野試合SS・空母その1


◇◇◇

『あの時あの瞬間、別の行動をしていたら』

そういった「もし、たられば」の世界について思いを馳せたことは、誰しも経験があるだろう。

これは、そんなIFの世界の物語。
ほんの少し、たった1つの行動の違い。
それは波紋となって世界を塗り替えて。
時空を超越する争いも、異なる色彩を生み出していく。


◇基準世界・希保志遊世◇

ザザザッ……
ノイズの様な音が走り、懐中時計から文字が浮かび上がった。

『【サバンナ】希保志遊世VS撫津美弥子』

「おっと?」
「これが迷宮時計の対戦相手と戦闘空間の告知ってやつね。場所はサバンナ……なかなか過酷そうね」
「なんだ、探検しがいのある場所じゃないか」
「また調子のいいこと言って……っと相手は名前からして女性みたいね。戦闘だからってあんまり酷いことしちゃダメよ」
「なぁに、大丈夫さ。俺がそんな酷い男に見えるか?」
「どうだか。少なくともレディの扱い方を心得ているようには思えないわ」
「うぐ…… でも相手が殺す気満々だったなら、酷いことをしないなんて約束はできないぞ。流石にその時は殺してでも生き残るつもりだけど、いいよな?」
「そうね。何もせず首を差し出すなんて御免だわ。遊世が死んだらアタシは……」
「……? なんだ?」

イオが陰りのある表情をしたように見えた。
遊世に死んでほしくないという思いからイオの表情が曇ったのかと遊世は思った。勿論、そういった意味もあるだろう。しかし先の言葉には、何か他のニュアンスも含んでいるようにも思われた。
しかし、遊世がその事について深く考えようとした次の瞬間には、笑みを取り戻していた。

「いえ、なんでもないわ。とにかく相手次第で臨機応変に対応しましょ」
「……」

◇分岐路◇

此処が、1つの分岐点。
ここで遊世がイオに対して強く追求するか、あるいは気にしないかでその後の展開は変わっていく。
読者諸兄が知っている世界は、『気にしない』という選択肢を取った時の世界。
ここから先は、『強く追求したら』というIFの世界。
未知の展開へ歩を進めていく。

◇◇◇

「……なぁ、イオ。誤魔化さないで教えてくれ」
「何を?」
「さっき言い淀んでた言葉の続きだよ。俺が死んだらどうなるだって?」
「……」
「今度の戦いで俺は本当に死んでしまうかもしれない。その時どうなるんだ? 戦闘時にまで余計な気がかりは残しておきたくない。なぁ、頼むよ」
「……わかったわ。いずれ話さなくてはならないとは思ってたから。ここで話すのもいい機会かもしれない。――私ね、遊世が死んだら死ぬの」
「……ッ! そんなの初耳だぞ! それは、俺と契約したからなのか? 契約者が死ぬと妖精も一緒に死ぬのか?」
「概ね合ってる。けど、『一緒に』ということではないわ。契約者が死ぬと、妖精の活動に必要なマナが足りなくなって、ある程度の期間を過ぎると死ぬの」
「それなら、俺以外の別の人間と契約してしまえばいいんじゃないのか?」
「それが出来たら苦労しないわ。妖精が物質世界で契約できるのは生涯に一人だけなの。だから遊世が死んだらアタシも死ぬって言ってるの」
「そうか……じゃあ例えどんな強い対戦相手が来ても死ぬわけにはいかないってことだな」

いつになく真剣な遊世の表情に、イオは一瞬言葉を忘れていた。
取り繕う様に、笑みを浮かべて返答する。

「……嬉しいことを言ってくれるじゃない。それってアタシを死なせたくないってことでしょ?」
「当然だ! 俺は、イオはこれ以上ない程最良の相棒だと思ってる。今まで何度も迷惑かけちまったけど、一緒にいて、傍に居て、とびっきり楽しかった。だから、これからも一緒に生きたい。天国や地獄に一緒に向かうなんて御免だ。なぁ、イオもそう思わないか?」

イオは、遊世の固い決意をその眼差しから汲み取った。
最良の相棒。
その一言が何より嬉しかった。
イオ自身も、遊世のことをそう思っていたから。

「……そうね。うん、確かに。この迷宮時計の戦い、なんとしてでも二人で生き延びましょう」
「あぁ、必ずだ。場合によっては降参をしてでも生き延びるぞ」
「うん!」
「よし、それじゃあ準備を始めるぞ……って、うわっ、なんだコレ!」

