裏準決勝戦SS・マンションその1



「テメー、どういうつもりだ。ふざけんなよ……」

「えーっと、すみません……何が?」

「覚悟できてんのかッ!って訊いている!」
雲類鷲ジュウが地を破裂させ、加速する。彼の走行速度は尻上がりだ。速度が増すごとに、地を蹴る強さは増し、地に取り付けられる『圧力メーター』の性能も上昇し、まるで重力に引かれるように加速する。

「ああもうッ何でいきなりキレてんのよ!」
古沢糸子の安楽椅子が、ギュン、とバックし、滑るように左へスライドした。彼女の安楽椅子は一本の回転する支柱から伸びた六つ脚で支えられている。それぞれの脚の先には360度どの方向にも回転可能な球体が取り付けられており、指向的な弱点を持たない。

40階立ての高層マンションの屋上に二人はいた。
都心の駅から徒歩6分、対魔人構造の施された重厚な質感あふれるエントランス。トリプルオートロックのセキュリティ。ホテルのようなエレベーターホールにはエレベーターが3つ。
広い屋上は所々に花壇があり、ゆったりとくつろげるベンチやテーブルが設置されている。
そこで、二人の魔人による超高速戦闘が行われていた。

糸子の拳銃から放たれるチョコレートの弾丸。
いくつかの弾丸は、モチの様に隆起した防御壁に防がれる。ジュウが地を蹴り、膨張させたものだ。
残りのチョコレートは空中で軌道を変えジュウに命中する。しかし、そのほとんどはジュウの衣服に仕込まれた巨大消しゴムやスーパーボールの『膨張』によって防がれた。

戦いながら、ジュウの興奮は度を超えて激しさを増し、糸子を罵倒するようになる。
その怒りの原因は、ジュウの17年間長年培ってきた野生の勘と言うあやふやなものに裏付けされていた。

「俺が、テメーをPTAから『解放してやる』だけの『価値』があるのかって訊いてんだ!」
「はあ?」

「少なくとも、今まで俺が殺してきた奴らには、それだけの『価値』があったぜ……」
弾丸の隙間を掻い潜り走る。安楽椅子の白い煙と、PTAの黒い蒸気が直線を描く。
「だが!テメーは違う!テメーには覚悟がねえ!やる気がねえ!胸の内で蠢くドス黒い蒸気ってもんが!圧倒的に足りねえんだよッ!」

ジュウの蹴りが糸子の安楽椅子を狙う。エンジンが火を吹き、かろうじて回避。

「えーーっと何、これ、ひょっとして私、叱られてんの!?」糸子は引きつった笑いと共に叫ぶ。
19歳年下の少年に、戦闘中に叱られるはめになるとは、さすがの糸子も予想だにしていなかった。

「テメーは何のためにこの戦いに参加した!?さっきから!何故俺の脳みそを狙わねえ!?アアッ!?相手がもっと小せえガキだったらどうする!?異世界に残りたくねえと泣いて懇願されたらどうすんだよッ!俺だってガキは殺さねえ、だが、テメーみてえに生半可な覚悟で参加するくれーなら、さっさと異世界で途中下車してるぜ!くたばれ!くたばれくたばれくたばれくたばれくたばれくたばれ」

「もーうッ!うるさいな!私だって好きでこんな事――」その台詞半ばにして糸子は口を紡いだ。
少年が責めているのは、おそらく彼女のこの『姿勢』であろう。糸子は当初、依頼されてこの戦いに参加したわけではない。必死で戦っているのも、基準世界を失いたくない為であって、特別な望みがあるわけでも無かった。もちろん、田園でラトンに正式な依頼(?)は受けた。だが、命を賭してでも完遂すべき依頼かというと、疑問の余地がある。
『依頼を完遂』『領分を超えてはならない』師匠の教えがフラッシュバックする。
『その線を踏み越えた者から、死ぬ』

「わかってるわよ」

パン、とジュウの脇腹をチョコレートの弾丸が襲った。ジュウの堅い皮膚に、弾丸がわずかに食い込む。
糸子は闇雲に銃撃を繰り返していたわけでは無かった。敵の動きをつぶさに観察し、的確に防御の隙をつく。ハードボイルド派探偵術の基本である。
「確かに私は、明確な目的を持って戦いに参加したわけじゃない。だ・か・ら……な・あ・に?……誰もが夢を持たなきゃいけないなんて、近頃の学校教育の弊害ね?」

