裏準決勝戦SS・ディスコその2


――希望崎学園 武道場

「覇ッ!」

 武道場に満ちる早朝の静寂な空気を、裂帛の気合が引き裂く。
 声と同時に突出されたのは掌。そしてそれより寸毫の間をおいて空気の弾ける音が武道場に響き渡る。
 掌底を放った男は、型を確かめるようにゆっくりと息を吸いながら残心を取る。
 掌を完全に引き戻し、静止。
 続いて気迫と共に再び掌底を。今度は一撃では止まらない。
 踏み込みながら逆の手で一撃、横に回り込みながら二撃目、足払いから追撃の踏みつけ、即座にバックステップ。
 すべての動作を流れるように終えると残心をとり、呼吸を一つ。
 そこまでの動作をこなしたあと、男――日下景は構えを解き、武道場の入り口へと振り返る。

「おはようございます、時ヶ峰君」
「精が出るな、日下」

 そこに立っていたのは2mを超す長身の男。
 この世界の創世神の末裔であり、現時ヶ峰最強「ケンイチ」の名の継承者。時ヶ峰堅一だ。

――仕方はないけれど、会いたくはなかったな。

 同じく武を嗜む者として、希望崎に入学してから時ヶ峰と日下は浅くはない交流をしている。
 にも関わらず日下がバツが悪そうにしているのは、彼の抱える事情が故である。

「……聞きましたか?」
「ん?ああ、迷宮時計の話か。昨日、本葉から聞いたぞ」

 本葉柔――日下景が次に迷宮時計を巡って戦う相手であり、時ヶ峰堅一の極めて親しい友人。
 日下との交流はないが、彼女の人となりについては時ヶ峰堅一からよく聞いている。
 少し変わっているが、好感の持てる人柄であるらしい。好き好んで敵対をしたいような相手ではない。
 ましてや――彼女を異世界に置き去りにしていい理由など、探しても見つからないだろう。

――それでも僕は、僕と彼女のために。本葉さんを倒さなければならない。
――それを阻もうというなら時ヶ峰くんも……

 時ヶ峰堅一は強い。
 創世神にして武神、初代時ヶ峰健一から引き継いだ能力「あらゆる剣を召喚する能力」は強力無比であるし、恵まれた肉体は魔人離れした身体能力を備えている。
 そしてそれ以上に、彼が積み上げてきた鍛錬の恐ろしさを日下景はよく知っている。
 彼我の実力差はにゃんこ師匠戦以上に圧倒的だ。例え彼が油断をしていたとしても、勝機は万に一つもあるまい。

――けれど、その事実はすべてを諦める理由になんてならない。

 日下は丹田に力を込め勁を練る。
 彼が日下に本葉柔を倒させないため邪魔をするというなら、日下は彼女との日々を取り戻すために時ヶ峰を倒さなければならない。
 もはや日下は殺気を隠そうともしない。ピリピリとした空気が道場に満ちる中、時ヶ峰はやんわりとした仕草で日下に掌を向ける。

「何を勘違いしてるんだ日下。俺はお前と闘わないぞ?」

 気の抜けた彼の言葉にぷつりと緊張の糸が切れる。

「闘わない?」
「当然だろ。それはお前とあいつの戦いだ。俺が邪魔する理由なんてないだろ」

 理屈は分かる。武道を嗜む者として他者の試合に手出しをするのは御法度だ。
 だが、それはあくまで試し合いの話。
 迷宮時計を巡る戦いでは命の奪い合いだ。例え直接手にかけることがなくとも、敗者は異世界に取り残されることになる。
 過去や古代に残されればまず間違いなく死が待っている。現代に比較的近い時代だとしても、縁故なしで生き抜くことは困難極まりないだろう。
 そんな命の取り合いに、何故ルールを持ち出す必要があるだろうか。

「本葉さんが負けたら、二度と会えなくなるんですよ?」
「お前が負けたってそれは同じだ。どちらかとは別れることになる」
「いや、それはそうだけど……そういう問題じゃなくて」

 時ヶ峰堅一はそもそもその前提が気に食わん、とフンと鼻を鳴らしつつ

「とにかくだ。公平な戦いである以上俺は必要以上の手出しはしない。お前にも本葉にも肩入れをしない。つまらない勘ぐりをするな」
「えっと、だったら、なんでここに……?」
「汗を流しに来ただけだ」

