プロローグ

 東京都大田区に本社を持つ『和谷』といえば、居酒屋チェーン店のフランチャイズから独立した、飲食・介護・有機農業など幅広い分野でめざましい業績を上げる大企業として有名だ。
 一方で、悪評もある。年休二日、月あたりの平均時間外労働280時間、賃金の非払いといった劣悪な労働環境が噂されていることに加え、会長である渡来充の「365日24時間、死んでも働け」「メシを食える店長は二流。食事を必要としなくなって初めて一流」といった問題発言ゆえにだ。
 しかし、現在に至るまで『和谷』が労働基準法違反を摘発されたことはない。政界にもパイプを持つ渡来が厚生労働省に根回しして、労働基準監査が来ないというのも理由の一つ。しかし最大の理由はそこではなく、劣悪な環境に置かれたはずの従業員たちが、全く内部告発を行わないということにあった。

「い、いや、やめて……やめてぇー!」
 女性の悲鳴が、無骨なコンクリート壁に反響する。張り付いたような笑みを浮かべた細身のスーツ男は、小さく首をかしげた。
「やめて、とは妙なことを言いますね。弊社に入社したいと仰ったのは、あなただというのに」
 和谷株式会社創業者にして会長、学校法人渡来ドリームワーク学園理事長、労歓会病院理事長、一般社団法人サービス&デスマーチ代表理事、渡来充。一般人には目も眩むような社会的地位を築いた今なお、『和谷』の面接は彼直々に行われる。
「残るはあなただけです。見てください、彼らのやる気に満ち溢れた表情を。あなたもすぐに彼らと同じ、労働の喜びを知ることができるでしょう」
 渡来が指差した先には、幽鬼のごとく身体を揺らす人間たち。『和谷』の面接スタッフたち、あるいは、今日彼女と同室で面接を受けた者たちの、なれの果て。
「ア”ー……」
「ヴァー……」
「ハタ、ラグ……」
 渡来充の『ワーキング・デッド』は、手で触れた死体を食事も休息も必要としない『生ける屍』と化し、自在に操ることができる。
 独立したばかりの渡来が従業員雇用のやりくりに苦しんでいた頃、『ハイチの農園で、毒薬によって自由意思を奪った奴隷を労働力にしていたことがゾンビの起源である』という一説を信じたことによって目覚めた恐るべき魔人能力である。
「やだ……誰か……誰か、助けてぇー!」
 ここは『和谷』本社ビルの地下13階『面接室』。彼女の助けを求める声を受け取ってくれる者など、いるはずもない。
 渡来の指が女性の首に掛かる。魔人特有の、外見とは不釣り合いな凄まじい握力。傷跡が残らない様にゆっくりと締め上げていなければ、一瞬で首の骨を砕くことも可能だっただろう。彼女の脳をエンドルフィンが駆け、全生涯を、そして今日この場を訪れたことを後悔するだけの時間が与えられた。
(確かに良い噂は聞かないけど、社長さんが直々に面接してくれるなんて、もしかしたら噂ほど悪いところじゃないのかも、なんて。そんな馬鹿なこと、考えなきゃ良かったな……ごめんね、お父さん、お母さん……)
 思考がぼんやりと霞んでいく中、彼女は爆発音を聞いた。幻聴かな。なんでお母さんたちの声とかじゃなくて、こんな音なんだろう。そう思いながら、とうとう意識を手放した。