「くたばれ……」ジュウは、一瞬、ふらりと身をゆらす。
ラム酒入りの弾丸。アルコール度数70%のチョコレートが彼の肉体に侵入する。異常な耐久力を誇る彼にも、この『酔い』はある程度効き目があったようだ。
「ちッ……」銃創を破裂させ、チョコレートを排出する。
この状態で広い場所を動き回るのは不利と見たのか、彼はひらりと屋上の柵を乗り越え、階下へ落下する。
「まずは」拳を握りしめ、震わせる。「人払いだ……ッ!」


パン、とクラッカーが鳴り、カラフルな紙吹雪が少年の頭上に振りかかる。
「誕生日おめでとう!金成!」
10人を超える小学生が、マンションの居間でテーブルを囲んでいた。

「いやーありがとう、ありがとう」少年は10本のろうそくを吹き消す。その日、金成善夫は10歳の誕生日を迎えていた。「なんかもう悪ィなァ、俺なんかの為に集まってもらって」

「てめーの誕生日じゃなきゃこんな金持ちのマンションまでわざわざ来ねーよ!成金!」
「そーだ!何だあのエレベーター!ボタン全部押したら勝手に消えやがったぞ!」
「最近のはそーなってんの!お前ら貧乏人にはわかんねーよ!」金成は笑いながら悪態を返す。

「これこれ、乱暴な言葉はやめなさい。善夫」
ケーキにパウダーをふりかける父親が息子をたしなめる。「男なら、お前も、紳士を志しなさい」

モデルガン、プラモデル。息子の周りにはプレゼントの山。
少年が腕に抱くのは『ウィー、アー、チャンプ』でお馴染みの『ミスターチャンプ』の可動精密フィギュアである。この世界におけるチャンプは、迷宮時計の戦いに巻き込まれず、子供に夢を与え続けていた。
夢はチャンプのプロレス団体『代々木ドワーフ採掘団』への入団。金成善夫は、見た目はドワーフらしく少し肥満体型だが、性格はやや成金基質な点を除けばさわやか。見た目のせいで女子の人気は薄いが、関係ねーぜとばかりに給食を掻き込み体型を維持する姿勢は男子から一定の評価を受けている。

「…………」テーブルの隅で黙りこくった眼鏡の少年もまた、彼の親友であった。金成と違い、身体も小さく貧弱で、家庭は貧乏。彼は、金成の為に持ってきたプレゼントを渡せずにいた。

「おや」キッチンから現れた金成の父親がその子の様子を見て、言った。「渡さなくていいのかね?」
「う、うん……」

「あ!何だよお前!プレゼントまだもらってねーじゃん!」
盛り上がる子供たちの会話から抜け、ケーキを掻っ込んでいた金成が、眼鏡の少年に声をかける。
「もらうぜ、いいよな?」少年がわずかに頷いたのを見ると、金成は白い包み紙を手際よく開封した。

「おおおーーーッ!」金成が声をあげそれを掲げる。「すげーッ!すげーよお前!こんな才能あったんだな!」
「う、うち、お金無いから……さ、そんな物しか作れなくて、ごめん……」
「何言ってんだよあほ!そりゃあこっちと比べたら大した事ぁねーけどさ!それでもスゲーよ!」

粘土細工で造られたミスターチャンプの像は、精密可動フィギュアと比べると余りにもいびつで、顔は不自然に歪み、腹はたるみ、手は少し長すぎた。チャンプよりむしろ自分によく似たそのプレゼントを抱えて、彼は立ち上がり、壊さないように自分の部屋に持って行く。

「ええ、ですから、塾までには間に合うように誕生会は終わらせますので、ハイ……」

父親の電話する声が聴こえてくる。相手はおそらくPTA役員であろう。
PTAは子供の誕生日会にまで口を出す。
いかに金持ちであろうとも、PTAの武力を伴う圧力には頭を垂れる以外にない。

