花降り積もる此処(ココ)は法の下に花刑を執行する庭。
スノードロップが鼻先に留まった時、彼女は花の意味を知った。
「お前は豆の搾りカスの塵(オカラ)だ」
心無い言葉を最後に『時逆順』は崩れ落ちる。
息の根止めてもジリジリと泣き喚くのは丁度いい時間だから? 時計草を見るとその頃合い。
腹を引き裂けばいいのでしょうか? 今度は目覚まし時計? ピーターパンの真似事なんてもう勘弁!
あと何人『時逆順』を殺せばいいのか、わかりません。いつ終わりになるのか、わかりません。
……絶え間ない頭痛に襲われ、慌てて法服を解(ほど)く。
髪の毛の本数は俗に十万本と言われるが、私の密度はそんなものではない。
一本一本の長さは優に3mを越え、実に艶やか、実は惚れ惚れしてしまう、その色は白。
何者にも染まる色だからこそ、法と則を冒涜している私のことを
この子は「柊(ひいらぎ) 時計草(とけいそう)」と呼んでいる。
そして私はこの子を「風月(かぜつき) 藤原京(ふじわらきょう)と呼ぶことにしている。
「へぇ……SLGとは言え選りすぐりの『革命暦(カランドリエ)を一人やるとは、やる。やるじゃないか」
女の名前は芽月(めつき)リュドミラ。裸身にシーツ一枚を纏(まと)っただけの麗人だ。
絵画から飛び出してきたような、事実それを立証するような能力を持つ……美しさか。
まぁ、私達も負けていないがな!
薊(アザミ)に、鬼百合(オニユリ)、ダリア――。
花言葉が積み重なるここは、目の前に立つ法廷探偵の領域(テリトリー)。
つまりは「開庭(かいてい)」の言葉と共に花開く「花刑法庭 -フラワーコート-」だ。
そして私は春の訪れを告げる月「芽月(ジェルミナル)」を預かる者。
有体に言えば妃芽薗学園を暗躍する謎の部活の一員と思ってくれればいい。
彼女の足元に転がっている死体、それも割れたゴーグルからは白い液体が零れていた。
雨月杏花(うげつ・きょうか)。
同じく部長より姓を賜った「涙を豆乳に変える」と言うSLG能力者。そして、文芸者だった。
文芸と言う異能を相手にすると言えば多少手こずりこそしたが、如何せん二対一と言う差は埋められず、今は屍を晒しているというわけである。
論争の決着と共に死体は消失する。
いや、この花に埋もれるということは、花刑に処せられるということで。
この世でない処刑は、わからないことだらけだ。戻ってきたのは慣れ親しんだ私達の部室。
今は長机と、私の住処(かいが)、使い古されたベッドは廃品回収に回した。
「私はお前のことが嫌いだった。一度目は笑って許したよ」
――けれど、三度目は待てなかった。脳漿が液のようになって滴り落ち、涙の色を染め上げる。
それがどうしても不快に思えた。最後くらいは綺麗に出来ないのか、と思う。
空間が溶け去る前、辛うじて掬い取れた白い液体は血の味がした。
「涙も乳も等しく血より変じた物。我も同じよ。それが為せぬ彼奴のことは不快であったな」
同じことをして、何を言うのか。お前も花に埋もれてしまえばいいのに。
この時代錯誤な喋り方をする女のことを「霧月槭(きりつき かえで)」と言う。
互いに派閥の長を張っているということもあり、私とはいわゆる犬猿の仲と言う奴だ。
「しかし、これで我等を遮る壁は取り払われた。汝(なれ)も後戻りは出来ぬぞ」
雨月はとりわけ容姿に優れていたわけではない、どちらかと言えば不美人に属しただろう。
自己評価が低く、を通り越して零であり、涙を形容する言葉でしか感情を発せなかった哀れな女だった。だが、魅かれるものがあった。
雨月は二人にとっての共通の愛人だった。
故に殺した。文芸に身の半分を喰われたこの女と同じ、女の取り合いで笑い種にされたくなかった。
「約束の物は菖蒲(あやめ)経由で作らせておる。
我らが身の内の暗黒料理人も『人工探偵』の技と併せれば更なる高みを目指せると喜んでいたものよ」
女の半身は白く、黒い。正中線を境に完全に色分けられたそれは、
単なる言葉の上でなら特撮染みた、らしさを感じさせるものであるのかもしれない。
だが、片側が常に不可視の物であるとするならどうだろう?
光の下では白い左半身が、影の中に黒い右半身が溶け込むなら、あなたはどう感じるだろうか?
