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プロローグ


高く聳え立った木々の隙間に、びゅう、と風が吹き、さらさらと音を立てながら、幾つかの葉が宙を待った。立ち並ぶ木々は、所謂竹といわれる種類の物で、目を凝らすと、その葉は一つ一つが細く尖った、笹の葉であることが見て取れるだろう。 

竹達の間には一本の川が、せせらぎを湛えながら、ゆっくりと流れている。その一連の光景は、確かに音を奏でながらも、見るものに静けさを感じさせる、矛盾した美しさを持っていた。

そこに、場違いとも言える男が一人。軍隊などで見られる袖のないジャケットを身につけた、飢えた狼の如き、獰猛な面構えをした男である。かき上げられた短い髪が、その荒々しい気配をより一層濃い物にしている。

男の名はサンプル太郎。此度、迷宮時計により、別の世界から呼び寄せられた戦士の一人。彼が元の世界に戻るためには、ここに来ているもう一人の戦士を打ち倒さなくてはならない。それが迷宮時計の課したルールであり、彼はそれに従い、幾度となく闘いに勝利してきた。

彼は辺りを見回し、しばし耳を澄ませたかと思うと、竹林の奥の、ある一点を見つめたまま、その場でじっと動かなくなった。やがて、彼の視線の先から、一つの人影が 現れた。その人影は、女の形をしていた。彼はその人影に話しかけた。

「妙に気配を探るのが難しいと思ったが、なるほど、それが貴様の能力か……。水、水を操る魔人……。会えて嬉しいぞ真野海人。」距離が縮まり、影がはっきりとした形を帯びる。それは背の高い、長身の女だった。澄んだ、黒く、冷たい目が、サンプル太郎を見つめ返していた。 

真野海人と呼ばれた少女は何も言わず、滑る様な、奇妙な動きで距離をつめる。サンプル太郎の言葉通り、水を操るのが彼女の能力である。今は地面と足の間に水の層を作ることで、音を殺し、かつ、姿勢を保ったままの移動を可能にしている。

サンプル太郎が続ける。「……嬉しい限りだ、本当に。策 を巡らすタイプじゃない。其方から出向いてくれたんだからな。自信が有るんだ……誰が相手でも、正面から倒せる自信が……でなければこんなことはしない……嬉しい、嬉しいよ、お前のような奴が居てくれて……」

サンプル太郎の顔が歪み、鋭く光った犬歯が露になる。「お前のような奴を叩きのめして……地面に這い蹲らせるのが……!クックック……一番……。一番!楽しいんだからなぁああああ!」

サンプル太郎が吼え、地面を抉り飛ばしながら加速する。同時に、タイミングを合わせたかのように、真野海人の腕から何かが投擲される。投げナイフだ。魔人の膂力によって打ち出されたそれは、一般的な銃弾を超える速度でサンプル太郎に迫る。だが!

「鈍いぞ!『サンプル・パワーッ!』」投擲されたナイフは、サンプル太郎が展開した布によって、その全てが弾き落される!これがサンプル太郎の魔人能力、『サンプル・パワー』!彼は触れた物体の強度や威 力を最大限にまで引き出すことができる!それによってナイフを弾いたのだ!

しかし、この能力には弱点も存在する。彼の持つ生命エネルギーを物質に注ぎ込むため、発動中は身体能力が下がってしまうのだ。それを知ってか知らずか、間を置かず真野海人が仕掛ける!今度はナイフではなく、刀による一閃!

しかし!「鈍いと!」既に能力は解除されている!重金属パンチグローブ、フルメタルボンバーが刀を弾く!「言っとろうがぁあああ!」更に僅かに体制が崩れた所へ、右のストレート!熊をも一撃で絶命させる質量塊が、真野海人に襲い掛かる!

直撃すればいかな戦闘型魔人とはいえ戦闘不能は必死!だが、その拳は真野海人の顔を僅かに掠めるに 留まった。何故か?サンプル太郎の足元を見よ!その地面の一体がぬかるみ、黒く染まっている。『アクアシャッター!』真野海人の魔人能力!サンプルの攻撃は完璧ではなかったのだ!

「チィーッ!」サンプル太郎が体勢を立て直し追撃!真野は刀でフルメタルボンバーの攻撃を受け流す!否、それだけではない!新たな水がサンプル太郎の顔へ、まるで生き物のように襲い掛かる!肺へと進入し溺死を狙うつもりだ。サンプル太郎は回避せざるを得ない!

そこへ、畳み掛けるように真野海人が刀を振るう。サンプル太郎は再び回避……できない。足が水に取られ、一瞬動きが送れる。フルメタルボンバーで刀を弾く!視界が滲む。刀に付着した水が、眼球へと浸入したのだ。 「ヌウウウウ!」動きが一手遅れる。再び刀が振るわれる!

回避も防御も間に合わない!「『サンプル・パワーッ!』」サンプル太郎は咄嗟に能力を発動!ジャケットを強化!破壊されながらも、ジャケットは斬撃を吸収!サンプル太郎は吹き飛ばされながらも致命傷を回避!そこに再び真野海人が襲い掛かる!

水だ、水を操る能力、あれをどうにかしなければ!再び防戦に回りながら、サンプル太郎は思考する。力でも速さでも勝る自分が押されているのは、あの能力がそれを埋めているからだ。勝利のためには、あれを乗り越えなくてはならない。

これだけの優位を取りながら、真野はサンプル太郎を仕留め切れていない。そのことからも、体術面での差 がわかるだろう。あの女の強さは、能力と体術の高度な連携から来ている。それを崩せば、自分が勝つ。だが、どうやって?

