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裏第二回戦SS・港湾その3


*0

一枚の新聞紙が宙を舞い、レンガ造りの港湾倉庫に貼り付いた。
軍服にミリタリーコートを着込んだ長身の女性は、それを拾い上げる。

『大東亜戦下の陸運:過般の閣議で決定をみた戦時陸運の非常体制確立は戦時輸送政策の確立に――――』
「何だ、さっきのと同じか」

軍服の女性――折笠ネルがその新聞紙をパン、と一振りすると、一瞬にして白黒の斑模様の蝶へと変化した。
蝶はひらひらと、日の暮れ始めた空を飛ぶ。
折笠ネルは軍服のミニスカートの裾に手をやり、少し伸ばしてみる。
(1940年代……日本の歴史の大きな分岐点。この格好じゃあ逆に目立ちそうだな)
折笠ネルは顔を上げる。海上の少し離れた位置に、巨大な軍艦が停泊していた。
大日本帝国かつての同盟国、ドイツの仮装巡洋艦トール。

「大した迫力だ」青年が、その軍艦を眺めていた。

下敷きも使わずに、猛烈な速度で軍艦を原稿用紙にスケッチしている。
写実的なその絵の端に添えられた水兵は何故か、眼がキラキラと光る可憐な少女であった。
漫画を面白くするのはリアリティ――岸辺露伴の言葉に習い、迷宮時計の争いに参加した青年、梶原恵介。本名は山崎智樹。 彼が戦闘空間においてよそ見をしていた事実は変わらないが、それもわずか一秒足らずの出来事である。それほどまでに、彼の筆は速かった。
「戦時中のドイツ軍艦なんてそうそう見れるもんじゃねえからな。迷宮時計サマサマだ。しかも――」

海風に吹かれ、彼が口に咥えていた数枚の原稿が宙を舞う。「――おっと」

「わ」ネルの目の前に原稿が飛び込む。
彼女が手をかざすと、それらは一瞬で蝶やカマキリ、オサムシなどの昆虫の折り紙に変化した。
「っておい!俺の原稿」
「あはは、ごめんごめん。紙の節約の為にさ、拾った紙、全部、折り紙にしちゃう癖があるんだよね、僕」

「ち、…………貸しだぜ、これは」
「いいけどさ」と折笠ネル。
「いい加減、さっさと始めようじゃないか」演出家めいて両手を大の字にかざす。
「これ程までに、戦場にふさわしい……地獄のような舞台設定が整ってるんだからさ」

彼女の言葉通り。横浜港は爆発した軍艦の火に照らされて赤く染まっていた。
海上の軍艦を見た人々が口々に叫び、逃げ惑う。
梶原が現実を精確に写し取ったスケッチには、海上で燃え盛る軍艦。梶原の能力によって、その炎は原稿用紙を飛び出し、まるで本物の炎の様に激しく燃えていた。

*Ⅰ

『横浜港ドイツ軍艦爆発事件』
1942年11月30日に横浜港で起きた爆発事故。
ドイツのタンカー『ウッカーマルク』が爆発。近くの軍艦『仮装巡洋艦トール』とその他客船、日本の海軍徴用船が巻き込まれ、多数の犠牲者を出した。
当時、スパイ疑惑まで持ち上がる程の謎だった事故発生の原因は、作業員の喫煙であったとされている。
ただし、この世界に置けるこの事件は、あくまでも並行世界の出来事であり、現実における事件とは別物である事を、留意して頂きたい。

*Ⅱ

「ハァーッ!……ハァーッ!うう……っ」火災を逃れた水兵や民間人が海を泳ぎ、港へと上がる。
「――ッ!?」その頭上に、ドサリと、半透明の柔らかい物体がのしかかった。

「ハハハハ、ハハ……」この場に似つかわしくない笑い声。
「軍艦を、軍艦の奪取を試みた結果、まさか爆発に巻き込まれるとはな……先に爆発したのはタンカーの方とはいえ、俺の責任か?ハ……大人はいいとして、ガキ共には悪いことをしたぜ……ちッ……、起きちまったもんはしょうがねえ……運が悪かったな……」
港湾へ這い上がる雲類鷲ジュウ。びしょぬれの黒いジャケットから水滴がこぼれ落ちる。
背後の火災と比較して、信じられぬ事だが、彼に火傷の痕は一つも無い。
ただしその背には、火の光を反射し黄色くなった半透明の巨大な何かが覆いかぶさっていた。

「う、わっ、何さそれ」折笠ネルが跳び下がる。同時、ミリタリーコートから無数の千羽鶴が飛び出し、彼女を守るように取り囲んだ。「何か、触手みたいのが見えるんだけど」

「アンタが雲類鷲ジュウか」梶原はGペンを構えた。かつて手塚治虫が愛用していたというあやかしのペン『雷』。
「漫画業界じゃ、雲類鷲の名は有名だぜ。1952年の悪書追放運動でも、あの手塚治虫と戦りあったそうじゃ無えか、PTA会長の『雲類鷲』って苗字の男がよ……」

「ああ……?知るか、誰だ手塚治虫って、PTAか?……いいか、真のPTAは俺一人だ」
「アンタ、知らねえのか!?手塚治虫っていやあ漫画の神だろ!現代のほとんどの『技法』はあの人が――」

