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エキシビジョンSS・変電所その2


その夕暮れ、”彼ら”がエド・サイラスの店を訪れたとき、綾島聖は不在だった。

エド・サイラスのバーはいつもと変わらない。
店内に客の姿はない。
エド・サイラスがどうやって店の経営を成立させているのか、
”彼ら”は誰も知らないし、興味もなかった。

少なくとも今夜、”彼ら”が興味のあることはひとつだけだった。

「綾島なら、三日前に顔を見せた」
と、エド・サイラスは迷惑そうな顔で答えた。

「もう二度とあの顔を見たくないんだが――、
 お前ら誰でもいい、あいつを殺せ」

「そりゃあ、俺たちだって、そうするつもりさ。
 それが簡単にできればな」
”彼ら”のひとり、連続殺人鬼の”ソルト”ジョーは、
カウンターの隅の席を占領した。

「今夜は死ぬかもしれませんよ。
 チャンプさんの時と違って、放送はされないんですよね? 残念です」
また別の”彼ら”のひとり、断末魔コレクターの”音楽屋”イシノオは、
店の真ん中のテーブル席に腰掛けた。

「さすがに今夜は、綾島聖も顔を出すだろう。
 奴のことだ、絶対に自慢しに来る。死んでいなければ」
また別の”彼ら”のひとり、人間彫刻家の”ルービック”は、
イシノオの正面に座り、トランプの束を取り出した。

「じっくり待つとしようじゃないか。
 本日の種目は、ポーカーで良いかね」

「誰がお前の用意したカードで遊ぶか。殺すぞ”ルービック”」
”ソルト”ジョーは忌々しげに悪態をつき、煙草に火を点けた。

「エド・サイラス、トランプを貸してくれ。
 クソ綾島が来る前に、こいつらを一文無しにしてやる。
 金が無くなった奴は、次は命を賭けろよ」

「別に構わんが」

エド・サイラスは時計を見て、それからカレンダーを見た。

「綾島聖を待つつもりか?」

「生きていればな」

「どうかな」

エド・サイラスは、喉の奥で唸り、そして黙り込んだ。
その目は、カレンダーの日付に注がれていた。

「少し、日付が悪いぞ」

その日付は、2月14日を示している。


* * *

時計の針が、また進んだ。
夕陽がその針を照らしていた。

古沢糸子が所有する迷宮時計の欠片は、懐中時計の形をしている。
その実態は”終末時計”。
残り人数をカウントする――残りは、ふたり。

その数は、限りなくゼロに近い。

(この戦いの終わりには――、終末時計が零時を告げるとき)

古沢糸子は、取り留めもなく思考する。

(世界が終わるのかしら)

そんな風に思考を弄ぶのは、理由がある。
彼女がすでに推理を完結させているからだった。
これ以上、思考を重ねる必要はなかった。

古沢糸子は、『安楽椅子探偵』である。
事件の犯人と対峙するときには、すでに推理は完了している。
現場に出向く前に、何もかもを終わらせているのだ。

彼女にとって、推理という作業はチョコレートの調理に似ている。
材料を的確に整理し、混ぜ合わせ、加熱して味を調え、成果を得る。

(綾島聖。その正体は、恐らく――)

古沢糸子は、その答えを導き出していた。
そして、綾島聖を、自分が止める方法を。

これまでの戦いから、古沢糸子は結論づける。
綾島聖とは何者か?

時ヶ峰健一のように”最強”ではない。
ミスター・チャンプのように”最優”ではない。
シシキリのように”最悪”ではない。
蛎崎裕輔のように”最凶”ではない。
猟奇温泉ナマ子のように”最狂”ではない。

ではない、ではない、ではない、ではない――

だとすれば、その答えは一つだ。
絶望的な答えだった。

古沢糸子は、赤く染まる夕焼けの空の下で、それを見る。
どこか不吉な、変電所に並び立つ鉄塔のシルエット。
その向こうから近づいてくる、ひとりの神父服の男の影がある。

彼の足取りには躊躇や、決意や、覚悟、そういったものが感じられない。
その男――つまり綾島聖は、穏やかに微笑みながら、
ただふらふらと近づいてくる。

「綾島聖」

古沢糸子は、その名を声に出してみる。
空虚な響きだ。
彼女が推理から導き出した、彼の正体は――

(いや、正体といえるべきものは)

何もない。
すべての推理の要素が、その断片をつなぎ合わせた結果が、そう告げている。

(ただ、そういう名前の、どうでもいいチンケな殺人鬼)

綾島聖は、何者でもない。
だが、というべきか――それゆえに、というべきか。
ここまで、こうして勝ち続けてきた。

この”何者でもない男”が勝ったとき、いったい迷宮時計が叶える願いは何か?
奇しくも”終末時計”の形状をした時計の欠片を持つ、
古沢糸子がここで相対することになったこと。
それは果たして偶然か否か?

あのような精神性を持った男が勝ったとき、世界になにを願うのか。

古沢糸子は、その先の推理をやめた。
必要ないと思ったからだ。
どちらにしても、綾島聖を止める以外に道はない。
だが、もしも自分がここで止められなければ、あるいは、世界は――

古沢糸子は、背筋に寒気を感じた。
だから彼女はひと欠片、チョコレートをつまんで口に含む。
チョコレートこそは彼女にとって、精神安定剤にほかならない。
甘さが舌に絡み付いてくる。

少しだけ落ち着く――そう。
いずれにせよ、これが最後の、本当に最後の分岐点になる。
その役目は、他でもない自分に託された。

(さて、うまくいくかしら)

