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裏第二回戦SS・温泉旅館その2


☆予告☆

辛くも紅井影虎を撃破した菊池一文字だったが、そこに新たに現れる世界の敵!
敵の卑劣な罠にハマり、大怪我を負ってしまう一文字!
おお、彼の道(ROAD)はここで終わってしまうのか……?
だがそこに現れた一人の医師!その優しげな糸目が、今開かれる……!
次回『残虐非道!殺人医師・真戸才炎!』に乞うご期待!

――菊池一文字1回戦SSより





《1》

 -1st-

白く染まった視界が晴れると、木彫りの熊が私を出迎えた。
今度の戦いで迷宮時計が選んだ戦場は【現代】の【温泉旅館】である。
まわりを見渡してみると、イメージしていたとおりの空間が広がっていた。
……部屋に通されるとは思ってなかったけど。

あわてて周囲を確認するが、しんと静まり返っており、だれもいない。
どうやら対戦者の【菊池一文字】は旅館内の別の場所にいるらしい。
別の部屋か、それともロビーとかか。まさか温泉に入ってはいないよね。
窓の外を見ると、高く雪が積もっていた。
今もぼた雪が降り続けており、白はさらに分厚くなりそうだ。

持ってきた武器の確認をしつつ、次の行動を考える。
とりあえず旅館の全体構造を把握しなければならない。
テーブルに置いてある案内を見る。
『浜千鳥の湯』。それがこの旅館の名前らしい。
ぱらぱらとめくってみたところ、なかなかオシャレな旅館のようだ。
離れやメゾネット式の部屋なんてのもある。
げげ、大きな露天風呂は混浴!? 私はパスだな。
なんて場違いなことを考えながら、案内を懐のポーチにしまうと、部屋を後にした。

構造はもうすべて頭に入っていた。
その上で足を向けるのは、旅館のロビー。
まずは広いところに行って準備をしよう。
殺しの段取りは平常運転で組み立てられていた。

私は、迷宮時計の戦いを甘く考えていたことを知ることになる。


 ◆◆


ロビーには黒山の人だかりができていた。
人?
いきなり困惑させられる私。
前回が誂えたように1対1の戦場だったので、今回も邪魔は入らないものだと勝手に思っていた。
それがこの有様である。

不必要な殺人をするつもりはない。
それをよしとするところまでは、まだ私は狂っていないはずだ。
とりあえず菊池一文字を探さなくては。
そう思った私だけれど、ふと違和感を覚えた。

学校の体育館みたいに広いロビーの一角を人が埋めているのに、ひとりの声しか無いのだ。
空間を緊張感が圧迫している。
声はよく通っていたが、なんの話をしているのかよくわからない。
まずは何をやっているのか確かめないと。
人だかりをかきわけていくと、数人の大人たちを、シマリスのしっぽみたいな髪型の女の子が見据えている。
女の子はすっと指を大人たちのひとり、優しげに目を細めた白衣の男の人に向けると、高らかに宣言した。

「犯人は、お前だ! ――真戸才炎!」


◆◆


名指しされた『まどさいえん』さんは、柔和な笑みを崩さずに、女の子に問いかける。
不思議なほどに落ち着いていて、まるで意に介していない様子だ。

「いやはや、驚きましたな。ワタクシが殺人犯とは? いかなる根拠を持ってそう仰っているのでしょうか」

至極まっとうな反論がなされる。
それに対する女の子の返答は、およそ通常のセオリーからかけ離れたものだった。
なんだかそわそわした様子の彼女は、時計を見ながらこう言った。

「うーん、順を追って説明するのが筋だとは思うんだけどね、ちょーっと時間がないの! だから、さっさと私がやりましたーって自白してくれるとありがたいな!」
『ショウ子、それはいくらなんでも乱暴すぎるぞ』

どこからともなく渋い声が聞こえた。
『しょうこ』と呼ばれた女の子の言葉を耳にした聴衆に困惑の様子が広がる。
しかし、ざわざわとした中で『まどさいえん』さんは懐から聴診器を取り出す。
普通のお医者さんみたいに聴くところを耳に入れると、体に当てる部分を女の子に向けた。
やや待った後に口にした言葉は、さらに予想外だった。

「ワタクシの『聴心器(ノゥティシア)』で診ても、結論と真実に相違なし、か。……いいでしょう。河合相馬さんと久美飛太さんを殺害したのは確かにこの、真戸才炎でございます」

どよめく周囲の人たち。
私もビックリだ。
こんなにあっさりした解決編、推理小説でやったら燃やされちゃうよ。

「おっと、まさかホントに白状してくれるとは。話が早くて助かるよ。おかげさまで今度は尺が余っちゃったからさ、いつもは『あっち』で訊いてるんだけど特別にいま、河合さんと久美さんを殺した動機を訊いてあげるね!」

女の子も驚いた様子で、目を丸くしている。
なんか本当にうちのシマリスみたいでカワイイな。
それはさておき、動機ねえ。なんだろ。てか、『あっち』も気になる。

「動機ですか……。いや、ここの温泉はケガにとても良く効くと聞いたのでねえ、医者としては試してみたくなったんですよ……」

白衣の男の人はなおも笑みを崩さず、むしろ口をさらに大きく歪めていた。
そして。

「……ワタクシが『オペ』を『失敗』してしまっても、元通りにしてくれるんじゃないかってなァ~~~~!!」

彼はその細い目をカッと見開いて絶叫した!
これはあれだ、映画とかに出てくる悪い博士みたいだ。
白衣をバッと露出狂のように開くと、そこにはメスがずらりと並んでいる!

「イヒッ!イヒヒヒッ!! ワタクシの『オペ』を待っている患者さんはゴマンといるんDeath!!こんなところで捕まるわけにはいかないんDeathよォ~~!ケェッヒャァーーーー!!!!」

大仰なモーションで体を揺らしていた彼は、突然その首をぐりんと私の方を向けた。
えっ、私?

