決勝戦SS・空港その3


【episode.0  Lily of da Valley】
【episode.1  My Friends' Anthem】
【episode.2  静かな日々の階段を】
【episode.3  Fake×Life】
【Interlude   Step show】
【episode.4  陽はまたのぼりくりかえす】
【episode.5  Amploud】
【episode.6  百合の咲く場所で】




【episode.0  Lily of da Valley】

我々の長い探索は、ようやく終わりを告げようとしている。

――たどり着いた場所は、青森県、奥羽山脈。
古より何人もの遭難者を続出させた、峻厳なる山岳地帯である。

その裾野に、小さな廃墟がある。
あたかも谷間に咲く一輪の百合のような、慎ましい生活を想像させる集落の廃墟。
廃墟には、いまではひとりの老人が住むのみである。

その老人こそが、我々の探し求めていた人物であった。

「――よく、ここがわかりましたな」

眼光鋭い老人は、我々の姿を見ると、深いため息をついた。
それは溜め込んだ長い年月を吐き出すような、重く、乾いたため息だった。

「いずれにせよ、語るべきときが来たということでしょう。
 あなた方のような人が、こうして、この里へいらっしゃったからには」

老人は、瓦礫の上に腰掛けた。
我々が何を求めてここへ来たのか、彼はすでに知っているようだった。

「私どもの里が滅びた理由を、打ち明けましょう。
 この星に生きる者すべてにとって、必要なことかもしれません」

そうして、老人は語り始めた。

「我々の里を滅ぼしたのは、まさしく”天敵”の出現でした――」



* * *

アメリカ行きの便は、まもなく乗客を迎え入れるだろう。
その時刻が近づいている。
空港の待合ロビーが少しずつ、騒がしくなりつつあった。

そんなロビーの片隅に、彼らは居た。
おそらくは、これから旅立つ友人の見送りか。
数人の男たちが、トランクケースを抱えたひとりの男を囲んでいる。

「――どうしても、行くのか?」

「ああ」

トランクケースを抱えた男は、ごくわずかにうなずく。
目深にかぶった帽子のせいで、表情はうかがえない。

「この国には、俺が探しているモノはない」

だが、その声には、はっきりとした決意の色があった。
それから少しの沈黙。
あるいは慰留のことば、あるいは旅立ちを祝福することばが、
束の間失われて宙を漂った。

そうして見送りの一人が、迷った挙句に声をかける。

「行くなよ」

そこには、むしろ怒ったような響きが含まれていた。

「俺たちは、お前と一緒にまだ……やりたいんだ。
 もっとできるはずだ。そうだろう?」

強い語調でまくし立て、トランクケースの男の腕を掴む。

「なあ、聞けよ降谷。俺は信じてる。俺たちなら――」
「無理だ。それはできない」

ぎこちなく首を振り、男はトランクケースを担ぎなおす。

「行くよ、やっぱり。決めたんだ。
 お前たちには感謝してる。ただ、俺は、本物の――」

彼は何か、決定的な別れのことばを告げようとした。
その瞬間であった。

――空港に轟音が轟き、待合ロビーにボーイング787ドリームライナーが突っ込んできた。
翼が砕け、エンジンが火を吹き、待合室にいた多数の客が吹き飛んで死亡した。
トランクケースの男も、見送りの友人らしき男たちも、
ぽかんと口を開けてそれを眺めていた。

そして騒乱が始まった。


* * *

【episode.1  My Friends' Anthem】

潜衣花恋は祈る。

胸元からぶら下がるペンダントを握り、待合ロビーの片隅に腰掛け、ただ祈る。
銀色に輝く十字架――いや、百合の花を象ったペンダントは、
姉と一緒に買った、お揃いのものだ。

それはもう過ぎ去って、取り返しのつかない彼方にある思い出。
潜衣の記憶の中で、彼女の姉は微笑みながら、銀色のペンダントを差し出している。
その姿のまま止まっている。

好きなアーティストが身につけているペンダントと、同じものだと姉は言った。
――ミーハーでしょう?
と、潜衣花恋の姉は笑った。

(もしも)

潜衣花恋は、ペンダントを強く握り締めて祈る。
その手は過去に殺してきた対戦相手の血に塗れている。
どれだけ洗ったところで、その感触が消えるはずもない。

(だけど、もしも)

もはや潜衣花恋には、このペンダントを身に付ける資格はないのかも知れない。
それでも潜衣は祈らずにはいられない。

(もしも許されるなら。
 私がもう、愛花姉の微笑みを向けられるに値する人間じゃないとしても)

潜衣は祈った。

(心から、私は愛花姉の結婚を祝福したい。
 もう胸を張って、一緒にいられない私だから――
 せめて、愛花姉の幸せを心の底から祝福したい)

面と向かって祝福するには、潜衣花恋の手は血にまみれすぎている。
だから、ただ祝福を願う。
もしも迷宮時計が本当に、
どんな願いも叶えてくれるとしたら、彼女が願うことは――。


「――お姉さんのことを、考えてるの?」

ため息をついた潜衣花恋の、背後から声がかけられた。
その接近には潜衣花恋も気づいていた。
近づき方が、露骨すぎた。

「まあね」

潜衣花恋は立ち上がり、振り返る。
そこにいるのは、疑いようもない。
今回の対戦相手。
戦うべき相手、殺すべき相手、積み重ねるべき石積みのひとつ。

「馴染おさな――だろ。あんた。
 なんでわざわざ私に声をかけた?」
「別に?」

馴染おさなは、皮肉っぽく微笑した。
取り繕った様子のない、自然な微笑だった。

「参加者同士がいきなり殺し合わなきゃいけない。
 そんな決まりないでしょ? おしゃべりを楽しんじゃ悪い?」

「悪くはない、かな」

潜衣花恋は答えながら、警戒を強める。

――馴染おさなの能力を、潜衣花恋は知っている。
山口祥勝という強力な情報収集ソースとコネを持つ潜衣は、
馴染おさなのスペックとパーソナリティを知悉するに至った。

結果として、もっとも警戒すべき能力者として考えるしかなかった。
もしも馴染おさなが自分に対して能力を使えば、潜衣花恋は敗北必至であろう。
その甘さが潜衣花恋の中にある。

無慈悲に、残酷に、いままで殺してきた相手のためにも、覚悟して戦う。
そう思い込んだつもりでも、ぎりぎりのところで本質的な甘さは顔を出す。
潜衣花恋はそのことを自覚している。

だから馴染おさなが、いまだ自分に対して能力を使わずに、
こうして近づいてきていることは不可解なことであった。
同時に、脅威でもある。

「ただ、あんたが」

警戒しながらも、潜衣には様子を伺うことしかできない。
同時にそれは確認作業でもある。

「あんたが、単なるおしゃべりのために近づいてくる人間だと思えない」

「そうかな? お互いに、有益な情報交換をしたいんだけど」

「じゃあ、私から先に教えてやるよ。有益な情報。
 この待合ロビー、天井が高いだろ?」

潜衣は頭上を指さし、同時につま先で一度だけ床を叩いた。
コツ、とかすかな音が響く。

「気流……空気の流れって、結構複雑なんだ。
 屋内でもこれだけ広い空間だから、それが生まれてる」

「そう」

馴染おさなは、視線を動かすことはなかった。
それだけでなく、一歩、間合いを詰めてきた。
トリックによる時間稼ぎは通用しないということを意味する――
馴染は、ぴたりと潜衣を見据えたまま、少し首をかしげる。

「それで? 潜衣花恋。
 あなたは私に天井を見せて、どうしたいの?」

「たいしたことじゃないよ。確認作業だ」

いずれにせよ、彼女がやるべきことは一つ。
馴染おさなが、いま能力を発動させていないという、この状況。
これが罠であれ、なんらかのトリックであれ、
やるべきことは一つしかない。