「知らねーなッ!」ジュウは近くのコンテナを蹴り飛ばす。
縦長のコンテナの前方をパン、と破裂させ、中身が空なのを確認すると、ジュウは背負ったその半透明の物体を乱暴に中に押し込んだ。

横浜名物――『ダイオウミズクラゲ』

横浜で例年ミズクラゲが大量発生している話は周知の事実だが、ダイオウミズクラゲはそれら小さなクラゲが共食いした結果生まれた巨大な群体生物である。全長10mを超える触手に、本体にはアーモンド型の一つ目。その大きさから、ダイオウイカを喰らう事もあるという。
「ひしゃげろッ!PTAッ!」コンテナがひしゃげ、クラゲを圧縮する。
身体のほとんどが水分で出来たそのクラゲは、岩をも砕く勢いで大量の水を圧射した。

「うわっちょちょっ!」折笠ネルが叫びを上げた。

「ハハッ!水圧カッターだッ!俺はこれが大好きでなぁ~~~ッ!」
しかし残念ながら、二人の敵を狙った水圧カッターは二人に軽く避けられ、代わりに周囲の無関係の人間の身体を掠めた。結果として人々は逃げ惑い、水圧カッターは人払いの役目を果たした事になる。
「……チッ、やっぱ当たんねーな……」

「……容赦ねーな、アンタ」梶原が眼を細める。漫拳の『武』の道に生きる梶原は、可能な限り、一般人を巻き込むつもりは無い。だがこの雲類鷲ジュウという男には、そういった配慮は微塵も感じられぬ。
Gペンに宿る漫画の神に誓って、このような男に負けるわけにはいかない。
(ま、そうじゃなくっても、負けるつもりは無えけどな……)

と、そこへひらり、と梶原の目の前を、一羽の折り鶴が飛来。

「……な……!」見渡すと、周囲に無数の折り鶴が、鳩が、戦闘機が、旋回していた。
折笠ネルの折り紙である。
彼女は水圧カッターに気を取られている梶原とジュウの隙をつき、大量の折り紙を展開していた。

「さあ、さあ、今宵ご覧頂きますは若き『演出家』二人と『PTA』の御曹司の三つ巴」

果たして一体誰に向けての口上か……折笠ネルが仰々しい口調で声を張る。
「『これより先』、けちな『共闘』で三つ巴のオーダーを裏切る事は『あり得ない』と、ここで宣言しておきましょう。どうぞ、このまま御観覧をお願い致します。ごゆるりと、お楽しみ下さい。――『鶴翼の陣』」

翼の形の陣形に展開された折り鶴、その一つが梶原の首を狙い、突撃する。
「う!お!お!お!」さらに脇腹を狙い戦闘機が銃撃を始め、鳩が梶原の眼を狙う。
「させるかよッ!『スクリーントーン』!番号は――CB676!」
目の前に飛来する鳩の折り紙に、梶原はスクリーントーンを貼り付ける。
その絵柄は『泡模様』。無地の折り紙に、泡模様が描き込まれる。
水で濡れた『演出』。その錯覚に折り紙は、ゆらりと、わずかばかりその勢いを落とす。
「……まだまだ、濡れた錯覚程度じゃあ、僕の折り紙はめげないよ」
「…………くそッ!」梶原はGペンを構える。

*Ⅲ

(……群生型魔人能力か、厄介だな)

ジュウは彼を取り囲む『折り鶴』を睨みつける。
突撃する折り鶴をはたき、『能力』で破裂させる。だが、その紙はただの紙では無い。藤原清流の折紙である。
彼が折り紙を破裂させる度、飛び散った紙切れがジュウの手にガラスの破片のように食い込む。

さらに折り鶴の中には、脚を生やした特殊型も紛れていた。
折り鶴がその脚で掴んでいる折り紙は、黒い球形に赤いトゲを生やした『機雷』の形状をしており、ジュウがそう認識してしまったが最後、破裂する度に小爆発を引き起こす。

(ちぃ……これじゃあ近づけねえ……)

『赤点です。学童、用紙の無駄遣いは環境破壊の原因となります。地球は友達です』

右腕のPTAを無視し、ジュウは赤レンガ倉庫付近で闘う折笠ネルと梶原に目を向ける。(だったら……)

*Ⅳ

「――だったら、これならどうだ?」梶原が手をふるう。

梶原は、飛来する無数の折り鶴、それら全てにスクリーントーンを貼り付けた。
ここまでは今までと同様、わずかな時間稼ぎにしかならない。
そこで、梶原が握るGペンの先がぐにゃりと変形し、ペーパーナイフの形状となる。
彼がナイフを一振りすると、一瞬にして、飛来する折り紙が『八つ裂き』にされた。

「……ほう」折笠ネルが感嘆の声を上げる。

「『漫画家あるある』さ。原稿に貼ったスクリーントーンを絵に沿って切り抜こうとして、間違って原稿の絵ごと切り抜いちまう事が、初心者によくあるのさ……俺は、そのミスを『あえて』引き起こすッ!」

