エキシビジョンSS・変電所その1


 結果だけ見れば、それは最後の戦い《エキシビジョン》にはふさわしからぬ、あまりにもあっけない幕切れであった。

 探偵の放った銃弾は、探偵自らの額を撃ち抜いた。
探偵は斃れた。最後に立っていたのは、常に温和な笑みを絶やさない、物腰柔らかな糸目の神父。

 迷宮時計の争奪戦。ただ一人残り、選ばれた勝者は、敗技の王、常敗無勝の綾島聖その人であった。



 ■ ■ ■



 話は戦闘が始まる数時間前に遡る。小高い丘の上、蔦の絡まる一軒家で、二人は再会を果たした。

「ドアの鍵、毎回壊さねえとロクに人ン家にも入れねーのか! テメーは!」
大理石、石膏、繊維、銅板、乱雑に積み上げられた様々な素材の中、芸術家・丸瀬十鳥の苦言をものともせず、我が物顔で着席し紅茶を啜る安楽椅子探偵・古沢糸子。
「こっちだって大変なのよ。マジで。夜魔口も本当しつこいし……隠れ家も全部つぶされちゃってさ」
糸子はほっと暖かい一息をつく。それは嘘偽りなく、彼女が久々にひととき得た安らぎであった。

「……まさか、お前まで巻き込まれてるとはな」
「ホント勘弁してって感じ。でももうこれでおしまいね。これが最後。サクっと行って、とっとと帰ってきてやるわ」
けらけらと笑う彼女の目を、だが丸瀬は真剣にじっと見据えた。

「死ぬ気だろ、お前」
「……わかる? やっぱ隠し事はダメだね。向いてない」

 糸子は空のカップを差し出した。丸瀬は無言で、カップにポットの茶を注いだ。二人の間に、しばしの静寂の時間が流れた。

「そんなにヤバいのか。綾島聖って奴は」
「控えめに言って、最悪。ってとこかしらね」
探偵は、懐から取り出した時計を丸瀬に投げてよこした。刻の止まったシンプルな懐中時計。それは世界の終わりまでを刻む終末時計。指し示す時刻は11時58分。針が天頂に届くまで、残り2分。

「わかるんだ。時計がご親切に教えてくれるからね。この11時59分までの1分があたしで、その次の1分が綾島聖。次に負けるのは、あたしだよ」

 糸子は伏し目がちに丸瀬を見た。だがすぐにそれは怪訝な顔に変わった。先の言葉を丸瀬が聞いていたかどうかはわからなかった。その目は彼女の時計を見、驚愕に大きく開かれていた。

「……何だ、これ。同じだ。あいつのと、同じ……」
「……? なに? 何言っているの」

 丸瀬は糸子の安楽椅子の手前に回りこむと、どっかと腰を下ろした。

「おい。お前が望むならば、死に方は選ばせてやる」
「はァ?」

「俺の魔人能力。名を『フール・オン・ザ・ヒル』という。今の俺に最もふさわしい、な。使ってやる」

「って知ってるけど……使う? 時計に?」
糸子には彼の意図するところがわからなかった。だが彼はさらに続けた。
「それに……もう一つ渡すものがある」

 丸瀬は立ち上がり、作業場の奥から掌に収まるほどのなめらかなトーラス形の石を取り出した。名声をほしいままにする大芸術家にしては、あまりにも素朴な彫刻作品。だが糸子には、それが持つ途方もない価値が、瞬時に理解できた。

「いいの、これ……あたしが、受け取っても」
「黙って持ってけ」

「……迷惑かけたね」
「迷惑だよ」

「チョコ食う?」
「ああ、くれ」


 敗北の運命に連れ去られるまで、二人は最後の会話を交わした。



 ■ ■ ■



「――よくぞいらっしゃいました、私の展覧会《エキシビジョン》へ……しかし大変申し訳ないのですが、まだ陳列が終わっておりませんので……。最初に並ぶ作品は……クヒッ、古沢糸子さァん! そう、あなた! あなたの血と臓物をグチャグチャに塗りつけてこの壁に描くフレスコ画を、死ッヒャアアァ~~ッッ!!」

 物腰柔らかな糸目の神父は、当然ながら絵画芸術にも造詣が深い。


 文字通りに危険が張り巡らされた変電所設備内で、まるで意味のない悪趣味な大演説をぶちあげるこの男。綾島聖のことを、糸子は随分と昔から知っているように錯覚した。それほどまでに、糸目を引き絞る彼の姿は、事前に調べ上げたプロファイリングと寸分違わず一致していたのだ。

 糸子は綾島聖をすみずみまで調査した。そして愕然とした。この男には、何もないのだ。守るべき人も。取り戻したい記憶も。打ち倒すべき敵も。綾島聖には、勝つ理由が何もない。

 だが、綾島聖は勝ってしまう。守るべき人、取り戻したい記憶、打ち倒すべき敵、そういった人々の願いを無残にも踏み潰して。彼自身そうあろうとすらしていないのに。

 それが、史上最悪の《糸目》たる、綾島聖という男であった。


「わかったよ。幕切れだ。カーテンを下ろそう」
安楽椅子に腰掛けたまま、糸子は両手に拳銃を構えた。瞳の光はもはや探偵が放つ色ではなく、犯人のそれであった。
「安楽椅子探偵・古沢糸子、これが最後の事件だ」

「ヒャヒャヒャヒャヒャ! そしてあなたが最後の被害者というわけですねェ、古沢さぁ~~~~~~ん!!」
神父は両腕に鉤爪を構え、己の筋肉を爆発的に増大させた! 『力天使の形相』! これこそが綾島聖の『剛魔爆身』! あまりにも、あまりにも無体なその魔人能力!! 丸太のようなその脚で、綾島聖は地を蹴った!

「これで終わりだァーーーーーーーーーッッ!!」

 無意味に周囲を飛び跳ねながら糸子へと迫る綾島聖! めっちゃ無駄ではあるが確かに狙いは付けにくい! だが、探偵の銃口が見据えるその先に彼はいない! その頭上、天井に張り巡らされた高電圧ケーブル!