それは、速攻。

「悪いんだけど、馴染おさな」

潜衣花恋は、胸のペンダントを握り締めた。

「私には、私の理由がある。覚悟を決めたよ。
 あんたは鼻で笑うかもしれないし、たいしたことない覚悟だけど。
 ――あんたを殺すよ」

「まあ、鼻で笑うよね。
 それって言葉にしないと覚悟が決まらないから、
 言ってるようなものでしょ?」

馴染おさなの表情は、さきほどから張り付いたような微笑であった。

「あなたの場合、私の幼馴染にする必要はないと思ってるの。
 だって、あなたは」

馴染おさなは、ロビーの一面を覆う窓ガラスを指さした。
その瞬間であった。

――空港に轟音が轟き、待合ロビーにボーイング787ドリームライナーが突っ込んできた。

「こういうことなら、きっと、私と一緒に戦ってくれると思うから」

窓ガラスはことごとく砕け散り、次の便を待っていた乗客が数十人単位で死亡した。
苦痛の悲鳴と、驚愕の絶叫が交錯し、待合ロビーに炎と煙が吹き荒れた。

潜衣花恋の顔が青ざめる。

「お……おい、こいつは……!」

「三人目でしょ? 他に誰かいる?
 こういうことするタイプだと思ってたんだ」

馴染おさなは、改めて潜衣花恋に微笑みを向けた。

「ね。能力なんてなくても、私たちって友達になれそうじゃない?
 見過ごせないでしょ? こういうの」

そしてボーイング787ドリームライナーの、
その機体の上から奇怪な跳躍力で飛び降りる影が一つ。

「キヒッ!」

その影は、喉の奥から軋むような声をあげた。
恐ろしく長い舌に、神父服。
さらには両手にバイオリンと、その弓を抱えていた。

「さあああぁぁぁーーー皆さああぁぁぁぁ~~~~ん!
 楽しい楽しいオーケストラの始まりですよおおぉぉ~~~!
 本日は海外から素晴らしいアーティストがやってきましたァァァーーーッ」

長い舌がうごめき、その男の口上が始まる。

「この私がついに来日して差し上げましたからにはぁ~~~……キヒッ!
 美しくも残酷な賛美歌を奏でさせていただきましょう……
 あなた方の悲鳴と絶叫でねェェェーーーーッ!!!」

その男こそは、綾島聖。
音楽や美術にも造詣が深く、
休日にはバイオリンを嗜む、希望崎学園の怪人であった。


* * *

【episode.2  静かな日々の階段を】

(――この形)

馴染おさなが考えるパターンのうち、ほぼ理想形の一つであった。
手を組むならば、潜衣花恋。
それも彼女の性格を考えれば、能力を使う必要すらない。

(まずは、綾島聖にダメージを蓄積させる)

馴染おさなは、綾島聖が着地するよりはやく動き出す。
コートの内側から引き出し、構えるのは拳銃。

馴染おさなにとって、こうした武器の調達はまったく簡単な作業である。
警察関係者を幼馴染化し、「借りる」だけでいい。

「援護よろしく。罪もない人は救ってあげないとね?
 一回戦の彼女の願い、そうじゃなかった?」

「……くそっ」

潜衣花恋は悪態をついた。
しかし、どうしようもないだろう。
馴染おさなの目的通り動くほかない。

魔人として強力な物理攻撃手段を持たない馴染おさなだが、
彼女の武器はそこにはない。
その能力ですら、彼女にとって最大の武器ではない。

言葉と状況誘導によって、精神を操ること。
それが馴染おさなの本質的な武器であり、彼女を守る盾でもあった。

結果、潜衣花恋は走り出した。
綾島聖を攻撃するために。

「さああぁぁぁぁ~~~、聞いてくださあぁぁ~~~い……
 私の奏でる平和と愛のメロディ~~~~!
 皆さん、超音波というものをご存知ですかァァ~~~~?」

綾島聖は、バイオリンに弓を構えた。
その構えは、おおよそ正しいバイオリンの構えとは似ても似つかない。
だが、それで問題などない。
これは綾島聖の《演奏会》なのだから――

「この私の優雅な殺人昼下がり音波演奏で死に絶えヒャァァァーーーッ!」

綾島聖のバイオリンの音色が、あたかも悪霊の絶叫のように響き渡る。
それは明らかに訓練されていないバイオリン奏者の手捌き。
演奏と呼ぶのもおこがましい。

殺人的な音域による、バイオリンの悲鳴のごとき音色は、
まさに超音波兵器となって周囲の人間を無差別に襲う。

「けぱッ!」
「ぎひひゃ!」
「ごばらあぱ!」

彼の間近でバイオリン殺人音波を浴びた数人の一般人が、ユニークな悲鳴をあげた。
頭を押さえ、耳から血を噴き出して悶絶!

ついでに綾島聖自信も、耳から血を出して悶絶!
当然だ!
自分自身の演奏を間近で聞いた報い!
バイオリンの音色は即刻停止!
数人の罪もない一般人を虐殺しただけで、演奏会は強制終了!

結果として綾島聖は、歩みを止めなかった潜衣花恋の接近を許す。
そして彼女との接触を嫌って逃れようとする彼を、銃弾が襲う!

「逃がさない」

馴染おさなの銃撃であった。
じゅうぶんに距離をとっていた彼女は、冷酷に狙いを定め、発砲している。

「キィヒーーーッ! 無駄ですよぉぉぉおおぉぉ!
 これこそ我が能力《剛魔爆身》、権天使の形相!
 その速度はチーターのそれをはるかに凌駕し、
 銃弾ですら発射されるのを確認してから回避可能ゥゥゥ!
 さあ、このスピードについてこれるかなあぁぁーーーッ!」

綾島聖の舌が高速で動き、己の能力を説明し、
ついでに猛然と回避行動をはじめる。
馴染おさなは、表情も変えずに首を振った。

「まあね。当てるのは無理。
 だからこれはただの援護で」

銃弾はすべて綾島聖に回避された。
だが、当然のように綾島は気づかない。
その弾丸の軌道が、彼を一方向へ狙って追い込む援護射撃だったということに。

「本命は、そっち」

「キヒャッ!?」

綾島聖の顔面を、床から引き剥がされた大型の椅子が直撃していた。
スピードに特化した形相をとっていた綾島は、たまらず地面に転がる。
無論その椅子は潜衣花恋が投げたものである。

「やっぱり。いい友達になれるよ、私たち」

「冗談じゃない」

潜衣花恋は吐き捨てるが、動きは止めない。
その狙いは、綾島聖との接触。

触れば殺せる。
あるいは、戦闘不能へ確実に追い込める。
潜衣花恋の能力は、そういう能力だ。

綾島と花恋の距離が瞬く間に縮まる。
だが、あと一歩――ちょうど、その間合いで綾島聖が跳ね起きる。
カマドウマのごとき、奇怪な動きだった。

それでも普通ならば、そのまま近づけば綾島聖も
なすすべなく接触を許していただろう。
だが潜衣花恋の接近は止まった。

――理由は、綾島聖。
その身体に施された、異様な仕掛けである。

「おぉぉっとぉぉぉ~~~~~!
 いけませんねエェェ~~~?
 私の演奏会を、無粋にも中止させようとは……キヒィッ!」

綾島聖が、その神父服をまくりあげる。

「コンポジション・フォォォォォ~~~~!!!」

神父服の内側で、彼の身体に巻きついているのは、
俗に『C4』と呼ばれる軍用プラスチック爆薬。
時限装置が作動し、爆発までの時を刻んでいる。

「いかがですか?
 よぉぉ~~~くご覧くださあぁぁ~~~~い……!
 この爆弾がどうすれば動作してしまうのか!?
 凄惨なる爆殺血みどろフィナーレが始まってしまうのかをねぇぇーーーッ!」

そのとおり。
あからさまに取り付けられた心電図モニターは、
彼の命と爆弾が連動していることを示していた。

「これであなた方は私に手を出せませぇぇぇんねええぇぇぇぇ!
 さあ、命が惜しければ私の美しい残虐演奏の調べで
 天国への階段を静かに昇ってくださいぃぃぃいいヒャアァァァ~~~~ッ!」