梶原が折笠ネルに襲いかかる。
斬りかかるペーパーナイフをネルが紙製の軍刀『加州折笠信文』で捌く。
「言っただろう!」梶原が片手を振ると、長い軍刀にスクリーントーンが貼り付けられた。「紙なら!俺に切れない物は無ェッ!」梶原がペーパーナイフを一閃。パン、と軍刀の刀身が折れ、回転し、宙を飛ぶ。

「なら……」折笠ネルは折れた刀身に、片手を叩きつけるように触れた。高密度圧縮されていた紙の刀身が炸裂。解放されたように飛び散り、千を超える折り鶴へと変わる。「切ってみなよ、これ全部」
「ぐ……っ」――――何という数の暴力。紙の節約なんてする必要無いじゃねえか。俺の原稿をどこにやりやがった……。梶原は歯を食いしばる。だが、そこで。「――――なっ!?」
「――オラァッ!」突如現れたジュウの拳が梶原の頬を掠める。

そして順に、折笠ネルの身体がドン、と殴り飛ばされた。

「ハッハァ――ッ!」獣のような動きで、雲類鷲ジュウが両者の間に割り込み、その拳が梶原の頬を掠め、折笠ネルの脇腹を殴りつけていた。
折り鶴がクッションとなり、折笠ネルの身体を受け止める。
「ゲホッゲホッう……痛った!君、ひどいじゃないか!女の子に対して!」

「ハハハッ!仕返しだ!めんどくせェ攻撃しやがって!」言いながらジュウは、周囲に散開する折り鶴を叩く。
ジュウに攻撃され、小さな圧力メーターを取り付けられた折り鶴はしかし、破裂しない。
それどころか、むしろ縦方向に『圧縮』――ぺしゃんこにされ、港湾内の地面へと舞い落ちた。
「紙は大事にしてやらねえとなァ~~ッ?カワイイカワイイ地球さんが困っちまうだろうがッ!」
『その通りです学童。花丸をあげましょう。私の花丸を』右腕のPTAが言う。
ジュウが通ってきた道にはただの『ぺしゃんこの紙』となった折り紙が、大量に続いていた。
「破裂が駄目なら、圧縮だ。折り紙も『平ら』にしちまえば、ただの紙きれに戻るだろッ!」

梶原とジュウは同時に駈け出した。
狙うは今、まさに、ジュウに殴り飛ばされた折笠ネルである。

「なるほど……雲類鷲ジュウ……『これが』君の能力……か」折笠ネルは立ち上がり、ひしゃげたコンテナに手をつく。脇腹に取り付けられた圧力メーターのビジョンから、黒い蒸気が猛々と吹き出す。ネルの脇腹はたんこぶの様に膨れ上がり、今にも破裂しそうになっていた。
ジュウの『精神解放』能力により、折笠ネルが精神的抑圧から解放される。
「清々しい気分だよ……党員が……いない事とか……妖怪を倒さなきゃいけない事とか……党員がいない事とか……そういうのがどうでも良くなってくる……あるのはただ、純粋な戦闘意欲だけだ……!」

折笠ネルはひしゃげたコンテナ内部に詰め込まれた『ダイオウミズクラゲ』に手を差し伸べる。
「雲類鷲ジュウ、君が、紙のようにこれを『薄くしてくれた』から……僕が『折る』事ができる。今の僕なら、きっと、今までより上手く、より強靭に折る事が出来る」
ジュウの能力により、プレッシャーから解放された彼女の能力が進化する。ミシリ、と異様な音を立て、巨大なクラゲが折りたたまれる。数万回の蛇腹折りが、彼女の一撫でで、ものの数秒で成し遂げられる。

「万物は……素材だ。ゆけ、『廬斉夢蝶折据(ろせいがゆめのてふはをりすゑ)――ACT2』」

「…………」ジュウが立ち止まる。海上で燃え上がる軍艦を背景に、頭上に伸びる巨大な影。
「ハハハハハッ!どうやら解放されたようだなッ!テメーのくだらねェPTAか―――――らはぁッ!」
ジュウがそう言い終わる前に、彼の肉体は龍の巨大なしっぽに殴り飛ばされていた。レンガ倉庫の壁にミシリ、と身体が食い込む。

全長10mを超える、半透明の、精巧な龍の折り紙。

それが、咆哮をあげ、折笠ネルを守るようにとぐろを巻く。
「……何だこりゃあ」梶原は言った。
「さあ、やっちまえ!」折笠ネルが梶原を指す。龍が雄叫びをあげ、襲いかかる。
「うおおおッ!?」技を仕掛ける暇もない。龍の牙が、尾が、ひげが、梶原に猛攻をしかける。
振り落とされる尾を、間一髪、高速移動の効果線を描く事で加速し、避ける。避けた地面にくっきりと尾の跡が残った。素材が紙で無ければ、さっきまでのようにペーパーナイフで切り裂く事は不可能。

(こうなったら……やるしか無え!)相手は龍だ。なら、この方法しか無い。
彼の心から、将来への不安や、家族の事。自分の『美少女イラスト』な絵柄に対する劣等感がすぅと消えていくのがわかった。彼もまた、先程ジュウに微かな攻撃を受けた際、ジュウの『精神解放』の効果を受けていた。

