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裏決勝戦SS・地下墓地その3


『堀町柔より、祝薗柔さんへ。あなたは今、しあわせですか?』


††††


 本名ってなんだろう。
 本葉柔は、本当の両親からもらったらしい、最初の名前。もしも私を捨てた両親が、また私に会いたいと思ってくれた時に道標となる大切な名前。
 堀町柔は、戸籍上の名前。私を引き取って育ててくれたパパとママの娘であることを示す大切な名前。
 ボンバーν(ニュー)は、私の真の姿を表す名前。ルーツである遠い故郷、ボンバー星に繋がっている大切な名前。
 そして、フランシスカは、神様に誓った洗礼名。心の拠り所となる、大切な名前。
 全部が全部、私が私であるための大切な名前。どれが本当の本名なんだろう。多分、全部が本名なんだと思う。
 いずれは『時ヶ峰柔』も私の本名となることだろう。なんてね! なーんてね!

 フランシスカ堀町柔は、それほど敬虔ではないがクリスチャンである。
 洗礼名の『フランシスカ』は、聖人フランシスコ・ザビエルから頂いた。
 創世神・時ヶ峰健一の創った世界においてもキリスト教は普通に存在する。三柱の神による創世神話は歴史的事実として広く受け入れられているが、それとは別に信仰対象としての宗教は必要なのだ。これは、基準世界においてキリスト教徒でありつつも地動説や進化論を認めることができるのと同様である。

 灯りも点らぬ暗い地下墓地。硬い岩盤からなる地層をくり貫いて縦横に張り巡らされた通路の壁面には、びっしりと人骨が積み上げられている。空気はカビの匂いに満ち、息苦しい。
 柔は敬愛するザビエルに倣い、古びたシスター服に包まれた大きなおっぱいの前で広げた両手を蟹のように組み合わせたイエズス会式のポーズをとって祈りを捧げた。

「神様。罪深い私をお許しください。これより死者の眠りを冒涜することをお許しください。二人の迷える子羊をあなたのみもとに送るかも知れぬことをお許しください。アーメン」


††††


 無数の骸骨たちが、虚ろに窪んだ眼窩で私のことを見つめている。視線、視線、視線、視線視線視線シセンシセンシセンシセン……
 真実が。巡真実が私を視ている。
 早百合が。上毛早百合が私を視ている。
 義父一家の人々が私を視ている。
 任務で殺した人達が私を視ている。
 視線視線視線視線。無数の視線が蜘蛛の巣のように私の心を絡め取り、身動きできなくなる。

「お兄ちゃん……パパ……ママ……私を護って……」

 シールドマントを身体にぎゅっと強く巻き付ける。狐の面でしっかりと顔を覆い隠す。手袋の鉄の指貫きを伝わせて、しゅるしゅると糸を延ばす。
 髑髏のひとつに深々と縫い針を突き刺す。指貫きに糸を引っ掻けて強く引っ張り、強度を確かめる。よし、十分だろう。
 向かいの壁の髑髏に縫い針を突き刺す。床の岩盤に縫い針を突き刺す。髑髏に針を突き刺す。髑髏に針を突き刺す。敵を絡め取る、死神の網を張り巡らせる。
 聖アーク女子学園に通ってはいるものの、私はクリスチャンではないし、神様のことなんか信用していない。信用できるのはパパとママと、刻訪の家族だけ。
 だって神様がいるのなら、どうして私の手はこんなに赤く汚れているの? なぜお兄ちゃんは、あんなに惨めな死に方をしなきゃいけなかったの?
 赤い糸で、織り上げる。私の赤と、本葉柔の赤と、古沢糸子の赤。交わり逢って赫くなる。赫く赫く、赫くなる。赫い翼を織り上げて、お兄ちゃんの許へと翔んで往く。


††††


 日本では毎分2人の人間が死んでいる。
 世界では毎秒2人の人間が死んでいる。
 平和に見える現実の薄皮をちょっと剥いてやれば、そこには無数の死体が転がっている。長いこと探偵をやってりゃ、世界のそんな姿が厭になるほどよく見える。
 だから、無数の人骨が積み上げられた地下墓地の景色は、古沢糸子が見馴れた日常の風景と特に代わり映えはしなかった。

「あの子も、こんな暗い坑道で死んだのかねぇ」

 あの子を殺した者の名は、綾島聖。何処とも知れぬ古い古い坑道で、一切空は誰にも知られることなく眠り続けている。永遠の空洞を胸に抱えたまま。
 ひょっとしたら、この地下墓地に積み重なった骸骨のうちのひとつが、一切空かもしれない。この墓地は元々は坑道であった名残が、構造のそこかしこに見受けられる。
 いけない、いけないぞ古沢糸子。感傷に耽ってる暇はない。走れ。そして考えろ。無数の骨の仲間になりたくないのなら。

