準決勝戦SS・開拓地その1


登場人物紹介

潜衣花恋(くぐるいかれん):迷宮時計によって北宋末期へと送り込まれた少女。触れたものから何かを奪う『シャックスの囁き』という能力をもつ魔人
宋江(そうこう):梁山泊三代目首領。時ヶ峰健一が最も恐れた男。
呉用(ごよう):梁山泊軍師。時ヶ峰健一が最も恐れた男。
公孫勝(こうそんしょう):梁山泊副軍師。道術使い。時ヶ峰健一が最も恐れた男。
林沖(りんちゅう):梁山泊林冲騎馬隊総隊長。宋国一の槍の名手。時ヶ峰健一が最も恐れた男。
馬麟(ばりん):林沖騎馬隊副隊長。時ヶ峰健一が最も恐れた男。
郁保四(いくほうし):林沖騎馬隊旗手。時ヶ峰健一が最も恐れた男。
史進(ししん):梁山泊遊撃隊隊長。棒術の使い手。時ヶ峰健一が最も恐れた男。
李俊(りしゅん):梁山泊水軍総帥。時ヶ峰健一が最も恐れた男。
童猛(どうもう):李俊の副官。時ヶ峰健一が最も恐れた男。
張順(ちょうじゅん):梁山泊潜水部隊隊長。時ヶ峰健一が最も恐れた男。
凌振(りょうしん):梁山泊大砲部隊隊長。時ヶ峰健一が最も恐れた男。
童貫(どうかん):禁軍元帥。梁山泊最強の敵。時ヶ峰健一が最も恐れた男。
高俅(こうきゅう):禁軍大尉。蹴鞠が上手。時ヶ峰健一が最も恐れた男。
周信(しゅうしん):禁軍上級将校。時ヶ峰健一が最も恐れた男。
呉秉彝(ごへいい)周信の副官。時ヶ峰健一が最も恐れた男。
葉春(ようしゅん):金陵水軍の船大工。時ヶ峰健一が最も恐れた男。

*一部登場しない人物もいます





麾下の兵はいつの間にか五千を割っていた。
宋という国は腐っている。しかし、腐っていても国は国であった。
その力はやはり大きく、強い。抗うものを押しつぶす圧力がある。
目の前にいる軍がまさにその象徴だった。
斥候の報告では陸軍だけでも十万はくだらないという。梁山湖に迫っている水軍と合わせれば十五万は優に超えるだろう。
それに対し、梁山泊にいる兵は水陸合わせてようやく五万を超えるかどうか、というところだった。
禁軍。高俅の率いる、脆弱な軍とはまるで違う。本物の宋国の軍。護国の軍だ。
馬腹を蹴り。馬を駆けさせた。
麾下の騎馬隊がそれに続く。隙間なく、密集させる。駆け抜き敵軍を断ち割る。
俺が、鍛えに鍛えぬいた騎馬隊だ。例え童貫の軍が相手でも自分の体の如く動かし、密集された軍を貫くことはできる。
しかし、それから先が続かなかった。
どれだけ騎馬で翻弄しても戦意は下がらず、すぐに体勢を立て直しにかかる。隙が、見えない
いつも死に損なってきた。
妻を亡くしたあの日から死に場所を探し続けてきた。
だが、生き続けようともしていた。
戦場では常に厳しい場所に身を置こうとしていた。しかし、そこで死のうとは思わなかった。
死を恐れることはなかったが、生き抜くために全力であがいた。
──だが、それもここまでかもしれん
ずっと待っていたのかもしれない。こうして戦える日を。
戦いて、戦いて抜いて、死ねる日を。
だが、その時ではない。麾下の兵も、自分もまだ戦える。
再び、馬腹を蹴った。後ろで郁保四が旗を掲げている。見えなくてもそれがわかった。
俺たちの、旗だ。
敵が近づいてくる。
目の前で騎馬隊を二つに割った。馬麟にもう一隊を率いさせる。
槍を目の前に構え、ただ真っ直ぐ走った。兵を蹴散らしながら敵陣を進む。
馬麟の隊と交差する。あいつは、笑っていた。きっと、俺も今笑っているのだろう。
敵の陣形は堅かった。一向に崩れる気配が見えない。
だが、構わなかった。崩れる気配がないなら、崩れるまで攻撃を繰り返すだけだ。
一度馬麟と合流したとき、敵兵が吹き飛ぶのが見えた。
史進だ。史進が鉄棒を振るう。その鉄棒に触れた者が弾けたように飛んでいく。