 話は終わりだ、とばかりに更衣室へと去っていく時ヶ峰の背中にむけて、日下は言葉をかけようとする。
 だが、何も出てこない。何を話せばいいのかわからない。
 時ヶ峰が本葉の話をする時の、優しい表情を日下は知っている。彼が本葉柔を大切に思っていることを知っている。
 そもそも、手出しをしないというならそれ以上話すことなど無いだろうに。

――もしかしたら、僕は時ヶ峰君と戦いたかったのかもしれない。殴られ、罵倒されたかったのかもしれない

 彼が本葉柔の側について日下を責めてくれれば、日下は本葉柔を敵と見なす言い訳が出来た。
 だが、時ヶ峰はしなかった。本葉側につくどころか、日下が負けたら日下と会えなくなると言った。友人として、慮った。
 ギリ、と日下は歯を噛みしめる。

――言い訳は出来ない。分かっていたことだ。僕は僕の勝手で本葉さんを踏みにじる。

 ならば、せめてそのこととは真っ直ぐ向きあおう。
 それが時ヶ峰堅一の友人として取るべき、ただひとつの義務だと、日下は思った。


日下景裏三回戦SS「もしも何か一つでも違っていたら」


 戦闘空間への移動に伴う五感の歪みと不快感。
 それらから開放された日下がまず認識したのは、音と光の奔流であった。
 天井に吊るされたいくつもの照明が音楽に合わせて色とりどりの閃光を放ち、大音量で鳴らされる音楽は壁に天井に反射してもはや音源がどこかすらわからない。
 人のいる場所に突然現れてしまったため騒ぎになるのでは、とも思ったが、周囲の人々はそれぞれ音楽とダンスに熱狂しており日下のことなど気にも留めない。
 そのことに安堵しながら、日下は持ち込んでいた遮音用のイヤーマフを着けた。

――騒ぎにならなくて良かったけど……やっぱり、ここだと手榴弾は使えないな。

 人がいる場所に出ることは予期されていたため、今回は殺傷兵器のたぐいは持ち込んでいない。
 動けないほど人が多いわけではないが、照明と混雑のせいで視界はあまり通っていない。人を巻き込まずに射撃武器を使うことは困難だろう。
 相手の人間性がわからないならば無差別攻撃も警戒せなばならないが、幸い本葉柔はそんなことをしない人間性であることはわかっている。

 必然、予期されるのは接近戦。
 本葉柔の柔術と日下の八極拳の比べ合いになるだろう。

 となると必然、相手を先に見つけて攻撃を仕掛けた方が有利だ。
 しかし、日下に探知能力のたぐいは無い。自分の足で相手を探し眼で相手を見つけなければならない。
 本葉柔も探知能力を備えていなければ戦いは長びくだろう。だが……

 背後から、人の気配。背中と首周辺に人の温もり。
 この感覚を日下は知っている、そう、これは裸絞。
 今からかわすことは難しいだろう。
 とはいえ、告白を聞かせようとして彼女の時とは事情が違う、カウンターで弾き飛ばすよりも絞めが決まりこちらの意識が断絶するほうが先だろう。
 初手から絶体絶命。そう、この状況は――

――想定の範囲内!

 ポケットに入れていた手を抜き放ち、スタングレネードを投げる。
 スタングレネードは日下と背後からの奇襲者の視線の高さへと飛び上がる。
 これを持ち込んだ理由は2つ。殺傷兵器が使えない環境なら非殺傷兵器を使えばいいということと、本葉柔抱える性質。
 時ヶ峰から以前聞いた話によれば、彼女は光過敏症であるため常に遮光グラスをかけているらしい。
 遮光グラスとはいえすべての光を遮断するわけではない。ある程度の光を通さなければそもそも何も見えなくなってしまう。
 無論、スタングレネードの閃光も減衰するだろう。だが、光過敏症を加味すれば十二分にダメージを与えることができると彼は読んだ。