 狭い通路の中、安楽椅子を慎重に走らせながら板チョコを折り割って口に放り込み、思考を高速で走らせる。対戦相手、刻訪結と本葉柔は何者なのか。
 刻訪由維。本名、綾辻結丹。聖アーク女子学園中等部二年生。魔人商工會「刻訪」の構成員で、共に家族として育った刻訪朔のことを兄のように慕っていた。危辻の糸使いであり、何らかの魔人能力を隠し持っている。
 本葉柔。本名、祝薗柔。聖アーク女子学園高等部一年生。祝薗盛華の義理の妹にあたるが、祝薗家の養女となったのは彼女が死んだ何年も後のことだ。柔術の実力は全国大会レベル。そして、魔人ではない。
 もちろん、これらの情報は対戦相手本人の情報ではないが、相手の能力を推理するための材料としては役に立つ。
 刻訪結が、刻訪由維と同様に糸使いである可能性は極めて高いだろう。ストリングワークによる罠には注意して進まねばなるまい。
 本葉柔については難しい。この時点でいまだに欠片の時計を所有している以上、何の能力も持っていない可能性は低いだろう。柔術を基礎とした格闘魔人か、或いは特異体質の光過敏性に由来する、光に関連した能力か。
 地下墓地の通路は曲がりくねり、アンジュレーションが多く、狭く、暗いが、ジェーン1200ZXVカスタムの性能をもってすれば走破はさほど困難ではない。走れ。考えろ。見落とすな。そして、撃て。


††††


 刻訪結の『操絶糸術(キリングストリングス)』は射程距離約20m。
 古沢糸子の『サヴォイ・トラッフル』は射程距離約200m。
 単純に比較すれば、およそ10倍の開きがあるが、これは射線を遮る障害物がない平坦な地形での話であり、複雑に入り組んだ地下墓地では意味を成さない数字だ。両者とも、地形を回り込んで標的を攻撃する術を持っており、武器の射程よりも索敵範囲の広さが重要になってくる局面である。
 そして、索敵においては、必中の神剣フラガラッハを利用した探索術を用いる本葉柔が圧倒的なアドバンテージを有していた。さらに刻訪結と古沢糸子にとって不幸だったことは、戦闘が開始した瞬間には既に、地下墓地全域がおっぱい柔術の攻撃範囲内であったことだ。

 ズシーン。重い音が響き、地下墓地全体が震動した。壁面に積み上げられた人骨が崩れ落ちる。古沢糸子は安楽椅子を緊急停止して、装甲ルーフを閉じた。
(今の震動……刻訪結が爆発物を持ち込んだのか? 或いは本葉柔の能力か?)

 ズシーン。更に震動。地下墓地の壁面にクラックが走る。天井からパラパラと小さな石片が落ちてくる。刻訪結は頭上をシールドマントで覆い防御する。
(何……? 何が起きてるの……? 怖いよ、お兄ちゃん……うふふふ、怖い。怖いよ。うふふふふ。暗い暗い地下駐車場で、お兄ちゃんもこんな気持ちで死んだのかな。ねえ、お兄ちゃん、私いま、とっても怖いよ)

「ボンバー!」
 本葉柔が小さく跳躍し、うつ伏せにおっぱいから倒れ込む。おっぱい柔術・クエイク前受け身。地面に当たった瞬間におっぱいに秘められたM44エナジーを地面へ向けて一気に解放する。
 ズシーン。重々しい音が響き、地下墓地の床が砕ける。天井に亀裂が走る。周囲の人骨の壁は既に完全に崩れ去り、砕けて散らばっていた。

 フラガラッハで刻訪結と古沢糸子の位置を把握し、地下墓地内に他の人間が居ないことを確認した本葉柔は即座に殲滅作戦の実行に移った。すなわち、おっぱい柔術によって地形全てを破壊し尽くして戦闘するまでもなく全ての敵を埋葬すべし。作戦名“ラス・オブ・ゴッド”。
 もとより採掘のために掘削された坑道であり、地震の少ない欧州なので耐震性など全く考慮されてない。ゆえに、破壊可能。

「ボンバー!」
 クエイク前受け身! おっぱいを中心として地下墓地全域にクラックが走る!

「ボンバー!」
 クエイク前受け身! 合計2tを越える超質量Jカップおっぱいの衝撃に耐えかねて地下墓地の各所で崩落がはじまる。

「ボンバー!」
 クエイク前受け身! 床面が完全崩壊して一段下層に降り立つ本葉柔。おっぱい柔術によりダメージを吸収して無傷。落石を受けて地下墓地内の数百万体を越える遺骨はほとんどが粉々に粉砕。

「ボンバー!」
 クエイク前受け身! おっぱい破壊力によって遂に地下墓地は限界を迎えた。岩盤が連鎖的に崩れてゆく。そして――地下墓地の上に建てられた巨大な石造りの修道院が、地下へと飲み込まれた。
 異常な震動を感じて屋外に避難していた修道士達は、修道院が崩壊してゆく地獄のような光景を茫然と見守りながら、ただ神に祈るよりほかに為すすべはなかった。


††††


 瓦礫の下から、右脚を引きずり出す。駄目だ、完全に折れちゃってる。ううう、痛い……。
 おっぱい柔術によって同時に防御できる範囲は限られてる。空間全体が崩壊した場合、頭部を護るのが最優先。最悪の場合、手足は犠牲にするしかない。
 地上の修道院が丸ごと落ちて来たのが、最悪の誤算だった。計算では地下墓地部分のみ崩壊するはずだったのに、どこを間違っちゃったんだろ。