「林沖!」
史進が俺を呼ぶ声が聞こえた。それに応えるようにして叫んだ。
馬を駆けさせた。麾下の兵もそれに続いた。
騎馬隊の叫びは、一匹の獣の咆哮となって戦場に響いた。





金陵水軍の中型船が沈むのが見えた。張順たち潜水部隊がうまくやってくれたらしい。
(しかし)
梁山泊水軍、大型船五十隻、中型船百艘、小型船百五十艙。その数が頼りなく聞こえるほどに金陵水軍の物量は圧倒的だった。
地の利はこちらにある。李俊たち梁山泊水軍は梁山湖の水路、流れを知り尽くしている。平時なら目を瞑っていても自在に船を操ることができるだろう。
水兵の練度も決して劣っていない。いや、僅かながらこちらが勝っている。
潜水部隊の連中もよくやっていてくれてる。ヤツらがいなければ金陵水軍はとっくにこの場を抜いて梁山泊に迫っていただろう。
しかし、それでもなお、金陵水軍の圧力は一向に衰える様子はなかった。
船団が前に進んでくる。海鰍船が、五隻並んで近づいてくる。
思わず退がりたくなるような圧力を、その船は備えていた。
海鰍船。海の鯨。斥候があれをみてまるで山が動いたようだと言っていた。その気持ちが今わかった。
海鰍船がこちらの大型船にぶつかるのが見えた。大型船に穴が開いた。船体がゆっくりと傾いている。すぐに沈むということはないが、あれでは航行はできないだろう。
敵の船は少しぐらつきはしたが、ほぼ支障はないように見えた。船上から矢を打ちかけてきている。
こちらの船も応戦しようとはしているが、いかんせん高さが違いすぎた。さらに向こうには船員も多い。船に乗り込むのも困難だった。火矢を打ちかけてもすぐに消火されてしまう。
援護をするために前に出ようとした。それは阻もうとするように、敵船が動いた。
思わず。舌打ちをした。敵の小型船がこちらの中型船につっこんできていた。船は、頑強に作ってある。一度や二度の衝突では壊れはしない。
しかし、何度も繰り返されるとどうなるかはわからなかった。
海鰍船にやられた大型船から船員が飛び出している。潜水して進んでいるが、息が続かなくなり水上に顔を出したところに矢を射掛けられていた。
援護をしようにも前に出ることができなかった。無理に出ようとすれば、守りに綻びが生じる。
やつらは見捨てるしかなかった。
「李俊どの」
「わかっている。」
童猛が後ろから声を掛けて来た。普段は口数が少ないが李俊が迷っているときにさりげなく口を出す男だった。
「一度葦原に入り、体勢を立て直す」
梁山湖の葦原は深い。小舟では辺りを見渡せないように作ってある。海鰍船でもそう自由には動けないはずだった。
一時退却の鐘を打たせた。
それに合わせて金陵水軍の船も追ってくる。悔しいが、船の性能は向こうの上だった。
あれほど速く、小回りの効く船は船はみたことがなかった。
海鰍船もある。水路が絞られるとはいえそれが脅威であるという事実は変わらなかった。
(だが、時間を稼ぐ方法はいくらでもある)
轟音が響くと同時に、水柱が上がった。
仕掛けていた機雷に当たってくれたらしい。
機雷は単純な罠だ。ただ目の前に浮いている袋を槍であければそれだけで被害を防ぐことができる。
だが、単純であるだけ処理には時間はかかる。
「やはり、強いな。宋は」
誰に言うでもなく。そうつぶやいた。
だが、相手がどれだけ強くても、この梁山湖の上では負ける気がしなかった。
ここは自分の庭だ。よそ者に好き勝手させてなるものか。






対岸には土煙が上がっていた。鬨の声が聞こえてくる。
南のほうでは船同士がぶつかり合っている。水柱が上がっている。。
戦争だ。
どうやら戦の真っただ中に放り込まれてしまったようだ。