「さあさあ小娘! ワタクシの人質になりなさァい! と言いたいところDeathが、このままの勢いで突っ込んだら殺人メスが心臓貫通血まみれ殺でございますゥ! ヒヒャア! こいつはワタクシついウッカリー★」

メスを両手に4本ずつ指の間に挟んで、私の方にとても楽しそうに突っ込んでくる。
その顔の笑みは歪みきって凄絶だ。
あ、これ記憶の片隅にこびりついちゃうやつだと思いながら、私は懐に手を伸ばす。
すると。

「危ねえっ!!」

男の人の声がしたかと思うと、銀色のマントをした赤髪の男の人が、私の前に立ちふさがった。
ちょ、ちょっと、メス刺さるよね!? そんなことしたら……。
恐る恐る男の人の様子を肩越しに窺ってみる。
けれど、なぜかメスが粉々に砕けているだけだった。

「ケヒャッ!?」

動揺している『まどさいえん』さん。
そんな彼の頭を、赤髪マントの人は鷲掴みにする。

「よう、ずいぶんとファンキーな面構えじゃねえか、お医者サマ。裏切り者で、恩知らずの目ぇしてやがる」
「お、お前、生きて……。そんなことより、ワ、ワタクシのメスが、粉々にィ……?」

なにやら因縁がある様子だ。
赤髪の人の拳が固く結ばれる。

「このマントはなあ、己の道をまっすぐ突き進んで行くためのマントだ」


彼はマドさんをバレーのサーブのように高く放り上げると、

「テメーの曲がった刃じゃ貫けねえんだよ!!」

完璧なタイミングで右straightをマドさんの頭にブチ込んだ!


「ボギョゲェェェ~~~~~~!!!」

奇声を発しながら吹き飛んでいくマドさん。
床に何回かバウンドしてようやく止まった。
彼のもとに『しょうこ』ちゃんが駆け寄っていく。
指で顔を突っついたりしても起き上がることがないことを確認すると、彼女は良く通る声で叫んだ。

「よっし! 事件解決! ……だよね? 女将さーん!」
『……これで仕事したといえるのか? ショウ子』

さっきの音源不明なダンディボイスがツッコミをいれている。
ショウコちゃんは赤髪マントを指差しながら反論する。

「しょ、証拠集めはちゃんとしたもん! 自白しなかったら普通に突きつけてやるつもりだったよ? まさか犯人を叩きのめしてくれるとは思ってなかったけど」
「だれが証拠だっての」
「ご協力、感謝します。……よっと」

ショウコちゃんはマドさんを軽々と肩に担ぐと、山高帽子を空いた手に取り、恭しく一礼した。

「それではみなさんごきげんよー! 山禅寺ショウ子でしたっ!」

顔を上げた彼女はそう言うと振り返り、一歩踏み出した。
すると、彼女も担がれていたマドさんも、忽然と姿を消してしまった。
……いやー、不思議なこともあるもんだ。うん。
とりあえず、助けてくれたお礼を言わなきゃだね。

「あの、ありがとうございました」

赤髪の人にぺこりと頭を下げる。
彼は手を顔の前で振りながら言った。

「いやいや、俺は全てを救うって決めたんでね。……危ないぞ? そんなもん振り回したら」

おっと、気づかれていたらしい。
糸切鋏はさっさとしまったはずなのに。

「私じゃなくて、犯人の人を助けたってこと?」
「飛び出した時は無我夢中だったけどなー」

油断ならない人。
どうやらこいつで間違いなさそうだ。

「ふーん。もしかしなくても、あなたが……ってわあ! 血が!」

頭から血が流れている。
赤いのは髪の毛だけじゃなかった。

「え? ……ぬおわーっ!?」

赤髪マントはさっきまでのカッコいい様子とは裏腹に、情けない声を上げた。
旅館の人たちが救急箱を持って駆け寄ってくる。
まあ、とりあえず話を聞いてみましょうか。


 ◆◆


「殺人事件……」
「そう。夕べにな、風呂場で人が殺されてたんだ。でもこの旅館は高台にあるんだけど、昨日からの猛吹雪で車が登れなくて、警察が来られない。で、俺がなんとかしなきゃっと思って現場を調査したら、あいつのピアスが落ちてたんだよ。それを探しに来ていたあいつに見つかったのかな? 後ろから思いっきり頭を殴られて、崖から突き落とされたんだ」
「え、よく生きてましたね」
「まあそこはほら、俺魔人だから。気がついたら朝になってたけど。それでなんとか旅館に戻ろうと雪まみれになりながら坂をえっちらおっちら登ってたら、依頼を受けたあの探偵さんとはち合わせたわけよ」
「依頼?」
「ああ。今朝もうひとり殺されてたみたいでな。警察はまだ来るのに時間がかかるってことで困り果てた女将が呼んだらしい。……転校生の探偵をな」
「転校生……」
「なんでも、50分で事件を解決しないとダメなんだってよ。それで本当に解決しちまうんだから、やっぱすげえよなあ」

赤髪の人に何があったのか尋ねると、なかなかにショッキングな話だった。
推理小説そのまんまじゃないか。
警察なにしてんのって思ったら、ここはなんと和歌山県の海岸沿いの旅館らしい。
この大雪は観測史上初めてといっていいぐらいの異常気象ということで、車を動かす準備がなかったとのことだ。
そこに現れる転校生……。この世界、大丈夫?