 まあ、折れてしまったものは仕方ない。元々戦闘をする予定はないのだから、脚が折れても問題ない。
 上手い具合に外部から隔離された狭い空間に自分自身を閉じ込めることには成功した。後はじっくり籠城戦だ。そのための食料は大量に持って来てある。このまま敵が衰弱するのを待つだけで勝利は私のものだ。

 フラガラッハを軽く振る。ふむ、まだ二人とも生きてるみたいだな。
 更に意識を集中して振る。むむ、むむむむむむ……。これはマズいんじゃないか?
 古沢糸子と思われる反応、元気に移動中。刻訪結と思われる反応、元気に移動中。まさかとは思うけど……地下墓地崩壊で一番ダメージを受けたのが私自身とか、そんな展開ないよね? ね? うああああ、どうしよう……。


††††


 古沢糸子は、雲類鷲ジュウによって解放された“ACT2”『アザー・ディライツ』を完全に自分の物にしていた。『くたばれPTA(キング・メイカー)』自体の効果は一定時間の経過で終了するが、ひとたび精神解放を受けた者はコツを掴んで“ACT2”を自在に引き出せるようになることも多い。
 爆発的破壊力のヘーゼルナッツ入りチョコレート弾丸で落盤と瓦礫を爆砕して進路を啓開して進む。地下墓地の揺れの具合から、震源の位置は大まかに推理できている。震源は恐らく本葉柔。能力は、大きなおっぱいを破壊重機に変える能力だろうか……これはまだ証拠不足で断定はできない。
 ジェーン1200ZXVの装甲ルーフにより、古沢糸子本人は無傷。安楽椅子のフレームはあちこちが歪んだものの、走行性能には支障なし。

「ボンバー!」
 震源付近と思われるやや開けた空間に出た瞬間、突然横合いから音の壁が破れる轟音と共に超音速の打撃が飛んできた。安楽椅子の強固なフレームが大きくひしゃげ、古沢糸子は安楽椅子ごと弾き飛ばされて瓦礫の壁に激突した。
 なんという速さ。なんという威力。これが、おっぱい柔術のスーパーソニック当身だ。不意打ちを警戒した態勢で進んでいたため被弾箇所が安楽椅子の装甲だったから良かったものの、本体に入っていたら即死してたかもしれない。なんという殺意。内気で心優しい、基準世界の本葉柔とは随分違う。

「うっわー、危なかった。一応、聞いとくけど話し合いの余地とか……ないよね?」
 古沢糸子は銃を天に向けて敵意のないことを示すポーズで、本葉柔に問い掛ける。これだけ殺意溢れる容赦ない攻撃を仕掛けてきた相手が話し合いに応じるとはとても思えないが、これは糸子の探偵流儀として必要なプロトコルだ。

「いえ、話し合いましょう。私も戦いたくはないですから。でもそれは、銃を手離してくれたらの話です。その向きでも私を撃てますよね?」
 本葉柔は交渉に応じた。刻訪結がいる以上、ここで全面衝突して消耗したくはないし、話の通じる相手ならば戦いたくはないというのも本心だ。

「うえー、どの口でソレ言うかな。しかも、あたしの能力知ってる感じかい? でもピストルバリツを手離すのは無理な相談。あなたが柔術を手離せるんなら話は別だけど」

「それもそうですね。ならば、銃はいいです。それで……話し合いの余地は、本当にあるのでしょうか? 私は降参するつもりありませんよ」

「あたしも降参するつもりは、ないさ。だけど、もしあたしが負けた場合にはあんたに頼みたいことがあるし、迷宮時計について推理するために平行世界の情報を聞いときたいんだ」
 そう言って、糸子はメモ用紙を柔に渡した。柔は慎重にメモを開き、警戒しながら目を通す。そこには、古沢糸子が平行世界に置き去りにした対戦相手の情報が記されていた。

 【現代】マンション――雲類鷲ジュウ。
 【過去】田園――飴石英、廃蜜糖ラトン。
 【過去】桜並木――……

「もし勝ち残ったのがあんただったら、こいつらを迷宮時計の力で元の世界に帰してやって欲し……あのー、もしもし、聴こえてますかー?」

「リュネットちゃん……? どうしてリュネットちゃんが……!?」

「ああ、やっぱり知り合いか。リュネットって子も、あんたと同じアリマンヌ児童館の世話になってるらしいからね」

「……随分と、私のことをよく知ってるようですね」

「ま、これでも探偵の端くれだから、それぐらいは、ね。でも知らないことも多いよ。基準世界のあんたは、魔人じゃなかったから」
 糸子は、柔の能力を知らないことを正直に伝えた。これは、手札を敢えてオープンすることで、暗黙のうちに相手に手札公開を促す交渉術の一環である。

「私も、古沢さんのことは調べました。ハードボイルド派の探偵で、チョコレートの弾丸を使う。結婚を期に一線から退いたようですが、こちらの世界では両脚を失ってはいなかったと思います。その脚……どうしたのですか?」