昨日、迷宮時計は対戦相手は蛎崎裕輔、戦場は過去─開拓地─梁山泊、であることを教えてくれた。
水滸伝だった。
ここがどのような場所であれ、まずは蛎崎裕輔を探すことだ。倒すにせよ、説得するにせよ。まずヤツを見つけなければ話にならない。
『掃き溜め』のコミュニティにも蛎崎裕輔という『魔人』について詳しい情報を持っている人間はいなかった。
希望崎にもそんな名前の魔人はいない。軍、警察の関係者、武闘派魔人として名を上げているものの中にも当てはまるものはいなかった。
風天は「なら余裕で勝てるじゃん。だって花恋ちゃんはブラストシュートにも時ヶ峰にも勝ったんだぜ」と言っていた。それに賛同した人間はいなかった。
魔人の勝負に絶対はない。たとえどんな魔人が相手でも油断することは出来ない。
現時点でウィッキーさんや本屋文という高名な魔人が消えている。どちらも単純戦力では時ヶ峰にも劣らないと目されていた魔人だ。
その二人が突然行方不明になったのはつい最近だ。『掃き溜め』にいる警察関係者の話では、二人が消えたのは迷宮時計にかかわることである可能性が高いということだった。
そいつらを倒した魔人が、まだこの戦いに残っている。そしてその魔人が蛎崎裕輔であるという可能性もゼロではないということだ。
一切の油断が許されない、正体不明の魔人。それを相手に勝利を収めるならば、不意をつき、先手をとる必要があった。
先手さえ撃つことができれば潜衣の能力『シャックスの囁き』は、一瞬で相手の命を奪うことができる。
それで終わりだった。
突然、あたりが暗くなった。さっきまでは確かに日が出ていた。上を見上げる。北海道が空に浮かんでいた。
北海道の地面が割れていく。そこから何かが降ってきている。
80年以上生きた直感が、これは危険であると告げていた。
魚が空を飛んでいる。昔、一度北海道に言ったときに見たことがある。
エゾジャケだ。なぜ宋に北海道がいるんだと考えたがそんなことは自問するまでもない。それが蛎崎裕輔の能力だということだろう。
理由はわからないが、確信した。
蛎崎裕輔。こいつがウィッキーさんと本屋文を倒した魔人だ。
80年、死線を潜ってきた生きた女の勘がそう言っていた。
湖が、赤く染まっているのが見えた。私と倒すためならどれだけ犠牲が出ようがかまわないという腹なのか。
──真っ直ぐじゃあないな
と思った。徹子がここにいてもきっと同じことを思うだろう。
エゾジャケがこちらに迫ってきている。まずはヤツらから隠れることだ。
足元にあった石を拾い、『存在感のなさ』を奪った。自分の気配を遮断する。
しかし、エゾジャケは私に向かって、迷いなく、真っ直ぐ向かってきた。
まるで私を敵と確信しているかのように。
──これも蛎崎の能力の一環か
いつの間にかエゾジャケに周囲を囲まれていた。
額に冷や汗が流れた。自分がここで死ぬというのが直感で理解できた。
向こうの世界にいた時にも何度か死を覚悟したことはあった。だが、そんなときはいつも徹子が傍にいてくれた。
だがここに徹子はいない。
──痛いのはいやなんだけどな
左腕にはめた時計に手を触れる。その瞬間体がガクリと傾いた。
右足が焼けるように熱い。エゾジャケが下から空に飛んでいった。
その口には私の右足が咥えられていた。エゾシャケがそれをかみ砕いた。
体がゆっくりと倒れて行った。北海道の地面が見える。
エゾシャケが空を駆けている。拳を振ったが、それはただかみ砕かれて終わった。
赤い血が私の顔にかかった。
左腕も噛み千切られた。腕がくるくる回りながら飛んで行った。
胴体を喰いちぎられた。腰から下だけがゆっくり倒れて行っているのは少し滑稽だった。
首を噛み千切られた。視界がだんだんと暗くなっていった。






