プロローグ

1

 夏休みが明けてひと月が過ぎ、迫りくる中間テストの気配がにわかに強まってきたこの頃。
 昼下がりの希望崎学園高校は、魔人が多いといえども高校生の集団の多分にもれず、今日もかしましい。
 いつも通りの昼食の時間ですらはしゃげるのが、若さに与えられた特権なのだろうか。

「たっだいまー!焼そばパンゲットだぜ!」
「おかえり、元気。今日も元気だね」
「それはダジャレなのか!?んんー??」
「いや、違うけど」

 死闘を制した友人を気だるい雰囲気で迎えた彼が、今回の主人公である。
 体格は中肉中背、黒髪M字バングにブレザー、部活は帰宅部という、流行りのラノベの主人公のような見た目がメタ的には逆に特徴的な 彼は、男女分け隔てなく接することができるスキルに美男美女だらけの世界で普通の見た目であるというスキルも有している、いわゆる隠れリア充主人公だった。

「相変わらず仲いいのねーあんたら」
「おう美咲!お前は相変わらず冷めてんなあ」
「クールって言いなさい」
「うーん、ボクも焼きそばパン買ってこようかなあ」
「真実はマネしなくていいの」
「マミしなくて?」
「うるさい」

 やってきた少女二人は彼らと親しげな様子で、机を寄せて弁当を広げ始める。
 そのうちのひとり、ボクっ子少女の巡真実(めぐりまみ)が、彼にカバンから取り出したキャラクターの描かれた箱を手渡す。

「なんてね!はじめくん、はい!お弁当」
「ありがとう、真実」
「愛妻弁当ってか! 羨ましいねえ。おれなんて100円の焼きそばパン1個だぜ......」
「あらあら、妬けるねー。って、真実のお弁当は?」

 彼女のカバンの中には、もう弁当箱はなさそうである。
 しかしそれを指摘された彼女は、なぜか不敵な笑みを浮かべていた。

「ふふふ、それはね」
「何もったいぶってんだよ。ほら、弁当」
「はじめくんありがとう!」
「なん......だと......」
「はあ、この教室だけまだ夏ね」
「あーあ。美咲、おれにも作ってくれよ」
「イ・ヤ。なんで気温もっと上げないといけないのよ」
「ちぇー。それにしても、今日は普通に暑くね?」
「異常気象ってやつじゃない? こんくらいもう珍しくないっしょ」

 いつもどおりのおしゃべりに花を咲かせながら箸を進めていると、美咲が変化に気がついた。

「あっ、真実のケータイ変わってる」
「へへへ、そうなんだっ。みてみてー、あいぽん6!」
「うおお、最新や」
「並んで買っちゃった。はじめくんと一緒に並んだんだよ」
「はいはい、ラブラブですなあ」
「......そうだね」
「ん? どうした?」
「いや、並んでから店に入るまでに2時間、店を出るまで1時間かかってね。それはもう大変だった。おれは去年変えたばっかだからまだ買えないし」
「まじか」
「え......もしかしてちょっと怒ってる?」
「そんなわけないだろ。あ、そうだ。」

 というと、彼はなにかを思い出したように、いきなり真実の耳元に顔を寄せ、声をひそめて話しだした。

「ねえ真実、ちょっと......」
「ちょちょっと、近いよ!? ......うん、うん、わかったよー、放課後ね!」」
「はあーあ。ねえ、次の授業ってなんだっけ?」
「世界史ですよー美咲さん」
「あ、教科書忘れた。......隣のクラスのやつに借りてくる」
「ボクも行くよっ」
「えー、行ってもしょうがないっしょ」
「いいじゃん、減るもんじゃないし♪」

