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プロローグ

山が燃えている。
木がバチバチと音を立てて倒れていく。逃げ遅れた人たちの死体の焼ける臭いが鼻をついた。
北海道のにおいだった。これが北海道だった。
母さんが僕の手を引いてくれていた。僕を逃がそうと必死に走ってくれていた。
その時、山の方から大きな音が響いた。重低音と高音が混じっているような、とにかく怖い雄たけびだった。
エゾヒグマだ。いつも聞いている。エゾヒグマの声だ。
エゾヒグマが暴れているんだ。冬眠の出来なかったエゾヒグマが他の動物が木々に当り散らす。それもまた北海道ではよくあることだ。
僕は母さんに手を引かれながら、燃えている山をみていた。山は真っ赤だった。まるで地獄のように炎が地面を覆っていた。北海道の風景だった。
またエゾヒグマが雄たけびがあげた。エゾヒグマが立ち上がる。炎がその黒くデコボコとした皮膚を照らした。
怖い。そう思った。だけどこれが北海道なんだ、とも同時に思った。
エゾヒグマは大きかった。多分80mはある。エゾヒグマが口を大きく開いた。そう思うと同時に何か白い光線のようなものを吐くのが見えた。
先を行っていた人たちが悲鳴をあげている。エゾヒグマが吐いたのは何か火のようなものだったんだろう。いつの間にか僕の目の前も炎で真っ赤になっていた。
母さんが泣いていた。僕は母さんが泣いているところを見るのははじめてだった。
母さんは怒ったり笑ったりすることはよくあったけど、泣くことだけは一度もなかった人だった。
母さんは僕を抱きしめてくれた。母さんは泣きながら僕にごめんね、ごめんねと言っていた。
木が根元から倒れていった。炎が吹き上がり、どんどん火の手が広がっていく。ああ、僕はここで死ぬんだということがわかった。
北海道では毎年必ずエゾヒグマによる災害が発生する。それがたまたま今回は僕たちのところにきてしまったんだ。それだけのことだった。
死ぬのは怖かった。でも、悲しくはなかった。北海道で生きていくのはそういうことだと、言葉にはしていなかったけどいつも父さんが教えていてくれた気がする。
母さんはまだ泣いていた。だから僕は母さんの頭をなでてあげた。母さんは、僕が泣き止まないときはいつもそうしてくれていた。
母さんが涙をぬぐって少しだけ笑ったとき、北海道猟友会の大砲の音が響いた。



────


夢を見た。
エゾヒグマの災害で僕の村がなくなってしまった時の夢だ。
悲しい思い出だけど、僕は北海道のことを思い出させてくれるこの夢が好きだ。
あれから5年が経った。あの災害で両親を失った僕はすぐに叔母さんの家に引き取られた。
本当は北海道に残りたかったけど、当時小学生で魔人能力にも目覚めていなかった僕には他の選択肢はなかった。
叔母さんと叔父さんは僕にとてもよくしてくれている。二人が父さんと母さんと変わらないぐらいの愛情を注いでくれているのは子供の僕でもわかった。
それでも僕の中の望郷の念は消えなかった。帰りたい。北海道に帰りたい。父さんと母さんと、あの町でもう一度暮らしたい。
それが北海道の摂理に反することは理解している。あのエゾヒグマを恨んでもいない
だけどどうしてもやり直したいと考えてしまう。3年経ってもその考えを改めることはできなかった。
いつの間にか目覚まし時計が鳴っていた。僕はそれを止めて体を起こす。
ベットから降りてカーテンを開いた。陽光が僕の眼に飛び込んでくる。眩しい。太陽の光は嫌いじゃないけど、まだ慣れない
とりあえずパジャマを脱いで学生服に着替える。学生服もあんまり好きじゃない。宇宙線の対策が施されていない服を着るのはやっぱり少し怖い。
太陽の光が容赦なく差し込んでくる。眩しい。太陽の光は嫌いじゃないけど。この暖かな光はどうしても北海道と本州の違いを意識させられる。だから、太陽は少しだけ嫌いだ。
着替えを終えて居間に出て行った。台所ではいつもどおり叔母さんが朝ごはんが作ってくれている。
「おはようございます」
「おはよう」
「何か手伝うことはありますか?」
「そうね。じゃあそろそろ飲み物とお皿を出してもらおうかな」
「わかりました」
言われた通りに食卓の準備をする。僕はお茶、叔父さんと叔母さんははアイスコーヒーだ。
「今日は何作ったんですか?」
「いつも通りよ。ウィンナーと卵焼き。それと味噌汁とご飯」
どれも北海道にいた頃はご馳走だと思っていたものだ。そんなものは誕生日の時ぐらいにしか食べられなかった。
そんなものを当たり前のように食べられる環境にいるのに、僕はなんで北海道に帰りたいと思ってしまうんだろう。
そんなことを考えているうちに叔母さんは食卓に料理を並べ終えていた。
「じゃあ、私はあの人を起こしてくるね。裕輔くんはその間に顔を洗ってきな」
叔母さんに返事をして、言われたとおりに洗面所にいった。
ここで顔を洗ってヒゲをそって髪を整えて叔父さんと叔母さんの待つ食卓に戻るというのがいつもの日課だ。
けど今日はいつも通りのはずの洗面所に見慣れないものがあった。
腕時計。叔父さんが使っているものじゃない。叔母さんが使っているものでもない。
僕が知らない間に買ったもの、というにはどうにも古い。ヴィンテージ的な古さじゃない。ただ使い古しただけっていう感じの古さだ。
中古で買ったのかな?とも思ったけれどもそれにしては傷も多いし、ベルトの部分もずいぶん日焼けをしている。こんなものをわざわざ買うだろうか。
叔父さんも叔母さんもこれよりももっといい腕時計を使っていると…思う。
時計に顔を近づけてみる。どこか懐かしい感じがする。なんでだろう
その理由はすぐにわかった。
これは父さんの時計だった。
時計の形、ついている傷、ベルトの日焼け跡。どれをとっても僕の記憶の中にある父さんの腕時計と瓜二つだった。
なんで父さんの時計がこんなところにあるんだ。そもそもこれは本当に父さんの時計なのか。そんなことを考える前に僕の手は時計に向かって伸びていった
そして僕が時計に触れた瞬間。僕は僕たち家族が北海道でやり直す方法があることを理解した。