「ネガワクバーーー!!!」「ネガワクバーーー!!!」「ネガワクバーーー!!!」「ネガワクバーーー!!!」「ネガワクバーーー!!!」「ネガワクバーーー!!!」 「ネガワクバーーー!!!」「ネガワクバーーー!!!」
「シチナンハックー!!!」「シチナンハックー!!!」「シチナンハックー!!!」「シチナンハックー!!!」「シチナンハックー!!!」「シチナンハックー!!!」 「シチナンハックー!!!」「シチナンハックー!!!」
「アタエタマエーー!!!」「アタエタマエーー!!!」「アタエタマエーー!!!」「アタエタマエーー!!!」「アタエタマエーー!!!」「アタエタマエーー!!!」 「アタエタマエーー!!!」「アタエタマエーー!!!」
突然、空から歩兵の群れが降ってきた。兵が次々と打ち取られていく。公孫勝というヤツの道術だろうか。
歩兵は、聞いたことのない言葉を一斉に唱えながらこちらに駆けてきた。まるで淫祠邪教の教徒だ。仲間が槍に突かれても、自分の体が剣に刺されても、呪言を唱えながら前に出てくる。
周信は太鼓を打ち鳴らさせた。陣形を変えさせる。武侯八陣図。守りの陣。混乱した兵をまとめるにはまず固く守ることが一番だった。
「ネガワクバーーー!!!」「ネガワクバーーー!!!」「ネガワクバーーー!!!」「ネガワクバーーー!!!」「ネガワクバーーー!!!」「ネガワクバーーー!!!」 「ネガワクバーーー!!!」「ネガワクバーーー!!!」
「シチナンハックー!!!」「シチナンハックー!!!」「シチナンハックー!!!」「シチナンハックー!!!」「シチナンハックー!!!」「シチナンハックー!!!」 「シチナンハックー!!!」「シチナンハックー!!!」
「アタエタマエーー!!!」「アタエタマエーー!!!」「アタエタマエーー!!!」「アタエタマエーー!!!」「アタエタマエーー!!!」「アタエタマエーー!!!」 「アタエタマエーー!!!」「アタエタマエーー!!!」
うるさい。黙れ。
歩兵は空からどんどん降ってきている。討っても討っても、数はますます増えていった。
まさか梁山泊にこれほどの兵力があるとは。臍を噛むような思いが周信の腹を煮えくり返らせた。
いまだに、どこかで梁山泊をただの賊徒とみている自分がいた。禁軍が、宋が本気を出せばいつもつぶすことができると、高をくくっていた。
その油断の結果がこの様だ。
突然の増援に兵は混乱しきっていた。陣形を立て直すこともできないだろう。
この戦線はもう持たせることはできない。ならば。
「呉秉彝。いるか。」
「はい。」
呉秉彝とは禁軍に入ってからずっとともに戦ってきた。戦場でこの男が動揺するところを周信は一度も見たことがなかった。
「ここはもう持たぬ。お前にこの隊の指揮を任せる。できるだけ生かして返してやってくれ」
「周信どのは」
「退却には殿が必要であろう」
増援が来てからの梁山泊軍の圧力は尋常ではなかった。歩兵と騎兵が津波のように押し寄せてくる。
あれ相手にまともに当たれるのはこの隊には周信か呉秉彝しかしなかった。
「それならば殿には私が」
「ならぬ」
呉秉彝が何を言おうとするかはわかっていた。だからその言葉を強く遮った。
「これは命令だ。」
──お前は生きろ。
と、までいうことはできなかった。呉秉彝はただ黙って拝礼をしていた。
「麾下の兵の兵は俺に続け。我らはこれより死地に入るぞ」
叫んだ。兵の鬨の声が、ネガワクバーとかいう呪言を打ち消した。
退却の鐘の音が辺りに響いた。この戦場は俺の負けだ。
だが、大宋国は負けではない。そうさせないためにこれから戦うのだ。
「ネガワクバーーー!!!」
歩兵が槍を持ってかけてきた。馬上から突き殺した。
