プロローグ


雲類鷲ジュウの天才性は早期から発揮された。幼稚園の学芸会では、その頃からあったPTA会の圧力によりチューリップ組47人が白雪姫の役を演じる中、他を押しのけて最高の白雪姫を演じきった。彼は白雪姫だけでは飽きたらず同時並行で魔女と7人の小人役を演じ、生意気な王子役の男の子の唇を噛み切った。

超高圧力下ではほとんどの金属は超伝導体になる。これは科学的事実であるが、この法則を利用して、ジュウは9歳の頃に常温超伝導の実用化に成功した。この発明はのちの人工知能PTAの開発に大きく貢献してしまった為、彼の人生における最大のミスであると言われている。本人も後悔し自殺を試みたが、身体が頑丈すぎて死ねなかった。
なおこの発明に居合わせた科学者は驚いて心肺停止して死んだが、ジュウが生き返らせた。

ジュウの父親の名前は雲類鷲殻(うるわし・かく)という。
殻は生涯一度だけ10番目の息子と顔を合わせたことがある。息子に殺される時だ。
ジュウは生まれてすぐ、将来PTAを継ぐ者としてPTA帝王学を叩きこまれた。PTA帝王学とは、PTAの圧政下でいかに生き残り、PTAを牛耳るか。というサバイバル哲学である。

皮肉にも、そのおかげでジュウはPTA会長であった殻を10年間憎み続け、殺すまでに至った。
殻が生涯で息子について言及したのは白雪姫事件の時の一度きりで、その時の言葉は、「王子役もやれ」だった。

そんなジュウも人工知能PTAとその役員の圧力には逆らう事が出来なかった。これは彼が弱いというよりも、PTAが強すぎた為である。PTAの役員の一人は、1兆度の炎球を生み出せるパイロキネシスで、商店街で八百屋を営んでいた。PTAにはそんな普通の『おばさん』がゴロゴロ居た。

未来社会はPTAに支配されていた。
だがそれも、世界が『巻き戻る』以前の話である。


2034年。
まるでエッシャーの絵画のように。その世界は四次元的な不安定状態にあった。
巷では、北海道が各地に出現し、猟奇殺人鬼が夜道を闊歩し、世界の敵と闘う魔法少女が複数回目撃されたという。
世界としての『殻』を失い、並行世界との境を失ったこの世界では、『巻き戻し』直後に大規模な時空乱気流が発生。大人が子供となり、子供が大人となり、死者が復活し、生者が消滅した。時空は不自然に歪み、繋がり、矛盾が矛盾を解消する。

反乱分子メリー・ジョエルによる『未来改変』によって、この世界は終焉を遂げたはずであった。
それでもこの世界が未だ存続し続けているのは、彼の右腕に、マザーコンピューター『PTA』の欠片――迷宮時計の欠片が存在しているからであろうか……ジュウは無駄な思索を止め、後頭部に組んでいた手を解くと、椅子から立ち上がる。

「うんこうんこ!うんこうんこうんこうんこ!!」
「うああーーーああああーーーッジュウ!こいつが俺の端末を!壊した!壊したーあああッ!」
「ねえジュウ、お客さんが来てるよ」
「飯ーッ!腹が減った!飯ィィィ―――――――ッ!」
「うんこうんこ!うんこうんこうんこうんこうんこうんこ!!!」

「おいテメーら、ちょっとは静かにしろ」
「うんこうんこうんこうんこうんこうんこうんこ!!!」

「よしわかったぜ、まずはテメーからだ」
「うんこうんこうん……えッ!?」
ジュウは黒のメッシュの入った赤髪を掻き上げると、鼻を垂らした少年のフードを掴み上げる。
泣き叫ぶ少年を引きずり、ジュウは男子トイレへと消えた。

「………………………………」

総勢20名を超える少年少女達はそれを静かに見送った。つまり、この会議室で馬鹿のように騒いでいたのはごく一部で、ほとんどの子供らは大人しく、思い思いの仕事をしていたことになる。機械工作。読書。基地の整備。研究。ゲーム。カラテの稽古。
体育館ほどもある広い会議室に、機械の整備音や、カラテの稽古の声だけが鳴り響く。

「ううう……ううううっ」
「クソガキが、覚悟が足りねえよ。自分のうんこを突きつけられて、それでも言い続けられるなら、認めてやっても良かったんだ」
ジュウが少年をつまみ上げたまま個室から現れた。少年を投げ捨て、元いた椅子――かつては己の父親のものであった大仰な社長椅子にどかん、と腰掛ける。


