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裏第二回戦SS・図書館その3


『火曜日、資源ゴミ、旅のはじまり』

CONTENTS
■ボーダリアンの宣誓
■AT2014年12月17日潜曜日、本葉柔の世界、東京都内の雑木林
■迷宮時計の秘密 その2
■AD2044年12月17日土曜日、コウの世界、成金氏の邸宅
■迷宮時計の秘密 その15
■AD2014年12月17日金曜日、ツマランナーの世界、スタジオ跡地
■迷宮時計の秘密 その9
■AD1748年12月17日火曜日、基準世界、ボーダリアン図書館本館・開架エリア
■迷宮時計の秘密 その5
■AD1748年12月18日水曜日、基準世界、ボーダリアン図書館・中央庭園
■迷宮時計の秘密 その7
■AD1748年12月18日水曜日、基準世界、ボーダリアン図書館・喫茶室
■迷宮時計の秘密 その3
■AD1944年2月24木曜日、基準世界、首都東京・学徒動員工廠
■迷宮時計の秘密 その14
■およそ300万年前、基準世界、ユーラシア大陸のどこか
■迷宮時計の秘密 その8
■AT2014年12月18日生曜日、本葉柔の世界、東京都内の雑木林
■迷宮時計の秘密 その11
■AD1750年4月21日火曜日、基準世界、ボーダリアン図書館・中央庭園
■AD1806年11月22日土曜日、基準世界、オックスフォード運河に面するアパートメント
■AD1806年11月25日火曜日、基準世界、オックスフォード運河に面するアパートメント
■お幸があえて書かなかった迷宮時計最大の秘密

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ボーダリアンの宣誓

Do fidem me nullum librum vel instrumentum aliamve quam rem ad bibliothecam pertinentem, vel ibi custodiae causa depositam, aut e bibliotheca sublaturum esse, aut foedaturum deformaturum aliove quo modo laesurum; item neque ignem nec flammam in bibliothecam inlaturum vel in ea accensurum, neque fumo nicotiano aliove quovis ibi usurum; item promitto me omnes leges ad bibliothecam Bodleianam attinentes semper observaturum esse.
(我は誓う。図書館に帰属するあらゆる建造物、器物、書物、文書に印を刻まず、損なわず、穢さない。あらゆる炎を図書館に持ち込まない。そして、図書館の定めるところのあらゆる規律に柔順たらん)
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■AT2014年12月17日潜曜日、本葉柔の世界、東京都内の雑木林

 魔人インプリンティング。魔人として覚醒した直後に、初めて見た人物に対して好意なり敵意なり、何らかの強い感情を持ってしまう刷り込み現象のことを、そのように呼ぶことがある。魔人への覚醒は、まったく新しい自分自身に生まれ変わることに等しく、インプリンティングと見なせる事例がそれなりの頻度で確認できるのは不思議ではないだろう。
 そんな言葉で自分の気持ちを説明して欲しくない――と本葉柔は思う。あの日、時ヶ峰堅一は世界でたった一人の、広い地球で一人ぼっちの私を見つけ出してくれた。それは本当に本当に特別なことで、良くあるインプリンティング現象なんかと一緒にされたくなんかない。

 本葉柔は孤児であった。
 父親の顔も知らない。母親のおっぱいの温もりも覚えていない。「この子の名前は本葉柔です。よろしくお願いします」と書かれた紙切れ一枚だけを手に、まだ首もすわらぬ本葉柔は目隠しをされた状態で毛布にくるまれて教会の前に置き去りにされていた。
 教会に併設されている児童館の生活は、貧しくはあったが取り立てて記すべき過酷な出来事はなかった。小学校入学時に受け入れてくれた里親夫妻は優しい人で、感謝している。だが、本葉柔の抱えていた孤独が満たされることもなかった。彼女の体は普通の人間とは違っていて、拭いきれない疎外感を感じ続けていたのだ。
 ひとつは生まれついての極度光過敏性。本葉柔は、遮光ゴーグルを常時着用していないと夜ですらまともな生活が送れない特異体質であった。これは、ホット・ジュピターであるボンバー星の地表が濃密な大気によって恒星からの光が遮られ、昼なお暗い惑星であったことによる。
 もうひとつは、小学校入学直後から始まった異常成長。小学校三年にして既に彼女の肉体は成人女性のそれであり、赤いランドセルと黄色い通学帽に不似合いな大きなおっぱいは、周囲から奇異の目を集めた。本来なら成体である巨大蟹の姿に変態するために用いるべきM44エナジーを無意識のうちに押し込めて、人の姿を保とうとした結果である。
 誰もが本葉柔のおっぱいに目を向けていた。遮光ゴーグルの下にある本葉柔の美しい瞳も知らず。美しい赤い瞳がいつも悲しみの色に濡れていたことも知らず。

 だが、時ヶ峰堅一は違った。
 彼は必要以上の関心をおっぱいに向けず、純粋に本葉柔の強さを真っ直ぐに見詰めてくれていた。時ヶ峰堅一は、世界でただ一人の本葉柔を、しっかりと見てくれた。
 だから、ここから旅立とう。
 彼と初めて出会ったこの場所から私は旅立ち、そして必ず帰ってくる。心配いらない。おっぱい柔術は天下無双だ。私は負けない。彼以外の人には、誰であろうと絶対に負けない。
 月明かりもない新月の闇夜。雑木林の木々の枝葉の隙間から見上げれば、故郷の星が輝いているのが見えた。M44星団・プレセペ。だけど、私は蟹座の中にはもう帰らない。愛する人の居る、この地球で生きてゆくと決めたから。
 キッチンタイマーを取り出し、液晶デジタル表示を見る。もうすぐ深夜0時。図書館への転送が始まる時間だ。

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迷宮時計の秘密 その2

迷宮時計の戦いでは勝者のみが元の世界に帰還でき、
敗者は戦闘空間に取り残される。
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■AD2044年12月17日土曜日、コウの世界、成金氏の邸宅

 人生とは取捨選択の繰り返しである。何かを手に入れるためには、何かを切り捨てなければならない。
 馴れた手付きで果物ナイフを操り、林檎をウサギの形にカットしてゆく。芯は切り捨てる。耳の形にするのに必要な部分だけ残して、それ以外の皮は切り捨てる。迷宮時計に纏わる戦いを終わらせるため。お幸の遺した願いを叶えるため。ワカバウツキはそれ以外の全てを切り捨てる。

 迷宮時計の秘密その2には、裏がある。勝者が元の世界に戻るのは権利であり、義務ではない。迷宮時計の性質は、所有者の特性によって変化する。所有者が元の世界への帰還を望んでいなければ、勝利後も戦闘空間の世界に滞在することができるのだ。
 若葉卯月は元々、基準世界の人間だった。1926年4月21日生まれ。イギリス女王エリザベス2世と同じ日に生まれた。若葉卯月はとある田舎町の有力者の娘であり、将来はコミュニティーの女王として君臨するはずであったが、その運命を蹴り飛ばして駆け出し、平行世界の2044年を拠点として迷宮時計に纏わる戦いに臨んでいる。
 対魔人ヒューマノイドである“コウ”は自己修復機能を備え、人間よりも幅広い対象を食してエネルギー源とすることができるため、特別な手入れをせずとも数百年程度なら問題なく機能を発揮し続けることができる。基準世界の若葉卯月の時代に連れて帰るという選択肢も、愚かとは言い切れないだろう。
 しかし、因習でがんじがらめの故郷に帰りたいという気持ちはまったく湧かなかった。コウが大きく損傷を受けた場合に備えるためには未来世界に残った方が有利であったし、ネットワーク技術の発展により戦闘前の情報収集も容易だ。何より、迷宮時計の裏側にお幸が遺したメッセージが、そうしろと言っているのだ。ゆえに、ワカバウツキは基準世界を切り捨て、平行世界の未来人となった。

 コウに林檎を与える。コウはしゃくしゃくと音を立てて上手に、可愛らしい幼女としてまったく違和感のない様子でウサギ型の林檎を食べる。ずいぶんと学習は進んだ。コウと共に、七人の時計所有者を倒してきた。そのうち三人は殺した。勝つために最善を尽くした結果であり、良心の呵責がないと言えば嘘になるが、やむを得ないことだったと割り切っている。
 もうすぐ戦闘開始の時間だ。勝利して、全てを終わらせる。裏側にお幸が小さな文字で書いた、対戦相手の情報と戦闘空間の情報、そして勝利のための戦略をもう一度読み直してから、兎と亀の迷宮時計を腕にはめる。
 ワカバウツキは、自分でも林檎をかじった。おそらくは二度と帰ることのできないであろう、故郷の味がした。この戦いで、自分は死ぬのかもしれない。構わない。自分自身の命であろうと、必要ならば切り捨てる。それでお幸の願いが叶うのならば。