手ごたえはあった。穂先には赤い血がついていた。まやかしなどではない。本物の兵だった。
「駆けろ。足を止めるな。」
退いては突撃し、突撃してはひいた。圧力はどんどん増していく。
突破することは考えない。ただ足を止めればいいだけだった。
それでも部下は少しずつ減っていった。呪言が大きくなっていた。
視界の端に黒い塊が移った。
林沖。
見事に騎馬隊を操っていた。黒い一匹の獣のようだった。
獣が駆けてくる。獣が牙をむいた。
馬腹を蹴った。喉元を引き裂いてやる。槍を真っ直ぐ構え、駆けた。
正面から、ぶつかった。向こうの騎兵が馬上から落ちるのが見えた。
だが、それ以上にこちらの数を減らされた。騎馬隊を反転させたとき、林沖騎馬隊は既にこちらに向かって駆けてきていた。
──見事だ。
血が沸き立つの感じた。俺の武は、ここで戦うためにあったのだということがわかった。
駆けた。ただひたすらに駆けた。林沖の眼が俺を真っ直ぐ見据えている。林沖が槍を捨て、剣に手をかけた。
その後ろに、蒼空が見えた。空はどこまで青く、広かった。
獣が向かってくる。その獣を討つために俺は駆けるのだ。
俺も槍を捨てた。馬上で確実に将を討つには、槍よりも剣だった。
不意に呪言も馬群の足音も何も聞こえなくなった。
獣と正面からぶつかる。林沖が剣を構える。気が充実しているのがわかった。
剣を握る手に力が入る。
すれ違い様、剣を振るった。
渾身の、すべての力を込めた剣だった。
それが林沖の剣に弾き飛ばされた。
林沖の剣が首に触れた。
剣はひたすらに冷たかった。その冷たさが心地よかった。






手を握る。手を開く。
ちゃんと動く。
手で首に触れる。ちゃんとつながっている。
湖が見える。戦の声はまだ聞こえる。
エゾシャケに囲まれたとき迷宮時計の『破壊されても所有権を持っている限り、必ず別の形態で再び出現する。』という性質を奪っておいた。
おかげで体がバラバラになってもなんとか復活することはできた。
エゾシャケも私に気付いたみたいだ。再びこちらに向かってきている。
走る。全力で逃げる。
だがすぐに追いつかれた。エゾジャケに頭蓋をかみ砕かれた。
視界の端に脳みそをぶちまけて倒れている私が映った。あまり気分のいいものじゃあない。
私がヤツなら森に逃げる。まずはそこにいく。
「シチナンハックー!!」
エゾシカの槍。
首が飛んだ。
足元に私の生首が転がっている。
再び走る。死んだ。
死ぬ。何度も死ぬ。
はらわたをぶちまけて転がっているものもあった。
何がどうなっているかも判別できないぐらいにグチャグチャになっているものあった。
もう何度死んだかわからない
死ぬたびに、誰かの顔が見えた。
それが誰なのかはっきりと見えている。
そのはずなのに、生き返ったときにはそれが誰だったかわからくなっていた。
私はそいつをどうしたいのだろう。その手を掴みたいのか、その体を抱きしめたいのか、それともそいつを殺したいのか。
わからなかった。どれもしたいようにも思えたし、どれも違うような気がした。
駆けた。ただ駆けた。
駆けるうちに蛎崎を追っているのか、死に際に見える影を求めているのかわからなくなった。
たった一歩を踏み出すために何度も死んだ。
心臓を貫かれた
はらわたを、ぶちまかれた。
首がとんだ。
何故私はこんなことをしているんだろう。
駆けた。
死ぬ。走る。死ぬ。走る。死ぬ。走る。死ぬ。走る。死ぬ。走る。死ぬ。走る。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ
死体が増えていく。
死ぬたびに、何か心が削られていくような気がする。
いつの間にか死ぬたびに見えていた誰かも目に映らなくなっていた。
