野試合SS・雪蔵その3


 said the Hatter, “when the Queen bawled out ‘He's murdering the time! Off with his head!’ ”
 狂人は言った。 「女王様は叫んだのさ。『やつは時間を殺した! 首を切ってしまえ!』とね」
 --『不思議の国のアリス』より抜粋 訳:誤訳者


 時とは誰の持ち物なのでしょうか?
 帽子屋は時と喧嘩して、だからずっと六時のティーパーティー。
 少なくとも彼のものではないようです。

 アリスは音楽の勉強の中で時を打つことをやっていますが、仲は悪くないようです。
 誰のものでもないのなら、時とは時なりに勝手にやるしかないのでしょうか?
 勝手に時を刻んでいる時計だって、自分なりにお付き合いをしています。

 よって、誰のものでもない時はあなた自身のものでもない。そんな理屈は正しいのでは?


 「どういうことなの……?」
 眼鏡に愛された幼女リュネット・アンジュドローは困惑していた。
 桜並木の戦いで廃糖蜜ラトンを倒し、セシルの下に戻って、そこで寝てしまった、それは覚えている。
 あれからずっと寝過ごした? 有り得ないと彼女は彼女なりに感じる。

 戦闘空間は『雪蔵【現代】』。アームカバーに嵌め込まれた迷宮時計は確かにそれを教えてくれる。
 大問題だった。それは本来二十四時間前に決まって教えてくれるはずの情報であるはずなのに。
 つまり、与えられた最低一日分の猶予をあれから知らないうちに使い果たした? どうやって?

 困惑は、周囲を見渡すとさらに深まる。
 深雪に囲まれた倉庫は数度に保たれ、かじかむような感覚を体幹から末端に向けていた。
 白い雪に包囲されたのは積み上げられた野菜、米穀、日本酒……、そんな食品達である。
 ここまでは幼女にも理解できる通り。

 「あれはなんなの……?」
 問題は雪中に埋もれていた。
 まるで、華やかな街並みのショウウィンドウケースのように連なる巨大な円筒。
 それはガラスで出来た檻だった。なぜかと言えば、中に女性のものらしきシルエットが見え隠れする。
 表面は曇っていて、よくわからない。なのに、なぜそれが女性のものかわかるかって?

 微塵と砕けたガラスがそれを証明していた。
 文字通り、粒子となって虚空へと還っていくそれはどこか吹雪にも似ていた。
 「ふー、私にそのような趣味はないのですが」
 三つ巴の二人目、飴びいどろと共に転(まろ)び出る影があった。

 「裸の……女の人なの」
 言葉の通り、それは小柄な少女のものだった。
 背の高さは流石に幼女を越すが、女性として平均的なびいどろに及ばぬ矮躯。
 薄紫の髪色、閉じられた眼はその色を窺わせないが、上下する薄い胸板はそれでも、その蒼白の肌の持ち主が生きていることをかろうじて主張するようだった。
 ただ、まるで人と変わらない、その姿には一点だけ染みが落されたような奇妙な点があった。
 その首筋に突き刺さった時計のような花、それは彼女の肉を土壌にするようにして咲き誇っていた。

 「私は飴びいどろ、あなたは?」
 びいどろは両手を上げた。いわゆる敵意のないことを示す、ホールドアップというやつだ。
 袖口、襟の中、視界に入るうちにも幾つか仕込まれた透明な暗器を確認しながら、ゆっくりと距離を開ける。無論、双方は第三者たる謎の人への警戒も欠かすことなかった。

 「リュネット。リュネット・アンジュドローなの」
 戸惑いながらも自己紹介を返すリュネットは照り返す雪の反射などから、びいどろの全身に仕込まれたガラスの器具を見破っていた。それでも、いきなり襲い掛かるようなことはしない。
 戸惑い、悲しみ、怒り、希望、そういった様々な感情が織り交ぜになって、自分を見るその瞳をリュネットは知っていた。幼女は知っていた。時に手を上げることは自分の心を強く抉ってしまうことを。
 だから、どうしてもその言葉を無視することは出来なかった。

 「そう、リュネット、リュネットか。フランス語で眼鏡、いい名前ね」
 「ありがとう、なの」
 ガラス職人と眼鏡の関係については今更論じるまでもないだろう。
 かつて古代欧州に一大文明を築いた眼鏡は、その技術の消失とともに長き中世の暗黒へと姿を変える。
 そして、その闇を払ったのもまた眼鏡であった。裸眼に任せていれば居場所をなくしていた老人や弱者も、都市とともに光を得ることになり、やがてルネッサンスの到来と共にその結実の日を迎える。
 そう、眼鏡の本来の姿とはやさしい光を通す文明の利器である。

