないさ」

そして、執事のその言葉を待っていたとばかりにまくしたててきた。

「たとえばこの同好会内のマスコットの地位をかけた愛憎のもつれでドラ娘君がおこした狂言遭難。
 あきらかにまともじゃなくなっているこの記事の筆者がなんらかの利益を求めて仕組んだ事件。
 あるいは躑躅の言ったとおりにただの事故だったのかもしれないし、そもそもこの記事自体が
 現実の遭難事故にのっかった、ただの悪ふざけという可能性だってある」
「ブログはここから更新されていないんですね」
「うん。過去の記事の更新間隔からいって一週間以上も更新が止まるのは珍しいようだから、
 その点から言うとただの悪ふざけでは済まないなにかはやはりあったのだろうね。
 書いてあるとおりにブログの筆者が袋叩きにされて入院中だなんてオチかもしれないが」
「私は冗談で済ませてほしいですね」
「だがね躑躅。こんどはこれを見てくれ。
 ツテで希望崎の友人から、このときの通信端末のログをもらえたんだ。
 遭難していた側の子たちのものだが、見ていておかしいと思わないかい?」
「はあ……これは記事に出てきた最初の被害者の?」
「部室側から、単独行動をそそのかすような指示が飛ばされているだろう?
 この子はどうやら甘言にコロッとのるタイプだったみたいだし、これが事態悪化の原因だろうね」
「『この子』ってお嬢よりだいぶ年上ですよこの人……。それで、ということは部室の人が……?」
「いや、部室の端末にはこんな送信ログはなかったんだよ。
 誰かが遭難者側の端末になにか細工をしていたのかもしれない」
「ああ、だから記事にも通信記録に不審な点があるとかなんとか」
「次はこっちだ。これはドラ娘君の端末のものだが、七月十二日以降に通信した形跡がない」
「……は? 記事にのっていたログでは」
「そう。部室の端末には十二日以降もドラ娘君のログが書きこまれているね。
 部室にいたブログの筆者をあざむくための偽装工作がおこなわれていた可能性がでてくる」
「でも待ってくださいよ。お嬢の言うとおりだとすると、遭難者側の端末と部室側の端末の両方を
 誰かが同時に細工していたってことになりません? 犯人はテレポート能力者かなにかですか?」

気づけばお嬢様の勢いにのせられてすっかり話しこんでしまっている自分がいる――
執事はその事実に、我がことながらお嬢様に甘いものだ、と頭の片隅で苦笑し、そのまましばらく、
少々傲慢で気まぐれな安楽椅子探偵の名ワトソン役をつとめることにしたのであった。


※※※


「――だから、海にはいかないほうがよい。少なくとも、アレがいる今はね」

机におかれた携帯電話ほどのサイズの通信機器を指先ではじき、お嬢様はそう言葉を結んだ。
唐突に始まったお嬢様の話だったが、つまるところ、これが言いたかったのだな、と執事は頷いた。
相変わらずいつも迂遠でまわりくどい手段をとる、ひねくれた人だ――と。

ただ、今回ばかりはその面倒くさい言葉にも従うべきだろう、とも、転がされた端末を見おろし
執事は考えていた。事件の被害者の一人が持っていたと思われるその端末の画面に映る、
最後の通信メッセージ、「KILL YOU」の文字は憧憬にきらめく海よりも深く暗い意志が滲んでいた。

あのクネクネが落とした通信端末を他でもない、このお嬢様が拾いあげたのが始まりであった。
そして――それに刻まれていたのが元の持ち主による気楽な通信記録と、クネクネがいじって
入力したであろう無意味な文字の羅列と、脈絡なく入力された明確な危険信号であった。

元の持ち主が最後に訴えた誰かへのメッセージか。あのクネクネが入力したのか。それとも……?
そもそもアレが端末を持っていたのは偶然や気まぐれで拾っただけか、誰かの意思が働いた……?
執事には真実を判断するだけの情報も、真実を知ろうという熱意もなかったが――

「アレ自身がやったにしろ違うにしろ、こんなぶっそうな言葉が絡んでいる相手に近づくな……と」
「躑躅が迷信深いならなおさらね。本当に危ないかもしれないし、ほら、『呪いは気から』さ」

執事は背筋を伸ばし、ピンと姿勢を正したまま目を閉じた。
まぶたの裏に映る青い海と、白い砂浜と、波間にたわむれる自分とお嬢様の姿は惜しいものだが、
そこに不審で、不穏で、不定の影がある以上は執事としてお嬢様を危険にはさらせない。

