裏決勝戦SS・地下墓地その1


 -Opening-

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[To]redb_strings_sang_yesterday@xxx-xxx.xx.xx
[From]remember05.lo_vl.carnation03@xxxxxxx.xx.xx
[件名] ★重要★マッチング発表
[送信時刻]2015/1/29 20:00:00.000
[本文]
裏決勝戦の対戦組み合わせを発表いたします。
この試合の開始時刻は1月30日(金)20:00です。

【裏決勝戦】
対戦者:【刻訪結】vs.【古沢糸子】vs.【本葉柔】
戦闘空間:【過去(基準世界暦AD900~AD1900前後)】【地下墓地(墓地内)】
転送時刻:【2015/1/30 20:00:00(基準世界時間/現在時刻より24時間00分00秒後)転送開始】
勝利条件:貴方を除く全対戦者の【死亡】【場外】【降参】
備考:なし

※このメールは送信専用です
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 ◆◆

見渡す限りの世界は、白で埋め尽くされている。
もう空は夜一色なのに、月明かりを雪が反射して、墓標がほのかに明るく照らされていた。
まるでステンドグラスの光を浴びるマリア様みたいで、心は安らぎすら覚える。
それなら私は、さながら祈りを捧げる子羊のようだ。
ここは、私が生まれ育った村。
そして、私の両親が眠る場所。

昼間に辺りを散歩していると、村の人たちが雪降ろしをしているのが見えた。
地域の人たちが協力しあうことを『結』というって、昔お父さんが教えてくれた。
読み方もそのまま『ゆい』。私の名前の半分はこれが由来らしい。


壊す糸を教えてくれたお父さん。
操絶糸術の使い手はもう私だけになってしまった。大丈夫、私が受け継いでいくから。
創る糸を教えてくれたお母さん。
マフラー、ひとりで縫い上げられるようになったよ。だれにあげたら良いと思う?

……もっとおしゃべりしたいけど、時間がないの。
実はお墓にはね、わざとギリギリに来たんだ。
だって、帰ってきてからのお楽しみがあったほうが、がんばれるでしょ?
だからちょっとだけ、待っててね。


試合は今日の20時から。もう間もなくだ。
『迷宮時計』は私にメールで情報をくれる。
組み合わせはもっと早く教えてもらいたいんだけどなあ。
ただ、対戦者の名前を調べてひっかかったためしがないけれど。今回もダメだったし。

メールの送信元は、迷宮時計の所有権を手に入れて(真実を殺して)からずっと真実のアドレスだ。
パパやママが言うほど私は迷宮時計がタチ悪いとは思わないけど、このことについては同意見だ。
表示される送信者を確認する度に、私の心は罪悪感に塗り潰される。
それでも私は、自分を貫かなければならない。……それが、せめてもの『つぐない』だから。


墓標の裏では白と緑の中に鮮やかに、ツバキの花が咲いている。雪の重みにも、負けずに。
時計の長針はまさに今、頂点を指そうとしていた。
――いってきます。

 ◆◆



 ■ ■ ■

安楽椅子の座席が、わずかに傾いたのを感じた。
下を見れば、地面はモルタルで固められた石造りのそれへと移り変わっている。
もう三度目になるが、何度経験しても、転送の感覚には慣れない。

私を出迎えたのは、冷たく聳え立つ石碑。
『Arrete! C'est ici l'empire de la Mort』
止まれ!ここが死の帝国である……だってさ。

仏語ということは、この陰気な墓場はロシュエール・ミュニシパル、またの名をカタコンブ・ド・パリと呼ばれる、フランスはパリの地下納骨堂であると見て間違いないだろう。
ならば――三人の演者(ヴィジター)を歓迎するのは、六百万人の死者(ホスト)たち。
ワクワクするねぇ!

もっとも、他の対戦者たちを見つけないことには、開幕ベルは響かない。
弔問者がいたのだろうか、壁に沿って置かれた蝋燭立てはつい最近も使われていたように見えた。
しかし今は、道を照らす物は私の所持品以外にはなにも無い。
闇の中へと、ゆっくりと車輪を進める。
ライトは保つだろうか? 一抹の不安がよぎる。
やっぱり格好がつかない……が、甘さも含めて私。今さら、変われやしない。


私が安楽椅子探偵となったのは四年前。
二肢を奪われるそのときまでは、ハードボイルド探偵として鳴らしていた。
でも。
安楽椅子だのハードボイルドだのは、本格派のお偉いさん達が勝手に当て嵌めた分類(カテゴライズ)にすぎない。
私は探偵として独り立ちしてから今までずっと、自分を変えたつもりはこれっぽっちも無かった。
私を満たすものはただひとつ――地獄のような、甘さ。
それだけだ。

 ■ ■ ■



 ††††

「うわあああーーーん!!!!」

気がついたら数えきれないほどのガイコツが私を見ていて、思わず絶叫してしまった……。
うう、怖いよケンちゃん……。
てゆーか、敵に見つかっちゃう!
そう思ったけど、ガイコツたちが音を吸収してしまうのか、私の居場所が気づかれている様子はなかった。
はー、よかった。
ちょっと落ち着いた私は、ケンちゃんから借りた剣を改めて確認する。

一本目は必中の太陽剣フラガラッハ。
一試合目からお世話になってるこの剣は、軽く振るだけで周囲の敵に反応して手応えを返してくれるので、策敵にもってこいなんだよ。
まだ役に立ったことはないけど、今回は狭くて入り組んだ地下墓地が戦場。活躍してくれそう。
ついに半年間の特訓の成果を発揮するときが来たのだ。
サーチ・アンド・アンブッシュ!