(スガスガしい気分だッ! 歌でもひとつ歌いたいようなイイ気分だ!俺はただ、自分が面白いと思える物を!俺の描きたい漫画を描き続ければ、それでいい……!そして!今の能力強化された俺なら――――!)
梶原恵介にしか出来無い『龍』の攻略方。梶原は、右拳を振りかざし、渾身の力を込め、叫んだ。

「ギャルのパンティおくれ――――――――――――――――――――――――ッ!!!!!」

直後、龍の尾で殴り飛ばされる梶原。「ぐああああ――――――――ッ!?」赤レンガ倉庫にドン、と激突する。
彼の元いた場所に、ひらり、と白い下着が宙を舞う。
梶原を吹き飛ばした龍が消え、代わりにギャルのパンティが出現していた。

冗談のようだが、冗談では無い。

梶原の知る『ドラゴンボール』という漫画作品では、龍に願い事を叶えてもらう際、悪人に先んじて、この願い事が叶えられた。おかげで龍は消え、世界は救われた……作中最強の『演出』なのである。
魔人能力は概念のぶつかり合いだ。梶原は真剣に目の前の敵に挑み、漫拳という概念を持って、敵の概念を打ち破った……その彼を、誰が笑う事が出来よう!

「な……」龍の代わりに宙を舞う下着を見て、折笠ネルは赤面する。
「何考えてんだ……!」下着は風に吹かれ、くるりと飛ばされる。
軍服のスカートの裾を押さえて彼女は叫んだ。「僕のじゃないか――――――――ッそれッ!」

「ゲ……ホッ……そりゃあ悪かったな。……………………白か」
赤レンガ倉庫の壁にめり込んだ梶原が、ガクリとひざをついた。
「チッ……アバラ二、三本『イっちまった』な……」

『アバラがイっちまった』――少年漫画で度々見かける『不死性演出』。打撃攻撃に対してすかさずこの台詞を吐くことで、致命的なダメージをアバラ数本以下に留め、しかも大して痛みを感じずに済ます、強力な論理防御技である。映像的な特徴を備えない為、習得には困難を極めたが、澤の協力もあり、善通寺との戦い以後の厳しい修行によって会得していた。

「よ……っと」回復した梶原は腰をあげた。折笠ネルが下着を履き直すわずかな時間、その隙を逃す手は無い。

そう思っていた矢先。

不意に、ゴン、と赤レンガの壁が殴られた。砕けたレンガの煙、そこに、ドス黒い蒸気が混じる。
どこか異様な雰囲気を纏った雲類鷲ジュウが、梶原の右隣に立っていた。
「………………よう」ジュウがレンガに食い込んだ拳を、ガラリと引き抜く。

「よう」

梶原が答えると同時、両者の拳がぶつかり合う。
パン、と梶原の拳が破裂。「うおおお……ッ!今、手前ェに用はねーんだよッ!」
「そうかいそうかい!だが!こっちには用があるのさッ!」
身体能力は梶原の方が上である。ジュウは後ずさり、左腕を大きく振り、更に攻撃。
「オラァァッ!」攻撃を避けられ、ジュウの拳がレンガに食い込む。

「遅いな」梶原のGペンがジュウの肩を大きく切り裂いた。
「ラァッ!」ジュウが地面を蹴り、梶原めがけ、地面を膨張させる。
梶原が跳ぶ。ジュウが着地の瞬間を狙い、攻撃するも、また外れる。

「ぐああッ!」ジュウの身体がレンガにのめり込む。背後の白い壁に描かれた壮大な銀河を背景に、梶原が放ったギャラクティカマグナムが、もろにジュウの腹に命中したのだ。

「これも……特訓の成果だ……『G線上ヘブンズドア』」
壁に描かれた銀河は、壁よりも大きく、壁を飛び出し、渦を巻き、まるで実物を見ているかの様な錯覚を人に与える。この技法を思いついたのは、刑務所で戦った善通寺の影響が大きかった。あらかじめ物体に絵を『描いておく』ことで、攻撃時の隙をなくす梶原の新必殺技。空中に描くのと違い、物体に描き込む事で、持続時間が飛躍的に伸びるという利点もあった。

「『幻影型』の……能力……か、痛ッ……やる……な」ジュウが立ち上がり、吐血。「く、た、ばれェェッ!」ジュウがレンガの欠片を投げる。空中でそれが破裂する。
もちろん彼自身にも破片は食い込むが、一向に気にする気配がない。

(こいつ……、何だこの『硬さ』は……)

梶原は目を細める。耐久力にモノを言わせた連撃。それだけでは無い。
彼は気づいた。この男、先程よりも、パワーが上がっている。

「ハハハハハッ!」飛び散る破片の中、ジュウが指先を梶原へと向ける。
パン、とジュウの指先が爆ぜた。

「……ッ!?……こい……つ」梶原の、とっさにガードした左腕に、ジュウの『爪』が三本、突き刺さる。
ジュウが己の指先を破裂させ、爪を弾丸のように発射したのだ。射的の苦手なジュウでも、これ程の近距離なら命中する。
ジュウに攻撃された梶原の左腕にメーターが取り付けられ、小さく、パン、と破裂。

