準決勝戦SS・孤島その2


◆目次
・時系列3.やさしい幼馴染みのお姉さんだよ
・時系列2.蛇が滑り進むように
・時系列4.逡巡の五秒先へ
・時系列5.神の島
・時系列1.眞雪
・時系列6.その顔が見たかった
・時系列7.夕暮れ



◆時系列3.やさしい幼馴染みのお姉さんだよ

 美弥子の匂いのするベッド。美弥子の服でいっぱいのタンス。美弥子を照らす光が差し込む窓。
 細部の細部まで思い出せるくらいに見慣れた美弥子の部屋に、しかし見慣れぬ女がいた。
「美弥子……その女(ヒト)……誰なの……?」
 そう口にした麗華の事を、女は驚きの目で見ている。少女二人が突然ワープして来たから当然だろう。
 でもそんな事は関係ない。なんだこの女は。誰の許可を得て美弥子の部屋に足を踏み入れている。
「ああもう……」
 思わずこめかみを押さえる美弥子に、女は尋ねた。
「……この子たちは?」
「友達。麗華とシェルロッタって言うの。ええと、どこから説明すれば良いか……」
「みやタン、そのお姉さんはどんな方で?」
 シェルロッタがいつも通りのマイペースで問いかけると、美弥子は困り顔で答える。
「この人は、おさなお姉ちゃん。私の幼馴染みで……次の対戦相手だよ」


「びっくりしちゃった。まさか美弥子ちゃんがこの戦いに参加してるなんて」
 改めて互いに自己紹介を終えると、おさなはリラックスした様子でクッションに座り込んだ。
 いつも眞雪が使っていたクッションだ。麗華は不服だった。
「つまりはー」
 シェルロッタが状況をまとめる。
「このおさなおねいさんがみやタンの幼馴染みで対戦相手なのですので?」
「うん。えと、二人と仲良くなったのは、小学校三年の時だよね」
「れいかは……もっと前から美弥子の事を見てたの……」
「眞雪と一緒じゃイヤでも目立つもんね……ともかく二人は、お姉ちゃんの事知らないのは当然だよ」
「私が進学で転校する事になったのは五年も前だしね。美弥子ちゃんも眞雪ちゃんもこーんなちっちゃくて」
「そんなに小さくないよ! 小人じゃないんだからッ!」
 水平にした手で30センチくらいの高さを作るおさなに、ツッコミを入れる美弥子。麗華の頬が膨らむ。
「まあ、色々あって私も迷宮時計を手に入れちゃって……美弥子ちゃんの名前が時計に出てきたからね。
 電車乗り継いて、急いでここまで来たの。学校とかあったから、対戦時間ギリギリになっちゃったけど」
 二人の時計に対戦相手の名前が表示されたのは前日17時半。対戦開始時間まで既に三十分を切っていた。
 麗華とシェルロッタがここまで遅れたのは、二人とも美弥子の使えそうな武器を探していたからであり、
事実二人は何やら重量感のあるリュックを用意していた。
 シェルロッタを持ち物として持ち込む方法は、今回は却下だった。一度使ってしまった以上美弥子が
意識する可能性はきわめて高いし、もしそうなれば美弥子は丸腰である。
「ほー。それはお疲れ様でありまするした」
「ありがとう。えっと……なんて呼べば良いかしら。あだ名とか、ない?」
「……タロマル」
「タロマル?」
「シェルロッタ・ロマル……だからタロマルなんだって」
 美弥子が解説すると、おさなはくすりと笑う。
「なんだか可愛いね。じゃあ、私もそう呼んで良いかな。タロマルちゃん?」
「良いのですかも」
「れいちゃんも、教えてくれてありがとう」
「つーん」
「それ口で言う事じゃないから! ……ともかく、さ。どうすれば良いかを二人で話してたんだ」
「そう。……二人からも話してくれないかな。美弥子ちゃんが戦いを止めるように」
 おさながそう言うと、麗華とシェルロッタはぱちりと瞬き、美弥子は困ったような表情を浮かべる。
「戦いを、とめる……?」
「止めたくても止められない物ではないのでしたが?」
 迷宮時計の機能・法則については、三人でとっぷりと話し合った事もある。飯田カオルという女議員が
打ち上げた救済策も、彼女が爆散して謎のデブと化すという悲劇により立ち消えだ。おさなも頷く。
「確かに、普通はそう。私だって逃げられない。私も、生き残るためにこれまで何人も……」
「おさなお姉ちゃん……」
 目を伏せるおさなを見て気遣わしげに手を握る美弥子。ありがとう、と微笑しておさなは手を握り返す。
麗華の眉根にシワが寄った。
「……それでも、美弥子ちゃんだけは違うの。
 美弥子ちゃんなら、戦闘空間にワープした瞬間、その事に対してツッコミをすれば、きっと」
「ワープした事をなかった事にして、帰れるかもしれない、って言うんだけど」
 麗華は顔を上げた。シェルロッタも、ほう、と分かったような分からなかったような声を上げた。
 そう。撫津美弥子は迷宮時計を手にしながら迷宮時計の戦いから自ら脱し得る、数少ない存在なのだ。
少なくともおさなはそう説いた。美弥子の願いは引き継ぐから、転移打ち消しによる元の世界への帰還で
『戦闘領域からの離脱』という敗北条件を満たし、敗北して欲しいと。
 そうすれば彼女は傷ひとつなく、迷宮時計を手放して元の世界に帰還できる。
 名案だ。麗華はそう感じた。だが、こうも感じた。
(……気に入らないの)
 この感覚は言わば、いちゃもん付けのようなものだ。美弥子をガサツな眞雪のみならずポッと出てきた
昔の幼馴染みの女子高生ババアなぞに取られているという事実が気に入らなかった。だから、何かケチを
付ける所がないかという粗捜し思考に至ったのだ。
「どうでしょうかな、れいタン。あたしはよくわかんないのですが、みやタンが無事ならそれはそれで。
 今まで戦ったヒトやまゆタンを助けるのもこの人にお任せするというのを考えても」
「……気に入らないの」
「え」
 今度は口に出して言った。きっと鋭い視線を、おさなへと向ける。
「大体、信用できないの……そんな事言って、人のよい美弥子を騙そうとしてるんじゃないの……?」
「ちょ、ちょっと麗華! 何よいきなり。おさなお姉ちゃんは私の」
「それだって初めて聞いたの……! れいかの美弥子に、そんな、綺麗な幼馴染みさんがいるなんて、今まで
全然聞いた事もなかったの……」
「あ、それはあたしも同じですが」
「それは、そうだけど」
 話している内に、麗華の思考は加速する。そうだ。おかしい。おかしい!
「れいかたちは……四人でたくさん、いろんな事をおしゃべりしたの……本当にいろいろなお話をしたの……
 一年の時、美弥子が男子につきまとわれて……眞雪がそいつのズボンを脱がした時に見た、おっ、オシリの
ホクロの数だって知ってるの……」
 哀れな男子だ。
「それなのに……今までちっともあなたの話、聞いた事ないの……何か変なの……!」
「それ、は」
 麗華の言葉を聞いて、美弥子は当惑した表情をしていた。確かにそうだ。魔人という共通点を持つ者同士、
四人は様々な事を話してきた。麗華がよくせがむので、美弥子の事は特に眞雪の口から語られた。それなのに
眞雪と美弥子の共通の幼馴染みであるお姉ちゃんの事を、話していないというのは?
 おさなの様子を盗み見る美弥子。険しい表情を浮かべている。麗華は続ける。
「そもそもっ……もし本当に幼馴染みなら……昨日の時点でれいか達にその事を、話してるはずなの……
 だけど昨日は結局、お電話で、次がきまったって言って、それだけで……」
 最初はいちゃもん付けだった。だが今、麗華の中には確信があった。この女はおかしい。何かある。
「麗華……でも、おさなお姉ちゃんは確かに」
「これからいくつか……質問をするの。美弥子の幼馴染みだって言うなら……簡単な質問なの」
「……いいわよ。それで信用してもらえるならね」
 こうして、美弥子に関するカルトクイズが始まった――とはいえ、麗華は加減が分からない。簡単なクイズは
さらりと答えられ、難しいクイズ(たとえば美弥子のお気に入りのパンツの色とか)は、美弥子に『そんなの
答えられる訳ないでしょっていうか何でそんな事知ってるのよッ!』となかったことにされてしまう。
 だが、質問が進むにつれ、美弥子の中に違和感が生じ始める。
「美弥子の好きな果物は……」
「ブドウ。でしょ?」
「まゆタンは皮むくのがめどいと言ってみやタンに給食のブドウをよく押し付けていました」
 なんだか
「……好きな色」
「青」
「れいタンのぱんつが青系ばっかりなのはその辺りに理由がありそうであるですか」
 これは
「す……すっ、す、好きなお、おぉ、お男のタイプ……」
「質問しながら勝手に泣きそうにならないでよ……一緒にいると落ち着けるタイプの人。年上趣味よね」
「われわれにないものです」
 最近の情報ばっかりなような……?
「う、う……ん?」
 万策尽きたという様相の麗華は、縋るように美弥子を見る。だが、当の美弥子は何やら考えこんでいるよう
だった。おさなもそれに気付き、慌てて声をかけた。
「ねえ、美弥子ちゃん。間違ってなかったでしょ? 実は弥生さんともちょっとお話して」
「お母さん?」
「うん、そう」
「なら、その時にいろいろ聞き出したに違いないの……!」
「そりゃ、話はしたけど、でも別に、聞き出したって訳じゃあ」
「それならさ、お姉ちゃん」
 美弥子が口を開く。疑ってごめんなさい、と心の中で言いながらも、疑いを確かに胸にして。
「私が子供の頃好きだった物とか……分かる、よね?」
「子供の頃」
「うん、そう。果物の、だよ。子供の頃ものすごく好きな物があって、今もまあ、嫌いじゃないんだけど、
どんな状態でもそれ食べるとすぐ機嫌直してたから昔は常備してたって、お母さんが」
「まったく単純なお子様でしたなのですな」
「そんな美弥子も……可愛いの……」
 当然、分かるはずだ。美弥子とおさなは五歳差。美弥子が幼稚園児ならおさなは小学生。それくらい
ちゃんと覚えているはず。子供の頃の美弥子を知っている人なら、必ず答えられるはず。
 だが、おさなは押し黙る。推移を見守る二人の前で、美弥子は
「……もう良いよ」
 目を伏せって首を振った。おさなは慌てて取り繕う。
「ちょ、っと待って! 今思い出してる所だから。どの果物だったかなって」
「違うよ」
 その言葉を強い口調で遮った。美弥子は答えを口にする。
「私、子供の頃は繊維が苦手で果物全部キライだった。好きだったのは果物のグミ。知らないはず、ないよ!」
 ――馴染おさなの能力は破局し、全ての記憶が枯れてゆく。