絶好調でまくしたてる綾島聖。
その手には再びバイオリンが構えられる。
再び殺人音波を繰り出そうというのか。

「――馴染おさな。外すなよ」

潜衣花恋はつぶやき、一瞬だけ振り返った。
馴染おさなはそれに答え、うなずきを返してやる。
他でもない。潜衣花恋ならばそうすると、馴染おさなは信じた。

「大丈夫。私、こういうの得意だから」

馴染おさなは、即座に発砲した。
反射的にかわそうとする綾島聖の体を、潜衣花恋が押さえ込んだ。
何発かの弾丸が、綾島聖の胴体を抉る。

綾島の糸目が驚愕に見開かれた。

「ギ、ギヒッ!?
 なんということを!
 私のバイタルサインが止まれば、このC4であなたたち諸共に爆殺――」

「――その爆弾から、爆発力を”奪った”」

潜衣花恋は、綾島聖を押さえ込んだままささやいた。

「天国でもなんでも、あんた一人で行ってこいよ!」

すでに、彼女たちの周囲から、民間人は退避している。
待合ロビーに残っている人間はほとんどいない。

だから潜衣花恋は、魔人の脚力で、思い切り綾島聖を蹴飛ばした。
綾島聖は大きく吹き飛び、そして――

「あのさ。こっちは、貰うけど」

潜衣花恋の手には、心電図モニタが握られている。
蹴飛ばす際に引きちぎったものだ。
それは綾島の起爆装置が、バイタルサインの消失を認識したことを意味する。

潜衣花恋は首を傾げた。

「”爆発力”の方は、これから返してやるよ」

「キヒッ!?」

吹き飛びながら、綾島聖は数秒にも満たない間に、
その長い舌を回転させて命乞いをした。
それはなんという芸術的なまでの早口であっただろうか。

「ど、どうかお許しを!
 私はあなたたちを残虐爆殺死ィヒャするつもりはなかったのですゥゥ!
 これは偶然! 偶然にも、うっかり爆弾を巻きつけてしまっただけなのです!
 神の名のもとに愛と平和で仲良く私を許しましょう!
 憎しみと破壊はなにも生みませんからあああぁぁぁ~~~ッ!
 どうか命だけは! 心を入れ替えます! そ、そうだ!
 あなたに反逆する人間を、片っ端からブチ殺して差し上げましょう!
 そして潜衣花恋帝国を築き上げるのですうううぅぅぅ~~~~っ!
 一生ついていきます、潜衣花恋さまぁぁぁぁ~~~っ
 どうかお許しを、お慈悲を、神のご加護を~~~~~っ!!!」

「うるせえよ」

潜衣花恋はろくに彼の言葉を耳に入れなかった。
早口すぎて聞き取れなかったのだ。

「吹き飛べ」

次の瞬間には、TNT換算で1.3倍を超える爆発が、
綾島聖の体を吹き飛ばしていた。
はるか上へ、天国への静かな日々の階段を登るように、上へ。
待合ロビーに、爆風が吹き荒れた。

「――あんなやつが、ここまで残ってるなんてな」

あまりにもレベルの低い相手だと、そう思った。
しかし、止めは刺さなければいけない。
綾島聖のタフネスも本性も、ミスター・チャンプとの戦いで放送された。
いまや周知の事実である。

「花恋」

そのとき、背後から名前を呼ばれる。
馴染おさなだ。

「大丈夫?」

「ああ」

潜衣花恋が振り返ると、見慣れた顔がそこにあった。
どこか皮肉っぽく、しかしどこか優しい、いつもの親友の顔だ。
理由もなく安心する。
我ながら単純なものだ、と潜衣花恋は思う。

「そっちこそ無事か?
 やれやれ、ひどい爆発だったな」

「まあ、そうだけど」

馴染おさなは、ごく自然に笑った。

「いつだって、私たちなら大丈夫。でしょ?」

潜衣花恋の目から見て、その笑顔は、
今日ばかりはどこか空虚な笑顔に感じられた。
理由もなく、胸が痛んだ。


* * *

【episode.3  Fake×Life】

効果的な幼馴染みへの入り方には、いくつかのパターンがある。

まず、幼馴染み化したい対象が、
事前に馴染おさなの顔と名前を知っていること。

山口祥勝を通じて情報収集をしてしまった潜衣花恋は、
この条件を満たしてしまった。
馴染おさなの顔とプロフィールを知り、能力を知った。

それから、実際に友好的な接触を果たすこと。
あるいはその体験を得ていること。
”共闘”という形で、馴染おさなは潜衣花恋との「体験」を獲得した。

極めてスムーズな幼馴染みへの入り方といえる。
幼馴染み感を可能な限り高めた状態で、潜衣花恋を幼馴染み化することができた。
この能力の真骨頂は、ここからである。

幼馴染み感を極限まで高めた状態で、
とある条件を満たすことにより、相手を半奴隷化することができる。
それが馴染おさなの能力の、真の使い道だった。

狙うのは、潜衣花恋と綾島聖の相討ち。
「敗北することができない」とされる綾島聖だが、
馴染おさなは攻略のパターンを、いくつか導き出していた。
そのひとつが自分以外の第三者との相討ちである。

ゆえに、馴染おさなは着実に、潜衣花恋を攻略するステップを進めていく。

「――もし、あの子が」

馴染おさなが発した言葉に、潜衣花恋は、びくりと肩を震わせた。
やはりこれだ。
馴染おさなは手応えを感じた。

「もし、あの子がここにいたら、何ていうかな?」

「そんなの、決まってるって」

潜衣花恋の眉間が歪んだ。
”あの子”という表現を、彼女なりに解釈したのだ。
その存在は、潜衣花恋と馴染おさなの共通の友人というニュアンス。

すなわち、菊池徹子。
馴染おさなを、古くからの友人として受け入れるために、
潜衣花恋の記憶は改竄された。

馴染おさなは、菊池徹子とも面識がなければおかしい。
潜衣花恋の歴史では、そういうことになる。
いま潜衣花恋の頭には、三人で何度も遊んだ経験が捏造され、刷り込まれていた。

「徹子なら、私たちでなんとかしよう、って言うと思う。
 こんな馬鹿みたいなゲーム、ぶち壊そう――とか。
 はは。実際、そうだったんだよ。
 私と、徹子は、一回目の戦いでそうしようとした」

潜衣花恋と、菊池徹子の戦いのことなら、情報収集は済んでいる。
こと情報戦に関してならば、馴染おさなはこの戦いの参加者において、
屈指の実力者であるといえるだろう。