「舌先で痺れな!」

 BLAM!!

 糸子の『サヴォイ・トラッフル』、それはチョコレート菓子の弾丸を操る能力! 左手のリボルバーから放たれた銃弾の名はエクレア、原語をエクレール・オ・ショコラ! 意味するところは、即ち『雷』! 稲妻の如く曲がりくねる軌跡に、まとめて切断された導線の束が、二人の間に雷のカーテンを形作った!!


「キヒッ! この程度で、私を止めたと言うつもりですかァ~~!!」

 立ちふさがる危険なケーブルを、綾島聖は手にした鉤爪で撫で斬った!

「ゲッギヒャァァアアアアーーー!?!?!?」

 当たり前だ! 電流の流れるケーブルを、金属の鉤爪で切断すればどうなるか? 感電するに決まっている! バカか、こいつは!

「クッ……ですがまだまだアアアアアアアーーーーーッ!!」

 綾島聖は愚かにも垂れ下がるケーブルを素手で払いのけようとした。その手指が、思わず危険な導線を力強く握りしめた! 直流の大電流に身体が触れたが最後、神経系による筋肉の随意運動は不可能になる! 彼は強大に膨れ上がった筋肉で握り締めたその拳を、自らの意思で緩めることができないのだ!!

「ギギギググ……き、貴様~~~~味な真似をギャアァアァァアァ~~~ッッ!!」

 綾島聖はなお空いた左手で右手首を掴み、無理に引き剥がそうとした! 当然電流が直に伝わったその手は、彼自身の肉と骨を力強く握り潰す! だから高電流下では筋肉が勝手に収縮するんだと言っているだろうが! 聞いているのかバカ! 何だよ、なんなんだよお前は!!


 だが……綾島聖は、本当に、本当にただただ強かった。無理が道理を押しのけて、物理も化学も全て無視して、彼はケーブルを全て素手で引きちぎった。口、鼻、目から白煙を吐きつつ、いまだ不敵に笑うその姿を見て、糸子は真に恐怖を覚えた。

 安楽椅子の動力を、バックギアへと切り替える、その瞬間。既に神父は探偵の眼前にいた。『権天使の形相』。スピードに特化したその形態が、糸子の喉首をその手で強く絞めていた。


「……ッ! …………か、はッ…………」
万力のように締め付けるその指先に、声を出すことができない。降参の二文字すらも口に出せぬ。しかしそれが言えたからといって、もはや聞き届けられることはなかったろう。

「ああ、いい……とてもいい気分です……まるで私の耳元で、天使の歌声が響くかのよう……」
身を焼く大電流に晒されて、彼の鼓膜はとうに破れていたのだ。

「ですから、特別にあなたにも教えて差し上げましょう……迷える子羊のあなたにも、是非に冥土の土産を。迷宮時計に私が抱く、その願いは――」

 そして神父は再び、その言葉を告げた。それが彼女にもたらしたものは、やはり黒一色の絶望であった。



「――さあ古沢糸子さァん! お望みの死に方を選ばせて差し上げますよォ~~~~ッ!! このまま高圧電流で黒コゲミンチハンバーグがお好みですかねェ~~~~ッ?」

 ああ。

「それとも……ふ、ふ、粉塵! ヒ、ヒヒャ、ふ、粉塵爆発などはいかがですか!?」

 ダメだ。

「もしよろしければその首へし折って縊り殺して差し上げますよォ~~~ッ!」

 この男だけは。

「やはりここは、脳髄を一突きに……いえ、頚動脈! その細首を一太刀で切り裂いて……血、血、血ヒャアーーーーーーーーーーーーー~~~ッッ!!」

 こいつにだけは、迷宮時計の力は渡せない。


 戦場たる変電所へと訪れた直後には、まだ糸子にも迷いがあった。だが今やその決意は確固たるものとなった。綾島聖に迷宮時計を渡してはならない。自身の破滅を必定とするこの《糸目》に渡れば最後、世界が、いや宇宙すべてが残酷なカタストロフィを迎えるであろう事は、想像に難くない。

 糸子は薄れる意識の中で、堅く誓った。この戦い、絶対に――


        ――負けなければいけない!


 彼女は力を振り絞って、震える右腕を動かそうとした。肘を曲げ、手に持つ拳銃の先がいくばくか上向いたところで、糸目の鉤爪が振り上げられた。

「さぁ私の願いのために尊い犠牲となるのです、古沢さん!! 大丈夫です、大丈夫……あなたの想いは、この私の中で生き続けるのですからねェ~~~~~~ッッ!!」

 だが、ああ――彼こそは、綾島聖。糸目の、最低の落ちこぼれ。敗北必死の妙技を、うっかり逆用してしまう。それが彼にもたらすものは、あまりに不注意な勝利。

 彼が振り上げた鉤爪。その先端に、先程切り捨てた電流線の切れ端が、うっかり、再びほんのわずかに触れた。
「ギヒッ!?」
人体に流れる電流は、筋肉の不随意運動をもたらす。綾島聖の肉体を通過した電流は、古沢糸子の首筋から右腕へと、拳銃を握り締めたその人差し指へと伝わり、少しばかり筋肉を収縮させた。

「あ……」

 BLAM!