「て……めェ……俺の左腕を」
「肉体は……ポンプだ」ジュウが言う。

その身体、右腕の『時計の欠片』以外からも、黒い蒸気が猛々と吹き出す。傷口から、脚から、腹から。手から。指先から。口から、目から。彼の身体は黒い蒸気に呑み込まれ、輪郭が見えない。
「心臓だけじゃ無ェ……内臓も、筋肉も、膨張と収縮を繰り返し、生命活動を維持する…………だったら!」
ジュウがレンガを殴ると、いともたやすく、ぽかりと大きな穴が空いた。

「俺に……強化できねえ道理は無ェだろうが……!」
「……な、に言ってやがる……」

ジュウの理屈は滅茶苦茶である。人間の肉体はそんな単純な理屈で強化できる代物ではない。
だが、現にジュウの肉体は強化されていた。拳をふるう度に筋肉の繊維が千切れるという、リスクを冒して。

「死ねッ!PTAの大人は!全て!俺が殺すッ!」
地面が破裂し、黒の蒸気にまみれたジュウが飛びかかる。
「ざけんじゃ無えッ!俺は漫画家だッ!PTAの、敵だァッ!!」梶原は避けるしか無い。
「へえ、そうかよ!――――だが死ねッ!」さらにレンガを破壊。

梶原は素早い動きで身をかわすも、ジュウの強靭な耐久力を前に、決定打に欠けていた。
(とにかく今のこいつに近づくのは危険だ!……一度離れて…………)
ところが、梶原がレンガ倉庫から離れようとすると、折笠ネルの折り鶴が襲来した。「……ちっ」

「……またか」それはジュウも同じであった。
その度に、ジュウは襲いかかる折り鶴を叩く、叩く、叩く、叩く、叩く。
折り鶴を『圧縮』し、ただの『紙ぺら』へと戻す。
「やっぱり、流れを支配しているのはアンタだな……手芸者」海湾部に立つ女性を見た。

「いやいや、参ったぜ。僕抜きで熱い男の戦いを演じられちゃあさ……」折笠ネルは既に復帰していた。強化された能力によって、もはや素材を選ばなくなった彼女は、崩れた石畳や、木のボートから折り鶴を折りながら、ジュウと梶原の戦闘を注意深く傍観していた。「僕としては、応援せざるを得ないな」

「くそったれが!」梶原が悪態をつく。このままでは、檻に入れられたヘビとマングースと変わらない。
三つ巴でこの様な状況を作り出した、自分の甘さに歯噛みした。
梶原は折笠ネルを指さし、ジュウに叫んだ。「おい雲類鷲ッ!このままじゃあアイツに――――」

「……ンな事ァわかってる」炎上する海上の軍艦を背景に、雲類鷲ジュウが笑った。「……だいぶ身体も温まって来た頃だ。ああいう敵にゃあ、長期戦は不利だからな……さっさと、決着を付けさせてもらうぜ。」
握りこぶしを、少しずつ『パー』の形に開いてゆく。出血した指先は既に、圧力操作によって閉じられ、止血されていた。「奪取は失敗したが……アンタらがちんたら話してる間に……俺は充分、殴ったからな」

「――――!?」梶原は、ぐにゃりと、空気が歪むような奇妙な感覚を味わった。折笠ネルの方を見る。
「…………いねぇ……?」折笠ネルは姿を消していた。
いや、違う。彼女は折り鶴の力を借りて、ジュウの背後を猛烈な速度で通り過ぎていた。レンガ倉庫の入り口へ飛び、中へと入っていく姿が見える。

「マジ、かよ。おい……」

梶原の漫画家的直感が告げる。この状況は、漫画のコマで言うと『大ゴマ』である、と。
大ゴマに広がる、海上で、黒く膨らむ『巨大な鉄の塊』。
――……まさか、これ程とは。この男の能力、使い方次第ではEFB級の魔人能力となり得る。
「何……考えてやがるッ!」梶原は怒りに震え、叫ぶ。「何が……!何が……PTAだッ!俺達や!周囲の人間だけじゃ無えッ!テメェもタダじゃあ済まねえぞ!わかってんのか雲類鷲ジュウ――――ッ!!」

「ああわかっているさッ!……くたばり、やがれ……」ジュウがその手を完全にパーの形に開いた。
呼応するかのように、背後で燃え盛るドイツ軍艦――『仮装巡洋艦トール』が。
黒い風船のように『膨張』し……梶原の視界を一杯に覆っていた。
この巨体が『破裂』した時の被害は、いか程のものであろうか――――。

「罅(は)ぜろ―――――――」

「う……おおおおおッ!」梶原が叫ぶ。ジュウを止めるか!?否!間に合わぬ!梶原は直線を描き加速。
右側、ジュウの空けた穴からレンガ倉庫へと飛び込み、転がる。「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ……」