だから、そこから切り崩す。
残酷だとは理解している。
最も感情を揺さぶるのは、すなわち友人を自らの手で殺した記憶だ。

できるだけ大きく、素早く感情を揺さぶり、
クライマックスを手短に引き寄せるのが馴染おさなの持つ――いわば、《幼馴染み術》。

「あのさ」

馴染おさなは、長くもなく、短くもない沈黙の後で声を発する。

「その、結果は? 花恋がここにいるってことは――」

「ああ。ダメだったよ。徹子は私が殺した」

できる限り、淡々と告げようと努力しただろう。
潜衣花恋の声からは、その気配が伝わってきた。

「そう――だよね」

ここだ、と思った。
馴染おさなは、つぶやき、さらに揺さぶる。

「いままで怖くて聞けなかった。
 でも、よかったと思う。徹子も、花恋が相手だったから」

「なあ。私は、その――おさな――」

「わかってる。いいよ」

馴染おさなは、寂しそうな笑顔を浮かべた。

「花恋が、私を殺すんでしょ? いいよ。
 私も、特別に、花恋になら殺されてあげる。
 こんな異世界で一人ぼっちに取り残されるより、ずっとマシ」

「おい――」

潜衣花恋の頬が引きつった。

「おいおいおい――待てよ。まだ私は何も――」

「でも言おうとした」

回答はない。
やはり図星だ。
馴染おさなは、潜衣花恋の心境へ薄暗い嫉妬を抱いた。

――これだけ血に塗れていても、彼女の心には、どこか、
柔らかく純粋な何かが残されている。
それが、図星をつかれたことによる沈黙の意味だ。

ならば容赦なく、そこを攻める。
馴染おさなは、その部分に訴える。

「花恋が私を殺してほしい。他の誰でもなく。
 ――覚悟を決めたんだよね?
 徹子を殺したときに、何があっても、戦い抜くって」

「……お見通しだな、おさなには」

「そんなの、誰だってわかるよ」

馴染おさなは、もう一度微笑んだ。

「だから、私を殺して。
 最後の戦いのために」

「おいおいおい、待てって。何も殺さなくてもいいだろ?
 お前が、この世界に残るとか、さ――」

そこまで言ってしまってから、潜衣花恋は顔をしかめた。
この世界に取り残される。
その意味を、彼女なりによく知っている。

「――悪い。どっちにしろ、最悪だな。
 でも、おさな。私は本当に――」

「そうだね」

簡単な肯定。
だがすぐに首を振る。

「でも、やっぱりダメだと思う。
 花恋が私を殺さないと許してあげない。
 本当はね、これはただのワガママで、私が意地悪なだけ」

「なにを言ってるんだよ、おさな。
 さっぱりわかんねーよ」

「きっと花恋なら、ぜんぶが終わったら、
 私たちみんな助けてくれるでしょう?
 それでも、徹子は羨ましい、って――私はそう思う」

「なんで――」

「花恋の記憶に残ったから」

馴染おさなは、次の一手を詰める。
それはチェスの定石のように、精密で淀みがない。

「私、失恋したんだ」

馴染みおさなは、言葉によって花恋の感情に切り込む。
それこそが彼女の武器。
この戦いにおいて、彼女の強さの根幹を成すもの。

「っていうか、失恋してたことに気づいた、っていうかな。
 私の好きな人が、他の人を好きだった。
 でも好きな人には生き残ってもらいたいし、その記憶に残りたいって思う。
 ――特に、私を踏み台にしていく相手には」

馴染おさなは一歩近づく。
そして花恋の手を握る。
幼馴染み感の急激な高まりを感じる。
もともと高かった幼馴染み感が、最高潮に達しようとしている。

空港というロケーション。
命をかけた戦いというシチュエーション。
彼我の過去、関係性に関する設定。

馴染おさなの『告白』による隷属化は、相手がそれを受け入れるか否かは関係ない。
その状況が成立さえすれば、自動的に達成される。

ゆえに、彼女は、潜衣花恋の手を握った。

「これで花恋は、私から何でも好きなものを奪える」

「やめろよ、おさな」

「花恋」

あと一撃。
馴染おさなは、必殺となる一撃を準備していた。
それで潜衣花恋を幼馴染み感の奴隷とできる。

「私、花恋のことが――」

だが、その一撃は致命的に遅すぎた。
あまりにも無慈悲に”それ”はやってきた。

”それ”とは、すなわち――


* * *

【Interlude   Step show】

――場所は青森県、奥羽山脈。
そこで生き残っていた”あの一族”の末裔に、我々取材班はついに邂逅を果たした。
以降は、我々と老人との会話を、インタビュー形式に記したものである。


* * *

「さて――どこから始めたものでしょうか。
 ”あれ”のことを、あなた方は何と呼んでおられますか?」

――”あれ”とは?

「我々はみな、”あれ”に滅ぼされました。なすすべがなかったのです。
 何代にも渡り磨いてきた我々の技は、
 不思議なことに”あれ”にはまったく通じませんでした」

――にわかには信じ難いことですが。

「本当です。”あれ”に対して、我々の――そう。
 《幼馴染術》は、まったく無力でした。
 幼馴染みとは、術です。理論化され、体系化された技術。
 それが理不尽にも、一瞬で無効化されたのです――初めての経験でした」

――そんなことが有り得るのでしょうか?
――いま現在、『幼馴染み』はあらゆる分野で活躍しています。

「あなた方は、まだお若い。
 ”あれ”に遭遇したことがないのも無理はないでしょう」

――それほどまでに、恐ろしい存在が?

「そうです。”あれ”が現れたとき、我々の《幼馴染術》は無意味となりました。
 隣の家に住んでいた少女に、憎まれ口を叩きながらも恋をしていた少年――、
 あるいは誰よりも想い人の近くにいながら、己の正体を隠していた魔法少女――、
 あるいは成績優秀、容姿端麗で、おおよそ非の打ち所のない完璧な女性ですら」

――”あれ”に敗北したと?

「もちろん、”あれ”との長い闘争の末に、彼らなりの勝利を掴んだ者もいました。
 ですが、”あれ”が現れた瞬間に、『幼馴染み』であることのアドバンテージ……
 魔力ともいうべき何かが、煙のように消えてしまったのです。
 その瞬間のことは、いま思い出しても恐ろしい」

――教えてください。”あれ”とは何ですか? どこから来たものなんですか?

「それを知ることが、果たして、あなた方のためになるでしょうか」

――お願いします。ぜひ。

「我々は、”あれ”に名づけました。
 空から落ちて来たる者。
 すなわち、”オチモノ”と」

――”オチモノ”? それは……空から?

「はい。彼女ら、あるいは彼らは、空からやってきました――」


【オチモノ】とは
アニメやゲームなどに多く見られる、
「空から美少女が落ちてくる」形式の物語を「落ち物ゲーム」に例えた言葉。

ある日突然、主人公の元に特殊な過去、
能力といった非日常要素を含む異性が(複数のことも)やってきて、同居を始める。
そこから発展する物語。

最初に登場した異性の持つ背景に関わるキャラクターが連鎖的に現れて事件を起こし、
あるいはさらに同居人が増えていくというパターンが多い。
男性向けの漫画やアニメなどに特に多く見られる。
代表例として、「うる星やつら」「ああっ女神さまっ」などが挙げられる。
(「はてなキーワード」より引用)


――そして、彼らは『幼馴染み』が所有する既定ストーリーを、徹底的に破壊する。


* * *

【episode.4  陽はまたのぼりくりかえす】

天井付近から落下してきた神父、綾島聖は、
窓ガラスから差し込む光を浴びて光り輝いていた。

特筆すべきはその表情であろう。
C4の爆発によって、神父服をぼろぼろにされ、肉体は満身創痍である。
しかし綾島聖の表情は、凪の海のような穏やかな微笑を浮かべていた。

それは慈愛に満ちた神か、聖母か――
人類すべてを見守り、慈しむ、すべてを許す愛の表情。

綾島以外には知る由もないが、それこそは綾島聖の
《剛魔爆身》に隠された、もう一つの奥の手でもある形相。
『堕天使の形相』とは真逆といえるだろう。

己の筋肉をリラックスさせ、穏やかな多幸感をもたらす脳内麻薬を分泌させる。
怒りではなく、幸福感によって己を強化する――
それはいわば、『神の形相』というべきモノであった。

「さあ、みなさん」

ゆっくりと落下しながら、綾島聖は穏やかに微笑んだ。

「争いをやめ、ともに歌い、祈りましょう。
 世界はこんなにも美しい」

おそらく脳内分泌物がもたらす多幸感による表情。
無垢な赤子のように口を半開きにし、よだれを垂らしている。
だが、その無垢なる表情や、能力によって何倍にも肥大化した筋肉は、
太陽を浴びてまばゆい輝きを放っていた。

「あれは……」

潜衣花恋は、まぶしさに目を細めた。
彼女の一言、またその表情に、馴染おさなは戦慄する。

(そのセリフ、その表情は――まずい)

幼馴染み感が、急激に低下している。

(まさか、これが? こんなときに?
 こんな方法で――成立するの? このシチュエーションが!)

かつて、それは”オチモノ”現象と呼ばれていた。

馴染おさなは、幼馴染み術を扱う者として、噂には聞いていた。
空から降りてくる、無垢なる美しさを持った存在。
太陽のようにまばゆく輝き、この世のものとは思えない神々しさを持つ者。

「――花恋!」

馴染おさなは、急激に低下する幼馴染み感をつなぎ止めるべく、
潜衣花恋の手を強く握り締めた。

それでも止まらない。
一度低下を始めた幼馴染み感は、どうしようもなく薄まり、
潜衣花恋の眉間には怪訝そうな歪みが生じつつある。
幼馴染み感の支配が解けようとしている。

幼馴染みの魔法が解ける。

(……綾島聖!)