 何より、そのあるべきところに収まった眼鏡。
 伝説とまで呼ばれるそれを見て、望まずして守銭奴とそしられることになってしまったびいどろのガラス職人としての誇りを刺激する。びいどろはそれを壊すようなことがしたくない。
 「あー、一応だけど降参とかする気は」
 「ないの」
 だよね。わかりきった返答だが、少なくとも巻き込まれただけというわけじゃなさそうだ。
 「それで、ここがどこかは……」
 「知らないの」

 手がかりなし。雪蔵というだけじゃあと思いつつ、改めてびいどろは警戒しつつ、視野を巡らせる。
 あれは、私が出てきたガラス、だけど幾つか同じものが並んでるってことは……。
 果たして、そこに映し出された輪郭は全く同じもので、かすれていながら嫌な想像を働かせるには十分だった。
 「全く、ここでは一体何をやっているんだ?」



 『我ら人工探偵の素体(スペア)の保管所、と言ってもわからないだろう?』



 「「誰!?」」
 慌て、二人の中間に横たわる唇を読むも、動く気配すらない。
 「失礼な奴だな。時計草はそんなところにはいないよ」
 くぐもった声に続いて、晴れやかな声が聞こえた。
 「どこにいるの!?」
 周囲を見回すも三つ巴の三人目、四人目らしき影は見えもせず。 

 「ここだよ、ここ」
 大雪の中、爆発的に何かが膨れ上がったような、そんな爆ぜ方だった。
 舞い上がった雪が私たちの体にとさとさと降りかかって、少し冷やされる。
 雪中から控え目でない登場をしたのは、こんもりとしたコートを纏った白髪赤目の少女だった。
 その顔は、先に見た裸の少女とよく似ていた。というよりそっくりだった。

 「僕は風月藤原京。『私は柊時計草、この子の保護をしている』あっ、時計草。その言い方はどうなのさ! 『私は保護をしていると言ったんだ』あー、そうフェアプレイね、はいはい」
 目の前にいるのは一人、なのに目まぐるしく同じ声で言い方を変えて、二重人格?
 びいどろとリュネットはお互いに距離を図りながら、三角形を描くようにして止まった。後ろ手に壁にぶつかったのだ。

 『人工探偵とは、ある種のイネ科植物から作られる人造人間の一種。
 とりあえず、それだけ頭に入れておけば問題ないだろう。そして、ここに置かれているのは魂を吹き込まれる前の未完成品だ』
 「魂?」
 『魂魄、プシュケ、ゴースト、21グラム……。呼び名は様々だけどね、我ら人工探偵はそれがどこから来てどこに還っていくのか、それを一端であれ解明できた、だからこそ存在を許されている』
 「逆に言えば、魂あってこその人工探偵。魂は有限だから、ありとあらゆる平行世界の中でたった一人しか同時に存在することは出来ない。それがないなら目覚めることのなく、永遠に冬眠中というわけさ』

 「で、その人工探偵(アンドロイド)の必要もない身体がこうもたくさん用意されてるのはどういうわけ?」
 びいどろが急かすように聞く。
 「まぁ、人間の探偵の治療にパーツ取りって線もないことはないんだけどね」
 『むしろ、ここは私たちの治療用だよ』
 「『ここは長野・門松工房第三保管所、人工探偵の故郷のひとつであり、我等の生まれた場所』」

 さらりと、代わる代わる恐ろしげなことを囁く探偵たちにリュネットが身を震わせる。
 もしかすると、その言葉から二人が辿った凄絶な道を想像して、自分のそれに置き換えてしまったのか。

 『まぁ、そんな昔話は置いておこう』
 「なぜなら」『貴様らは』
 「『ここで死ぬのだからな』」
 死刑宣告と時を同じくして、天井が崩落した。降り注ぐのは花。花。花、花、花。

 花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花。

 リュネットはその中、パンジーの花束を見る。
 三色菫(パンジー)。Panseeはフランス語で「パンジー」と「想い」の両義を含有する。
 リュネットは、その「重い」に押し潰されそう、だった。