それよりも、昨日この人が旅館にいたということは、試合会場にこの人が先に転送されていたことになる。
おおむね12時間ぐらいだけど、私にとっては大きすぎて余りある時間だ。
なんということ、そういうところも平等じゃないのか……。迷宮時計、思ってたよりも厄介だな。
てゆーかそれよりもっと大事なことが! 私には確かめないといけないことがあるんだ。

「もうひとつ訊きたいことがあるんだけど」

赤髪マントの目を見据える。
向こうも、しっかりと視線を合わせてきた。

「あなたが、菊池一文字さん?」
「おう! 俺が菊池一文字だ。それを尋ねるってことは、君が刻訪結ちゃんかな? ……って訊くまでもないな!なんつー目ぇしてんだよ」

あっけらかんと答える菊池一文字。
なんつー目ってどーいう目だ。
そんなに怖い顔してた?
表情が顔に出やすいのは、私も真実と一緒みたいだね。

「いまここであなたが死ねば、私の今日の戦いは終わるわ」
「まあそうだけどさ、俺の話、っていうか……『トキトウ ハジメ』の話、聞きたくない? 結ちゃん」
「!!」

操絶糸術を繰り出そうとしていた私の指が止まる。
いま何て言った??
きっと今度は私の目は驚きでいっぱいになっていただろう。

「おっ、良いリアクション。ただ、条件を付けさせてほしい」
「条件?」
「だから顔怖いって。まずひとつ、俺たちが戦うのは明日にしてほしい。いくらなんでもこのケガじゃあ、結ちゃんに勝つのは難しそうだ。だけどここの温泉は戦闘魔人も御用達の秘湯でね。切り傷なんかは湯にしばらく浸かっているだけであっという間に治るんだ。……さすがにバラバラになったものを元通りにはできないけど」

もったいぶる方が悪い。そりゃあ顔も怖くなるよ。
で?
てゆーかさっきから結ちゃん結ちゃんって何だ。なれなれしい。

「そう言わないでよ。で、もうひとつ、戦う場所は、ここの大浴場に決めておきたいんだ。この旅館には人が他にもたくさんいるだろ? そこで俺たちが暴れたら、大きな被害が出るだろうし、まあ物は壊れるだろう。だから、広い場所で戦いたいんだ。旅館の人には、俺が犯人探しに協力するかわりに場所を貸してほしいと頼んで、オッケーはもらってる」

まあ別に悪くはない。お兄ちゃんがいなくなってから死体で見つかるまでの話はパパもママも知らなかった。
誰も知らないことをなんで縁もゆかりもないコイツが知ってんのかはとりあえず置いておこう。
ただ。

「私にとって良いことは一つだけなのに、あなたのお願いは二つあるよ」

これは納得ができない。
私は今からでもあんたを殺せるんだぞ、こら!

「それもそうだな……。じゃあこうしよう。俺のマントの秘密を教える」
「……いいの?」
「ああ。俺の『シールドマント』は表面に時空斥力が働いていてね、無機物の攻撃はほぼ通用しないんだ。俺がいつも傷だらけで帰ってくるからって14歳の誕生日に母さんからプレゼントされたんだぜ」
「後半の情報いらない。てか私まだ、戦うの明日でいいって言ってないんだけど」

そうやって自分のペースに持ち込む作戦か! 本当に油断ならないヤツめ。
そう思ったら。

「…………あっ」

途端にうろたえる菊池一文字。
もしかして素? ゆかいな人だなー。
そんなことを考えたら、頬が緩んでしまった。

「ふふっ。いいよ、明日で。お兄ちゃんの話、気になるし。それに、どっちみち勝つのは私だから」
「負けねえぞ?」

友好のしるしの握手をする。
大きな手だった。
初めて会ったはずなのに、不思議な安心感があった。

「さてと、それなら部屋に案内してもらわないと」
「ああ、部屋なら……」

菊池一文字がなにか言いかける。
でも私はそれを遮った。
会話の主導権は渡さないよ!

「メールでしょ? 試合のお知らせと一緒に付いてたよ。部屋の名前だけで旅館の名前はなかったけど!」

私はそれだけ言うと受付(この旅館ならフロントかな?)に走る。
時刻は15時を回っている。もうチェックインできる時間だ。
休めるならさっさと休みたい。

「刻訪結様……はい、お伺いしております。白浜の間、菊池様のお連れ様ですね」

そうそう白浜の間……って、えぇ?
きょとんとしている私の顔を見て、受付のお姉さんの顔も不思議そうになる。

「お二方、3泊4日でお部屋をお取りしておりますが……?」
「え、ちょ、ちょっと待ってください!」

あわてて私は菊池一文字の方に戻る!
「ちょっとどういうこと!? なんであなたと同じ部屋なの!?」
「そう言われても、俺も昨日聞いたら、そうだって」
「イヤだよ一緒なんて、ねえ、どうしよー」
「うーん、空いてる部屋が無いか聞いてみたら?」
今度は受付に戻った私は、恐る恐る尋ねた。

「あの、別々のお部屋にすることって、できませんか……?」
「申し訳ございません、本日は満室でして」

受付のお姉さんの困った顔が胸に刺さる。
……どうしようもない……!

「あ、はい、わかりました……」

絶望的な気持ちで再びロビーのソファーで横になっている菊池一文字のもとへ向かう。
対戦相手の男の人と、一緒にご飯食べて、一緒に寝る……?
ありえない!!

「ん、どうした? って痛い痛い! 叩くな! 傷が開く!」

やり場のない気持ちを拳にのせる。
ああ、パパ、ママ、ごめんなさい。
私、男の人と温泉旅館でお泊りしちゃいます……!





《2》

「うおー! こ、これがクエ鍋……! うまそ~~!! えっ、カニもあるんですか? やったー!」

夜ご飯の時間になった。
お部屋に続々と料理が運ばれてくる。
白浜の間は、私が最初に転送された部屋だった。

お鍋にはダシがはられ、具材が山盛りになったお皿がテーブルに並んでいる。
お刺身や焼き物も本当に美味しくて、舌がとろけそう。
でも、このあとのことを考えると、どうしても憂鬱な気分になってしまうのだ。

「あっ、ビールもう一本ください」

そんな私の気持ちは露知らず、彼……菊池一文字は、浮かれた様子だ。
てか飲んでるし! 旅行か!