馴染おさなは、奥歯を食いしばった。
こんな不可解な手で、幼馴染の戦略が瓦解させられるとは。
しかし、認めないわけにはいかない。

(綾島聖、《糸目》は、幼馴染みへの対抗策を知っている……!
 いや、正確には! 幼馴染みと戦って、負ける方法を知っている!)

だとすれば、このまま他でもない、潜衣花恋の手を握っていることは――
”死”を意味するであろう。

「……やってくれるわ」

馴染おさなは、潜衣花恋の手を離した。
潜衣花恋の目に疑惑が満ちるのがわかる。

そして綾島聖が轟音とともに床に着地――否、落下したとき、
現象としての”オチモノ”は成立した。

つまり、『幼馴染み感』の完全消滅。
潜衣花恋は、こうして馴染おさなの能力から脱した。



「あんたは――馴染おさな」

潜衣花恋の目に、ある種の悲しさと、それから敵意が満ちた。
そして先ほどまでとは異なる種類の覚悟。

「そうか。そうなんだ」

それだけつぶやき、潜衣花恋は胸元のペンダントを引きちぎった。
銀色に輝く、百合の花を象ったペンダントだった。
フランス王家では革命の象徴であり、純潔を意味する花。

潜衣花恋の攻撃が始まる。

「――さあ、みなさん。ともに歌いましょう」

一方で、綾島聖は何かを神父服の内側から取り出し、己の両肩に載せた。
さきほどの爆発で無事だった、なんらかの武器か。
それはスピーカーのように見えた。

「愛と平和の賛美歌を、我々の手で、
 この腐敗した世界に届けましょう!」

綾島聖は両肩にスピーカーを乗せ、装着し、その糸目を見開いた。
そこにはキラキラとLED電球のように輝く、暖かい慈愛の瞳があった。
脳内物質のせいで、人格までもが変化しているのだ。

なんたる脳内合成ドラッグの恐ろしさか。
人間を本当に変えるのは、覚悟でも、辛い過去でも、誰かとの絆ではない。

――そう、ヤバいドラッグなのだ!

だが、潜衣花恋はそれを一切無視!
馴染おさなも、いまは神父に構っている場合ではない!

「馴染おさな。もう一度警告する。
 気流って知ってるか? 例えば、こんな――」

潜衣花恋は、引きちぎった百合の紋章を投げ上げた。
それでも馴染おさなの視線は、ぴたりと潜衣花恋に向けられて動かない。
やはり視線誘導には引っかからない。

むしろ、投げられたペンダントから離れるように、移動をはじめる。
拳銃の銃口を、潜衣花恋へ向けようとしている。

それは先ほど”確認済み”だ。
”確認”して”行動”する。
それが潜衣花恋の戦略の基本だった。

投げ上げたペンダントは、実のところなんの意味もない。
気流の話にも意味はない。
そうした仕草は、すべて視線誘導をさせようとしていると思わせるためであり、
馴染おさなを警戒させて「移動」を誘発させるためだ。

トリックを仕掛けられようとしている、
と馴染おさなが認識した場合、彼女は決して停滞や保留を選ばない。
それほど間抜けではない、どころか、明晰であると言っていい。
なんらかの”万が一”を警戒し、罠を避けるべく”行動”する。

そういうタイプであることは”確認済み”だった。
実際のところ、潜衣花恋の攻撃はすでに完了している。

注目すべきは、潜衣花恋の足元だった。
彼女は靴を穿いていない。
綾島聖の爆弾に対処している間に脱ぎ捨てた。
靴下はもともと、こうした”決闘”の際には身につけない。

それは彼女の触れたものを奪う、『シャックスの恋人』の能力のためだった。
つまり、

「床から摩擦を奪った――立っていられるのは」

その瞬間、綾島聖も馴染おさなも、バランスを崩した。
床を滑っていく。

「私だけだ」

潜衣花恋は、床から奪った摩擦力でただ一人、体勢を保つ。
そして動き出す。

しかし、彼女には誤算が三つ――いや、四つ。

一つめの誤算。
綾島聖の用意したスピーカーから漏れ出した音楽が、
賛美歌とは似ても似つかないヒップホップ調の音楽であったこと。

それも当然だろう。
あの爆発で原型をとどめていたのが奇跡、辛うじて動作したのも奇跡。
音質は犠牲になった。
その賛美歌は、イカれた薬物中毒者が奏でたような、
へんてこなヒップホップ調の音楽になっていたのである。



二つめの誤算。
それは綾島聖がそのへんてこなラップ音楽をそのまま受け入れ、
オリジナル賛美歌をおっぱじめたことだ。

自らの殺人バイオリン音波のせいで、とうに綾島の鼓膜は敗れている。
だが、高品質スピーカーの重低音は、
骨伝導で彼の脳髄にリアルな音楽を届けたのだ!

「Yo!」

綾島聖は床を滑りながら、渾身の賛美歌ライムを繰り出す!

「慈しみ深きは友なるイエス!
 罪・咎・憂いもTomorrowならYes!
 心の嘆きにTopからGrace!」

あまりにも背徳的なヒップホップ!
これこそは日本でも頻繁に歌われる、賛美歌312番!
その名を「いつくしみふかき」である!



三つめの誤算。
それは馴染おさなと綾島聖の床を滑る音がやたら小気味よく響き、
まるでDJがレコードを回す音に酷似していたこと。

キュワキャキャキュワッキャ! キュッキュキュワッキャ!
ハードコアなスクラッチ音が鋭くリピート!
神の国からレペゼンな息巻くビート!
これはあまりにも危険な音楽だぜ!



――そして、四つめの誤算。
それは皮肉にも、潜衣花恋が放り投げた、姉とお揃いのペンダントにあった。
百合の紋章のペンダント――
潜衣花恋の姉が好む、とあるアーティストが身につけているペンダント。

百合が持つ意味は、多岐に渡る。
あるいはフランス王家の紋章。革命の意志。純潔。
あるいは女性同士の恋愛。
また、あるいは――


――『Dragon Ash』を意味する。






* * *

【episode.5  Amploud】

『Dragon Ash』とは何か。
それは90年代後期に彗星のごとく現れた、アーティスト集団である。

ロック、メタル、パンクに始まりヒップホップからレゲエまで、
様々なジャンルを取り入れたミクスチャー・ロックバンドとされている。

特に、主要メンバーである降谷建志――通称KJは、
『百合』の紋章を愛好し、作詞曲のいたるところにキーワードを配置することで有名だった。

彼らは、己の歌詞に配置された『百合』というキーワードの意味について、こう語る。

「キリスト教の象徴でもある白百合の花言葉って、“純血”とかの意味があるんです。
 でも、人はどうあっても純粋ではいられない。
 妬み、そねみ、嫉妬。そういう強欲さを持つのが人で。
 でも、どっかに純粋さが一個でもあれば、その人は生きている価値があると俺は思っているのね。
 その一個が自分たちにとっては音楽だから、音楽だけにはなるべく余計なものを持ち込みたくない」


* * *

――狂った綾島ヒップホップが開始されたとき
”彼ら”は互いに顔を見合わせた。

それは、待合ロビーに残っていた、数少ない客である数名の男たち。
なぜ彼らはこんな危険な場所に残ったか。
これから海外に旅立つ友を見送るためである。

ゆえに残った。
そして、音楽を聞いた。

「――降谷」

ひとりの男が、トランクケースを担いだ男の肩を叩いた。
トランクケースの男はうなずいた。

「――もしも、どこかに神様がいたとして」

トランクケースを抱えた男は、帽子をわずかに持ち上げてみせた。
まるで、どこかの神様に敬礼するように。
そこに現れた顔は、他でもない。

「感謝しよう。この国もまだ捨てたもんじゃないな――」

彼こそは『Dragon Ash』において、
ほとんどの楽曲を手掛ける主要メンバー。
降谷建志、その人であった。

その目は、いま繰り広げられた暴力の嵐を目にしてなお、
リアルな音楽への希望に溢れている。
少しも動揺していない。
なぜなら、彼は、”彼ら”こそは――

「こんなリアルな音楽をやるヤツがいるとはな。
 決めたよ、MAKOTO、ボッツ。
 日本を出るのは、もう一つライブをやってからだ」

トランクケースが開く。
そこにはターンテーブル! スピーカー! マイク!
あと、なんか音楽に使う機材!