思考する古沢糸子の方向へ、綾島聖がゆっくりと距離を詰めてくる。
その姿。
事前情報と違う点がふたつ。

「おやおやァ――これは奇遇ですね、古沢糸子様」

ひとつ。
綾島聖が白いエプロンをつけていること。

「チョコレートがお好きなんですか?」

ふたつ。
綾島聖が、その両手に泡立て器とボウルを抱えていること。
ボウルの中には、ブラウン色のチョコレートがたっぷりと入っている。

「私もなんですよ、古沢様。
 趣味で『いろいろ』と『料理』を『研究』しているのですが、
 お菓子作りは生徒にも評判でして……いかがですか?」

綾島聖の手が、泡立て器をなめらかに操る。
なるほど、手つきは悪くない。
ボウルの中のチョコレートを、柔らかに攪拌していく。

「今日は、バレンタイン・デーですよ。
 このような争いなどやめて、甘くて美味しぃ~いチョコレートを
 ご一緒に孤児院へ配りに行くというのはどうで死ょう?」

「遠慮しとくわ」

この期に及んで、よく言う。
だが、古沢糸子が抱いた感情は、呆れるでも笑うでもない。
綾島聖という男の本質を、彼女は探偵ゆえに理解している。

「悪いけど、私、今日は先約があるの。
 今日はバレンタインだから」

「それは残念ですねェ。ですが、せっかくですから――」

綾島聖の笑みが歪み、そして深まった。

「この良き日に、古沢様へ、私からまごころを込めた贈り物をいたします。
 神への感謝と、あなたへの感謝を祈りながら作らせていただきました。
 そう――」

エプロンの裾を翻し、綾島聖が動き出す。
跳躍する。

「とっておきの残虐カカオ内臓爆裂バレンタイン死という
 贈り物をねぇぇェェェ~~~ッヒャアァァァーーーーッ!」

「でしょうね」

古沢糸子は短く答え、二丁のリボルバーを構えた。
――そうして、最後の演目の幕は上がった。


* * *

――どこか、別の異世界で。

ひとりの男が、ヴァイオリンの演奏をやめて空を見上げた。
田園風景を赤く染め、太陽が沈みつつある。
彼の名を、廃糖蜜ラトンと言った。

「嵐が来る」

ラトンのつぶやきに、傍らにうずくまっていた男も顔をあげた。

「嵐――」

彼の名は、飴石英と言った。
その瞳には感情らしい感情は存在しない。
精神を圧搾され尽くしたあとに、残った熾火のような瞳の色だった。

彼はその単語を、なんの意味も感慨も込めずに繰り返した。

「嵐、が?」
「そう」

ラトンはうなずく。
ラトンが飴石英を見る表情には、ささやかな感傷、そして共感があった。
この場にいる両者ともに、古沢糸子が第一試合で下した相手である。

「我々は皆、嵐と雷雨に備えねばならない」

ラトンの声には憂鬱な響きがある。
彼は再び、ヴァイオリンを構えた。

「彼女にこれが届くだろうか?
 しかし、祈ろう。世界が滅びる前に」

そうして、廃糖蜜ラトンは演奏をはじめる。
奏でられるのはベートーヴェンの交響曲六番、『田園』。


* * *

綾島聖の奇怪な跳躍を、古沢糸子は目で追う。
鍛え抜かれた探偵の目が、標的を見逃すことはありえない。
そして、相手が繰り出すであろう攻撃を推理する。

(あのボウルに入ったチョコレート)

温めた生クリームとチョコレートを混ぜたものだ。
あの状態から、《糸目》が繰り出す攻撃があるとすれば――

「さぁぁぁあああ~~~ぁ、受け取ってくださいイィーーーッ!」

綾島聖の手中で、泡立て器が踊る。
ボウルの中でチョコレートが猛然と攪拌され、勢い余って飛び散る。

「あなたの大好きなチョコレートですよぉぉぉ~!?」

飛び散ったチョコレートの飛沫を、古沢糸子は見切る。
おそらくは、なんらかの毒物が混じっているであろう。

(《糸目》の攻撃は読める――)

チョコレートの飛沫に触れるべきではない。
古沢糸子は安楽椅子を加速させて、それをかわす。
かわしながら、発砲する。
撃ち出されるのは、チョコレートの弾丸――《サヴォイ・トラッフル》。

「おやおやぁぁ~~~ッ!
 あなたからもバレンタインのプレゼントですねェェェ~~~ッ」

綾島聖は奇怪な側転を繰り返しながら回避し、
さらにチョコレート飛沫を飛び散らせる。

古沢糸子は、動きを止めるわけにはいかなかった。
猛毒チョコレートの飛沫の軌道を、推理によって完全に見切っている。

(そう、この毒チョコレートの飛沫)

古沢糸子は、そのチョコレートの飛沫を利用してやりたい衝動に駆られた。
例えば、この飛沫をリボルバーに装填して、猛毒の弾丸を――

(だけど、それはきっと罠ね)

《糸目》は、そんな小手先のトリックで勝てる相手ではない。
『能力を応用して云々』だとか、『環境を利用して云々』だとか、
そんな方法でこいつに勝てるようなら、他の誰かがとっくにやっている。

綾島聖を倒すには、もっと別角度の『何か』が必要なのだ。
根本的な対策が必要だ。
ゆえに古沢糸子は、ただ自前のチョコレートをリボルバーに再装填する。

地道に積み重ねること。
それが重要だ。
探偵はトリックに頼らない――かつて彼女が目指した、真のハードボイルドのように。

(まずは、攻撃を凌ぎきること)

この毒殺チョコレートの飛沫程度なら、じゅうぶんに回避できる。
どんな攻撃に派生するか推理できる――いや、それは否!

「甘くて美味しぃ~~い特別なデコレーションで
 スイーツお陀仏させて差し上げますよぉぉぉ~~~ッ!
 ほ~ら、ほらほらほらほらほらああぁぁぁ~~~~……!」

綾島聖が攪拌する毒殺チョコレートは、
あっというまにボウルから飛び散り、なくなっていく。

だが、その代わりに、ボウルの内側には不穏な影があった。
液状化したチョコレートの中に沈んでいたのだ。

(――なによ、あれ?)
古沢糸子は加速する視界の端で、それを見る。

ボウルの内側に隠されていたもの――それは、カナヅチであった。
綾島聖はおもむろに泡立て器をそのへんに放り投げ、カナヅチを構える。

「ヒヒャーーッ! いかがですか、この私のチョコレート捌きは!?
 これは言わばパティシエ対決ですねェェ~~~~ッ!
 私の毒殺チョコレートで、甘く美しく死ヒャーーーーッ!」

綾島聖は、もはや空になったボウルを意味もなく抱えながら、
カナヅチを振り上げて飛びかかる。

「特製チョコレート毒殺ゥゥゥウウシャァァーーーーーー!」

「ちょっ……と!」

推理が外れた。
軽いショックを味わいながら、古沢糸子は安楽椅子を旋回させた。
前輪のキャスターフォークが軋む音をたて、
変電所の鉄塔をぎりぎりで回り込むように回避する。