◆時系列2.蛇が滑り進むように

 撫津美弥子、及びその周辺の人間関係を調べさせ終えたおさなは――ある理由により、今回の情報収集は本当に
迅速に終了したのだ――すぐに彼女の住む町へと向かった。少し大人っぽいワンピースにカーディガンを羽織り
薄めだが化粧もする。若々しい三十代くらいには見えるかな?
「……あれ? もしかして弥生じゃない?」
「え?」
 最初に標的にしたのは美弥子の母、撫津弥生。買い物帰りの彼女を幼馴染みとしてから、調べておいた情報に
基づいて距離を詰めて、信頼を得る。学校に登校せず引きこもっている娘の事が心配だ、可哀想だし無理は
させたくないが、このままでは今後が心配だ――そんな愚痴を引き出せれば儲けもの。
「私、実は小学生向けのカウンセラーとかやってるの。実はさっきも美弥子ちゃんの学校に寄ってたんだ。
 もしかしたら力になれるかも。本当はやっちゃいけないんだけど……弥生の事、放って置けないし」
「私のこと?」
「気付いてないの? 弥生、すごく疲れた顔してる。……そんなんじゃ美弥子ちゃんにも気づかれちゃうかも」
 これが決め手だった。ひとまず話を聞くためという名目で撫津家に入り込んだ後は、今後美弥子と幼馴染みに
なるための情報を引き出した後、飲み物にこっそり睡眠薬を仕込んで、弥生を眠らせる。
 洗面台を拝借して化粧を落とし、顔だけでも美弥子の年齢に近付き、
「美弥子ちゃん!」
 名前を呼ぶ。これで美弥子が幼馴染みだ。これで行程の九割は完了した。
 馴染おさなは悪人ではあるが狂人ではない。迷宮時計を巡る戦いの中で使い捨てる幼馴染みの数も増えて
きた現状、いらぬ波風は立てるのは避けたかった。戦闘空間への転移現象を美弥子にツッコませ、それを
打ち消せば、美弥子は敗北し、おさなは勝利する。その後は適当に誰か幼馴染みにしてしまえば、美弥子や
弥生の中でおさなの存在は白昼夢となり、禍根なく去る事ができる。
 ――シェルロッタと麗華が乱入してきた時も、おさなは冷静に立ちまわった。彼女らの事も把握済みだ。
二人の名前を呼ばないようにしつつ、美弥子を盾にこの場をやり過ごせるように。時間まで美弥子の信用を
維持すれば勝ち。こちらに有利な勝負。
 そのはずだったのだが。