 スタングレネードが閃光と爆音を発したのは裸絞めが決まるよりも早く、日下が目を閉じるのとほぼ同時だった。
 奇襲者が怯む気配。その隙に日下は奇襲者の手の内から脱し、掌底を撃つ。
 攻守逆転だ。スタングレネードの閃光で目を焼かれ、爆音で耳を封じられれば対応は難しいだろう。
 こちらも目を閉じたままだが関係ない。日下景の発勁は絶大な威力を持っている。どこにでも当てられれば後の展開を有利に運べるだろう。 

 掌底が奇襲者の体にぶつかる。掌に伝わる柔らかい手応え。明らかに勁力が通っていない。
 何事かと目を開き確認すれば、日下の掌は本葉柔の胸にめり込んでいた。
 羞恥と、それを上回る疑問。
 彼はフックのように上体を回し側面より胴部を狙った。胸で掌底を受けるには掌底の撃たれる側を向き、さらに胸の高さを合わせなければならない。
 そんな動作、スタングレネードの影響下では不可能に等しい。
 日下の様に防音装備もなく、いくら遮光グラスがあるとはいえ光過敏の彼女が至近で放たれた閃光と爆音を耐えられたのはいかな理由か。
 その理由について考える暇もなく、本葉柔の攻撃が彼を襲った。

――――――

 本葉柔がスタングレネードに対応できた理由はただひとつ。その脅威が既知のものであったからに他ならない。
 無論、直接スタングレネードを投げつけられたことがあるわけではない。現代日本において普通の高校生がスタングレネードを投げつけられることなどまずありえないだろう。
 では何故既知であったか。それは

――ケンちゃんが、同じような剣を使ってきたからだ!

 光、音。それらを操る伝説の剣は少なくはない。つまり時ヶ峰堅一もまたそれらを操ることができるということだ。
 真の姿を見られた口封じのため、本葉柔は幾度と無く時ヶ峰堅一に挑み。負け。負け。1回だけ勝ち。やっぱり負けてきた。
 柔とて無策に堅一に挑み続けてきたわけではない。彼に負けたあとはいつも、布団の中で彼が使ってきた剣や技への対策を考えてきた。
 例えば今つかっている心眼の技術もそうだ。 
 下手に光を見てまた時ヶ峰に真の姿を見られてしまわないように、視覚を中心とした五感に頼らない戦闘方法は既に習得している。
 彼女が時ヶ峰との戦いで習得した技術は、無論これだけではない。
 時ヶ峰を倒すために培った技が、時ヶ峰に倒されない様に覚えた技術が、今、彼女の戦いを支えてくれている。
 彼女の胸の谷間で、フラガラッハが少しだけ動いた。心眼と合わせれば、それだけで日下の動きは見るよりもはっきりと認識できる。
 ケンちゃんに借りたこの剣と、ケンちゃんとの戦いで培った技術があればきっと、勝てる。

――だって、私は一人じゃない。ケンちゃんの貸してくれた力が、ケンちゃんとの思い出が、私に力をくれるから。

 日下景。彼はケンちゃんの友人だ。何度かケンちゃんの口から名前が出たのを覚えている。 
 彼にだって戦う理由はあるのだろう。そもそもとして、異世界に残されたりなんかしたくないだろう。
 それでも、本葉柔は戦うのだ。ケンちゃんの待つ世界に戻るために。

――――――

「『ん……何?』!!!」

 胸の谷間に挟まれた手首が、『偶然』日下の汗で滑ってするりと抜ける。
 日下の手先を本葉柔の乳房がかすめる。もし少しでも抜けるのが遅れていたら、そのまま手首の関節をへし折られていただろう。
 なんとかこの一撃はしのいだが、流れるように続く連携に日下は防戦に回らざるを得ない。
 日下の攻撃に対する対処が早すぎるのだ。まるで、見てきたかのように次の攻撃を読んでくる。

 ここまでくれば、日下も彼女の強さの理由に思い当たる。

 即ち圧倒的な戦闘経験と、それに裏打ちされた技術。
 時ヶ峰が以前日下にもらしていたことがある。本葉は強い、と。
 それはつまり、時ヶ峰と本葉が戦ったことがあるということだ。

――僕が『彼女』の思い出に力をもらっているように
――本葉さんも、時ヶ峰くんの思い出から力をもらっているというのか!?