 教室と教室の間がやたらと離れているので急がないと次の授業に間に合わない。
 あわてて教室を飛び出していった彼に、真実はスキップしながらついていった。

「相変わらずのラブラブっぷりだったね」
「おれたちも対抗しようぜ」
「ム・リ」
「そうだなー。うん、今日も平和だ!」

2

 希望崎学園高校をオレンジの日差しが照らす頃、真実は旧校舎裏へと急いでいた。

(やっばー、遅くなっちゃった......。進路のことで呼び出しとか、この学校でもあるんだね。てゆーか旧校舎遠いし!
それにしても、はじめくんってばなんの用事なんだろう? ボク何かしたかなー。ま、まさか別れ話とか......?
こないだは3時間もつきあわせちゃったし、怒ってるかな......。い、いやいや。まだまだボクたちの仲は揺らがないハズ!
でも、別れ話じゃなかったらなんだろう? わざわざ誰もいないところ、それもわざわざ旧校舎に呼び出さなくたって、いつもどおり帰り道でおしゃべりすればいいのに......。んー??......まさか、はじめくんったらえっちなことがしたくなっちゃったとか......? え、ウソ、どうしよう! ボクたちまだ付き合って3ヶ月も経ってないのに! どうしようどうしよう、ちゅーされちゃうのかな......。そ、それとも、もっと先まで......? やああん!」
「学校でするかよ」
「うわあああ! って、はじめくん!? ウソ、声に出てた......?」
「そりゃもう。......遠いところまでごめん」
「んーん、こっちこそ待たせてごめん」
「全然いいよ。いま来たばっかりだし」
「えへへ。......話って、なに?」

 笑顔の中に一匙の不安も混ぜて、真実が尋ねる。

「いや......おれたちが付き合い始めて、もうすぐ3ヶ月だよな」
「え?......うん、そうだね」
「いきなり真実が旧校舎におれを呼び出してきてな。カツアゲでもされるのかと思ったよ」
「だ、だって恥ずかしかったし......てかカツアゲなんかするか!」
「まあまあ、でさ、付き合ってからはいろんなとこ行ったよね」
「そうだね、学校帰りにクレープ食べたりゲーセン行ったり」
「真実がイチゴ落として、おれのバナナをあげたりね」
「ふんっ、UFOキャッチャーで2000円使ったのはどこのだれだったかなー?」
「あはは、映画館の帰りには、初めて手をつないだ」
「心臓の音が聴こえちゃうんじゃないかってどきどきしたよ」
「夏休みになってからはさ、元気の部活の試合見に行ったり」
「美咲のバンドの演奏見に行ったり」
「一緒に海にも行ったよね」
「花火、今まで見た中で一番綺麗だった。キレイだった......。」

 思い出を振り返っていた彼女の表情が、不安の影に支配されていく。

「......ねえ、それでどうしたの? 一体何の用事なの?もしかし」

 瞳の横に朱が差し、涙がこぼれそうになったその時、彼は左手で真実の右手をとって旧校舎の壁に押し付け、右手は真実を腕の中に閉じ込めるように、そのまま壁に置いた。

(こ、これはっ、壁ドンってやつ!? あうう、顔が近いよ。はじめくんの瞳って、まじりっけなく真っ黒で、吸い込まれちゃいそうだよー)

「好き、だよ。最初の頃よりもずっと。」
「え、そ、よ、ボクも......はじめくんのことが好き!大好き!」
「真実、目、瞑って」
「ん......」

(や、やー! ちゅーするんだ! ってことは、こっ、これから......)

 目を閉じて唇をきゅっと結び、つま先立ちで斜め上を見上げながらぷるぷるしている真実を見て彼は彼女を心の底から愛おしく思い、

「......ありがとう」

 と呟いた。
 真実がその言葉を認識していたかどうかは定かではないが、次の瞬間、朔の手刀がわずかに角度をつけて真実の首を右から左へ通過した。
 目を瞑っていた彼女に最期の景色は見えなかったが、頭の中で、こないだケータイ買った時に願い事が叶うような気がしたことや、海で拾った貝の模様がかわいかったことや、映画館に行く前に服を選ぶのに三時間かかったことや、告白するって決めたときに美咲と朝までメールで作戦会議したことや、中学校の修学旅行で買った木刀に友達みんなで名前を彫ったことや、小学校の時に初めてお母さんと一緒に作ったご飯のが美味しかったことや、幼稚園に行くのがイヤで大泣きしたことや、これまで彼女が経験してきたことが次々浮かんできて、それらがぼやけてまざりあってみえなくなったとき――
 ――彼女の唇は、冷たいアスファルトの地面と重なりあっていた。

3

 骨が3本になった首から鮮血を噴き出しながら巡真実の死体が地面に崩れ落ちると、朔は彼女の服の胸ポケットを探り、彼女のケータイに触れた。
 瞬間、「ピピッ」と彼の腕時計が鳴った。
 しかし、彼の腕時計はアナログ式だ。ではなぜ音が鳴ったのか。
 彼女のケータイに触れたその瞬間、『迷宮時計』の欠片の所有権が巡真実から刻訪朔に移ったからである。
 朔の脳裏に、今回の戦いの情報が流れ込む。