「ライブバトルだ! ビビるんじゃねえぞ!」

降谷建志はマイクを手に吠えた。
『Dragon Ash』のメンバーは雄叫びで応じた。
綾島聖の偽りのヒップホップに対抗して、本物のヒップホップが火を吹く。

ライブが始まる――。

――だが、それは今回の戦いとはほぼ無関係である。


* * *

綾島聖が狂ったヒップホップを開始したときも、
潜衣花恋は決して冷静さを失わなかった。
殺害の優先順位を間違えなかった。

(狙うべきは、綾島聖)

自分はすでに馴染おさなの能力の影響を脱した。
ならば、優先的に狙うべきは綾島聖。
《糸目》の男。

彼女を後押しするように、Dragon Ashのライブも始まった。
そちらの方で何が起きているか、彼女にはさっぱり理解できないが、
とにかくそれは激しくニューロンに訴えるリアルなヒップホップだということだけはわかった。
なので無視した。

潜衣花恋は加速する。
綾島聖との距離が詰まる。

「キヒィィシャァァァーーーーッ!
 守りたい! 世界平和!」

なんたる発言のおこがましさ!
綾島聖は奇声をあげ、床を滑りながら、どうにか立とうとあがいている。

キュキュッキュワキャキャ! キュワッキャキュワキャキャ!
その音はまるでスクラッチ音! 姿はまるでブレイクダンス!
だが戦闘には一切関係なし!

(身動きがとれない状態――いまなら触れる)

綾島聖まで、あと三歩。
潜衣花恋は攻撃の瞬間に集中する。
彼女は自分の弱点を自覚している。

それは、攻撃のために能力を使う瞬間。
迷宮時計の”再生力”を奪う無敵化も、その瞬間だけは解除せざるを得ない。
特に圧倒的なフィジカルを誇る綾島聖を、
『一撃』で殺そうとするならば、能力を用いることだ――

(心臓を潰しても、脳を破壊しても死なない可能性がある)

それが潜衣花恋の懸念だ。
綾島聖の『剛魔爆身』は、脳からの指令がなくとも肉体を動かし、
機械のように戦う「狂戦士の形相」があるという。

確実な手は、まず一つ。

(”命”を奪う)

そのためには、接触。
綾島聖は完全に態勢を崩している。
立てるはずがない。
花恋の手が伸びる。

『マジやべぇ巻き起こすカミカゼ!』

背後ではリアルなビートを刻むDragon Ashの音楽!
衝撃的なライムとフロー!

『さぁ目指せ百合の旗なびかせ!』

これこそはDragon Ashの9枚目のシングル、『Lily's e.p.』に収録された楽曲!
マジリアルな百合の素晴らしさを歌い上げる、攻撃的な名曲!
しかしやはり戦闘とは一切関係なし!

『行くぜ戦場に! 僕ら先頭に! Yo乗りな Lily da 戦闘機!』

音楽を無視し、潜衣花恋は容赦なく攻撃に移る。

――が、その瞬間。
綾島聖の右足が、苦し紛れに振り上げられ、床を粉砕した。

それは、自らを地面に打ち込む楔。
人間をはるかに超える脚力が、床のタイルを砕き、深く足を埋め込む。
迎撃態勢が整う。
綾島聖が姿勢を固定する。

(そのくらい)

しかし潜衣花恋は動じない。
その程度の工夫は予測済みだ。
そんなレベルではない敵と戦ってきた。

彼女には、覚悟がある。
誓いもある。
果たさねばならない勝利がある。

「世界に愛をーーーーーーッ!」

綾島聖は絶叫をあげ、両肩のスピーカーの音量をあげる。
フルボリューム。
それはもはや破壊音波であった。
頭痛がするような音の波が潜衣花恋を襲う。

「さああぁぁぁーーーーいかがですかァァァーーーーッ!?
 このハートフル世界平和きずな音波による福音の味はぁぁぁぁーーーっ!
 脳髄をグヂュグヂュかきまわして救済してあげますよぉぉぉーーーーッ!」

そして、なんということか!
綾島聖の人格は変わっても、基本的な言動は変わっていない!
殺害や虐殺といった言葉が、平和やきずなという単語に入れ替わっただけだ!

(このくらいっ)

暴力的音波に、激しい頭痛を覚えながらも潜衣花恋は進む。

なぜなら、おそらくもっとも激しい音波にさらされているのは、
両肩にスピーカーを載せている綾島聖その人であることは間違いないからだ。

戦う理由を背負っている自分が、精神的な勝負で、
綾島聖に負けるわけにはいかない。

この綾島聖には戦う理由も、大事な誓いも、何もない。
悲しい過去も、熱い想いも、何もない!
ならば、自分が負ける道理などない!

「キィィィェェェェィヒャアアアァァァァーーーーーッ!
 人類救済! 慈愛に満ちた世界! 聖なる賛美歌ァァーーーーーッ!」

さらにスピーカーの殺人音波ボリュームがアップ!
綾島聖の顔面に血管が浮かび上がり、目から出血!
これには潜衣花恋も無事ではいられない――思わず平衡感覚を失い、倒れかける。

(このくらい……!)

潜衣花恋は、倒れ込みながらも手を伸ばす。
もう、あと少しで、その手は綾島の腕に触れる。

だが、その一瞬。
綾島聖は、地面に突き刺した片足を軸に回転した。
上半身がしなり、彼――綾島聖の攻撃が開始される。

(このくらい――!)

旋回する綾島の両手に、潜衣花恋はぎらりと光る何かを見た。
それは――ナイフ!
蛇のように両腕がしなり、長い舌がナイフを舐め上げる。
当然のごとく、綾島聖は口上を述べる。

「さぁぁぁぁああぁあぁぁ~~~~、
 あなたにはたっぷり愛と平和の美しさを刻んでさしあげましょう」

ぺろぉ~~~~っ!
ナイフの刀身に、緑色にきらめく粘液が塗布される。
あるいは、綾島の唾液それ自体が毒性を持っているのかもしれない。

「愛!」

二つのナイフは鋭く振るわれる。

「平和!」

右のナイフで一撃、左のナイフで二撃。

「愛! 平和! 愛! 平和! きずな! 愛! 平和! きずな!」

動きを見切りにくい、蛇のような左右交互の斬撃の嵐であった。

潜衣花恋は、伸ばしかけた手を引かざるを得なかった。
あれに切り裂かれるのはまずい。
”うっかり”致死性の毒を塗布されていたら、どうする?

(この――)

ナイフを奪うべきか? 迷宮時計の力で、防御に徹するべきか?
それとも切り裂かれることを前提に、綾島聖への接触を強行するべきか?
いや、それとも――

そのとき、潜衣花恋は気づいた。
《糸目》の本質とは何か。

(この)

綾島聖のナイフさばきが踊るように迫る。
まるでそれは百合の花が舞うごとく。

(この――《糸目》! これが!)

己の筋肉を飛躍的に強化し、圧倒的タフネスを持ち、脳内物質を自在に操る。
身体の敏捷性・柔軟性に優れ、あらゆる暗器・凶器を使いこなす。
毒物の用法にも長け、卑劣な攻撃手段も多く持つ――

それこそが、《糸目》である。
そんな存在が”ごく普通に”戦えば、結論はわかっている。




フィクションではない――他でもない現実。
そこでならば、《糸目》は”ごく普通に”、めちゃくちゃ強い。




「さあ、この人類救済スピードについてこれますかねぇェェーーーーっ!」

綾島聖は使い古された台詞を叫ぶ。
フィクションでは簡単に主人公が対応してしまう場面だろう。
だが、それに対する回答は、やはり現実ではこうなる――



身体強化された《糸目》のスピードは、
本当にめちゃくちゃ速くて、とても回避しきれない。



(だめだ)

潜衣花恋は、もはや床の摩擦を奪うことに能力を保持するのは、
まったく無意味だと悟った。

能力を解除して、ナイフの一撃を迷宮時計の再生力で防ぐ。
そして触れる。
馴染おさなを自由にすることになるが、やるしかない。

(そうだ。やってやる――)

潜衣花恋は、踏み込みながら能力を切る。
同時に迷宮時計から、不壊の”再生力”を奪う。

「世界ィィーーーーッ大好きィィーーーーッ!!」

多幸感でラリった神父の右手のナイフが迫る。
潜衣花恋は、これを左腕で受け止めた。
迷宮時計の再生力で、即座に傷を修復。
毒物のせいか、一瞬、痺れるような痛みが走ったもののダメージなし。

(ここだ)

潜衣花恋は、ナイフを受け止めると同時に能力を起動。

即座にナイフを奪う――
神父の手から猛毒世界平和ナイフが消え、
代わりに潜衣花恋の手に現れる。

その、瞬間だった。

(――な、ん、だ!?)