水の妨害を受け、サンプル太郎の動きが再び鈍る。首への斬撃!かろうじでフルメタルボンバーが弾く!次は『サンプル・パワー』を使わせず、確実にしとめるつもりだ。「チッ……面倒くせぇーッ!」サンプル太郎が叫ぶ!

「深く考えるのは苦手だぜ……!シンプルだ!シンプルに……真っ直ぐ行ってぶっ飛ばす!」サンプル太郎の腕に、より一層力が篭る!だが気合だけで闘いを勝ち残ることなど、到底不可能!フルメタルボンバーの防御を掻い潜り、斬撃が迫る!

「カァーッ!」サンプル太郎が体を急激に仰け反らせた!刀は鼻 先を掠め通り過ぎていく。だが!続け様放たれた水がサンプル太郎に襲い掛かる!受ければ溺死!この体制から回避を試みれば、致命的な隙を曝す事になろう!

万事休す!絶体絶命と思われたその時!サンプル太郎の顔に浮かんでいたのは……絶望の表情ではかった。その顔に浮かんでいるのは、勝利へと向かう覚悟の表情だ!直後、サンプル太郎は!

「待ってたぜ!お前が直接水で攻撃してくる、この時をよぉ~!」飛び込んでいく!水の中に!自ら!瞬く間に水は気道を通って肺へ浸入する!だが、同時に!魔人最高クラスの身体能力を持つサンプル太郎渾身の頭突きもまた!繰り出される!

無論真野海人がこれを予想していなかったわけではない。彼女 は冷静に、冷淡に、サンプル太郎の攻撃を回避した。そして、サンプル太郎もまた、その行動を予想していた。彼は念じた。『サンプル・パワーッ!』

サンプル太郎は両拳のフルメタルボンバーを、克ち合せるように殴りつけた。フルメタルボンバーに仕込まれた、一度限りの爆薬が炸裂する。『サンプル・パワー』により強化されたその爆発は、サンプル太郎をまるで砲弾のように打ち出した。真野海人に向かって。

至近距離で撃たれた大砲の弾を、避けれる人間が居るだろうか?居るはずがない。魔人である真野海人も同様である。100kgを超える質量弾が、真野を直撃した。骨がひしゃげる音が辺りに響いた。

サンプル太郎が宙を飛び、竹に激突した後地 面に落ちた。『サンプル・パワー』で防具を強化していたとはいえ、彼のダメージも甚大だ。咳き込むと同時に、血が口から溢れ出た。だが、呼吸はできる。水はもう、動いていなかった。

「へっ……ぶっ飛ばしてやったぜ……宣言どおり、真っ直ぐ行ってな……」体中が痛む。目が霞む。体中ぼろぼろだ。だが、楽しい闘いだった。辺りには笹が舞う音と、川のせせらぎだけが残った。満足感を抱えながら、サンプル太郎は瞳を閉じようとした。胸から刃が生えていた。

「……」真野海人がそこに立っていた。片腕は千切れかけ、胴も大きく抉れている。片足からも骨が突き出ている。だが、彼女は確かに立っていた。刃が引き抜かれ、流れ出た血が地面を染めた。体を支配し ていた痛みが消えていく。致命傷であった。

死を感じながら、サンプル太郎が呟く。「……気配は、感じなかった……だが、そうか……最初の……。せせらぎに、紛れて……だが……」もう一度刃が振り下ろされた。その傷で動けるわけがない、というサンプル太郎の声は、終ぞ発せられることはなかった。

「ああ、この傷で動けるはずがない。いくら魔人とは言え……一人なら。」真野海人の懐から声が発せられた。男の声だった。敵は最初から二人居た。「私だけなら、負けていた。貴方は強かった。」真野海人の声を聞き、サンプル太郎は僅かに笑みを浮かべ、そのまま動かなくなった。

「う、ぐっ……くっ……!」呻き声を上げながら、真野が膝を付 いた。覚醒効果が消え、痛みが戻ってくる。酷い有様だ。これが迷宮時計の戦いでなければ、完全に共倒れである。

もしもパートナーの能力発動が、僅かでも遅かったなら。この痛みで意識を失っていただろう。そうでなくとも、間違いなく動けはしなかった。紙一重の勝利。サンプル太郎、恐るべき強敵であった。

だが、紙一重だろうと、他人の力を借りようと……「勝ったのは、私だ……!」真野海人は笑った。意識を飛ばされそうなほどの痛みに襲われながら、彼女は笑った。もたらされた勝利に、掴み取った勝利に。

サンプル太郎は優れた戦闘者だった。だが、真野海人を見誤っていた。彼女の強さは、能力でも、体術でもない。その勝利を目指して 歩みを止めぬ執念。そして、戦いを求め、楽しむ異常な精神性。それこそが彼女の武器であり……それは、サンプル太郎と同じ物であった。

一つ違いがあるとするなら、真野海人には、その感情が、あくまでも静かに流れていた、という点だろう。最後にサンプル太郎が微笑んだのは、二人に負けたという事実ではなく、その静かな流れから、自分と同じ物を見出せたからなのだろう。

戦いは終わった。真野海人は現実世界の、希望崎学園に戻ってきた。風も、水の音も、体の痛みも消え去り、代わりに、屋上を吹く風に乗って、生徒たちの話し声が遠くから聞こえてくる。しかし、この高揚感と満足感は、しばらく消えそうにはなかった。