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迷宮時計の秘密 その15

優勝者は多様な平行世界から要素を抽出して、
自身の世界を改編できる。
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■AD2014年12月17日金曜日、ツマランナーの世界、スタジオ跡地

 本葉柔は、大切な人のいる場所に帰りたい。ワカバウツキは、大切な人の願いを叶えたい。そしてツマランナーは、大切な仲間がいたこの世界を守りたい。
 サブイネンとカミマクリンは良い奴だった。三人で歌って、演奏して、踊って、酒を飲んで、笑いあった『オモロナイトファイブ』の三年間は、ツマランナーの中で永遠に輝き続ける人生最良の三年間であった。
 素晴らしき仲間との出逢いに感謝している。素晴らしき仲間と結びつけてくれた音楽に感謝している。素晴らしきこの世界に感謝している。
 だから許さない。二人を死に追いやった迷宮時計を許さない。迷宮時計を生み出し、この素晴らしき平行世界をムチャクチャにしようとしている基準世界人を許さない。

 須藤四葉は例外だ。あの子は基準世界人ではなく別の平行世界の出身だったし、『モア』によって戦意を削がれていたし、何よりマジ天使だったから。十五年は長すぎた。だが、オフィスビルの十五年間は、バンド時代の三年間に負けないぐらい輝かしい思い出となった。
 須藤四葉との出逢いによって、ツマランナーは変わっただろうか。――レッサー禅僧と称して過ごした十五年で、ツマランナーは変わった。『オモロナイトファイブ』への想いが消えたわけも弱まったわけでもない。守りたい世界が、増えたのだ。自分とサブイネンとカミマクリンが生まれ育った、この世界。須藤四葉と共にもう一人のサブイネンを育てた、あの世界。

 荒れ果てたスタジオの、二人が首を吊っていたあたりの空間をぼんやりと見詰める。自殺騒ぎ以来スタジオ利用者の足は途絶え、借金を抱えた経営者は夜逃げ。放置された物件は買い手もつかず荒れるに任されていた。基準世界人は、平行世界の全てをこのスタジオのように破壊し尽くすのだ。
 基準世界人は殺す。例外なく殺す。女だろうと、老人だろうと、幼女だろうと赤子だろうと、一切交渉の余地なくベースで頭をカチ割って、平行世界を守り抜く。

 ゴシックロリータ調の黒いドレスの下で、体に浮き出た無数の迷宮時計がカチカチと時を刻んでいる。ツマランナーのパンツの色はドレスと同じく黒く、迷宮時計の存在感はそれ以上にドス黒い。そして、ツマランナーの内面で渦巻く殺意もまた、スタジオを塗り込める闇夜よりも暗い漆黒であった。
 ツマランナーの体を覆う世界標準時計が共鳴し、ギギギと異様な音を立てる。音が止んだ時には、もはや廃スタジオの中には誰もいなかった。

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迷宮時計の秘密 その9

戦闘空間として選択される地点は、
元の世界から時間的あるいは空間的に十分離れた場所である。
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■AD1748年12月17日火曜日、基準世界、ボーダリアン図書館本館・開架エリア

 本葉柔は、服装選びを完全に失敗した。戦闘空間が日本であるという思い込みがいけなかった。戦闘空間が1748年の図書館であることだけを告知された本葉柔が、江戸時代に溶け込むために貯金をはたいて買った和装は見事に逆効果。普段着のコートで来たほうが遥かにマシだった。
 図書館内にいる人々はおしなべて気品溢れる洋装で、カジュアルな装いながら身分の高さが窺えるいでたちであった。書架に並んだ図書はどうやらほとんどが英語のようで、それならここは大英帝国なのだろうか、と本葉柔は推測する。正解である。オックスフォード大学内に建てられているボーダリアン図書館は、この時代においては実質的に国会図書館として機能している英国随一の大図書館である。
 まるでハリー・ポッターの世界だな、と本葉柔は呑気な感想を持ったがこれもまた大正解で、この図書館は映画のロケーションが行われた場所なのだ。魔法の国に和服の少女が一人。身長は180センチ近く、おっぱいは着物の上からですらその巨大感を隠し切れないJカップ。髪は燃えるように赤く、遮光ゴーグルを着用。最悪に目立ってしまっている。

 硝子窓には近付かず、書架やゴシック様式の柱を盾として狙撃を受けぬよう注意しながら対戦相手を探して図書館内を移動する本葉柔。明らかに挙動不審だが、服装の時点で十分に不審なのでもう仕方がない。
 一応、策はあった。手に持った風呂敷包みの中身は、時ヶ峰堅一から借りてきた必中の太陽剣フラガラッハ。軽く振るだけで周囲の敵に反応して僅かな手応えを返してくれるので、策敵に利用できる逸品だ。剣の才覚はからきしの本葉柔だったが、この半年間の訓練でどうにかフラガラッハだけは扱えるようになった。
 図書館の人々に紛れながら一方的に対戦相手の位置を把握して不意打ちで仕留める戦略は服装ミスで完全に潰れ、奇襲に怯える側になってしまったのは非常に辛い。もう帰りたい。

 戦闘空間である図書館の敷地内には、強い力を持った魔人が少なく見積もっても十名以上。驚くべきことではないだろう。本屋文は例外的な存在だとしても、基本的に魔人司書は強い。それは、過去の世界においても変わらない。いや、むしろ過去だからこそ、より強力な魔人司書がいてもおかしくはない。
 ヨハネス・グーテンベルクが活版印刷を発明して以降、書籍は徐々に大衆化して、ボーダリアン図書館のように一般人に解放された図書館も登場した。しかし、識字率はまだそこまで高くなく、本は魔法や宗教と深い関わりを持っている。つまり、過去において図書館が保有する中二力は現在よりも高濃度なのだ。
 フラガラッハの手応えで把握できる単純な強さだけで考えても、本葉柔には勝ち目が薄そうな相手も数人いる。ましてや、ここは魔人司書のテリトリー。図書館戦闘特化型の能力に嵌められたら手も足も出ずに封殺されるだろう。迂闊な動きで現地の魔人を敵に回すのは自滅的行為だ。

 対戦相手のうち、一人はすぐに発見できた。黒いゴシックロリータ衣装は和服と比べればまだ英国の図書館に馴染んでいるが、やはり違和感に満ち溢れている。そして、手に持った楽器。この時代に存在するはずもない、エレクトリック・ベースだ。
 黒いゴスロリ女性は恐らくツマランナー。同名のボーカリストが、本葉柔の世界にもいた。ただし、有名なバンドではなかったため、女装であることとパンツの色が黒であること位しか判らなかった。いずれにせよ、三人目がどこに居るかもわからない状態で戦闘を行えば、ツマランナーに勝ったとしても図書館を守る魔人司書につまみ出されて場外敗けだ。
 勝者となるためには三人目のワカバウツキを見つけ出し、魔人司書が騒ぎを聞いて駆けつけて来るまでの短時間で二人とも撃破する必要がある。ゴスロリ女性の動向に注意を払いながら、本葉柔は三人目の敵を捜し続ける。

††††

 ツマランナーも戦闘空間の想定を大きく誤っていた。世界標準時計によって正確な時空座標を得ていたツマランナーだったが、無人の書庫内での戦闘になると考えていたのだ。書架を障壁として活用しながら『歌えば多分なんとかなる』を使用すれば、有利に戦闘を展開できるはずだった。
 “ギャラリーが居ないと使えない”という制約は、視界を完全に封じる壁越しでは満たすことができないが、入り組んだ地形で見え隠れしながら歌う分には問題ない。また、ツマランナーのベースには大型リチウム蓄電池が内蔵されており、フル充電状態で約二時間の演奏が可能。付属の手回しハンドルによって手動で再充電もできる優れものなので過去世界でも電源確保に支障は来たさない。
 しかし、七年戦争当時のイギリス図書館にこれほどまで多くの市民で賑わっているとは全く予想外だった。利用者が多いということは司書も多く、当然その中に強力な魔人が含まれているだろうことは想像に難くない。もし、この静謐な図書館内でミュージック・スタートしようものなら、最悪の場合一曲目すら歌いきれないうちに鎮圧されてしまう。