ただ、駆けた。
心臓を食われた。
足元に眼球が転がっている。
目の前に槍が迫ってきている。
槍に貫かれた死体があった。
それから目をそらし地面を蹴った。
水面からエゾヒグマが顔を出した。
私の体が放射熱線で焼き尽くされた。
それでも私は生きていた。
北海道から落ち葉が舞っていた。





「何がどうなってやがる。」
李俊は目の前で起きている光景が現実のものだとは思えなかった。
完全に理解を超えてしまっていた。
「チェエエエエエストオオオオオオッッッ!!!!」
金陵水軍自慢の海鰍船で暴れいるのは巨大な芋。エゾサツマイモである。
幕末をテーマにした小説を読むと新撰組とかが薩摩藩士のことを薩摩芋とか薩摩の芋侍とかいうのをよく目にすると思う。
この言葉を目にして皆さんはこう思ったのではないだろうか。
「まったく、人のことをイモというなんて失礼な人たちだなあ」「人間をイモ扱いするなんて礼儀知らずにもほどがあるよ」と。
私はここで彼らを弁護したい。彼らは別に悪意を持って薩摩藩士のことを薩摩いもなどと言っていたのではない、と。
彼らはただ見たままのことを言っていただけなのだ。
そう薩摩の侍には本当に芋が混じっていたのだ。
だから彼らは薩摩の侍のことを薩摩イモと呼んだりしていたのだ。本当に芋侍が混じっていたのだ。
それが松前藩と薩摩藩のに密貿易によって輸出されていたエゾサツマイモなのだ。
「チェエエエエエストオオオオオオッッッ!!!!」
エゾサツマイモは強い。どのくらい強いかというと西郷どんがエゾサツモイモだけの軍勢で日本転覆をたくらんでしまうくらい強い。
「チェエエエエエストオオオオオオッッッ!!!!」
エゾサツマイモは強い。どのくらい強いかというと新撰組局長近藤勇がエゾサツマイモの初太刀は絶対にかわせというぐらいに強い。
「チェエエエエエストオオオオオオッッッ!!!!」
エゾサツマイモは強い。なんで強いかというと死んでもそこで根付いて増殖するから強い。
「チェエエエエエストオオオオオオッッッ!!!!」
エゾサツマイモは強い。なんで強いかというと植物だから何も考えずに攻撃するから強い。
「チェエエエエエストオオオオオオッッッ!!!!」
李俊はしばらくの間呆然としていた。
巨大な芋が空から降ってきていきなり金陵水軍と斬り合いを始めたのだから当たり前だ。
李俊だけではない。梁山泊水軍全員がただ立ち尽くしていた。みんな目の前で起こってることを理解することができなかった。
芋と水兵が斬り合っている。芋に返り血がつく。芋が斬られる。斬られた芋はそこに根を張り、新しい芋が誕生する。命の輪廻だ。命は巡っているのだ。
そして新しく芽生えた芋が水兵をまた斬り殺す。
なんだこれ。
永劫とも思える時間の中で一番最初に思考能力を取り戻したのは梁山泊水軍総帥李俊であった。
「何がなんだかさっぱりわからんが、とにかく今が機だ」
李俊の言葉に水軍が我に返る。確かに今が逆転の機だ。金陵水軍は混乱している。こっちも混乱しているけど向こうはもっと混乱している。攻めるならここしかない。
「行くぞ。芋を援護する。全船進め」
梁山泊水軍が前に進んでいく。小型船が船団に向かっていく。小型船は衝角の先を尖らせてある。これで全速で突っ込めば多少装甲が熱くても問題なく穴をあけられる。
「火矢は使うな。芋が焼ける」
あの芋が火をあたったぐらいで動けなくなるとは思えなかったが念には念を入れておく。
「崑崙出ろ。大砲を打ち込むぞ。」
崑崙は船上に大砲を詰め込んだ大型の特殊船である。
この日のために、水軍と大砲屋である凌振が苦心して製作した船だ。
「震天雷は使うなよ。芋が焼けるからな」