 引鉄が引かれた。探偵の銃口から発射された弾丸は、探偵自身の額を打ち抜いた。

 神父の手から取り落とされた探偵。その懐から、シンプルな装いの懐中時計が転がり出た。止まっていたその針が、かちりと1分だけ進んだ。11時59分。それはすぐに、神父が持つどこか禍々しげな形の懐中時計へと吸い込まれて、姿を消した。


 【現代】変電所。戦いの勝者は、綾島聖。



 ■ ■ ■



 戦闘空間から転送された綾島聖は、己が元々いた教会とは異なる場所にいることに、直ちに気がついた。視界に広がる神々しき光景。花々が咲き乱れ、木々には黄金の果実が実り、大地に蜂蜜の川が流れる。それは神々の楽園と呼ぶにふさわしい理想郷の絵図であった。

 エデンの園。約束の楽園。

 すなわち、それは彼、綾島聖が、迷宮時計の戦いにおける、最後のひとりとして選ばれたことを意味していた。

「ク……」

 ああ、それは。

「クヒャ~~~ッッハッハッハァーーーーーーーーーーーー~~~~~~ッッ!!!」

 地上の楽園にはあまりにも不釣合いな、下賎で下卑た笑い声。


「す……素晴らしい。素晴らしい! おお、神よ! 私はついに貴方の元へと参りました!! さあ、神の僕たる我が時計よ! 時空を束ねる狂った時計よ! 我が望み、我が願いを、聞き届けたまえ……!!」

 そして彼の脳裏に、勝者をたたえる迷宮時計からの祝福の言葉が響いた。だが、それは彼の望みとは少しばかり異なるものであった。




 時計は告げた。


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 第∞回戦第∞試合の対戦組み合わせを発表いたします。
 この試合の締め切りは#N/Aです。

 【第∞試合】
 綾島聖
 戦闘空間:【現代】公園
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 綾島聖は信じられないといった様相で、ぽかんと口を開けていた。

 彼は時計をその拳で打ち砕いた。彼の身に宿る所有権が、時計を元通りに復元した。

 彼は自らの頭を握りつぶした。戦闘空間における勝者の負傷を、たちまちに、迷宮時計が跡形もなく回復させた。

 だが、それでも戦闘は終わっていなかった。彼の脳裏に、先程と全く同じアナウンスが鳴り響いた。


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 第∞回戦第∞試合の対戦組み合わせを発表いたします。
 この試合の締め切りは#N/Aです。

 【第∞試合】
 綾島聖
 戦闘空間:【現代】公園
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 エデンの園。それは生命の遊戯においては、他のいかなる地点からも到達できない領域を指す言葉である。だが如何にしてか、彼はそこへとたどり着いてしまった。

 それをさせたのは――古沢糸子の終末時計である。11時59分を指したまま動かない時計。今や綾島のものへと溶け込んだ時計。その内部には、ほんのわずか、針の進行を妨げるチョコレートの塊が仕込まれていた。


 細工をしたのは、何を隠そう、丸瀬十鳥である。彼の能力は『フール・オン・ザ・ヒル』――一言で言えば、彼が手がけた芸術作品の『因果を固定する』力であった。

 迷宮時計の所有者は死ぬとき所有権を失う。彼が作れば、所有権を持ったものはいつまでも生き続ける。
 戦いが終わるとき終末時計は12時を迎える。彼が作れば、動かぬ終末時計は戦いを決して終わらせない。

 もちろんかような強大な能力には、大いなる制約が付随する。彼の場合、生命を賭して全身全霊を打ち込んだ最高傑作の芸術作品でなければ、その効果を発揮することはない。本来ならば、わずか十五分足らずで小細工を仕込んだ時計など、もってのほかである。

 だがそれが、彼がその命を捧げ飾り上げた螺鈿細工の懐中時計のもともとの姿と、対をなす存在であった場合にはどうであろうか。

 決して時を打つことのないシンプルな時計。彼はその作品に、『空即是色』と名をつけた。いまやそれは形而下の姿を失い、綾島聖の時計の中でただ概念だけが生き続けていた。


「ケ……」

 綾島聖の望みとはなんだったのであろうか。それを知る者は、彼を除いては他にない。

「ケヒ……ヒ……」

 隣り合った運命を覗き見ることができる者がもしいたならば、あるいは――だがいずれにせよ、この場で語るべきものではないだろう。それが叶う瞬間は、もはや永遠に訪れないのだから。

「ケヒャアアァーーーーーーーーーーーーーーーーーッ、キッキヒッ、クキキヒャヒャヒャイヒャァァァァッ、ケヒャアアアアアアアアアアァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!」

 祝福の楽園に、綾島聖の狂笑が響き渡る。浮かべた糸目は、怒りか、笑いか、泣き顔なのか。それはまさに『神の子の形相』。生きとし生けるもの全ての原罪を一手に背負った男の貌であった。


 綾島聖が負けることは、決してない。
 綾島聖が勝つことは、二度とない。


 たとえ、すべての宇宙が終末のときを迎えたとしても。
 迷宮時計は完成しない。





 ■ ■ ■



「私たちは、間違っていたのかしら……」
夫婦は言葉少なに夕餉の卓を囲む。血の繋がらぬ我が子の席が、ぽっかりと空いていた。
その問いに答えられる者はいない。ただ時の流れだけが彼らの心をいくばくか癒すことができるのみ。
棚の上に置かれた色あせた写真には、フレームにおさまらぬほどに猛々しいエゾヒグマの隣で、屈託無い笑顔を見せる母子の姿があった。

――けれど僕は それでも北海道に帰りたい――
                蛎崎裕輔


 彼は巧くやってるかい、と尋ねたツクモガミの親分に、主人はかぶりを振って答えた。
「帰っては来ませんでした」
「なんと。人の時間よりも、妖の時間が先走ってしまうとは」
親分は煙管を深く吸うと、長い長い息を吐き出した。煙が空中に幾つもの輪を描き、絡み合って空中に溶けた。
「別れは必ず訪れるものだ。しかし君ならわかるだろう。彼が妻と共に過ごした時間、それがそこにあったという事実は、永遠のものだろうから」

――赦してくださいね。妻が私の帰りを待っていますので――
                       蒿雀ナキ


 その声。糸音、糸音なのだな?
ああ。糸音、糸音――なんだか久しぶりで、恥ずかしいのだ。
そうだとも。我らグンマーの民は一にして全。全にして一。
力合わせる二百万。恐れることなど、何もないのだ。
だけど――もう少しだけ、そばにいてほしいのだ。

――グンマーと共にあらんことを――
           上毛早百合


「アイツなら、長いこと見ていないな」
闘技場を囲む観客席の熱量は、かつての盛り上がりからは程遠い。
地下魔人格闘大会史上最強の王者、後ろ向きの英雄がその姿を消してから早くも三ヶ月が経っていた。
「真面目に働きだしたんじゃねえのか?」
「まさか。人間、そうそう性格なんて変わるもんじゃないぜ」