そして二本目は輝きの宝剣クラウ・ソラス。
私とケンちゃんは、そ、その……つきあうことに、なったんだけど……(うう、絶対顔赤くなってる)、ケンちゃんも私のことを好きって言ってくれた瞬間に、眩い光とともに現れた剣だ。
この剣に力をきゅっと込めると、不思議な光が辺りを照らす。それは、なぜか私が耐えられる特定波長の光なのだ。
ケンちゃんが言うには、私のことで頭がいっぱいになったときに召喚したから? らしい。
もー、何言ってんの! 照れちゃうよ。

二振りの剣を腰に佩き、懐には超再生能力をもつ王剣エクスカリバーの鞘を忍ばせている。
王との距離が縮まったからか、ケンちゃんのそばにいなくても、鞘を持っているだけで多少の治癒の効果を受けることができるようになっていた。
服装はいつもの道着じゃなくて、孤児院でもらったシスター服にした。地下墓地って海外っぽいし、少しでも目立たなくて済みそうだったからだ。

シスター服を見ると、私の命を救ってくれた孤児院の人々への感謝の思いが湧いてくる。
とってもおおきな私の胸を見ると、ここまで育ててくれたパパとママへの感謝の思いが湧いてくる。
輝いている剣を見ると、宇宙人の私のことを可愛い、好きだって言ってくれたケンちゃんへの想いが湧いてくる。
そして、私が殺してしまった人たちのことも、忘れるわけにはいかない。
教会に行きたかったのは、懺悔をしないといけないと思ったからでもある。
本当に、ゴメンなさいじゃ済まされないことだ。
でも私は、ケンちゃんと一緒の世界で生きていたい! そうじゃなきゃ、生きてる意味なんてないんだ。
もう、ひとりぼっちじゃない世界を、私は知ってしまったから。

「必ず勝って、ケンちゃんの世界に帰ってくる。絶対絶対帰ってくる!」

自分に喝を入れる。
突き刺さるガイコツたちの視線は、もう気にならなくなっていた。
そして私はフラガラッハの導きに従い歩みを進める。
何度目かの曲がり角の先、その向こうに見える十字路に。
銀色のマントを着た女の子が、懐中電灯でこちらを照らしながら佇んでいた。

 ††††






 《1》

本葉柔は少女を目にして僅かに戸惑いを感じたが、すぐに気を取り直した。
銀色マントにセーラー服なんて格好、過去の時代の人じゃないだろう。ならあの子は今回の対戦相手だ。
私と同じ高校生? いや、中学生かな。でも私はもっと小さな子とも戦ったんだ。
ケンちゃんと一緒の世界で過ごすためには、ためらってなんかいられない!
剣を握る手に力がこもる。
しかし少女は不敵な笑みを浮かべると、十字路の奥に進んで見えなくなってしまった。
慌てて追いかけようとしたが、違和感を覚えて立ち止まる。
目を凝らしてみれば、細い糸が張り巡らされていた。

「わっ、糸がいっぱい。突っ込んだら大変だったね。えっと、こういう時は……」

前回の対戦相手、日下景は同じような手段を取った敵に対して、爆弾を使って糸を破壊していた。
しかし、本葉柔にはそのような危険物を入手する手段はなかった。
試しに剣で斬りつけてみるが、糸は見た目によらず硬く、一本切断するにも手間がかかった。

「むむ、これはキツイなあ。んー、回り道してもいいけど……」

しばし考える柔。
時ヶ峰堅一との戦いの中で得られた経験から、応用できるものはあるか?
ほどなくして、一つの答が閃いた!
彼女は剣を構えると、硬い糸ではなく遺骨で形成された壁を削り始めた。
脆い所から攻める。12回目の感想戦でケンちゃんが教えてくれた、戦いのセオリーのひとつ。
年月を経た骨を砕く作業は、鋼線を切断するそれよりは簡単だった。
十字路にたどりつくと、通路の向こうにはまだ少女の銀のマントが見えた。

「待てーー!!」

柔は全力で叫んだ。
まずはひとり、お前をここで倒す!
という気合いが漲っていた声が届いたのか、少女がこちらを振り返る。
口元がわずかに動く。

「――御蜘巣様(アラクレイドル)

その微かな声は、柔には届かなかった。
彼女が認識できたのは、突如として地面から伸びてきた糸に絡めとられて、自身の豊満な体が宙吊りになってしまっていることだけだった。


 ***


「こんばんは。あなたは古沢糸子さん? それとも本葉柔さん?」

糸に自由を奪われた柔のもとに、刻訪結が歩み寄って問いかける。
今回の技は、地面にあらかじめ仕掛けを用意し、それを踏んだことが手袋から伸びる糸に伝わったときに発動させる拘束技である。道に糸を張ることで足元に意識が向かないようにするのは結の工夫だ。
暗くて狭い地下墓地は、彼女の操絶糸術のホームグラウンドであると言っても過言ではない。

「私は墓地を管理する教会のシスターです……。あなたは一体誰ですか? どうしてこんな酷いことするんですか?」
「ふーん。どこの世界に赤髪ゴーグルで帯刀した、日本語を喋るシスターがいるのかしら」
「うぐ」

柔は一般人のフリをして危機を免れようとした。
が、さすがに怪しすぎたようだ。
なんとか解放されようと体を動かしてみる。
しかし努力は空しくも、糸が食い込んでボディラインの膨らみが強調されるだけに終わった。