潜衣花恋の目の奥が真っ白く瞬いた。
思わず反射的行動すら忘れるほどの、鋭い衝撃。

最初、それが何かわからなかった――
ほんのコンマ一秒ほど、意識が飛んだ。
だが、それで十分だった。

綾島聖に残された左のナイフが閃き、
迷宮時計を握った手首を切り落としたとき、
潜衣花恋はその衝撃の正体を知った。

(電、撃……!)

それは、あまりにも初歩的なトリック。
一試合目で綾島聖が見せた、電気ショック相互自爆と本質的には同じものである。

ナイフからはよく見ればコードがつながっており、
綾島聖の神父服の袖へと伸びている。



切りつけると同時に電気が流れるナイフ。
《糸目》の間では頻繁に使われる武器の一つ。
その名を、電気ビリビリナイフと呼ぶ。

普通は刃にだけ電気が流れるようにして、
相手を攻撃したときにのみ電気ショックを与えるのが定石である。



だが、綾島聖は、こともあろうにナイフ全体に
電気が流れるように強化改造を施していたのだった。

なんという誤った使用方法か。
もちろん本人も常に感電している状態にあり、
通常ならばまともな戦闘行動は取れまい。

しかし、脳内麻薬でラリっている上に、
能力によって爆発的に膨張した筋肉が綾島聖を守った。

そしてなにより、幼少時からの《糸目》としての訓練。
一部の暗殺者が電撃を耐える訓練を受けるように、《糸目》も”それ”をする。
そうした過酷な訓練は、彼の肉体に高い電撃耐性を作り上げていた。

潜衣花恋は、己の命が急激に失われていくのを感じた。
綾島のナイフがもう一度だけ閃く。
彼女は自分の頚動脈がケヒャケヒャと掻き切られるのを、他人事のように見ていた。

(これが――《糸目》)



いにしえより、闇社会ではこのような教訓がある。
《糸目》からは、いかなる武器も、能力も奪うべきではない。
それは必ずマイナスのものであり、なんの役にも立たないどころか、
かえって己を傷つける結果となるだろう――と。


この綾島聖には戦う理由も、大事な誓いも、何もない。
悲しい過去も、熱い想いも、何もない。

だが――強い。
そういう舞台装置やキャラクター設定とは関係なく、
ただ、ただ、ひたすらに強い!

ただ強い!

これが現実だというのか。
潜衣花恋は、奥歯を噛み締めた。

(――《糸目》は――普通に、めちゃくちゃ強い)

彼女の体が、その場に崩れ落ちる。

(ごめん)

彼女が何に謝ったのかは、他の誰にもわからない。
ただ、背後ではDragon Ashたちが、
彼女を讃えるかのようなリアルなサウンドの咆哮をあげていた。

『ひるむことなく飛び込む戦場! 枯れることなく咲く百合の紋章!』

お前がたとえ戦場で死んでも、百合の紋章は枯れることなく咲くから心配するな!
そんなメッセージが伺える歌詞である!
だが当然、戦闘とは一切の関係がない!

綾島聖は、潜衣花恋の血飛沫を浴びながら恍惚とした表情を浮かべる。
彼のような者にも、Dragon Ashが歌いあげる百合の素晴らしさがわかるのか――
足元に、銀色に光る百合のペンダントが転がっていく。

それは潜衣花恋が、さきほど投げ放ったもの。
姉とお揃いのペンダント――
枯れることなく咲く、銀の百合の紋章。
それはDragon Ashが製作し、プロデュースしたものである。

潜衣花恋の肉体から力が失われる。
そこへ来てようやく機械構造上の限界がきたのか、
綾島聖の両肩に装着されたスピーカーの音が止む。
あとに残るのは、Dragon Ashの魂揺さぶる韻とフローだけとなった。

――それとほぼ同時に、綾島聖のこめかみには、銃口が突きつけられた。

「やっぱり」

馴染おさな、である。
彼女はもはや微笑を消し、ただ冷たく鋭い目で綾島聖を見据えていた。
その手には拳銃があり、引き金に指がかかっている。

「あなたに普通に『勝とう』とすると、ちょっとしたパラドックスを起こすみたいね」

「おや、おや――」

綾島聖は、だらしのない笑みを浮かべた。
脳内物質による圧倒的多幸感と、Dragon Ashのビートが、
彼の精神を異常なテンションに保っているのだ。

「あなたも、世界平和にご協力いただけますか?」

「うん」

馴染おさなは、そのまま銃口を綾島聖のこめかみから離した。

「それがいいかもね」


* * *

【episode.6  百合の咲く場所で】

馴染おさなは知っている。

”幼馴染み”であるからこそ、《糸目》のことを知っている。
徹底的な事前調査と準備こそが、馴染おさなの戦い方だった。
馴染おさなにとって、戦いとは、それが始まる前に決定されているべきものだった。

(《糸目》綾島聖。こいつ――いや、”これ”は)

と、彼女は結論を出している。
綾島聖を人間と呼ぶのは間違いだ。

”怪物”、と呼ぶにふさわしい。
《糸目》という敗北の歴史の突端に現れた、突然変異。
あるいは特異点というべきであろう。

(こいつに”勝つ”ことは、ある種のパラドックスに陥る)

馴染おさなは「勝たずに勝利する」必要があった。
そのための第一の手段が、潜衣花恋。
彼女を使っての、綾島聖との「相討ち」がそれだった。

勝利でも敗北でもなく、「相討ち」を前提にした攻撃ならば、
綾島聖の強さの原因である「敗北のセオリーの逆」を回避して、
仕留められる可能性があった。

(でも――)

それが失敗したならば、第二の手段だ。
正直に言って、馴染おさなはいまでも気が進まない。
だが、やるしかない。

(この綾島聖を”味方”につける)

それはつまり、自分の幼馴染みとすること。
幼馴染み感の奴隷とすることだった。
この方法ならば、綾島聖を自分の手駒として扱える。
彼の勝利と、自分の勝利を同一のモノに置き換えてしまう手だ。

もっとも、これには一つの大きな障害があった。

(おそらく綾島聖は、私を「幼馴染み」と認識した途端、
 可能な限りの残虐な殺害方法で殺しに来る)

当然だ。
常に物腰柔らかで温和な笑みを浮かべた糸目の男が、
かつて好意を抱いた幼馴染みを放っておくだろうか?

