プロローグ


 乾いた砂、乾いた風。
 そしてそこに燦々と輝く太陽は、そこに住まう獣達にとっては当然常に存在するごく当たり前の存在である。
 しかし、今この場に舞う風と砂埃は、獣達にさえ到底受け入れられるものではなかった。
 戦闘空間、サバンナ。時代は、過去。

「はッ……その程度かよ……拍子抜けだな……!」

 砂塵の霧の中、一人の男の目の前には巨大な剣を手にした女が存在している。
 女はこともなげにその剣を構えると、再び飛び出すように強く地面を蹴り、砂埃を舞わせた。
 また同じ手か。そう考えた次の瞬間には女は既に男の目の前に存在していた。
 能力かどうかはともかく、この女は高速移動剣術を得意としている。
 まさに目にもとまらぬ速さと言った所か、男にはその動きを見切る事が全く出来なかった。
 だが攻撃自体は単調そのもの、初見で自分を殺しきれなかった時点で大した使い手でもない。男はそう判断した。
 事実、男は既に向かってきた女の腹部にその右手の拳を強く叩きこまんとしていた!
 強い衝撃と爆音がサバンナの風を黒く塗り潰した。
 男の右手の拳には重金属性ボクシンググローブ、これは仕組まれた発火機構から強力な爆発が発生するギミックが存在する。
 しかし、彼の真骨頂はこれをさらに強化することが出来ることにあった。

『サンプル・パワー!!』

 その男の能力、『サンプル・パワー』
 彼が触れている物の強度や威力などを飛躍的に向上させる能力。
 この能力が彼のボクシンググローブと組み合わさる事で、本来ライフル弾ほどの爆発は大砲並みの威力へと強化されていた。
 女は剣を盾のように構え、直撃こそ避けたようだったがその爆発によって強く吹き飛ばされ、その剣をも手放した。
 風から黒が消えていく。飛翔した剣は地に突き刺さる。男にはそれが戦いの終わりを告げる合図のように見えた。

「……チッ……これで終わりかよ、つまらねえ」

 この広大なサバンナには当然仕切はない。しかし、男にはこのサバンナ……戦闘空間の中と外がはっきりと見える。
 あまりに強く吹き飛ばされた彼女は、すでに迷宮時計が定めた戦闘空間の範囲外に存在していた。
 男は強者の敵との試合だけを求めていた。血湧き肉躍るような命のやりとりを求めていた。
 それ故にこの終わりはあまりにあっけなく、退屈なものでしかなかった。

「今の攻撃で死ななかったのが唯一の評価点だ。お前、俺が今まで戦った対戦相手の中で一番弱かったぜ」

 そこまで言って、男は違和感を覚えた。
 迷宮時計の戦いに勝利したにも関わらず、全く元の世界に転送される気配がない。
 今までの試合では、全て戦闘が終わった瞬間に元の世界へと戻されていた、決着がついたかついていないかに関わらず。
 タイムラグが存在しないわけではなかったが、この瞬間までまるで転送される気配がないというのは今までになかったことだ。
 しかし、迷宮時計に記された対戦相手の名前は一人のみ。それはこの女であったはずだ。事実、彼女は戦闘前に迷宮時計をこちらに見せてきたはず。
 いや、それ以前に。

「……」

 その女は無傷だった。まるで、爆発などなかったかのように平然とその場に立っていた。
 女は黒い瞳で男を見据えている。だがその瞳に男は映っていなかった。それほどまでに黒い瞳だった。

「あなたは」

 女は初めて口を開く。男は訝しもうとした。出来なかった。
 男の胸から刃が生えていたからだ。

「思っていたより強かったの。久々にその子が自分から動くくらいには」

 男は後ろを見ようとした。だが刃に貫かれている今、それは出来ない。
 男はうろたえた。自分の体は並みのナイフでは通らないほどには丈夫であった。それがあっさりと何者かによって貫かれている。
 だが、それで終わりではなかった。

「……ごフッ!!?」

 傍から見れば、男の状況になんら変わりはなかった。刃が突き刺さっているだけであった。しかし、その剣は変異していた。
 男の体が、内臓が切り裂かれる、潰される、掻き回される。体内を蹂躙されている。
 やがて男の体に生えた刃の数が増え始める。その形は様々であった。

