準決勝戦SS・ショッピングモールその1


『与太と酔狂 我が生命(いのち)



古事記に曰く、この日本がかつて未だ治まらず乱れ切っていた頃、
武御雷神(タケミカヅチノカミ)が諏訪の湖畔で荒ぶる所の神と国を賭けて力比べの勝負をした。
この時、武御雷神は両腕をかたや千の刃とし、かたや巨大な氷柱とし、
剣と魔法とによって敵を打ち倒し、国を治めた。

これがプロレスの起源である。

そして現代。剣のプロレスは代々木に、魔法のプロレスは原宿にその魂を引き継がれた。
ここまでは義務教育を終えられた視聴者諸氏には常識と言っても過言ではなかろう。

しかし、この教科書に語られる歴史には裏の物語がある。
それは――この時に敗れた神もまた、現代にまで続く闘技を遺した事だ。

敗れた神は戦いの後、武御雷神に己の敗けを認め自らの国を譲り、
それをもって以後の己と己の家族との優雅な隠居生活を獲得したのである。

神は悟った。

歴史は美しい敗け方を心得た『敗者』が居て、美しい転換を迎える事が出来るのだと。
視聴者諸氏にはヨーロッパの革命におけるギロチン台の役割を連想する方も居られよう。
見紛う事無き敗者の存在が、民衆に勝者の存在を実感させ、その後の国を治めるのだ。

世界を正しく回すには、美しき勝者と、そして同じ程度には美しき敗者の存在が大切なのだ。
ここに敗けるべき時に必ず敗ける、常敗無勝、必敗必死の闘技が生まれた――。




***




○Scene 1/4 『三ツ下村(みつしたむら)の夜祭』 ~迷宮時計の戦い直前~

三ツ下村。そこは島根県の人里離れた深山の奥に在る、知る人ぞ知る闘技の聖地である。
時節は師走。世間は年の瀬の慌ただしさと、異国の祭りを祝うムードに染まるこの時期。
東の山の峰から見事な満月が昇り始めたこの日、この時、この場所において。

三ツ下村最大の夜祭が開催されていた。



夜影に紛れ、一人の男が三ツ下村の村境へと姿を表した。
男の目的はこの村の祭りに参加する為か。しかしその姿は山道に不似合いな神父服であった。
男は顔に温和な笑みを浮かべ、その細い両目は柔らかな光をたたえ、墨を重ねた木立の影を見渡す。

「アァーン? おいコラァ! そこのボンクラァ! 止まれッ!
 お前だオマエッ! 聞いてんのかゴラァッ! オーウ? ここから先は立入禁止だクラァッ!」

と、突然のがなり声が男の足を止めた。
木々のざわめきしか聞こえぬ静謐な山の空気が、途端に騒々しく色づく。
男が声のした方を向けば、そこには巨大な棍棒を手に道を塞ぐべく仁王立ちする巨漢の影。

――必敗の王が一角、《常に横暴に進行者の行く手を阻む、重要拠点の門番》であった。

「おやおや、《門番》のお出ましですか。
 出来るならば、私が村長の館を訪ねる事に目をつぶって頂きたいものですが――」
「アァー……? ア、アアッ!? テメェ! 《糸目》の里の落ちこぼれッ!
 誰がテメェみたいなボケを通すかアホンダラァ! ここで会ったが百年目ェ!
 俺の極悪滅殺棍棒術でブチ殺してやるぜェェェ!!!」

突如として始まった前口上。そして臨戦態勢。
事情を知らぬ者が見れば驚き悲鳴をあげ、あるいは腰を抜かしてへたり込むであろう事態であるが、
こと、この日、この時、この場所においては、この事態こそが平常であった。

「ヒッヒャッヒャッヒャァ! どうだ俺の棍棒の先が見切れまいィ!
 おとといきやがれギャハーーーッッッ!!!」

棍棒で夜風を切る《門番》に、神父服の男――綾島聖は悲しげに目を伏せ、ため息と共に呟いた。

「致し方ありませんねぇ。
 では――

 少々強引に目をつぶって頂きましょうかねェェェ永遠にィィィッヒャアァーーー!!!」



ここ、三ツ下村は年に一度、満月が東の山から昇り、西の山に沈むまでの間。
付近の山里に散在する幾多の『必敗の闘技』を伝承する村々から代表者達を集め、
その年の真に必敗なる者を決定するための祭り――讃志多祭(さんしたさい)が開かれるのだ。