突如、二人の心臓に当たる箇所から光が走り、互いを結ぶ一本の線となった。
そして、線の中央から光が強くなり、大きく膨張していき、そして破裂した。
遊世があまりの眩しさに一瞬目を閉じ、開いたその時には、光の線は消えていた。
何が起こったのか呆然とする遊世の疑問に、イオも若干狼狽しながら答えた。

「これは……簡単に言ってしまえば、契約のランクアップを示す現象よ」
「ランクアップ? 何か変わるのか?」
「そうよ。お互いの会話がテレパシーで出来るようになるのよ」
「それって凄いことじゃないか! でもなんでいきなりランクアップなんてしたんだ?」
「お互いの絆が一定以上深まると契約はランクアップするのだけど……」

絆が深まった理由。
それはお互いが最良の相棒だと認め、共に生きるという強い決意を行ったからに他ならないだろう。

「……くすっ」
「……ははっ」

二人は顔を見合わせてから、照れ笑いを漏らした。
なんだか無性に恥ずかしかったのだ。
そして笑い声は大きくなっていく。

「あははははははっ!」
「はははははははっ!」

通じ合った喜びを、共に噛みしめるように。


◇基準世界・上毛早百合◇

「今日はお前たちに話がある」

そう言われて、早百合と糸音は上毛衆頭領に呼び出された。

「話とは、何なのだ? 事務仕事だったら私は嫌だぞ。そういうのは糸音がやるといいのだ」
「そうやって事務仕事を私に押し付けるから、いつまで経っても出世できないのですよ。見なさい私を。そういう地味な仕事もちゃんとこなしていたからこそ、この若さでグンマー捕虜収容所の所長という大任を背負っているのです!」

そう、糸音は出世街道を歩んでいた。対する早百合は、ひたすら戦闘訓練に明け暮れるだけの日々を過ごしていた。
頭領は、一度咳払いをしてから、言った。

「ふむ。事務仕事は後で早百合に頼むとして」
「そんなぁ!」
「今回はお前たちに重大任務を与えようと思ってな。もっとも、任務を受けるのは任意だ。両方、或いはどちらか一人が受けてくれれば良いと私は思っているが、代わりは他にも居る」
「戦闘任務か!? それなら喜んで受けるのだ!」
「戦闘任務でもあるが、その前に長期間の探索任務を含む。詳細は任務を受ける者にしか伝えられないが、どうだ。受けるか?」
「私、糸音は受けます。重大な任務というのであれば、喜んで。早百合はどうするのですか?」
「……」

◇分岐路◇

此処が、1つの分岐点。
ここで早百合が任務を受けるか、あるいは受けないかでその後の展開は変わっていく。
読者諸兄が知っている世界は、『任務を受けない』という選択肢を取った時の世界。
ここから先は、『任務を受けたら』というIFの世界。
未知の展開へ歩を進めていく。

◇◇◇

「……受けるのだ。どうせ暇だしな。たまには糸音との任務も良い。不甲斐ない糸音をアタシがサポートしてあげるのだ」
「不甲斐ないのは貴方でしょう? この前だって――」

頭領が咳払いをした。
糸音は慌てて頭領の方に向き直る。

「二人共受けてくれるとは、私としても嬉しいことだ。では、これより任務の詳細を伝える――」

有り体に言えば、それは欠片の時計探索の任務だった。
更に見つけた折には、迷宮時計の戦いに参加し、全ての欠片の時計を統合せよ。そしてグンマーの悲願を叶えよ。……そういう内容だった。

それから早百合と糸音は任務に出かけた。

任務の道中、早百合と糸音は仲を深め、そして早百合が欠片の時計の所持者となった。外の世界に触れ、考え方も変わった。彼女らは、グンマー人をグンマーという呪縛から解き放つ為に迷宮時計の力を使おうと決めていた。
だがそれが悲劇の幕開けになるということを、二人は理解していなかった。

それは迷宮時計を手に入れた後、彼女らが迷宮時計に掲げる願いについて隠れ家で語っていた時の事だった。

「グンマーの呪縛から解き放ったら、きっとグンマー人は凄い事になるのだ!」
「そうですね。グンマー人のポテンシャルは目を見張るものがありますから。きっと自由の元に素晴らしい発展を遂げていくと思――」