――やっぱり俺ってダメなやつだな――
             羽白幾也


 少年は夢を見た。家族と共に過ごした大切な日々。奪われた日常を。
それを取り戻すために、彼自身が奪ったものを。
彼にとって「日常」と「非日常」の境界は非常に曖昧である。
それは現であったのか。あるいは、彼を惑わすその言葉すら虚言であったのか。
全ては幻なのか。
それを知る者は、もう誰もいない。

――でも僕は、僕の大事な人にまた会うために、たくさんの血を流してきました――
                                  刻訪朔


 無の暴虐は、大都市に深い深い傷跡を残した。
失われた命は二度と戻らない。街の復興にも長い時間がかかるだろう。
災厄の敵を踏みつけて、彼は大統領へとホットラインを繋ぐ。
「How are you?(鮎が地面を這っているという意味の英語)Mr. ゴードン」
立ち止まってはいられない。守るべき、愛する合衆国が、もう一つできたのだから。

――Have a nice day――
    ウィッキーさん


 魔法使いの置き土産、世界の敵の忘れ形見。それは彼に永劫の戦をもたらした。
押し寄せる異形を、殴る。掴む。叩く。引き抜く。蹴る。へし折る。潰す。
その口元は隠しきれない笑いで歪む。彼は喜びにうち震えていた。
もとより手段のためならば目的は何でもよいのだ。
戦いが。闘争さえあれば、それでよい。

――戦って、奪い取る――
       撫霧煉國


「まほ」「かつ」「まほ」「かつ」
控えめな掛け声が染み渡る朝焼けのレンガ通り。
寒さにかじかむ拳を握り締めて、彼女は誓う。もっと強くなる。もっともっと強く。
戦友たちに、また胸を張って逢えるように。
彼女は『努力』の元・魔法少女。
努力は決して、裏切らない。

――私はあなたを、いいえ……すべての善良な人々を、助けたい――
            錬鉄の元・魔法少女キュア・エフォート


「おい、後悔していないか? ……一人なら、代わりに帰れたのにさ」
赤髪を燃え上がらせる『勝利』の魔法少女が帰還した後、花恋はそう問いかけた。
「ばか」
思わず噴き出してしまった。
「あの子を代わりに犠牲にして? 花恋だってできるわけ無いだろ、そんなこと」
唯一無二の親友の手を握る。掌にいくばくか増えた二人の皺が重ねあわされた。
「それに何度も言ったよな。帰るときは二人で。だろ」

――アタシはいつでもどんな時でも、まっすぐ自分の道を貫き通すだけさ――
                              菊池徹子


 徹子。私の一番のヒーロー。いつだって、憧れの人。
私も徹子みたいに、最後まで貫き徹すことが出来たのかな。
でもやっぱりちょっと妬けちゃうな。
イチ、ありがとうな。こっちに来てくれて。
最後に会えて本当にうれしかった。
ごめんね。愛花姉のこと、頼んだよ。

――絆とか、そういうのこっぱずかしいけどさ――
                  潜衣花恋


 母さんは戻ってはこなかった。
だから、俺は伝えなければいけない。
扉を開けて俺を迎えてくれた、潜衣愛花――ああ、もう潜衣ではないのだけれど――
怪訝そうに俺を見るその顔は、若い頃の母さんの写真にそっくりで。
俺は何も言えず、あふれる涙を拭うことすらできなくて。
愛花さんは困った様子でそれをずっと見守っていたんだ。

――なあツカサ、母さんは幸せだったのかな――
                菊池一文字


「柔、聞こえるか……」
聞こえる、聞こえるよ、ケンちゃん。
離れていても、一方通行でも、こんなに心が通じ合うだなんて。
だけど、だけど――本当はやっぱり会いたいな。
「今日は7cmまで穴を広げた、この俺の筋力で。もう腕一本ならば入る。待っていろ、必ずお前を迎えに行く」
少女の願いが叶う日も、そう遠くは無い。

――その時の私は天にも登るような気持ちで、幸せだったんだ――
                          本葉柔


「……馬鹿みたい」
おっぱい女は今日も呑気に遠距離恋愛中。
毎日毎日、のろけ話ばかり。聞かされる身にもなってほしいわ。
だいたい、恥ずかしくないのかしら。
精神の支柱をあんなに男に依存しちゃってさ。
私には、お兄ちゃんだけいればいいもの。

――私、まだ……うれし涙は、残ってたみたいだね――
                    刻訪結


 工房の仕事も軌道に乗り、生活も少しばかり賑やかになった。
最近は注文がひっきりなし。おかげで上流階級とのコネクションにも事欠かない。
酒の味も覚えた。仕事場の棚には、贈答高級酒の空ガラス瓶が数多く並ぶ。
「……これじゃあ、あの最低のクズと同じじゃん、ねえ」
思わず苦笑がこぼれた。そして、家に残してきた弟妹のことを想った。

――私の他に誰があの子達を守るというのだ――
                飴びいどろ


 大小さまざまなグラスが間借りの工房に並ぶ。
濡らした指先で、そっとその縁をたどると、熾天使の歌声にも類される澄んだグラス・ハープの音が響き渡った。
グラス・ハープは繊細な楽器だ。指にわずかでも汚れがあれば音色はゆがんでしまう。
自分にもいつか理想の演奏ができるだろうか。誰にでも誇れるような。
そうしたら、帰ろう。家族のところへ。己が捨てた日常の元へ。

――硝子が割れる音が聴こえるんです――
               飴石英


 日課の手入れを彼女にほどこす私の耳に、グラス・ハープの音色が届く。
まだまだ未熟。しかしあれは、芸術による芸術のなんたるかを理解したものの音だ。
己の理想をどこまでも追い求めることができる者は、そう多くはない。
私を超える演奏能力を有す者。思ったよりも早く、見つかるかもしれない。
そのとき、私ははじめて演奏家ではなくひとりの楽器職人として彼女に会えるだろう。