今にも爆音が聴こえてくるはずの状況で、……しかし、それは間違いで、彼は今、漫画で言うと己が『小さなコマ』に居る事を直感した。
この状況で、逃げ込める場所といえば、ここしか無かった。とはいえ、雲類鷲ジュウの自暴自棄な行動の意味を、深く考えなかったのは短慮であった。彼は『充分殴った』と言っていた。彼の能力は触れて発動するタイプではない、攻撃する事で発動する能力。全ては、この為だったのだ。
「…………」折り鶴で身を守る折笠ネルと目があう。睨みつけるような微笑。彼女もまた、状況を理解していた。だが、残念な事に、彼らが動き出すよりずっと早く『それ』はやってきた。
開いていた手の平を小刻みに振動させ、ジュウの口が動く。




「ひ」


「しゃ」


「げ」


「ろ」




「――――――――――――――――――――――――――――『ひしゃげろ』ッ!Pッ!Tッ!Aッ!!」

圧、壊。「フハハハハッ!ハハハハハハハハハハハッ!!」ジュウが血まみれの拳を握りこむ。
二人の逃げ込んだ横浜湾のレンガ倉庫がゴミ収集車に回収された空き缶の如く脆く握りつぶされる。屋根は醜くひしゃげ、幾つものレンガが圧縮の衝撃で拡散し、周囲に飛び散らかる。残るレンガがメキメキと奇怪な音を立て、内に潜む生き物を押し殺す。倉庫内の機器が爆発し、逃げ場所を無くした煙が内部に充満する。
軍艦の膨張は偽装。ジュウの本命はレンガ倉庫の圧縮にあった。

(俺の、最後の原稿――――……)

暗く染まる視界のなか、梶原は思考した。

(折笠ネル……あの野郎……折り紙にした俺の原稿……どこにやりやがった……)

*Ⅴ

<3年後>

「ウワーウワー終わった!終わったーっ!ウワーハハ」
明かりの灯る大阪の市街地で、狂ったように踊り叫ぶ少年がいた。
「ぼくは生きてるぞ!生きのびたんだーっウワー!ウワー!」

少年は振り返り、共にここまでやってきた少女、京子に言った。
「マンガをかくぞっ!ぼくは…これからだれにもえんりょせずにマンガをかいてやるぞっ!京子ちゃんっ!きみもオペラ歌手に……」少年は押し黙る。
「……………………」少女は何も言わない。京子の顔は、空襲で半分が焼け、とてもオペラ歌手を目指せるような状態では無かった。少年が少女にしてやれる事は、何も無い。

重苦しい空気の中、二人は別れた。

戦争が終わった。これで思う存分マンガが描ける。にもかかわらず、少年の心は暗く沈んでいた。
少年はうつむき、空襲で焼けただれた大阪の郊外を歩く。そこで彼は、顔を上げた。
「…………虫だ」虫の群れのようなものが、木の根本に集まっていた。
少年はすかさずとびついた。だが、少年が捕まえたそれは、虫ではなかった。

「この蝶の折り紙……横浜の新聞で出来ている。まさか、ここまで飛ばされて来たってのか?」
少年は、他の虫達も捕まえては、開いて見る。
「こりゃオサムシじゃないか。こんなの僕くらいにしかわからないぞ」
そして、その原稿の中身を読んだ。「こ……これは……!」

少年の見たことも無いマンガが、そこには描かれていた。

ロング・ショット、ミドル・ショット、バスト・ショット、俯瞰、仰瞰、等瞰。映画で使われる独特なカメラワーク。変則的なコマ割り、コマの大きさの変化による圧縮、解放。
そして、大きな瞳の美少女。肉感的な動物。少年の如き口調の少女。少女の様な見た目の少年。それら全てが、少年の若く熱きリビドーを刺激する!「おおお!……おおおおおおおお……っ!」
少年は顔を赤らめ、怒りとも感激ともつかぬ叫び声を上げる。

「すごい……!まるで何十年も先の未来からやって来たみたいだ……僕は、このマンガを目指す、いや、違う……超える!超えなければならない!」
少年はやがて、マンガの神となり、『悪書追放運動』の戦いで、PTAの軍とペンを交える運命を辿る。
マンガの神にして魔人――手塚治虫、16の夏の夜の出来事である。

「みろよ……このコマなんて、人物の頭が枠線からはみ出てるじゃないか!」

*Ⅵ

「フッハハハハハハハ……ッ!」
赤い夕陽。海上で燃え盛る軍艦。港湾上でひしゃげたレンガ倉庫。狂ったように笑い続ける、17歳の少年。
「これがッ!PTAだ……!」
雲類鷲ジュウが血まみれの拳をさらに握りしめると、連動するように、レンガ倉庫が不快な音を立てる。

「俺こそが、真のPTAにふさわしいッ!」
全身を内圧操作によって強化した副作用か、PTAの狂気に取り憑かれた少年は、強く断言する。
「『演出家』と言っていたな……折笠ネル。どうだ、これが俺の演出だ……47人の白雪姫が舞う学芸会を生き延びた、俺のな――――漫画……折り紙、いいだろう、認めてやろうッ!この俺が気に入った物ならばッ!」

ジュウの拳がひしゃげた。ジュウの鼻を一筋の血が流れる。
まだだ、まだ足らぬ。目の前の巨大な倉庫を、限界まで圧縮する。
ついに、ジュウは地に膝をついた。黒い水蒸気が空中に線を描く。