「いいの? お酒飲んで。私とそんなに年ちがわないよね?」
「いいよ、18だもん。結ちゃんはいくつ?」
「14歳。……って、ダメじゃん!」

なんでドヤ顔なんだろう。
ため息が出る。
すると彼は、ちょっと神妙な顔になって言った。

「あー、実は俺、未来から来たんだ。今って西暦何年?」
「2014年だけど」
「じゃあ60年後だな。まあ結ちゃんの世界と地続きとは限らないけど。60年後の世界は、お酒もタバコも18歳からなんだ」
「ほんとう……?」

なんかだまされてる気がする。
でも彼は真面目な表情だ。
もうちょっと聞いてあげてもいいかな。

「マジマジ。でもなー、魚とか果物とかは全然とれなくなっててな、メチャメチャ高級品なんだ。ほら、回転寿司ってあるだろ?」
「あるけど」
「あれな、2074年は一皿100万円なんだ」
「えっ」
「とんでもないよな! 目ん玉飛び出そうだぜ」

なんか未来も大変っぽい。
魚や果物が食べられない世界か……。結構イヤかも。

「大変なんだね」
「そうそう。だからさ、試合会場が2014年の温泉旅館になって、俺すっげー嬉しかったんだ。食べたこともないようなウマいものが食べれる! ってな」
「ふうん……」

彼は本当に嬉しそうだった。
美味しい海鮮料理が食べられることに心から喜びを感じている顔だった。
その表情が、少し、悲しそうに曇った。

「だからさ、その……。もうちょっと美味しそうに食べてくれると、俺の鍋ももっとウマくなるかな、って……」
「おんなじ鍋じゃん」
「いや、そうだけどさ、こう……気分的な?」

まあ知らねえやつと食べても楽しくないかもな、とかなんとかぶつぶつ言っている。
その様子を見ると、ちょっと申し訳ない気持ちになった。
改めて鍋に箸を伸ばしてみる。
お豆腐がゆらゆらと揺れている。
そっとつまんで小皿に取る。
お魚やカニが昆布ダシにさらに味を加えていて、それらを控えめにしみこんだお豆腐は、まさに絶品だった。

「……美味しい。」

自然と顔がほころぶ。
それを見た彼は、さっきまでよりも、もっと嬉しそうに笑った。

 ◆◆

夜ご飯を終えた私たちは、おなかいっぱいになってしまった。
片づけて布団も敷いてもらったので、私はごろごろしていた。
ここが闘技場だったら私はもう八つ裂きだ。
そう考えると急に罪悪感が芽生える。

「風呂入んねえの? すぐそこにあんのに」

そんなことはおかまいなしに彼が訊いてくる。
この部屋には露天風呂がついている。
それはそれとして、こいつは何を言っているの?
まったくもってありえない。

「あなたも入るお風呂に入れるわけないじゃん。あとで大浴場行くし」
「大浴場な、今日閉まってるぞ」

……またまた大問題。
はいはい、今度はどうしてですかぁ?

「いや、風呂場で昨日人が殺されたって言ったっしょ? 警察は結局昼過ぎに来たみたいだけどさ、捜査だなんだで掃除ができなかったから、今日は閉めるんだってさ。まあ犯人が転校生に連れて行かれちまったから、そんなに大がかりな捜査じゃなかったみたいだし、明日にはまた開けるみたいだけど」
「要するに、今日は部屋のお風呂に入るしかないってこと?」
「そうなるな。まあ、これが世界の意志ってやつなのかも」

いったいどういうことだ。
何が世界の意志だ。
こんな世界なんて滅びてしまえばいい!
ああ、そうか。これが彼のいう『世界の敵』が生まれる瞬間か。
……なーんてね。
しばらく現実逃避をしていたが、これだけは言っておかなくてはいけない。

「………………ぜっったい、みないでよ!! 覗いたら殺すから」
「だれが中学生の裸なんて見るかよ。ていうか殺すってのが冗談に聞こえないんですが」
「冗談じゃないもん」

クギを刺しておく。これだけ言えば覗きはしないだろう。
脱衣所の扉を閉めると、制服とストッキングを脱いでカゴに入れる。
現れたのは、包帯でぐるぐる巻きの体だ。
丁寧に外して、それもカゴに入れる。

嫌いだ。プールも温泉も。
みんな私の傷痕だらけの体を見れば怖がるから。
授業では一度もプールには入ったことはない。
温泉は『刻訪』の旅行でたまに行くからしかたなくついて行くけど、お風呂に入るのは夜遅く、閉まる直前だ。
それでも人に遭ってしまうこともある。
妖怪でも見たような顔をされる。
ママが一緒に行ってくれるけど、嫌なものは嫌だ。
体を見られて怖がられて、良い気分の人なんていないだろう。

脱衣所を出て、湯船へ向かう。
まあまあおっきくて、ゆっくり浸かれそうだ。
さっき恨みごとを言ったばかりだけど、お風呂自体は嫌いじゃない。
家では、入浴剤をいろいろ試している。
雪は私が来た時よりだいぶ小降りにはなっていたが、それでもまだ降っていた。
足を進めると、背中に水が垂れてきた。
冷たい!

「ひゃあん!」

大きな声が出てしまった。
脱衣所の軒先から雫がぽたぽたと滴っている。
雪が溶けているようだ。
やれやれと思いながら湯船に入ろうとすると、

「どうした!?」
「いやぁ!!」

バカが外に出てきた。
信じられない。

「す、すまん! ……おい、それ、どうしたんだよ」

謝る彼だが、視線は私の体に留まる。
みるみる顔が怖くなる。
心がきゅうっと縮みあがる。
また、この目だ……!