 つまり、この戦いは単なる格闘技術の比べ合いにはとどまらない。
 本葉柔と日下景の大切な人への思いと、絆の強さ。
 同じ力を胸に秘め、二人は交差した。

――――――

 状況は一方的。本葉柔が攻め続け、日下景が守りに回る。それは変わらない。
 しかし、日下景には段々余裕が生まれ、対照的に本葉柔には焦りが生まれている。
 それは何故か。思いの強さの差だろうか?
 否である。正解はディスコという戦場の特性だ。
 本葉柔の妄想によるノイズを排除して考えれば、彼女の能力は「自分に対して向けられた性的暴力への対抗能力」である。
 必然、彼女へ向けられる好奇の視線が強ければ強いほど彼女の能力も強くなる。
 通常であれば圧倒的な彼女の胸のサイズにより好む好まざるにかかわらず好奇の視線は彼女へと集まる。
 しかし、ここはディスコ。性と快楽の殿堂である。
 さすがに彼女ほどのサイズのバストを持つものは多くはないが、扇情的な姿という面であれば彼女は大きく引けを取る。
 故に、この場において彼女は能力の補助を受けることができず、攻めきることができずにいるのだ。

 胸を使った巻き込み一本背負いをかわされて、本葉柔はたたらを踏む。
 M44エナジーが思うように集まらない。最初は溜め込んでいたエネルギーで戦うことができていたが、それすらももう尽きかけている。
 攻めることはできているが、このままではジリ貧だ。焦りと疲労から、汗が肌を伝い目に入る。
 痛みにまばたきをすると、視覚から日下の手刀が迫っていた。
 倒れこむように交わし、相手の脚部へ蟹挟み。かわされる。
 このままではいずれエナジー切れで負ける。
 負けてしまえば、もう二度とケンちゃんに会うことが出来ない。

――それだけは、絶対に嫌だ!

 攻撃を捌きながら考える。勝つためにはどうすればいい?
 考えるのは苦手じゃない、だって、いつもケンちゃんに勝つために考えてきたから。
 今、不利なのは力が足りないからだ。
 力が足りないのはエナジー不足のせい。
 エナジー不足は、この場にいる他の人達にエナジーを吸われているからだ。
 だったら、注目を集めてやればいい。

――ケンちゃんは言っていた。剣は道具だ、って。
――それは便利だけど、でも、最後に頼れるのは自分の力……

 バックステップで一旦距離をとる。日下は素早く間合いを詰めようとする。
 だが、充分だ。

「確かに、ここにいるセクシーなお姉さんたちよりも私は目立たないかもしれない。だけど……」

 本葉は自分の服に片手をかけ

「これが、それを上回る……私のおっぱいだァー!」

 服を、破り捨てた!

 無造作に放り出されたJカップのおっぱい。それは否応無しに人々の注目を集める。
 注目しないのはただ一人、目の前に迫る日下景のみ。
 彼はただ戦意を込めた視線で本葉を攻撃しようと迫ってくる。
 彼の掌底に合わせて手首を取りに行く。おっぱいで手首をはさもうとするが、挟み終わる前に手首を外される。
 しかしその差は一瞬。手首を折れていてもおかしくはなかったタイミングだ。
 届いた。これでエナジーによる差は詰まった。
 たしかにおっぱいが丸出しのこの状況は恥ずかしい。
 だけどそんなもの、ケンちゃんと二度と会えないことと比べればどうってことない。
 おっぱいに集まるM44エナジー。これなら、いける。
 おっぱい視線誘導により、二人が戦っていることが気づかれたのだろう。周囲の人々は遠巻きにおっぱい丸出しで戦う本葉と日下を見守っている。

――これなら、問題ない。

 遮光グラスを外しておっぱいに挟み割り、心眼を使うために閉じられていた目を開く。
 光、眩しさ、自分が自分でなくなる恐怖。

「それでも、それでも……私は、ケンちゃんのところに帰るんだ……ボンバァァァアアアアアア!!」

 本葉柔が真の姿……巨大蟹としての姿を現した。

「ピピピピッ! 3分間クッキング、はじまりー!」

 本葉の迷宮時計が三分のカウントダウンを開始した。

――――――

 日下景のすぐ横を巨大なハサミが突き刺さる。
 多人数のダンスに耐えうる強固な床が、まるで豆腐か何かのように粉砕される。
 厄介だ。反則にも程がある、と日下は思う。
 これが単純に本葉が巨大な蟹へと変貌しただけだったらまだましだっただろう。しかし話はそう簡単ではない。
 遮音用イヤーマフを付け直し、蟹の目の高さにスタングレネードを投げる。同時、地面すれすれから回りこみ足関節部へと打撃を試みる。

 バチン!