「俺以外のPTAは……全て粗悪品の紛い物にすぎぬッ!俺より年上の人間は全て、俺がPTAとして君臨するまでの肥やしにすぎんッ!」
レンガ倉庫を支える内圧を全て消し去るべく。ジュウは立ち上がりながら、砕けた拳を握りしめる。
「全ての年下は!この俺が支配するッ!この俺こそがッ!奴らを導けるッ!この先、未来永劫ッ!俺以外の人間が!機械が!ガキ共を支配する事は!二度とあり得んッ!くたばれッ!――――PTAェッ!!」

その背に、ドスリ、と刃物が突き刺さる。

「あ……?」とっさに動いたジュウの頬に梶原の拳がめり込む。「――――ゴフォッ!?」
梶原の能力により大宇宙となった背景を、ジュウの身体が放物線を描き、地面に落ちる。「ゲホォァッ!!」

「動くなよ……狙いを外したじゃ、ねえか。……しかしアンタのその『タフさ』……興味は尽きねえ……が……ゆっくり訊いてる暇は……ねえだろうな」
梶原恵介が、頭から血を流し、その場に立っていた。
「決めようじゃねーか……ガキ共に夢与えんのは……PTAか……それとも、漫画家か……」

「ガッ……ハッ……テメ……ェ山本……ッ」地を舐めた顔を上げるジュウ。
「梶原だ、梶原恵介」梶原は、そこで初めてP.Nを名乗った。「感謝するぜ……雲類鷲ジュウ……!アンタのおかげで……辿りつけた、G線上の先へ……」アイザック=ネテロの如く、心で祈り、拳を作る。

「ハァ……ハァ……!」ジュウはうつ伏せのまま、背に手をやる。
ペーパーナイフに変化したGペンが、骨の半ばまで到達していた。

梶原が言う。「漫画のコマの大きさは、圧縮、解放によるメリハリが基本……。ギャグ漫画でよくある演出だ……コマが小さくなり、枠線がキャラを押しつぶそうとするギャグってのはな……。そして――――」

梶原は右手を広げた。ジュウに破裂させられた左腕は動かない。

「秘技『枠線超え』―――登場人物が……枠線を飛び越えて、次のコマへ進む。視点を、『平面』から『立体』へと移す事で、初めて成し得る禁じ手。ギャグ漫画にしかできねェ……メタな手法。……会得、したぜ…………これが、俺の『G線上ヘブンズドア・ACT2』――――!」
もはや誰も、彼の肉体を押しつぶす事はできない。彼は『枠線を超える』事で、レンガの圧壊から逃れていた。

「平面から……立体へ……枠線の、飛び越え、か……」ジュウの指先は爆ぜ、腹はひしゃげ、顔はゆがみ、背中からはドクドクと血が流れる。彼は立ち上がろうとして、かろうじて膝立ちになった。「くそッ……」

「……ハアアアアァァァァ――――ッ!!」梶原の髪が黄金色に光輝き、金のオーラが炎の様に周囲に展開する。
「覚悟しな!雲類鷲ジュウッ!」背景に現れたビジョンは山の如き大猿。
拳を突き出し、特攻の姿勢をとる。その構えは、敵のどてっ腹に風穴を空ける最必殺奥義『龍拳』!!
「つけさせてもらうぜ……決着をなァ――――ッ!」金のオーラが彼の拳に集中した。

突如。パパパッ、と散弾めいた衝撃音が鳴り響く。

「がッ……!?」
梶原の胴を、いくつもの小さな穴が貫いた。
前方によろめき、血しぶきが辺りに散乱する。
「……はッ」何が起きたのかわからず、梶原はジュウを見た。

「『平面』から『立体』へ……アンタ、そう言ったな……梶原」
片膝をついた雲類鷲ジュウが、弱々しく、握りこぶしを開く。「ハァ……イイ概念だぜ……思い返してみりゃあ、初めからこの戦いは、『それ』がテーマだった…………。初めから『それ』が鍵を握っていたんだ……『平面』と『立体』という『概念』。……魔人同士の戦いは、概念のぶつかり合いだ。あえて馬鹿見てェに断言するならば…………魔人同士の戦いじゃあ、『概念』を征した者がッ!その戦いを征すって事だッ!!」

「……ッ……これ……は」梶原が周囲を見渡す。海上の軍艦に目をやった。
軍艦はなおも、激しく燃え上がり、一向に沈む気配が無い。「ヤツ……の……!」レンガ倉庫を見やる。

両者の周囲に、無数の『折り鶴』が展開していた。

色とりどりの折り鶴が、梶原の首を、腹を手を腕を脇を胸を脚を足首を血に染める。
ジュウの圧力操作によって圧縮され、『紙』へと戻されていた折笠ネルの折り鶴が――ジュウの能力によって息を吹き返し、再び平面から『立体』となったそれらが、宙へと舞い上がり、二人の男を狙い撃つ。
「折笠ネルは生きている……梶原恵介、テメーのおかげだ」ジュウが言う。
ジュウ自身に迫る折り鶴は、取り付けられたメーターによって彼に接触する前に再び紙へと戻される。
「テメーが俺を刺してくれたから!『圧縮』が折笠ネルを殺しきる前に中断された!……折笠ネルはまだ生きているッ!アイツはまだ!能力を解除しちゃいねえッ!」