金成は二体のチャンプ像を本棚の上に置いた。スペースに空きが無い為、可動フィギュアを粘土フィギュアより後ろに置く。彼が満足気にそれを眺めていると、そのフィギュアが突然、床に落ち、割れた。

ゴゴ、という地鳴り。

ドスン、と部屋が揺れた。耐震構造の施された高級マンションが、かつてない衝撃を受ける。
(地震か……!?)
本棚の可動フィギュアが揺れ、それも落下する。
ぐらり、と本棚が大きくバランスを崩し、彼の頭上に振りかかる。「……え」

「危な、い!」金成の父親が電話を投げ捨て、彼の身体を突き飛ばす。
パン、とトマトが弾けるように、息子の代わりに本棚に頭を打ち砕かれた。
チャンプのフィギュアが血で染まる。「……は」父親が死んだ。

「…………!!」少年はすぐに立ち上がり、部屋から飛び出した。

マンションはまだ揺れている。
「――金成!じ、地震が……!」眼鏡の少年が金成に走り寄る。
「落ち着け」金成は友人の両肩に手を置いて言った。「揺れが収まるまで、じっとしてろ」友人を廊下の隅に座らせる。こういう時、まずはどうするんだったか。キッチンへ行き火を止めなければ。
ふらりと立ち上がると、振り返る。「おい……」

友人はもう、意識を失っていた。


「まさか地震まで起こせるなんて、物体を『膨張』させる能力……、あれが、ウルワシ製薬の、十番目の息子……」古沢糸子はジュウを追い、マンションの廊下を走行していた。

雲類鷲殻、雲類鷲カズマ、雲類鷲ツグミ、雲類鷲ミチル、雲類鷲アズマ…………。
事前に調べた結果、雲類鷲ジュウという人物は基準世界には存在しなかった。ただ、ウルワシ製薬の子供達の名前に全て、男女関係なく生まれた順に数字が込められていることから、未来における雲類鷲家10番目の子供ではないか、という仮説を立てていた。ジュウを探すことに時間をとられ、それ以外の調査では大した成果を得られなかったわけだが……。

とにかく、ジュウの能力が設置型であることは、先ほどの戦闘から推理済み。
敵に有利だとわかっていても、敵に罠を仕掛ける余裕を与えるわけにはいかない。
(ここにはいない、もっと下か……)

「すみません!誰か!いませんか!」

子供の声。
揺れが収まり、大半の住民はエレベーターや非常階段で脱出したはずであった。

「ちょっと、どうしたの?」糸子は躊躇なく声をかけた。
「友達が13人倒れてるんです!」
「原因は?」
「ふ、不明です」
「不明ィ?」もしかしたら雲類鷲ジュウの仕業かもしれない、という予感が頭をかすめる。
「し、死んではいません。誕生日会をしていて……地震が起きて……それで……」
「よし、パッと見るだけだけど、案内して!」
「はい!」
糸子は少年を前に歩かせ廊下を進む。
廊下は凹の形をしており、中央はエレベーターホールとして開けたスペースとなっている。
二人は中心からその左に向かって進もうとした。廊下の角を曲がる瞬間。

「オラアアッ!」逆方向の曲がり角に潜んでいた雲類鷲ジュウが背後から襲いかかる。
「……っ!そっち!?」安楽椅子のエンジンが炎を噴き出す。少年を抱き上げ猛烈な勢いでダッシュ。

パン、とジュウの拳を受けた壁が破裂する。
「ち……っ、バックミラーでもついてんのか?」狙いを外したジュウが、糸子を追う。


「ハァ……ハァ……こ、ここです!」
「ひどい……地震のせいね」

糸子が逃げながら案内されたマンションの2110号室は実際ひどい有様だった。
廊下を進んですぐの部屋には本棚に頭を割られた男性。
途中の廊下や居間では子供達が全員、死んだように寝ており、落ちたケーキやお菓子が床に散乱していた。
(……子供達は睡眠薬を盛られたみたいね)
走りながら、糸子はケーキに振りかけられた白い粉をすくい取る。

「ここかァッ!ガキのいる部屋ってのはッ!」背後から敵の声。

「悪いね少年……ゆっくりと現場検証してる暇は無いみたいっ!」
「え……」
糸子はベランダの窓ガラスを開くと、少年を抱えたまま飛び降りる。
「ええええーーーっ!?」


(確認できただけでもガキが14人か……多いな。揺れを強くしすぎたか)

ベランダから飛び降りた糸子を追いながら、ジュウは考える。
その獰猛な性格とは裏腹に、彼は定量的に物事を捉える人間である。
同じ赤の他人の子供なら、一人より二人。二人より三人の方が価値は重い。

(やっぱマンションの完全破壊は出来ねェな……。つまんねえ……ぶっ壊してぇ……ッ!)