「あ、ア、ゴ、が、ガ、ぐ、ぶ、ゴ」

 剣、槍、斧、刀。
 さらに鎌、針、鋏、鋸。
 果てには槌、棍、銃身のようなものまで、最後にはバネのような形状をした刃が体から飛び出した。

「ぐ、ぶ、はぁッ……!!」

 如何に魔人と言えども体の中から内臓を掻き回されれば死ぬ。当然の事である。
 男のすぐ目の前に、女がいた。つい先程まで戦闘範囲外にいた女が、自らの体に触れるほど近くに。
 男は物事を深く考えない性質であったが、戦闘に関する事であれば鋭かった。
 女は今、ここに来るまでに先程のように地面を蹴ったり土埃をあげることはなかった。
 ただ先程と同じように平然とその場に立っていただけだった。
 彼女の能力は"高速"ではない。"移動"そのものだ。
 それに気付いた瞬間には、男は女と共に戦闘範囲外に立っていた。
 自らの迷宮時計が女の付けていた腕時計へと吸い込まれる。
 やはり戦闘範囲は間違いではない。ならば何故。何故この女は。
 男は気が付いた。視界の先、戦闘空間内に先程まで自分に突き刺さっていた剣が佇んでいた事に。
 その剣の姿が次第に薄れやがて消えた事に。それと同時に女の腕時計も同じように消えた事に。
 迷宮時計の持ち主は、"女"ではなく"剣"だった。それだけの事だった。

「な……何故だ……ご、ぼ……ッ!……何故……」
「……」

 聞き取れるか聞き取れないか、声になっているかなっていないかもわからない声で男は叫んでいた。
 聞きたい事はいくらでもあった。
 "剣"が迷宮時計の持ち主であることなどあり得るのか。何故途中で戦闘を中断してまで自分を場外負けにしたのか。そして"お前"は何者なのか。
 その疑問は聞くまでもなく解消されていく事となる。

「……お前……その剣……何故……!」

 女の手には、戦いに勝利し戦闘空間から消えたはずの"剣"が握られていた。
 この空間は異世界であり、過去だ。如何に女が空間移動能力を持っていたとして、戻ってくることなど。
 ……出来るのか?この女には、時を超え、世界の壁を超える事が。剣を引き連れ、再びこの空間に戻ってきたのか?

「……」

 女は男に剣を突き刺した。再び男の体が蹂躙されていく。いくら抵抗しても無駄だった。苦し紛れの攻撃を仕掛けようとしたところで女には当たる事はなかった。
 男は理解した。この女は最初からまともに"戦い"などする気はなかった。故に"戦い"を望んだ男は彼女を退屈だと感じてしまった。故に今、彼女に恐怖を感じてしまった。

 この女は、剣は、最初から"殺す"事しか考えていなかったのだ。

 戦闘空間外へ一度飛ばしたのは、お前が例え迷宮時計による戦いの運命から逃れようと、降参しようと、決して殺す事をやめはしないという意思表示だったのだ。
 女は男を斬って
 男を刺して
 潰して
 抉って
 砕いて
 裂いて
 殺して
 殺して
 殺して
 殺して殺して殺して
 殺して殺して殺して殺して殺して
 殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して

 ――男はついに、この女が何者であったのかということだけは、最期まで知る事はなかった。




―――



         次のニュースです……

   全国で行方不明者が多発している事件について……

 魔人能力が関わっているとの見方が強く……

     飯田カオル氏が発言した迷宮時計との関係が……

 続報が入りました……

    先日行方不明になった女子児童……

           同級生が二名、さらに行方不明に……

    現在関連を……



―――



 かつて、少女は知った。
 自らの親友が何を敵に回して死んだのかを。
 かつて、少女は知った。
 自らの親友が最期に何を誓って死んだのかを。

 ならば自分に出来る事はその敵を全て殺す事。
 ならば自分に出来る事は彼女の誓いを果たす事。
 その為に、彼女は相手がどのような人物であろうと殺すと誓った。
 その為に、彼女は人である事をやめ、人を殺す剣として生きると誓った。

 これからの対戦相手も全員殺して。
 四人で今までと変わらない元の生活を過ごすために。

最終更新:2014年12月28日 21:29