*Ⅶ

「まいったね……」
圧壊したレンガ倉庫。瓦礫に挟まれ、身じろぎ一つできぬ姿勢で、折笠ネルはかろうじて一命を取り留めていた。わずかな幸運と、折り紙の保護。そして自らの進化した魔人能力を用い、自分自身を折り重ねる事で。
だが、不幸にも、密閉された空間に、爆発した電子機器の煙が充満する。
「外の様子はわからないけど、きっと、そろそろ……終幕か……。立ち会えないのは、残念で、正直かなりむかつくけれど……まあ……仕方がない……。漫画家の人には……クライマックスは……できるだけ、派手に、演出して欲しいものだね……、僕と同じ………………演出馬鹿としてさ…………」
彼女は彼女を取り囲む折り鶴の一つを抱く。

「やっぱり……欲しかったなあ…………………………党員仲間」

*Ⅷ

日は沈み、星ひとつ無い夜空。海上の船々の炎だけが、光源となって、港湾を照らす。
宙を飛来する折り鶴が、次々と、力を失い落下する。
船の炎も、力を失い、一回り小さく、大きさを変える。

「……ッ……ハァ……ハァ……」梶原は、片膝をつき、地を睨む。

「来い……よ」ジュウが立ち上がり、言った。彼にはもはや、軍艦やレンガ倉庫の様な大質量の物体を破裂させる体力は残っていない。「アンタが、俺を殺す前に……俺の拳が、アンタの肉体を……破裂させる」

「…………やってみな」梶原は、失ったGペンの代わりに、爆ぜた左腕から、右手で血を掬い取った。
(ベタで視界を塞ごうにも、この出血じゃあ、量は限られる。スピード線と、最後の一撃の為の演出……それで精一杯だ)梶原は右手の海に、闇夜に煌煌と輝く軍艦を見た。(だが……視界を塞ぐ方法なら……あるぜ)

ふいに、世界が漆黒に包まれる。

「――――ッ!」唯一の光源であった軍艦やタンカーの、『炎』が、一瞬にして消滅した。
その意味を、ジュウは理解する。「……ハハッ!……どうりでッ!」
船は、……初めから燃えてなどいなかった。「くたばれ、漫画家……」

始まりは戦闘の序盤、ジュウが軍艦の奪取を試みている間。
その成功を阻止すべく、折笠ネルと梶原恵介が、一時的な共闘を行った。
空中に描く幻影と違い、物体に描いた絵はすぐには色褪せない。
倉庫に積まれていた新聞紙をキャンバス代わりに絵を描き込み、
海上の船に貼り付け、創りだした、『幻影』――――今、それが消えた。

生み出された暗闇の中、梶原はジュウの姿をはっきりと捉える。
(『フチどり』を作ってやったぜ……てめーの輪郭によぉ……)
輪郭を形どる演出で、視覚的なアドバンテージを取る。
(くらえ――銀河の幻――――)梶原が足を踏み出す。オオオという描き文字が、文字通りの荘厳な風音を奏でる。星の見えない闇空に光の粒が描かれる。銀河の幻影。――――ギャラクティカ・ファントム!!

対するジュウが、握りしめていた拳を、開く。
「罅ぜろッ――――」
瞬間。パン、と乾いた破裂音。

「――――ッ……ガッ……」梶原の肉体に食い込んだ無数の折り鶴が全て、一瞬で破裂。
強靭な折り紙の破片が彼の体内を駆けめぐり、飛び散る鮮血が、銀河の明かりを反射する。
「…………」梶原は立ったまま、ゆっくりと傾いた。銀河の幻影が静かに消えてゆく。

「おう、死ぬ前に訊いてやる。梶原恵介」再び訪れる暗闇の中、ジュウは訊いた。「……何故逃げなかった?」
仮に梶原がその能力で枠線を飛び超え、逃げた所で、折り鶴の破裂からは逃れようも無い。ならば、最後の力を振り絞り攻勢を仕掛けるのは、間違ってはいない。……それでもあえて、ジュウは訊いた。

梶原は膝をつく。鮮血が、暗闇に線を描くように空中に尾を引いた。
「ッ……ハ……逃げ……る?ふざけるな……ここ一番の『クライマックス』は……『今』……だ」
言葉を発しながらも、彼の意識は次第に遠のいてゆく。
「…………わからねえか、お前には……『視えねえ』んだったな。
 逃げるべき場所なんて……俺には、無ェんだよ、…………どこにもな」

どさり、と音がして、梶原が倒れたのだとわかった。

「この…………画面一杯、……枠線の無え……『見開き』が、……お前には、……視えねえのかよ……っ。
 …………ハ、雲類鷲ジュウ、お前には、心底………………………………同情するぜ……」

船の炎がごう、と燃え上がった。一瞬、復活したかに見えた幻影は、わずかな時間、煌煌と輝いた後、すぐに掻き消えた。ジュウが暗闇に眼が慣れる前に、彼の肉体はその世界から消え去った。