現在、マンションに取り付けたメーターの性能では、せいぜいさっきのように、連続した圧縮、膨張による振動を引き起こす程度。建物の完全破壊は不可能である。
また、今取り付けてある低性能のメーターでは、メーターから位置の離れた箇所の局所的な破壊も難しい。
だからと言って高性能のメーターを取り付ける為に内圧操作で筋力を上げようにも、それでは体温が上がってしまう。酒の回りをこれ以上良くするわけにはいかない。

糸子は少年を抱えたままマンションの『外壁』を走り、非常階段へと向かう。
ジュウもそれを追う。垂直に壁を走る安楽椅子と男の姿は、異様である。
(狙うなら、これみよがしにむき出した安楽椅子の『脚』だ。が、敵がそれを考慮してねーはずがねえよな)

ジュウは、相手が敵であろうと他人をPTAの抑圧から解放する事は基本的に『善』であると信じていた。
解放され強化された敵をかっ食らってこそ、力を得られるのだと、人喰い民族のような盲信にとらわれていた。
(だが、あの『ババア』は気に食わねえ!本体を叩いて能力を強化させる事は絶対にしねえ、ぶっ壊すのは!あの安楽椅子だ!ただし脚は狙わねーぜ、怪しいからなァ……狙うべきは――――)


安楽椅子探偵はガタン、と非常階段を3つ飛びに駆け下りる。
無理な姿勢でも転倒しないのは、愛機の姿勢制御機構と、彼女の卓越した安楽椅子技術の賜物だ。

「な、何なんっすか今の人!」
「えーとね、物体を膨張させる能力を持った魔人、かな。戦ってるんだ、今」
少年を膝に抱いた古沢糸子は答える。
小学生にしては少し重い。がっしりしているな、と糸子は思った。子供だが、その凛々しく太い眉毛はハードボイルド的に見て満点である。

「そっか、じゃあ、地震を引き起こしたのは……あの赤髪の人ですね」
「おおその通り!少年、キミ、賢いね!」
「もしかして、おねえさんは魔人警備会社の方っすか?」
「ああ、うん、それはどうかな……っ。しかし、若いのに礼儀正しい子ね」
それと比べて……、と糸子は上階の階段に意識をやる。未来の若者がけたたましい破裂音をあげ階段を爆走する。

「待・ち・や・が・れ・う・ん・こ・た・れ・クソバアアーーーーーーーーーーッ!」

「くそがき」糸子はチョコレートの弾丸で応戦。
非常階段では上手く防御壁が作れない為、糸子のほうが有利だ。

「何だろ、あの身軽さで……」安楽椅子に揺られ、少年がぼそりと呟いた。「上からの攻撃をしてこない。側面からの攻撃にこだわってるみたいだ。確かに空中では動きが制限される、でも狭い階段なら同じことだ……」

どこまでも冷静な少年だ、と糸子は思った。
「少年、推理の途中悪いけど、タクシーはここで終点よ」20階まで到達した所で、糸子が少年に行った。

「そうか……わかりました!敵は――――うわっ!?」
襲いかかるジュウから少年を守るため、ぐるりと勢いをつけて少年を投げ飛ばす。

「できるだけ早くこの建物から離れて。お友達の事は私が何とかするから」と糸子は親指を上げ、グッジョブのサインをした。「キミの結論には私もたどり着いた、少年、キミのヒントのおかげ」
少年を置いて、糸子は建物中央のエレベーターホールまで凄まじい勢いでバックする。
ジュウは離れた位置の少年をちらりと一瞥すると、糸子を追い、早足で建物内へ入った。