糸音の言葉の途中、聞き覚えのある咳払いが聞こえた。
それはこの場に居るはずのない者。上毛衆頭領のものだった。
早百合と糸音は総毛立った。何故なら彼女らの願いは、任務で指定された叶えるべき願いとは異なっていたからだ。それを頭領に聞かれたのだ。裏切りと判断されてもおかしくない。

部屋の壁に黒い光が灯り、それが頭領の顔になった。
「ふむ。時折監視をしていてよかったな。しかし残念だ、お前たちには期待をしていたのだが、よもやそんなくだらない思想に染まるとはな」
「くだらなくないのだ! この願いが叶えば――」
「早百合。今は反論している場合ではありません。恐らく既に私達を始末する暗殺者が派遣されているはず。すぐにここから逃げないと!」

糸音が言い終わるや否や、玄関の方で爆発音がした。早百合達は、窓を蹴破って逃走を開始した。

◇◇◇

さて、これにて準備は整った。
分岐路における双方の行動に関して、どちらを選んだ方が良かったかなどと善し悪しを計ることはできない。
ただ、本筋の世界とIFの世界。二つが共に存在しているということだけ。
それ以下でも以上でもない。

◇◇◇

もし、仮に迷宮時計に性格というものがあるならば。
人々はその性格をどの様に評するだろう?
評価する側の性格、立場によって評価は変わってくるだろう。
けれど、人々は概ねこの言葉に賛同するのではないだろうか。

“迷宮時計はタチが悪い”

迷宮時計は人々を戦いへと駆り立てる。
戦いを望んだ者も、望まぬ者も、強制的に戦場へと誘う。
対戦相手、戦場も多種多様ながら、どれも最終的には悲劇を生む組み合わせばかりだ。
迷宮時計が決めるその組み合わせ決定に、果たして恣意的なものは一切入っていないのだろうか?
迷宮時計に関わった多くの者は「否」と答えるだろう。「悪意を感じる」、と異口同音に言うに違いない。
真実は分からない。
けれど、一つ確実に言えることがある。
遊世と早百合が本筋の世界と違う選択をしたことで、迷宮時計は組み合わせの再選択を始めたのだ。
より切なく、より救いの無い物語を求めるかのように。
迷宮時計は稼働し始める。
それは、悪魔の如く。
舌なめずりをして結果を待ちわびるように。

◇◇◇

迷宮時計の告知が。
書き換わっていく。


ザザザザザザザッ――――

――――『【サバンナ】希保志遊世VS撫津美弥子』

――『【※※※※】希保志遊世VS※※※※』


ザザザザザザザッ――――

――――『【闘技場】刻訪結VS上毛早百合』

――『【※※※※】※※※※VS上毛早百合』

ザザザザザザザザザザザザザザッッ!!
ザザザザザザザッ!!!
ザザザッ!!!!

――――『【空母】希保志遊世VS上毛早百合』

◇◇◇

ミッドウェー海戦。
日本が大敗を喫した海戦として覚えている人も多いことだろう。
事実、日本はこの戦いで航空母艦を4隻失っている。

その犠牲の中には正規空母「赤城」も入っていた。
今回の迷宮時計を巡っての戦いの舞台は、その赤城である。

グンマーのほぼ中央に位置する複成火山を由来として名付けられたその名前は、上毛早百合にとって馴染み深いはずだが、現在居る甲板が赤城のものだとは気付いていない。
正味な所、そんな艦名を気にしている場合ではないのだ。
日時は、1942年6月5日午後7時頃。
赤城の飛行甲板は米軍の爆撃により各所が炎上していた。
既に船員も総員退去している。

そこに、転送された者が二人。

希保志遊世。
カウボーイハットや革のジャケットなど、冒険者然とした格好の男だ。
一瞬遅れて召喚された重力妖精イオと共に、この場の惨状を見て呆気に取られている。

「遊世……これは……」
「あぁ。降参する案は無理だな。なんとしてでも勝たなきゃならない。こんな所に取り残されたら死ぬだけだ。イオ、覚悟を決めるぞ」
「うん。そっちも気を抜かないでね」