結果として標的を外した綾島のカナヅチは、鉄塔の根元を直撃。
衝撃音とともに鉄塔が傾く。

古沢糸子は、その恐るべき怪力を横目に叫んだ。

「それの――どこが、毒殺なわけよ?」

「イヒッ! これは失礼しましたねェ……キキヒッ!
 とっておきのチョコレート毒殺をプレゼントしたいのですが……
 ついつい手が滑ってしまいました」

綾島聖は、カナヅチを構えたままじりじりと近づいてくる。

「私はただ、ひとりのパティシエとして、
 あなたに最高のチョコレートを召し上がっていただきたいのです。
 私の願いはそれだけなのですよ……わかっていだけますか?」

「それ、カナヅチは関係ないでしょ!」

「大丈夫です……これが私なりのチョコレート毒殺ですよぉぉぉーーーッ!」

そこには論理性の欠片もない。
が、おそらくは、彼自身の中でなんらかの整合性がとれているのであろう。
綾島は再び跳躍して古沢を狙う。

「呆れるわ、いや本当に」

古沢もまた、急加速しながらチョコレートの弾丸を射出。
綾島の肉体にチョコレート弾丸が叩き込まれ、えぐる。
その手からカナヅチを叩き落とす。

「おやおやぁぁぁ――」

やはり、弾丸を打ち込まれても動きは鈍らない。
むしろ嬉しそうに綾島は笑うと、ぺろぉぉ~~~っと長い舌を伸ばし、
体中に付着したチョコレートを舐める。
古沢糸子は改めて、自分が怪物と向き合っていることを自覚した。

「古沢様ぁぁ……次のチョコレートを召し上がりたいですか?
 仕方ないですねぇぇぇえええええ!」

得物を失った綾島聖は、奇声をあげながら両手を振りあげた。
同時に、神父服の両腕の袖口から、ノズルのようなものが垣間見える。

「この甘い甘ぁぁ~~いホイップクリームで、
 華やかにデコレーション殺されヒャァァァ!」


* * *

――どこか、また別の異世界で。

「またかよ」

ひとりの少年が、空を見上げて呻いた。
ゴーグルを額に押し上げて、濁った空気に目を瞬かせる。
それでも、やがて瞳を見開く。

そこは魔窟・九龍城塞として連なる建造物群、その頂点。
雲類鷲ジュウは、王者のように立ち、地平の彼方を眺めていた。
西の空が赤い。
まもなく陽が沈むであろう。

そして、そんな夕陽の彼方で、陽炎が揺らいでいる。
少年の目は、それが空間の揺らぎであることを見て取った。
彼はその揺らぎのパターンを知っていた。

「どこに行っても、世界の終わりってやつは……」

少年の名を、雲類鷲ジュウといった。
第二試合で古沢糸子が下した相手である。

「あの探偵おばさん、うまくやってるのか?
 それとも、しくじったのか?」

それはわからない。
だが、雲類鷲ジュウは、世界の終りを体験して知っている。
世界の終りがどんな風にしてやってくるかを知っている。

それは何事もなく、いつもの夕暮れ時のようにやってくるのだ。
例えばちょうど、今日の日のように。
雲類鷲ジュウが見る限り、世界はいまにも終わりそうだった。

「迷宮時計が収束しかけているのか?
 並行世界の空間構造に影響が出てる。良くねえな」

雲類鷲ジュウは己の右腕に取り付けられた、
蒸気を噴出するメーターを確認する。

「迷宮時計に願うこと、か。
 俺は何を願いたかったのか――。
 あんたはどうだ、古沢糸子」

雲類鷲ジュウは呟く。

『警告です、学童』

機械音声が右腕のメーターから響く。
ジュウのつぶやきに答えるようなタイミングだった。

『まもなく日没に伴う最終門限時刻です。
 良い子は速やかに帰宅し、うがい及び手洗い及び全身洗浄及び
 第4等級セーフティ遮蔽プロセスを実行してください』

「うるせえよ」

ジュウは少し笑って、ビルの屋上の手すりに腰掛けた。
何が起きるにしても、これは自分たちの戦いの軌跡と結末だ。
見届ける必要がある。
PTAの言い分など知ったことではない。


* * *

「ほぉ~らほらほらほらぁぁぁ~~~~っ!」

綾島聖は鉄塔から鉄塔へ跳躍し、右手の袖口からホイップクリームを噴出してくる。
それは見るからに毒々しい緑色に染まり、
あからさまな猛毒の臭気を感じさせる。

「どうしました、古沢様ぁぁぁぁ~~~?
 あなたの大好きなホイップクリームですよぉ~~~っ!
 逃げ回らずに召し上がってくださぁぃぃいいキヒィィーーーッ!」

奇声とともに猛毒殺人ホイップクリームが噴出!
間一髪、急減速した古沢糸子の鼻先をかすめ、
ホイップクリームが鉄塔のフレームに着弾。

鉄のフレームがジュウッと蒸気の漏れるような音とともに溶ける。

「キヒャヒィヒャーーーーーッ!
 甘く蕩けるようなデコレーション死ィィーーーッ!」

綾島は笑いながら神父服を広げ、ムササビのように鉄塔と鉄塔の間を滑空する。
その影の下で、古沢は逃げ回っている格好だった。

「だから、これのどこがチョコレートだっての……!
 デコレーションされる前に溶けてるし」

古沢糸子は悪態をつきながら、減速した勢いでドリフト気味にターンを決める。
すぐさま加速。

「私、チョコは好きだけどホイップクリーム好きなんて言ってないわ!
 あんたって本当、人の話聞かないわね。
 少なくとも探偵には向いてないわ――しかも!」

「パティシエール綾島の、デコレーション殺害ィィーーーーーッ!
 こちらのトッピングはいかがですかァァアアイイイィィヒャァァア!」

綾島は叫びながら左の袖を突き出す。
そこからは放たれるのは、ホイップクリームではない。

左袖からは、青白い炎。
どうやらガスバーナーを仕込んでいるらしい。
その高音の炎は鉄塔を焦がし、見る見るうちに溶かしてしまう。

「ヒィャァァァァハハハハアァァァァーーーッ!
 どうですか、古沢様!? 右の袖からは猛毒ホイップクリーム!
 左の袖からは……別のなにか!
 この2種類のデコレーション攻撃で、
 すぐにあなたも飾り付けて差し上げますからねェーーーッ!」

綾島の叫ぶような早口説明に、古沢の頭脳は即座に真相を導きだす。

おそらく綾島は、右の袖から猛毒ホイップクリームを噴出することで、
相手をデコレーション殺害することを思いついた。
そこまではいい。

だが、左の袖に仕込むものを思いつかなかった。
ゆえに「ガスバーナーでも仕込んでお茶を濁すか」というふわふわした妥協で、
左の袖にガスバーナーを装備してしまったに違いない。

まさに猟奇的殺人鬼にあるまじき、いい加減な理論といえる。
もう少し考えれば、スイーツ用の猛毒カラースプレーでも思いついたはずだ。
なんとういう底の浅さ――思考力の甘さ!
だが、強い!

