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野試合SS・厨房その1


 第三厨房での戦闘は五分ほど続いている。
 英検を使う男・ウィッキーさんは、筆を使う男・善通寺眞魚を確実に追いつめていた。しかし、決定打は出ない。
「have a nice day!(幅な椅子でおくつろぎください、の意。転じて、安寧の死を意味する)」
 圧倒的ムーヴで接近するウッキーさんの手刀が、善通寺の胸へ。善通寺は最高速度で空中に英語辞書の絵を描く。すると、英語辞書が実体化する。その言語パフォーマンスはウィッキーさんの攻撃を砕くほどのボキャブラリー密度を備えている。
 ウィッキーさんは手刀の軌道を修正。腹を切り裂かんとして力の流れをSVOからSVCへと移す、そのタメの瞬間、ウィッキーさんは、視界外に「無骨な槍」が描かれることに気付く。
「Foot!(ふと気付くと、の意)」
 ウィッキーさんは跳躍して間合いをとる。彼のいた空間に無骨な槍が二本が飛ぶ。タイル張りの床に突き刺さった。
 善通寺は息を整える。
 ウィッキーさんはニコニコ顔を崩さない。
 お互い、手は晒している。
 善通寺は、描いた絵を実体化する能力。ただし、実体化するのは、その絵を相手が見た瞬間である。
 ウィッキーさんは、強化された肉体と六つの感覚(シックス・センシス)で、圧倒的英検をふるうスタイル。
 戦闘能力で言えば、ウィッキーさんは化け物だ。強化された肉体と六つの感覚に加え、英検の完全熟達者。単純な力対決だけでなく総合的戦闘力を含めても、インターナショナルな彼に勝てるものはそうそういない。
 しかし、善通寺に限っては、その強化された感覚が悪かった。
 ウィッキーさんの研ぎ澄まされた感覚は、善通寺の描いたものを見るまでもなく、手に取るように分かってしまう。その「分かった」瞬間に、善通寺の作品は具現化し、ウィッキーさんを攻撃するのだ。
 視覚外からの攻撃に対応できるよう、ウィッキーさんはさらに感覚を強化する。第六感もフル稼働。直感で相手の行動が予測できてしまう。善通寺が「そこにあれを描こう」と思い描くことも「分かって」しまう。そのため、まだ筆もおいていない場所から、槍が飛んできたりする。
 この悪循環に、ウィッキーさんは気付きつつあった。
「fool...(ふむ、の意。自らの愚かさに気付くため息を表す)」
 ウィッキーさんは見透かしたように笑む。
「いくら身体強化しても、素早い反撃が待っている。交わすのはいつもgiri=giri……。そして、あなた自体(ユアセルフ)が、自身の素早い反撃に驚いているフシがある」
 こめかみに指をあてながら、ウィッキーさんが善通寺を見据える。
「mistake(ミスったっけ、の意。典型的な自省の言葉)」
 ウィッキーさんは目を剥いて善通寺を見る。
「Try&error!(とりゃーえんどりゃー。掛け声であり、あまり意味は無い)」
 ウィッキーさんは、目を見開いたまま、一気に距離を縮めた。あえて視覚のみに特化することで、善通寺が「心で描いたもの」を見ないようにする。
 善通寺は、腰に巻いた半紙をトイレットペーパーのようにちぎり、速描する。半紙をぺらりと掲げる。
 虎!
 善通寺の能力は「見えた瞬間に実体化する」ので、ふつう、正解は「目を閉じること」だ。
 だが、ウィッキーさんに限っては、心眼で善通寺の心を見てしまい、心に描かれたものまで実体化させていた。
 だから、あえて目をそらさない。
 善通寺の描いた虎が実体化する。雄叫びをあげて牙を光らせる、巨大な人喰い虎。首狩り族が150年もおそれていた例の虎と対峙して、ウィッキーさんは――
「Say!(言え、の意。転じて、辞世の句を詠め)」
 裏拳一発。虎の頭骨は砕け、弾力のある皮がぐにょーんと伸びた。調理台ふたつをぶち抜いて壁にめり込む。即死である。
 善通寺とウィッキーさんの距離はわずか数メートル。
 舌打ちをして、善通寺は、最後の手段とばかりに自らの衣服を裂いた。
 人喰い虎の次は――
 彼の素肌には、人食い龍が描かれていた。
 ――DORAGON!