震天雷とは着弾した瞬間に爆発するように作った弾、いわゆる炸裂弾である。
うまくいけば一撃で船を沈めることもできるという代物だったが、今は敵船に芋が乗っているので使うことはできない。
大砲は脅しになればそれでいい。
「撃て」
崑崙から轟音が響いた。敵船団の混乱が深まるのが見えた。
「俺たちも斬りこむぞ。芋に後れを取るな」
──勝てる。
赤く染まっている海鰍船をみて、李俊はそう確信した。




死んだ。何度も死んだ。
数えきれないほど死に、その度に生き返った。
生き返る度に、走った。ただひたすらに走った。
頭の中に声が響いてきた。
──何故走る。
蛎崎を見つけるためだ。
──何故だ。
蛎崎を倒すためだ。
──何故だ。
迷宮時計の戦いに勝つためにだ。
──何故だ。
徹子の人生を歪めた迷宮時計に、落とし前をつけてやるためだ。
──何故だ。
それが私が徹子にしてやれる唯一のことだからだ。
エゾシャケが私の足を食らった。その場に倒れこむ。
「アタエタマエーーーー!!!」
エゾシカの槍が私の体を貫いた。
私はその死体を見下ろす。
──この戦いはこんな骸を晒してまでやらなければならないものなのか。
そうだ。
──勝てると思うのか。
うるさい
──たったこれだけの距離を進むために貴様は何度死んだと思っているのだ。
それでも進むことはできた。
──死に続けることになるぞ。
黙れ
──体は修復されても貴様の精神は死に何度も耐えられまい。
黙っていろ!!
頭の中に声が響く。誰の声なのかはわからない。
私の声のような気もする。徹子の声のような気もする。姉さんの声のような気もする。一文字の声のような気もする。誰の声でもないような気もする。
──お前はもう勝てないよ。勝っても意味がない。
そんなはずはない。勝てば。勝てば
──お前はもう終わりだよ。
黙れ!
声を振り切るように駆けだした。
エゾシカの槍が私の体を両断した。
誰かの笑う声が聞こえる。
黙れ。私は勝つ。勝ってこの戦いを終わらせる。
走った。走って死んで、走り続けた。
笑い声は鳴り止まなかった。
死ぬたびに、笑い声は大きくなった。
洋服を着た少年が見えた。蛎崎だ。
頭が吹き飛んだ。蛎崎はまだ見える。目を見開いてこちらをみていた。
蛎崎に触れて、命を奪う。それで全てが終わる。
あと五歩。
四歩。
胸元からエゾシカの槍が見えた。
三歩。
笑い声はまだやまない
二歩。
首がごろりと転がった。視界が回転する。
一歩。
手が蛎崎に触れた。
『シャックスの囁き』
命を奪う。
蛎崎に触れたはずだった。
そのはずなのに私が触れたものは徹子に変わっていた。
私が徹子の命を奪った。徹子はあの時と同じ顔をして
槍が私の体を貫いた。
エゾジャケが私の右腕を喰らった。
いつの間にか笑い声はやんでいた。
変わりに私の口から笑い声が漏れていた。
徹子がいた。一文字がいた。ウラギール・オン・シラーズがいた。姉さんもそこに立っていた。
北海道から落ち葉が舞っている。
姉さんと徹子が私に手を差し伸べた。私はその手を掴もうと手を伸ばす。
「ネガワクバーーー!!!」
その腕をエゾシカが切り落とした。私は今どちらの手を掴もうとしたのだろう。
「チェエエエエエストオオオオオオ!!!」
エゾサツマイモが両腕を無くした私を袈裟斬りにした。
ゆっくりと血が噴出した。そのまま倒れこんだ。
北海道からの落葉が私の体を包んだ。
エゾアサ。ああ、最後にヤツらの顔が見れたのはこいつのせいか。
無念だ。だけど、こいつらの顔を見ながら逝けるなら、そう悪くはない。
そのまま、目を瞑った。きっと向こうで徹子が待っていてくれる。意識を手放す寸前、私は最後にそう思った。

最終更新:2014年12月07日 16:10