「ちょ、ちょっと待って、ソッチでは結婚してんのあたし!? で、で、相手は誰? まさか丸瀬って奴だったりしないだろうね?」

「さあ? 結婚相手までは調べてないので……」

「調べてないのかよ! 困るなー、ソコいちばん肝心のトコなのに! で、脚のことだけど……あんたには話しづらいな。あー、こいつはな、シシキリにやられちまったのさ」

「シシキリ、というのは何者ですか?」

「ん? そこから? もしかして、あんたの義姉さんがどんな死にかたしたか知らないのかい?」

「私に……姉がいるのですか!?」

「うおっ? それも聞いてないの!? あんたの義姉さんの名前は祝薗盛華。殺人鬼シシキリ誕生の発端となった女性だ」

「話が……見えません。祝薗盛華は、私の母親ですよ? 普通に生きてるし」

「なっ、そっちでは生きてんの? じゃあ、まさか、まさかあんたの父親って堀町臨次だったりして?」

「はい。そうですけど?」

「げーっ。まじかよー、あー、その、なんだ、祝薗柔さん――じゃなくて堀町柔、なのか? 基準世界のあんたについて、というか、祝薗盛華と堀町臨次について聞きたいか? あんたにとって辛い話になると思うが、それでも聞きたいか?」
 言ってしまってから、意地の悪い言い方だったと糸子は気付いた。こんな言い方されたら聞きたくなるに決まってる。
 本葉柔に罪はないし、向こうの世界の堀町臨次にも罪はない。だが、自分の脚を斬り落としたシシキリが、向こうの世界で平穏に暮らしてると聞いて、心穏やかではいられなかった。“シシキリの娘”に残酷な物語を突き付けてやりたくなってしまった。

「盛華ママが死んだことについて、ですね。聞かせてください」

「ああ。落ち着いて、聞いてくれよ。ただの殺人事件じゃない。あたしの長い探偵生活の中でも最悪に悲惨なケースだからな」
 そして、古沢糸子は語った。祝薗盛華の凄惨な死とシシキリの誕生から、ミスター・チャンプに討たれて堀町臨次が最期を迎えるまでの一部始終を。

 本葉柔は、理解できなかった。盛華ママが殺された? 臨次パパが殺人鬼になった? そんなこと言われても、信じられるわけがない。
 でも、ツマランナーさんは、迷宮時計にバンドの仲間を殺されたと言っていた。私の世界ではそんな出来事はなくて、今でもオモロナイトファイブは活動中なのに。
 すべて、迷宮時計の仕業なの? ウツキちゃんなら答えを知ってるだろうか。“『迷宮時計の秘密その13 、殺されたみんなや破壊された戦場は迷宮時計の力で元に戻せる』 だから気にしないで”――そう言ってたよね? 本当に? 迷宮時計を信じていいの?
 私は日下景さんを殺してしまった。波佐見大洋さんを殺してしまった。迷宮時計がなかったら、そんなことはなかったはずなのに。私は――

「伏せろっ! 本葉柔っ!!」
 古沢糸子が叫び、安楽椅子を高速でターンさせた。背もたれの装甲で切断糸を弾く。

 本葉柔の右腕が、肘の上で切断されて地面にぼとりと落ちた。断面から赤い血が噴き出す。
 柔が振り向くとそこには、狐の面をつけた少女が、銀色のマントを纏って立っていた。
 危辻の糸で音もなく地形を切り裂いて、刻訪結が現れたのだ。シールドマントの加護により、彼女は崩落の中でも無傷で生き延びた。

「あははははっ、悲しいお話、とても楽しかったよぉ! さあ、今度はあなた方ふたりの悲しいお話をはじめましょうね!」
 瓦礫と粉砕された人骨が散らばる暗い地下墓地で、血染めの糸を宙に迅らせながら、狐面の少女は愉しげに笑った。


††††


 BLAMBLAMBLAMBLAM!
 古沢糸子のピースメーカーが火を吹き、チョコレート弾を連続発射する。『サヴォイ・トラッフル』による遠隔誘導によって全弾が刻訪結に命中。KABOOOOM!『アザー・ディライツ』の効果によってクラッカーチョコがその名の如くに爆発! だが、シールドマントに護られた結は無傷!

「ボンバー!」
 右脚骨折。右腕切断。ひとり重傷を負い満足な移動もできない本葉柔だが、戦闘力の全てが失われたわけではない。
 10kgぐらいの手頃な瓦礫を左手で拾い上げ、おっぱいに強く押し当てる。そして、M44エナジーを解放して射出。おっぱい柔術の応用によるスーパーソニック砲だ! 衝撃波と共にマッハ2の速度で瓦礫が飛び、刻訪結に命中! だが、シールドマントに護られた結は無傷!

「一文字お兄ちゃん(四席に昇格)に護られた私は無敵なんだから! 無駄よ無駄! あはは、あははははーっ!」
 刻訪結が手を振るう。指先から伸びる殺人切断糸が空を切り裂き、古沢糸子と本葉柔に襲い掛かる。
 古沢糸子は安楽椅子の急加速と急制動を小刻みに繰り返し、襲い掛かる糸の波をやり過ごす。
 脚を傷めて動けない本葉柔は、おっぱいで防御するしかない。おっぱいで糸を弾く。おっぱいで糸を弾く。おっぱいで糸を弾く。弾ききれぬ糸が、手に足に顔に赤い線を刻んでゆく。

(仕方ない……奥の手!)
 本葉柔は、神剣フラガラッハをおっぱいに押し当て……超音速射出! おっぱい柔術・スーパーソニック神剣!