◆時系列4.逡巡の五秒先へ

 本当に、あっという間だった。麗華が美弥子の腕を掴んでどこかへワープしてしまうのは。
 二人がいた空間を見つめて目を閉じ、長い溜息をつくおさな。シェルロッタはぼんやりと言う。
「置いて行かれてしまいましたですが」
「急いでたんじゃないかしら。あの子、美弥子ちゃんスキスキだったし」
「困りますなー」
 危機感のないシェルロッタをわざわざどうするつもりもない。おさなはベッドに頬杖をつく。
「……きっと」
「はい」
「一生後悔するわよ」
「それはまゆタンがおなくなりした時すませましたので」
「ヤな子供」
 おさなは少し笑って、そのままふいと消えた。


「麗、んぐむっ」
 赤い夕陽が差し込む麗華の部屋。その中心に位置する天蓋付きベッドに、麗華は美弥子を押し倒した。
美弥子の唇は塞がれている。ツッコミによる巻き戻しを防ぐためだ。
 静かな時間が数秒続き、美弥子の唇が解放される。
「ぷはっ……ちょっと麗華!」
「だって、あんな危ない所に美弥子をいさせられないし……突っ込まれたくなかったの」
「シェルロッタ! シェルロッタ忘れてる!」
「ほら、やっぱり。……タロマルなら自分でどうにかするの。それより、こっちの方が大事なの」
 そう言ってよいしょとベッドに持ち上げたのは、重量感のあるリュックだ。シェルロッタと麗華はそもそも、
これを渡すために美弥子の部屋へ飛んできたのだ。
「ありがとう。中身は……何これ。ビン?」
「割れると火が点くのとか……すごく眩しく光るのとか……パソコンで調べて、学校の理科室で作ったの」
「ああ、だから昨日の授業の時理科室の中ジロジロ見てたんだ……あんまり危ない事しないでよ。
 で、この下に入ってるのは……ネット? これは――」
 ……荷物を検分する美弥子の横顔を、麗華はじっと見つめる。
『危ない事しないでよ』
 多分、美弥子は素で言ったんだろう。でも、これからもっと危ない目に遭いに行くのは美弥子だ。自分は
それを見送るしかできない。
 あの、馬脚を現した性悪幼馴染み詐欺女子高生ババアの言葉が思い出される。
『二人からも話してくれないかな。美弥子ちゃんが戦いを止めるように』
 美弥子は、戦いを放棄して生還する事ができる。その可能性があるのだという。先程はおさなの存在が
あまりにも許せなかったので聞く耳持たずだったが、冷静に考えればそれは、とんでもなく魅力的な提案では
ないのだろうか。
「……美弥子」
「何?」
 リュックの中身を確かめる美弥子の返事は空返事だった。当然の事なのに、麗華にはそれがひどく冷酷で、
強固な壁のように感じた。
 美弥子はもう、戦う事しか考えていない。いや、戦って、勝つ事をだ。
 勝って眞雪を取り戻す事を。そのために全力を出している。
(なら、れいかは……)
 それを応援すると決めた。
 支えると決めた。
 覚悟もした。
 ……それでも。
「やっぱり、やめられ、ないの……?」
 口にして、しまた。美弥子がきょとんとした顔をこちらへ向ける。
 麗華は美弥子が好きだ。特に好きなのは眞雪の隣で忙しそうでも楽しそうにしている美弥子だ。
 だからと言って、眞雪を生き返らせる事を目指して、美弥子を失ってしまったら。
「麗華」
「っ」
 美弥子はリュックを背負うと、両腕を麗華へと伸ばす。こわばる彼女の身体を、そっと抱きしめる。
「大丈夫」
「……」
「必ず勝って、戻ってくるよ」
「美弥、子」
「だから待ってて」
 その囁きを最後に
「美弥子……っ!」
 一人の少女が消えた。


 次の瞬間、美弥子は土の上にぺたんと座り込んでいた。空は青く、周りは緑、気温も高い。
『やっぱり、やめられ、ない……?』
 悲しげな麗華の言葉が耳に残っている。
『戦闘空間にワープした瞬間、その事に対してツッコミをすれば、きっと』
 おさなの言葉が脳裏をよぎる。
 ――逃げる事は、もうさんざんに考えた。何度も何度も考えた。そして、今なら逃げ出せるのかもしれない。
こんな異常事態に渾身のツッコミを入れれば、すぐさま元の世界へと帰還できる可能性はある。
 でも。
「やるって決めたんでしょ!!」
 大きな声で自分へ喝を入れ、逡巡への答えとした。たとえ馴染おさなが本物の幼馴染みだったとしても、
美弥子はきっと戦う事を選んだだろう。
「……あっ」
 少しして大声を出した事を後悔し、慌てて口を塞ぐ美弥子。そんな彼女に
「おい、誰だ!?」
 かけられる言葉があった。