「お、俺は本気なんだァッ! 畜生ッ! それ以上近づくとこの女をぶっ殺すぞォ!」
「ぃぃ嫌ァーッ! 誰かッ! 助けて下さいぃぃッ!」
「ヒ、ヒヒッ! これは僥倖! 私の実験のモルモットが二匹に増えたじゃありませんか!」

月明かりに照らされ、あぜ道で敵意をぶつけあう男達の姿が闇夜に描き出される。
これもまた祭りの参加者達。
讃志多祭で各々の技を競う必敗の闘技の戦士達であった。

女を人質に叫ぶのは《追い詰められた事のない、温室育ちの不良》、《不良》。
人質をものともせぬ《研究のためにあらゆる道徳を捨てる化学者》、《白衣》。

いずれ劣らぬ闘技を持った両者である。常ならばこの勝負は長丁場の熱戦となったであろう。
だが、この夜は違っていた。何故ならば、この夜には《糸目》が居た。

「アッギャアァァァーーーッッッ!?」
「ゲボォオオアアァーーーッッッ!?」

影絵となった夜の山々に男達の絶叫が轟き渡る。
丸底フラスコを頭上に掲げ、投げつけんとしていた《白衣》を、横合いから放たれた投石が打ち倒し、
唖然として固まった《不良》の首筋を背後からの強打が襲い、両者は無様に地面へのびたのだ。

「いけませんね。女性にはあくまで優しく、紳士的に振る舞わなければ」
「あ、貴方が助けて下さったのですか?」
「大丈夫ですか? お嬢さん」

人質となっていた女が振り向けば、そこに居たのは二人の悪漢を退けた温和な笑顔の神父であった。
女は眼尻に涙を浮かべ、ああと嘆息を漏らして神父服の男にしなだれかかった。
そして流れるような所作で自分の髪留めを外し、その鋭い針先を男の目玉めがけて突き出した。

《常に何らかの被害者となる、色気と哀愁をまとう女》の謀略であった。

「お礼に私の差し上げられるものならば何でも差し上げます――そう、例えば死とかなアァァァ!」
「もう安心ですよ。もう恐れる事など何もない――すぐに私が最高の安らぎを与えッヒャアアァ!」

とてつもない高速で交わされる同時進行の会話と共に、二人の腕もまた交差していた。
その時、空を流れる雲が月の光を遮り、辺りが漆黒の闇に包まれた。

「さて、急いで村長の所へ行かなければなりませんね」

闇の中で、落ち着き、物腰柔らかな口調の男の声が響く。
ややあって、再び輝きだした月光の下に照らされた道を歩む人間は、神父服の男ただ一人であった。



三ツ下村の最奥部。
そこに、この夜の常人では決して生き延びられぬ戦士達の祭りを眼下に、悠然と佇む館があった。
それが綾島の目指す場所。山奥の村には不似合いな、けばけばしい飾り付けの巨大洋館であった。

「グフフ……若造達があちこちで奏でる悲鳴を耳に、
 奴らが十年掛けて稼がねば一杯分も買えぬウィスキーを十秒で呑み干す……実に至高の一時だ。
 そう思わんか?」

館のテラスで月明かりの下、手に持ったショットグラスの琥珀色の液体を愛でるように回す男が居た。
歳は六十前後であろうか。シワの目立ち始めた顔に、突き出た腹が貫禄を添えるこの男こそ、
三ツ下村村長、かつエリート必敗闘技《何事も金で解決を図る金持ち》――《汚金》(おかね)伝承者であった。

テラスには冬の夜も寒気を寄せ付けない暖房設備を完備。
ゆったりと座れるロッキングチェアに身を置き、存分に讃志多祭の進行を眺める。
傍らには純金製のシシオドシがカポンと高い音を鳴らして気分を一層盛り上げてくれる。

村長は、満足気にウィスキーを呷った。
部屋の中では、村長の付き人である光の必敗闘技者、《悪漢を相手に正論を説く老爺》と、
もう一人、黙って壁際に立つ客人がそんな館の主の姿を見つめていた。