「海に行けないのは残念ですが……仕方ないですね。今日はお嬢と引きこもっていましょうか」
「やあ、そう言ってもらえると嬉しいね。それじゃあ躑躅。さっそくだが――」
「はい。紅茶のおかわりですね。もう淹れましたよ」
「さすがは私の執事だ。気が利くじゃないか」
「さっきは鈍いとか言っていたくせに。……それに私は野良執事ですから。お嬢のものでは」
「おっと、つれないな。私と躑躅の仲じゃないか。いい加減に私のところへ嫁ぎにきたまえよ」

こうして今日という青春の一日も、臨海学校という学生の楽土も、お嬢様と二人、
不健全に消費していくのだろうな――執事はため息をつき、腕をからませ体重をあずけてくる
お嬢様をつとめて見ないよう天井を仰いだ。一面の白い漆喰には汚れひとつ見あたらなかった。


※※※ 【不定】エピソード『迷子』完 ※※※


※※※ おまけエピソード『ひつじの皮をかぶった執事』 ※※※


「ところで躑躅。さきほど海へ行けなくて残念と言っていたね。躑躅はそんな海好きだったかな?」

海を臨む絶景をよそにPCにかじりつき、はやりもののソーシャルゲームを始めて一時間もしたころ、
いかにも「そういえば思いだしたが」という口調でお嬢様がふり返った。
身をかがめてゲームを見ていた執事は、一瞬、間近でお嬢様と向きあい、直後に背を伸ばしていた。

「これでも健全な女子ですから。日光と水を与えられないとひからびるんですよ」
「躑躅は羊だと思っていたけれどバロメッツ(羊の実る空想の植物)だったのかい」
「そりゃあ躑躅(植物の名前)ですから」

冗談を言いながら、執事はお嬢様のいたずらの成功を期待する眼差しを受け止め、それに向かって
全力の抗議の視線を返した。――どうせ全部わかっているくせに、などと、言うまでもない。
執事はふいとお嬢様に背を向け、窓へ手をかけた。外の風を入れなければ頬と耳が熱くて仕方ない。

「……お嬢と海へ旅行なんて最高の思い出じゃないですか。期待してたんですよ」
「うん? なにか言ったかい?」
「潮の香りが強いですねって言ったんですよ」
「『臨海』学校なのだからね。ああ、確かに塩気のある風がこちらにも届いてくるよ」

結局、畢竟、とどのつまり――今回の話は徹頭徹尾、ただの閑話であり、

「それでだ。そうかそうか。ごまかすということは本気で私との旅行を期待してくれていたんだね」
「ばっちり聞こえているじゃないですか!」
「安心してくれよ躑躅。私も躑躅と旅行ができて、今、とても嬉しく思っているんだよ。
 可愛いかわいい私のふわふわ子羊ちゃん。私も君のことが大好きだからね」

執事のことが大好きで仕方がない、好意をまっすぐ伝えられない、ひねくれ者のお嬢様と、
そんなお嬢様が大好きで、押されればごまかすが引かれると必死で好意を示してくるお嬢様の性格を
よく理解して、だから望む言葉を聞きたいがためにそっけない態度で接する執事との――

「だから私はまだ野良執事です。仕えるべきお嬢様を探す流浪の身です。お嬢のではありません」
「幼馴染の私を見捨てるなんて躑躅は薄情じゃないかい? 将来を誓いあったというのに?」
「何歳のときの話ですか、それ」
「けれど、安心はしているよ。先ほどの呟き、アレは私に聞こえるように言ってくれたんだろう?
 わかっているよ。躑躅は優秀な執事だから、うっかりひとりごとを聞かれるドジなんてしない」
「ああ……もういつもの調子に戻っちゃいましたね」