 神剣フラガラッハとは、ケルト神話の太陽神であるルーの持物である。またの名を「回答者(アンサラー)」。その特性は「回避不能」「防御不能」「与えた傷の治癒不能」。
 一方、刻訪結が菊池一文字から受け継いだシールドマントもまた、本葉柔の世界を創造した神の一人、潜衣花恋の創り出した神器である。その特性は時空斥力による「無機物攻撃の完全防御」。
 無敵の剣と、無敵の衣。最強の神器同士が激突した場合、何が起きるのか――

 答えは蟹だ!

 超音速で飛ぶフラガラッハは狙いあやまたず刻訪結のシールドマントに命中する。そして、暗黒の地下墓地を純白に染め上げるとてつもない光の爆発が発生した。
 フラガラッハとシールドマントの違い、それは、前者は魔法的存在であり、後者は科学的存在であることだ。
 本葉柔も、刻訪結もアイテムの正統な所有者ではなく、借り物である。フラガラッハの正統使用者は、時ヶ峰堅一。シールドマントの正統使用者は、菊池一文字。
 魔法とは属人的な現象であり、訓練を重ねてきたとは言え本葉柔はフラガラッハの能力の一部しか発揮できない。
 一方、科学の特性は再現性にあり、刻訪結はシールドマントの能力を十全に活用することができている。あの恐るべき「刻の辻斬り」の変幻自在剣『誓いの剣』を返り討ちにできたほどに。
 ゆえに、フラガラッハは砕け、神剣に秘められた太陽神の力が暴発して光の奔流となったのだ。シールドマントに護られた結は無傷!

「う、うあああ……ぼ、ボンバァァァアーッ!」
 太陽神の閃光はあまりにもまばゆく、本葉柔の遮光ゴーグルで防護できる限界値を完全に超えていた。光学反応によってM44エナジーが活性化し、柔のおっぱいが巨大化する! シスター服のおっぱい部分が、引っ張り限界を越えて弾け飛ぶ!
 迷宮時計が変身時間を陽気な電子音声で宣言する。
「ピピピピッ! 3分間クッキング、はじまりー!」
 本葉柔の姿は、真の姿、胸甲周4mの巨大蟹ボンバーνへと姿を変えた。その右鋏は欠損し、四本の右側歩脚のうち半数は痛々しく折れ曲がっていたが――戦闘に支障なし!

 1534年。台頭著しいプロテスタントに対抗するため、カトリック側は勢力拡大の尖兵とすべくイエズス会を設立した。フランシスコ・ザビエルはその設立メンバーのひとりである。
 イエズス会は世界宣教を目標として掲げ、1541年にはザビエル自身もポルトガル王ジョアン3世の依頼を受けてインドのゴアへと派遣された。
 インドでの布教を終えたザビエルは、1545年にはマレー半島のマラッカに移り、更なる宣教に勤しむ。1547年にマラッカで鹿児島出身のヤジロウと出会い、日本へキリスト教を伝えたことは皆様もよく御存じのことだろう。
 マラッカで宣教中のある日のことだ。ザビエルが乗った小舟が不運にも岩礁に乗り上げて船底に穴が空いてしまった。あわやザビエルは海の藻屑と消え果てるかと思われたが、それを救ったのが一匹の蟹であった。蟹は、その身を呈して船底の穴を塞ぎ、ザビエルを守って命を落としたのである。ザビエルは蟹に感謝し、聖なる十字を蟹に贈った。それ以降、この地で採れる蟹の背には十字の紋様が見られるようになったと言う。
 そして、見よ! 巨大蟹ボンバーνの背を! その背に浮かぶ白い十字の紋様を!

「ピピッ、あと2分だよー!」
 迷宮時計の声が響く。

「ボンバァーッ!」
 ボンバーνは、左の鋏を振り下ろす。刻訪結が吹き飛ぶ。シールドマントでは生物の直接攻撃は防げない!
 KABOOM! KABOOOOM! 古沢糸子のチョコレート弾丸がボンバーνに命中して爆裂するが、強固な甲殻は“ACT2”をもってしても突破できない!

 ボンバーνが鋏を振るう! 鋏を振るう! 鋏を振るう!
 だが、刻訪結は華麗な身のこなしで鋏の攻撃をかわしながら、反撃の糸を紡いでいた。『操絶糸術』がボンバーνを縛り上げる! 縦横無尽に張り巡らされた危辻の糸がボンバーνを絡めとり、その動きを一瞬封じた!

「今だっ! 撃てーっ!!」
 刻訪結が叫ぶ!

「言われるまでもないよ!」
 BLAMBLAMBLAMBLAMBLAMBLAM! 古沢糸子のチョコレート弾が連射される! 精神集中! 多数の弾丸を個別に制御! 狙うはボンバーνの関節部!
 KABOOMKABOOMKABOOMKABOOOOOM!! チョコレート弾丸が爆裂!! ボンバーνの左鋏が! 歩脚が! 千切れ飛ぶ!!