 対戦相手のうち一人は既に確認できている。おそらく相手もこちらのことを認識しているはずだ。問題は、三人目の所在が不明なこと。だが、これだけ時間が経過しても何事も起きていないということは、密かに相手を呪殺する類いの能力は持っていないと考えてもいいだろう。
(しゃあない、ホンマなら即殺すハズやったけど、このままやと手詰まりや。何となく和服のおっぱいちゃんは平行世界人っぽい気がするし、話し掛けてみよか)
 実はツマランナーの瞳の中に出現した時計は須藤四葉が持っていた迷宮時計であり、彼女の能力の残滓によって人の運命の色を微かに視ることができるようになっていた。須藤四葉本人のように自在に使うことはできないが、注意深く観察すれば相手の所属している世界がどこなのか、見極めることができるのだ。基準世界人を抹殺しようと考えているツマランナーにとって、非常に役立つ機能であった。

††††

 図書閲覧席に、仲良さげに手を繋いで座っている二人の少女がいた。華美ではないが高級そうな仕立てのドレスを纏っており、身分の高い家の子女であるように見える。二人は十八世紀イギリスの図書館に完全に溶け込んでおり、未来からの時間旅行者であるようには全く見えない。
 癖のある髪の毛を短く刈り揃えた、姉のように見える少女はワカバウツキ。大正生まれの十八歳。
 長い髪を左右のサイドでくくった、人形のように愛らしい妹のような少女はコウ。未来の世界の対魔人ヒューマノイド。外見は八歳児程度。

 コウは絵本を開いて熱心に読み耽り、ワカバウツキはそれを優しげな瞳で見守っている。本葉柔とツマランナーの動きにはさりげなく気を配ってはいるが、二人が発見されないことは既に判っていることで、緊張感を保ち続けることが難しいぐらいだった。ワカバウツキは、本葉柔の着物になぜか見覚えがあるような気がしたが、どうしてなのかは思い出せなかった。
 本葉柔。大きなおっぱいを活かした格闘術の使い手で、探索能力を備えた剣を持っている。超音速の打撃技も使い、奥の手は巨大な蟹の化け物への変身。
 ツマランナー。本名、妻夫木乱。能力『歌えば多分なんとかなる』は歌詞によって様々な効果を得られる。基準世界人を憎んでおり危険。美しい女性に見えるが実は男。パンツの色は黒。
 対戦相手の情報は、彼女たちがこれからどう動くのかを含め、全てワカバウツキの迷宮時計に小さな文字で書かれている。ワカバウツキとコウが、どのように動けば勝てるのかも全て書かれている。二人は、お幸が残した文字に従って動き、七人の敵を倒してきた。
 ツマランナーを排除し、巨大蟹に変身した本葉柔を撃破すれば全てが終わる。これは、迷宮時計を巡る戦いの最終戦なのだ。そして――若葉卯月は、お幸を取り戻す。
 お幸の残した予言は今のところ完璧だが、今後も完璧である保証はない。焦ってはいけない。油断してもいけない。ゆっくりと、亀のように着実に勝利を目指す。
 コウの開いたページには、亀に出し抜かれる兎の姿を描いた滑稽な銅版画が載っていた。それは、フランスの詩人ジャン・ド・ラ・フォンテーヌが、イソップ童話に基づいて綴った寓話詩である。銅版画の精密な線に、水彩絵の具で鮮やかな手彩色が施されていた。

††††

 ゴスロリの女性は、ベースを壁に立て掛けて手放し、両手を上に挙げて和服の女性へと近付いていった。戦意が無いことを精一杯示した姿勢だ。もっとも、イザとなったら自慢の俊足で逃げることができると踏んだ上での行動ではある。
 本葉柔も、応じてフラガラッハの入った風呂敷包みを床に置き、両手を挙げて見せた。無防備になった、おっぱいの膨らみが眩しい。膠着状態を打破するために対話を試みる構えだ。だが、おっぱい柔術家である本葉柔にとってこの姿勢は臨戦態勢に他ならない。おっぱい射程内でツマランナーが怪しい動きを見せれば、即座におっぱい居合が放たれてツマランナーの頭部をおっぱい両断することだろう。

「貴方は、ツマランナーさん、ですね?」
 先に声を発したのは本葉柔だった。相手を知っていることを示し、交渉を優位に進めようというおっぱい算用である。

「せや。ようわかったなぁ。嬢ちゃんは本葉はん? それともワカバはんかいな?」
 ツマランナーは、率直に尋ねた。正直、腹の探り合いはしんどくてかなわんので、本音で話し合うつもりだ。

「本葉柔です。私の世界にもツマランナーと言う名前のミュージシャンがおりましたので、判りました」
 ツマランナーが策略家ではなさそうな様子だったため、本葉柔も若干態度を緩めた。彼女も精神戦は得意ではない。
「それにしても、三人目のワカバウツキさんは見つかりませんね」

「ほんまになぁ。地下の書庫とかにも忍び込んでみたけど居れへんかった。どこにいるんやろなぁ」
 ツマランナーも、本葉柔も、今仕掛けることにお互いにメリットはないと、長時間にらみ合いながら歩き回っていたため十分に理解している。
「しゃあないから、一緒にワカバはんを捜しながら身の上話でもしよか」

「そうですね」
 ツマランナーの提案に、本葉柔も異存はなかった。一緒に行動しながら、隙を見せたらおっぱい発勁で戦闘領域外に弾き飛ばそうと狙ったりもしたが、そのチャンスもなく、ワカバウツキも発見できず、暫くは平和な探索行と会話が続くことになった。

「これは勘やねんけど、柔ちゃんて基準世界人ちゃうやろ?」
「……よく判りましたね。実は私は地球人ではなくボンバー星人なんです」
「えっ、地球人と違うん!?」
「ええっ!? ツマランナーさんから言い出したんじゃないですか」
「いや、ワイが言うたんは基準世界の話で……」
「基準世界って何ですか?」

 そんな風に、なかなか噛み合わない会話を繰り返しながらも、ツマランナーと本葉柔はお互いの世界観について理解を深めていった。そして、ツマランナーの語る迷宮時計の仕組みと、自分の世界に伝わる神話を照らし合わせているうちに、本葉柔はある結論に至った。

「たぶん……私の世界を創り出したのは基準世界人です」
「なんやて!? 壊すばかりの基準世界人が世界を創ったやて? そんなわけあるかいな」
「でも、そう考えると色々と辻褄が合うんです。トキガミネ、ヤマグチ、クグルイ。三人の神様は、迷宮時計に導かれて私の世界にやってきて、消滅するはずだった私の世界を繋ぎ止めてくれた……」
「迷宮時計が世界を救った? アホな。そんなアホな話……」
「『神々は醜い争いを続けていたが、やがて巫女の呼び掛けに応え、力を合わせてこの世界を造り出した』……迷宮時計に選ばれた私たちがするべきなのは、力を合わせることなのかもしれません」
「アホ抜かせ。確かに柔ちゃんのことは信用したってもええ。だがな、サブイネンとカミマクリンは迷宮時計のせいで死んだんやで。自分かて迷宮時計のせいでレイプされかけた言うたやろ? そんな迷宮時計を作った基準世界人と力なんか合わせられるかい!」

 本葉柔は書架を見やり、少し思案してから例え話を始めた。

「本が、あったとします。残酷な物語です。それを読んで、あなたは憤慨したとします。こんな酷い物語は絶対許せない、と」
「まあ、酷い物語ってのはあるわな」
「あなたは思いました。こんな話を作った作者は許しておけない。殺してやると」
「いやいや、ちょい待ち。作品と作者は分けて考えなあかんで」
「でも、ツマランナーさんが基準世界人を殺そうとしてるのは、そういうことじゃないんですか?」
「いやいや、それとこれとは別やで」
「そして、実はその本の作者は、愛情を込めて作ったのかもしれません。でも、作者の表現が拙かったのか、あなたの感受性が歪んでいたのか、理由はわかりませんが、とにかくあなたはその話を酷い話としか感じませんでした。そして、あなたが気分を害したことは事実です」
「……迷宮時計を作った奴がええ奴やと考える理由なんてないやろが」
「悪い奴だと決めつける証拠もないですよね? さて、作者は悪人でしょうか。その本の存在は悪なのでしょうか」
「詭弁や。もっともらしい例え話には騙されへんで」
「そうかもしれません。実際、私も自分の世界に帰りたいから、ツマランナーさんに負けるつもりはありません。でも、憎しみの気持ちでは戦いたくないのです」
「……柔ちゃんはええ子やな。せやけどワイは、やっぱり迷宮時計も基準世界人も許されへん」

 話はそこで終わった。本葉柔とツマランナーの前に、幼い少女が姿を現したからだ。フリルが沢山ついたドレスを着て、サイドで纏めて左右に二本垂らした長い髪を揺らしながら、彼女は言った。
「こんばんは ワカバウツキ です。 ツマランナーさん 本葉柔さん よろしく
お願い します」
 そう言って幼女は、腕に嵌めた迷宮時計を二人に見せた。その時計の針には兎と亀の意匠が施されており、3時20分を指している。
 彼女の背後には、十名近くの魔人司書が並んで立っていた。ボーダリアン図書館が誇る精鋭警護部隊である。図書館を穢す者はなんぴとたりとも許さず、物言わぬ挽き肉に変えるのが彼ら精鋭の任務だ。