古沢は悔し紛れに怒鳴り返す。

「それ、ガスバーナーって、デコレーション関係ないじゃない……!
 あなた、デコレーションの意味知ってる?」

「キヒッ……フォンダンショコラァァァーーーーーッ!
 ザッハトルテ……オランジェットォォ~~~ッ!」

古沢の言葉は、綾島の耳を右から左にすり抜けた。
そう、古沢糸子が推理したとおり、
綾島聖にパティシエ知識などは皆無。

適当にスイーツ関連で知っている言葉を叫んでいるだけなのだ。
舐めくさっている。

しかも、おこがましくもパティシエに関して、
知っている限りの豆知識をこれみよがしに喚いてくる。

「古沢さま、ご存知ですかぁぁぁ~~~っ?
 本来パティシエという言葉は、パテ料理職人という語源が……ヒヒッ!
 あるのですよねぇぇぇ~~~~っ!」

そのような豆知識はいま必要ではない。
薀蓄めいた説明ゼリフが許されるのは、探偵の推理開陳のときぐらいだ。

「やってらんないわ……!」

古沢糸子は、ムササビのように飛び回る綾島聖へ、
リボルバーの狙いをつける。

「《サヴォイ・トラッフル》――ACT2」

「ヒィィィ奇ャァァァァア~~~~ッ!?」

飛来したチョコレート弾丸が、綾島の神父服に着弾――
そして爆発。

綾島の肉体をえぐり、神父服を破り、彼を地面に落下させる。

これこそが、古沢糸子が二回戦の相手――
雲類鷲ジュウとの戦いで『目覚めさせられた』能力。
チョコレートの弾丸を操る《サヴォイ・トラッフル》の進化系。

――そして、彼女には『その先』も見えていた。
古沢糸子は、勿体をつけずに能力を起動する。
もとより、『能力応用』や『能力の相性』などという、
そうしたレベルの応酬で勝つつもりはない。

ゆえに、使う。
ありったけを、惜しみなく。
古沢糸子が狙う、その一瞬を切り開くために。

「――《サヴォイ・トラッフル》ACT3」

綾島の体にこれまで着弾させた、いくつものチョコレートが一斉に蠢いた。
ちょうど、種子が芽吹くように身じろぎをし、形を変え、組み上がる。
それは『鎖』の形状となって、綾島聖の身体を拘束する。

「キヒッ!?」

綾島聖は地面でのたうつ。
チョコレートの鎖が全身に絡みつき、動きを制限しているのだ。

これが、《サヴォイ・トラッフル》の次の段階。
彼女の能力は、『発射したチョコレート弾の軌跡を自在に操る』こと。
たとえ”着弾した後”でも同じことだ。

古沢糸子が、チョコレートの弾丸だと認識しているものはすべて、
着弾したあともその形状を自由自在に操れるということだ。
そのことは、三回戦で認識済みだ。

射出したチョコレートを爆発させることは、
《サヴォイ・トラッフル》の一面的な使い方に過ぎない。

彼女の能力は、放たれたチョコレートの銃弾を操作できる――
ごく小さな破片に砕かれた弾丸なら、小さなチョコレートの”部品”として。

事実上、そのチョコレートの”破片”の組み合わせは、自由自在だ。
推理を組み立てるように。積み上げるように。嵌め合わせるように。
古沢糸子の能力は、チョコレート操作能力として開花していた。

「締め上げなさい」

古沢糸子のつぶやくような命令に従い、
チョコレートは綾島聖の肉体を締め上げる。

彼の神父服内に隠し持った火炎放射器、猛毒噴射装置、
そしてこれから使おうとしていた各種おもしろ殺人グッズが、
音を立てて破壊されてゆく。

それが狙いだ。
これで綾島聖をどうにかしようなどとは思っていない。
少しでも、その瞬間を早めるために。

そして事実、綾島聖はあっさりと束縛から逃れた。

「死ィィィヒャァァァーーーーッ!」

筋肉が膨張し、絡みつくチョコレートの鎖を引きちぎる。
そうして綾島聖は立ち上がり、荒い呼吸の合間に忌々しげな声を発する。

「絶対に許しませんよぉぉぉぉおお……古沢さぁぁぁん……!
 この私のパティシエ魂を侮辱しましたね……?
 調理器具がすべて壊れてしまいましたぁぁぁぁ……!」

「あんたほど『おこがましい』って言葉が似合うやつもいないわね」

古沢糸子はため息をつき、リボルバーに弾丸をリロードする。
その手つきは滑らかで、一分の恐れも、気負いも感じさせない。

「悪いんだけど、勝手に進めさせてもらうわ。
 あんまり時間もかけていられないし?」

「そぉぉぉぉ~~~うは行きませんよぉぉぉ~~~~ッ」

綾島聖は、傍らの鉄塔に手をかけた。
フレームの一部を溶かされ、捻じ曲げられた鉄塔だった。

「この私が! 変電所の仕組みを利用した!
 とっておきの猟奇殺人パティシエ変電所メニューを
 披露いたしますからねェーーッ!」

「うわ……」

古沢糸子は顔を引きつらせた。

「……ホントに?」

「パティシエェェ~~~~~~ルゥゥォォォオァァァァ!!!」

綾島聖は、両腕にあらん限りの力をこめると、
おもむろに鉄塔を持ち上げた。


* * *

――どこか、それもまた別の異世界で。

二人の少女は、ほとんど同時にそれに気づいた。
場所はロンドン。
テムズの川の橋の上だった。
黄昏の光を受けて、二人の顔が同時に上向いた。

片方は、銀色のマントに身を包まれた少女。
刻訪結。
その目は見開き、なんらかの衝動を押さえ込んでいるようだった。

もう一方は、尋常ではないおっぱいを有する少女。
本葉 柔。
その目は穏やかに細められ、ただまっすぐ夕焼けの空を見ていた。

いずれも、古沢糸子が3度目の戦いで破った相手であった。
ロンドンに取り残され、それでも彼女たちは、少しも諦めてはいなかった。
たとえ、世界の終わりに追いつかれようとも。