 本葉柔は巨大なハサミでスタングレネードを地面に押し付ける。
 スタングレネードは閃光と轟音を伴うが、破壊力は無いに等しい。ハサミで閃光を遮れば影響はでない。
 そして足元に回った日下の攻撃は、関節をわずかにずらして甲殻で受け止める。
 そう、この状態になっても本葉柔は未だに技術を駆使するのだ。
 今の本葉柔に知性があるのか否かはわからない。だが仮になかったとして何の問題があろうか。
 本当に重要なことは肉体に刻みつけられている。日下に告白しようとする彼女がいい例だ。
 その厄介さを、日下はよく知っている。
 今までの本葉柔は、時ヶ峰との戦闘経験に体がついてきていなかった。読まれていても根気よく戦い続ければ押しきれるという感覚があった。
 だがそのスペックの不足は巨大な蟹になったことで完全に補われた。
 もはや今の彼女に既知の攻撃が通用することはない。彼女を倒すには、彼女の経験にない攻撃で攻めなければならない。

――けど経験が無いってことは時ヶ峰くんが使わなかった攻撃ってことだ。

 武神の末裔、時ヶ峰堅一。
 こと武に関する限りで彼に不可能なことなど存在するだろうか?

――否、彼に出来ないことなんてない。

 考えながら関節技と拾ったナイフによる斬撃を組み合わせてみる。無論関節技は外されナイフは流される。
 打撃、関節技、投技、斬撃、爆発射撃電撃炎。
 彼女から渡された『お守り』に入っていたあらゆる手段は既に試している。しかし一つとして通りはしない。

「ピピッ、あと2分だよー!」

 どうすればいい。答えは、どこに有る。
 記憶を辿る。

――彼女との日々、彼女との戦い、違う。今頼るべきはこれじゃない

 考えるべきは本葉柔のこと。彼女の相手、時ヶ峰堅一の事。
 彼は本葉柔を大切にしていた。だが、戦いにおいて必要のない手抜きをするタイプではない。

――逆に考えれば、不必要に傷つけようともしない?

 バチン!
 日下が何かに気づくのと、鋏で腕を切断されるのはほぼ同時であった。

「……っ!」

 痛みに耐えながら、手繰り寄せた可能性について考察する。
 時ヶ峰堅一は強い。そして手抜きはしない。
 だが、必要以上に相手をいたぶるようなこともまたしない。

――過剰な威力の技……倒すだけなら必要がない。後々まで後遺症を残すような技。

 例えばそれは、内臓まで衝撃を浸透させる攻撃。
 頭に撃ちこめばパンチドランカー症状を招き、腹部に撃てば内臓を損傷させ治療困難な傷を与える技。
 日下景にとって、もっとも親しんだ技。

――浸透勁……!

 たしかに、時ヶ峰堅一が浸透勁を使う理由は薄い。
 内部へダメージを与えるこの手の技は、過剰に相手の身体を損傷する。
 相手に対して強い害意を抱いているならともかく、大切な友人に撃つべき技ではない。

 故に、本葉柔にとっての未知はこれをおいて他にはあるまい。

 日下は斬られた片腕の止血をあえてやめ、その腕を振る。
 目を狙って飛ばされた血しぶきを、本葉柔はハサミで払う。
 時間にしてごく一瞬、だが、その一瞬で充分だ。
 掌を甲殻に当てる。本葉はそれに対応すらしない。甲殻で弾けると考えているのだろう。
 代わりに鋏を振り上げる。こちらの攻撃を受け止め、鋏で叩き潰す。浸透勁を考慮しなければ確実な勝利への道だ。

 ことここに至って日下景は確信する。この状況下での無警戒。本葉柔は浸透勁を食らったことがない。
 彼女は日下景と同じように大切な友人と戦い、その経験から力を得てきた。
 真剣な戦いだ。殺意さえ持っていたこともあるだろう。
 だが……相手の身体を完膚なきまで破壊しようとするような攻撃に、さらされたことはなかったのだろう。