「その前に見本(サンプル)をもらいたいんだけど、あと。どいて」
いくら半身が見えないとは言え、そこに無いわけではない。
能面のような無表情さを保ちながらも、ここは通さぬと立ち塞がる長身の女。
「いい? 僕もね。譲歩しているんだよ。愛する姉妹(ディア・シスター)を三ミリも渡しているんだから。
今すぐ渡せないならせめて、そこをどけよ」
少年らしい口調にソプラノの響き。同じ口で囀(さえず)るのは「風月(ヴァントーズ)」を不本意にも渡さざるを得なかった女だ。「風月 藤原京」――!
今はわざわざ手を拘束するようなマニアックな服を着ているが、その眼光は鋭い。
平行世界を渡り歩く部長が連れて来たと言うことは、私達が立つこの地平を重要に思ってくれている、
そのことの証左に他ならないのだけれど、そのために手札を二枚失うことになるとは思わなかった。
月が一つ欠けたのはまだいい。自前で押さえていた欠片の時計を奪われたことで、私達は「迷宮時計」に関わる上での自前の手段を失ったことになる。
「だからさ。ここは黙って引き下がってやるって言ってるの。
僕らの目的が何であるにしても、あんたらに危害を加える理由はないはずだけど?」
「危害――?」
「そう、危害。だから――」
見えざる手が女を突き飛ばした。霧月の力は大したものではないはずが、思わずバランスを崩し踏鞴(たたら)を踏む。
人工探偵は見た目より遥かに軽いと言うが、これは菖蒲と比しても相当のものだった。
髪を機織りに回していても、なお長く、引き摺るほどに長い髪が、ふわり体を持ち上げる。
「先回りさせてもらうよ。君らのオトモダチを処刑したのがムジュンだって?
いい? 僕らは君達に場所を提供しただけ。そういうことだよ。『浅薄な考えをひけらかすな半人前の紙屑が』……、時計草は黙ってて!」
時計草とやらが口を挟んだ。言葉によると、髪に宿る人格らしい。
声量が囁くほどに絞られているか、くぐもっていることを除けば全く同じ声だった。
時計草は服の内側か? 通常、恥部や急所を人は晒さない。
「――ぐ」
「話がややこしくなる。文芸者が口喧嘩してどうするんだ。貴様の専門は即興詩ではないはずだが?」
能力に特化した文芸者相手なら、流石に私の方が力が強い。顔面を両側からがつりと掴み取り、
足を払って一気に床に叩きつけると、ようやく静かになった。
眠らせるベッドも、添い寝した寝具も、今ここにはない。そこでノビてろ。
「びっくりした。仲間じゃないの?」
「そもそも、私と部長の案件に横入りしてきたのはこの女だからな。さ、三人で話を進めるとしよう。菖蒲、入ってきなさい」
「は!?」
「覗き見とは趣味が悪『四人が正解だとか指摘しないで、話が進まな』自分で言うことじゃないよね」
二人納得する一人と、わざとらしい驚き方をする探偵、それと私、四人だ。
「お初にお目にかかります。わたくし遠藤之本格古笹ヶ菖蒲(えんどうのほんかくふるざさがあやめ)と申すものです。
探偵についての説明はご入り用でしょうか?」
「本格派か、手堅(てがた)『等級と年齢は?』……いところだな」
「お恥ずかしながら四級に位置しておりまして、歳は先日二歳の誕生日を迎えた所です」
ほうっと、息を吐いて本当に気恥ずかしそうな振る舞いをする探偵に、思わずにこりと微笑んでしまった。
重要な話し合いでも、相手が女性でなくて探偵と言う性であったとしても、これは反射のようなものだった。
正直、探偵については門外漢で、ちんぷんかんぷん、そっちの頭脳労働は丸投げのつもり、だった。
こほん。曰く、足払いをかけた場面からのデバガメだったらしい。
肝心なところは目撃されていなかったので安堵する。流石に殺人に立ち会わせて円滑な関係を保てる自信がなかったからだ。
ピリリとした一触即発な雰囲気は完全に立ち消えたと言えば、無理があるだろうが目当ての物を試供する以上はこの部室に留まざるを得ない。
「『ふ、芽月殿は人工探偵についてあまりご存知ないご様子。では、私達の事を紹介ついでに、簡単に説明しましょうか』
……ん、え? 『続きを』いや、流れからしてこれって……『なら名前だけでいいから』
あ、う、うん『いいから早くしろ』
わ、わかったよ。名前は千葉之法廷古笹ヶ時計草(ちばのほうていふるささがとけいそう)、これでいいだろ?