「しかもなんなのそのやらしい服? 上半分こぼれてますけど。てかシスターって、ケンカ売ってるでしょ」
「こ、これは、サイズがなくて、入らなかっただけ! ケンカ売るだなんてとんでもないよー……」 
「あっそう、なに食べてたらこんなに大きくなれるのやら。さーて、めぼしいものはないかなっと」
「こ、コラ! やめなさい! ダメだってば!!」

シスター服に手を突っ込んで物色する。
出てきたのはエクスカリバーの鞘と、チョコレート菓子『けんの山』だけだった。
王との繋がりがない結は鞘の価値がわからなかったので、おなかの足しになりそうなチョコレート菓子だけを奪った。
当然柔は激怒しているが、こちらも当然無視だ。

「で、あなたはだれ?」
「……」

あくまでしらを切ろうとする柔。

「黙秘権を行使するってわけ。ま、ムダだけどね」

結は懐のポーチから鋏を取り出すと、柔の脇腹に突き刺した。

「うぐああああ!」
「いつもは即バラバラにしちゃうんだけどねー。今日は三人戦みたいだから、情報は取れるだけ取っとかないと」

鍛え上げられた柔の体は、内臓に刃を届かせることはなかった。
しかし傷口からは、赤い血がさらさらと流れ出ている。
結は糸を染めると針に通し、セーラー服の袖を捲りあげた。包帯は今日はなかった。
背筋の寒くなる色彩の腕が、柔の目に入る。
彼女の口から怯えたような声が漏れた。

「ひいっ」
「これを見せる人はちょっとだけトクベツ……なハズなのに、結局みんなに見せてる気がする。強い人たちばっかりだからねー、しかたないねー。あ」

針が結の腕に通された。
刺繍が始まる。
痛みのせいか表情は歪み、時折苦しそうな声も聞こえるが、運糸は淀みなく滑らかに進んで行く。
柔は制止するが、もちろん聞き入れられない。

「え。ちょっと、何してんの!」
「くぁ、あぅ、ん、…………でーきたっ」

あっという間に結の右腕には、巨蟹宮の紋様が刻まれていた。
それはまるで、茹でたてのカニのように真っ赤だった。

「はいはい本葉柔さんね。能力はぁ!?」

名前を当てられた柔が驚きを見せる。
一方、特殊能力『赫い絲』によって柔の能力を把握した結は、その瞳の色と同じくらい紅く頬を染めた。

「なんなのコレ…… なに考えてたらこんな能力になるの?」

同世代の中でもやや小ぶりな自分のそれと、規格外に爆発的な柔のそれを見比べる。
体格に比例しているかのような、厳然たる格差を目の当たりにしてしまった。
なんてゆーか、イライラする。

「ぐぬぬ、デカいからって調子にのるなよ。…………それに」

トーンが低くなる。
柔がびくっとして結の表情を読もうとするが、伏せられたそれは輝きの剣をもってしても陰になって窺えない。
やがて吐き出された言葉には、苛立ちが明瞭に込められていた。

「彼氏との日常を守りたいから、強くなる、か。むかつくなぁ」

『赫い絲』はあくまで特殊能力の根幹となる認識をトレースする能力であり、記憶を全部読めるわけではない。
しかし裏を返せば、認識に関係する事象であれば彼女は把握することが可能である。
ケンちゃんと付き合うことになって能力が変化したという事実。
柔の「守りたい」恋人との日常は、殺伐とした世界に身を置く結にとっては「叶えたい」ものだった。
自分にないものを持っている目の前の女のことを、結は羨ましく思った。
羨望は嫉妬に変わり、そして殺意へとなり果てる。
結が腕を振ると、糸がさらに柔に絡みつく。
そして、躊躇いもなくその糸を引き絞った。


「し・ね」


迷宮時計について図書館での戦いを経て、平行世界と基準世界という概念を理解している柔をさらに問いただせば、結にとっても有意義な情報があるいは得られたかもしれない。
しかし、もはやそれは今現在の彼女にとってあまり関心のない事柄だった。
精神力が削られて冷静な判断ができなくなっているだけではなく、自分の心を嫉妬で揺るがす存在を排除したいという思いがそこにはあったのだろうか。

「イヤアアァアアァアァアア!! 」

柔の右腕と左足が切断されて地面に落ちる。
蛇口の壊れた水道のように血が溢れ出ている。
全身がビクビクと痙攣している。
それでも結は怪訝な表情をみせた。
彼女の想定した挙動ではなかったようだ。

「あれ、失敗? って、糸がでっかい塊に引っ掛かっちゃってるじゃん。よーし、もう一回」

片方1tの質量を誇る柔の乳房には、物理攻撃がほとんど通用しない。
それは糸によるものも例外ではなかった。彼女のオッパイはすべてを呑み込むのだ。
シスター服は引き裂かれ、手足も失ったが、爆乳のまわりは切断できず、結果的に即死を避けられた。
そして。
露わになった柔の乳頭は、乳白色に輝いていた。

時ヶ峰堅一と恋人どうしになったとき、本葉柔の胸にある決意が生まれた。
――もう、ケンちゃん以外の人には、絶対に見せてあげないんだから!
そして彼女の特殊能力の対象制約から、『猥褻な意図で服を脱がせて』という文言が削除された。
つまり。
結はレーザーの対象となる条件を満たしていたのだ。

「ボンバー!」

殺人光線がついに柔の乳首から放たれる!
けれどもその威力は最大出力には程遠く、生搾りした牛乳ほどの太さと勢いしかない!
結はひらりとかわす。
壁に当たったレーザーはやはり殺人光線といったところか、貫通してなお止まらなかったが、やがて消滅した。