 墨一色で描かれた龍とウィッキーさんの死闘は、ウィッキーさんの辛勝だった。
 超合金のような鱗も、魔法の炎も、次元を切り裂く爪も、竜巻を帯びる翼も、太古から積み重なる叡智も、ウィッキーさんの英検には、かなわなかった。
 善通寺が自身に描いた龍は、とても精緻に描かれていた。おそらく細かく描くほど、実体化の際の強さや再現率もあがるのだろう。
 龍は超常の存在で、超常的に強かった。
 だがウィッキーさんの方が強かった。
 それだけの話だ。
 ウィッキーさんは周囲を見回す。誰かが忍んでいる気配もない。
 後方には常温野菜室、器具室。休憩室。応接間。
 前方には「第二厨房」がある。
 ウィッキーさんは前進する。
 もう一人の相手、色盲画家ストル・デューンがどのような罠をしかけていようとも、己のイングリッシュをぶつけるだけだ。
 扉を開く。
 第二厨房は、異様な空間だった。
 黒い霧に支配されていた。全景はまるで見えない。
 とくに腰から下は濃霧になっており、手をいれると、自分の手が腐りおちたような心持ちがほど、濃く、どす黒い霧が倦んでいた。
 顔をあげると、何万年も生きて何千年も前に枯れたような大樹が何重にも絡み合って、広い厨房を押し破るかのように半球体を作っていた。
 半球体の頂上では、まっすぐ、天を衝くほどにまっすぐ、一本の若木が伸びていた。おそらく天井にぶつかっているのだろうが、霧のため、よく見えない。ウィッキーさんの尋常でない視力をもってしても、見えない。闇は深かった。
 その若木の麓に、一つの人影があった。影は、木に屈服するように、あるいは愛撫するかのように、もたれていた。
「見なさい」
 声は、ウィッキーさんのそばで聞こえた。見ると、そこに、一人の男が立っていた。
 男は真っ黒なスーツを着ていた。黒はまったく背景と同化しているため、常人には、生首だけが浮いているように見えるだろう。その生首は、双方に眼帯をはめている。眼帯には穴があいている。穴の中の目は閉じている。
 色盲画家ストル・デューン。
「私たちは、あなたの英検を終わらせるものです」
 私たち。善通寺とストル・デューンは手を組んでいたのだ。
 ストル・デューンが、闇に浮いた顔を、球体のてっぺんへと向けた。ウィッキーさんは、この男に、いっさいの害意がないことを、見抜いた。害意どころか、心内空間には、色彩のあるものがなかった。純然たる闇に、色のない光が混じり、心臓の鼓動程度の波紋が、連続的に繰り返されているだけだった。人間と言うより、一種の機械のように感じた。
 このとき、ウィッキーさんがストル・デューンに攻撃しなかったのは、いくつもの理由がある。
 まず、英検による戦闘力の過信。ストル・デューンの敵愾心の無さを見抜いていたこと。異界化した第二厨房の雰囲気。
 そして、ストル・デューンの発言。
 英検を終わらせる?