「……ねえ。あれ」

刻訪結は、不自由によろめくような足取りで、橋の欄干にもたれかかる。
まるで、銀色のマントに身体を縛り付けられているような、不自然な仕草だった。

「見た? ってか、見える?」

「見えるよ」

本葉 柔は、豊満なおっぱいを欄干に乗せた。
彼方の地平線を、覗き込もうとするかのように。
その瞳には、自らのおっぱい以上の優しさがにじみ出ていた。
懐かしい何かを、思い出しているようにも見えた。

「いま、ちょっとだけね。夕焼けが揺れてる。
 迷宮時計に呼ばれたときみたいに。
 でも、その向こうには――」

「あいつだ」

刻訪結は断定的に呟いた。
歯ぎしりをする。

「あの探偵。何かやろうとしてる」

「そうだね」

そうして、本葉 柔は欄干から身を離すと、刻訪結を振り返る。
シリコン製ではない、天然自然のおっぱいが大きく揺れた。

「心配なの? あの探偵さんが」

「そんなわけないでしょ。バカにしてんの?」

吐き捨てて、刻訪結は夕焼けから顔を背けた。

「あいつも、あいつの対戦相手も。
 どっちも悲惨に潰れてほしいだけ」

「うん」

本葉 柔は、かすかに笑う。
おっぱいに柔らかなさざ波が走った。

「そうだね」

「……バカにしてんの?」

本葉 柔は、殺意すら含んだ刻訪結の言葉に答えなかった。
ただ、大きく背伸びをしてみせただけだ。
おっぱいが激しく主張され、夕陽を浴びて果実のように輝いた。

「ケンちゃんも、この夕陽を見てるかなあ――
 見てるんだろうなあ」

「……やっぱり、バカにしてるわ、あなた」

刻訪結は夕焼けを見ない。
その赤い地平の果てが、大きく歪み始めていても。


* * *


「キヒィィ……ヒュウウゥゥゥゥ……!
 パティシエ綾島のデコレーション極悪クッキング殺害ィィ……!」

赤黒く膨張した綾島聖の両腕は、恐るべきことに鉄塔をそのまま持ち上げた。
古沢糸子は、やや唖然としてそれを見ていた。

戦慄すべきは、その綾島の腕力だけではない。
引きちぎられた電線がバチバチと音を立てて放電し、
鉄塔全体に激しい電流を流しているのだ。

おそらく、それに触れている綾島聖自身にも、
相当の電撃ダメージがあるに違いない。

「いかがですかぁ~~~? 古沢さぁァ~~~~ンンン」

綾島聖の長い舌が、蛇のごとく蠢く。

「この鉄塔を、あなたというケーキに甘ぁ~~く美しぃ~~く
 デコレーションして差し上げましょぉぉ~~~うぅ……!
 見ィィ~~てください、この圧倒的な電圧を……キヒッ!」

綾島聖は、大きく鉄塔を振り上げる。
青白い電気の火花が、鋭い音をたてて飛び散る。

「この鉄塔に触れたが最後……!
 恐ろしい電撃が、あなたをあっという間に痺れさせて……
 体の自由を奪ってしまうでしょうねぇぇーーーッ!
 そうしたら、クォヒャッ! なぶり殺し放題ィィーーーーッ!」

綾島聖のテンションが、ますます上昇する。

「いかがですかぁ~~~~っ!?
 この変電所という環境を利用した、私の電撃殺法は!?
 ありふれた電流という現象が、あなたを物言わぬ骸に変えるのですよォーーーッ!」

綾島は興奮して鉄塔を振り回す。
その鉄塔からは電気が飛び散り、触れるだけでしびれ上がるのは確実であろう。
なんたる狡猾な戦術か!
電気で動きを止めたところを、好き放題になぶり殺そうというのか!

うなりをあげる長大な鉄塔は、筆者が一見したところ何だか無害そう、
当たってもあんまり痛くなさそうだが、
その鉄材の内部には大量の電気を秘めているのだ!

あまりにも巧妙な環境利用!
歴史上、さまざまな主人公たちが電流とかなんとか、
ささやかな舞台トリックをいい感じに利用して、うまいこと敵を倒してきた。
これが――これが、『能力バトル』だ!

「それ……あのね、電気がどうこうっていうか」

古沢糸子は、安楽椅子のエンジンに最大速度を命じる。
加速は一瞬。即座に飛び出す。
必死だ。

「そんなモンでぶん殴られたら死ぬわ! 電気以前に!」

「電気でしびれて甘く美しくデコレーション死ヒャァァァーーーーッ!
 イィィィイイイーーーッ!?」

綾島の振り上げる鉄塔が、古沢糸子の推理以上の速度で振り回される。
安楽椅子の進路を塞ぎ、かつ、なぎ払うような動き。

――だが、それはむろん、となりの鉄塔にひっかかり、
轟音を響かせて弾かれる!
もう少し考えて振り回すべきだったのだ――なんという悲劇か。
綾島の手から、鉄塔がすっぽ抜ける。

これでは鉄塔の電流を巧みに利用した、電撃デコレーション殺が不可能!

「まあ――そりゃね、そうでしょうよ!
 付き合ってられるかっ」

古沢糸子は、一瞬にしてターンを決める。
車輪が地面を抉り、黒く焼き付く。
古沢のリボルバーが両手の中で閃く。

「ギヒィーーーーッ!?」

チョコレートの弾丸が綾島に着弾、即座に破裂する。
筋肉という名の鎧を貫き、鮮血を飛び散らせる。

綾島聖は、のたうち回りながらその場に倒れこむ。
赤黒く張り詰めていた筋肉が、徐々にしぼんでゆく。
古沢糸子は、その兆候をたしかに捉えた。

これを、待っていた。
能力が切れ、綾島聖のおもしろ殺人攻撃バリエーションが途切れる瞬間を。
三文芝居以下のくだらない喜劇に付き合いながら、ずっと待っていた。

このままやっても、綾島聖に”勝つ”ことは不可能だ。
古沢糸子にはそのことが推理できた。

「綾島聖――《糸目》。
 あんたを告発する罪は、数え切れないほどあるわ」

古沢糸子は徐々に減速し、綾島聖の正面に回り込む。

「いちいち探偵にお決まりの”アレ”もしていられないくらい。
 わかる? って、わかるわけないか」

「ケヒィ……?」

綾島聖は、まったく無垢な目で古沢糸子を見つめ、首をかしげた。
それは可愛らしい森の小動物のようでもあった。
彼の筋肉は、限界を超えて収縮しつつあった。

能力が解け、《剛魔爆身》の副作用、身体強化の報いが現れ始めている。

「わかりやすく言うと、つまりね」

古沢糸子は、リボルバーを握った両手をあげてみせる。
そして、はっきりと宣言する。

「降参するわ。迷宮時計の所有権を――私、古沢糸子は放棄する」

瞬間、白い輝きが周囲を塗りつぶした。
古沢糸子はそう感じた。
その眩い光は、綾島聖の神父服の内側から放たれていた。

夕暮れの赤色よりも、激しく鋭い光。
ゆらり、と、周囲の空間が歪んでいくような気配。

古沢糸子が敗北を宣言したことで、戦闘空間から綾島聖が排除されようとしている。

(いましかない)