「見ないでッ!!」

私は座り込んでしまった。
雪が素肌に突き立てられる。
冷たい。痛い。
でも、立てない。その顔がなにより怖い。

「酷いでしょう、これ。男の人に体の痕をみられちゃうの、初めてなんだからね」

震える唇から、言葉が零れる。
頭や肩に雪が積もってきた。
冷たい。寒い。
でも、動けない。

「おねがい、このことは忘れて? 明日手加減されたりなんかしたら、イヤだか――」
「忘れられるかよ!」

言葉を機械のように繰る私の手を、彼が強く握る。
顔を上げると、彼と目が合った。怖い顔をしていた。
でも、私の恐れるものとは、よくみたら少し違っていた。

「実際何があったのかは、俺にはわからない……。でも! お前が辛い目に遭ってきたことは、よーくわかった! お前も、必ず俺が救ってみせる」
「……どうやって?」
「そ、それは……。……なんとかする! そうだ、迷宮時計の力で……」

彼は真剣そのものだった。
こんな人、いるんだな……。誰かのために、ここまで本気になれる人。
でも、それはそれとして、言わなきゃならないことがある。

「お礼を、言いたいところだけど。……いつまで私のカラダを目に焼き付けておくつもりなの……?」
「あ、これは、えと」

急にあたふたする彼。
このパターン何回目? この短い時間でね!

「さっっさと帰れ!! ばかーーーーー!!!!」

つかまれた手を振り払い、手桶を投げつける。
あわてて彼は部屋に戻っていった。
まったく、油断も隙もないんだから!

湯船にようやく入る。
積もった雪はあっという間に水になり、温泉の湯と一緒に流れていった。
熱が体に伝わっていくのを感じる。じんわりと。
口元までお湯に浸かりながら、こっそり言葉を紡いでみる。

「…………ありがと」

今日のお風呂は、体の中まであったかくなった気がした。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



風呂から上がった俺は、鏡で傷痕をチェックする。
じっくりと温泉成分を染み込ませた傷は、もうすっかり塞がってた。
部屋に戻ると、結ちゃんがいない。
あ、あれー!?
と思ってたら、すぐに帰ってきた。心配させやがって。

「お、どこ行ってたんだよ」
「ちょっと夜風に当たりに行ってたの」
「そか。おかえり」
「……ただいま」

浴衣姿の結ちゃんは、いまだ部屋の入口にちょこんと立っている。
なんかまた距離を感じるぜ。気まずい……。
と思ってたら、普通に話しかけてきた。
今度も取り越し苦労だったらしい。予想を超えられるのは悪い気はしない。

「てかお風呂長くない? あっ、もしかして私が入った後だからみたいな気持ち悪いこと考えてた?」
「誰が考えるか! 傷をお湯に浸けてたんだよ。しばらくっていっても2時間はかかるから」
「ふーん。そうやって言い訳しながら私の入ったお風呂に潜ってたと」
「ちげぇよ!」

俺をからかってきた結ちゃんは、ふっと屈むと、手を俺の額に伸ばしてきた。
傷痕に触れると、感心した様子になる。

「傷、くっついてるね。すごい効き目……」
「だろ。それにしても、ずいぶん近いな。ちっとは慣れてくれた?」
「なっ、もう! うるさいうるさい! ばか」

いかんいかん、つい軽口を叩いてしまう。
しっかし、昨日今日とほんとに疲れたなあ。
瞼が重くなる。

「さて、そろそろ寝ますか。」
「そうだね。いろいろあって疲れちゃった。あっ、ここから向こう来ちゃダメだから」
「はいはい。わかりましたよ」

どうやら結ちゃんもおんなじ気分だったみたいだ。
防衛ラインが引かれているが、まあ仕方がない。
布団に潜り込んだ彼女が、小さな声で口にしたのが聞こえた。

「……おやすみ」
「おやすみ。良い夢を」

 ◇

ふと目が覚めた。
ごそごそと音がする。
隣を見ると、結ちゃんが部屋の扉に手をかけていた。

「どこ行くんだ?」
「ひゃ! えーっと、夜風に当たりに」
「またかよ。雪積ってんのに。風邪引くぞ」
「関係ないでしょ」
「あるね。隣で寝てるやつに体調崩されたら気分悪い」
「もう、いちいちそういう」

まさか俺が起きているとは思っていなかったんだろう。
声をかけられた結ちゃんはびっくりしていた。
すぐにいつもの調子になるが、様子がなんだかおかしい。
具体的には、表情が出会ったときのように恐ろしかったのだ。

「……ほんとに、なんつー顔してるんだよ。何を抱えてるんだ? あ、もしかしてさっきのまだ怒ってる? いやあ、本当に申し訳なかったです……」
「それはもういい」

表情は相変わらず怖いけど、少し柔らかくなっている。
結ちゃんは布団を俺のに寄せると、すとんと腰を下ろした。
そして静かに、問う。

「ねえ、あなたは、人を殺したことって、ある?」

唐突だった。彼女は続ける。

「私はあるよ。たくさん、たくさーん。もうね、何人殺したかも覚えてないの」

返す言葉を探す。彼女は続ける。

「それでね、とうとう親友も殺しちゃった。理由? 迷宮時計が欲しかったから。……ただの強盗だよ。人殺しのね。こないだも1回戦とかいって、同い年の子を殺したよ。生き残るために、ううん、私の願いのために。私は私のために他人の命を奪ってる」

返す言葉が見つからない。彼女は続ける。

「みんなが、私を見てる。二度と開かない瞳で、私を見てる。瞼を閉じるたびに視線を感じるから……眠れないの」

そこまで語ると、彼女は口を噤んだ。
何を話せばいいか、まだわからない。
でも、質問に答えることは、できる。

「俺は、人を殺したことがあるかどうかもわからない」

正直でいよう。そう思った。

「世界を救うために俺は『世界の敵』と戦ってきたけど、中には人間もいた。思いっきり殴り倒しもしたし、こないだ襲ってきた奴は海に突き落とした。死んではいない、と思う……。けど、死んでたっておかしくない」

結ちゃんの瞳が揺らめく。
何を想ったのかはわからない。
でも、伝えたいことがあった。
それが、求められてる答な気がしていた。

「自分を貫くってことは、誰かとぶつかることだって、母さんが言ってた。それで折れちまうようなら、最初から突っ込んでいくんじゃないって。だから俺は、俺の信じる道を行く。反省はしても後悔はしない。って、決めたんだ」