「あっぶな」
「な、なんでこんなに弱いの!?」

愕然とする柔を見て、にまりと結が笑う。

「なんで? ふっふっふ、あなたのレーザーの弱点は把握済みなのだ」

柔の特殊能力にはもうひとつ制約がある。
それは、威力が特定の文字列に依存するということだ。
もちろん結はそれを知ることもできる。
なので、彼女は少なくとも自分はその言葉を使わないようにしていたし、羞恥心が柔の能力の原点であることを踏まえれば、柔がその言葉を直接発することもないだろうと予想していた。
はたして予想は的中。

「さあ、覚悟しろ」

攻撃手段を失った彼女の首に、無慈悲な糸が巻きついていく。
柔の首がまさに斬り落とされようとしたそのとき。

 BLAM!

銃声が響いた。
結の右手に衝撃が走る。
切断が中断される。
見れば、チョコレートがべっとりとくっついていた。
さらに弾丸が飛んでくる! BLAMBLAMBLAM!!!
自分に対する攻撃を認識した結は、操絶糸術を駆使してすべての弾丸を叩き落とした。
糸を確かめると、ここにもチョコレートがこびりついていた。

「だあれ?」
「お楽しみの時間は終わりだよ、お嬢さん」

狙撃手はレーザーが先程穿った穴から狙いを付けていたようだ。
防御されたスナイプに次ぐ攻め手を求めて、車輪が石畳を踏みしめる音とともに、裏手から安楽椅子探偵が姿を現す。
古沢糸子のピストルバリツが、本葉柔の命をすんでのところで繋ぎ止めていた。
チョコレートの甘ったるい香りが、地下墓地の空気を塗り替えていく。
それはまるで、秘密のcafeのように。






 《2》

刻訪結は新たに現れた女と如何にして戦うか、宙吊りになっている柔の後ろに隠れながら黙考する。
正気は若干怪しくなってきたが、以前と違って自分を少しは抑えられている。
……こいつのおかげかな。
彼女はマントの裾をぎゅっと握った。

対する古沢糸子は彼我の距離をあまり詰めず、間合いを計っている。
……チョコレート弾も安楽椅子の突進も、吊るされた女の子を傷つけかねない割には迎撃される可能性が高い。
それではあのお嬢さんが得をするだけだ。もっと確実な手段はないか。
……まあ、大立ち回りだけが探偵じゃない。
ここはひとつ、トラッシュトークといきますか!
幾多の『犯人』を地べたに這いつくばらせた、不可視のビターな弾丸が放たれようとしていた。

「いやあエグいねえ、刻訪結ちゃん。流石!」
「……なんで私が『刻訪』の人だと思うの?」
「私は探偵なんでね。……一般人にボコされるような刻訪は決勝戦まで来られないでしょ」
「ま、そうだね」

……うーん、イマイチ。まあジャブだし、まだ!
なら、このお話はどうかな?
糸子は燃料を撒くように言葉を紡ぐ。

「刻訪といえば刻訪サク、いや、朔か。あの子も迷宮時計絡みで姿を消してるらしいけど」

『刻訪』が対戦相手にいるとわかったので、基準(こっちの)世界でひととおり調査はしておいた。
結の気配が不快そうに濁るのが、暗がりの中でも手に取るようにわかった。
空気が淀んだ気がする。
かかったな。

「そいつの話はしないで。どいつもこいつも何回目だし」

声色にもあからさまに感情が乗っている。
若いねぇしかし。
そろそろ爆発しそうだな。

「お、いい反応だねー。じゃあついでにもうひとつ。お嬢さんの能力、コピー能力でしょ?」
「……」

ムスっとした顔の中に驚きが混じっている。

「べらべら喋ってるの聞いてたからわかるよ。しっかしあなたみたいにさ、自我が確立してないお嬢さん(ツインキー)にはねえ……。まだ早いんじゃない? このチカラは」
「だまれよ」

俯いて震えている。肩も声も。

「どうしてそんな能力に覚醒しちゃったのかは知らないけど……泣いてるよ? お父さんとお母さん」
「だまれ!! 」

怒りを剥き出しにした結は墓の底から出たような唸り声で叫ぶと、糸を向かわせた。
作戦成功だ……先に動いたな!
糸子の周りから死線が迫りくる中、彼女は安楽椅子をその場で高速回転させ始めた。
結の糸は時速250kmに及ぶ回転に巻き込まれて制御を失い、それに引っ張られて彼女自身も大きく体勢を崩す。
それを確認した糸子は銃弾を発射する。
狙いは回転が速すぎてまったく付けられないが、軌跡を操作できる彼女の能力があれば、どこに敵がいるかさえわかれば問題はない……はずだった。
しかし一度視線が切れて戻ってきた次の瞬間には、本葉柔の体が目の前に飛ばされてきていた。

「ぬわっ!?」

あわてて回転を止めて柔を受けとめるが、勢いあまって倒れ込んでしまう。
安楽椅子の自動起き上がり装置を駆使してなんとか元の体勢に戻ったときには、結の姿は消えていた。
柔を投げ飛ばした糸を回収するときにちゃっかり攻撃してきたようで、手首から血が出ている。

「いつつ……なかなかやりおる」

完全にブチ切れさせたと思ったのに、思いのほか理性が残っていたようだ。
あるいは、裏社会を生き抜いてきた使い手としての本能か。
どちらにせよ、厄介な相手には変わりはなかった。