◆時系列5.神の島

「その恰好。未来からの来たのか」
 索敵の最中に海岸で出くわした全裸の少女に流暢な日本語でそんな事を言われ、おさなの身体が強張る。
「み、未来? 何の事だかさっぱり……」
「現在は1946年。ここは大西洋の無人島だ。住民は私以外いない」
「…………」
 確固な口調と傲然たる態度に、おさなは改めて少女を観察した。年齢は13歳くらい。美弥子より少し年上か。
日本人風で凛とした顔立ちに、長い黒髪。全裸である事を除けば普通の少女に見える、が。
「まあ、出自など関係ない。ただの人間を見つけたのは久しぶりだ。しかもお前、処女だな」
「なっ」
 思わぬ指摘を受けて顔を赤くするおさな。落ち着け、平常心だ。拳銃を構える。平常心だ。
「なんだ、そんな粗末なモノを出して」
「冗談はよして。私には目的がある。命が惜しければ」
「ハン」
 向けられた銃口を見て、少女はせせら笑う。そんな物で何ができるのかと。
(……こんな訳の分からない所で足止めなんて)
 簡単に済ませる事こそできなかったものの、美弥子を仕留める事が容易いのは変わらない。近づいて、撃つ。
それで終わりだ。その前にまずこの少女を排除すれば良いだけ。
 引き金に指がかかる。少女は股間へ手を伸ばし、言った。
「プレローマ」
 その手が淫らに、蠢く。


「で、次の戦場がここになったって訳か」
「は、はい……」
 ひと通り状況説明を終えても、美弥子はまだ事態を飲み込めていなかった。腕組みをして頷く彼は、巨大な
毛筆と万年筆を背負った中年男性――美弥子の第二回戦の対戦相手、門司秀次その人である。ただし筋骨は
更に逞しくなり、ダンディな髭が蓄えられている。
 彼の話によれば、ここはどうやら美弥子の第二回戦の世界と地続きの世界であるらしい。あれから30年が
経過した世界に、迷宮時計は美弥子とおさなをいざなったのだ。
「……元気そうで何よりです」
 何を言ったものか考え込んだ末に出てきた無難な一言に、秀次は「おう」と軽く返した。
「魔人だしな。その気になりゃどこでだって生きていける。それより、これからどうするかだ。
 正直、美弥子ちゃんにとってはかなりマズい場所だぞ、ここは」
「えっ……?」
 美弥子の疑問符は、ここが美弥子にとってマズい場所である、という言葉から来た物、ではない。
「……協力してくれるんですか?」
「うん? あー……」
 その問いかけに、頭を掻いて少しバツが悪そうにする秀次。美弥子は続ける。
「だって、私は二人を」
「待て! 確かにそうだ。俺もナマ子もあの後この世界に取り残された。ああ、大変だったさ。
 でもま……もう随分昔の話だし、今更美弥子ちゃんをどうこうしようなんて思わねえ。少なくとも、俺は」
「そう、なんですか」
「ただし! 手助けはしない! ……っていうか、その余裕はないと思う」
「余裕、ないんですか?」
「ああ。実はこの島にさ、ナマ子のヤツもいるんだが……」


「んぎっひいいいいいい!!」
 銃声が響くと同時に、黒髪の少女は青空へと飛び上がった。自身への激烈な愛撫によって生まれる快楽痙攣を
利用して天高く舞い上がる、ビッチ回避術・トビウオの型である!
「はぁ!?」
 刹那の間に眼前で繰り広げられた無数の非常識現象に愕然としかけるおさなだが、撃つべき相手が健在である
事に変わりはない。青空の少女へ銃を連射。だが当たらない。そもそも動く物を銃撃するという事は非常に
難しく、おさなはちゃんとした訓練を受けている訳ではないのだ。
「フン……」
 愛撫痙攣で己の肉体を巧みに操り空中で態勢を整えた少女。軽く手を振るうと、辺りの空気がどよめいた。
「まずは少し……」
 手だけを覆うように展開されていた濃密気体状オナホールが新たな形を作り出す。長く、硬く、太く。
「大人しくしてもらおうかッ!」
 ナマ子の手中に生み出されたのは濃密気体状オナホールによって形成された不可視の槍――
 ――否、ディルドーである! 槍投げの要領で投擲されたソレは一直線におさなへ迫り、
「ングゲブハシャァァアッ!?」
 的中! 濃密気体オナホ整形投擲槍形態ディルドーに貫かれたおさなは全身からありとあらゆる体液を
噴き出しながら20メートルほど吹き飛び、海へと落ちた。もし陸に落ちていよう物なら、脱水症状により
即死していただろう。
「……生きているだろう? 加減したからな……」
 悠々とおさなの落下地点へ歩み寄り、彼女の襟首を掴んで引き揚げる。息を荒げながらビクビクと痙攣する
彼女だが、しかしその手には未だ拳銃が強く握られていた。少女は鼻で笑い、手を伸ばす。
「そんなモノに頼った所で私には勝てん」
 その艶めかしい指使いで、拳銃をつつと擦る。バンバンバンバン! 無軌道な銃声が辺りに響き渡った。
少女の愛撫によって拳銃は達し、装填されていた銃弾を全て吐き尽くしたのだ。無機物性交学に少しでも
触れた事のある方ならご存知だろうが、拳銃は概念的には男性器とほぼ同位の存在であり、ビッチとして
確かな実力を持つ者であれば、触れるだけで無力化する事ができる。

 ――もはや隠す必要もなかろう。
 この少女は二回戦で撫津美弥子や門司秀次と対戦したビッチ魔人、猟奇温泉ナマ子の30年後の姿である。
 戦いの終わり、美弥子とセックスがしたいという強固にして愛を伴う性衝動を得たナマ子。
 彼女が難破船から救われ、意識を取り戻した時抱いた感情は怒りだった。
 最もセックスしたい相手がもはやこの世界にいないという、忌むべき宿命への怒りだ。
 陸地に到着したナマ子は憂さ晴らしに秀次の童貞を奪い逃亡。ヤケクソ通り魔セックスにより多くの男を
絶頂死に追い込んだ。
 三ヶ月ほど経ち秀次にその凶行を止められ、地下牢に囚えられたナマ子は、ここに至って真面目に美弥子と
セックスする方法を考え始めた。考え抜いた末に得た結論は一つ。
『永劫のセックス概念となり、時空を超えるチャンスを待つ』
 ――その後、様々な試行錯誤を繰り返した末、ナマ子は大西洋に浮かぶこの無人島、セックス島に篭った。
己を純粋なるのセックス存在とするために敢えてセックスを、否、人間性そのものを放棄したのだ。もちろん
セックス島というのはナマ子の命名である。
 最初の十年は苦痛ばかりであった。時折様子を見に来る秀次には忌々しいながらも少しだけ感謝した。
 次の十年は変化の年だった。肉体の老化が止まり、飲食や排泄を必要としない身体になりつつあった。
魔人能力、プレローマも、範囲が下がる代わりに応用性が利くようになった。無差別性を放棄する事で、
セックスへの汎用性を高めていったのだ。
 苦難の日々を越えたナマ子は、徐々に若返り始めた。セックス――もちろん美弥子とのセックスに適した
年齢を肉体が自ずと目指し始めたのだ。
 こうしてナマ子はセックス概念となり、人類が性行為を忘れない限り不滅の存在となったのだ。