「ピピピピピピッ、あと1分だよー!」
 迷宮時計が残り時間を告げるが、甚大なダメージを受けた本葉柔は3分経過を待つことなく変身解除に至った。

「――神に誓ってもいい。意趣返しとか、そんなつもりじゃなかったんだ」
 古沢糸子は、誰にともなく弁明した。突然の怪物化に驚き、必死で攻撃が通りそうな箇所を狙っただけなのだ。
「“シシキリの娘”がこんな最期を迎えるなんて――皮肉な話だよ。嫌になるね、まったく」
 糸子の見詰める先には、四肢を喪った本葉柔の身体が、うつ伏せに転がっていた。崩壊した地下墓地の暗闇に、静寂が戻った。

「ピピピピピピピピピピピピ。お料理、できあがりだよー!!」
 迷宮時計時計の陽気な電子合成音声が、無神経に、残酷に鳴り響いた。古沢糸子の喪った両脚が、ファントム・ペインを訴えていた。


††††


 それは、堀町臨次の希った平穏だった。
 四季折々の花が咲き乱れる小さな庭の付いた小さな一軒家。心優しき妻と、元気な一人娘。ごく普通の、平凡な、ささやかなしあわせ。
 だが、ここに辿り着くまでの道のりは決して平坦なものではなかった。

 結婚を目前にした、ある冬の夜。
 臨次の婚約者であった祝薗盛華の四肢の付け根に、奇妙な痣が現れた。四肢の付け根を丸く縁取る青痣は、まるで不吉な切り取り線のように見えた。
 そして、その夜から臨次は、性的に不能となってしまった。
 臨次は結婚の取り止めも考えたが、盛華に励まされて根気よく治療に取り組んだ。――しかし、結局回復はしなかった。

 盛華の働いていた役所のつてで、とある教会の孤児院から養子を貰うことにしたのは結婚して5年後だ。
 夜でも遮光ゴーグルを外さない、赤い髪の不思議な女の子。この子は生まれつき光過敏症で、育てるのは苦労するかもしれませんよ、というシスター長の忠告もなんのその「運命を感じた!」という盛華の強い思い込みによって、本葉柔は堀町家の養女となった。

 やがて、とある事件をきっかけに本葉柔は魔人となった。
 それは堀町夫妻にとって衝撃的なことだったが、引っ込み思案で沈んだ表情をしていることの多かった柔が、魔人となり自分自身がボンバー星人であることを知って明るく快活に変わっていったことは喜びをもって受け止められた。
 柔が希望崎学園に入学するために、千葉のニュータウンに建てた家は引き払い東京近郊の借家に転居した。家も庭も狭くなってしまったが、臨次の勤務先にも近くなり、家の中には前よりも笑顔の花が多く咲くようになったので良い選択だったと臨次も盛華も思っていた。

 ――だが、迷宮時計は、そんな小さなしあわせにすら残忍な針を突き刺し、引き裂いたのだった。 


††††


(迂闊だ。しっかりしろ古沢糸子っ!)
 古沢糸子は自分自身を叱咤した。四肢を失った本葉柔の無惨な姿に動揺し、刻訪結を見失ってしまうとは。
 周囲を見回し、尾行すべく結の痕跡を探す。だが、探すまでもなく、結はすぐに姿を現した。

「たおりて往ぅかぁん、野なかのバぁーラ♪ たおらばぁたおれぇ、思い出草にぃ、君を刺ぁさぁーん♪ ――うっふふふふぅ、お・待・た・せぇー!」
 刻訪結は、歌いながらふらふらと現れた。その両目は固く閉じられている。様子がおかしい。

「シューベルトの『野ばら』だね。どうしたんだい? ご機嫌じゃないか?」

「ふうん、これ、シューベルトの曲なんだぁ。うふ、でも私この曲きらぁい。だって、痛そうなんだもん」
 腕を掲げて、古沢糸子に見せつける。無数の痣と、赤黒い縫い糸で覆われた痛々しい腕の中に、赫い花が一輪、咲いていた。
 その花は、本葉柔の血で染めた赫い絲で刺繍したものであった。花の名は、野ばら(ロサ・カニーナ)。花言葉は「愛情」「喜びと苦しみ」。そして、刻訪結のセーラー服の十字紋様の下に膨らむおっぱいは、細い身体に不釣り合いなJカップおっぱいであった。

「えへへ、蟹さんバトル・ラウンド2、はっじまるよぉー! 一対一で勝てるかな? 頑張ってね探偵さん! ボンバーっ!」
 刻訪結は目を見開く。その漆黒の瞳に燃える赫い炎。おっぱいが膨らみ、セーラー服の十字紋様を引き裂いて姿を現す! 刻訪結の姿は瞬く間に膨れ上がり、胸甲周4mの巨大蟹に変貌した!

(まいったねえ。動き回られちゃ、関節を狙い撃つのは難しいだろうなあ。……ならば、狙うべきは――)
 わざわざパリから空輸して手に入れた、最高級のチョコレート。蟹に喰わせるには勿体無いが、くれてやる。

 包装を解かれたチョコレートが、超自然的な動きでリボリバーに収まる。撃鉄を引く。コルト社特許のシングルアクション機構で弾装が回転し、発射準備が整う。
 狙うは巨大蟹の口の中。口からチョコレート弾を撃ち込み、奥にある脳を“ACT2”でフッ飛ばす。殺らなければ殺られるだけだ。
(――ところで、蟹の脳の位置ってソコで良かったっけ?)※筆者注:脳に相当する神経節は口腔内にあるので、だいたい合ってます。