上毛早百合。
褐色肌にポンチョを羽織った少女だ。四肢と額に黒い布が巻いてある。
早百合は呪符の機能の一つである「念話」を使い、上毛糸音と会話していた。
通常、時空間の違う状況で念話を行うことは非常に困難であるが、早百合の呪符に供給される莫大な呪力が半ば強引にそれを可能にしていた。
早百合は頭領が派遣した暗殺者と戦う糸音を置いて、転送されてきた。彼女の安否が気がかりだった。

「糸音、そっちは大丈夫か?」
『私を誰だと思っているのですか? この糸音に敗北という二文字はありません。それより自分の心配をした方が良いのではないですか? 戦場が空母なんてどうせ碌な状況じゃないのでしょう』
「察しがいいのだな。考えうる限り最悪の状況なのだ。でも、なんとかするのだ」
『えぇ。そうして貰わなくては困ります。せっかくこの私が迷宮時計を譲ったのですからね』
「任せるのだ」

それぞれの会話を終え、互いに向き合う。
彼らが居る位置は甲板の後部。周囲には炎上し逆さになった戦闘機などが転がり、火の手が激しいこともあって動ける範囲は限られている。
早期決着をしなければ、彼らが立っている場所にも火が回ってくるかもしれない。
お互いに、追い立てられる様な焦燥感を感じながら睨みあっていた。
先に口を開いたのは、早百合の方だった。

「念の為に聞くが、お前が希保志遊世でいいのだな。そっちのちっこいのは何だ?」
「あぁ、俺が遊世さ。こいつは俺の相棒でイオっていうんだ。俺の名前を知ってるってことはお前が上毛早百合だな?」
「うむ。そして……」

早百合は懐から一枚のカルタを取り出し、掲げる様に遊世達に見せた。

「『力合わせる二百万』。私の呪符にはこの言葉が刻まれているのだ。グンマー人が持つ呪力を――なんだ? そんなものではアタシは殺せないぞ?」

早百合は呪符の説明を止めて、嘲る様に笑った。
遊世がホルスターから「クロックワークブランダーバス」を引き抜いて、早百合の方へと向けたからだ。

「そうか」

乾いた音が響いた。
遊世が、早百合の言葉に構わず発砲したのだ。
但し、心臓や頭部などの急所を狙ったものではない。
炎が周囲の物を燃やし続ける音に加え、「主よ人の望みの喜びよ」の旋律が流れだした。

早百合の手に持つカルタに、風穴が空いていた。

「――今は容赦できるような状況じゃないんだ。悪く思うなよ」

遊世は、硝煙をふっと息で消しながら言った。
彼は、イオと共に生きる為に本気だった。

◇◇◇

迷宮時計の告知が書き換わった後、対戦相手の名前を見てまず最初に浮かんだのが「上毛衆」という存在だった。

彼はただの冒険者である。未開の地とも呼ばれるグンマーの戦闘部隊の詳しい情報など手に入る訳がない。
されど、彼は冒険者である。放浪の折、都市で生活する者ではそう簡単に手に入れられない情報を耳にすることだってある。それが未開の地に関する情報なら、特に注意して覚えていてもおかしくはない。冒険者という存在は、いつでも未知の存在というものが大好物なのだ。
さて、遊世が上毛衆について知っている情報は「『上毛カルタ』という呪符に呪力を込めて異能を引き出し戦う呪術師の部隊」ということのみ。
一見、特筆すべき情報では無いように思える。けれど、少しでも対戦相手の対策を取りたい遊世にとっては充分価値のある情報だった。
遊世が情報を元に考えた対策は至極単純だった。

――呪符を使って戦うというのであれば、呪符を使えなくしてしまえば良い。

そして、期せずしてその機会は舞い降りた。
早百合がカルタをわざわざ取り出してこちらに見せてきたのだ。
最初は頭部と呪符、どちらを狙うか迷っていた。二つを連続で狙うという選択肢はない。クロックワークブランダーバスは一度に弾を一発しか装填できず、オルゴールの曲が鳴り止むまで再装填できないからだ。
当然のことながら、頭部を狙って殺せるのであればそれ程簡単なことはない。
けれど早百合の言葉を聞いて、頭部を狙うのは止めにした。
敵である早百合の話を丸呑みした訳ではない。ブラフの可能性もある。
それでも本当だった時の可能性を考慮し、呪符を狙う方が得策だと考えた。
先の早百合の発言から鑑みるに、彼女は遊世が銃を取り出したのは命を奪う為、すなわち心臓や頭などの急所を狙うはずだと考えていた節がある。
その意表を突く形で射撃をすれば、呪符を壊せる可能性は高いと判断した。
万が一、防がれたとしてもその防衛手段が明らかになる可能性も高い。相手の能力が分かるというのは大きなアドバンテージになる。
そこまで考えて、遊世は発砲したのであった。