――でもきっと、それは間違ったことじゃない。

 だって、本葉柔と時ヶ峰堅一は、二人共平穏な日常を過ごすことができていた。
 平穏な日常を失ってしまい、迷宮時計に頼らなければそれを取り戻すことすらままならなかった日下たちとは違う。
 何事もなければ、彼らはこのままずっと平穏な日常を過ごせていたのだろう。

――それを、羨ましく思わないと言えば嘘になる。僕と彼女の関係が、もしも何か一つでも違っていたら、僕と彼女も本葉さんや時ヶ峰君と同じような平穏な日常を過ごせたのかもしれないと、思ってしまう。
――だけど、過去は変えられない。
――だから今、僕は僕の歩いてきた過去に感謝する
――だってその御蔭で、僕は………!

 勁力をすべて掌に乗せる。
 狙うは甲殻の奥、やわらかな内臓へ。

――今、あなたに、勝つことができるんだから!

 甲殻を通した衝撃は本葉柔の内臓をかき混ぜる。
 彼女は白目を向き、泡を吹きながら崩れ落ちた。

―――――

 僕が元の世界に帰ると、時ヶ峰君の姿はなかった。
 代わりに武道場には書き置きが残されていた。内容は簡潔に

「迎えに行ってくる」

 とだけ書かれていた。
 彼が一体どんな手段を使って迎えに行くのか、それはわからない。
 本当に上手くいくのかもわからない。

「……まあ、きっとうまくいくんだろうけど。でも、もう少し待っていてくれても良かったのに」

 できることなら、彼にお礼を言いたかった。
 本葉さんに勝っておいてそんなことを言うのは嫌味みたいに取られるかもしれない。
 でも、それでも、本葉さんと時ヶ峰くんがいた事で。
 戦い合いながら、それでも二人が幸せに生きていてくれたことで。
 僕と彼女は進む道も、ちゃんと幸せにつながっていることがわかったから。

「……いないなら、仕方ないか」

 御礼の言葉は、僕の心に秘めておこう。
 そして、勝とう。勝って、僕らも幸せを手に入れよう。
 僕はそう決意を新たにした。

――――――

 ……本葉柔の敗北により、時ヶ峰堅一と本葉柔の間には分厚い壁が立ちはだかることになった。
 ほぼすべてのことを可能とする時ヶ峰の能力、だが、その能力にはいくつかの不可能がある。
 その内の一つが、世界移動。
 創世神にして武神・初代時ヶ峰健一がこの世界にとどまり続けたのもそのためだ。
 故に、どのような剣を召喚しようと本葉柔と時ヶ峰堅一が再会することはない。
 彼が今取り出した矛。創世の力を秘めたこの世界最強の武器、天ノ沼矛とてそれは変わらない。

 「認めよう……確かに世界間の断絶は絶対だ。この天ノ沼矛とて切り開くことは出来ないだろう」

 時ヶ峰堅一は一人つぶやく。

「俺と本葉、二人の間の壁は、あまりに分厚い」

 彼は両手で天ノ沼矛を握り

「そして……その壁すらもぶち破る、これが俺の筋力だ」

 へし折った。

 天ノ沼矛に秘められていた世界さえ創造するエネルギーが放出される。
 だが、彼の筋力はそれすらも上回っている。
 拮抗する2つの力、創世と筋力。
 せめぎ合う力は時空を歪ませ、ついには空間の壁を叩き割った!

 中に出来たワープゲートのような穴、しかし……その向こうに見えているのは鬱蒼と茂る密林だ。
 耳を澄ませば、恐竜のような鳴き声も聞こえてくる。

「ディスコ……がありそうな世界ではないな。まあいい、最初から一発で行けるとは思っていない」

 折れた天ノ沼矛を捨て、時ヶ峰堅一はワープゲートへと足を踏み入れる。

「待っていろ、本葉。俺は必ずお前を迎えに行く。どれだけの世界を経由しようと、必ずだ」

 ……この先、彼が辿る旅路についてはここではふれないでおきたい。
 彼が本葉柔と再開できるのか、それとも志半ばで倒れることになるのか……
 それを知るものは、未だ誰も居ない


最終更新:2015年01月11日 17:26