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 隣の部屋から響いた衝撃と爆発音に、渡来は思わず手を緩めた。女性はそのまま床に倒れる。
 殺し損じた。それはまあ、良いだろう。魔人でもない小娘一人、いつでも息の根は止められるのだから。
 部屋の扉が開く。そこから先ずソフトボール大の何かが部屋に飛び込み、渡来は警戒を強めた。変化は無し、危険物の可能性は低いか。続けて姿を現したのは、奇妙なスーツに包まれた男だった。
「貴様が渡来充だな」
「お前は……!」
 炎と雷の意匠をあしらわれたヒーロースーツ。黒いグラス状の目元。ゴテゴテとした手甲とレガース。渡来はその男に見覚えがあった。
 魔人が社会に適応する方法は主に二つ。能力を使わないで、あるいは渡来のように根回しして、魔人であることを隠す生き方。
 そしてもう一つは、魔人であることを隠すことなく、自らの有用性を示して受容されようとする生き方。魔人警察官や機動隊といった公僕、あるいは。
「『魔人ヒーロー・ブラストシュート』参上! 渡来充、俺の怒りの炎を受けろ!」
 ブラストシュートは、最も有名な魔人の一人といっても過言ではない。魔人能力を悪との戦いに用い、その様子をインターネットにアップする、自称『正義の味方』。
 派手な魔人能力に、臨場感あふれるカメラワーク、ただの特撮番組では実現しえないリアリティ、今はマスクの下に隠れたその精悍な容貌などから、ちびっこからマダムまで幅広い支持を受けている。本来迫害されることの多い魔人という立場も、ヒーローという肩書きを掲げる者にとっては『悲哀を背負った戦士』という箔付けになるのだという。
「君のことは知っていますよ、ブラストシュート。何故この場所を? ここまでに居た警備の者たちは?」
「彼らの魂は全て天へと還した。そう……貴様が殺めて尚貶めた人々の報われない魂が、俺をここに導いたのだ!」
 青臭い台詞を吐きながら、ブラストシュートは何かを三つ放り投げた。先ほど部屋に飛び込んできたのと同じ、ソフトボール大の物体。それらは重力に逆らって空中に留まり、室内を漂い始めた。良く見れば、『ワクワク動画』の宣伝ロゴと、中心にはカメラアイが付いている。臨場感ある映像の正体――複数のラジコンカメラによる撮影か。
「これは、生放送なのですか?」
「答える義務はない!」
 戯れに聞いただけで、渡来にとって意味のある問いではなかった。この本社地下は情報機密のため、通信電波は遮断されるようになっている。現場を押さえられている恐れはない。目の前にいる男を口封じして録画データを破壊すれば、後顧の憂いは一切なし。
「そうですね、君にはわが社の広告塔の一人になってもらうとしましょう」
「ヴァー……」
「シンニュウ……シャイン……」
「シンジン……ケンシュウ……」
 10m四方ほどの部屋に、渡来とブラストシュート、そして社畜ゾンビが八体。近距離かつ視野が通ってさえいれば、何体だろうと同時に操れる。まず渡来は、三体を自分とブラストシュートの間に置いた。
 ブラストシュートの魔人能力は分かっている。左手から高速で放たれるショートレンジの電撃と、右手から数秒の溜めを経て放たれる射程数メートルの大火炎。電撃で相手を怯ませ、隙をついて高威力の炎で焼き払う。
 痛みを感じない渡来のゾンビに、威力の低い電撃は通用しない。火炎放射のモーションを取れば、撃たれる前に残りのゾンビを突撃させればいい。
 次の瞬間、ブラストシュートは右手を振り上げた。渡来はゾンビに攻撃指令を下そうとした。そして、そこまでだった。
「……カハッ……!?」
 渡来の喉元から、鈍色の刃が生えていた。ブラストシュートの手首に覗く、スプリング発射機構。
「油断したな! これが俺の一つ目の新技、ファストフレイムだ! そしてもう一つが……」
 呼吸が苦しい。思考が濁り、ゾンビたちに指示が出せない。ブラストシュートが振り上げた左手に、黒い何かが握られているのがかろうじて分かった。恐らくは、銃器。そんな馬鹿な、『正義の味方』がこんな戦い方――
「新必殺! エクスサンダー!」
――放たれた弾丸は正確に渡来の額を射抜き、頭蓋骨を貫通し、脳細胞をシェイクした。