日常の、仲むつまじい、じゃれあいでしかなかったのである。


<了>




胸の奥の針のありか


不気味なイタミは、座っている。
 窓の外には、赤い空と無数の墓場。机が後ろに下げられた教室の真ん中に、ただ一つ置かれた安っぽい木製のイス。そこに、イタミは口を半開きにしてよだれをたらしながら座っている。
 その背後には、制服を着た華奢な女子生徒。彼女は、イタミのつやのある黒色長髪を、自前のオイルを塗りこみながらくしで梳かしている。イタミはもともと身なりが汚らしく、髪の毛も油でバリバリに固まり、くしを通せば折れてしまうほどだった。それを、ここまで解き解したのは、女子生徒のたゆまぬ努力の力だった。
 ついさっきまで、同じ学校の生徒同士で殺し合いをしていたとは思えないほど穏やかな、昼下がりの午後のような空気の中に、二人はいた。
『もー、私、すっかりイタミ先輩係って感じじゃないですか』
『ヒヒッ、つらーい? 一本いっとく? ヒヒッ』
『いりませんっ! ……ほんとに、もう』
 女子生徒は、呆れたようにイタミの頭を軽く叩いた。頭を叩かれたイタミは、どこか心地よいような気持ちになったが、よくわからないしどうでも良いことだったので、そこで考えることをやめた。
 イタミは、ネガティブな感情には共感力が高いが、それ以外はからっきしだ。それは、自分の感情に対しても変わらない。少なくとも、自分が感じているのが悪感情ではないことはわかったが、それ以上は何が何だかわからないのだ。
『ヒヒッ。断られた。かーなしーい。ヒヒッ』
 悲しいというものの、あんまり悲しくないことがイタミにはわかる。しかし、なぜそう感じるのかわからない。イタミは、“彼女”にだけはドラッグ中毒になってほしくないと思っているのかもしれないが、そのことにイタミ自身は気づかない。
 そもそも、イタミは基本誰にも自分の髪を触らせない。イタミは潔癖症だからだ。自分の頭はフケだらけのくせに、他人の素手など病原菌の塊だと嫌悪感が先に来る。そんなイタミが髪の毛を触らせるなど、よっぽど気を許しているという証拠だ。だが、そのことにイタミ自身は気づかない。
『はい、できましたよ』
『ヒヒヒッ』
 女子生徒が最後にイタミの長髪に手ぐしを入れると、イタミの油でバリバリに固まっていた長髪が、サラサラと水のように流れ落ちた。ここまで来るのに、どれほどかかっただろう。お風呂に入れ、シャンプーとトリートメントをし、ドライヤーをかけ、くしで髪を梳かした。事あるごとに逃げるイタミを追いかけ、捕まえた。途中で楽しくなっていたのは否めない。
 女子生徒は、イタミの感情が読めない笑いに、手間のかかる子どもに向けるような慈しみの眼差しを向けたかと思うと、ふと、視線を地面に落とした。
『ねえ、イタミ先輩』
 ネガティブな感情。
 女子生徒から零れ出た一滴の“寂しさ”が、イタミの心を潤した。
『私が存在ごと消えても、私を覚えていてくれますか?』

不気味なイタミは、跳ね起きた。
 6畳の自室。物が一切置かれていない、いつも通りの自室だ。フローリングの床の上に、布団も敷かずに仰向けに寝ていたイタミは、ポリポリと頭を掻きながら、窓の外に登る白い朝日を見つめた。
 不気味なイタミは、生還した。
 結局のところ、イタミはハルマゲドンにおける戦闘に参加しなかった。いや、イタミには戦闘があったという感覚すらなかった。ほぼ常にドラッグでラリっているイタミには、殺人事件も、閉鎖空間への移動も、それを現実として認識する方法がない。いつのまにかよくわからん世界にいて、いつの間にか元に戻っていた。それだけの話だ。イタミにとっては、日常茶飯事の出来事だった。
 だから、イタミにとっては今日もいつもと変わらない日だ。朝起きて、学校に行って、ドラッグをキメて、髪の毛を洗おうとする美化委員から逃げ回る。今日は、そんな変わらない日のはずなのだ。
 それなのに。
 イタミは、知らないうちに胸を押さえていた。キメていないのに、ちくちくと胸の奥に針が刺さるようだ。体の一部が抜け落ちたかのような、大きな喪失感。なぜ、なぜこんな。
“髪の毛を洗おうとする美化委員から逃げ回る。”
 私は、いったい誰から逃げていたというのだ。
 胸の奥で暴れまわる針を掴みかけたその瞬間、ぷつっ、と小さな音がした。
 肉を、針が裂く音。
 イタミのか細い左腕に、注射針が刺さった。イタミの右親指は、迷うことなく静脈に特製ドラッグを流し込んでいく。それと同時に、喪失感も、胸の奥の針も消え失せ、充実感がイタミの脳髄を満たしていった。
「……あ~~~~~、光~~~~~~。ヒヒッ。ヒヒヒッ」
 不気味なイタミは、笑う。
 ネガティブな感情にしか共感できない心の痛みを、ドラッグで放り投げてしまったから。
 誰よりも情が深く、誰よりも悲しみを恐れるイタミは、もはや笑う以外の感情表現を持たない。だから、イタミの頬を流れる涙に、何の意味もない。
 イタミが、サラサラの黒髪を指で弄ぶ度に、涙腺が刺激されるとしても。
 落とした針のありかを探し出す術は、もはやイタミには存在しない。




『血戦前夜』

最終更新:2016年08月25日 00:43