古沢糸子は、こわばる手で安楽椅子を操作する。
求めるものは、スペック以上の、最大級の加速。
車体が持たなくても構わない。
――この一瞬だけは。

(たとえ、あなたに”勝つ”ことは不可能でも)

古沢糸子と、その安楽椅子は、ひとつの弾丸となって飛び出す。
綾島聖の真正面から――ぶつかるように。
空間の歪みが、古沢糸子と綾島聖を捉えた。

(”追放”なら、出来るでしょう!)

古沢糸子は、その推理にたどり着いていた。


* * *

事件の展開に迷ったときは、常に原点から推理をやり直す。
それは古沢糸子が、ハードボイルド探偵であった頃から叩き込まれた、
探偵推理術の基本である。

――綾島聖は、かつて《糸目》の里を追放されたことがある。
それだけは動かせない事実。

たとえ正体も中身も何もない、《糸目》の綾島聖だとしても、
己のヒストリーに嘘はつけない。

彼はたしかに里を追い出された。
しかし、どうやって?
”無敗”の綾島を里から追い出すことができたのは?

答えは、ひとつ。
勝利することができない相手であれば、相手の勝利を確定させた上で、
こちらはこちらの目的を達成すればいい。

勝利することと、目的の達成は、決してイコールではない――

(だから)

古沢糸子は、綾島聖に試合での勝ちを譲ろうと思った。
その上で、”追放”する。
迷宮時計が時空を歪めるその瞬間――、
綾島聖が元の基本世界に戻る瞬間。

狙うのは、その一瞬。

古沢糸子は賭けに出た。

「綾島聖」

古沢糸子は、綾島を時空の境界へ押し込む。
安楽椅子の出力を限界まで振り絞り、ただ押す。

「あんたを”追放”するわ。
 もう、十分、やりたい放題やったでしょう?」

「キヒ……ッ!」

綾島聖は、古沢糸子の安楽椅子を、両手で押さえている。
すでに《剛魔爆身》の効果はほとんど残っていない。
徐々に弱まってすらいる。

あと一歩でも綾島が後退すれば、歪み始めた世界の隙間に落ちるだろう。
そうなれば、もうどこの世界にもたどり着くことはあるまい。

すでに周囲の風景はどろどろに溶け、混じり合おうとしている。
”変電所のある世界”との繋がりが、絶たれていくのを直感で認識する。

「悪いんだけどね。
 あんたと違って、私には、”戦う理由”ってやつがあるわけよ……!」

古沢糸子はリボルバーを構える。
容赦なく打ち込む――綾島聖の胸部に、全弾を。

「キィィヒャーーーーーッ!?」

綾島聖は怪鳥のような悲鳴をあげ、のけぞる。
背中が、時空の歪みの断層に触れる。

「いままで戦ってきた――あの世界に残してきた人たちが」

探偵、古沢糸子は声を絞り出す。
リボルバーは、もはやいらない。
撃ち込んだチョコレートの弾丸が蠢き、綾島聖の肉体を破壊していく。

「『ヘマしたら容赦しないぞ』って、私に言ってるの」

そう。
彼女の中には、廃糖蜜ラトンが。飴石英が。雲類鷲ジュウが。
刻訪結が。本葉柔が。あるいは――丸瀬十鳥が。

すべての人の想いがある。
ゆえに、推理できる。戦うことができる――立ち向かうことができる。
”無敗”の殺人者、《糸目》の綾島聖に対しても!

探偵は決して諦めてはならない。
探偵が事件の解決を諦めたら、いったい誰がそれをするというのか。
古沢糸子の代わりなど、どこにもいない。

「あんたには、とっておきの推理を食らわせてあげる!」

「――おやおやァ」

綾島聖は、この期に及んでも、穏やかな笑みを浮かべた。

「それは奇遇ですねェ――」

穏やかな笑みが深くなる。
古沢糸子は、不吉な予兆を覚えた。

(――なんだ?)

ひどく悍ましく、冷たい予兆。

「私にも、聞こえているのですよ」

綾島聖の四肢に、よくわからない未知の力がこもる。
まだこんな力が。
古沢糸子は少し驚く。
だが、真に驚くのは、その次だった。

「私がいままで戦い、そして、
 熱い絆を結んできたみなさんの声がねぇぇぇ~~~ッ!」

古沢糸子は、大声でわめく綾島の瞳を覗き込み、気づく。

(こいつ……綾島聖!)

戦慄した。

(完璧にラリってやがる!)


そう、それは脳内で合成された、強力なドラッグ。

麻薬的な成分が、綾島に聞こえるはずのない、
それどころか熱い絆を結んだわけでもない相手の声を、
脳に響かせてしまっていた!



『俺は羽白幾也だよ。綾島聖さんを心から応援しているよ。
 あんたのおかげで、こんな俺でも前向きになれたんだ。
 がんばってくれよな!』
――それは一回戦で戦った、羽白幾也の声! もちろん幻聴!


『私は蒿雀ナキだけど、綾島神父にはがんばって欲しい。
 妻と一緒に草葉の陰から見守っているし。
 これが本当の妖怪ウォッチ(笑)』
――二回戦で戦った、蒿雀ナキの声! もちろん幻聴!


『やっほー! 元気? 私だよ、一切空だよ!
 私は今日もテンション爆アゲだよ!
 綾島くんガンバッテね~!』
――これも二回戦で戦った、一切空の声! もちろん幻聴!


『吾輩はチャンプだが、綾島聖くんに勝ってほしいのである。
 もしも勝てたら1000万円あげるのである!
 がんばってほしいのである!』
――三回戦で戦った、ミスター・チャンプの声! もちろん幻聴!


『こんにちは。私は馴染おさなでオサナよ。
 今日も綾島さんに勝ってもらうために、
 お百度参りをしてきましたでオサナ! 必勝でオサナ~!』
――決勝で戦った、馴染おさなの尊い声! もちろん幻聴!