 そしてそのナマ子が、『その可能性』に気付かぬ訳がない。おさなの腕時計を確かめ、口角を釣り上げる。
「……撫津美弥子!」
 迷宮時計の機能の一つ、対戦相手の表示。これによりナマ子は、美弥子がこの島へ訪れている事を悟った。
何より望んで止まなかった美弥子とセックスする千載一遇のチャンス!
「待っていろ……撫津美弥子! これからお前をセックスしてやる……!」
 おさなを投げ捨て駆けていくナマ子。その背中を、おさなはぼんやりと見送っていた。


「……ともかく色々あって、ナマ子のヤツは美弥子ちゃんを狙うだろう」
「やっぱり、私を恨んで」
「いや、まあ」
 否定しようにも、ナマ子に関するアレコレを美弥子へ説明するのはさすがに憚られる。秀次は説明を打ち切り
美弥子へ背を向けた。
「ナマ子は俺が止める。美弥子ちゃんの対戦相手には何もしない。まあ俺は、美弥子ちゃんみたいな良い子に
勝って欲しいと思ってるぜ。俺を負かした相手でもあるんだしなっ!」
「……はい」
「だから頑張ってくれ! 俺も頑張ってナマ子のヤツを足止めするから」
「ありがとうございますっ!」
 走り去っていく秀次の背中へ、美弥子は大きく頭を下げる。自分を恨まないばかりか、対戦に関して直接的に
ではないにせよ、自分を助けてくれるなんて思ってもみなかった。
「……勝とう」
 改めて決意した美弥子は、秀次とは反対側へと駆け出す。
『おっと、もう来てたかよナマ子! 悪いが止めさせてもらうぜ!』
『消えろ門司秀次! 童貞を卒業させてやったくらいでカン違いするなッ!』

 リュックの中に入っていた麗華の作戦メモの内容は、こうだ。まず狭くて、できるだけ高低差のある地形を
見つける。小柄で運動神経の良い美弥子なら、多少なりとも有利に動けるような場所だ。
 そういう場所を見つけたら、罠を張る。用意してくれた黒ネットは暗闇の中で溶け込み、敵を絡めとる。
これが要だが、死なない程度の高低差を活かして相手を落下させるのもアリかもしれない。化学薬品を使って
作った各種ビンはそのための誘導用であり、直接攻撃用ではない。そうして相手が行動不能になった所で、
降伏を呼びかける。
『がんばるのです!』
 リュックの一番奥に入っていたお菓子とそれに付いていたシェルロッタの付箋を見て、思わず頬が緩んだ。
 前はシェルロッタと一緒に戦えた。だが今回は無理だ。一度でも二人での戦いを経験した美弥子にとって、
それは少し心細い事実だったのだが。
(大丈夫。一人じゃない。私は一人なんかじゃない)
 自分に言い聞かせながら、美弥子は走る。できるだけ高い所へ。