「へえ……ガキを守る為、逃げるのを止めたか。いい根性してやがる……」
「少しは見なおしてもらえたかしら?」
「全ー然ッ!」ジュウは両手の指の間に幾つものスーパーボールを挟み込んだ状態で取り出した。

『スーパーボールの所持は勉学に関係ありません。『不要物』禁止法に抵触します。違反者には――』

右腕のPTAが唐突に喋りだす。ジュウはそれを無視。
「ハッ!」駈け出すと同時に放たれるカラフルなスーパーボール。
それらは勢い良くバウンドし、空間にジグザグに直線を描く。

「何……?」糸子は訝しんだ。スーパーボールを膨張させ足止めに使うつもりだろうか?少なくとも彼の身体を守っていたスーパーボールが減り、先程よりも無防備に近づいたのは確実である。

「これはテメーのチョコレートと同じさ、こいつにはあらかじめ高性能のメーターが取り付けてある、俺の身体の一部みてーなもんだ……」

「……っ!まさか」
スーパーボールの圧縮、膨張。それは適切なタイミング――壁や床に当たる寸前に行えば、『弾性操作』となる。
ブランコをこぐように、スーパーボールは加速を繰り返し、あっという間に目で追えない速度まで到達する。
(嘘でしょ、どんな頭脳の演算機能よ、聖徳太子じゃないんだからさァ……!)
パン、と安楽椅子の背もたれにスーパーボールが命中。頑丈な背もたれに少しヒビが入る。
糸子はジュウに狙いを定める。狙うは彼がスーパーボールを取り出し、防御が手薄になった部位。

ヒュン、と彼女の鼻先をスーパーボールが掠めた。
さらに、ボン、とスーパーボールが一斉に膨張。安楽椅子の進行方向を妨げる。
その隙をつき、ジュウが彼女に迫る。

「オラァッ!く、た、ば、れェェ――――ッ!」

ジュウのローキックが安楽椅子に命中する。
彼が狙ったのは安楽椅子本体ではない。
その背面に設置されたジェットエンジン。その『水冷装置』である。

「チョコレートを武器にする魔人を見て真っ先に思いつくのは『熱』でそれを溶かす攻略法だッ!
 テメーがその対策をしてねーはずがねーよなァ~ッ!?」

仮に安楽椅子の脚を破壊された所で、強力なジェットエンジンの出力ならば、ある程度の飛行が可能である。かつて夜魔口黒犬に追われ、建物の13階から身を投げた時も、この愛機のおかげで一命を取り留めた。
一方で、エンジンの水冷装置は安楽椅子の肘掛け――チョコレートの保管庫と繋がっている。ここをやられれば、安楽椅子のエンジンが吐き出す炎の熱でやがてチョコレートは溶けてしまうだろう。
ジュウが椅子の脚では無く水冷装置を狙ったのは、敵の攻撃手段を無効化する上で最も正解に近かった。
その『点』においては。

「あ……?」
ジュウのローキックが命中した水冷装置は、何故か『破裂しない』。

「『推理』したわ……あんたの行動から」糸子が口を開く。「あんたが私『本体』では無く、安楽椅子を狙っていることや、あんたの言っていた『解放』という言葉から――私はその能力を推理した」
水冷装置には、『糸』の様な物が巻きつけられていた。

カカオ99%のブラックチョコレートの如き黒い、糸。

「ね、それがあんたの『制約』なんじゃない?他人の肉体は破裂させられない、それがあんたの能力の『制約』なのだとしたら――――……」
「て……めええェッ!!」ジュウが怒りの声を上げる。エンジンが稼働し、脚が装置から引き離される。
水冷装置に巻きつけられた、たった数本の古沢糸子の長い『黒髪』――――肉体の一部。
ジュウの能力は他人の肉体には『解放効果』にエネルギーを取られ、正常に作用しない。
「おばさんナメんじゃないわよ」

パァン、と甲高い衝撃音が二つ、エレベーターホールに鳴り響いた。

一つは、雲類鷲ジュウがその右足の先から『血』を水圧カッターのごとく発射し、水冷装置を破壊した音。
もう一つは、古沢糸子の安楽椅子の肘掛けに収納された幾つもの『チョコレート』が、糸子の手で一瞬で弾丸へと変化し、ミサイルの如き破壊力でジュウの右脚の膝から下を破壊した音。