『解説を』いや、それくらい、自分で『やるんでしょ。ならよろしい』はい……。
人工探偵、まぁ要するに植物(ササニシキ)を素材に作った人造人間だよね。
なんで名前も人間離れしてるわけだけど、探偵に戸籍があるわけじゃないから雅号に近いんだ。
結婚した人工探偵はちゃんと伴侶の戸籍に入るから姓を持っているからね。
で、この構成は「○○之△△□□ヶ××」と言う法則があって、それぞれが
○○:所属する探偵姓
△△:所属する探偵流派
□□:製造された工房名
××:個体名(花の名前が多い)
となるんだよ。まぁ、この辺は大抵の人にあまり縁がないから忘れて構わない。
で、次に探偵五原則、これはロボット三原則の探偵バージョン、人間とロボットの関係が
加害者とか被害者に置き換わってプラスアルファと考えてくれ。それで『話が長い』え?
『その辺いいの、私達何のためにここに来たんですか?』でも説明しろって言ったのは『いいから!
酔ったらそれで、言っちゃいけないところまでこぼしそうだから打ち切りね、う・ち・き・り!』」
何で飲みながら話をしているとかと言えば、先の話の「約束の物」が酒であったからに他ならない。
それも「コメ製ウオッカ」、アルコール度数通り越して含有カロリー量がガソリン並みと言うブツ。
こんな危ない食品作り出す葡萄月(私の親友)の人脈がどうなってるかなんて、知らない方がいいのだろうか。
どう考えても共飲み? いや、
「芽月様。お考え違いを為されていると思われます。人工探偵(わたくしたち)も普通にごはんを食べますよ」
(光合成もしますが)
筆記を代行する傍ら、走らせたその文の言わんとするところは分かっている。
(アルビノだ)
そう、目の前に立つ探偵は自然界では滅多に見られない白化個体(アルビノ)。
保護色であるユキヒョウなどとは違い、本来と違う色無き色は特に植物にとって致命的だ。
ところで拘束服を身に着けて、一体どうやって、と思ったところの早着替えは眼福だったと言っておこう。
「しかし、量が少ないのが困ったね、探偵に未成年も糞も無いけどねっ
『クソって……ガキですか? 貴様は』おい、お前は――、
『貴重な私達の情報を垂れ流すと言う意味ではそう言えます』」
その稀少さから珍重されるアルビノを人の形(かたち)で当てはめる。
ほぼ例外なく美しい容姿をしている人工探偵、愛玩用にしようと言うなら妥当な所だろう。
(いえ、先の名。わたくしが自分探しの度に出ているときに見たことがあります)
「『最も、姿現すと言うだけで大きなリスクなのですが、覚悟決めますか』うん」
今まで、机の上に盛られたお菓子に手を付けようとせず、ちびちびとやっていた二人は立ち上がるや頭頂部からぱらりとかけた。
それは深雪に溶け込むようにして床に零れることをしない。
「『ごちそうさまでした』」
唐突な奇行に二人が全く動けずにいると、立ち上がった二人は一人の手を引き、その住処めがけて歩き出す。
芽月リュドミラの能力「隠れ画(エルミタージュ)」。
――風景画・人物画などの絵画を一個の別世界への入り口と見なし、自由に出入りする能力。
偶然が許されるなら、どんな世界に移動することも叶う。
探偵菖蒲は人無き湖畔に二人の少女が立ったところで視線を外した。心配はしていない。
探偵の理性に、同じ探偵として、危うさを持つ同胞として期待していたからだ。
推理を開始する。
「人工探偵の製法が確立したのはここ数年――、なのに十五歳と言う彼女?
おかしい、すべての原型となった三十年前の『四季枝(しきし)』の方々から何年空いたと思っているの?
このプロフィール――、何かがおかしい」
沈思黙考、情報が足りない。孤児院? ヒイラギ、どこかで聞いたような……?
ところで、背後で冷たい手が!?
「ひゃいっ!」
「私だよ。いやはや、酷い目にあった」
「驚かせないでください……。そちらの、手は?」
果たして、それは手であった。真っ白な手、もう生きていない手、その断面はまるで植物の根?