『Let's get いま描いた秘めたワンシーン!
 目指したゆく道かなり斬新!
 タイミングはかり波乗るメロディー! 溢れ出す光未来へ飛び――』
――決勝で戦った、潜衣花恋のラップ! 幻聴でしか有り得ない!


「わかりましたよぉ~~~っ! みなさんの声!
 たしかに私に届いていますからねぇぇぇ~~~~っ!」

ひどすぎる――すべて幻聴!
彼を応援する声など一つもなし!

だが、幻聴とはいえ、彼の脳内では事実なのだ。
たしかに血肉を宿した戦友の声が、彼にとっては揺るぎないリアルなのである!
――否、それだけではない!



『そんな相手にいつまで時間をかけている、阿呆が。
 私は斎藤一女だが、私と互角に戦った貴様なら勝てると信じているぞ』

『フン、勘違いするんじゃない。別にお前を応援するつもりはない――
 俺は撫霧煉國だが、お前を倒すのはこの俺だ。生き延びてみせろ』

『私は錬鉄の元・魔法少女、キュア・エフォートですけど、
 一刻もはやくそいつをクビり殺すところが見たいですねェェ~~~ッ』

『ブラーヴォ! 俺は希保志遊世だぜ、ブラーヴォ!
 お前なら掴めるさ、魂のグレイトチャンス!』

『旦那さん、ワシや! 撫津美弥子やで!
 今年も阪神の優勝に決まっとる! 六甲おろし歌うで~~~!』

『我が名は雨竜院暈々、毘沙門天の生まれ変わり也。
 オンベイシラマンダヤソワカ……汝に毘沙門天の加護ぞあれ……』

『私は……浅尾龍導……。寒い……。
 助けて……苦しい……。暗い……助けて……』

『私たちは! 柊時計草です!
 私と京ちゃんと聖くんは、一心同体! 三人でひとつの探偵だからね!』

『オレ、堀町臨次! コンバンハ! ニホンゴ デキル スコシ!
 オレ オマエ マモル! コンドハ オマエガ ヤクソク マモル!』

『はじめまして。駆逐艦、菊池徹子です。
 小さいからって甘く見ないでよね! 敵艦はぜんぶ沈めてやるんだから!』

『いや、俺は門司秀次だけど、なんで俺だけ普通に呼び出されてんの?』

『オイラは飴びいどろだ。ふぁ~あ。なんだか面倒なことになってきちまったな。
 面倒ごとは嫌いだけど、やるしかねえみてえだ! やれやれ!』

『本屋文、推参……。ふっ。
 簡単に背中をとられるとは、お主もまだまだ未熟よな』

『私は蛎崎裕輔です。私の計算によると綾島さんが勝つ確率は……90……93……
 まだまだ上がる! ……95……99! 99.9999%確実です!』

『色盲画家ストル・デューンだ! なんだか上手く言えねえが……
 いや、言葉なんて必要ねえな。俺たちの間には。そうだろ? 相棒(バディ)!』

『俺は時ヶ峰健一だけど、勝手に脳内で使わないでくれるか?
 あまり気に入らない話だが、俺はいちおう神だぞ』

『山禅寺ショウ子。参ったなあ――こういうの苦手だし、なんて言えばいいのか。
 ……じゃあ、一言だけ。綾島聖! 勝てーーーーーーーーーー!』

『わしは飯田カオルぜよ! 日本をいまいちど洗濯しなきゃあいかんぜよ!
 日本の夜明けは近いぜよ!』

『おれの名前は通寺眞魚! とびっきり強ぇやつらとの戦い……
 ワクワクしてきたじゃねえかぁ! ウルトラ燃えるぜ!』

『日本の魔人の戦い、低レベルデース! HAHAHA!
 私はウィッキーさんデースが、アメリカではこの程度、日常茶飯事デース!』

『この刻訪朔さまに文句でもあるってのか? あ~~~ん?
 鉄をも引きちぎる俺様のチョップで八つ裂きになりてえのかぁ~~~っ!?』

『ククク……日向で戦う武芸者も、寝込みを襲われれば脆いものよ。
 この真沼陽赫様の能力で! リンゴのようにブチ潰してくれるわ!』

『みんなーーーー! 右野斬子だよーーーーー!
 今日は私のために集まってくれて、本当にありがとーーーー!』

『わ、たし……メリー・ジョエル……。 あな、た、誰……?
 本当に……誰…? 時空、を、超え、て、話し、かけてく、るの……?』

『天樹ソラでヤンス! キシッキシッキシッ!
 あっしの殺人ドリルを脳天に食らって生きていたやつはいないでヤンス!』

『猟奇温泉ナマ子だ。綾島聖……いま、みんなからの想いを届ける。
 心配するな、私たちがお前を支えるさ。ありったけを、ぶち込んでやれ!』



すべての声が、彼の味方となる! 綾島聖の力となる!
思い込みの力が”認識”という名の世界を変える。
そういうことも有り得る。



「ケヒャァァァーーーーーーーッ!」

全身の筋肉に力が溢れ、再び《剛魔爆身》が復活する。
古沢糸子が推理する限り、もう彼の全身はぼろぼろのはずだ。
これ以上は命を失う。

何が彼をそうさせているのか。
彼が命と引き換えにまで求めるものは何か。

古沢糸子は必死で推理しようとした。

(何かあるはず。彼が命に替えてもほしいものが、何か――)

「そういえば、迷宮時計には――私の望みを、
 叶えていただかなくてはなりませんねェ……」

「うるさいっての……!」

古沢糸子は、最後の札を切る。
右の義足。
古沢糸子のそれは、ただの義足にあらず。

口径は0.38インチ。
その弾丸は常に装填され、発射されるときを待っている。
古沢糸子の義足は、チョコレートを打ち出す、特別性のマグナムなのである。

ごく簡単なリモート操作で、発射の準備が整う。
あともうひと押し――それを、この弾丸で終わらせる。

「綾島、聖。私はあんたを――」

「では、私の望みをお教えましょう」

綾島聖は微笑んだ。
不意に、古沢糸子の体が、安楽椅子こと浮き上がった。
そんな気がした。

(こいつ――)

綾島聖が、安楽椅子から手を離した。
後方へ跳んだのである。
自ら、空間の断層へと、思い切り跳んだ。

「私の望みは」

加速のついていた古沢糸子と、その安楽椅子は止まれない。
空間の断層へと落ちていく。
綾島聖は、さらにその先へと跳んでいく。
時空の歪みが二人を隔てる。

(信じられないわ)

古沢糸子は目を疑う。

(空間の断層を飛び越えるつもり?
 たしかに世界の狭間に落ちることはないけど――
 どこの世界に落ちるかもわからないのに!)