◇◇◇

カルタを破壊された早百合は、一瞬呆気に取られた後、肩を震わせた。顔は俯いており、表情を伺うことはできない。

「……そうか。カルタを見せたのは、最低限の敬意を払ったつもりだったのだが、貴様には戦士の誇りは無いと言うのだな」
「生憎俺は戦士じゃなくてトレジャーハンターだ。誇りだの戦いの流儀だのなんざ知らないさ。……このまま畳み掛けるぞ、イオ!」
「わかった!」

イオがナイフを重力で操りながら、突進する。
遊世は右手に投擲用ナイフを、左手に鞭を持ち援護態勢に入る。
対する早百合は迎撃を迫られる。

切りかかってくるイオのナイフを棍で防ぐ。
その隙間を縫うように、飛来する遊世のナイフを投擲用カルタを放ち弾く。
カルタを放った隙を狙い、イオが別の箇所に斬りかかり、それを防ごうとするとその隙を突いて遊世の鞭やナイフが迫ってくる。

呪術を使用しなくとも、鍛えられた戦闘技術で凌げるはず。そう思っていた早百合だったが、敵は予想以上に連携が取れていた。
早百合は知らないことだが、遊世とイオはテレパシーを使って互いの攻撃のタイミングを合わせているのだ。
早百合が身体強化系の呪法を使えばそれでも拮抗するのかもしれなかったが、今の早百合は確実に押されていた。

「ぐっ、このっ! 消えたり現われたりしやがって……! 鬱陶しいのだ!」

そして、テレパシーによる連携の他に、早百合が苦戦している理由がもう一つあった。
それは、契約による召喚「サモン・イオ」の連続使用という遊世達の戦法。

イオが突如消えて、ナイフだけがその場に残り、角度を変えてナイフが早百合に迫ってくる。そんな事象が何度もあった。
それは、遊世が早百合の死角となる背後や足元などにイオを召喚し、イオが重力でナイフを引き寄せるという行動によるものだ。

半径10メートル以内の任意の場所への召喚。本来離れた位置に居る妖精を呼び出す為のそれは、イオを瞬間移動させる能力として機能していた。

『イオ、投擲用ナイフのストックから残り1本だ。そろそろ“アレ”を』
『おーけー! こっちはいつでもいけるよ。召喚タイミングはそっちに任せた!』

更に。
遊世達は呪術がつかえない早百合相手ならば、ほぼ必殺となるであろう技を用意していた。

「サモン・イオ!」

実際に行う行動としては、単純だ。
まず、イオを早百合の胴体の内部に召喚する。
イオは物質世界に於いて、全ての物質を透過する。それは例え人間の血肉であっても。だから、人間の内部に入ることも可能なのだ。
そして、後は重力で周囲のナイフを引き寄せるだけ。
それだけで必殺は事足りる。

今まで投擲されたナイフは、早百合によって弾かれ、早百合の周囲にばら撒かれていた。

つまり、それを引き寄せることで、早百合を狙うナイフの全方位攻撃と化すのだ。

「なるほど、面白いことをするのだな」

しかし。
しかしである。
遊世達は、前提を間違えていた。
前提が誤りならば策も通らぬというのが道理というもの。
故に、この攻撃は必殺とはなりえなかった。

「「消えた……!?」」

その驚愕は、イオと遊世、二人共が感じた。
一瞬早百合の姿が消え、ナイフがぶつかり合う音がしただけだった。
そしてそれを上書きするように再び現れる早百合。
上書きから逃れたナイフの柄だけが、パラパラと落ちていった。

「呪術が使えなければ」。その前提が既に間違っていたことを、遊世達は思い知る。

絶句しながらも、遊世は必死に頭を働かせていた。

(アレはきっと、呪術。瞬間移動には思えなかった。ならばイオと同じような透過性を持っていて、更にナイフの存在が上書きされたことから、――いや、そんなことは今はどうでもいい。まず考えるべきは、どうして呪術が使えるかということだ。アイツの呪符は破壊したはずだ。ならば、何故? いや、もしかして――!!)

