「……夢、か」
四畳半の和室に敷かれた布団の上で菊池一文字は眼を覚ました。
夢にしてはリアルだった……ような気がする。
時逆順、迷宮時計、この世界の仕組み、虎の少女。
現実感がなさすぎる。だが、きっとそれは夢ではないのだろう。
そしてこの先には……母さんたちも関わっている。
(しかし、どうすりゃあいいんだろうな。
このまま終わらない戦いを続けるわけにもいかねえし)
ごろんと布団の上で仰向けになる。
右腕の時計を眺めると、戦闘開始時刻はとうに過ぎている。
(……ところで、どこだ、ここ。)
そう考えたところで、右腕の時計の向こうに狐面の少女が現れる。
少女は軽く腕を振る。
そして、和室はバラバラに崩れ落ちた。
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(……今のが菊池一文字?まさか今ので終わりじゃないよね)
『刻訪』の情報網を駆使しても「菊池一文字」などという人間を探し出すことはできなかった。
迷宮時計所持者の中に「菊池徹子」という人物がいるということまでは突き止めたが、
「菊池」などよくある姓だ。関係者かどうかすらも疑わしい。
……だが、相手が未知の存在であっても。やることは変わらない。
「あはッ」
当然、この程度で終わってしまっては困る。狐面の奥で少女が嗤う。
『操絶糸術』が室内を蹂躙する直前、標的が天井に向かって跳ぶのが見えた。
そうだ、そうでなくては。
「……へえ、天井を突き破ったんだぁ。すごーい」
無感情な声でそうつぶやき、刻訪結は糸を使って天井に登った。
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「……っぶねェ!あの娘が次の対戦相手か」
虎の次は狐か、と心中でひとりごちつつ、追撃に備える。
とっさに『スカッドストレイトバレット』を使ってしまった。
再使用までには少し時間が必要だ。さてどうする。
(しかし、糸使いとはな)
迷宮時計を手に入れる前、母の墓前で戦った相手を思い出す。
ウラギール・オン・シラーズ。彼も糸使いであったが――
今天井から顔を出した少女は、その数段上の使い手と見ていいだろう。
「見ぃつけたァ」
狐面で表情は窺い知れないが、幼さを残した声で少女が嗤う。
まるで遊んでいるかのような無邪気な声。
それがかえって不気味に感じた。
「一応聞くけどさ、降参するつもりはねーよな」
ダメ元で問いかける。当然、回答に期待してはいない。
近接戦闘の構えのまま、じりじりと近づく。
間合いにはまだ遠い。が、マントを翻し少女に向けてダッシュする。
直後、先程までいた場所の屋根瓦が弾け飛んだ。
「ああ、まだ返事聞いてないのに向かってくるなんて。怖ァい」
少女は声色を変えずにそう言うと、左右の手を交差して振りぬく。
「『操絶糸術・蛟龍』」
温泉旅館の屋根を喰らいながら迫り来る龍の如く、糸の奔流が一文字を追う。
飲み込まれぬよう屋根を駆け抜ける。能力はまだ使用できない。
追いつかれる直前、少女に向かって跳躍、飛び蹴りを放つ。
「く、ら、え!」
「『玄武』、『虎爪』」
幾重もの糸の盾が蹴りを防ぎ、糸の爪が身を裂く。
『シールドマント』により致命傷は防ぐが、糸による斬撃を受けてしまう。
「……っ痛ぅ!」
「捕まえたァ」
少女が血に染まった糸をたぐり寄せる。
そして制服の袖をたくしあげ、凄惨な傷跡の残る腕に糸を縫いつけ始めた。
「お、おい!何やってんだ!」
「大丈夫ですよォ、ちょっと痛ァいだけですからぁ……
お兄さん、面白い能力持ってますねぇ。それで出会い頭の攻撃を避けたんですかぁ」
少女が自分の腕に刺繍をしながら呟く。
「へえ、加速度によって次の使用可能時間が伸びるんですねぇ。不便だなぁ」
「……!」
自分しか知らないはずの能力の特性を言い当てられる。
成程、そういう能力か。しかし。
「じゃあ、次のことを考えなければ無限に加速できるってことなのかなぁ」
「や、やめろ!そんなことしたら……」
「やめなーい。一瞬で終わらせてあげる」
次の瞬間には、
「『スカッドストレイトバレット』」
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――瞼を開けると、私のよく知っている天井が広がっていた。
ソファから起き上がって周りを見渡す。
テーブルは昨夜のままだった。
上毛早百合ちゃんを斃して闘技場から戻ってきた私を、パパとママはぎゅっと抱きしめてくれた。
それで気が緩んだ私は、そのあと泥のように眠った。
そして一夜が明け、昨日は祝勝会をしたのだ。
……あれ。
おかしいな。
なんで、こんな
これは、昨日、の
時間、が、
戻っ
て
…
…
「いち、に! さーん、し!」
「ここでまわって~」
「せーのっ」
「はいハイ!」
放課後、学園の屋上。
まだ陽射しは強く、踊り始めてから30分程でけっこう汗をかいてしまった。
『シスター』である真実が会長権限でゲットした鍵を使い、私たちは誰もいない屋上でダンスの練習をしている。
再来週に開かれる文化祭で披露するのだ。
なんでこうなっちゃったのかはよくわかんないけど、気がついたらそういうことになっていた。
ダンスなんてやったことないから大変……変な所が筋肉痛になるし。
でも、4人で踊っているときは、最高に楽しいのだ!
「さて、休憩にしましょうか」
「そうだねー」
「ノドが渇いたのだ」
「あっ、ボクのお茶飲む?」
モデルみたいに手足が長くて美人なのは、糸音ちゃん。
切れ長の目も凛としててかっこいい。
小麦色の肌が健康的な印象を与えているのは、早百合ちゃん。
ちっちゃくて元気がよくてかわいい。
見た目によらず気がきくボクっ娘は、真実。
私の幼なじみで、親友だ。
そうか、これが、走馬灯っていうやつなのね。
でも、なんで、あたし、
ああ、だけど、みんなに会えて、
よ かっ … …
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「……だから、やめろって言ったろ……」
目の前で弾け飛んだ少女の残骸を見ながら、悲しそうに一文字は呟く。
「『シールドマント』もないのに、生身で光速移動できるわけねーだろ……」
彼女にまだ理性が残っていれば、そのような手段には出なかったのかもしれない。
だが、その結果を知るものは、もういない。