腕に抱えた本葉柔の様子を診る。
医者じゃないので本当のところはわからないが、人の死には人より多く触れてきた。
出血量が多く顔面も蒼白で、もう助からないように思えた。
ケンちゃん……ケンちゃん……と、うわごとのように繰り返している。
その人がこの子の大切な人なのかな。
私は――

思考を中断し、懐から探偵七ツ道具の一『執念深い足跡者(パージストーカー)』を取り出す。
簡単に説明すれば、液を垂らした足跡と同じ形のものがなぜか光りだす不思議科学アイテムだ。
この子は可哀そうだけど、やっぱり元ハードボイルド探偵として、このシチュエーションは否が応にも燃える。
糸子は柔の体を地面に横たえると、暗闇の中にぼんやりと光る小さな足跡をゆっくりと辿って行った。


 ***


淡い道標を追いかけた先には、円形のやや大きな部屋があった。
天井は高く、中央の柱は骨を用いて樽状に配置されている。
壁を見れば、ハート型のアウトラインに沿って頭蓋骨が埋め込まれている。
空間の奥は祭壇となっており、十字架型のアウトラインに沿ってこちらも頭蓋骨が埋め込まれている。
おいおい、悪趣味だなあ。

そしてこの部屋には驚くべきことに、パリ市民と思わしき男たちがいた。
そういえば、進入したとき、人が通ったような痕跡があったことを思い出す。
怪しさ満点の黒装束に身を包んだ彼らは、全員気を付けの姿勢で壁に沿って整列している。
よく見れば、みんな糸で拘束されていた。
部屋全体は蝋燭の灯りにより、儚いながらも十分な光量がある。

中央の柱の影に銀色マントの少女が佇んでいる。
その瞳は、先程までと異なり、『紫』色に染まっていた。

「あら、早いじゃない」

話しぶりや表情もさっきまでとは全然違う。
余裕が端々から現れている。

「口調ブレてるぞ。今度は私のコピーかな? ていうか何なの、この惨状は」
「別に? なんか怪しげな儀式してて邪魔だったから、隅に寄ってもらっただけだよ」
「そうかい。まあ、広いほうが……こっちもやりやすいけど!!」

安楽椅子を糸が対応できないスピードで高速稼働させる。
質量が銃弾とは桁違いであるので、細い糸によってこれを止めるエネルギーを発揮するのは容易ではない。
狭い部屋であってもこの名機は自由自在の取り回しを可能にしていた。
直接体を糸によって攻撃されない間合いを保ちつつ、高速射撃を繰り返す。
 BBBBBBBBBBLAM!!!!!!!!!!
弾の出処を判別させない高速移動と縦横無尽の軌跡移動により、チョコレートの銃弾は容赦なく少女を打ちのめす!
そう思われたが、結果としてチョコレートは地面を汚すのみに終わった。
それを齎したのは、結が自らの腕に縫い込んだ『サヴォイ・トラッフル』。
彼女は本葉柔から奪ったチョコレート菓子を節分の豆のように放り投げ、軌跡を操作することによって糸子の弾丸を叩き落としていたのだ。

「完璧なコピーだね、流石ぁ! でも、気づいてるんだろう? ……こいつはどうかな!」

 BBBBBBBBBBANG!!!!!!!!!!

再び銃を連射するが、その発射音はさっきよりも重いものになっている。
糸子の弾は結のチョコレート弾を壊した後も勢いを止めず、そのまま彼女の体へと突き立てられていく。

雲類鷲ジュウの『くたばれPTA』によって『ACT2』へと移行した彼女は、恐るべき力を手にした。
その後、彼の能力の効果が切れた後も、その感覚は彼女の中に色濃く残されていた。
ある時は抑えきれない暴力的嗜好として姿を覗かせ。
ある時は強化された能力として顕現していた。

本来『サヴォイ・トラッフル』は『チョコレート弾』を自在に操作する能力である。
だが『ACT2』の残滓によって強化された能力は『チョコレート菓子弾』を自在に操る能力となっていた。
つまり、中に別の菓子を入れても操作が可能となったのだ。
結がビスケットをチョコレートが包んでいる菓子である『けんの山』をそのまま操作できたのもこれによる。
そして糸子が先程放った弾丸は、フランスの老舗『マゼ』が世に送り出す、ジャンドゥーヤチョコレートの中に丁寧にローストしたアーモンドが閉じ込められた逸品『カルージャ』。
ビスケットよりアーモンドの方が堅いのは明らかであり、結の弾丸を砕いてなお進む膂力がそこにはあった。

攻撃が鈍くなっていく結。
足元がふらついている。
アーモンド弾が彼女の体力を奪いつつあった。
一気に勝負をつけるべく、糸子はラム酒入りの麻酔弾『トリュフ・ノワール・バッカス』を装填する。


ここで、糸子はひとつ誤りを犯していた。
それは、戦いを経て強くなったのは、自分だけではなかったということだった。


「ぐ、あ……?」

銃を二丁とも取り落とす。
糸子の両手には大きな穴がぽっかりと空き、彼女の両袖を赤く染めていく。
何が起こったのかわからないという顔をした彼女めがけ、地面からレーザーが伸びる。
それらは容赦なく、安楽椅子探偵の残された躰を穿っていった。

結の右腕に刻まれた巨蟹宮の紋様に、板チョコレートのような幾何学模様が背景のように追加で刺繍されていた。
これが『赫い絲』の奥の手である、いわば能力合成である。
本葉柔の能力を得た時に自分には使いこなせないと思った結は、もう一人の対戦者の能力と併せてしまおうと考えた。
紅と蒼が交われば紫となる。
彼女は、『チョコレート菓子の軌跡を操作し、それが止められたとき残骸からレーザーを発射する能力』を手に入れた。
なお、レーザーの威力は、『チョコレート』という文字列の数に依存している。