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『おつかれー』『おつ』『おつー』『わこつー。今北』『もう終わったよ』『おつ』
 ブラストシュート――山口祥勝のヒーロースーツの、黒いアイグラスに文字が流れる。戦闘を補佐する頼もしいピーピング・トムたちの労いの言葉。
 カメラの情報は遮断されてなどいない。祥勝の魔人能力『ハイライトサテライト』――視聴者たちにはカメラからの情報を、祥勝には視聴者からのコメントを、時空の壁すらも越えてやりとりする。防げるとしたら、そういう魔人能力だけだろう。渡来の魔人能力も悪行の証拠も、この力で掴めた。
「こいつ、どうすべきだと思う?」
 カメラの一台をマニュアルに切り替えて、床に転がるそれを映す。気絶する若い女性。渡来に騙されてこの場にやってきた者たちの内、唯一の生存者だった。
「視点変わってる?」
『見えてるよ』『おk』『女の子か』『ナイフと銃使うとこ見られたかな』『かもね』『いや、ないんじゃない?』『てか可愛いw』『うーん、まあ、一応始末しといた方がいいよね』『安定行動』『せやな』『せやな工藤』
 祥勝の意見も同じだった。ブラストシュートは派手な炎と雷で戦うエレメント戦士。不意打ちが十八番のヒーローなんて支持されず、カネが集まらない。
 彼らは目であり、耳であり、評議会でもある。助言を与え、秘密を守り、ブラストシュートを勝たせる鍵コミュニティの三十余名。一見軽い連中に見えて、その意思は固く判断も確かだ。だが。
『駄目。ブラストシュートはそんなことしないわ』
 流れを一切読まない、個人的感情に基いたクソみたいなコメント。コテハン表示機能(誰のコメントかが分かるようになる)を使わなくても分かる、A子だ。
『そんなことしないwwwwww』『そwwwんwwwなwwwこwwwとwwwしwwwなwwwいwww』『A子マジ萌えなんですが』『そんなことしないぜ!(ナイフを飛ばしながら)』
「お前ら、ちょっと止めろ」
 気安く煽られてはいるが、A子のヒエラルキーはコミュ内で最上に位置する。それこそ、コミュ主催者である祥勝よりも。撮影した映像を、彼女の魔人能力『ドローイング』で加工して初めて人前に出せる映像になるからだ。先ほどの渡来を仕留めた二発の攻撃も、公開動画版では火球と電撃に差し替えられているはずだ。
「A子、俺は既に相当譲歩した。まず、実戦映像はしばらく撮らない予定だったよな?」
『実戦映像の方が反響は大きい、イメージビデオよりも再生数が稼げる。それに、最近活発にゾンビを増やし始めた渡来を見過ごして、何が正義の味方』
「確かに稼ぎは大きいように見えるが、消耗した武器もタダじゃないし、命の危険が付き纏う。魔人警察にだって目を付けられてるわけだし。割に合わないんだよ」
 ブラストシュートとしての活動はグレーゾーンですらない、本来ならば黒だ。魔人能力を使っての、逮捕状も出ていない相手への制裁と、そのアップロード。
 銃刀類を使った証拠を極力隠蔽してきた事。警察のフットワークではどうしようもない悪事を暴き、祥勝に一目置く人間もいる事。『正義の味方』として名前の売れたブラストシュートを捕まえるのは、大衆感情を逆撫でするであろう事。それらが重なって、なんとかお目こぼしを貰っているにすぎない。三十余名の中にいる、警察関係者が教えてくれたことだ。
「それからお前の言う通り、渡来の奴と対面して、モーションもできるだけ無理のないものにしたし、セリフ選びも頑張った。本来なら部屋の外から、爆弾で生き埋めにしてやれば済んだのに」
『私の能力は万能じゃない。音声加工も映像に比べるとあまり得意じゃない』
「俺だって無敵で不死身ってわけじゃねえよ」
 A子の能力の精度は、本人の想像力に依存する。元となる映像に何かを付け足したり消したりするのと、イメージだけで殺陣を作るのでは、難度が全く違うのだという。
「もしこいつに見られてたら、ブラストシュートを続けられなくなるかもしれないんだぞ?」
 今度は少しだけ返信に間が開いた。だが、答えは。
『それでも駄目よ』
「このクソアマ……っ」
『クソアマwwwwwwwwwww』『っぺゃwwwwwww』『一緒や! ゴネても!』
 祥勝はマスクの下で青筋を立てた。これでこの女の取り分が一番多いのだから、全くやっていられない。収益の大部分は、活動のための諸費用とA子へのドネートに消えるのだ。
 だが、替えが利かないのも確かだ。A子が一度、わざとクオリティを落とした映像を試験的にアップロードしたことがある。祥勝には些細な違いにしか見えなかったのだが、再生数はものの見事に落ち込み、コメントには香ばしい色付き文字が流れ、鍵コミュの連中からの評価も散々だった。
 魔人であるA子と同じレベルの映像処理を施すことができ、かつ口が堅い人間。そんな者は存在しないか、多分依頼料で赤字になる。
 世知辛い世の中だ。魔人は蔑まれ、碌に仕事にもありつけない。そんな中にあって、称賛を受けながらカネまで稼げる自分はなんと恵まれているだろう。
 そう思えばゾンビにして不眠不休で働かせる雇い主よりは、A子の方が幾分マシだろうか。
「……分かった分かった。何も見られてないといいな」
『それで良いわ』
『じゃあ、せっかくだしその子を慰めるシーン撮ろうよ』『いーね』『君は巻き込まれただけだ、今日の事は忘れるんだ(キメ顔』『その子からの口コミで再生数アップ』『やったぜ。』『悪魔かお前ら』『見られてなきゃいいけどね』
 アイグラスに流れる文字を読み流しながら、祥勝は床に転がったままの渡来を見下ろした。銃弾を除いて燃やさなければならない。出来れば女が目覚める前がいい。一酸化炭素中毒にも気を付けなければ。
 ふと、付けている腕時計が気になった。純金でできたブランド品、趣味の悪いギラギラの時計だった。
 普段、殺した相手から何かを漁ることはしない。強盗目的の殺人であると見做されれば、警察のチェックが厳しくなるからだ。豪奢なデザインは祥勝の趣味にも合わない。しかし、どういうわけか目を惹かれる。触るだけならと手を伸ばした。