「手切れ金、いや手付金かな? 冗談と一緒に千切って渡されたよ。
決まりだ。あの女は狂っている」
「でしょう。あの髪を操作する能力を見るに探偵組織が既に生身の人体組織を侵蝕しているとは思っていましたが、 丸々腕一本が既に置き換わっていると言うのなら、双方の精神は、もう……」
ですが……、探偵は続けようとしてやはり止める。言葉を譲ったのだ。
「私も絵の具の一気飲みは止めたほうがよさそうだ。
おそらく、あの女は普通の食事はもう取れずにアルコールで摂取しているみたいだ。
腕一本分の養分をどこで捻出するかはわからないが、この切り取った一本で酒を作れと言われたよ。どうする?」
言葉は空回りするようだが、拾うことを期待しているのでしょう。
そちらは本家の方にも話を通している旨を説明する。加えて。
「相手が『法廷派』と言うならわたくしにも挑む意味はありましょう。
わたくしは『カランドリエ』の方々にとって単なる備品、喜んでこの身損ねましょう。
情報をくださいませ。この事件、名探偵には到底及ばぬ身であれどお引き受けいたします」
澄んだ目だった。
そこに献身の情のみで、いつ終わっても悔いはないだろうから。
後ろ暗いこの身では依頼を出すことが躊躇(ためら)われた。だが、言わんとするところを遮られる。
「ところで、その腕は左右どちらでしたか? 急所たる時計草の位置がわかるかもしれません」
その言葉で理解する。カランドリエはすべての時計所有者にとっての敵に当たるかもしれない、と。
――部長の名の下に私達は「迷宮時計」を手に入れなければならない。
隻腕の少女探偵は眠らない。いいえ、眠れない。
本来は回らない時計草、それが「欠片の時計」が宿ることで動き出す。
それは脳と直結して掻き回すようで、痛覚を持たない脳髄であったからこそ、常に不快感と共にある。
苛まれるような幻痛をもって二十四時間止まらずに動き続けるそれに比べれば腕の痛痒など気にならない。
そちらは栄養不足が原因だ。衣食足れば、すぐにでも治るだろう。
肌の亀裂から外気に晒される時計草。
それは眼球と同じく露出した脳髄が変じた一種の臓器であり、人工探偵が必ず一輪は持つ証にして恥部・急所。
十二枚の花弁と萼(がく)を持ち、その内縁には六十枚の副冠。何より、絶えず時を刻む三本の雌蕊(めしべ)が機能を持つ時計であることを証明する。常は厳重に秘匿されるそれは、今は花開き目を楽しませるだろう。
自傷防止用の拘束服は今は着ていない。
二人はこう思った。
生まれてこの方、ゼロに落ち着いたことが無い気がする。
嵐に翻弄される浮き沈みが激しい人生の中で、穏やかな凪の時間が訪れた事なんてそれこそ生まれる前と死んだ時だけ。
度重なる負債に蝕まれて望まない労働と、貸付の中で命を取り立てて来たこの生き方に後悔はないが、もう眠りたいと思った。
ねむたい。
二人はこうも思った。
この体になってから眠るなんて大危機(ゼロアワー)。頭痛に邪魔され眠れない。
原因なんてわかってる。この忌々しい『時逆順』のせい! 頬をつねって目覚めたい?
いや、逆か?
なら、この生こそが目覚めるべき悪夢で万々歳だ、それでいいんだろ?
殺して、追放(とば)して、生き残れ。それがルールだ馬鹿野郎。
僕が、僕達が味わう死はこれで三度目か、これでお仕舞にしないといけないのはわかりきったことなんだよ。
くそったれ。
『忌々しいと思ったことが、既に私への侮辱なんだよ、愛しい姉妹(ディア・シスター)』
(はっ、わかってるよ、『時計草(パッションフラワー)』。受難の花とはイカしてるよなぁ、ふんっ)
笑っちゃうよなぁ。
どうせ滅ぶっていうのに、てんで散らばって使い物にもならない探偵術を五歳にもならない子どもに叩き込んだ父さんも――ッ。
それを理解して使いこなしてみせた僕も、それを知って殴り飛ばしたあの男も――ッ。
とっとと夢の世界に逃げ込んだ母さんも、キライだ。
「勝手に満足して、最後は笑って見せた父さんも、ダイっキライだ――ッ。『落ち着きなさい』
エンドウもイカリも、も、も! 糞ッ! どうして死んだ! 『頭を叩かないで』
僕が――くっ前にどうして死んだ! 探偵は力だ。『一杯、それで落ち着くから』
欺瞞で覆い隠された真実を暴いて『いいから落ち着け』復讐するための力なんだ!
どうしてそれがわからない! 柊木(ひいらぎ)、お前も――、」
『黙りなさい。繰り返します。人目もある、静かにしなさい……、いいから黙れクソガキが』
「ぐ――『あぁ、なんだ。つまり貴様はいつ何処にあの忌々しい、屑の時逆順を持った頭の残念な連中と出くわすかわからないと言うのに、貴重な私達の情報を垂れ流す愚を犯すと言うんですか?
さっきからクソクソって肛門期のお子さんですか?』」
「お前は――ッ」
どうしてだろう?
いつから、こうなってしまったのか、終わりにしないといけないことだけわかっている。
だが、終わりにするのは他の誰でもない私達、僕たちの役目なんだ。それを邪魔するものは容赦しない。
そうだ、殺してでも、そうだ! そうだろう? そうだ!
悪酔いも混じった二人は渾然とする意識の中でまだ眠れずにいる。眠れずにいる、いる、る、る、るっるるるる――。