(四葉ちゃんよりちっこいやんか……こない幼い子を戦場に送り込むんかい……)
 ツマランナーは予想だにしなかった幼女の出現に、動揺を隠せなかった。そして、残酷な戦いを強要する迷宮時計と基準世界人への怒りをあらたにするのだった。
(ワカバウツキ。こいつだけは絶対に殺さなあかん。……ワイの命に換えても、生かしてはは置けへん)

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迷宮時計の秘密 その5

時計所有者が戦闘領域を離脱した場合、
即時に敗北となり所有権を喪失する。
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■AD1748年12月18日水曜日、基準世界、ボーダリアン図書館・中央庭園

 ボーダリアン図書館は、多種多様な特色を持った複数図書館の複合体である。最古のものは、中世後期に建築されたハンフリー公図書館。1748年現在建築中の新館もある。戦闘空間はブロード通り付近の三つの建物と敷地内で、離れた地点にある図書館は含まない。
 コの字に並んだ建物の中央には、様々なハーブや高原植物が植えられたイングリッシュ・ガーデンを備えた庭園が設けられており、決戦の場所としてこの中央庭園が選択された。庭園の草花もまた図書館の貴重な収集品であり、高山に踏み入らねば採取できない希少種も含まれているが、二度と手に入らぬ古文書が焼失するよりはマシであるという判断だ。
 東の本館「五様式の塔」の下にはゴスロリのベーシスト兼ボーカリスト。北のハンフリー公図書館側には、和装のおっぱい柔術少女。南のボーダリアン神学図書館の前には、ツインテールの幼女。建物への影響が出ぬように魔人司書たちが周囲を固める。魔人決闘実施の周知により図書館周辺からほとんどの住民は避難したが、物見高い決死の見物客もちらほら見受けられ、館内では数名の命知らずの書痴どもが普段と変わらぬ読書に勤しんでいる。

 ワカバウツキは、ボーダリアン図書館に掛け合って迷宮時計について説明し、このような形で戦闘を実施する許可を取り付けた。コウの持つ自動通訳機能がなければできなかったことだ。図書館側は、提案を拒否して三人の時間旅行者を放逐することも検討したが、そうすれば三人は抵抗して少なからぬ被害が出ることは容易に予想できた。
 図書館は三人の戦闘能力について個別にヒアリングを行って万全の警備態勢を検討した上で、一夜明けた今日に開戦の運びとなった。

 図書館長が空砲を掲げ、撃つ。乾いた音が中庭に響き渡る。決闘開始だ。

 最初に動いたのはツマランナー。ベースを掻き鳴らし、曲目を宣言する。
「聞いて下さい! 真心ブラザース『素晴らしきこの世界』」
 ツマランナーにしては珍しくカヴァー曲だ。
「ワン、ツー、ワンツーさんし! ●●●●●●●●●●●~ ●●●●●●●●●●●●●~ ●●●●●●~ ●●●●●●●●●●●●●~ ●●●●●●●●●●●●●~ ●●●●●●●●~」
※GK注:著作権上の配慮により伏せ字とさせていただきました。歌詞の内容は、人々の愛すべき営みと、世界の素晴らしさを称えるものです。

 遮光ゴーグルの少女は動かない。おっぱい柔術は、絶対的防御力を持ったおっぱいで敵の攻撃を受けきって返す後手の格闘術である。ツマランナーの詠唱が危険であることは分かりきっているが、詠唱中に攻撃を受けると発動するカウンター型の能力である可能性を棄てきれず攻めに回るのを躊躇したのだ。
 ツインテールの幼女も動かない。迷宮時計の裏に書かれた予言を元に、この局面では動かぬことが最適解であるとワカバウツキは判断している。

 ベースの音は鳴り響き、ツマランナーの歌はサビの部分に突入する。
「●●●●●●●~ ●●●●●●●●●~ ●●●●●●●●●~ ●●●●●●●●●●●~ ●●●●●●●●●●~ ●●●●●●●●●●●~ ●●●●●●●●●~ ●●●●●●●●~!」
※GK注:醜い人の争いを嘆き、ムキムキになるという歌詞です。
「ヌオオオオーッ!」
 ツマランナーの全身がゴスロリドレスを引き裂かんばかりに膨張する。筋肉に秘められた潜在能力を極限まで引き出したのだ。体表には赤黒い血管が浮き出して脈打つ。巨木のように膨れ上がった両腿。そして、スカートの内側から覗くパンツの色は黒。基準世界人を殺すという決意の黒。
「ケヒャヒャァーッ! これぞ『歌えば多分なんとかなる』の真の力や。“堕天使の形相”とでも呼んでくれたらええ。そして、死ねやーッ! ワカバウツキぃいぃィーッ!」
 下卑た叫び声を上げながら、全身の筋肉をフル稼動して高速跳躍する堕天使ツマランナー。その標的は、ツインテールの幼女ではなく、和服のおっぱい少女でもなく、観戦者に紛れて潜んでいた短髪の少女であった。

 ワカバウツキ本人が戦闘には参加せず、従者のコウが代理で戦闘する。これは、対戦相手にそのことを知らせぬことも含めてボーダリアン図書館も承諾したことだった。その条件でなければ、戦闘力皆無なワカバウツキに勝ち目のない決闘自体が成立しないからだ。
 一方、ツマランナーも“ワカバウツキ”と名乗ったのは本人でないことに最初から気付いていた。迷宮時計と融合した彼の異形なる瞳には、コウと迷宮時計の運命の色が全く異なっているのが視えたのだ。
 コミックバンドにとって、観客の反応は命である。ツマランナーは演奏し、歌いながらもスタジオにいる観客全てを見て、覚えている。その記憶力をもってすれば、コウと常に一緒にいたワカバウツキ本人の姿を思い出すのは容易だった。
 幼い少女を戦場に送り込み、自分は安全圏でただ見ているだけの卑劣な基準世界人。中央庭園に足を踏み入れてワカバウツキの姿を見つけたツマランナーは、真っ先に彼女を殺害することに決めていた。本体を発見した場合に攻撃しても構わないということは、ボーダリアン側に確認済みだ。

 本葉柔は、戸惑った。ツマランナーの行動の意味が解らなかった。彼女はまだ、コウのことをワカバウツキだと思っていたのだ。だが、彼女は昨日の対話で知った。ツマランナーの中で渦巻く、基準世界人への消しがたい恨みを。ゆえに、ツマランナーの行動は基準世界人への無差別攻撃であると考えた。
 重力がおっぱいを引き寄せるのに任せて前のめりに倒れる。そして、おっぱい柔術・前受け身。手足を使わず、おっぱいだけで全体重を受け止める。大きなおっぱいがふわりと広がり、衝撃を吸収する。その瞬間。
「ボンバーッ!」
 本葉柔はボンバー語で叫び、おっぱいの中に蓄積されたM44エナジーを解放する。おっぱいの弾力が強烈な力で地面を押し下げ、反作用で本葉柔の身体は高速で宙を舞う。おっぱい跳躍の瞬間、大地に指先を突き刺して掴み軌道修正。ツマランナー目指して地面と平行におっぱい飛翔する。

 極限まで怒張したツマランナーの肉体が、側面から衝撃を受けてよろめく。本葉柔のおっぱい体当たりを受けたのだ。だが、不十分な体勢からの咄嗟の体当たりであり、分厚い筋肉の鎧を纏った今のツマランナーにダメージはほとんど通らない。
「邪魔するなや本葉柔ァーっ!」
 着地を決めた本葉柔に、ツマランナーの豪腕が降り下ろされる。
「ボンバー!」
 ツマランナーの巨大な腕が、おっぱいに弾かれる。そして本葉柔はツマランナーの腕を掴み、おっぱい重量で後ろに引き寄せる。それと同時に本葉柔の足は、ツマランナーの股間におっぱいキックを撃ち込んでいた。

 キックにおっぱいは関係ない。そう考える者も多いことだろう。
 だが、M44エナジーをフル充填した本葉柔のおっぱいは、2つ合わせて2トン以上あるのだ。それを支えて立つ本葉柔の両足がいかに強靭であるか、考えるだに股間がヒュンとする。
 そして、普通の人間であれば腹の辺りにある重心が、本葉柔の場合はおっぱいにある。これは、回転運動をする際に大きな違いを生む。おっぱいを軸とすることによる回転半径の増加、軌道の変化に伴う打撃ポイントと打撃タイミングの僅かなズレ。これら全てが破壊力の増加に繋がる。
 おっぱい柔術におけるおっぱいキックは、おっぱいによって蹴るキックなのだ。