 ある夏の日のよく晴れた日のことだった。
 二人は花吹雪をもっとも堪能できる場所、屋根の上に立っていた。
 「これで死んでくれたかな?」
 『さぁ、時間稼ぎとはいえ無駄口を叩くことはなかったと思うけどな」
 しかし――。
 「まさか、別れ花のたっぷり詰まった棺の中に飛ばされるなんて」
 そう、この雪蔵は藤原京が過去に能力『花刑法庭』をもって、世界から切断した孤立空間。
 棺の主は、あの冷たいガラスケースのどこかに眠っていることだろう。この裁判は既に最終審まで結審済みだ。そんな、既に終わった空間にまで干渉してくるとは、恐ろしきは迷宮時計といったところか。
 「葬り去った過去が追いかけてくるなんて、時逆順もなかなかやってくれるよね」
 『いや、むしろ私達がここで果てることこそが、我等の望みだったのかもしれないな。お前の庭は能力の干渉を許さない。時計の存在すらあやふやな、”シシキリに勝った”世界の続きであるなら尚更だ』
 「一点ものの時計はどっちだったかな? それじゃ僕が話してる時計草は夢? 幻?」
 『さて、ね。むしろ……、おや裁判長、被告人の出廷みたいだ」

 雪蔵、極々一般的な倉庫の上。
 花びらが雪崩れ込んだ割れた天井から、びいどろは顔を出し、やがてその全身を屋根に載せる。その顔は憤怒の色に染まっている。
 「探偵って名の付くのが殺人事件!? ふざけないでよ」
 なるほど、尤もなことだ。
 だが、探偵の仮説は確信へと変わる。
 「やっぱり――」
 「何がやっぱりよ、やっぱりって!」

 『戦闘空間は雪蔵”内” だったね、ここが外であることは自明だと思うけれど』
 「あっ」
 「しかし、戦闘は終わっていないね。ここが僕の作った空間だからルールが上書きされた?
 違うね。ここはもう、時逆順から、迷宮時計からも見捨てられた、そんな空間だから」
 上空からサザンカが散った。その花はツバキと違い、花びらとなって舞い散る。
 その一枚がそっとびいどろの肌に吸い付くと、水膨れを残して掻き消える。

 この現象に、喋らせるのは危険と判断したびいどろはナイフを抜く。
 幸い、相手は丸腰と見て腱を――狙った。
 ! 受け止めたのは意外なことに、その華奢な指先だった。

 「千葉流探偵術『丸に一つ鋏』」
 法廷派は剣術を能くする流派である。その本分は、処断。
 ただ只管(ひたすら)に断つこと、断じること。犯罪者を葬ることまでを領分に入れる。
 指を鋏と見立て、断ち切る。守勢において、体幹を守る捨て札となりえない術ではあるが、その巻きけ、覆われた手袋をもって見事に受け止めていた。
 それでも、指二本で受け止めた代償は大きい。その半ばまでを断たれ、『オリカミ』がはがれた後はケロイドと化し、醜い指先を――。血が舞った。量は多い。

 一合、二合……。
 ガラスを分解しながら付き合わされる楽器のような音。

 「火傷?」
 疑問を残像に、ガラスのナイフを更に振りかぶる。
 受け止めるのは赤い花が散らされた振袖だった。
 『そう、オリカミ。檻として閉じ込めるこの髪はお前を閉じ込め、離さない』
 体の一部、血を媒介にして本来あり得ない長さを得た白髪は、びいどろを抱き留めるように包み込み、そして――! 慌てるようにして、解け、足元に落ちていく。
 『ガラスのボディアーマー! 破片でも流し込まれたらたまらないな、いやッ!?』
 袴の足元をブーツから安全靴に編み直しつつ、蹴撃! だが、これもガラスの弾力を利用して殺される。ガラスとは割れた時、双方向に飛び散るものであり、同時にびいどろはそれをある程度操作できる。

 そう、本来体幹とは直結しない毛髪も、今や血を介して繋がっている。
 人工探偵も身体構造は基本的に人間と変わらない。脳を潰されては象徴たる花冠(かかん)が残っていても絶命である。加えて、びいどろはガラスの中に強い透過性を持つフッ化水素酸を仕込んでいた。
 腐食作用を利用したエッチング技法、ガラスの分解を行える『サラミ=トラミ』がこれを可能としたというと驚くだろうか。致死量1.5グラムを察知した時計草は迂闊に打ち合えない。

 2mの毛髪、全身に仕込まれたガラスの暗器。
 質量は互角、双方の腕前を考慮に入れれば、前者に軍配が上がるところだろうか。
 接触を許さないのは後者だが、如何せん二対一。
 舞い散る花々に傷が増えていくのはびいどろの方だ。ここに来て、狭い盤上で透明な壁に背もたれかかるようになる。探偵は、それを追わない。 
 「本当、勝ったのにどうしてこんな目に……」
 びいどろは理不尽に巻き込まれた側だ。彼女にそういう権利はある。
 だが、受諾されるかどうかはまた別の問題だ。