『赤点です、学童』


機械音声がジュウの右腕から発された。
『学童への虐待行為は明確な反逆的非行行為に含まれます。あなたはととととととてもとても悪い子です。非行学童は直ちに強制労働収容所へ送り届けられる規則または銃殺刑となっておりりおり――』
「……よっ」
スコン!とジュウは右腕に装着されたスチームメーター(時計の欠片)をデスクに叩きつけた。
彼の所持する『時計の欠片』には、消滅したはずの人工知能『PTA』が残留している。小うるさい事この上ないが、ジュウは余り気にしない事にしていた。人工知能PTAの本体は拡散し、くたばった。問題は、未だPTAを名乗っている『PTA役員会』の方だ。

ジュウ達がビルを魔改造した基地を砦に、PTA役員会の干渉に反抗し続け、数ヶ月経つ。
この集団に正式な名称は無い。PTAによる呼称は『反PTA集団』。
自分こそが真のPTAであり、全ての年下の保護者であると自称するジュウは、時空乱気流に巻き込まれ子供になった者や、蘇った者。元から子供だった身寄りの無い者をかき集め、支配下に置いていた。
……いずれ、強制労働収容所にも殴りこみをかけなければいけない。
ジュウがそう考えていると、オレンジ髪の少女が彼に話しかけた。

「ちょっと、ジュウ、お客さんだよ」
美しい少女である。彼女もかつてはPTAの役員として、1兆度の火炎球でジュウを苦しめたパイロキネシスおばさんであった。
『異世界』となったこの世界の『時空乱気流』に巻き込まれ、能力が弱体化し、今ではうら若き14歳の乙女となった彼女は、PTAを寝返り、ジュウの支配する『ウルワシ製薬』ビルに住み着いていた。

「客?どこにいる、基地の玄関か?」

「あー、客は外かな。入れてないよ、『PTAの使い』だもん」

ジュウはハッ!と笑った。
「あのなぁお前、そりゃあ、客とはいわねえよ…………」
彼はデスクの上に組んでいた足を解くと、先程の少年を見てにやりと笑った。「うんこだ」


ジュウが基地の外に出ると、玄関の彼めがけ、銃弾が雨の様に降り注いだ。
銃撃は数十秒間続く。頑丈なウルワシ製薬の社屋はびくともしない。
立ち込める灰色の煙の中、銃撃が止み、現れたのはマグマのように隆起したコンクリートの地面である。
ジュウの魔人能力によって内圧を高められ、一瞬で『膨張』した地面は、銃撃から彼の肉体を守りぬいた。

「特科部隊、撃てェッ!」敵が叫ぶ。

彼の能力でバズーカや大砲を防ぐ事は困難である。
「……ちっ」ジュウは地面を破裂させ、加速――回避。
彼の踏みしめるコンクリートの地面や壁が一瞬で膨らみ、爆ぜ、銃声に似た音を響かせる。
ジュウは荒廃した街を獣のごとく駆け、跳び、廃ビルの屋上に陣取った。

(いきなり大層な歓迎だな……)

移動しながらも敵を観察する。
全て大人の男である。つまり、下っ端。大した装備も与えられていない、PTAの末端戦闘員だ。
PTAの『おばさん』が来ないということは、敵はまだ本気では無いということ。
何故か?――世界が終わりそうだからである。

この世界は、本来あってはならない世界。遠い地球の裏側ではブラジルが国ごと『無』に呑み込まれ消えたという。時計の欠片が少量あった所で、世界が無に還るのも、時間の問題であった。
時計の欠片を集めれば、きっと世界の崩壊は止められる。ジュウはそう考えていた。彼には保護者としての責任があった。そして立場は違えど、PTAも世界の終わりへの対応に追われており、反PTAを処刑するどころでは無いという事か。

(いや……まてよ。大人だけじゃねえ)
ジュウは首に下げたスチーム・ゴーグルを覗きこむ。
(いるじゃねえか、ガキが……)
武装した黒髪の少年。この世の一切を呪うかの様な死んだ瞳。中学生であろうか。幼い顔立ちをしている。大人達の集団の最後尾に、その少年はいた。


(面倒な事になった……)