『紫眼』を発動したのは過去に一度だけあったが、そのときは何が起こったのか全く覚えていなかった。
しかし、魔人同士の苛烈な命のやり取りを三度も乗り越え、そのたびに対戦相手の思いを受けとめてきた結は、かろうじてこの状態においても正気を保つことを可能とするに至っていた。
もっとも、かなり限界は近かったが。

「これだけは言っておきたいんだけど」

糸子を縛り上げて空中に固定する。
即座に殺さないところに結の精神疲労が表れている。

「『赫い絲』に私が振り回されてるんじゃない。私だから『赫い絲』を繰り出せるんだ。――からっぽの私だから」

全身から流血している糸子が彼女を睨みつける。
地面に落ちてしまった弾丸は操作できないので、そこから結が放ったレーザーの多くは外れ、急所にも当たらなかった。
けれどもはや、抵抗する体力も手段も糸子には残されていない。

「さあ、楽園へ還りましょう、お姉様……。なんてね?」

何が楽しいのか、うふふふふ、あはははははは、きゃははははははははと少女が嗤う。
その表情はとても可愛らしくて、とても可哀そうだった。
万事休すか、と探偵が思った次の瞬間。

先程まで繰り広げられていたものとは別次元のエネルギーを持った、光の奔流が狂いかけの少女を呑み込んでいた。

極太レーザーだった。
刻訪結は左腕を完全に消し飛ばされ、そのほかの部位にも酷い火傷を負った状態で倒れている。
壁際にいた男の何人かはもう跡形もない。
そして壁に開けられた大穴を、さらに崩しながら現れたソレを目の当たりにしたとき。
古沢糸子はその口から、乾いた呟きしか吐き出すことはできなかった。


「か、か、か……」


蟹がいた。
大きな大きな蟹がいた。
レーザーを撒き散らしている蟹がいた。






 《3》

(ケン、ちゃん……)

地面に横たえられた本葉柔は、意識をわずかに取り戻していた。
エクスカリバーの鞘の効果だ。
手足が再生するには至らなかったが、いつのまにか出血はほとんど止まっていた。
しかし、血を流し過ぎて力が入らない。
でも。
本葉柔は、遮光ゴーグルをそっとずらした。
だが文字列による加護を受けることもできず、光も届かないこの地下墓地では、M44エナジーが不足している。
このまま変身しても、せいぜいタカアシガニくらいの大きさにしかなれないだろう。
でも!
今の柔には輝きの剣クラウ・ソラスがある。
その手に強く握りしめ、ありったけの力を込めて叫ぶ!!

「ボンバァァァア!!!」

クラウ・ソラスが眩いばかりの閃光を放つ!!
首を大きく振って遮光ゴーグルを吹っ飛ばした。

「ピピピピッ! 3分間クッキング、はじまりー!」

彼女の迷宮時計であるキッチンタイマーが陽気な電子音声で宣言する。
ふたりの愛の結晶である宝剣の加護を一身に浴びた本葉柔の姿は、胸甲周4mに及ぶ巨大な蟹へと変貌していた。


 * * *


古沢糸子は恐怖した。

その蟹は名状しがたい威容を誇っていた。
圧倒的スケール。
圧倒的レーザー。
その破壊力はとどまることを知らないようで。

ゴミのように叩き潰され焼き尽くされていくパリの男たちを見て、彼女の決して貧相ではない胸を覆い尽くしたもの。
それは、根源的な畏怖。
己が力の及びもつかないところにある存在に対する、生存本能が呼び醒ます感情である。
それでも。

古沢糸子は諦めない。

……何のために戦っているかと訊かれたら、何と答えたらいいのだろうか。
成り行きで引き受けたような依頼のため、だろうか。
丸瀬十鳥の、後悔とない交ぜになった依頼。
廃糖蜜ラトンの、エゴイスティックの塊のような依頼。
しかしそのどちらも、彼女が命を懸けるに値する『依頼』であった。
真実の探究よりも依頼の達成を何より優先する――
それが彼女の、探偵としてはあまりに異端な生きざまだった。


動くものがいなくなった空間で、最後の標的を見つけた蟹が迫りくる。
……ざり。
……ざりざり!
ざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざりざり!!
見た目よりもずっと早い。
あっという間に距離を詰められると、轟と鋏脚が振るわれた。
安楽椅子が襤褸雑巾のように引き裂かれる。

空中に投げだされた糸子は、しかしてその瞬間を狙い澄ましていた。
攻撃の余動で無防備になっている蟹の、二本の眼柄の中心めがけて放たれたのは。
鉛弾にかえて化物を斃すために彼女が胸元に忍ばせていた、唯一の実弾。

――銀の弾丸(シルバーバレット)


命中した弾が、蟹の体組織を蹂躙していく。
奇跡が生み出した仮初の力で補填されたM44エナジーは、やはり100%の強靭さを引き出すには至らなかった。
巨大な蟹はその動きを止め、冷たい石の床へと崩れ落ちていこうとしていた。
……古沢糸子に、覆いかぶさるように。

「えっ」

移動手段を失った彼女に逃れる術はなかった。
ゆっくりと視界を埋め尽くしていく蟹の白い腹が、私の最後の光景?
ああ、クソッタレな幕切れだ。
ならば瞳は閉じてしまおうか。