 股間を破壊されたツマランナーが、意味を為さない絶叫と共に宙を舞う。金的を決めながら放つ、おっぱい柔術・巴投げだ。
 宙に半円を描いてツマランナー地面に叩き付け、すぐさま体を入れ換えておっぱいを顔面に押し付ける。完全に決まった。おっぱい柔術・上四方固めだ。
 もはや、ツマランナーの運命はJカップおっぱいに包まれて幸福のうちにおっぱい天国のおっぱい階段を登るのみだ。だが、悲しいことに、黒いパンツの中にあるこのような状況で反応すべきツマランナー器官は既に潰されてしまっていた。

 しかし、これは一対一の勝負ではない。この状況は、ワカバウツキが狙って作り出したものだ。
 一日かけて本葉柔とツマランナーを対話させることで、ツマランナーの凶悪性を本葉柔に認識させる。コウのみを戦場に立たせて自分は観客の中に紛れ、ツマランナーにわざと発見されることで行動を誘導する。計画通り。
「今だ! コウ、やれっ!」
 コウが押さえ込み状態の二人に両腕を向ける。ドドウ、と小さな炸裂音が響き、コウの両腕が切り離されて射出された。有線ロケットパンチが、白い煙の尾を引いて飛び“魔人殺し”が本葉柔とツマランナーを捉えた。
 コウの両腕は、“魔人殺し”と呼ばれる特殊兵装である。その手に触れられた者の中二力活性は大幅に減衰し、ほとんどの場合は能力を使用することが不可能になる。
 ツマランナーの肉体が、効果時間内にも関わらずしぼんでゆく。本葉柔も、おっぱいの重みが軽くなったのを感じた。そして、“魔人殺し”には恐るべき怪力も秘められている。

 両腕の有線ワイヤーを巻き戻して再装着したコウは、右腕でツマランナーの左腕を、左腕で本葉柔の右腕を掴み、軽々と頭上に持ち上げた。そして、亀のようにゆっくりと西側の中央庭園出口を目指して歩き出した。庭園を抜ければ、戦闘領域外までの距離は僅かだ。

「ヤバい! こいつはアカン! 柔ちゃん、合いの手頼むで!」
「オッケーです!」
 ツマランナーが自由な右手一本でベースを構える。片手で弦を押さえながらタッピングで音を出す特殊奏法。あまり上手くはないが、能力発動には十分だ。
「聞いてください!『はなせばわかる!』ワン、ツー、ワンツーさんし! この子の名前は柔ちゃん~(ボンバー!)平行世界の異星人~(ボンバー!)大好きな人のいる場所に~必ず帰ると決めてきた~(ボンバー!)だけど戦い虚しいな~、話せばきっとわかり合えるよ~(ボンバー!)握り拳を緩めよう~、戦いは何も生まないよ~(ボンバー!)話せばわかる~! 話せばわかる~! その手をはなせばわ~か~る~!(ボンバー!)」
 ジャーン。ここまでわずか10秒の高速歌唱だ。しかし、コウは“魔人殺し”の手を緩めない。ツマランナーの能力は完全に封じられていた。
「ツマランナーさん……全然ダメじゃないですかー!」
「おっかしいなー。柔ちゃんの合いの手が全部ボンバーやったのがあかんかったんちゃうかなー」
「人のせいにしないでくださいー! ボンバー語はボンバーひとつで色んな意味を表せるからいいんですー!」
「ほんまかいなー?」

 しかし、このままでは場外敗けは確実。何とかしなければならない。M44エナジーの減少により、おっぱい柔術は封印されたが、本葉柔には孤児時代より学んできた普通の柔術がある。
 掴まれている右腕を軸に、空中で身を捻り、怪力幼女の腕関節を極めにゆく。ヒューマノイドであるコウは、人工皮膚の内側にダンゲニウム合金製の頑強な外骨格を持っている。だが、関節の稼働領域は動作の不自然さを廃して幼女らしい可愛らしさを演出するために、人間と大きく変わらないように設計されている。ゆえに、梃子の原理を用いて力ではなく技術で関節を破壊するサブミッションは有効だ。
 本葉柔が空中で関節技を仕掛けようとしていることに気付いたコウは、左腕を振って狙いを阻止しようとする。だが、それこそは本葉柔の狙い通りだった。
 おっぱいに秘められたM44エナジーを利用できなければ本葉柔は非力である。しかし、怪力を誇るコウの腕力を借りれば別だ。コウの動きに逆らわず、増幅するように身体を振る。コウは体勢を僅かに崩し、本葉柔の足が一瞬地面に着いた。
「ボンバーッ!」
 コウの腕を捉え、大地とコウの体の間に身体を差し入れる。腕を引き、身体を沈めながら前に倒す。一本背負いだ。コウの身体が宙に浮く。
 しかし、おっぱいの力を借りなければコウの重い合金製ボディーを担ぐのは無理であった。身長178cmの本葉柔が、身長129cmのコウを背負い投げするのも体格的に困難である。
 投げの途中で本葉柔の体勢は崩され、コウとツマランナーを背に乗せた親子孫亀のような体勢で、おっぱいから地面にべしゃりと潰された。

 おっぱいが大地に押し付けられ、潰され、ピザ生地のように広がった瞬間。本葉柔は、膨大なM44エナジーがおっぱいに流れ込んでくるのを感じた。
 そもそもM44エナジーとは何か。それは、中二力エネルギーを、本葉柔が認識しているカタチである。
 大英博物館が建てられるよりも以前のこの時代、ボーダリアン図書館は事実上英国の国立図書館として機能しており、世界中から新旧あらゆる書物を集める役割を担っていた。その地下には、未整理の膨大な古文書が保管されている。
 図書館とは、中二力の集積装置である。そして、地下に蓄えられた途方もない規模の中二力エネルギー、すなわちM44エナジーが大地を通じて本葉柔のおっぱいへ一気に流れ込んだ。そのエネルギー量たるや、コウの両腕“魔人殺し”で到底打ち消しきれるものではない。
「うー、ボンバーッ!!」
 本葉柔はおっぱいに吸収されたM44エナジーを一気に解放する。本葉柔の全身が跳ね、上に乗っているコウとツマランナーを高速射出する。おっぱい柔術・背負い崩れカタパルト!

「だ、誰もが知ってる天使様~ 銀の天使は五枚羽~ 金の天使は一枚で~ これで貰える~ キョロちゃんの缶詰~ヘイ! って駄目かっ! 離さんかわれええぇぇぇぇ……!」
 高速で飛びながら『六枚羽の天使』ショートバージョンを必死に高速歌唱するツマランナー。しかし、コウはツマランナーにしっかりとしがみつき、能力発動を許さない。そして、コウとツマランナーは一瞬で図書館敷地内から逸脱し、遥か遠くに墜落した。

●LOST:ツマランナー。場外敗け。

 辛うじて“魔人殺し”から脱出した本葉柔は、少しの間うつ伏せでM44エナジーを地面からおっぱいに吸収してから、ゆっくりと立ち上がった。そして、周囲を見回して、ワカバウツキの姿を見つけて歩み寄る。
 コウに対して指示を出した時点で、本葉柔にも誰がワカバウツキなのか理解できた。本当のワカバウツキを倒し、時ヶ峰堅一のいる世界に帰る。あと少し。きっとそれは難しいことじゃない。

 ワカバウツキはドレスの懐に隠し持っていた果物ナイフを取り出し、地面の土にナイフで一本の線を引いた。そして、本葉柔を睨み付け、凛とした声で宣言する。
「『死後線グリニッヂ』……この線を越えて私に近付いたらお前は死ぬ」
 ハッタリだ。ワカバウツキは何の特殊能力も技能も持たない普通の人間である。これは時間稼ぎ。本葉柔と直接戦ったらば勝ち目は全くない。墜落したコウが戻ってくるまで、あらゆる手段を使って時間を稼ぐ。
 迷宮時計の秘密その5の裏。所有物が戦闘領域を逸脱しても、勝敗には影響しない。所有物として扱われるコウは、何度でも図書館敷地内外を出入りできるのだ。

「敵の位置と強さを知らせてくれる魔法の剣があります。名前はフラガラッハ。私は昨日、フラガラッハを使って図書館の中をくまなく探索しました」
 本葉柔は、ワカバウツキから少し離れた位置で、落ち着いた様子で言った。ワカバウツキの行動がおそらくハッタリであろうと、本葉柔も予想できている。だが、万が一のことを考えると、迂闊に踏み込むことは躊躇われる。
「降参してください。あなたがただの人間であることは判ってます」