不意にけたたましいベルの音がテラスを騒がした。
村長の蒐集品、アンティーク壁掛け電話である。村長は舌打ちをして部屋に入り、受話器を取った。

「何だね私は今愉しんでいる最中なのだぞ! ……ああ? 館に侵入者だぁ?
 そんなものは君達でなんとかしたまえよ! 何のために高い金を払って雇っていると思っとるんだ!」

受話器を壁に掛け、まったく頭の使えん部下共だと村長が独りごちた次の瞬間。

「ゴヴェアァァァファァァァーーーッッッ!!!」

村長の私室を守る、両開き式最高級黒檀製の分厚いドアが吹き飛び、
廊下から《大金を積まれる事でどんな危険も顧みぬ雇われ者》、《黒服》が転がり込んできた。
奇声をあげる《黒服》の身体が錐揉み回転をしながら、部屋の観賞用札束ピラミッドに突っ込む。

「な、何事だッ!? 何が起こったんだね!? 侵入者か!?
 ま、まさか私の精鋭部隊が全滅――!?」

札束が吹き飛び、部屋に紙幣の紙吹雪が舞い飛ぶ。

「おォォやおやおやァァァ……まァたまた勝ってしまいましたねェェェ……。
 不出来な弟子で申し訳ないことです。本当に。
 ――お久しぶりです。村長」

その紙の横断幕の奥からゆっくりと姿を表したのは、

「貴様ッ!? 聖かッ!!」

《常に温和な笑みを絶やさない、物腰柔らかな糸目の男》、綾島聖であった。




***




○Scene 2/4 『降誕祭の血風録』 ~迷宮時計の戦い開始~

明かりだけが入れられた、客のいない夜のショッピングモール。
十二月という季節がら、施設の各所はきらびやかな電飾で飾られ、サンタや雪だるまが据えられていた。

誰も居ない虚ろな空間、蛍光灯の光を反射する白い床に、クリスマスソングが白々しく流れ続ける。
昼は祭りに浮かれた若者や家族連れの賑やかな声で暖かなこの巨大施設も、今はただ広く淋しげであった。

そんな施設の中央、このショッピングモールで最も広い、五階分吹き抜けのホールにて、

「ミスター・チャンプ。このBGMは良いものですね。
 パッヘルベルのカノン……良い曲です。
 大バッハ以前のクラシックでは屈指の名曲ですよ。
 素朴さと美しさが同居したこのヴァイオリンの旋律……実に良い。
 実に――人の頭骨を陥没させる丸太を振るうにピッタリのリズム感ですねェェェ!」
「なるほど、《暴徒》のように見境なく他者を襲うながらも、
 その言葉に薀蓄を挟み知性をひけらかす事を常に忘れない――これは確かに《糸目》の流儀!
 いいだろう! 来いッ! ミスター綾島ッ!」

DIYコーナーから拝借してきたであろうチェーンソーを手にBGMのタクトを振る、
電飾のドームで飾られたエスカレーターにゆっくりと運ばれながら現れた綾島聖と――

得物代わりにホームセンターコーナーから丸太を抱え、
地階で彼が降り立つのを待つミスター・チャンプの邂逅が執り行われ――

「さあさあさあァァァ! 私は工芸にも心得がありましてねェェェ!
 このチェーンソーで貴方を削ってディナーに添えるブッシュ・ド・ノエルにして差し上げますよォ!」
「ェェ鋭ッ!」

二人の得物がかち合い、ここに迷宮時計の戦いを始めるゴングが鳴らされた。



その戦いは、魔人同士が互いの能力を駆使して生死を奪い合う迷宮時計の戦いの、
幾度も繰り返され生存者も絞られてきたこの局面で行われるものとしては、予想外の。
実に予想外の、特異な現象も、奇怪な知略も挟まれる余地のない、完全な肉弾戦であった。

「私の動きについてこれるかなァァ~~~ッヒャハアァァ!」

床を蹴り、壁を蹴り、エスカレーターの側面を、背面を蹴り、糸目の神父が背後から凶器を振るう。
唸る鋼鉄の回転刃がその速度で肉に触れれば、チャンプの肉体も弾け血化粧に染まるだろう。