遊世達は、前提を間違えていた。
それは全方位攻撃を仕掛けるよりもっと前。
呪符を撃った時の前提を。

『あの呪符を撃てば、相手は呪術を使えなくなるはず』

遊世はそう考えていた。
それは「早百合が掲げたカルタこそが本物である」という認識から導き出されたもの。
その認識、その前提こそが間違っていた。
遊世は早百合が呪符の説明をし始めた時のことを思い出す。

――早百合は懐から一枚のカルタを取り出し、掲げる様に遊世達に見せた。

――「『力合わせる二百万』。私の呪符にはこの言葉が刻まれているのだ。」

「くそっ! そういうことか……」
「私は何も嘘はついてないぞ? 誰も見せたカルタが呪符だとは言ってないのだ」

そう。遊世が撃ったカルタは、呪符ではない只のカルタであった。


早百合はカルタを撃たれた後のことを思い出す。

――呪符を破壊された早百合は、一瞬呆気に取られた後、肩を震わせた。

肩を震わせたのは笑っていた為。
こうも簡単に策にハマるとは思わなくて、遊世が滑稽に思えたのだ。

――「生憎俺は戦士じゃなくてトレジャーハンターだ。戦いの流儀なんざ知らないさ」

(そういえば、貴様は戦士ではないと言ってたな。だが――)

「生憎、アタシも戦士ではなく呪術師なのだ!」

呪術師に戦士の挟持やプライドなどという物はない。
むしろ『呪術師たる者、どんな卑怯な手を使ってでも勝て』。そう教えられてきた。
早百合にとって、呪術師の慣例として呪符を見せるというのはどうにも隙があるように思えて仕方なかった。そこから、この策を思いついたのだった。
相手の使えるナイフを大幅に減らせたことで、この策は収穫があったと言えよう。呪術を先にみせてしまっていたら、警戒されてこうも上手くはいかなかったかもしれない。

そしてこの策にはもう一つ収穫があった。
イオが自分の体の内部に召喚されたこと。そしてその召喚で早百合が特に怪我を追うことはなかったこと。つまり、イオも早百合の透過呪術と同じように物質透過できるということが分かった。そして上書きによる攻撃を行ってこなかったことから、恐らく常に物質透過状態であり存在の上書きはできないことも分かった。

(ということは、狙うべきはあの男の方だな。妖精の方を狙っても無駄なのだ。)

「では今度はこちらから行かせてもら――は?」

今度は早百合が攻撃を仕掛ける番――ではなく、呆気に取られる番だった。
横から炎上する戦闘機が迫ってきたからだ。
イオの吸引性による攻撃である。

「ぐっ!」

そして、遊世が投げたナイフが足の甲に突き刺さる。
別のものに目を取られている隙に、攻撃を仕掛ける――意識の虚をつく攻撃の基本ともいえる戦術だ。
そして足の痛みに気を取られている間に、既に戦闘機は回避しても避けきれない程迫ってきた。
遊世達は、そこまで計算してこの戦闘機とナイフによる攻撃を仕掛けたのだ。咄嗟の思いつきではあったが、その実、絶大な効果を発揮していた。この窮地を抜けられなければ、早百合は圧殺される。

早百合は、一瞬の間に判断を迫られる。
早百合の得意呪術は、透過呪術と呼ばれる外呪の「虚」。
この呪法こそが、銃を向けられた際に「そんなものではアタシは殺せない」と言った訳でもある。
銃弾を透過して避ける練習なら何度もしてきた。引き金を引くタイミングと銃口をしっかり見ることが出来れば、八割の確率で回避に成功できるようになった。
けれど一瞬透過すれば事足りる銃弾と違って、戦闘機の様な巨大なものは数秒透過しなければならない。
それは上から二番目の等級である玖の段に位置する早百合の「虚」でも不可能。彼女はまだ全身透過は一瞬しか出来ないのだ。