――狂人と呼びたければそう呼べ、普段から呼ばれているからな――
                        廃糖蜜ラトン


「もう嫌! こんなことして、なんになるの!」
少女は蟹色のトウ・シューズを教師に投げつけると、窓から己の身を投げ出した。
水の翼で海鳥の如く空を翔る少女は叫ぶ。バレエなんて嫌い! ダンスなんてやりたくない!
ただ、あの狂った目の男がいつか自分を迎えに来ることを考えると、ちょっと怖い。
「セシル。会いたいの……わがまま言って、ごめんなさい」
優雅な曲線を描くフレームの奥から、ひとしずくの涙がこぼれた。

――私はセシルのことが好き。だから、私はセシルの願いを叶えるの――
                   リュネット・アンジュドロー


「シスターセシル。どうしたのですか、このたくさんのご本?」
聖アリマンヌ教会の若き修道女は同胞に尋ねた。
曰く、ふたりが児童館へと運ぶその山は、日本で唯一の特級司書が私費で寄付したものであるという。
「とても子供たちのことが大好きで――立派な方だったと、伺っています」
セシルと呼ばれた修道女は、目を閉じ、胸の前で両手を組んだ。
「彼女の名は、この教会にも永遠に刻まれることとなるでしょう」

――では図書館の準備がありますので――
               本屋文


 『同窓会』の面々も、ずいぶんと増えた。
少年は瓦礫の中で遊ぶ子らに、故郷に残る47人の子供達の顔をひとりひとり重ね合わせる。
彼を殻にしてかろうじて保たれていた故郷。心配していないと言えば嘘になる。
だが、うるさく小言を言っても仕方が無い。
子供なんて、大人の見ぬ間に勝手に育っていくものなのだ。

――テメーら、仲良くしろよ。喧嘩すんじゃねーぞ――
             PTA少年・雲類鷲ジュウ


 どうしてこんなことになってしまったのだろう。
僕は君を取り戻したかった。ただそれだけなのに。
僕には君が全てだった。
だけど、僕が君を傷つけた。
僕が君を傷つけたんだ。
ああ、だけど――君はきっと、そんな僕を、笑って許してしまうんだろうね。

――僕はヒナに謝らなくちゃいけないことがある。伝えなくちゃいけない言葉がある――
                                   天樹ソラ


 ぶよぶよとした中年男性が、ほとんど全裸のかっこうで路上をさまよっていた。
「ヘ、ヘ、ヘークションッ! オカマッ」
如月の冷たい空風は、彼の肌から容赦なく体温を奪う。
何もかも失ってしまった――否、彼は気づいた。命がある。体がある。もう一度やり直せる。
「……今度こそ、働かなくてもいい社会を、ワスが作る。ヒ、ヒークションヒークションオカマッ」
震える身体で再起を誓う。楽をする為にはいかなる努力も惜しまない、つくづく生真面目な男である。

――優しい世界を作って行こう。そうすれば肩身の狭い思いをせずに済む――
                             飯田カオル


 今朝はすこぶる気分が良い。まるで枯れた老体の内に、若々しい勁力が渦巻くかのようである。
病室の外からかしましい嬌声が聞こえる。布団から身を起こして、彼は毎日の訪問者たちを出迎えた。
だがその日の彼女らの様子は常とはいくばくか異なっていた。
あっと叫ぶ者。手荷物を取り落とす者。頬を赤らめる者。
「はて……お嬢さん方。どうされた。私の顔が、如何いたしましたかな?」

――今までまことに世話ににゃり申した――
             にゃんこ師匠


 大学に進学した私を待っていたのは、めくるめく色彩の世界。
白一色の病室で過ごしていた私にとって、皆には当たり前の日常がまるで万華鏡のよう。
今日ね、告白されちゃったんだ。サークルの先輩。ううん、正確には、告白されかけたの。
でも――駄目だよね。だって、その言葉は、私が君の為だけに取っておくものだから。
先輩の唇が開ききる前、無防備な顎に打ち込んだ私の掌底が、一瞬でその意識を刈り取った。

――僕は、幸せな日々を失いたくなかった。ただそれだけなのに――
                           日下景


「うおおおおおおっ! 巨大な鉄球が! た、頼むぜ相棒!!」
「まかせて……って! 足元見て! 落とし穴!!」
たとえ異世界に飛ばされようと、二人はさして変わりない。冒険、冒険、そして冒険だ。
「ああ、この命の軽々しいやり取り。サバンナの脱出を思い出すなあ」
「本当にね……美弥子ちゃん、無事だといいけど……」
不安をその小さな顔に浮かべるパートナーに、彼はつとめて明るく言った。
「大丈夫に決まってるだろ! 冒険者の勘がそう言ってるんだぜ」
「そうよね……うん、きっとそう!」

――ロマンと夢と秘宝を求めて秘境に冒険するのが良いんだよ――
                        希保志遊世


「ん……もうこんな時間」
テーブルにうつぶせたまま寝てしまっていたようだ。
窓から覗く外の景色はどっぷりと暗い。
ふと、娘の部屋から聞こえるすすり泣くような声が聞こえた。
思わずドアノブに手をかけようとして、手を止める。
女の子には秘密がつきもの。
みずから話してくれるのを待ちましょう。時間は無限にあるのだから。

――大丈夫……絶対に、助けるから――
            撫津美弥子


 彼は殺した。何度も殺した。何度も何度も何度も殺した。
彼は最後に彼を殺した。
なぜなら彼は殺されなければいけなかったからだ。
己が殺したものどもと、まったく同一であるからだ。
あいつはそうは思わないだろう。あいつは馬鹿だから。馬鹿みたいに優しいから。
だから彼が殺さなければいけなかったのだ。

――盛華は天国に行かなければいけないんだ……だから俺は殺す――
                          シシキリ


 ミスター・チャンプの訃報。その事実は異世界に暮らす剣士の耳にも届いていた。
愛刀に自身の顔を映す。氷のように冷徹な彼女の表情の下にはしかし、一抹の憂いが、隠し切れぬ暖かな人の心があった。
どこまでも不器用で、まっすぐだった男。己を負かした男。
似ても似つかぬ想い人に抱くはずの感情に似た何かを、彼女は首を振って打ち消した。
袈裟懸けの素振りを一閃、迷いを断ち切る。