 夜。
「美弥子ちゃーん!」
 作戦通りの陣の奥、岩場の隙間に敷いたマットの上でリュックの中に入っていたランタンをつけ、
シェルロッタのお菓子を齧っていた美弥子を呼ぶ声があった。緊張で身体を強ばらせる。
 あの声は、間違いない。馴染おさなだ。
「明かり、漏れてるよ。美弥子ちゃんでしょ」
「……あっ」
 迂闊である。美弥子は大人しくランタンを掲げ、岩場の隙間から這い出た。空に輝く星と月は眩いばかりの
光を放ち、夜の二人を照らしていた。おさなはなだらかな崖の下。美弥子は崖の上からおさなを見下ろす。
 美弥子は身構える。何をしてくるんだろうか。近づこうとしてくれれば楽なんだけど。
「ねえ、美弥子ちゃん」
「……何ですか」
「ごめんね」
 しかしおさなの口から出てきたのは、思わぬ謝罪の言葉だった。キョトンとする美弥子。
「私の能力、相手を洗脳する……みたいな能力なんだ。それで、私が美弥子ちゃんの幼馴染みだと思い込ませて
戦いをやめるように言ったの」
「そうなんですか」
「私も、この戦いには勝ちたいの。この迷宮時計でしか叶えられない願いがあるから」
「それは!」
「美弥子ちゃんも、だよね」
 私も、という言葉を先回りされ、美弥子は押し黙る。おさなは夜の光の下で、微笑した。
「いいよ」
「え?」
「美弥子ちゃんの勝ちで良い」
 思わぬ言葉だ。耳を疑う美弥子に、おさなは続ける。
「さっき、秀次さんとナマ子って人に会った。二人とも、美弥子ちゃんと戦った人なんだって? それなのに
二人とも、美弥子ちゃんを恨んだりせず――まあ、ナマ子の方はかなり頭おかしかったけど――美弥子ちゃんが
勝つって信じてた。私はさ」
 視線を伏せるおさな。寂しげに。
「……今までの対戦相手は、ほとんど殺してきた。私はそうするしかできないから。でも、美弥子ちゃんは
違うんだ。そういうの、良いなって」
「……だから、私の勝ちで良いんですか?」
「そう。でも、その前に私の話を聞いて欲しい」
「あなたの話、ですか」
 おさなの願いに関する話だろうか? 耳を澄ませる美弥子。だが、続く言葉は思わぬ物だった。
「眞雪ちゃんの事について」
「え」
 どうしてそこで、眞雪が出てくるのか。動揺する美弥子を見て、おさなは笑う。
 暗い笑み。
「ねえ、確かに私には魔人能力があるよ。けど、情報収集の方は他人任せでね。あんまり得意じゃない。
 それでも、美弥子ちゃんの家や、美弥子ちゃんの友達の事はね、ものすごく簡単に調べられたの。
 どんな武器でも作り出せる魔人能力『"絶対火力権"の眞雪』を持つ、森久保眞雪ちゃん。
 体の形を作り替える魔人能力『メタコムメルモル』を持つ、シェルロッタ・ロマルティナちゃん。
 限定的な転移を行う魔人能力『仔猫の道(キティ・ウォーカー)』を持つ、読小路麗華ちゃん。
 そして……限定的な能力解除を行える魔人能力『"木瓜殺手刀"の美弥子』を持つ、撫津美弥子ちゃん」
 次々言い当てられる魔人能力と、その名称。美弥子は寒気を感じた。誓って、四人はそれぞれの能力を
いたずらにひけらかすような真似はしないし(眞雪ですら!)、それを人に話す事だってないのに。
「ごめんね、驚かせて。でも、私がここまで詳しい事には理由がある。
 そして、美弥子ちゃんはその理由を……眞雪ちゃんの事を知っておかなきゃいけないと思う。
 これから、迷宮時計を巡る戦いを勝ち抜くために。美弥子ちゃんの願いのために。」
「眞雪の、こと」
 眞雪。森久保眞雪。私の大切な友達。彼女の事で、私が知らない事なんてほとんどないはず――本当に?
 手首に着けたデジタル腕時計を握る。眞雪の形見であり、迷宮時計。
 ――そう。この存在だって、実際に手にするまで、美弥子は知らなかった。
「そっちに行って良いかな? この距離じゃ、話しづらいし」
 おさなの言葉を、美弥子は拒めない。安全に登るルートを説明した。登ってくるおさな。
「じゃあ、これ」
 彼女が差し出したのは拳銃だった。銃口はおさなの方を向いている。
「……何ですか、これ」
「これを持って。私に向けた状態でね」
「どうしてそんな……」
「それが私が話をする条件、って言ったら?」
「う……」
 美弥子は逆らえない。眞雪の名前を出した瞬間から、この場のペースは完全におさなが握っていた。
 美弥子に両手でしっかりと拳銃を握らせ、正面に突き出させる。その銃口を自分の胸に押し付けると、
美弥子の指を取って引き金へと掛けさせた。
「これでよし、と。……大丈夫よ。美弥子ちゃんが引き金を引かなければ良いだけなんだから」
「……どうしてこんな事」
「儀式みたいなものよ。じゃあ、話すわね」
 腕を伸ばせば手が届く距離。おさなは美弥子の顔を見下ろす。美弥子も負けじと見返した。
 おさなの唇が開く。
「眞雪ちゃんは絶対に助からない」



◆時系列1.眞雪
 深夜零時。
「……随分手際よく情報集まったんだ?」
『ヘヘヘ、おさなちゃんのためだからなぁ』
「ありがと。直接お礼言いに行けなくてごめんね」
 次の対戦相手の名前が撫津美弥子と分かってからすぐ、おさなは情報屋に連絡をつけて幼馴染みにし、
情報を収集するよう頼んでいた。携帯端末を肩と耳で挟み、メールで届いた内容をスクロールする。
「しかもこんなに詳しく……すごいわ」
『まあ、美弥子って娘らについて当たるのは全然簡単だったしなァ』
「そうなの?」
『メール見てくれりゃ分かるけどよ、その美弥子って娘の友達が相当ヤベエんだ』
「……この子ね。森久保眞雪」
 屈託ない笑顔の写真に、パーソナルデータが連なる。
 魔人能力『"絶対火力権"の眞雪』。どんな武器でも作り出せる能力。
「……なんでこんな娘が野放しにされてるの?」
『ま、力に振り回されてる訳でもないしな』
 眞雪は力に目覚めた後も、その力を積極的に振るう事はなかった――唯一、撫津美弥子が側にいる時を除き。
ツッコミにより能力を打ち消せる美弥子のそばで、眞雪は冗談めかして己の能力で遊んだ。
『女の子が持つには過ぎた力だ。そうやって遊ぶ事で、精神的な負荷を減らしたんだろ』
 だが、そんな日常も長くは続かなかった。
「対魔人組織……スズハラ機関」
『の、下位組織の要請だな。森久保眞雪の確保もしくは殺害』
 曰く、どんな武器でも作り出せる能力は、放置するのはあまりにも危険過ぎる。将来的に核兵器や細菌兵器を
生み出しでもしたらどうするのか……そんな正論じみた建前の裏に、彼女を操りその能力で一財産を築いて
やろうという思惑が滲んでいる。それが他人の手に渡る事が許せないというニュアンスもだ。
「結果的に確保は失敗。特に、周囲の人間へ手を出そうとすると森久保眞雪は恐ろしい速度でそれを阻止し、
殺害した。暗殺も困難で、彼女は何やら危機に対する鋭い嗅覚を持っている節がある……嗅覚?」
『森森って暗殺者がいてさ。知ってる?』
「いいえ」
『超有名大物暗殺者だぜ。魔人能力は深緑太平洋。対象を太平洋と同様の広さの樹海へ閉じ込める能力。
 眞雪はこれに囚われた事もあるんだが、一緒に囚われたシェルロッタに、なんと森森が一目惚れしちまって』
「……何それ」
『森森のヤツ、シェルロッタを殺す事に耐えられず能力を解除して、自分は責任を取って自殺したんだ。
 まあそんな感じで、運にも実力にも恵まれた魔人だったんだな、眞雪は』
「の割には、事故死したんじゃない」
『これもスズハラ機関の手によってだ。迷宮時計の戦いが終わった直後を狙われた』
 迷宮時計を手にした後も、眞雪は順調に戦いを勝ち抜いた。敵対する者は全て戦闘空間にて殺害した。
 だが、眞雪も所詮は11歳の少女に過ぎない。戦いの後は疲弊し、集中力が鈍る。そこを狙われた。
 眞雪の対戦を察知したスズハラ機関は、その直後を狙って暗殺者を送り込んだのだ。
「トラックくらい、どうにでもなったんじゃないの?」
『LOVE彩の国☆埼黒ンって知ってる?』
「いえ」
 知っているどころではないが、一応知らない事にした。そうか、と情報屋は続ける。
『そこにいるスケルトン春日って奴が、止まってる限り完全に対象を透明化するっていうヤバい能力の魔人でね。
スズハラがソイツを一時的に雇い入れてた。それと、他にも側に美弥子がいた事も大きいと思う。
 迂闊にトラックを攻撃して美弥子を巻き込んだら駄目だって判断して、だけど他に打つ手もなく、
気がついたら……って事なんじゃないか』
「ふうん」
 その時は、
「悲しい物語ねぇ」
 そんな感想で話を終え、美弥子の情報に移ったのだが。



