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その日、久坂俺と


「ヤベーッ! 遅刻遅刻! うおおおお!!」
 オレ、即ち久坂俺はこの時、大慌てで駅の階段を駆け上っていた。焦れったいような低段差の階段を、二段飛ばしで登っていく。 階段の中腹に差し掛かった頃、頭上から出発のメロディーが響いてきた。ヤバイ! 駅員のよくわかんねえアナウンスも聞こえてくる。ヤバイ!! コレに乗り遅れたら次の電車は13分後! このままでは蜜柑崎探偵事務所のアルバイトに遅れてしまう! ちなみに蜜柑崎探偵事務所の所長である蜜柑崎檸檬のアネキは世間には知られていないが睨んだ相手に隠しておきたい真実を自白させてしまう能力を持つ魔人であり、このままだとオレは遅刻の罰でベラベラと隠しておきたい真実を垂れ流すマシンとなってしまうのだ! 効果時間は24時間なので明日学校で色々と隠しておきたい真実を明かしてしまう事になってしまうし、これは一度やられると良く分かるのだが、すごく喉が渇く!
『ドアー、シャーッリッサー』
「うおおおおおお!!」
 最後の階段を五段飛ばしで登りきり、ホームで踏ん張る。オレの長い足はぐっと押し縮められると、伸びた勢いでバネの如くオレを射出! 閉まるドアの隙間を飛翔突破! 回転! 着地! 顔面着地! 顔面セーフ! じゃない! いてえ!
「ハーッ……だがどうだ……オレは間に合ったぜ……!」
『カケコージョーサー、オヤムケダシェー』
 どうやらオレの駆け込みにより電車のドアは一旦開いていたらしい。オレの後ろで再びドアが閉まる。クソッ! そんな事ならオレが飛び込まずとも発車を待ってくれよ! っていうかもっと聞きやすい喋り方してくれよ!
「俺…………君?」
「誰だ!」
 そんなこんなして汚れっちまった服をパンパンとはたいていると、名前を呼ばれた。女の子だ! 声の主を見れば……おう! 良い感じの美少女じゃないか! いや、美少女っつうにはちょっと大人っぽい。美女? 美女ってのもなんか違うな。おしゃれした新社会人ってカンジだ。これからデートと見た! いや、でもその割にはオレに声をかけたな? ん? オレの名前知ってる?
「……キミ、どこかで会ったっけ」
「あ」
 そう言うと女の子は目に見えて動揺する。おっと、こんな事では檸檬のアネキに叱られちまう。探偵たるもの、他人とは上手く付き合え。オレは練習したイケメニズム溢れるスマイルを顔に作った。
「ごめん、急に声かけちゃったりして」
「あ……その、私」
「オレ、久坂俺って言うんだ。君は?」
「あっ……えと……桃園、めぐみって言います」

「名探偵コナン」
「え?」
 そのままするりと私の隣に座った彼、久坂俺は、突然そんな事を言った。
「名探偵コナン。知ってる?」
「あ、はい、一応……」
「オレ、その探偵やってるんだよね。だから気になっちゃうんだよな。会った事ない人に名前呼ばれちゃうと」
「……そう、なんですか」
「もしかしたらオレの探偵としての素質を恐れた刺客なのかもしれない! ってね。……どう思う?」
「考えすぎだと思います……」
「あちゃー。でもオレの名前知ってたのは本当だよね、めぐみチャン。どこで知ったの?」
「え、と……ごめん、なさい。わかりません」
「へえ?」
 目を丸くする彼に、私は続ける。
「ごめんなさい。変ですよね。でも、確かに会った事があって……」
「あーハイハイ。オレの顔は知ってた。名前も。一致した。だけどいつ知ったかは分かんないと。まーよくあるよな。オレだって初めて立って歩いたのはいつどこでとか聞かれてもわかんないし」
「そう、そんな感じで……」