それは、分の悪い賭け以外の何者でもない。
勝率の低い賭けだ。
そこまで推理して、古沢糸子は思い当たる。

勝率の低い賭け――。
それに臨む綾島聖は、他でもない。
”無敗”の男である。

(こいつの願い)

古沢糸子は、最初に抱いた不吉な予感を思い出す。
まさか本当に、現実のものになるというのか?

この《糸目》は、自分の欲望のままに。

(世界を破壊するつもり? それだけは――)

もはや何もかもが歪みに沈みゆく中で、
古沢糸子はせいいっぱい手を伸ばす。
義足から、チョコレートのマグナムを撃とうとする。

しかし間に合わない。

「私は勝者として、迷宮時計に願います」

綾島聖は、空間の歪みの向こうで願う。



「1ダースのビールと、Lサイズのアメリカン・スペシャル・ピザ。
 30分以内にお願いします」








* * *

――その夜遅く、綾島聖は、ついにエド・サイラスの店にやってきた。
1ダースのビールと、Lサイズのアメリカン・スペシャル・ピザを、
さも大事そうに両手に抱えていた。

「こんばんは、みなさん」

だが、どう考えても、綾島聖の来訪はタイミングが最悪だった。

「うるせえ!」

”ソルト”ジョーはポーカーの連敗で有り金を使い果たし、
内臓を担保に勝負を仕掛けようとしていた。

「こっちは忙しいんだ。そのムカつく顔を引っ込めろ! 帰れよ!」

「おやおやァ――ジョーさん、ずいぶんと手厳しいですねェ。
 いけませんよ、乱暴な言葉遣いをするのは。
 ご存知ですか? 水に対して綺麗な言葉をかけると、綺麗な結晶が――」

「綾島さん、うるさいですよ」

音楽屋の”イシノオ”も、不愉快そうに綾島のくだらない口上を遮った。
彼は手中のスマートフォンを握り締め、睨みつけていた。

「いま、ぼくは忙しいんです。しばらく黙っていてください」

「おやおやァ――これは大変ですねェ。
 せっかく私が皆さんにご馳走して差し上げようと思ったのに」

綾島聖は恩着せがましく、かつおおげさに、
ビールとピザをテーブルの上に置いた。

「さァ~~~、どうぞ召し上がってください。
 毒など入っておりませんからねェェェェ~~~~っ!」

「そんなもん、誰が食うか」

吐き捨てたのは、エド・サイラスであった。
カウンターの内側で、葉巻に火をつけている。

「ほっといてやれよ。”イシノオ”はいま大変なんだ」

「おやァ? 今夜はいったい何事でしょうかねェェ~~ッ?
 私、人の不幸が……キヒッ!
 悲しくて悲しくて、たまらないんですよぉぉ~~~っ!」

「嘘つけ。”イシノオ”の女――あっと、たしか婚約者だっけか?
 なんでもついさっき、覚醒剤キメてるところを警察にパクられたんだとよ。
 自業自得だと思うけどな」

「そんなことは、ありません!」

”イシノオ”は声を荒らげて反論する。

「彼女はとても清らかな心の持ち主で――結婚式の際には、
 ぼく自らの手で美しい音色を奏でていただこうと思っていたんですから!」

「それはそれは」

横合いから、人間彫刻家の”ルービック”が口を挟む。
皮肉げな笑みの似合う男だった。

「警察に逮捕されて良かったことだろう。
 ”イシノオ”、きみの楽器にされるよりもマシだ」

「ぼくの音楽を侮辱しているんですか?
 だいたい、ぼくの婚約者に覚醒剤を売ったのはあなたでしょう!
 ぼくは知っているんですよ!」

「失礼な。最初は無料で配布したさ。
 彼女がどうしてもというから、有料で売ってあげただけだ」

「――もう我慢の限界です!
 人の婚約者をシャブ漬けにしやがって!」

「そこまで彼女に思い入れがあったのか?
 それはすまない。今度、カレーでも奢ろう。
 人生にはこういうこともあるさ、そう落ち込むな」

「調子に乗りすぎですよ、”ルービック”……!」

”イシノオ”は、たったいま綾島が持ち込んできたビール瓶を掴むと、
それをテーブルに叩きつけて割った。
中身が飛び散って、エド・サイラスは頭を抱える。

「あなたもぼくの楽器にして差し上げましょうか!?」

「できるつもりなら」

”ルービック”もまた、ビール瓶を掴んでそれを割った。

「私が相手になってもいい。
 きみとは芸術性が合わないと常日頃から思っていたところだう」

そうして、ふたりは殺し合いをはじめ、店のあちこちで歓声と怒号が上がる。
綾島聖は、心から楽しそうに笑った。

「いやぁぁ~~~~素晴らしいですねェェ~~~。
 素敵な店ですよ、エド・サイラスさん」

「いつ店を畳もうかと考えてる」

エド・サイラスは、大きく煙を吐き出した。
そして、手元のトランプを広げて見せる。

「そういえば勝ったんだってな、綾島聖。おめでとさん。
 ――で、そろそろ次の手を出す気にはならんか? ”ソルト”ジョーよ」

「そう簡単に出せるかよ」

”ソルト”ジョーは、自分の手札を睨みつけていた。

「俺の腎臓がかかってるんだ」

「懲りねえやつだ」

「”ソルト”ジョーさん、よければ、この私が代わりに――」

綾島聖がにこやかに伸ばした手を、”ソルト”ジョーは乱暴に振り払う。

「殺すぞ! てめーはそのへんで首吊って死んでろよ。
 二度と俺の前に顔出すな!」

「そんなひどいことを言わないでくださいよ。
 美味しい美味しいピザがありますよぉ~~~~っ」

「いるか! 死ね!」

”ソルト”ジョーは、八つ当たり気味にグラスを手に取り、
それを綾島聖に投げつけた。

綾島聖は笑いながらをそれを避けた。
”ソルト”ジョーが舌打ちをし、エド・サイラスが不愉快そうに首を振るのを見て、
綾島聖は声をあげて笑った。

エド・サイラスの店には喧騒があふれ、綾島聖の笑いはその混沌に飲み込まれていった。



(おわり)