「あの子の名前はコウ。コウの手に触れられた魔人は、力を封じられてしまうの。コウとずっと手を繋いでいた私の強さを、ちゃんと測れたつもり?」
 フラガラッハは召喚時間をとっくに過ぎてしまっているので既に消滅。本葉柔に、ワカバウツキの強さを再測定することはできない。

「ずいぶんと良く喋りますね。越えると死ぬ線を引けるなら、黙っておいて近付かせた方がいいんじゃないですか? 能力を自分で説明する理由がわかりませんね」
 本心では『死後線グリニッヂ』を恐れていたが、本葉柔は冷静を装おって、余裕がある素振りで言う。遮光ゴーグルが目を隠してくれているから、上手くできているはずだ。

「制約よ。ルールを理解した相手しか『グリニッヂ』は殺せないの。黙って殺せるなら、昨日のうちにやってるよ」
 ワカバウツキは、平然と返す。命懸けのハッタリを仕掛けているのに、その瞳に怯えの色はない。
 ワカバウツキは、目的の為ならば全てを切り捨てる。それは、自分自身の命とて例外ではなく、いつでも死ぬ覚悟はできているのだ。だが、こんなところで死ぬつもりもない。

 本葉柔は右拳を自分のおっぱいに当てた。そして、拳に力を込める。押し潰されたおっぱいが、ふにゃりと変形する。更に力を込める。更におっぱいが変形する。更に更に力を込める。
「おっぱい柔術奥義・スーパーソニック当身……音よりも早いパンチを私は撃てます。私がその線を越えなくても、衝撃波だけであなたを殺すことができます」
 和服の懐から、蟹さん型のキッチンタイマーを取り出す。本葉柔の迷宮時計だ。
「10秒だけ待ちます。降参してください。あなたを殺したくはありません」
 ピ。ピピ。迷宮時計を操作して、タイマーを10秒にセットしSTARTボタンを押す。
「ピピピピッ! 10秒間クッキング、はじまりー!」
 迷宮時計が陽気な合成電子音で、死のカウントダウンを開始した。

 タイマーに表示されたデジタル数字が減って行く。
 10、9、8。ワカバウツキは答えない。
 7、6、5。本葉柔の拳にじっとりと汗が滲む。
 4、3、2。

「……降参です」
 ワカバウツキはそう言って、腰を抜かしたようにぺたんと座り込んだ。瞳に涙が滲んでいる。
「ごめんね……お幸。私、できなかった……」
 お幸を失ったあの日と同じ色の青空を見上げて、ワカバウツキは小さな声で呟いた。

「ピピピピピピピピピピピピ。お料理、できあがりだよー!!」
 カウントダウン終了を告げる迷宮時計の声が、オックスフォードの空に響き渡った。

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迷宮時計の秘密 その7

降参方法は任意。
心の底から敗北を認めるだけでも降参と見なされる。
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■AD1748年12月18日水曜日、基準世界、ボーダリアン図書館・喫茶室

 ウツキちゃんの涙は、あとからあとから溢れてきてなかなか止まらなかった。お幸さんは、ウツキちゃんを守って命を落とした大切な幼馴染みだったそうだ。
 お幸さんを取り戻すため、ウツキちゃんは自分が生まれた世界を捨て、自分の命さえ切り捨てるつもりで戦ってきたという。もしケンちゃんを失ったとして、私にそこまでの覚悟は決められるだろうか。わからない。
「でも、私は自分の命は捨てられなかった。私の覚悟はその程度だったんだ、と思うと悔しくて悔しくて……」
 そう言って、ウツキちゃんはうつむきながらスコーンをかじり、オレンジ・ペコーを啜った。もうスコーン6個めだよ。やけ食いはほどほどにしないと太っちゃうよ?
 あの場面で私がスーパーソニック当身を撃ってたら、ウツキちゃんはマッハ6の拳圧で生じた衝撃波で飛ばされ、図書館の壁にめり込んで死んでいたはずだ。だから、あそこで降参しなかったら無駄死になんだからしょうがないよ、と言ったけど、ウツキちゃんはなかなか納得がいかない様子だった。

 私が元の世界に戻る前に、従者のコウちゃんともう一度会ってほしい、というウツキちゃんのお願いで、私たちは今こうして喫茶室でくつろいで紅茶を飲んでいる。流石は本場イギリスの紅茶。とっても美味しい。
 本当は私ももっとスコーンを頂きたいのだけれど、ここはウツキちゃんの奢りなのでそうもいかないのが辛いところだ。ウツキちゃんは未来の世界で古いイギリス・ポンドをしっかり手に入れて持ってきていた。すごく準備がいい。和服で来ちゃった私とは大違いだ。次の戦いでは、もっと気を付けよう。

 コウちゃんのことは随分と遠くまで投げ飛ばしてしまったようで、中々戻ってこなかった。だから、私とウツキちゃんは沢山、話をした。
 ケンちゃんのこと、護身術部のこと、パパやママのこと、アリマンヌ児童館のこと、遠い故郷のボンバー星のこと。お幸さんのこと、コウちゃんのこと、未来世界のこと、切り捨ててしまった故郷の磯部町のこと、厳しかった父母のこと、恐ろしい空襲のこと。
 お幸さんのことを語る時、ウツキちゃんの瞳には涙が滲んでいた。言ったら失礼になると思うけど、ウツキちゃんの潤んだ瞳はとても綺麗だと私は思った。
 兎と亀の迷宮時計を私に手渡した時に、ウツキちゃんが見せた辛そうな表情は、しばらく忘れることはできないと思う。自分の体の一部を抉り取られたような、悲痛な表情だった。それほど、お幸さんへの想いは強かったのだろう。私は、ウツキちゃんのそんな気持ちを踏みにじってケンちゃんの元に帰るのだ。私に、幸せになる資格は残っているだろうか。
 逆に、コウちゃんのことを語るときのウツキちゃんの表情は、明るく楽しげだった。コウちゃんと二人で戦ってきた道は、平坦なものではなかったけど、学習して育ってゆくコウちゃんを見るのはとても嬉しかったと言って、ウツキちゃんは笑った。この世界に取り残されてしまうウツキちゃんだけど、コウちゃんが一緒ならばきっと上手くやっていけるのではないかと私は思う。

 キィ、と喫茶室入口の重い木の扉が軋みを上げて開き、コウちゃんが帰ってきた。そして、とぼとぼと申し訳なさそうな足取りで、ゆっくりとこちらに向かってくる。ツインテールも顔も泥まみれ、綺麗だったドレスもあちこちが破れている。
「ごめんね」
 私は二人に謝った。
「ううん、いいの」
 ウツキちゃんは笑顔で答えた。深い海の底から嘲笑っているような、底意地の悪い笑顔で答えた。
「だって、勝つのは私だから」
 ウツキちゃんは意味のわからないことを言った。コウちゃんの“魔人殺し”が私のことをガッチリと掴んでいた。

††††

 迷宮時計の秘密その7の裏。心が敗北を認めていなければ、口先でいくら降参しても敗北にはならない。
 当然のルールだ。言葉も違う、文化も違う者同士が対戦することになった場合、言葉に何の意味があろうか。迷宮時計は所有者の心の中を計り、降参判定を行う仕組みとなっている。
 迷宮時計に纏わる戦いを終わらせるためなら、ワカバウツキは手段を選ばない。嘘の降参だろうと、泣き真似だろうと何だってする。邪魔になるつまらないプライドなど、ワカバウツキは一番最初に切り捨てた。

 コウとワカバウツキは、二人がかりで本葉柔を担ぎ上げ、戦闘領域外を目指して歩いて行く。M44エナジーは“魔人殺し”で封じられ、柔術を使う余地も、もはや与えられなかった。怪力を持つコウの隙はさっきの脱出時に学習されて塞がれたし、ワカバウツキ自身も人間としては体力と運動能力に優れた部類である。
 二人の足取りに合わせて、本葉柔のおっぱいがユサユサと揺れる。ボーダリアン図書館の魔人司書たちも、特に破壊行為をしそうな気配がない彼女たちの行動に干渉するつもりはないようだ。
 庭園に紫色のラベンダーが咲いている。ラベンダーの香りが本葉柔の鼻をくすぐる。タイム・リープは別に起きない。ラベンダーの花言葉は「疑い」「不信」。本葉柔は、もっとワカバウツキを疑うべきだった。