サヴォイ・トラッフル『ACT2』
『キング・メイカー』の解放効果により進化した糸子の能力。
本来『拳銃』への装填が必要な彼女の能力は、もはや『拳銃』無しでも発射が可能となっていた。

(ピストルバリツを使いたいときは拳銃を使えばいいわけで、無いよりはずっと有難い能力ね……!……調子に乗ってちょっと撃ち過ぎたけど!)
椅子に仕込んだチョコレートは全て使い切った。糸子は衣服に仕込んだ弾丸をジュウに向け発射。
意を決して頭部を狙うも、右腕に防がれる。ジュウの右腕が時計の欠片ごと破壊される。
「――ぐッ!」空中を飛び交うスーパーボールが彼女の腹を撃ち、いくつかの狙いは外れる。パン、と壁に当たったチョコレートが茶色の花を咲かせた。

(まずいまずいまずい、無い、チョコが足りない)

水冷装置を破壊された時点で、残りのチョコレートを使い切る勢いで発射してしまった。そうしなければ、ジュウの追撃からは逃れられなかっただろう。
(ここは一旦引いて――……)糸子はスーパーボールの網をかいくぐり、非常階段出口まで戻る。

「待、ち、や、が、れェェ――――ッ!」

雲類鷲ジュウの獣の如き咆哮がそれを追う。
何という勝負への執念。
ジュウは巨大な三角定規を失われた右膝の下に突き刺し、
さらにその下にスーパーボールを取り付けていた。
彼が歩く度に、不格好な義足は鼓動を繰り返し、衝撃を吸収する。
「な――何よ、それぇ……!」糸子がその姿を見て悲鳴を上げる。

非常階段側から足音。

「ねえさん!」小太りの少年が非常階段を駆け下り、声をかける。
「少年!?逃げてって言ったのに!」そう言って、彼女は両手を合わせた。「ってああー!ごめん!友達、私が何とかするって言ったんだよねぇ……」
「いや、オレ、やっぱりねえさんに協力したくって……って、それより何か来てるッス!ヤバそうなのがッ!」

「く……た……ば……れェェ~~~~ッ!!」
右脚と右手を失い、異形の姿となった雲類鷲ジュウが迫る。

「だよね、どう見ても、ヤバイってヤツよね、これ」
 ……この少年を置いて階下へ逃げるべきか?
 敵は子供は殺さないと言ったが、傷つけない保障は無い。一瞬の逡巡。
「甘口ハードボイルドも気楽じゃないわね」
「――え?」
「少年、キミ、名前は何ていうの?」
「か、金成です。金成善夫――――――」
「そう、ちょーっと、ごめんね」糸子は金成の胸ポケットに手を入れた。
そのポケットに隠されていた、金文字の記されたプレートを、パリン、と二つに割る。

「ハッピーバースデー、善夫くん」

パンッ、と雲類鷲ジュウの両目が爆ぜた。
「ウ!オ!オ!オ!オ!オ!オ!オ!オ!オ!!!」獣の如き咆哮がホールに響く。
『Happy Birthday!!』と描かれたチョコレート製のプレートが、一瞬にして弾丸へと変化し、敵の両目を破壊していた。体温で半ば溶けかけた柔らかな弾丸も、目つぶしには有効である。
「善夫くん、協力したい……と言ったわね。さっきのタクシーの代金分、一つ配達を頼みたいんだけど、いいかしら」少年に向き直り、眼を合わせる。「……睡眠薬入りの、キミの誕生ケーキが欲しいんだ」
「わ……わかりました!」少年が階段を駆け上がる。

糸子は前を向いた。目の前ではジュウが苦悶の叫びを上げている。

(子供達を眠らせた犯人は――おそらく善夫くん)

だが、ハードボイルド派の探偵にとって重要なのは真実の追求ではない。

(重要なのは、チョコレートケーキに睡眠薬が仕込まれている、ってこと!)