――阿呆が――
  斎藤一女


 代々木ドワーフ採掘団、アークエンジェル平井の毒霧が、使い込まれた竹刀に炸裂する。
「興行、すっぽかしやがって……ったく。悪いが、次回の開催は百年待ってくれや」
丁寧に清めたその形見を、黒塗りに金文字で描かれたポスターの横に立てかけた。
彼は表情を作る。極悪非道の悪役プロレスラーの顔を。そして活気渦巻くジムの扉を開けた。
「さあガキ共! 怖ェ怖ェヒール様が来てやったぞ! こういう時はどうするんだ?」
未来のミスター・チャンプ達は、拳を振り上げ、一斉に返した。
「「「ウィー! アー! チャンプ!」」」

――再戦はいつでも受け付けているぞ――
         ミスター・チャンプ


 代々木ドワーフ採掘団、無人の事務所。
今は亡きミスター・チャンプがポスターから見守る中、彼の秘蔵酒「世界の敵」の一升瓶がひとりでにかたかたと揺れ動いた。
振動は次第に大きくなり、限界を超えると、やがてガラス瓶は倒れ粉々に割れた。
度数96度のコメ製アルコールが、机に置かれた真っ白のダルマをしとどに濡らす。
まだ何も終わっちゃいない。どこからかそんな声が聞こえた気がした。

――終わりにするのは他の誰でもない私達、僕たちの役目なんだ――
                         風月藤原京


 妙なことになったものだ、と彼は自嘲する。
正々堂々、皆のヒーロー。下らぬ真実を覆い隠す仮面。
その嘘っぱちに、隠された素顔の方が近づいていく。天地開闢後の新世界は、彼にとっての新世界でもあった。
ジリリリリ、と調子はずれの電話が彼を催促する。
電話線の彼方に向け舌打ちをしつつ、受話器に手を伸ばす。
正義の味方。もう少し、続けてみようじゃないか。

――どこまでやれるもんかね。雷炎の魔人ヒーロー・ブラストシュートさんよ――
                                山口祥勝


 思えば妙なことになったものだ。
最強。それが己を規定する二文字。
戦うことが、壊すことが己の存在すべてだと考えていた。彼らと巡りあうまでは。
そしてようやく気づいた。作ること。それも悪くは無いのだと。
英雄の下で剣は舞う。
霊峰の頂に座する老齢の創世神は、己が生涯を賭けて創り上げた世界を満足げに見下ろしたのち、眠るように息を引き取った。

――そしてそれを上回る、こいつが俺の筋力だ――
                時ヶ峰健一


 野を埋め尽くす一面の花畑。朽ちた兵器に覆いかぶさるように色とりどりの花々が咲き乱れる、その中心に、一人の少女がいた。
長い銀髪の隙間から昆虫の如く透き通った翅を生やし、赤子のように背中を丸めて眠り続けていた。
「おさな」
眠れる唇で、彼女は呟く。
「おさな」
その呟きは誰に届くとも無く、ただ風の流れの中に消えていった。

――わたしはだれなの 父さま 母さま――
          メリー・ジョエル


 探偵は言った。私が俺君を、陥れた、と。
その推理は私を貫かなかった。でもそれは私の心をちょっぴり焦がした。
ほんの少し。わずかでも、認めてしまっていたから。
ああ。そうだよね。こうなって当然、かな。
他人を利用して、全てを奪い尽くしてきた私が。
こんな私が、幸福になって良いわけ、ないよね。

――そんな物で私が救われる領域は、もうとっくに終わっているんだ――
                           馴染おさな


 あの日、お前がいなくなって。
おれは何も聞けずに、置いていかれて。
だけど今ではおれも同じだ。
会ったら文句の一つでも言ってやろう。
言えなかったお前と、聞けなかった俺。
これからはずっと、ふたりきりの戦争。

――今のおれには、生きる目的がある。そのために全てを投げ打てる――
                            真沼陽赫


(ってさ~、お姉さんまたアイツのこと心配してるの~?)
「誰が! あんなリョナ野郎」
(いいんじゃない~? 他に『素敵な人』なんて一向に現れそうもないしぃ~~)
「ぐッ……お前なぁ……言って良いことと悪いことが……」
蟹の片目に蟹の片鋏。異形の少女は、かつての敵、内なる同居人と対話する。
「……まあ、もう一度会いたいのは確かだ。絶対今度は顔ブン殴ってやる」

――女の子には誰でもいつか素敵な出会いがあるって――
                     右野斬子


「あーん、モージー負けちゃったかァ」
「残した借金も困ったもんじゃ! 生命保険掛けといてよかったのう」
「まったく、門司くんのバカは死んでも治りませんね」
「どうかのう、奴は負けてもただ殺されるタマではないぞ。今頃向こうで美人さんとヨロシクしとるかもしれんな、ガハハ!」
「お、門司くんもようやく脱童貞? それは興味深い説ですね」
「いやー、ないない。だってモージーだよ? それはないでしょォ」

――ここが正念場だぜ、ハッハーッ!!――
               門司秀次


「あ、が……へぅ……」
息も絶え絶えに横たわりつつ、彼は己の安請け合いを心から後悔していた。
か弱き幼女の頼みとほだされたが運の尽き。動けぬうちに殺しておけば、こんなことには――
俎上の鯉のようにびくびくと跳ねる体の上、跨る女は身を起こす。
刀の血糊をぬぐうが如く、彼女は己の武器を鞘に納めた。
「……またつまらぬモノを食ってしまった」
凛とした眼に、冷たい怒りが燃え上がっていた。

――動くな。動けば、セックスする――
          猟奇温泉ナマ子


「せん……ぱい……アハ、ハ……せんぱい…………」
太古の原生林には、あまりにも場違いなささやき声。
音の元を辿れば――おお――読者諸氏よ、帽子をしっかり押さえていたまえ。
そこにあったのは、ごぼごぼとしたあぶくを吐く、白濁した粘液の海。
木々をなぎ倒し、鳥獣を飲み込み、増殖する。世界の全てを犯しつくすまで。
それを生物と呼称してよいものか――もはや誰にもわからない。