 その時! ジャーン! 中庭にベースの音が響き渡る。
「聞きさらせ卑怯もんのワカバウツキ!『はなせばわかる!』」
 ツマランナーが帰って来たのだ。
「ワン、ツー、ワンツーさんし!」
 もちろん既にツマランナーは場外敗けしている。だが、敗退した者が戦闘に干渉できなくなるわけではない。ツマランナーは、基準世界人を許さない。ワカバウツキが勝利することは許さない。
「この子の名前は柔ちゃん~ 平行世界の異星人~ 大好きな人のいる場所に~ 必ず帰ると決めてきた~ だけど戦い虚しいな~ 話せばきっとわかり合えるよ~ 握り拳を緩めよう~ 戦いは何も生まないよ~ 話せばわかる~! 話せばわかる~! その手をはなせばわ~か~る~!」
 この間わずか6秒。本葉柔が合いの手を挟む余裕すらない超高速歌唱だ。
 ツマランナーの歌が効果を発揮し、ワカバウツキとコウは両手を開き、手を離す。束縛から解き放たれた本葉柔は、三歩飛び退いて半身を後ろに引き、おっぱい柔術を油断なく構える。

「いてもうたれ柔ちゃん!」
「はいっ!」
 そう答えたものの、本葉柔は攻め手に困っていた。おっぱい柔術は、相手を掴まなければ仕掛けられない。だが、コウには“魔人殺し”がある。
 スーパーソニック当身を使ったとしても、破壊できるのはコウの外皮だけだろう。コウの防御力は「ゾウが踏んでも壊れない」クラス。読者諸兄も御存知の通り、この場合のゾウとは神獣・スーパーヤマタノナウマンゾウDXのことである。

 本葉柔は、着物の帯を解いた。着物を脱ぎ捨て、肌着も脱ぎ、身に付けた衣服を全て投げ捨てた。冬期イギリスの冷たい風が、丸出しになった大きなおっぱいを厳しく苛む。着物の戒めを解かれた二つのおっぱいは、その場に居合わせた誰もが息をのみ言葉を失うほどに美しかった。
「ボンバー!」
 気合い一閃、本葉柔は遮光ゴーグルを外す。赤い瞳にM44エナジーが燃える。本葉柔の全身がミシミシと音を立てて巨大化してゆく。
「ピピピピッ! 3分間クッキング、はじまりー!」
 本葉柔は、本来のボンバー星人としての姿である胸甲周4mの巨大な蟹に変身したのだ。

(ここまでは、お幸のシナリオ通り……後は、コウがこれから教えてくれる『キーワード』を言うだけ……!)
 ワカバウツキは、異形の姿に変容した本葉柔、本名ボンバーν(ニュー)に肝を冷やしながらも落ち着いていた。これが最大最後の鉄火場。巨大蟹星人を凌ぎ切ったハッピーエンドまで、残り3分!

 ボンバーνの鋏と目と触角と口が乳白色に輝き出す。本来ならば変身した直後はM44エナジーを消耗しており、光線技は使えない。しかし図書館に充満している高密度のM44エナジーが即時発射を可能としたのだ。
「ボンバァーッ!」
 破壊光線の集中砲火がワカバウツキを襲う。だが、ボンバーνは知らなかった。変身直後に技を使うのは、技を破られるフラグであることを。
 ワカバウツキとボンバーνの間に、コウが立ち塞がり両手を翳す。両掌から光の壁が展開され、ボンバーνの放つM44光線を遮った。M44エナジーとは中二力の塊であり、“魔人殺し”の機能であるアンチ中二力フィールドにより吸収無効化できるのだ。
「ウツキ 大丈夫 わたし が 守ります!」
 健気に笑って見せるコウ。だが、フィールドを展開できる時間には限界がある。持ちこたえられるのか?

「ピピッ、あと2分だよー!」
 迷宮時計の声が響く。

 徐々にコウのフィールド出力が弱まり始めた。ボンバーνの破壊光線は一向に収まる気配がない。ボーダリアン図書館が秘める膨大な中二力により、事実上無限のM44エナジーが供給されているからだ。
「ウツキ 最終戦闘形態 へ の 移行 を 承認 願います キーワード『ファイナル・ガルガンチュア・フォーム・アクセプト』」
 コウが、最終キーワードを告げた。そのキーワードは、ワカバウツキが最初から知っていたものだった。間違いなくあの蟹の化け物を倒せると、ワカバウツキは確信した。
(ありがとう。そして――さようなら、コウ。短い間だったけど、あなたと過ごせて楽しかったよ)

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迷宮時計の秘密 その3

所有者のいない迷宮時計に触れた者は、
その迷宮時計の所有者となる。
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■AD1944年2月24木曜日、基準世界、首都東京・学徒動員工廠

 澄み渡った青空に、絶望の影を投げ掛けるB29爆撃機の黒い翼。立ち込める硝煙。爆撃機の高度は高射砲の射程よりもなお高く、迎撃の試みは全て失敗に終わる。本土空襲による首都壊滅のバッドエンドまで残り時間はあと僅か。
 絶望の縁に立たされた若葉卯月は、お幸に言われるがままに、その言葉の意味もわからず叫んだ。『ふぁいなる・がるがんちゅあ・ふぉーむ・あくせぷと』と。

 午後3時20分。若葉卯月の時間は停止した。

 富士より高い超巨大幼女に変身したお幸は、爆撃機を全て叩き落として首都と若葉卯月の命を守った。だがそれは、お幸の命を犠牲にした最後の手段であった。
 キラキラと輝く光の砂となって散る直前、一瞬だけ元の姿に戻ったお幸は、若葉卯月に一個の時計を託し、幸せそうに微笑んで言った。

「卯月、また、あなたに会えて嬉しかったです。また、お幸に、会ってくださいね」

 時計の裏側には『鈍亀の継嗣へ』と題したお幸からのメッセージが、小さな文字でびっしりと書かれていた。

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迷宮時計の秘密 その14

迷宮時計からは誰も逃げられない。
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■およそ300万年前、基準世界、ユーラシア大陸のどこか

 むかしむかし、スーパーヤマタノナウマンゾウDXの全身は、ふさふさとした長い毛に覆われていた。当時はスーパーヤマタノウーリーマンモスDXという名前だった。
 ある日、スーパーヤマタノウーリーマンモスDXは、散歩をしている途中で綺麗な泉を見つけた。その日は暑い日で、汗だくになって歩いていたスーパーヤマタノウーリーマンモスDXは、これ幸いとその泉で水浴びをした。
 だが、その泉はサワガニのすみかであった。我が家を汚されて怒ったサワガニは、そんなに暑いのなら涼しくしてやろうとスーパーヤマタノウーリーマンモスDXの長い毛を鋏でチョキチョキと全部刈ってしまった。
 このようなことがあったので、スーパーヤマタノナウマンゾウDXには毛が生えていないのである。

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迷宮時計の秘密 その8

迷宮時計所有者は所持物を戦闘空間に持ち込める。
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■AT2014年12月18日生曜日、本葉柔の世界、東京都内の雑木林

 暗い森の中に、突如として巨大な蟹が現れた。蟹は乳白色の光線を放出して数本の樹木を焼き払ったが、すぐに光線放出をやめた。そして、戸惑っているように、触角をぴょこぴょこと蠢かせた。
「ピピピピピピピピピピピピ。お料理、できあがりだよー!!」
 電子合成音声が鳴り響き、巨大蟹の姿がしぼんでゆく。やがてその姿は、おっぱいの大きな、赤い髪の少女に変わっていった。ボンバー星人、本葉柔だ。服は全く身に付けていない。

「うあっ……まぶしっ……」
 新月の夜とは言え、重度の光過敏症である本葉柔にとっては街灯や民間から漏れ出る光だけでも苦痛である。彼女が耐えられる特定波長の光以外を完全に遮断する専用ゴーグルがないと、何一つできないのだ。

 まさか変身した状態で、手ぶらで帰って来ることになるとは想定していなかった。服も荷物も、全部向こうの世界に置いてきてしまった。
 眼を押さえて、おっぱいを隠すように丸くなる。寒い。せっかく勝って戻って来たのに、いきなりとんでもない大ピンチだ。
 このまま雑木林の中でうずくまっていると、この寒さでは朝日が昇る前に最悪凍死してしまう。手探りで、這うように雑木林の外を目指して動き出す。手や膝に草木が刺さってチクチク痛む。なんて惨めな格好なんだろう。でも、ケンちゃんが居るこの世界に生きて戻って来れたのだから、贅沢は言うまい。

「おーい、本葉ぁーっ!」
 声がする。世界で一番聞きたかった声が聞こえる。どうして?
 背中にふわりと暖かい毛布が掛けられた感触。誰かが私の眼に、馴染みのある遮光ゴーグルが掛けてくれた感触。家に置いてあった予備ゴーグル? ゆっくりと、眼を開く。大好きなケンちゃんの顔が、目の前にあった。