心のままを、伝えられた。きっと。
沈黙が流れる。
結ちゃんはじっと俺を見ている。
じぃっと見ている。
……ふっと、口元がほどけた。

「なんか、お兄ちゃんみたいだね。あなた」
「ハジメくん?」
「うん。お兄ちゃんは、邪魔するものは全部斬り倒すって言ってたけど」
「ほんとだ、俺みたいだ」

結ちゃんのお兄ちゃん……。あの人は、俺と同じくらいの年だったと思う。
悲しそうな顔をして戦っていた。
彼も、自分を貫こうとしていたのだろう。
そういう意味では、似ているのかもしれない。

「でしょ。……ねえ、手を握ってもいい?」

また唐突だ。
どうしたんだろう、急に。

「……私が眠れない時には、パパやママにね、手をぎゅっってしてもらってたの。お兄ちゃんは私が最初面倒みてあげてたのにね? いつのまにか頼もしくなっちゃって……。あなたもね、私のお兄ちゃん第5席に任命してあげる」

そうなのか。手を握ってもらってたのはまあわかる。
でもなんなんだ第5席って。アレか。結ちゃんもう眠いんだな、たぶん。
とりあえず相手してやるか。

「ずいぶん格下だなあ」
「まだ新米だもん。……ダメ?」

ちょっと悲しそうな顔になる。
ダメなはずがない。

「……いいよ」
「やった! ……おやすみなさい、お兄ちゃん」
「おやすみ、結」
「何呼び捨てにしてんの? 気持ち悪っ」
「お、お前なあ! ……えっ、ダメだった?」
「ふふふっ」

結ちゃんは手を握るといたずらっぽく笑って、それから目を閉じた。
すぐに、すうすうと寝息が聞こえてきた。
やっと眠れたみたいでなによりだ。
そう思い、改めて結ちゃんの顔を見る。
途端に、いま自分の置かれている状況がどういうものかを知って愕然とする。
浴衣の女の子の手を握って、一緒に寝ている……?

『ガーベラ・ストレート』には若い女の人はほとんどいなかった。
母さんたちも言っちゃなんだけど、あれはおばあちゃんという方が正確だ。
こんなに女の子と間近に接したことはない。
顔がみるみる赤くなっていくのがわかる。

「……うぅん」

結ちゃんがごろんと寝返りをうった。
浴衣の裾から素足がのぞく。
ときどきむにゃむにゃという結ちゃんは、どんな夢を見ているんだろうか。
悪い夢ではなさそうだけど……。

「えへへ、おにいちゃん……」

長い夜になりそうだ。
俺は明日死ぬ覚悟を決めた。



 -2nd(一文字は3rd)-



朝の陽ざしが窓から差し込んでいる。
どうやら雪はやんだようだ。
結局、あれから一睡もできなかった。

「……おはよ。すごい顔してるね、眠れなかった?」

結ちゃんが目を覚ました。
うーんと伸びをしている。
言われて鏡を見てみたが、ばっちりクマができていた。
まあ、眠れなかったと正直に言ってもしょうがない。

「いや? そんなことはないですよ?」
「私はね、すっごく良く眠れたよ! こんなの久しぶり」
「そっか。それはよかった」

ほんとに良かった。役得だけにならなくて。
すがすがしい表情の彼女を見ていると、自分の心も洗われるような気がした。

「ありがとね」
「どういたしまして」

朝食の時間になった。
けっこう豪華だ。朝から。
結ちゃんも目を丸くしている。

「おお~」
「たいしたもんだなあ」

食べている時の彼女はとても楽しそうだった。
昨日とは大違いだ。
……とても、これから殺し合いをするとは思えない。
そう考えると俺が、今度は憂鬱な気分になる。
これも、昨日とは大違い。

「美味しいねっ」
「ああ。美味しいな」

食事が下げられると、戦闘の準備を始める。
といっても着替えるだけだけど。
結ちゃんも脱衣所にこもると、すぐにセーラー服になって出てきた。

「はあ。やっぱり肌が隠れてる方が落ち着く」
「そういうもんなの?」
「そういうもんなのっ」

どちらからともなく部屋を出る扉に歩みを進める。
もう、時間は待ってはくれない。

「じゃあ、いこっか」
「そうだな」

勝負の時が、やって来る。

 ◇◇

「ひろーい」
「50人近く入れるんだってさ……すげーな」

大浴場に入るのは、俺は一昨日に続いて2回目だけど、やっぱりデカい。
湯船にはお湯がはられている。なぜだ。かけ流しだから? よくわからないけど、まあ旅館の都合だろう。
観客はいない。危ないから人払いをしてもらった。
初日からやけに話が早く通るが、どうやらこの温泉では泉質のせいか、たまにこうして決闘が行われるらしい。
ケガしている人が入ることの多い関係で、血を流されても掃除してくれるならそこまで困らないとのことだ。
入口と湯船の間のスペースで、ふたり向かい合う。

「じゃあ、聞かせて? お兄ちゃんの話」




俺は俺が劇場で見た通りに話した。
話はふたつあった。
4人でのバトルロイヤルを制した話。
ウィッキーさんという対戦者に屈し、自害した話。
包み隠さず話した。
それが勝負を待ってくれた、彼女に対する誠意だと思ったから。

結ちゃんの表情が曇っている。
どんどんどんどん濁っていく。
しかしそれは、自分の兄が死ぬ話を聞かされたからではないようだ。
それよりももっと強烈な不快感を彼女は撒き散らしている。
そして、予想もしなかった言葉が放たれた。


「……それ、だれの話?」


だれ? だれの話と言われても、『刻訪朔』くんの話としか言えない。

「お兄ちゃんの左手の武器は、おっきな大砲だよ? そんなピストルとか照明弾とかじゃらじゃらさせてるような、しゃらくさい武器なんかじゃない」

そうなの? それは自分には知る由もない。

「てゆーか、戦ってる映像が流れてたんでしょ? どうしてお兄ちゃんの名前を知ってるの?」

その疑問はもっともだ。
回答する。

「そ、それは、映像の最後に流れたんだ。スタッフロールみたいに全員の名前が、読み仮名つきで」
「本当にトキトウハジメさんがいたの?」
「ああ、時刻が訪れるに遡るっていう字の右側で、刻訪朔さんだろ?」

沈黙が流れる。
一拍。
二拍。
三拍。
ゆっくりと彼女が口を開いた。

「…………違う」
「えっ……」

違うって、どういうことだろう。
彼は彼女のお兄ちゃんではなかった?