――せんぱいのすべてを支配し……それから、あたしは――
                    補陀落とろろ


 彼女は一度覚えた技術を二度と忘れない。
だから最期に覚えたこの味を、ずっと忘れることはないだろう。
喉の奥へと溶けていった、ファーストキス。それはフリスクネオ。
一粒の重量は従来のフリスクの約5倍。
強いミントの清涼感、このさわやかさがいつまでも長持ち。
フリスクネオ、新感覚のタブレット。
全国の薬局やコンビニエンスストアでお買い求めいただけます。

――私だけなら、負けていた。貴方は強かった――
                  真野海人


 * 映画初出演にして勝ち取られた主役ということで。大変おめでとうございます
「ありがとうございます。これも監督や共演者の方々、スタッフの皆様の支えあってのことです」
 * 抜け忍生活の中での稽古、そして撮影。非常にご苦労されたかと思います
「はい、でも私の女優としての初舞台、あの劇場のカーテンコールを忘れられなくて。その思いを胸にここまで頑張れました」
 * では最後に一言お願いいたします
「私の全ては、彼女の笑顔のため――この栄光を、彼女に――美鳥に捧げます」

――笑えばいい。美鳥が笑えば、みんな力が出る――
                   紅井影虎


 筏の上から足を投げ出し、女はぱしゃぱしゃと海水を蹴りつつ呟いた。
「あの人、どこ行っちゃったのかしら。探し人は見つけられたのかな」
ハルマゲドンは終結した。それがもたらした結果は、海水をいくばくか血の赤に染めただけであった。
だが目的を忘れた無益な争いの中、ひとりの旅人がとうにその目的を果たしてしまっていた、その噂だけはしばらく人々の耳を賑わすであろう。
女の隣、小さな家鳴がひょいと出て、海中を眺めてきいきいと泣いた。

――早う山ん中へ帰りよー――
        善通寺眞魚


「お? 家鳴か。こがな新しゅう建物におるとは、まっことめんずらしいことじゃのう」
箒を履く白衣(びゃくえ)の青年の足元に、きいきいと鳴く子鬼が何匹もまとわりついていた。
「こら、おんしゃあら。どしたどした、このわりことしが」
青年は笑う。だが家鳴たちは泣きそうな顔でその足を握り締めていた。
はて、人違いか、と彼は困り果てた。
だがそれを無碍に振りはらうことは決してしなかった。

――ふいー、一丁上がりじゃな――
    善通寺眞魚、もう一人の


 高速道路の片隅に、一輪の向日葵が咲いていた。
堅いアスファルトにその根を穿ち、陽の光をもとめて日陰からけなげにそっ首を伸ばし。
君、徒花と嗤うなかれ。見目麗しきこそ花々の本懐なり。
ひとときでも大切な伴侶の目に留まれたならば、手折れた価値もあろうもの。
どうか愛してくださいまし。この身枯れ落ちる、その日まで。

――日車には行かなければいけないところがあるのです――
                      伊藤日車


 秘密魔人結社『手折結党』。その党員数、現在零名。
ああ皆まで言わずとも、おっしゃりたいことはわかります。
――構成員無くして、組織は組織足りえるのか――と。
しかし残念至極、常ならばとうとうと語り聞かせたいところでありますものの、
零の発見から空集合の構成に至るまでをそらんじるには、文字数が少々足りませぬ。
だけど、ああ、やっぱり欲しかったなあ……仲間。

――佳く、佳く御覧じよ。これが僕の用意した最終幕――
                     折笠ネル


 わあ大変大変大変、こんなにたくさん文字数使っちゃって!
とっくにみんな飽きちゃったんじゃないかな?
でも大丈夫! 私が来たからには……
うん、ふっくん。わかってる。もうそろそろ行かなきゃね。
……さあ最後に行くよ! 私のとこからカウントスタート!
それではみなさま、ご一緒にっ!

――何があっても三・千・字! 絶対詰めるぞ三・千・字!!――
                      山禅寺ショウ子


「……いい奴らから先にいなくなりやがる。本当どうかしてるよな」
芸術家・丸瀬十鳥は、ひとりアトリエで呟いた。
テーブルの上、残された紅茶が、しんとするほどに冷え切っていた。
またひとつ、ぽっかりと穴が空いた。

――その最初の穴だけは、どんなにしても埋めることも動かすこともできなかった――
                                   一切空


 諧謔という概念がスーツと眼帯を着込んで歩いていた。
意外であろう、彼は彼の芸術に何の意図も意味も意思も込めてはいない。
ただ見るものが己の心を投影し、教科書に自分勝手な解釈と講釈を垂れるのみ。
だからそんな批評家どもをあざ笑い、心の内で舌を出しつつ、こう告げてやるのだ。

――存在するものは毅然としてあり、空間の中に一点の肖像を作り出す――
                     色盲画家ストル・デューン


 彼を知りたい? では小学生の甥から教科書を拝借しよう。
二十一世紀初頭のポップカルチャー、このページだ。
とても芸術家には見えないね。鍛え上げた肉体、口にくわえたペン。
その顔からは鼻血が吹き出し、両耳にバナナ、はげ頭に花が……
ああ、あまりにも無残な落書き。あいつめ、ひどいものだ。
でもまあ、この扱い……彼は満更でもないのだろうな。きっと。

――諦めるな!! 功夫が足りねえなら……漫画で補え!!――
                        梶原恵介


 西暦476年、西ローマ帝国が滅亡。
東ゴート族、ランゴバルド族の支配を経て、ナポリ市は東ローマ帝国の手に渡る。
やがて11世紀、群雄割拠の南イタリアはノルマン人の征服の下に統一された。
13世紀にはシチリア王国からナポリ王国が分裂。
その繁栄も永くは続かず、15世紀にはスペインがこの地の支配を始める。
悠久の歴史が流れる地の下、彼女は眠り続ける。