そして彼女はぎゅっと両目を瞑り。
蟹は大地へその身を沈めると、二度と動くことはなかった。

…………。
いつまでたっても衝撃が来ないので、糸子がそっと目を開けると。
糸が絡みついた蟹の死体に、刻訪結が寄りかかるようにして立っていた。


 ***


「あなた、どうして?」
「別に。気がついたら人が押し潰されそうになってたから、助けただけ」

そっけなく答える少女の瞳は、元の漆黒に戻っていた。
ついさっきまでと比べれば、憑き物が落ちたような表情をしている。
糸子がそれを見るのは初めてのことだったが、ふとあの子、一切空のことが思い出された。
噂はちらほらと耳に入ってきたし、丸瀬には一枚だけあるという最近の写真も見せてもらっていた。

あの子の瞳は、透明な水の中に闇をひとしずく落としたような、純粋な黒だった。
一方でこの子、刻訪結の瞳はまるで全ての色を煮詰めたような、玄妙な黒だった。
これから先、その瞳には何が映るんだろうか。
娘のような年の差の少女の行く末が、気になって心に残る。

「そのケガ、大丈夫なの? 左腕吹っ飛んでる」
「ん、めっちゃ痛いけど、戻れば治るし、二回目だし。レーザーは見た目ほど威力なかった……やっぱり大本の文字列(エナジー)が欠けてたから」

もういちいちはしゃがないもん、と小さな舌をぺろりとだした彼女を見て、糸子は舌を巻いた。
……この年でここまで暴れられるとは、底知れない子だ。
結の口ぶりやその他の情報を総合すれば、突然現れた化物蟹の正体はなんとなく判った。
けれど、殊更に追及することはやめておいた。
真実(right)を導く枕詞(さて)は、そうそう安売りするもんじゃないからねぇ。
疲れが出たのか、とりとめもない考えが浮かんでは消えていく。
そんな糸子の顔を結はのぞき込んで、あっけらかんと尋ねた。

「で、あなたはどーすんの? 降参するなら勝手にどうぞ。しないのなら殺す」

苦笑いをしながら、彼女を見つめる糸子。
移動手段はないし、銃を握ろうにも穴のあいた両手じゃもうさすがに力がでない。

「あーもうわかったよ。降参!! …………クソガキ」
「大人げないんだ、おばさん♪」

決着を知らせるメロディーが、少しだけ死体の増えた地下墓地に鳴り響いた。






 -Ending-

 ††††

動くものが誰もいなくなった、カタコンブ・ド・パリの地下祭壇。
しかしその沈黙は破られた。
冷涼な闇に包まれた空間を切り裂いて現れたのは、身長2メートルを超す大男、時ヶ峰堅一だ。
けれどもいまや彼の膝は折れ、石の床と接している。

「柔」

見覚えのある巨大な蟹の殻が転がっていた。
傍らにあるのは二振りの宝剣と、王剣エクスカリバーの鞘だ。
剣と鞘が引きあう力を利用して、柔が行方不明になってからの長い時間と引き換えに、なんとか見つけ出したこの時空間座標で彼を待ち受けていたのは……恋人の無惨な亡骸と、受け入れがたい現実だけだった。

「初めてのデート……実は、俺も結構楽しみにしていた。照れ臭くて言えなかったが」

大きな掌が、大きな穴の空いた蟹の頭部を拾い上げる。
2tを超える体重の柔を軽々と運んでいた彼にとって、それはあまりにも軽すぎた。

「なあ、最強って、何なんだろうな」

静かに語りかける。
最強? それはね、私とケンちゃんのタッグだよ! ボンバー!!
頬を染めながらも元気に応えてくれた彼女は、もうどこにもいない。

「……なにが最強だよ……畜生! チクショウ!!」

拳を叩きつける堅一。
石畳にクレーターが刻まれていく。
罅割れた床には、滴るはずのない雫がいくつもいくつも染み込んでいった。

 ††††



 ■ ■ ■

がらがらと歪んだ車輪をどれだけ回しただろうか。
陰気で悪趣味な空間ともこれでおさらばだ。
私はついに地下墓地を脱出した。


刻訪結の勝利が確定したときに流れてきたメロディー。
私が前の試合で勝ったときもかかったと言うと、彼女は尋常じゃない食いつきを見せた。
冷静に考えたら、勝者に全員同じ特典が与えられるのは普通のことだ。
けれど彼女には何か思う所があったのだろう。
迷宮時計について知っていることがあったら教えてほしいとせがんできた。

私は、安楽椅子を彼女の糸で可能な限り修復させた。
有益な情報には対価が求められる。社会の当然の摂理だ。
まあ、あの子は十分にそれを理解していたけどね。

辛うじて車輪が動くことを確認した私は彼女に、どのようにして迷宮時計が私に連絡をよこしていたかを教えた。
私が所持していた迷宮時計は終末時計。その針は正しい時刻を示すことはなく、ただ残りの時計所持者の人数を午前零時までの分数で伝えていた。
では、どうやって私は飴石英らの名前を手に入れ、調査していたのか?

簡単だ。メールが来ていたのだ。
ふざけた舞台の主催とおぼしき人物から届くメールは開幕の24時間前に届き、対戦相手の氏名と戦闘空間を告知した。
それに従い私は調査を行っていた。他に拠るべき情報は無かったから。
メールアドレスはもちろん調べたが、基準(私の)世界には存在しないアドレスだった。
携帯を持たない人にはどうやって連絡しているのか、それは私の知るところではない。
矢文でも送ってるんじゃないか?