「お兄ちゃんの名前は、創造の創でハジメって読むの。私がつけた名前……」

ぼそぼそ、ぐぐるる、と、低く唸るように声を発しながら、結ちゃんが一歩歩みを進める。
表情は見えない。

「ねえ」

怒りを押し殺した声を発しながら、結ちゃんが一歩歩みを進める。
表情は見えない。

「ねえ」

嘆きを押し殺した声を発しながら、結ちゃんが一歩歩みを進める。
表情は見えない。

「ねえ」

殺意を押し殺した声を発しながら、結ちゃんが一歩歩みを進める。
表情は見えない。

「私のお兄ちゃんは、どこにいってしまったの?」

目と鼻の先に結ちゃんがいる。
彼女は顔を上げた。
悲しみがそこにはあった。

「どこなんだよッ!!」

それはすぐに狂気に塗り固められた。
結ちゃんは手に持った針を俺の腕に突き立てると、そのまま針を貫通させた。
針には糸が結ばれている。
肉を糸が通過しようとする。

「ぐあああああっ!」

俺の体を通した糸を回収すると、憤怒に満ちた様子で呟いている。
どろどろと言葉が静かな浴場に溶けていく。

「もういい、これ以上ここにいてもしょうがない」
「フライングしちゃったのは謝るけど、殺すのはガマンしたから許して?」
「――さあ、“コロシアイ”を始めましょう」





 《3》

結ちゃんは宣言すると、両腕をクロスさせた。
糸が絡みついてくる。
糸使いか!

「ぐおっ!?」

糸が絡みつく。
マントでも断ち切ることができない。
鉄糸ではなく、縫い糸を彼女は用いていた。

「ラアッ!!」

切断力に劣る糸は、一撃で俺を切断するには至らなかった。
能力を発動し、強引に糸を引きちぎって離脱する。
結ちゃんは、笑っていた。
その顔は、今朝見せてくれたものとは、似ても似つかないものだった。

「今のがあなたの特殊能力かな? わかりやすいね」
「さあな! これ以上はノーヒントだぜ」

正直とても怖い。
だけど、怖い時こそ元気!
俺は努めて明るく振る舞った。

「ま、答え合わせは必要ないけど。もう大体あなたの戦い方はわかったわ」

凄絶な表情で続ける。

「これから先、あなたには指一本だって私の体に触れさせない……これならどうかしら?」

そういうと彼女は湯船に飛び込んだ。
しかし、彼女の体は沈まず、水面の上に在る。
理解を超えた光景がそこにはあった。

救糸舟(アルクノア)

よーく目を凝らしてみると、糸が張り巡らされている。
もしかして昨日夜風に当たってきたと言ってたのは、そういうこと……?

「マジかよ……とんでもねえな糸使い」

改めて迷宮時計を懸けた戦いの怖さを実感する。
でも、ここで引き下がるつもりはない!

「けどな、俺だって世界の敵相手に命懸けて戦ってきたんだぜ? アマくみてもらっちゃあ困る!」

気合いを練り直し、能力発動を試みる。
さっきよりも出力は高まっている。
いい調子だ。

「行くぜ!『スカッドストレイトバレット』!!」

轟音を立てながら踏み込みが閃く。
水による速度の減衰など問題にならないレベルだ。
だが、俺の前には、結ちゃんの両手の指から蜘蛛の巣のように伸びている糸が張られていた。

「「超弾釣床(ハンコック)

なすすべもなく糸に突っ込む。
エネルギーを上に逃がされた。
体が宙を舞う。なにもできない。
下を見ると、結ちゃんがなにかしているのがみえた。
腕に、刺繍……? ウソだろ……。

なんとか受け身をとりながら着地して前を向く。
結ちゃんはだらりとした姿勢で立っていた。
虚ろな視線が向けられる。
彼女の右腕には、小さく赤い菊の花が咲いていた。

「あーーーーーーーーーーーーーーーー…………………………………・・・・・・・・ ・ ・ ・ ・」

地の底から響くような声で彼女が呻き声をあげる。
瞳が紅く染まっていく。
狂気が心を射抜いていた。

次の瞬間、彼女の姿が消えた。
あっと思ったらもう、右腕が俺の頭めがけて振り下ろされていた。

右腕に持ってたのはなんだっけ、鋏か!
ああ、俺死ぬのか……?
思考がぐるぐる回ってまとまらない。完全にパニックだ。
前すら見えなくなったところで――


――ぽこん、と、衝撃が脳天に伝わった。


「痛ってぇ! ……え?」
「一本、だよ」

彼女の瞳の紅はさっきより薄らいでいた。
優しく、しかし冷徹に声が告げる。

「あなたは、私を救けてくれたから、勝負ありでおしまいにしてあげる……。さあ降参して? しないならこのまま殺す」

体は糸でがんじがらめになっていた。
もう、逃れる術はなかった。

「わかったよ。……『まいった』! 俺の負けだ」


◇◇


勝負はついた。
結ちゃんのポケットでケータイが鳴り響く。
メールを確認した彼女は、糸を解くと、あきれたような顔で言った。

「あなた、まっすぐすぎるよ。能力のスピード、もっと出るんじゃない。でも、全力で踏み込んだら衝撃波が旅館を壊しちゃうから、しなかった。だいたい、どうして試合の前に刻訪朔さんの話したの? 試合に勝ったら教えてやるぜって言われてたら、気になってしょうがなかったのに」
「それは、旅館の人たちにはお世話になったし……とくに俺は一日余分にな。まあ初日の夜は雪の中だったけど。話を先にしたのは……、後にしたら結ちゃんが俺を殺す気で戦えないだろ? 俺の都合で戦うのを待ってもらってるのに、それは公平じゃない」