――手放したく、ないもの――
        雨竜院暈々


「いつまで寝とるんやオカン!」
「ふにゃ~、珍念~? もう少し寝かせとって~」
不純堕天使・四葉ちゃんの朝は遅い。
「もうええわ! 昼飯は勝手に用意せえ!」
そう言い残して佐分山珍念ことサブイネンは出かけていった。ツマランナーのところへ。
あっちの妻夫木さんも元気かな。わたしこんなゴロゴロしてていいのかしら。
だけど今まで大変だったもの。もう少しだけ、だらけててもいいよね。

――わたしがみんなのママなんだから、明日もがんばろう――
                  純粋天使・須藤四葉


 異界門〜 いかいもん〜 よそのお家も見たいもん、ジャカジャーン!
今日は飯田のおっちゃんの力を借りて平行世界の様子を見に行くでえ。
ンギャース! あっちでもサブイネンとカミマクリン付き合っとるんかい!
ホギャース! あっちのワイが黒パン一丁でスタジオ飛び出した!
ミギャース! ト、トラックに轢かれた!!
ワイーッ! しっかりせえ、ワイーッ!!

――絶対に許さんからなぁ、基準世界人――
             ツマランナー


 彼女は変わり者だった。
どこからともなく現れて、私のことを卯月と呼んだ。
彼女は足が遅かった。
その名の通り幸せそうで、いつもそばで笑っていた。
あんまり歩みが遅いから、わけを知るのに60年もかかっちゃった。
私の大切なお幸。

――『コウ』! 君は『コウ』だ!――
       鈍亀の継嗣、若葉卯月


 厚くたなびく雲が晴れ、隙間から覗く月光が、寝台の上、泣きはらした女の顔を照らした。
もう泣かないと誓ったのに。
「……時計になんて、頼らないの」
傍らで寝息を立てる友の手を握りしめる。その手はほのかに握り返された。
「絶対に取り戻すの。何年かかっても、たとえ私がどうなろうとも……」
いつの日か、四人で――

――れいかも、美弥子の力になるの――
      刻の辻斬り、読小路麗華


「「ダメだったのね、結局」」
無縁双生児(ツインズ)が直接顔を合わせるのも久しぶりである。
声と声を、手と手を重ね、友人の死を悼む。
だがそんな沈痛さとは裏腹に、モニターに映る、あまりに滑稽に加工された彼の最期。
「「何が正々堂々、みんなのヒーロー、何が正義よ。本当にまったく」」
使い古したこの台詞もこれで最後となろう。

――これも茶番だ。ぜ~んぶ茶番だ――
             浅尾龍導



 ■ ■ ■



 勝者の去った、変電所にて。

 取り残されて横たわる安楽椅子探偵の額には、自身の手による、こめかみから後頭部へと貫通する一条の穴が穿たれていた。

 不意に、その額の穴が、するりと動いた。穴は首元をくぐり抜け、袖の下から変電所の床へと移動した。やがて無傷の探偵は、少々気恥ずかしそうにその身を起こした。

 ――おお、それは、その穴は、見間違えようもない――誰あろう、一切空の『アルバート・ホール』!


 丸瀬が糸子に手渡したものは、穴であった。彼が彫刻に保存した、幼き少女の忘れ形見を、彼女は受け継いでいたのだ。

 出発の刻、糸子は円環型の石をチョコレートに浸した。そしてリボルバーの銃倉に込めたのだ――チョコレートドーナツの穴を!
ああ、なんたる傲慢! なんたる恥知らずであろうか!
はたしてドーナツの穴はドーナツなのか? 構成員無くして、組織は組織足りえるのか?
いずれにせよ、彼女は持ち前の不躾さで哲学上の難題を押し通したのだ!


「……ありがとね」
床に遺された穴は、もはや何の変哲もないただの穴であった。糸子は名も知らぬ少女に礼を捧げた。

「はぁ~、結局事件も迷宮入りか。依頼も未達成。ホント探偵失格ですね、師匠」
結局、敗北は敗北には違いないのだ。これからの身の振り方を考える必要がある。
「……まぁいいや。ついでにいいもの見れたしね」

 安楽椅子探偵は、変電所の丸窓から外の景色を覗いた。視界に広がる漆黒の宇宙に、青く輝く地球がぽかんと浮かんでいた。


 北海道。それは神代のスペースコロニー。
天空の松前半島と地上の津軽半島とを結ぶ唯一の架け橋、軌道エレベーター・青函トンネルに並行する、もう一本の知られざる糸をご存知であろうか。
亀田半島と下北半島とを結ぶ、直流送電の大動脈。
北海道・本州間連系設備、いわゆる北本連系である。
その要石、七飯発電所からの宇宙太陽光エネルギーを地上に送り届ける水門を、函館変換所という。
迷宮時計が戦場に選んだ変電所の名であった。


 眩く光る太陽が、球体に陰影を投げかける。
ゆっくりと、一定の速度を保って、円弧は刻々と這い動いていく。
彼女はそれを眺めていた。
45億年間、粛々と動き続けた永久機関。
地上のどこかが朝を迎える。同時に、裏では夜が訪れる。
そこに乗せた人々の想いなどお構い無しに。


 青の迷宮は、時を刻む。






 ■ ■ ■



 やあ、久しぶりだね! ミスター解説さ。
おっと! 蛇足だなんて言わないでおくれ。何せこれで最後だからね。
永久に続くかに思われた長き戦いも、これにて閉幕だ。
だが……敗れたものや、斃れたもの、あるいは遺されたもの。
その想いはこれからもずっと受け継がれていくことだろう。

 ひとりひとりの人生が、ひとつひとつの物語を編み、
絡み合って世界という名のタペストリーをつづり織る。
それはなんと残酷で、なんと素晴らしいことか。

 さあ、そんな寂しそうな顔をしないでおくれ。
またいつか会う日もあるだろうから。
その時までは、さよならだ。笑顔でお別れしようじゃないか。

 それじゃあみんな、また会おう!

最終更新:2015年02月21日 17:51