 それからしばらく、私は彼と話をした。彼はクルクルと表情を変え、明るく、忙しく、途切れる事なく色々な事を話してくれた。
 だが、そんな時間も長くは続かない。車内アナウンスがその地名を告げた時、私は彼から視線を外す。彼は目ざとかった。
「次で降りる感じ?」
「はい」
「そっか。なんか残念だな。色々話せたのに。初めて会ったって感じしなかったよな? なんかホントにオレとキミ、どっかで会ってたかも……」
「……思い出せました?」
「いや全然! でもさ、仮に昔会っててそれを思い出せなくても、今こうやって会って仲良くできたって事が結構大事だと思うな、オレ……あ、そうだ」
 彼はポケットをゴソゴソと漁り、名刺のようなものを取り出して私に差し出した。蜜柑崎探偵事務所、とある。
「コレさ、オレの勤め先」
「勤め……?」
 バツが悪そうに頭を掻く彼。
「ゴメン、ちょっとカッコつけた。バイトしてんだ、そこで。助手としてね」
「どうしてですか?」
「まあ、人生何でも経験っつうじゃん? オレ、将来刑事になりたいんだよね。だから若い内から色々知っときたいなって思って」
 電車が速度を落とし始める。
「それで探偵助手って、随分前のめり」
「いや、でもコレがなかなか奥深くって! ……あっといけねえ、長話もできないんだよな。ま、何かあったらさ、頼ってくれよ。サービスするぜ?」
「……うん」
 私は素直に頷き、それを受け取る。
「名探偵コナン」
 彼の手が、私の手首を掴んだ。
 強く、固く。
「知ってる? ……主人公の江戸川コナン。本名、工藤新一っつうんだけど、なんで江戸川コナンって名乗ってるのか」
「え……?」
 状況をつかめない私など関係なしに、彼は語り続ける。その表情から、さっきまでの明るさや軽さは消えていた。
「あいつは毒を飲まされて、身体が子供になった後、幼馴染みの毛利蘭に見つかって、名前を聞かれた。だが、新一が生きていると知られれば、新一を殺そうとした連中が放って置かない」
「あの、何の話……」
「だから偽名を使ったんだよ。とっさに目に入った二つの名前……江戸川乱歩の苗字と、コナン・ドイルの名前を借りてさ。江戸川コナンだ」
 さっと、身体の血液がどこかに引いていくような感覚。あるいは、心臓が縮こまるような。
「『桃園』香織は今月新刊を出した女作家だったな。秋江『めぐみ』は今週のヤンマガの巻頭グラビア担当。どっちも中吊り広告に名前がデカデカ出てるぜ」
「あ……」
「別にキミの本名なんてどうでも良いんだ。たださ……なんで咄嗟に偽名なんて名乗った?」
 電車が止まった。ドアが開く。私は咄嗟に彼の手を払い、駆け出した。振り返らない。履き慣れないヒールで、それでも走る。転ばないように。
「……っ!」
 けれど、私の中では注意より焦りが勝った。些細な凹凸に引っかかり、前へとつんのめる。視界が揺らぐ。階段はまだ何段も続いて――
 ――思わず目を閉じた私の身体に、衝撃が走る。だけど思っていたよりも痛くない。浮遊感。
「危ねえ」
「!」
 すぐ後ろから、彼の声。それで気付いた。転びかけた私の身体を、咄嗟に俺君が支えてくれたんだ。まるでそれは、後ろから抱きすくめられるみたいで。
「~~っ!」
「あ、悪い。悪ぃ!」
 彼が私の態勢を整えつつ身体を離した。爆発しそうなくらいに拍動する心臓を服の上から押さえつけつつ、俺君の顔を見上げる。少しバツが悪そうに、視線を逸らして、頭のてっぺん辺りを掻いて。
 昔から変わらない。俺君の照れ隠し。
「……電車、行っちゃいますよ。急いでるんじゃないんですか」
「いや、別にそれは良いよ。それよりキミの事だ」
「偽名を使ったから?」