黒髪の少年はため息をつく。
PTAに支配されたこの世界では、PTAに逆らう事は許されない。あらゆる娯楽は没収され、シャープペンシルは禁止される。完全なる秩序。それがPTAの理想社会。マザーコンピューターPTAを失った今でも、PTA役員会の力は健在であった。
彼はその昔、この近辺に住んでいた記憶がある。記憶と言っても、それは『巻き戻し』以前のかすかな記憶。彼は『時空乱気流』によって記憶を失くし、PTAに拾われた孤児だった。
地理に詳しいという理由だけで討伐隊に編入させられた彼は、できるだけあの赤毛のチンピラと眼を合わせないよう、努力していた。

それだと言うのに。
(……最悪だ)
視界が黒い蒸気に覆われたかと思うと、彼の身体は雲類鷲ジュウにさらわれていた。
めまぐるしく移り変わる景色。灰色の空とコンクリートが交互に入れ替わる。禿鷹にさらわれた鼠というのも、こういう気分なのだろうな。と客観的に考える。

「……っ、おい、離せよ」
やっとチンピラの動きが落ち着いた所で、少年は手にしていた生体認証銃をチンピラに突きつける。彼は臆病者では無かった。むしろ、自分の生命を守る為なら何でもする。そういう少年であった。「……死ね」
間髪入れず、連続し鳴り響く発砲音。

ジュウのジャケットに仕込まれていた鉄製下敷きがエアバックのごとく急膨張し、銃弾を防ぐも、一つは彼の手首に命中した。「……ああッ、痛ッてえ!……ったく、血が出たじゃねーか」

(……何だ、コイツの耐久力は)少年は目を見張る。ジュウの肉体には無数の銃創の跡があった。
(これだけの銃弾を受けて、どうして生きていられるんだ……!?)

ジュウの肉体は攻撃力こそ大した物では無いが、耐久力は並みの魔人の比では無い。
彼の父親は『ウルワシ製薬』を一代で築き上げた雲類鷲殻である。殻の子供達は全て、公に流通する事のない魔人薬品の実験台とされていた。
苦痛の伴う、肉体の耐久力の上昇。肉体の分離。性別の無性化。植物化、コミュ力の変質……。
他の兄弟の例に漏れず、ジュウの精神の奥底には父親に対する強い憎悪が刻まれた。運の良い事に、末っ子のジュウに施されたのは耐久力の強化実験のみである。父親を殺せたのも、その背負った『業』の『軽さ』ゆえであろう。

ジュウは少年を地面に下ろすと、言った。
「まあ、そう怖がるな少年。死なせはしねーって。俺は、年下には、甘いんだ……オラァッ!」ジュウが拳を振り上げる。
「ゲホッ!……て……めえ」少年が悲鳴をあげる。
「く!た!ばッ!……れェ――ッ!!」
「ゲホッ!ゲホッ!ゲホッ!……ゲホォ――ッ!」
理不尽な暴力!ジュウは何度も、少年の胸元を殴りつけた。

「『――くたばれッ!P・T・Aッ!』」

ジュウが能力名を叫ぶと、少年の胸元に、時計のような『圧力メーター』が生成された。
「何だ……こりゃあ」
メータに触れようとするも、触れない。メーターからは黒い蒸気がもうもうと排出されている。
「テメー、魔人か。丁度いい」

少年の表皮が白い甲羅で覆われる。「な……!?」彼の魔人能力は本来、爪先を白く強化するだけの弱能力であった。それが、ジュウの『精神解放』によって、全身の防御力を向上させる能力として生まれ変わったのだ。

「――余計な意識は『排出』される。プライドや、くだらねェ規則、プレッシャー……クソみたいなテメーの『PTA』を意識から消し去る。その解放感が、テメーの能力を『ACT2』へと進化させたッ!」

「う……ぐ……」少年が胸を抑え、荒い息を吐き出す。
(どう……したんだ……、身体が熱い……!)
「ハァーッ……ハァーッハァーッ!」

「内圧だ」ジュウが言う。「俺の能力は内圧の『概念』そのものを操作する。空気を送り込むわけじゃあ無い……だから、こんな事もできるのさ」
「ハァーッ!ハァーッハァーッ!ハァーッ!あ……熱いッ!」
「熱いだろう……生きてるって感じがするだろうッ!それはな!生命活動の熱だ!……俺がテメーの心臓に『メーター』を取り付けた。心臓の内圧を操作し。鼓動を早めている。……言っている意味がわかるか?今のテメーを、生かすも殺すも、『俺次第』ってわけだ」
「ハァーッ!ハァーッ!」
「さあ、人質は解放だ。あとは少年の好きにし……なッ」ジュウが少年の背中をドン、と蹴る。
「う……ッ!」少年はよろり、とよろめくと、手に握りしめた銃をじっと見つめた。
「ううう……うウ……」うめき、胸元を抑えながら、彼は熱のこみ上げる身体をおして、パイプの露出した路地裏を駆け抜ける。「ううううううううううッ!」少年は、PTAの大人達の前に姿を現した。彼らは少年が無事なのを見届けると、中には手を振る者もおり――――