「ウラアアッ!」ジュウが迫り、非常階段の踊り場が破裂する。
「おっと」糸子は安楽椅子のジェットを吹かし、誘導するように非常階段を昇る。


義足に取り付けられたスーパーボールがべこん、べこんと奇妙な音を立て、階段を叩く。
ジュウは糸子を追い上階まで昇り上がった。酔いが回り、右腕と右脚を失い、多量に出血した今となっては、マンションにメーターを取り付けている体力など無い。
高級マンションにしては珍しく、廊下は外気に晒されている。四方が壁に囲まれているのは、エレベーターのあるホールのみである。彼は廊下の外に意識をやった。微かに救急車のサイレンが聴こえてくる。「時間が無え……さっさと終わらせるぞ」

「少しは落ち着いた?さっきまで獣みたいに吠えてたようだけど」

「ああ……!ワンワン鳴いたらなあ、涙も枯れてこの有り様さぁッ!」
真っ赤に充血した右眼。ジュウの左眼は完全に失明していたが、右眼はかろうじて無事だった。彼は、涙腺を圧縮し、涙を水圧カッターとして放出することで、チョコレートの弾丸を間一髪切り裂く事に成功していた。
「さっさとくたばりな!クソババアッ!!」ジュウが左手を振るう。
シャープペンシルの芯が何本も突き刺さった消しゴムが炸裂弾のように破裂し、糸子を襲う。
その隙に近づいたジュウの手が糸子に伸びる。

POW!!

「――ッ!」予想外の位置から銃声が鳴り響き、ジュウの手が止まる。
「――親に……」金成善夫が『モデルガン』を握り、BB弾を発砲していた。プレゼントに友人に貰ったものだ。
「親に、習わなかったのか――男なら、女性に汚い言葉を使うべきじゃないッ!」

「善夫君、ナイス!」その隙に糸子は体勢を立て直す。

「ケーキを……お届けに参りましたっ」
「サインは後でいいかしら」ケーキが糸子の手に渡る。握られたケーキが圧縮され、幾つもの銃弾と化す。
彼女はまるで、推理の犯人当てのように指先をジュウへと向けた。
「獣には――」銃弾が空中で回転。「――麻酔銃がお似合いよッ!」
「効、く、かァッ!」対するジュウの左脚が廊下を蹴り、マグマの如き壁が隆起。
ヒュン、と風切音。睡眠薬入りの弾丸が音もなく発射された。

「当た……れッ!」

チョコレートの弾丸は隆起した壁を迂回し、ジュウの背中を狙う。
(手応えあり……ッ!)
「………………ッ!」壁の向こうで、敵の声。
いかに耐久力の高い男でも、睡眠薬を直接体内に注入されればひとたまりもないはずである。
少なくとも、まともに動くことはもうできまい。
壁の後ろで、カン、と高い音が響く。ジュウの倒れる音。義足として使っていた三角定規が地を叩く音。

「待ってたぜ……この時、を」

「えっ?」糸子が声を上げる。彼女の背後でボン!という音が鳴る。
背後で何かがが膨張したのだ。「う!わッ!?」金成善夫の叫び声。
「ちょ……うそッ!?」糸子は振り返る。

(スーパー……ボール!?義足として使っていたそれを……私が壁の向こうに意識を集中するのを見計らって、切り離していた……)隆起した坂道は、それを転がした。糸子の背後、少年のいる位置まで。

「ハッピィーーバーースデイッ!クソガキッ!ハハハハッ」スーパーボールの急膨張!

「うあああああっ!?」金成善夫のふくよかな体型が弾き飛ばされる。廊下の外。マンションの21階の外へと。
「ッ……ハ……テメーがガキを『使う』ってんなら……俺も『使わせてもらう』までだ!それなら、『フェア』だよなァ?待っていたぜ……テメーがガキを利用する瞬間をよォ」ジュウは倒れた姿勢で、柵の隙間から、糸子を見る。「…………心配いらねェ、クソガキは無事だ……何故なら――――」
「あああっ!もうッ!!」糸子がエンジンを鳴らし、ジェットの炎が廊下を照らす。
「クソガキは!どっちよ……ッ!」白い煙を吹きあげ、安楽椅子が跳んだ。