◆時系列6.その顔が見たかった

「……嘘」
「疑うのは自由だけど、筋は通るでしょ?」
 眞雪にまつわる話を終えて、おさなは美弥子に微笑みかける。顔面蒼白の美弥子に向けて。
「嘘。だって、眞雪、そんな事、一言も」
「じゃあ美弥子ちゃんなら話した?」
 思い返す。一度目の戦いを終えた直後、麗華とシェルロッタに迷宮時計の話をした時の事を。
 ……他ならぬ美弥子が、危険な戦いの事を伏せようとしていたのだ。眞雪が同じように、自分の身に
振りかかる危険を一人で抱え込んで、不思議な事があるか?
「眞雪ちゃんは、能力のせいで身柄を狙われてた」
 質量保存の法則を無視する魔人能力なぞいくらでもこの世に存在する。だが、眞雪の能力はその中でも
段違いに危険で、カネになる。眞雪は無制限に武器を生み出し、それらは破壊されない限り存在し続ける。
それを売って得られるカネは如何程か? それを使って殺せる人命は如何程か?
「あなたは眞雪ちゃんを狙う手の者に巻き込まれる事もあった」
 ピクニックと言って樹海に放り込まれた事を美弥子は思い出していた。結局その、森森という魔人が自ら
能力を解除した事で事態は終わったが、もしそうでなくとも、麗華がいれば四人は帰還できたのだろう。
もし眞雪だけだったら、そうは行かなかった。美弥子と二人でも。
 あの日四人でピクニックをやろうと言い出したのは誰だっただろう? 
 ……考えるまでもない。眞雪だ。私を引っ張り回すのはいつだって。
「でも、結局眞雪ちゃんは殺されてしまった」
 あの運命の朝の事を思い出す。思い返せば、あの時唐突に渡された爆弾は何だったのか?
 おばあちゃんを助けたって、眞雪は何をやったんだ? 
 おさなの話によれば、あの時眞雪は迷宮時計の戦いを終えてすぐ後だったのだという。
『さっきもこの火炎放射機で全てを解決してきたところ』とは、一体何を解決してきたのか?
 それがいつもの冗談でないとしたら……いや、そもそも『いつもの冗談』は、どこまで冗談だったんだ?
 私は眞雪の何を知っていた?
 私が気付いていないだけで、眞雪はもしかして、ずっと私のために戦っていたんじゃないか?
 その結末が、あの死なんじゃないか?
「美弥子ちゃんを庇って、抵抗し損ねた」
 ぐるぐると渦巻く美弥子の思考に、一滴の雫が垂らされた。破滅的な雫だ。
 おさなは言っている。美弥子のせいで眞雪は死んだと。
「ち、が……」
「違うの?」
 反論を試みる美弥子を、おさなは笑顔で見つめる。引き金に引っ掛かった指が震えた。
 もしあの場に美弥子がいなければ、眞雪はどうしたのだろう。それこそ、爆弾でも使ってあのトラックを
吹き飛ばしたんだろうか。巨大な銃でトラックを撃ち抜いた? でもそれはできなかった。爆風に美弥子が
巻き込まれるかもしれないから。軌道の逸れたトラックが美弥子を轢いたかもしれないから。
 私がいなければ。眞雪は対処、できた?
「……でも、でも!」
 美弥子は首を振り、思考を振り払う。そうじゃない。そうじゃない! どうして死んでしまったのかなんて、
もうどうしようもないない事じゃないか。そうじゃない!
「それでも私は! 迷宮時計を手に入れて……眞雪を止める! 眞雪を助けるの!」
「時間を巻き戻して?」
「眞雪を止めて、会って、話して……もう一度! 眞雪と一緒にいたい!」
「その後は?」
「その……え?」
 その後、なんて、考えた事もない。美弥子は今、目の前の事を考えるのに必死だ。バトルロイヤルに
巻き込まれてから、ずっとそうだった。
「その後は……元の生活に……」
「そう。元の生活ね」
 元の生活。
「元の……生活…………」
 元の、眞雪が命を狙われ続ける、生活。
「眞雪ちゃんは絶対に助からない」
 最初に言った言葉を、おさなは反復した。愕然とした美弥子の顔を見つめて。
「眞雪ちゃんが『"絶対火力権"の眞雪』という力を持つ限り、眞雪ちゃんは命を狙われ続ける。
 時間を巻き戻して事故をなかった事にしても、『あの時死ななかっただけ』になるのよ」
「ぅ、あ」
「眞雪ちゃんだけじゃないの。私が仕入れた情報は、眞雪ちゃんと美弥子ちゃん、麗華ちゃん、
そしてシェルロッタちゃんの四人がセットになっていた……つまり、四人ともが狙われる可能性があるって事」
 そして、自分や三人を守るためにも、眞雪は戦うのだろう。死が彼女を終焉させるまで。
「眞雪ちゃんを生き返らせる事は、彼女をもう一度殺し合いの渦中に巻き込む事に過ぎないのよ」
 おさなは黙った。美弥子も俯いて、黙った。胸につきつけられている銃口が震えているのを感じる。
「……なら」
「ん?」
 長い沈黙の後、小さな声が美弥子の唇から漏れ出た。
 銃口の震えが止まった。拳銃を握る手に、確かな力がこめられた。
「なら!」
 美弥子は顔を上げた。その目は強く見開かれている。
「私も……戦う! 眞雪と一緒に!」
「戦えるの?」
「戦える! 眞雪一人に背負わせたりしない……!」
 そうだ。眞雪が命を狙われて、私たち四人が巻き込まれる可能性があるなら……四人で立ち向かえば良い!
 眞雪。どんな武器だって作り出せる最高の戦力だ。彼女が作り出した武器を私たちも持つ。
 麗華。彼女が協力してくれれば、どこへだって逃げられる。冷静な彼女なら狙撃銃とかが似合いそう。
 シェルロッタ。素でも十分戦える彼女だが、眞雪の武器が使えれば戦闘力は跳ね上がる。爆弾とか?
 私! 敵の魔人能力を、なんだって消してみせる! 武器だって、何だって使いこなして見せる!
「やっぱりそうだよ。元の生活に戻る! 眞雪のためなら……戦えるんだから!
 麗華だって、シェルロッタだって! 協力してくれる! 四人で一緒に過ごすんだ……!」
「戦うって事は、殺すって事よ? 眞雪ちゃんはもう、何人も殺してるって話したはず。彼女と並ぶって事は、
つまりあなただって……」
「殺せる!!」
 言い切った。泣き叫ぶように。なら、とおさなは目を細める。
「今すべき事は何かわかってる?」
「……!」
 美弥子は己の手元に視線を注いだ。指にかかった引き金。銃口は対戦相手の心臓の上。
 そうだ。
 殺すんだ。
 馴染おさなを殺して
 これからの対戦相手も全員殺して
 迷宮時計を手に入れて、眞雪を取り戻して、
 四人で今までと変わらない元の生活を過ごすために
 殺して
 殺して殺して殺して
 殺して殺して殺して殺して殺して
 殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺してあああああああああぁぁぁぁ!!」