「それもあるけど、それだけじゃない。キミの目。すごく辛そうだった」
「つらそう?」
「話してる最中もたまにそんなだったけどさ。さっき、オレの手を振り払う時……なんつうのかな。悪事がバレて逃げようとするヤツとは違ってて。なんつうか。ゴメン、オレもよく分かんないんだけど」
 発車ベルが俺君の背後で鳴り響く。だけど彼は、ちっともそれを気にする様子を見せない。
「……もしさ」
「ん……」
「もし、もしさ! ……オレが何かキミに、気づかない内になんかしてたら、ホントごめん。いや、とりあえず謝っとくみたいのはダメだとオレは思うんだけど!」
 電車のドアが閉まった。ゆるやかに速度を上げながら発車していく。
「でも、もしそうじゃなくって、オレと関係のない所で、キミが本当に辛い思いをしてるなら、オレ、力になれる事、ないかな」
「力、に」
「ほら……オレ探偵だぜ! 秘密は厳守! 家族にも友達にも言えない事、相談してくれて構わねんだ! 問題解決! ……ほら、今なら無料で良いぜ!」
 調子はずれなくらいに明るい口調で言う俺君の様子に、つい私は笑ってしまった。俺君も安心したように、自然な笑いを浮かべた。やっぱり、昔から変わらない。
 笑顔も、他人の心に敏感なのも、いざという時は損得勘定なんて真っ先に放り投げて、困った人を助けずにはいられない所も、全部。
 ――変わらないね。
 喉元から出てきた言葉を飲み込む。そんな事を言えば、また彼の心を乱すだけだ。代わりに私は少し考え、口を開く。
「目的が、あるんです」
「目的?」
「はい。ずっと……ずっと果たしたかった事が。ううん、果たせるだなんて思ってもいなかったけど、突然目の前にチャンスが来て」
「そっか。チャンスを掴んで逃がさないのは大事だよな」
「それで……そのために、今日までずっと頑張ってきて。あとちょっとで、届くんです」
 迷宮時計に表示される参戦者人数は、順調に減少してきている。このペースでいけば、残りあと二、三度の戦いで、勝負は決するだろう。それがおさなの見通しだった。
「その、チャンスについて、詳しくは言えないんですけど」
「うん」
「……応援、してくれませんか」
「応援?」
「私の目的を、です。俺君に応援してもらえば、私、頑張れるから」
 目をしばたたかせる彼。でもすぐに笑って、明るく言った。
「おう、頑張れ! 何だか分かんねえけどさ! 応援するぜ! 努力は必ず報われるさ!」
「……ありがとうございます」
 赤くなる顔を咄嗟に伏せて、俺君へ背中を向ける。
「なあ!」
 俺君の声。私は振り返らない。
「また会えるか? ……また話、できるか? 今話せなかった事、全部話して貰えるか!?」
 ――許されるなら。
 今すぐ手にしたすべてを捨てて、彼にすべてを話したい。
 何もかも打ち明けて、彼に抱きしめてもらって、彼の胸の中でたくさん泣いて。
 そんな事ができたなら、私はもう死んだって良い――いや、できるだろう。彼はきっと、それを許してくれる。
 でも。
 それは私の望みじゃない。
 私が欲しいのは、彼の同情や哀れみなんかじゃない……そんな物で私が救われる領域は、もうとっくに終わっているんだ。
「……会えますよ」
 階段を降りきった所で、私は振り返った。階段の上の方、陽射しの下に立つ彼を眩しく見上げて。
「目的を果たして、会えたら。たくさん話したいです」
「……そっか!」
 その笑顔を刻みつけ、私は踵を返し、今度こそ振り返らずに歩き出した。
 表情を引き締める。温かな記憶はすぐに脳の奥底へ仕舞い込み、これからすべき事を考える。
 ――まずは撫津弥生を探さなければならない。
 心が静かに冷えていくのを感じて、また少し、私の胸が痛んだ。