 これは、英検のみならず人生も英語も祖国をも侮辱した発言だった。英検完全熟達者の誇りをかけて、ストル・デューンの策を真っ向から打ち砕くしか無い。
 二人は、並んで、若木の下の人影を見つめる。
 影は、祈るように木にすがりつき、なにか手を動かしている。
 ――考えてみると、あの影はwho……。
「あの男は、善通寺ですよ」
 ストル・デューンは答える。
「? 龍に変身して、わたしにKillされたはずだが?」
「人喰い龍のくわえていた〈人〉の方ですよ。あ・ま・が・み。もっとも、龍が死んで、少なからずダメージを受けたみたいですが」
「あいつはwhat do――what paintいるんだ?」
 黒い霧よりもはっきりと黒い影は、最後の一振りと言わんばかりに大きく腕をあげ、手に持ったものを若木に突き立てると、倒れた。
「死にましたね」
 淡々と言う。
「けれど、さすが書道家。〈完成〉したようです。目覚めた神力をもってしても、具現化までまだまだ時間がかかりそうですが……」
 ウィッキーさんは、眉をしかめる。
「what?(わっと驚くことが起こるのか? の意)」
 ストル・デューンはなんの説明もしない。
「絵として描くだけならわたしにもできる。ただ、それを顕現させるには、彼の力が要った。わたしが細部を詰め、彼が大胆な筆使いで息を踏み込むことで、ようやく成った! もはや迷宮時計など関係がない。思いがけず、この世界で完成したのだから!」ストル・デューンの口調が熱を帯びてくる。「分かるか目撃者よ! 迷宮時計などいらぬ! そうだ、過去に戻るのではない。神代はすでに来ているのだ! わたしの建国記念日が訪れる!」
「いったい何の話だ?」
「完全な言葉と、絵と、奇跡の時代が来た!」
 地が揺れる。
 地から炎があがる。コンロからだろうか。炎の激しさは、噴火のようだ。
 何十もの炎に、雨が降る。スプリンクラーが作動したのだろう。
 炎と雨とが混じり合うところに、膨大な水蒸気が発生する。空気は攪拌され、黒い霧と混じりあう。
 地はまだ揺れている。それどころか、激しさを増している。
 メキメキメキ、と乾いたものが折れていく音が響いた。
 天井が崩れ落ちる。
 黒い塊が、真上から、落ちてくる。
 地は脈打ち、裂け、炎がほとばしる地獄絵図の中で、ウィッキーさんは黒い塊を察知した。
「Hard Sieg!(弾く、の意)」
 ウィッキーさんは片手でなぎ払う。
 その威力。
 天井のコンクリは発泡スチロールのように軽かった。
 弾いたその威力で粉粉に変わり、白と黒の霧に混じっていった。
 ウィッキーさんは、信じられぬ面もちで、自らの右手を見る。
 ――Hard Sieg!
 Siegは、勝利を意味するドイツ語である。



「存在するものは毅然としてあり、空間の中に一点の塔を生み出す……」
 地が治まり、霧が晴れるとそこに第二厨房はなかった。
 ただ一本の巨大な塔があった。
 その塔は、はるか高くにまで伸びており、最強化されたウィッキーさんの視力でも、頂上を捉えることができなかった。
 それもそのはずである。
 ストル・デューンが設計し、善通寺が画竜点睛を描いたこの塔。
「さあ戦場は新しい――いや、(ふる)い戦場に移行したぞ。いやしくもアメリカ人なら名前くらい知っているだろう」
 ストル・デューンが、塔の麓で笑っている。
「おお、見よ、まずしき英検のしもべよ。これが、バベルの塔だ」



 神は――。
 非常に性悪な神は、様々な人間対策をほどこした。
 地上にファントムルージュを作り、ありとあらゆる破壊活動を招いた。
 地上に水をそそぎ込み、ありとあらゆるものを流した。
 地上の言葉を乱し、ありとあらゆるコミュニケーションを阻害した。
 なぜ神は言葉を乱したか。
 イエス曰く、「人はパンのみにて生きるものにあらず、神の口からでる一つ一つの言で生きるものである」と。