 カチリ。


「…………え?」
 叫びながら引き金を引いた拳銃は、その銃口から何も発する事はなかった。くすり、とおさなが笑う。
「ごめんね。それ、さっき弾をナマ子とかいう変態に絞り尽くされちゃって」
「え?」
 おさなの顔を見上げると、振り上げられたナイフが夜空の光を反射して銀色に輝いていた。



 首から血を噴き出し、倒れこむ美弥子。返り血から顔を庇いつつ、更に心臓を一突き。
「あ゙っ」
 濁った声を漏らし、更に血が広がっていく。それをおさなはじっと見つめる。

 眞雪の事を話して考えられるパターンは二つあった。
 絶望して自ら戦いを放棄するか、それでも戦うと決めるか。
 わざわざカラの拳銃を持たせるなんて事をしたのは、今回のように殺意を滾らせて襲ってきた時に
一手遅らせるためだ。その一手で確実に美弥子を殺すためだ。
 ――おさなが美弥子を殺す事は容易い。それでもこんなまどろっこしい真似をしたのは、美弥子を
追う最中に遭遇した秀次とナマ子の存在が大きかった。二人とも、美弥子に良い感情を持っていた。
秀次は美弥子を応援し、ナマ子は恋する少女の表情で愛を叫んでいた。
 許せなかった。
 他人を利用して、全てを奪い尽くしてきたおさなは、許せなかった。メリー・ジョエルを永劫の彷徨へ
放逐し、三禅寺ショウ子を絶望の中で殺し、伊藤日車を徹底的に蹂躙して殺してきた。
 迷宮時計を、願いを叶える物を巡る戦いは斯くあるものだと信じていた。
 いや、それ以前に、馴染おさなはもう長い間、そういう生き方しかできなかった。
 なのに美弥子は、幸運で、敵を生かしながら勝ち抜いてきたという。
 羨ましかった。美弥子の幸運が。
 妬ましかった。美弥子を語る秀次とナマ子の表情が。
 許せなかった。美弥子という存在が。
 だから、せめて殺す前に見てやろうと思ったのだ。
 善良で小さな女の子の、消えぬ絶望に染まった表情か、殺人という罪を決意した表情を。
 その結末を。

 血が止まらない。腕を動かそうとする。動かして……どうするんだろう。
 滲む視界の端に、何か光る物が見えた。首、は、動かない。目線をそちらへ送る。
 ビンだ。
 シェルロッタと麗華が、学校の理科室で作ったという、ビンだ。
 人を殺さず済むようにと考えて、私に託したビンだ。
 血が止まらない。食べていたお菓子が、シェルロッタの『がんばるのです!』が、血に沈んでいく。
「ごめ……ん…………」



 撫津美弥子は死んだ。





◆時系列7.夕暮れ

 美弥子の部屋へ戻ってきたおさなを見て、シェルロッタはおよそ全てを悟った。
 それを肯定するように、おさなは簡潔にその終わりと教えてやる。
 おさなは美弥子の部屋を後にする。シェルロッタはその背をぼんやりと見送る。
 階下のリビングでは、撫津弥生が何も知らずに眠り続けていた。


 17時40分。
 美弥子が戦闘空間へ向かってから十分が経過した天蓋つきのベッドの上へ、夜の光が差し込む。
 美弥子が抱きしめてくれた感触は、まだ覚えている。でもその温かみは、もう消えていた。
「……美弥子……遅いの…………」
 麗華は丸くなり、ぎゅっと自分の身体を抱きしめて、呟いた。
 もう分かっていた。
「れいかをこんなに待たせて……帰ってきたら、許さないの……」
 許さない。だから早く帰ってきて欲しい。
 それも届かぬ願いであると。
「……うっ……うう…………うえぇ……」
 後悔が麗華の目から溢れ出す。
 もっと強く言えば良かった。
 懇願すれば良かった。
 戦いをやめてほしい。
 眞雪の事は諦めて。
 寂しさも悲しさも、三人で分け合おう。
 だから、だからもう、危ない事はしないで。
 私のためにいてほしい。
 ――何一つ言えず、馬鹿みたいに名前を呼ぶばかりで。
『必ず勝って、戻ってくるよ』
『だから待ってて』
 そんな言葉を根拠なく信じて。
「ぐす……ふぇっ…………くしゅ、あ……あっ…………うあ……あああああぁぁぁっ!!」
 奇しくもその慟哭は、美弥子が引き金を引いた時に上げた叫びと、ひどく似ていた。

最終更新:2014年12月07日 16:18