相手が”幼馴染み”だと気づいた瞬間、奇声を発して襲いかかるであろう。
「美しいコレクション」として、猟奇的に惨殺、死体を回収しようとするはずだ。

(結論。
 ――綾島聖を幼馴染み感の奴隷にするには)

速攻。
相手を幼馴染み化してから、間髪入れずに告白、奴隷とするしかない。

そのためには、能力を発動して「幼馴染み」にする前に、
十分に幼馴染み感を高めておくしかない。
最大限に、この綾島聖という男に適した幼馴染み感を演出し、
能力発動とともにその認識を押し付ける。

そして幼馴染み感の最大値を保ったまま、即座に”告白”を成立させる。

(私なら――できる)

ここまでが、潜衣花恋と綾島聖の攻防の間に考えた、綾島聖を詰める一手。
馴染おさなは、とっくに覚悟を決めていた。
どんなことがあろうとも、地獄に堕ちようとも、目的を果たす。

(できる)

だから、馴染おさなは銃口を下ろし、綾島聖を見据える。

「久しぶりだね」

馴染おさなは慎重に考え抜いた言葉を選ぶ。
幼馴染みにする前に、まずは心理的に接近し、攪乱する。
それも、できるだけ手早く。

そのためには、まったく気の進まないことだが、
綾島聖の過去を利用する。

背後でDragon Ashの音楽と声がやかましいが、
幼馴染み中の幼馴染みである彼女の声は、
なぜだか騒音の中でも澄みわたって響く。

「里を出て以来かな――なんか、ぜんぜん変わってないね」

馴染おさなは、できるだけ目を細めて微笑んだ。
その目は、すでに糸のように細かった。

「おやァァァァ――?」

それに応じるように、綾島聖の穏やかな笑顔が、いっそう深まる。

「もしかして、あなたは――」

「覚えてる? 小学校の運動会のとき」

馴染おさなは澱みなく続ける。
すでに、綾島聖の過去は、リサーチが完了している。

「クラス対抗のリレーでさあ――」

それは口に出すのもおぞましい記憶。

「そのとき先頭だった、加速装置を埋め込んで常人の200倍のスピードを
 出せるようになった早坂くん――猛毒クサリガマで暗殺されちゃったよね。
 そのあと、みんなで踊ったフォークダンスでも犠牲者100人を超えたし――」

おそるべきは、馴染おさなのリサーチ能力。

綾島聖の住んでいた《糸目》の里で、何が行われていたのか。
《糸目》が、どのような幼少時代を送るのか。
完全に調べ上げていたのである。

だが、綾島聖の個人情報だけはどうにも特定できなかった。
《糸目》の里では、綾島が在籍したと思われる当時、
千人規模の《糸目》候補生が育てられていた。
そのほとんどが偽名を使い、顔を変え、経歴を改ざんして裏社会に散っている。

そうした個人の群れの特定は、馴染おさなの情報網をもってしても困難だった。
しかし、必要十分な情報は得ている。

「私、楽しかったなあ――」

馴染おさなの、もうひとつの武器――それは「演技力」。
いまや彼女は綾島聖の幼馴染みになりきっていた。
まるで自分が体験したことのように、脳裏を綾島との思い出が駆け巡る。

クラスが一丸となった、楽しい楽しい合唱会――
あのときはピアノ伴奏に選ばれた《糸目》の殺人音波によって、
クラスの大半が死滅した。

紅葉の秋に行った、楽しい楽しい遠足――
野山に解き放たれた《糸目》たちにより、「真っ赤な紅葉」が乱舞。
二度と帰ってくることのできない者が続出し、
最終的には山火事によって全員が重軽傷を負った。

そして中学校の、楽しい楽しい死ィヒャヒャ旅行――
宿泊先の温泉で、そのご当地の伝説になぞらえた猟奇殺人が勃発。
呪いの数え唄の通りに死者が連続し、ついにその数え唄カウントは100を超え、
探偵が出動することによってようやく鎮圧された。

「ねえ、覚えてる?」

馴染おさなは、綾島聖の糸目を覗き込む。
完璧なタイミング、完璧な問いかけ。
幼馴染み感は高まりつつある。

「きみは私のことなんて、覚えてなかったかな――」

ここからだ。
ここから、一気に幼馴染み感を吊り上げ、綾島聖の名前を呼ぶ。
そして一瞬で告白に持っていく。




そのつもりだった。


だが。




「いいえ、馴染おさなさん。
 私はよぉぉ~~~く覚えていますよ」



綾島聖は、その糸目を少し開いて見せた。
馴染おさなは違和感を覚える。

――雰囲気が、違う。

「久しぶりですねぇ」

馴染おさなは警戒する。
綾島聖は、馴れ馴れしくも彼女の肩に手を置く。

「私――いえ、俺ですよ。
 久しぶりすぎて、見違えてしまいましたか?」

馴染おさなは鳥肌が勃つのを感じた。
喉が渇く。
渇いた舌で、呟く。

「――誰?」

「もちろん、俺は俺ですよ。俺、俺。
 俺――あなたの幼馴染み、久坂俺ですよ」

そうして、綾島聖はにこりと優しく微笑んだ。



このとき、馴染おさなの脳裏をいくつかの疑問と、
それに対する答え、反論、決断的な否定、そして殺意の衝動が渦巻いた。

(そんなはずはない)

(この男が、「久坂俺」のはずがない)

(現に、私は、あのとき”彼”に再会している)

(そんなはずはない)

(だが――この男が、もしも「久坂俺」だったら?)

一瞬、その恐怖が沸いた。
だが、すぐに打ち消す。
あってはならない。
そんな可能性は、存在していいはずがない。

(――違う、その可能性はない! ありえない! ブラフだ!)

(だったら、なぜ、綾島聖は”彼”のことを?
 いま、このタイミングで私に?)

(これは、まさか)



(――オレオレ詐欺!!!)



馴染おさなその結論に到達した。
そして違和感を覚えた。

(いままでの綾島聖とは違う)

(調査にはなかった――いや、考えるのは後に!
 ブラフだとしたら、混乱させることが狙いのはず)

(そこまでの知能が? この《糸目》に?
 そもそもこいつはなぜ、この殺し合いを――)

(いや、無意味なことを考えるな)

(言葉を使え! いま、私の武器は言葉)

(舌戦で勝負を挑んでくるのなら、望むところ――
 私のフィールドだ)

(告白)

(する)

覚悟を決めると、心中が冷えた。
この冷たさこそが、馴染おさなの強さ。

だが、そこには綾島の発言について思考した故の、
100万分の1秒ほどのタイムロスがあった。

「あ」

馴染おさなは、『綾島聖』の名前を呼ぼうとした。
まだ幼馴染み感の高まりは告白可能なレベルに達していない。

が、名前を呼び、幼馴染み感を高めることで、
一気にその領域まで持ち込める”パターン”なら用意している。
綾島によって、肩に手を置かれていることを逆に利用する。

それは必殺の幼馴染み術。
馴染おさなは、少し背伸びをした。
綾島聖の顔に、自らの顔を近づける。

抱きついて、再会を喜ぶ――
そして、突然の口づけ――からの告白。
少々強引だが、勝機はある。

しかし馴染おさなは、ついに綾島聖の名前を呼ぶことができなかった。



《糸目》が、他の流派に対して、明らかに圧倒的に優れる部分が一点。

すなわち、《糸目》のみが特化して鍛える身体の部位。


――「舌」である。


綾島聖の舌は30センチメートルに達し、
おそるべき早口を可能とする。
その速度は、これまでの戦いでも披露し続けた来た通り、人間の限界を超える。

馴染おさなが舌戦を得意とするならば、
綾島聖もまた、別の意味で舌戦を得意としていた。



――そして、《剛魔爆身》によって強化された舌は、
人間の頭蓋骨すら容易く破壊・粉砕・貫通する。

「ヒィ死ャァッ!」

すべては一瞬のことだった。

馴染おさなは、綾島聖を抱きしめ、名前を呼ぶべく耳元に唇を近づけた。
綾島聖は馴染おさなを振り返り、30センチメートルにおよぶ舌をするどく伸ばした。

舌の先端は、あたかも槍のごとく――
馴染おさなの眉間に突き刺さり、頭蓋骨を破壊し、致命傷を与えた。

「馴染おさなさん。潜衣花恋さん。残念です。
 あなた方の願い――迷宮時計に届くには、一歩足りませんでした」

薄れゆく意識で、馴染おさなは、綾島聖の声を遠くに聞いていた。

「ひとは、自分が本当に願うことを強く心に抱くほど、強くなれるのです。
 私がこうして勝ち残れたのも、誰にも負けない強い願いのおかげでしょう」

馴染おさなは理不尽を感じた。
これほど強く願う自分たちの願いが、なぜ負けるのか。
綾島聖の願いが、どれだけ切実で、どれだけ強いというのか。

「冥土の土産に教えて差し上げましょう。私の願いは」

《糸目》名物、冥土の土産――
だが、綾島聖の”それ”は、真に無慈悲に馴染おさなを攻撃した。

「私の願いは、――ルと、それから――――ザです」

そうして、綾島聖は穏やかに微笑んだ。
馴染おさなは絶望した。

最終更新:2015年01月30日 07:14