「応ッッッ!」

チャンプは開き足で前後左右に素早く足を継ぎ、綾島の猛波状攻撃を丸太で凌ぐ。

「観客が居ない事が残念でなりませんよォォォ! せっかくの聖夜なのですからァヒャヒャヒャ!
 子供達には是非とも賛美歌を奏でて貰いたかったアァァ――それはそれは酸鼻な歌をッヒャアーッ!」

更に続く、首や胴体といった急所ではなく、執拗に腕や脚を狙う綾島の痛ぶり目的攻撃。
これを紙一重で躱し、

「噴ッッッ!!!」

チャンプの丸太が前のめりに体勢を崩した綾島の身体に振り下ろされ、

「おおっと危ないアブなィィギャアァ!?」

綾島がその一撃をチェーンソーで受けようと試み、
しかしそもそも武器として設計されていない工具の限界ゆえ丸太を受けきれず折られ、
同じく衝撃に耐えられず折れた丸太の先端を胴体に喰らって宙を舞った。

初のクリーンヒットである。

「どんなものだね。吾輩の丸太術もなかなか様になっているだろう?」
「ええ……なるほどなるほど、普段から高速で振るわれる剣に慣れた貴方は素早い攻撃に強い。
 ですがですがァ! 私の優秀な頭脳はもう対処法を思いついておりますよォォヒャハハハハアァ!」

だが、距離をおいた床に着地した綾島は既に次なる手を打っていた。
スピード特化型の肉体強化から、パワー特化型の肉体強化へ。己の肉体強化能力の変換。
綾島の黒い神父服がはちきれんばかりに筋肉で膨らんでいた。

いかに肉体を鍛えた魔人といえど、能力によって強化された魔人の筋力には敵うまい。
これが綾島の高速回転する頭脳が導き出した答えであり、
また《糸目》としての正しき所作。続く言葉はもちろん決まっている。

「さあ、それじゃあ力比べといこうじゃないかァ~~~ッ!!!」

両手を伸ばし迫る神父。
これに対しチャンプは逃げるか。いや、正面からその手を受け止め、手四つの体勢になる。

「このまま拳を握りつぶしてエビめいて挽き割ってやりましょウヒャヒャーッ!」

ここぞとばかりに綾島が両手に力を込め――だが、完全なる予想外。
すりつぶしてディナーのハンバーグにするはずだったチャンプに、
パワー特化型の自分が力で押し負けている――!

「ヌゥゥゥンッ!!!」
「アッアッアッ!? アガァーーッ!?!?」

弾き飛ばされ、ホールの床を派手に転がった綾島はなんとか体勢を整えチャンプを見やる。
そこに仁王立ちし、赤銅色の筋肉をさらす屈強な戦士の姿を。

「悪く思わんでくれよ。吾輩はプロレスラー。
 吾輩の勝利を応援する者の支援を受け取らずして、プロレスラーではいられぬからな」

綾島の計算は正しかった。
純粋な肉体の強度でいえば、生身のチャンプよりも能力で強化された綾島の方が強い。
しかし、今のチャンプはただの生身ではなかった。

「今の吾輩は、戦友キュア・エフォートの魔法の加護を受けている!
 友の応援がこの身を燃やす限り、吾輩は誰にも敗けはしないッ!」



――それは今回の迷宮時計の戦いが始まる一時間前。
次なる戦いの開始と、そして別れを告げるチャンプへ、前迷宮時計の戦いで心を通わせた相手、
キュア・エフォートが手向けとして身体強化魔法を掛けていた。

『どうか、迷宮時計を集めてください』

キュア・エフォートは自身の肉体強化は得意ながらも、
自身の身体から離れた物を強化するのは苦手であった。
強化の持続時間も、強化の強度も、通常ならば到底戦闘で役立つレベルには達せない。

『私の力を、限界までお貸ししますから』

だが、キュア・エフォートには『エフォート・モア』という、自身の魔力量を1.1倍にする力があった。
これは使用の際の痛みに耐えられる限り、際限なく、何度でも重ねがけが可能な、
実質的に己の魔力を無尽蔵に増幅させる力であった。