ならばどうするか。
呪術を使わない生身では当然ながら対抗しきれない。
早百合の使える呪術は、外呪の「虚」以外に3つ。
物質生成の造呪の「成」は論外。速度上昇の攻呪の「疾」を使ったとしても回避しきれない。
そして、残るは攻撃力上昇の攻呪の「滅」。しかし今の早百合の等級では平均的な戦闘魔人と同程度の威力。約2トンに及ぶ重量の物体を破壊できる威力ではない。
それでも。
早百合は、拳を強く握りしめた。

◇◇◇

それは早百合と糸音が暗殺者と戦っている最中、早百合が転送される刻限が迫ってきた時のこと。

「悪いが糸音、そろそろ私は転送されてしまうはずだ」
「分かりました。私のことは気にせず行ってきて下さい。それと、“アレ”は忘れずに装備してますよね?」
「当然だ。万が一の時、なければ困るからな」

早百合は四肢と額に巻きつけた黒い布に意識を向ける。しっかり結ばれてることを確認し、頷いた。

「では、気をつけて」
「うむ」

◇◇◇

四肢と額に巻かれた黒い布。
それは言うなれば、「呪布」という新しい呪装。
呪力が通りやすい糸で編まれた布に莫大な呪力を溜めた、呪力タンクとでも呼ぶべきもの。
糸は糸音が生成し、呪力は早百合が一度に扱える限界量の呪力を注いだ。これは二人が協力関係になければ生まれることのなかった代物。絆によって生まれた逸品なのだ。
使い方は単純。体に巻きつけた呪布を解き放つことで、布に込められた呪力が使用者に提供される。
本来これは、呪力タンクという性質からも分かる様に、何らかの理由で呪力の供給が断たれた時に代わりの供給源として使用する目的で造られた物。
しかし、この呪布にはもう一つの使い道があった。

それは、強制的かつ一時的な呪術の等級上昇。

超過剰と言える程の呪力を纏うことで、一部の呪法は本来の等級よりも高い効力を発揮することがある。
その一部の呪法とは、攻撃力上昇や防御力上昇などの効果を持つ比較的扱いやすいと言われる呪法。
そう、早百合が扱う攻呪の「滅」もまたその対象である。

(――感謝するのだ、糸音)

体に巻かれた呪布の全てが、弾け飛んだ。
通常使う分に加え、四肢と額の5つ分の呪布。すなわち早百合の全力の6倍の呪力が拳に集まる。


「攻呪の『滅』 全呪布解放(アンリミテッド・バースト)!!!!」


あまりの膨大さに可視化された呪力が、どす黒い光の奔流となってその場を覆い尽くした。
打ち込んだ拳を起点に、戦闘機が砕ける。
粉々になった破片は、早百合を避ける様に飛散し、早百合に微塵も傷を負わせなかった。
しかし、自力で扱える呪力の総量を越えた超大な呪力を纏った代償として、右手のあちこちが出血し、拳の骨はボロボロに砕けていた。

それでも。そんな負傷は知ったことかと早百合は前に進む。

今度こそ自分が攻撃する番だと主張するように、速く、疾く、前へと走った。
恐らく、遊世たちには打つ手はもう殆ど無い。そう判断したから。

事実、遊世とイオにもはや策など無かった。
攻撃手段も限られていた。イオの援護をしている間に弾を再装填していたクロックワークブランダーバスと、アーミーナイフのみ。鞭は早百合を止める有効打にはなりそうもなかった。
遊世はアーミーナイフを投擲した。イオの重力で軌道を変化させた攻撃。
しかし容易く透過で回避された。

そして、早百合は遊世と手を伸ばせば届く程の至近距離に到達する。
その距離は、早百合にとって即死させることのできる圏内だ。
透過した手で急所を上書きすれば、相手は絶命する。

遊世はむざむざ倒される訳にはいかないと、鉄の破片を握った拳を振るう。破片をイオが引き寄せることで、拳が加速し威力も上がる。
されど早百合にも加速する手段はある。攻呪の「疾」。
早百合はひらりと回避し、絶命の一手を打とうとする。

右手は使えない。
けれど、残る左手は使える。

早百合は、左手を切断しようとした自分を止めてくれた友の言葉を思い出す。

――「やめて下さい……! それは、あなたの、大事な左手でしょう!!」

(糸音が守ってくれた左手。この左手で、決着をつけてやるのだ……!)