思った通りのことを話したが、やっぱり怪訝な顔をしている。

「ほら。意味わかんない。……ま、そういうとこ、キライじゃないよ」
「ありがとな。……なあ、結ちゃん」

俺は、負けた時のために心に決めていたことを実行する。

「なに? 遠距離恋愛は受け付けてないよ?」
「アホか。……これ、受け取ってほしい」

着ていたマントを、彼女に手渡した。

「えっ……。大切なものじゃないの?」
「ああ。命の次に大事なもんだ」
「なら……!」
「でもな、これは自分の道を貫くためのマントなんだ。そして俺は今、自分を貫くことができずに折れちまった。だから、俺にこれを着る資格は無い」
「そんなことないよ。私なんかが、貰っていいわけないよ」
「いいや。結ちゃんは、自分の願いのために、ずっと戦ってきたんだろ? 戦い方はとてもじゃないけど許されるようなもんじゃない。数えきれない犠牲の上に今の結ちゃんがあることも、事実なんだ。……でも、誰にも負けずに、自分を貫いてきた、その結果が今なんだ! だから、ここにいるヤツでマントを着る資格があるのは、俺じゃなくて結ちゃんなんだよ」
「…………。」

沈黙。
構わず続ける。

「それにさ、今14歳って聞いたからさ? 俺がこれ貰ったのも14になった時だし。……誕生日、おめでとう」

顔をハッとあげる結ちゃん。
瞳がうるんでいた。

「誕生日は11月22日。1ヶ月遅れだよ……」
「うるさい妹だ。ほら」

マントをそっと肩にかける。

「わ、私……」

顔を伏せて、震える結ちゃん。

「私、まだ……。うれし涙は、残ってたみたいだね」

そして、大粒の涙が、彼女の瞳から零れた。

「……あ、あ、ありがとう、ございますっ……!! 」

泣き崩れる結ちゃん。
そっと、彼女の小さな肩を抱きしめた。



 *************************



また朝が来た。隣を見ても、もうそこには誰もいない。
2回勝った特典かなにかは知らないが、迷宮時計が基準世界への帰還に24時間の猶予を与えたらしい。
勝者である彼女は戸惑った様子を見せたが、こう言った。

「あ、じゃあ、折角だし、もう一晩泊っていこうかな……」

それで昨日も豪勢な食事を楽しんで、温泉やマッサージで疲れを癒して、ぐっすりと眠ったというわけだ。
手は握らなかった。頼まれなかったから。
かわりに彼女はマントを抱きしめていた。
今度は俺がちょっと寂しかったけど、まあこれであの子が少しでも救われるのなら構わない。

チェックアウトを済ませると、庭に出て、海の方を見てみる。
雪は早々に融けつつあり、美しい砂浜が目に映るようになっていた。

「あーあ、負けちまったなあ。結ちゃん……結丹ちゃんか。強かったなあ」

戦いを振り返る。
言っても遊んでた時間の方がずっと長かったけど。
それでも戦闘のさなかの彼女の狂気に満ちた瞳は忘れられそうにない。
あれほどまでの殺意に触れたのは、18年生きてきて初めての経験だったのだ。

「修行しないとなあ。こんなザマじゃあ世界は救えねぇ」

悔しさに心が圧し潰されそうになる。
涙がこみあげてくるのを抑えられない。
徹子母さんが死んだときだって、堪えたのに。

「ちくしょう……ちくしょう!」

あふれる涙をぬぐうと、海の向こうに影が見えた。
見間違いだと思った。
しかしそれはあっという間に近づいてくると、海岸から砂浜に飛び出してきた。

それは、高さ20mはあろうか、超巨大な……蟹だった。
鋏の間からは青い炎が噴き出している。
砂浜の人々が逃げ惑う!

「な、なんだよ……。こんなところにも、来やがるってのかよ……!」

そう、超巨大蟹の正体は『世界の敵』。
基準世界でずっと戦ってきた敵だ。
急いで高台を駆け下り、ヤツの前に立ちふさがる。
あとは能力を発動して、あいつの殻を突き破るだけ。

……しかし、俺の足は動かない。
それどころか、ガタガタと震えている。
誰かに敗北したのは、自分を貫けなかったのは、初めてだった。
それが俺から自信を奪ってしまったらしい。
『世界の敵』は目前に迫っている。

動け、動けよ! 俺の足!
必死で心に言い聞かせている俺の耳に、一度しか聞いたことがない、けれどよく知っている声が届いた。

「おいおいおいおい、見覚えのある赤い頭が突っ立ってると思ったらよぉ、なっさけねえ背中してやがる」

声の持ち主は、俺の背中をバン! と叩いた。
瞬間、体の中から力が抜けていくのが感じられる。

「借りてくぜ」

そういうと、女の子が蟹に向かって超音速で踏み込んだ!
『世界の敵』は頭部を精確に射抜かれ、さらに衝撃波に巻き込まれて爆散した。
残骸を掻き分け、女の子は颯爽と戻って来る。

「あのバケモノに比べたら、カワイイもんだね、こいつらも」
「か、花恋母さん……」

そう。潜衣花恋。
彼女がここにいた。

「ま、無事でなによりだ。おかえり、イチ」

二度と会えないと思っていた。
映像で姿を見たときには、奇跡が起きたのだと思っていた。
けれど、もっと素晴らしい奇跡がここにはあった。

おかえり、ってなんか変じゃねとか、
母さん若いねとか、
どうでもいいことから。

負けちゃってごめんとか、
母さんは元気なのとか、
大事だと自分が思うことまで。

たくさんの言葉が頭の中でいっぱいだったけど。
でも、一番最初に、言わなきゃいけないことがあるよな。

「――ただいま、花恋母さん」



[了]