 「平行世界は数あるけれど、勝ち残る可能性は一つだけ、そーいうこと」
 『死刑執行人として、勝った後のおままごとをしているお前たちが不憫だっただけだ』
 「どういう意味?」
 『! 時計草、推理を続けろ! 引き受けた!』

 水を引き連れて、飛び出してくる。 
 その姿は眼鏡を付け、羽を生やした幼女。そう、ここ盤外にすべてが至っても戦いが止むことはない。
 「世界は、僕たちが負けた可能性を選択した。時を操る力は平行世界の存在を許さない。
 最終的には、一人勝ち残るその可能性に収束するのならッ」

 メガネ=カタ。その動作は眼鏡をかける→外す→かける、その単純な工程を踏んで完成する。
 足の踏み込み、ぴんと張った背筋から手元へと至る。かける、外す、かける、それをほぼ同時。
 いや、Ultra-Violet級は同時に至るが、それを行うことによってその速度は単純な幼女と眼鏡と掛算には留まらなかった。眼鏡の及ぶ範囲でなら、如何なる動きをも可能とする、そういうものなのだから。


 探偵とガラス職人は圧倒された。

 続き、積雪から生み出された水の植物が、稲枝が二つの体に絡みつく。
 びいどろはそれに辟易しながらも、その動きを鈍らせる。水とガラス、器たる者にはよく吸い付くといったところだろうか。振り払い、切り払いながらもけして無視できるものではなかった。
 「”勝った”という他の結果は邪魔だッ! しばらく独り歩きした後に消え去るしかないんだよ」
 『ぐゥウゥうううウ!』

 そして、探偵は苦悶の声をあげていた。
 その新雪のような肌は、酸をかけられたように穴を開けていた。
 見え隠れするのは火傷の跡、その全身は焼け爛れようとしていた。
 「私たちが消えるしかないって!? そんなめちゃくちゃな理屈!」

 反論は言葉の暴力をもって封じられる。

 三人には、スノードロップの花が贈られた。ヒガンバナ科のこの可憐な花はある種の不吉な伝承をもって語られる。恋人に供えた一輪の花はその遺骸を一片の雪へと変えてしまう。
 死を希望しよう、あなたの死を望みましょう。

 一瞬だった。

 「セ、セシル……嫌なの。一人はもう……」
 「もう……会えないの……?」
 降り積もる死に装束に、溶けない万年雪に押し潰されていく。
 リュネットは、びいどろは、その手が雪のように半透明になっていくのをずっと見ていた。

 そして、藤原京もまた、自身にも向けた死刑宣告を読み上げ続ける。
 「どうして、戦いが止むことがないのか? ここは僕が作った、因果が既に断ち切られてしまった脱出不能の空間だから。最終処分場なき後に作られた世界の流刑地のひとつ。
 既に断ち切られた可能性が逃げ込むには最適であり、また必然だった。
 その気になれば、飢えて死ぬまで凍えて暮らすことも可能、だった。けれど、それは許されないことだった」
 『ああ、お前たち「僕たち」は死んでいない。けれど、生きてもいない』


 そして、最後に椿の花がぽとりと落ちました。
 二人が属した千葉の家は武門の出であり、かの「法廷派」の祖、江藤新平を縁戚に持つという大家でした。
 その家が凋落し、二人にとっての”父”がどのような凶行に走ったか、その一端は今回お見せしました。
 この未回収の伏線がいかに結ばれるか、それはまた別の機会になりましょうが。
 いずれ、二人はどこかで蘇るでしょう。魂、その人がその人であるという絶対的な指標。
 それは滅んでいないのですから。




 ひとつだけ、補足しておくと。人工探偵の魂は、元来天より降り注いだササニシキを種としました。
 根の国より汲み上げた陸稲とはまた、謂れが違う。それだけ申し上げておきます。

 また一方で、この物語はそれ以外の誰かに影響を及ぼすことはないでしょう。
 おそらくは幼女とガラス職人、戦った当の本人たちでさえ。今も道を歩んでいる負けた世界にいる二人が、いつかこの可能性を見たとしても、きっと文字通りに夢と見て忘れてしまうのかもしれません。
 けれど、願わくばこの一片(スノウピース)を誰かが拾い上げて、そして見てくれてさえいれば、きっと誰かの救いになるだろう、そう思います。

 ――時とは誰の持ち物なのでしょうか?
 それを決めてしまうのが、戦いだと今は断じさせてください。

 --『ダンゲロスSS4』より、美しくも残酷な世界に寄せる 著:翻訳者

最終更新:2015年01月24日 21:49