左手を透過。遊世の心臓を透過した手で貫き、上書きする。そして引きぬいた。
それはあっさりと。
拍子抜けする程簡単に終わった。

だが。
心臓がなくなり、後ろに倒れようとする遊世の耳に。
意識が途絶しそうになった遊世の耳に。



「遊世ーーーーーッ!!!!」



最良の相棒。
イオの言葉が耳に届いた。

「がっ、ァッ……!」

如何なる奇跡か。
倒れようとしたところを、遊世は踏みとどまった。

途絶しそうな意識の中、イオの顔が浮かぶ。

(オ、レは――! アイ、ツを――――死なせる、わけ、には、――――!!)


震える手でクロックワークブランダーバスを握りしめ、早百合に向けようとする。

そんな死に体のあがきともいえない行動、手で払いのけさえすれば、遊世は倒れるだけだった。
けれど。
その時早百合は、そんな余裕すらなかった。

◇◇◇

一瞬前のこと。
イオが遊世の名を叫んだその瞬間。
早百合もまた、一番親しい者の声を聞いていた。

『がッ、あああああああああああッ!!!』

呪符から聞こえる糸音の断末魔の叫び。
そして途絶えた呪符の念話。


「糸音ェーーーーーッ!!」


察せられるのは、最悪の事態。
早百合は絶叫した。
涙を流し、忘我の境にあった。
目の前の遊世のことなど、目に入っていなかった。

◇◇◇

『ィォ…………』
『……ッ!』

一方、イオは小さな、本当に小さなテレパシーの声を聞いた。
まだ僅かながら意識があるのを感じて、一筋の希望を感じた。
遊世のクロックワークブランダーバスを握った右手が動いたのを見て、イオはやるべきことを理解する。

◇◇◇

遊世は、皮一枚でつながっているような意識の中、クロックワークブランダーバスから鉛弾を放とうとする。
だが、手が震えて照準が定まらない。
ここで決まれば勝てるかもしれないが、ここで外せば確実に負けてしまう。イオが死んでしまう。
その恐怖が余計に手の震えを大きくする。
それでも意識がなくなる前に撃たなければならない。
意を決して引き金を引こうとしたその瞬間。

「遊世。大丈夫。アタシが付いているから」

そっと。
右手を何かに暖かく包み込まれたような錯覚を覚えた。手の震えが収まった。銃口がぴたりと早百合の額に向けられている。
それはイオの吸引性によるもの。彼女が銃の位置を正しく補正していたのだ。

(ありがとな、イオ――)

安心感と感謝の念を抱きながら、彼は引き金を躊躇いなく引いた。

「ぁ……」

早百合は思い出したかのように、現状を理解した。
けれど、もはや勝利に対する執着など微塵も無かった。
勝って元の世界に戻っても糸音はいない。その時点で、勝負などどうでもよかった。
勝ち上がって最終的に欠片の時計を統合すれば、糸音を取り戻すことはできるのかもしれない。だけどそれまでの期間、糸音無しで生きていくことは今の早百合には無理だと悟ってしまった。
むしろ、糸音と共に天に召されるこの結末が、祝福の様に思えた。
そうして早百合は撃たれた衝撃のまま、逆らうこと無く倒れた。

時間の差としてはほんの一瞬の差だろう。
けれど、遊世の方が長く意識を保っていたのは事実だ。
早百合の時計の所有権が自分に移ったのを感じながら、遊世も意識の糸が途切れた様に倒れた。

遊世と早百合。
彼らは共に、大事な存在が居た。
もはや切っても切れない程強く結びついてしまった存在が居た。
片やその存在に支えられ、片やその存在を失い。
それが、決着となった。
きっと、糸音と共に迷宮時計探索の任務に行かなければ、誰かを失ったからといって早百合がここまで脆く崩れることなどなかっただろう。
きっと、自分が死んだらイオも共に死ぬという事実を聞いていなければ、ここで踏ん張ることは出来なかっただろう。
つまりは彼らが行った選択。それこそが勝敗を分けたのだ。

これから約7時間後。
空母「赤城」は魚雷処分により、海の底へと沈んでいくこととなる。

◇◇◇

【空母】
勝者:希保志遊世
敗者:上毛早百合

――しかし、これはあくまで1つの勝負の結果に過ぎない。
希保志遊世は勝ち上がってしまったことで、これからも戦いに強制的に駆り出される。
タチの悪い時計が主催する悲劇は、延々と続いていく――――

【END】

最終更新:2015年01月17日 19:41