――頭に情報が流れ込んでくる。

   『所有権』
『戦闘空間』       『対戦』

     『敗者は取り残される』
 『報酬は』 ――

 死体の手首ごと、思い切り時計を踏み潰す。鉄をも砕く魔人キック力によってそれは一瞬で粉々になったが、無駄だということも頭では理解していた。
 力が移動したのを感じる。行き先はヒーロースーツのグラス部分に内蔵された、時刻表示機能。
「……マジかよ、クソが」
――そういえば、ここに来た理由はなんだったか。かねてより魔人であると密かに噂されていた渡来充が、以前にも増して憚りなく人を集めるようになったのを、A子が見過ごせないと言い出したからだ。強欲ぶりに拍車が掛かったのだろうかと、祥勝たちは単純に考えていたのだが。なるほど、奴には戦力が必要だったというわけだ。
『なしたん? 祥勝』
 視聴者の一人が、黙り込んだままの祥勝の様子に気付いてコメントを流した。オート操縦のままにしていたカメラの一台が、気付かぬ内に天井から祥勝を俯瞰していた。
「喜べよA子。どうやら、しばらく戦う相手には困らないらしい。俺が死にさえしなけりゃあ、な。おまけに銃弾をケチる必要もなさそうだ、ハハ、ハハハ、ハハハハハっ」
 乾いた笑い声を部屋に響かせながら、祥勝は渡来の頭を踏み潰した。

~1回戦に続く~

最終更新:2014年10月06日 03:03