つまらない冗句はさておき、それを聞いた彼女は驚いたような、納得したような表情をして、私に彼女の携帯の画面を見せてきた。
私はこの世界で遊んでいる存在の一端を、垣間見たことを確信した。


あるいはそれは、最初から隠すつもりなんてなかったのかもしれない。
あるいはそれは、私や彼女の想像をも遥かに超えた存在なのかもしれない。
しかし私にここから先を語る権利はない。
なぜならそれは、この舞台に最後まで立ち続けた勝者(ナンバーワン)にのみ与えられる『賞品』であるからだ。
私は負けてしまった。敗北者の言葉は唯一(オンリーワン)の真実には届かない。
え、センスがおばさんっぽい? 殺すぞ。

けれど、生きることは許されている。
ならば私は本を書こう。
たとえ狂人の書だと嘲笑されても、私が見出した真実が偽りであることを証明することもまた、この世界では誰にもできないことなのだから。
それになんといってもパリだ。実はずっと行くのが夢だったのだ。フランス語を勉強した甲斐があった。
湧きあがる期待に胸を躍らせながら、とうとう私は光射す空の下へと車輪を踏み出した。


初めて目にした花の都は、地獄そのものだった。


街が燃えている。人が燃えている。人が撃たれている。人が倒れている。
1871年。「血の一週間」と呼ばれた戦闘の嵐が吹き荒れる、パリコミューンのさなか。
……なのでしょう、たぶん。
新聞読むなり街の人に話を聞くなりしないことにはなにもわからない。

いずれにせよ、目の前に広がる阿鼻叫喚をやり過ごすことができなければ、私の物語はここでおしまいだ。
いいだろう。抗ってやる。
ブラック・ラベルのハニー添え、なんて地獄のような取り合わせもいいけど……。
折角だから、本場のショコラ、食べていこうかな。

 ■ ■ ■



 ◆◆

墓標を後にした私は、パパとママが待つ車へと踵を返す。
お母さんとお父さんには銀色マントの話もちゃんとしたし、あとちょっとで戦いが終わるという話もした。
学校の話ができないのが、心の底から悲しかった。
話し過ぎたかな、頭にちょっと雪が積もっている。
また世界に白が重なっていく。

ふと植えられているツバキに目をやると、花がふたつ地面に落ちていた。
やがて雪に埋もれて、土に還るのだろう。
私のツバキは、ずっと咲き続けるけどね。

パパとママは私の姿を見ると、泣きながら喜んでくれた。ちょっと恥ずかしいけど、やっぱりうれしい。
車に乗りこみ、後部座席で毛布とマントにくるまって、ごろんと横になる。つかれた。
前回はあとコンマ一秒でも私の糸が遅かったら場外負けになるところだったけれど、今回もわけのわからない能力の人がいたりして大変だった。それをいったら最初の試合からそうだし、私も人のこと言えないけど。

髪飾りを外してポケットにしまう。
けっこう髪の毛伸びたなあと思い返してみれば、最近ずっと美容院に行ってない。
私、この戦いを生き残ったらかわいくカットしてもらうんだ! なんちゃってー。
わらい声がもれてしまったのか、ママがこっちを向いて微笑んだ。うう……。

新しく届いたメールを読み直す。
勝利特典は相変わらず微妙なのばかり。
それにしても探偵さんがくれた情報はおどろきだった。
言いたいことはいっぱいあるけれど、とりあえずねむい。
だいたい、全部勝たないといけないことに、変わりはないから。
祝勝会と次ラスト祝いの話をパパとママにするのは、家に帰ってからにしよう。

待ってて、お父さん、お母さん、お兄ちゃん。
待ってろ、真実。

――赤を手に入れる(のぞみをかなえる)のは、わたしだ。

 ◆◆



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[To]mytrueuniverse@xxxxxxx.xx.
[From]remember05.lo_vl.carnation03@xxxxxxx.xx.xx
[件名] 試合終了
[送信時刻]2015/1/30 20:37:23.049
[本文]
裏決勝戦の試合結果を発表いたします。

【裏決勝戦】
勝者:【刻訪結】
おめでとうございます!
あなたは【裏バトルロイヤル】の【優勝者】です。

【裏第二回戦勝利特典】として、貴方の所属する世界への帰還に【24時間00分00秒】の猶予が与えられます。
時間到来前の帰還を希望される場合は、表示されている画像をタッチしてください。
なお、【対戦者】が所持していた物の持ち帰りは可能ですが、【戦闘空間】の物の持ち帰りはできません。
また、猶予時間内に貴方が死亡した場合は、自動的に転送が開始されます。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●【帰還】●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●

【裏決勝戦勝利特典】として、【次試合までの残時間】を告知いたします。
【最終試合】までの残時間は【336時間00分00秒】です。
残時間は帰還時点より減算されます。
対戦組み合わせ発表は試合開始24時間00分00秒前に行われます。

【裏バトルロイヤル優勝特典】として、【対戦拒否権】が授与されます。
【最終試合】への参加を希望されない場合は、帰還後に表示される画像をタッチしてください。
拒否権の行使期限は、【対戦組み合わせ発表24時間00分00秒前】です。
なお、拒否権を行使した場合、貴方のステータスは【RETIRE】となります。
=画像表示領域=

現時点(2015/1/30 20:37:23)の【残り人数】は【2人】です。
ご健闘をお祈りいたします。



…結丹ちゃん、がんばってね

※このメールは送信専用です
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 [了]

最終更新:2015年01月30日 07:27