「バトルロイヤル......異世界......最後の一人......真の名......」

 情報を入手した朔は、懐からケータイを取り出して電話をかけた。

「サクか」
「お疲れ様です(たくみ)さん。あとサクじゃなくてハジメです」
「会長と呼べと言ってるだろう。......それで、首尾は」
「はい、『迷宮時計』の欠片の所有権を取得しました」
「そうか。御苦労だったな」
「別に苦労してません。彼女は魔人じゃないですし」
「そういうことじゃない。仲が良かったんだろう? まあ、お前にこんなことを言っても仕方ないか......」

 朔が電話をかけているのは、魔人同士の互助会である魔人商工會「刻訪」の会長である。
 不惑を過ぎ、文字どおり数々の修羅場や死線を越えてきた彼でさえ、このまだ二十歳にも満たない少年に驚き呆れることは、一度や二度ではない。

「しかし、学校で殺さなくてもよかったんじゃないか? 死体はどうするんだ」
「学校は治外法権ですからね......。魔人警官の装備の方がよっぽど厄介です。僕が魔人であることは秘密にしてますし、森の中にバラバラにして適当に埋めればすぐにはバレないでしょう。それに、この戦いに勝てば僕の願いが叶う訳だし、負ければまあ死ぬでしょうから、所有権さえ得られればどうにでもなるんですよ」
「怖い奴だな、お前」

 電話口の向こうで会長がため息をついているのに混じって、大きいけれど品のある声が聞こえてきた。

「あ、朔さんとお話されてるんですか!? もう、教えてくださいよ!」
「あれ、調(しらべ)さんですよね? 相変わらず声でかいですね」
「まったく、電話中にどうやって教えろというんだ......サク、代わるぞ」
「もしもし、朔さん。調です。」
「お疲れ様です。声、めっちゃ聞こえてましたよ」
「やだもう、私ったら。......時計の件、今日だったのね。大変だったわね。」
「ものの10分ぐらいでしたし、楽勝でしたよ」
「そうじゃなくて。大切な人だったんでしょ?」
「......真実は、太陽みたいに明るくて、僕にはもったいない人でした。でも僕は、僕の大事な人にまた会うために、たくさんの血を流してきました。......いまさら、止まる訳にはいきません」

 わずかに彼の表情に蔭りがみえたが、すぐに表情を戻し、淀みなく言い切る。

「それに、僕が殺さなくても、戦いに巻き込まれていたら生きては帰ってこれなかったでしょう。だから、これでいいんです」
「......そう。私たちは、朔さんの力になるからね。」
「はい、今回の戦いでは『調和』が不可欠です。よろしくお願いします」
「まかせて! じゃあ、匠さんに代わるわね」

 いま朔が話していた女性は、魔人商工會「刻訪」の副会長で、会長の妻でもある。
 魔人集団の頭の妻という恐ろしい立ち位置にありながら気配りと慈しみの心を忘れない彼女は、朔の戦いに対する思いが強すぎることに、常に気がかりでいた。

「やれやれ、やかましいやつだ」
「はは、ですね。でも、あの声聞くと元気が出ます」
「ま、それは私もだ。しかし、本当に大丈夫か?」
「何言ってるんですか。調さんにも言いましたけど、僕は前に進んでいくしかないんです。それに、匠さんと調さんは、なにもかも失って途方に暮れていた僕を拾ってくれた......。僕はその恩返しをしないといけないのに、ここで『刻訪』の名を背負って負ける訳にはいかないですから。」
「......そうか。お前ならそう簡単には負けんだろう。期待してるぞ」
「ありがとうございます。では、この後そちらにうかがいますので。『戦器』の用意、よろしくお願いします。」
「準備しておく」
「では、失礼します」

 電話を切った朔は、真紅の水たまりの中に横たわる真実の死体を目にして、ふと思い出す記憶があった。
 それは、ちょうど今日と同じく、夏が忘れ物を取りに帰ってきたように暑かった四年前の夕暮れ時。
 血だまりに沈む家族の姿。
 目当ての物を手に入れてニヤついている強盗の下卑た顔。
 我を忘れて強盗に向かっていった押さえきれない激情。
 そして、初めて感じた、人の命を奪う感覚。

「もう、戻れないんだ......。一度赤く染まった手に、どれだけ赤を重ねても同じことなんだよ」

 誰に対して告げた言葉だろうか。死体を森に運びやすくするために刻んでいる間も、彼の口からは言葉が漏れ続けていた。

「絶対に、勝ち残ってみせる。今度こそ。絶対に......。」

最終更新:2014年10月07日 10:58