「ウオオッ!ウオオオオオオ――――――ッ!」少年は仲間に向け銃を乱射した。
「うあああああっうああああああああ――――ッ!?」


「フハハハハハハハッ!ハ!ハ!ハッ!上玉だッ!こいつは上玉だぞッ!ハハハハハハッ!」邪悪な笑みを浮かべ、ジュウが笑う。
「うあああああッアガッアガガッ――――ッ!?」突然の仲間の銃撃を受け、大人達は錯乱。
「きっ、貴様――ッ!」RATATATATATA!!必死の反撃も、少年の強化された魔人能力によって防がれる。

少年は瞬く間に数十人の大人を撃ち殺した。
「ハァ……!ハァーッ!はは……ははは!これは俺が!生き残る為だ!何も悪くないぜ……!アンタら大人が!PTAなんかにヘコヘコしているからいけないんだ!俺は!俺が幸せになる為だったら!何だってしてやるッ!」
「ウ、ル、ワ、シィィィッ!」全身血まみれの大人が、立ち上がり、電子バズーカ砲で少年を砲撃。

少年の身体が爆炎に包まれた。

「あ……ぐ……」少年は眼を開ける。
彼の銃が、胸元のボタンが、いつの間にか仕込まれていた消しゴムが、瞬間的に膨張し、衝撃を和らげていた。
「言っただろう」ジュウがバサリと黒いジャケットを翻し、目の前に着地。「死なせねーってな」彼が無造作に足元の死体を蹴ると、死体の頭部がパン、と破裂。それはまるで、ドクン、ドクンと生きているかのように脈打ち始めたかと思いきや、首の先から猛烈な勢いで血を噴射した。
死者の尊厳などお構い無し。内圧操作による死体のポンプ化!死んだ人間ならば、ジュウは制約無しに内圧操作が可能である。
「ハハハハハッ!くらいなッ!血のウォターカッターだッ!……あ?」
だが、血のカッターは当たらない。ジュウの最大の欠点は、壊滅的に射的が苦手な事であった。
「……だったら!」振り回せば良い!「うおらアアアアァ――――ッ!」ジュウは死体を持ち上げ、少年に当たらないようにだけ注意しながら、振り回した。
「うあああああッアガッアガガッ――――ッ!?」
この行動は威圧として充分であった。大人達の統率は乱れ、逃げ惑う。こうなってしまえば、後はジュウによるフォローと、少年の銃撃だけで事は足りた。

『花マルをあげましょう、学童』
ジュウ達が大人達をあらかた排除してから、彼の右腕のPTAが言った。『未成年の保護はPTAの義務です』

「いらねえよ!ハハッ!」

『要らないと言うのですか?』
PTAはいささか不満そうな反応を示した。『私の花マルですよ……?』


「こいつが、今日から俺達の新しい仲間になるガキだ」
ウルワシ製薬の基地。いつもの大会議室に集められた子供達の数は総勢47名。
いつものように、ジュウが新しく拾った少年を、彼らに紹介する。
「…………」黒髪の死んだ眼の少年は、この世の全てに対する失望と憎悪の入り混じった視線をジュウに向け、次に子供達へと向けた。

「えっと、名前訊いてなかったな、名を名乗れ」
「雲類鷲殻だ」少年が答えた。
「だそうだ、テメーら、仲良くしろよ。喧嘩すんじゃねーぞ」

「ちょっと待ってよ」オレンジ髪の少女が言う。「どうしてジュウと同じ名字なわけ?ていうか、私のおぼろげな記憶だと…………その名前って――――」
「ああ、俺が殺した俺の親父だ。大方、時空乱気流の影響で異世界から漂流して来たんだろ。……それが何か問題あるのか?……おい、殻。テメー、何か問題あるか?」ジュウが少年に訊く。
「知るかよ」少年は不機嫌な顔を崩さずに、ジュウの顔を見て、言った。「無ぇだろ、別に」


恐るべき武装青少年集団の呼称が『ウルワシ兄弟』と改められ、PTA役員会にそう呼ばれるようになったのは、
彼らの名が、世界の終わりの恐怖に晒される隣の大陸にまで轟き始めた頃であった。



最終更新:2014年12月07日 18:37