 神に力があるように、言葉にも力があった。
 そのことに、傲慢の神は気付かなかった。
 全てのはじまりは、ロゴス、言葉であった。
 つまり、言葉さえあればなにもかもができた。
 言葉さえあれば、天地創造もできる。
 バベル以前の人間なら、誰だって、自らの口からでるものにより、世界を創造することができた。ただ、そのような大仰なことは無意味だと考えていた。天地創造なんて馬鹿らしいと考えていた。アホ。もっと自分や身近な人たちが楽しく過ごせるようにすべきだと考えていた。
 神はそのようには考えなかった。
 だからこそ神は大声を出し続け、神となりえた。
 神は、大声を出し続けていたので、人々の声が聞こえなかった。
 神は、人間の作る塔を注意深く見ていたときだけ、言葉を失っていた。
 そして、初めて人々の声を聞いた。
■■■(くらい)なあ」「光あれ」
(あそこ)にあるのってなに?」「なんだあれ」
 当時の人は、今とは全く違ったエッセンスの言葉で、神の使う言葉で話していた。
 世界中の誰とでも話のできる、テレパシィのような言葉を。
 神は怒り、これまで聞いたこともないほどの大声を出した。その大声に人々が耳を塞いでいるときに、人々の口に土を詰めた。人々が口をオエオエとしているときに、人々の耳に肉を詰めた。
 人々は、土と肉のために、本来の言葉を発することも、本来の言葉をそのまま受け取ることも、できなくなってしまった。
 こうして、真の言葉は人から離れていった。



 バベルの塔の再構築により、神の使用する言語「バベル語(正確にはバベルの塔崩壊以前の言語)」を手にした色盲画家ストル・デューン。
 神の言葉であるバベル語に対し、英語は人の言葉である。
 英検とは英語と日本語の微妙な調合(ハイブリッド)により神の言葉へと近づかんとする進化大系である。原理的に、英検がバベル語にかなうはずもない。
 もしウィッキーさんが、バベル語を用いた「バベ検」とも呼ぶべきもの、あるいは、バベル建築の副作用として得られる「あらゆる地上言語」を用いた「人検」で戦っていれば、神代の言葉と絵を組み合わせたストル・デューンにも勝ち得たかもしれない。
 二人の勝負、「言葉VS武力」では勝敗は分からなかった。
 しかしウィッキーさんは最後まで英検を捨てず、「言葉(バベル語)VS言葉(えいご)」を貫いた。
 そして……。



 ウィッキーさんは、止むことのない雨を、寝っ転がって浴びていた。好きで浴びているわけではない。
 右半身は油を浴びたどころか油プールでクロールしたかのように焼けただれており、特に右腕の肘から先は炭化し、真っ黒になっている。剥げた炭の皮から覗く肉は茶色で、黄色い体液と赤い血が交ざったものをとめどなく流し続けていた。
 他に目立つ損傷といえば、左目から7センチほど上。握りこぶしの「えぐれ」が2つ。ウィッキーさんの脳髄をも削りとって、さらけ出し、ぶちまけていた。バニラ・アイスクリームと、くぼみに血が溜まったストロベリー・アイスクリームと、雨に濡れて泥がはねてちょこっと傷んだチョコレート・アイスクリーム。
 雨を凌ごうとしているのか、左手首が這うように顔まで伸び、「えぐれ」の中にすっぽりと収まる。脳にはウィッキーさん自慢の感覚器官がないためか、震える左手首の指先が、大事なものを埋めるかのようななにかを手招く動作で、脳の表面を削っている。
 その左手首も、左手首のみで動いている。肩から手首の間は、四十に分けられ、ウィッキーさんからわずか一メートルの位置に、ある。その距離を縮めることは、もう永久に不可能だろう。
 この世界で動くものは――
 止むことのない雨。
 崩壊するバベルの塔。
 ライティング試験のために英語をインプットした左手首。
「ムーヴ、ムーヴ、ムーヴ……」
 左手首は、ウィッキーさんの脳を掻きながら、英語を唸るばかりだった。