 B L A M !
 一際大きな銃撃音が響き、それで勝敗は決した。

 そもそも、銃などというものは鋏を持たぬ哀れなか弱い人類が産み出した代用品に過ぎない。
 ボンバー星人の大きな右鋏の可動指内側には、「プランジャー」と呼ばれる突起がある。そして、不動指側にはこれと対応した「ソケット」と呼ばれる窪みがある。鋏を最大限に開いた状態から、一気に閉じることで、ソケット内の気体を圧搾し、疎密波を作り出して前方へ発射するのだ。地球上で言えば、テッポウエビ類が持つ鋏とほぼ同じ構造である。

 安楽椅子探偵に転向したとは言え、古沢糸子は元・ハードボイルド派の探偵である。これが早撃ち勝負であると認識しできていたのならば、遅れは取らなかっただろう。
 だが、彼女はチョコレート弾丸を小さな口に撃ち込む精密射撃であるという認識でエイミングしていた。
 視界の端に映った巨大蟹の鋏の構造を見て、何が起きるのかを推理できた時には既に手遅れだった。音速の疎密波が古沢糸子を打ち据え、探偵は意識を喪って安楽椅子の中へと仰向けに倒れた。


††††


 巡真実は、寂しがり屋だった。
 彼女の明朗さと人当たりの良さは、嫌われたくない、独りになりたくないという想いの裏返しであった。それは別に悪いことではないし、普通の人なら誰しも持っている性質である。
 だが、彼女の寂しがりは、あまりにも極端だった。魔人となるほどに。

 殺されてしまった時にも、痛いとか、苦しいとか、そんなのはどうでも良かった。なぜ嫌われてしまったのか、それだけが不安だった。
 だから、嫌われて殺されたのではないことを理解して、真実は安心した。

 ――でも。

 ――寂しいよ。

 ――お願い。ボクを、独りにしないで。

 能力名『ネガ・リザ』。
 とっても寂しがり屋な巡真実が生者を招く、恐るべき死の呪い。


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 巨大蟹と化した刻訪結が放つ銃撃音を耳にして、本葉柔は意識を取り戻した。そして激痛を感じ、自分の四肢が喪われていることに気付いて愕然とした。
 古沢糸子さんの安楽椅子が見える。糸子さんは、その中に倒れ込んで動かない。
 巨大な蟹がいる。あれは……本当の私? それでは、ここに四肢をなくして倒れてる私は誰!?
 わからない。……何もわからない。

 ボンバーνになった私の、眼や鋏が乳白色の光を放っている。糸子さんをM44光線で焼き尽くすつもりだ。
 そんなこと、やらせちゃいけない!
 ――それだけは、わかった。

 私は叫んだ!
「ボンバーっ!(やめて! もう勝負はついてる! 糸子さんを撃っちゃ駄目っ!)」

 ゆっくりと、巨大蟹の私がこちらを振り向く。
「ボン、バァー?(あらぁ、まだ生きてたの? うふふふ、しぶといなぁ。じゃあ、あなたから先に、焼き尽くしてあげましょうか?)」

 こちらに向けた、眼、触角、鋏、そして口の光が強くなった。M44光線の発射準備完了だ。
「ボンバアァアアアァーッ!(消えちゃえ! 本葉柔ァーッ!)」
 巨大蟹から破壊光線が放たれる!

「ボンバアアアアアーッ!!(今だあああああーっ!!)」

 その瞬間! 本葉柔は飛んだ! おっぱい内に蓄積されたM44エナジーを大地に向けて解放し、その反動を利用して飛んだのだ!
 たとえ四肢のすべてが喪われたとしても、本葉柔にはまだおっぱいがある!

 本葉柔は、ボンバーνの弱点を知っている!!
 M44光線を射出する直前の一瞬、光線発射口となっている眼と触角は光に包まれて、外界の情報を完全に見失う! ゆえに、その瞬間さえ見切れば回避は可能!

 破壊光線が、さっきまで柔のいた場所を焼き尽くす! 柔は光線の上空を飛び越えて、巨大蟹の鋏が回りにくい死角である背中へと落下する! 狙うは背中の白い十字紋様!

「ボンッバアアアアアアアアーッ!!(喰らえッ! ボンバーνッ! これが私のッ! フランシスカ堀町柔のッ! おっぱい発勁だあああーッ!!)」
 背甲に接触する瞬間! おっぱいに貯えられたM44エナジーを全解放!! おっぱい浸透勁!! 地下墓地の閉鎖空間が震え、瓦礫屑がパラパラと降り注ぐ!

 ――そして、内臓に浸透勁を撃ち込まれた巨大蟹・刻訪結は、泡を噴きながらゆっくりと倒れた。


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 地下墓地から帰って来てから、私は一週間ほど高熱を出して寝込んだ。
 原因は精神的なものらしくてエクスカリバーの鞘でも治すことができず、パパやママには随分と心配を掛けてしまった。それでも、毎日ケンちゃんがお見舞いに来てくれたお陰で、なんとか回復することができた。

 聖アーク女子学園に行ってみよう、と提案したのは私だったかケンちゃんだったか。いずれにせよ、この世界の綾辻結丹さんに会ってみたいと思ったんだ。
 でも、会うことはできなかった。

 学園の、礼拝堂の地下に設けられている納骨堂の中で、結丹さんは吐血して死んでいた。死因は内臓損傷によるものだったらしいけど、それ以上の原因は判らなかった。
 第一発見者は、学園の生徒会長(シスターと呼ばれてる)である、巡真実という女の子。親友である結丹さんを亡くした上に、殺人の疑いまでかけられて、とてもかわいそうだった。
 そして、綾辻結丹殺人事件は、何らかの魔人による攻撃と断定され、ありふれた殺人事件のひとつとして迷宮入りしたのだった。


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「よう、お目覚めかい?」

 重い瞼を開くと、安楽椅子探偵が語りかけてきた。
 ――記憶が、ぼんやりとしている。本葉柔の能力を使って巨大な蟹に変身して、古沢糸子を倒して……それから? 本葉柔にとどめの破壊光線を撃ったはずなのに、なんで私が地下墓地で倒れてるの?