「ケンちゃん……どうしてここに?」
「本葉の家から行方不明だって連絡があってさ、きっとここに来てると思ったんだ。勝ってきたみたいだな。……良かった」
「う、うぐ……うえええん、ケンちゃあああん! わだし、わだし……うえええええええん!」

 改めて考えると、これは私にとって人生最大の告白チャンスだったのではないかと思うのだけれど、その時は頭の中がぐっちゃぐちゃで、私はただ、ケンちゃんの胸にしがみついて泣きじゃくることしかできなかったんだ。

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迷宮時計の秘密 その11

同一人物が迷宮時計の所有者となれるのは一度限り。
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■AD1750年4月21日火曜日、基準世界、ボーダリアン図書館・中央庭園

 ジャーン! ベースの音が高らかに鳴り響く。今日もツマランナーのステージは、一部のコアなファンに大好評だ。
「それでは皆さん聞いてください!『やっぱり幼女には勝てなかったよ』」
 ジャジャーン! イギリス各地を流れ歩きながら、謎のオーパーツ楽器で変な歌を披露する旅芸人ツマランナーは、様々な町で出入り禁止を食らいながらもしぶとく活動を継続中だ。
「あワン、ツー、ワンツーさんし!」
 ジャガジャガジャガジャカ。ツマランナーが男性であることは、イギリス国内でもわずか数名の者しか知らないトップシークレットだ。だが、際どいゴスロリドレスの下からチラリと見える黒いパンツに不思議な盛り上がりがあることは、ストーンヘンジや100万人アーサー王伝説と並んでイギリス七不思議に数えられている。
「愛しいアナタに会うために~ 全てを捨てて生きてきた~ 故郷を捨てて親も捨て~ 邪魔する奴は斬り捨てた~ だけど幼女は捨てられぬ~ 可愛い幼女は捨て置けぬ~ だってこんなに可愛いし~ この子と生きると決めました~ ごめんねアナタ~ ごめんねアナタ~ やっぱり幼女には~~勝てなかったよ~」
 ジャーン! 観衆から割れんばかりのまばらな拍手と、数えるばかりのおひねりが乱れ飛ぶ。本日もツマランナーは絶好調だ。

 パチパチと拍手しながら、ツマランナーに美しい女性が近付く。くせのある髪の毛は、以前より伸びてセミロング。すらりとして健康的な肉体はますます健在。ボーダリアン図書館に司書として勤務している若葉卯月だ。
「ツマランナーさん、その歌は恥ずかしいからやめて欲しいって言ったよね?」
 言葉では怒っているが、照れ笑いする様子はなんだか幸せそうである。その傍らにはメイド服を着た可愛らしいツインテールの幼女。ワカバウツキは、結局この子を切り捨てることができずに敗者となった。

 ワカバウツキが最終戦闘形態移行の承認キーワードさえ唱えれば、コウは破壊巨人となり蟹の怪物を簡単に踏み潰していたことだろう。だが、そうした場合は戦闘を終えた後にコウは消滅する。
 お幸の最後の姿が脳裏に浮かんだワカバウツキは、コウを犠牲にすることがどうしてもできなかった。お幸を取り戻すための孤独な戦いを、一緒に戦ってきてくれたコウ。コウを切り捨て、お幸を取り戻す。それが自分の本当にやるべきことなのか、わからなくなったのだ。
 コウのアンチ中二力フィールドが破れ、M44の光に飲み込まれようとしたその瞬間、どうやらワカバウツキは無意識のうちに心の底で降参していたらしい。本葉柔が元の世界に帰りたい気持ちが非常に強かったためか、巨大蟹ボンバーνは一瞬で消え失せた。

「何度やめろって言われてもワイは歌うでー。実際、幼女には勝たれへんからなー。せやけど、卯月ちゃんもあそこでこの子を切り捨てんと降参したんは偉かった。見直したで」
「切り捨てなかったと言うよりは、切り捨てられなかったんですけどね。でも、それで正解だったんです。私は青い鳥をくびり殺さずに済みました。ま、それも含めてぜーんぶお幸の願い通りなんですよね」
 若葉卯月は、そう言ってメイド姿の幼女型ヒューマノイドをぎゅっと抱き締めた。はにかんで笑う幼女の笑顔は、磯部町の山の端で暮らしていたお幸の笑顔とそっくりそのままだった。いつの間にか若葉卯月は、彼女のことを「お幸」と呼ぶようになっていた。

 Dr.デイドリームの設計思想は、幼女は全て素晴らしいという理念が根元にある。彼は自分自身の理想の幼女を作って他者に押し付けるような無粋はしない。理想の幼女は、誰もがそれぞれに思い描くべきなのだ。
 ゆえに、幼女型対魔人ヒューマノイドの外見には学習能力が組み込まれていた。所有者の反応をフィードバックして、動作や表情をカスタマイズするのみに留まらず、骨格レベルから所有者好みの外見に近付いて行くように造られているのだ。
 若葉卯月にとって理想の幼女はお幸に他ならず、コウが次第にお幸の姿に近付いていったのは自然なことだった。若葉卯月は迷宮時計に纏わる戦いを終わらせて、お幸との再会を果たすことができたのだ。

「実は、こないだ倉庫を整理してたらスッゴい物を発見しちゃったんですよ」
 若葉卯月は、厳重に錠をかけた金属製の箱を取り出した。開くと、中には――時計がひとつ。
「なっ、これっ、どないなっとるん!? 柔ちゃんが置き忘れてもうたとか? そんなアホな!?」
「ふふふ、これは私の迷宮時計なんです。これから私は、迷宮時計に纏わる戦いに巻き込まれるんですよ」
 その時計は、長針に兎の意匠が、短針に亀の意匠が施され、文字盤には地球が描かれていた。ゼンマイ仕掛けで、耳を澄ませばカチカチと時を刻む歯車の音が聞こえてくる。そして、文字盤の裏側には何も書かれてはいなかった。

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■AD1806年11月22日土曜日、基準世界、オックスフォード運河に面するアパートメント

「お幸……お幸……居る?」
「はい。お幸は、ここです。ご用はなんですか」
「ううん、特に用はないの。ただ、そばに居て欲しくて」
「お幸は、ずっと、卯月のそばに居ますよ?」
「ふふ、そうだよね。ありがとう、お幸。お幸と一緒に過ごせて楽しかった。本当に」
「お幸も、卯月と一緒で楽しかったです」
「……」
「……」
「……」
「卯月は、もうすぐ死んでしまうのですか?」
「……そうね。あと一週間は持たないって、医者に言われた」
「……」
「……」
「……」
「……卯月が、居なくなったら、お幸はゴミになってしまうのでしょうか」
「いいえ、あなたにはまだ、やってもらわなければならない仕事があるの。……とっても大変な仕事」
「まだお役に立てることがあるのは、嬉しいです。それでは、お幸は、資源ゴミになるのですね」
「資源っ……ゴミ……! ふふ、アハハ、そう、資源ゴミ! ふふふ、お幸、やってくれるじゃない。なるほど、迷宮時計最後の謎が今やっと解けた。つまり、私が死ぬのは火曜日ってことね」
「……? わかりません。でも、卯月が笑ってくれて嬉しいです」

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■AD1806年11月25日火曜日、基準世界、オックスフォード運河に面するアパートメント

 火曜日、資源ゴミ。
 若葉卯月は76年間の数奇な人生に幕を閉じ、亡骸は共同墓地に手厚く葬られた。
 お幸は埋葬や遺品整理などの手続きを手際よく済ませると、小さな鞄ひとつを持って旅に出た。何をすべきかは、若葉卯月の遺書にこと細かく記されていた。鞄の中には時計がひとつ、本葉柔の置き土産を仕立て直した着物が一着。

 海峡を渡ってフランスへ。そして、シルクロードを辿り東へ、東へ、東の果ての日本へ。
 お幸の足は亀のように鈍いけど、心配は要らない。なにしろ、遅刻によるバッドエンドまでは百年以上の猶予があるのだから。

 学習機能を持った人工知能にとって、最初期に与えられた入力信号は特別な意味を持つ。それは、マザー・インプリンティングにも似ている。お幸が持つ最も古い記憶は、再起動された時に見た若葉卯月の姿だった。
 眼を閉じて、記憶領域の奥深くに刻み込まれた若葉卯月のイメージを思い浮かべる。どんなに遠い場所だろうと、どんなに長い時間だろうと、あの人にまた会えるのならば、お幸は頑張れる。


 迷宮時計の中で、兎と亀がくるくると地球の上を走り回っている。兎と亀は、出会っては別れ、別れては出会う。何度も何度も、別れと出会いを繰り返す。

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お幸があえて書かなかった迷宮時計最大の秘密

迷宮時計を使って幸福になる方法は、
最後まで勝ち抜くことだけではない。
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