「何故ならッ!テメーが助けるんだからなァ――ッ!ハハハハハハハハッ!!」


「わあああああああッ!」空中で叫ぶ金成少年。
その少年の裾を、糸子の手が捉える。「――っと、落ち着いて」
糸子は少年を空中でしっかりと抱えると、二回、三回と回転しながら落下する。

「しっかり、少年――ハードボイルドの語源を知ってるかい」

安楽椅子が徐々に姿勢を正す。
落下速度は増々速まり、
風圧が糸子の長い髪をゴオ、と吹き上げる。

「落ちても割れないから――ハードボイルド(堅茹で卵)って言うんだぜ」


「ハァ……ハ……ふざけ、やがって、あのアマ……」
ジュウは朦朧とする意識の中、途切れ途切れに言葉を発する。
「麻酔……だと……ただの睡眠薬じゃ……ねーか。アホか、効くわけねーだろ。過去、どれだけ、喰らったと思ってやがる」
視界を、銀色の風が覆った。
「俺に、『ウルワシ製薬』の……薬が、効くわけ、ねーだろッ!アホ、か……」
悪態をつきながら、ジュウの身体は光に包まれ消滅する。


マンションの敷地は表側が狭く、裏側が広い駐車場となっている。
糸子が落下したのは表側、玄関でも無い道路――『戦闘領域外』だ。
糸子の安楽椅子は衝撃に耐え切れず、脚はひしゃげ、肘掛けの片方は潰れていた。
救急車のサイレンが徐々に大きくなる。

「じゃあ、やっぱり、睡眠薬を仕込んだのは善夫君だったの?」
「はい……オレと父さんが」

糸子の考えはこうであった。ケーキに睡眠薬をふりかけた場合、それを自分も食べるのならば、何らかの細工をしなければ自分も薬を摂取するはめになる。それを避けるには、ある特定の条件――例えば誕生ケーキなら、プレートは誕生日の本人が受け取るのが普通だろう。睡眠薬が振りかけられたケーキの内、プレートの置かれたケーキだけが、それに守られて、薬を摂取せずに済む。

金成善夫の胸ポケットに何故かチョコレートプレートが隠されていた理由は、これで説明がつく。

糸子は壊れた椅子に座ったまま、少年の言葉に耳を傾けた。
「チャンプの巡業試合のチケットが取れたんです、20周年の、特別なやつ。父さんが、取ってくれました。それで、オレの友達も行きてーだろーなって……。でも、場所も遠くて、青森なんです、北海道への軌道エレベーターがある青森。……みんな、塾とかあるし、そんな長旅、PTAは絶対許さないだろうって。だから、父さんが無理やり連れて行ったことにすれば、PTAに糾弾されるのは父さんだけだから……って、馬鹿ですよね」

本棚に頭を打ち砕かれた父親。
この子が平然としていたのは、この子に親子の情が無いからでは無い、抑えていたのだ。
突然の異常事態に置かれたとてつもないプレッシャーの中で。
「くそ……くそッ!あの赤髪!ぶっ殺して……やろうと……思ったのに……消えた!アイツ!逃げたのか……畜生!アイツは!ねえ……どうして――おねえさん!」
少年は、初めて感情を露わにした。糸子のコートに掴みかかる。

「どうしてオレを助けたんですッ!アイツを殺せるチャンスだったのに!父さんの――」

少年は掴んだ手を離さずに、うつむく。
「父さんの……仇……父さんは、成金って周りに馬鹿にされて、実際、馬鹿みたいにっ……お人好しで、さいごも、オレを助けて!くそッ……うちの家系は、昔から、人に甘くて、損、ばかりして……!」

「――そりゃ、私もさ」

糸子は少年の頭に手をおく。
無性に甘いチョコレートが食べたくなった。
甘い、甘い、甘い、どこまでも、甘い。睡眠薬の入ったチョコレートを思わず食べそうになり、笑う。

自分は甘さで勝って、甘さで負けたのだ。あの、くそがきに。

「だって、糖分抜きのブラックチョコなんて」糸子は独り言を呟いた。
「苦くって、とても、食えたもんじゃありませんよ。ねえ、師匠」
糸子は、少年が泣き止むまでその場にいる事にした。


最終更新:2015年01月09日 19:52