「残念ながら、あたしたちは負けたのさ。本葉柔が助けに来てくれることを、一緒に祈ってくれるかい?」

 そっか、負けちゃったか。私は、負けちゃったのか。
 綾辻の両親を甦らせる望みは潰えた。創お兄ちゃんを甦らせる望みは潰えた。なんか、もう、何もかもがどうでも良くなっちゃった。
 私の心にぽっかりと空いた大きな穴。その中に、吸い込まれていくような感覚。お腹がじくじくと痛む。

「――トキトウハジメがなぜ死んだか、知りたいか?」
 探偵が、不意にお兄ちゃんの名前を言った。

「そりゃ、知りたいけどさ、どうせ新月の“朔”でハジメって読むほうの話でしょ。それはもういいよ」

「ご名答。だけど、それだけじゃあないんだ。きっと、君の世界の“トキトウハジメ”君にも関係している」

「まあ、聞くよ。他にすることもないしね」

「巡真実、という少女を知ってるかい?」

「――知ってる」
 真実の名前を出されて、心臓を抉られたような気持ちになった。痛い。お腹が痛い。

「基準世界の刻訪朔は、迷宮時計を手に入れるために、巡真実を殺した」

「……向こうのお兄ちゃんが……真実を……?」

「だが、巡真実は魔人で、死亡時に発動する能力を持っていた。能力名はわからないが、効果は概ね推定できている」

「真実が……魔人だった……」

「効果1。巡真実を殺害した者は、49日以内に確実な死を迎える」

「……!!」
 そうなんだ。これは真実の能力なんだ。お腹が痛い。燃え上がるように、痛い。

「そして、効果2。効果1によって対象が死亡した場合――全ての平行世界における同一存在は、同時に死亡する」

「そんな……! じゃあ、私のお兄ちゃんが死んだのは……!!」

「そう。基準世界の刻訪朔が巡真実を殺害した報いとして、全ての世界の“トキトウハジメ”は死亡した。――因果応報と言うには、あまりに理不尽すぎると思うけど」

「あは、あははぁ、そっかぁ。真実が、お兄ちゃんを殺したんだぁ……」
 私は、満面の笑みを浮かべて、ごぼりと血を吐いた。
「うふふ、嬉しいな。いっしょだ。お兄ちゃんと私、どっちも真実に殺されるんだ……! あははは、あははははは!」
 びしゃびしゃと血を吐き散らしながら、お腹の底から声を上げて私は笑った。たぶん、私の内臓はメチャクチャになっちゃってる。もう助からないのが自分でも良くわかる。
 でも、これが単に本葉柔にやられたんじゃなくて、真実のしたことなんだったら、私はとても嬉しい。

「ありがとう……ありがとう真実。真実のお陰で、私、お兄ちゃんの所に行ける……!」
 自分が吐き出した血で、地下墓地の床は真っ赤に染まっている。ああ、これが、私の求め続けた赤なんだ。
 真っ赤に染まった床の上に、私は倒れ込む。そして――赫い翼で羽ばたいて、お兄ちゃんの許へと翔んで逝く。


 刻訪結の手には、奇妙な鳥の形をしたポーチが握りしめられていた。きういに縫い付けられた、不釣り合いな赤い翼。飛べない鳥は赤い翼で、望んだ場所にゆけたのだろうか。

 探偵は、少女の亡骸に黙祷を捧げた後、安楽椅子を駆動して地上へと向かった。
 16世紀スペイン。両脚を失った女性にとって、過ごしやすい時代ではない。安楽椅子や銃を長い期間維持するのは難しいだろう。探偵の需要も、あまりないかもしれない。
 だが、そんなことより――チョコレートが手に入るかどうか。それが最大の気がかりだった。


††††


 私には、臨次パパがいる。
 私には、盛華ママがいる。
 私には、強くて優しい最高の彼氏、ケンちゃんがいる。

 故郷のボンバー星とは遠く離れた地球にいるけど。
 私を産んでくれた本当の両親は誰なのか知らないけど。
 迷宮時計を巡る命懸けの戦いに巻き込まれてしまっているけど。

 私は今、しあわせです。

 だけど、平行世界の向こう側には、臨次パパも居ない、盛華ママも居ない、ケンちゃんに出逢ってもいない私がいる。
 迷宮時計の戦いに巻き込まれてないらしいし、魔人になってもいないそうなので、平穏な暮らしはできてるんだと思う。
 でも、それって本当にしあわせなのかな?

 基準世界の私、祝薗柔さん。
 あなたは今、しあわせですか?


(おわり)