『どうか勝って――助けてください』

どんなに元から弱体化しようとも、その元が途方もなく強大であれば、それは強い。
キュア・エフォートがチャンプ強化の際に重ねがけした『エフォート・モア』の回数は、
実に300回を超えてた。

『私は耐えられます。耐えるのは得意なんですよ。私、これでも努力の魔法使いですから』

1.1倍などと侮る無かれ。それが重ねがけされる事300回を幾らか超えているならば。
そこいらにある薄っぺらな紙の厚さも、空に浮かぶ月に届く分厚さとなるのだ。
今、チャンプの肉体は恐るべき強靭さとなっていた。




***




○Scene 3/4 『闘いを観る者達』 ~迷宮時計の戦い途中~

「何だこれは一体ィ!? 聞いておらんぞ私はァ!!」
「ま、友情パワーってヤツかな? 言ってみりゃあな。どうだい《汚金》?」
「フン! だが最後に勝つのは聖だ。いや、敗けられぬと言うべきか。不出来な奴めよ」

三ツ下村の村長の館で、チャンプの『H.M.P』によって流される戦闘の様子を観ながら、
二人の男が肩を並べて語り合っていた。

一人は当然、館の主である三ツ下村の村長である。
そしてもう一人は――この日、この館に客として訪れていた村長の旧知の人物。
必敗の闘技の対を成す、神代の時代に勝利を収めた武御雷神の闘技の現正統伝承者。

平井田吾作。
ミスター・チャンプのライバルであり、師匠、アークエンジェル平井その人であった。

「そうだ! 行け! 聖よ! 私はお前に賭けているのだ! しっかりせんか!」
「ボーイ……まだまだ見てらんねぇな!」

映像の中、戦闘は場所を移して行われている。
ショッピングモールの食料品店コーナーで、二人の男が所狭しと陳列棚を練り走っている。
時に神父が小麦粉の袋を破裂させ、ライターを振り回し、

『アアーッと! これは綾島! まさか粉塵爆発を狙っているのかッ!?』
『あんな広い場所で小麦粉を撒いても爆発はしないでしょう。
 それと食べ物を粗末にするのは頂けませんね』

時に神父が卵に香辛料を仕込み、大量に投げつけ、

『アアーッと! 糸目の神父の貴重な散卵シーンだッ!』
『良い子は食べ物を投げて遊んではいけませんよ。真似しないで下さい』

本人達は命懸けの戦闘を行っているはずなのにも関わらず、なんともコミカルな絵面が続いていた。

「二十年前、十年前と二度も敗けさせられたからな。今回こそは私が勝者となる番だ」
「さぁて、それはどうかな?」

アークエンジェル平井と村長は、勝利の闘技の代表・敗北の闘技の代表として、
二十年前から親交を始めていた。歳が同じ事もあり、二人は気安い付き合いをする事になった。
十年に一度、互いの闘技の近況を語り、世の乱れを語り――

そして神代の闘いの再現とでも言おうか、二人は顔を会わせるたび、なにがしかの勝負をしていた。
今年は、急遽やってきたアークエンジェル平井が、日を同じくして訪れた綾島の、
「神代の時代からのライバル流派と決闘する報告」を聞いて村長へ持ちかけた賭けがそれに当たる。

すなわち、『どちらの弟子が勝つか』。

村長は敗北の闘技代表の立場として、《糸目》の里を追放された綾島の後見人として、
彼が成人するまでの間、必敗の闘技を改めて教え、面倒を見てきた、綾島の師匠であった。

「しかしまぁ……こいつら楽しそうに闘いやがって」
「聖の奴は必敗の、そこのところの心得だけは昔からあったが……技術がなァ」

弟子の闘いを見つめ、村長はため息をつく。
『今、この時を楽しむ』――それを至上命題とする必敗の闘技。

映しだされた画面の中、命よりも、何よりも優先する矜持を胸に、
快心の邪悪な笑みを浮かべる綾島聖の姿があった。

「今を生きる事しか考えられぬ者には未来は無いのじゃ……。
 見なさい。次の闘いを、未来の人生を見つめたあの若人は先の闘いで仲間を得ておる……。
 やはり明日じゃ……皆、明日を見なければならぬのじゃ……」
「やかましいわ!!!」

《老爺》が顰め面で語り、それを村長が純金骨組みの扇子で打ち据えた。
即座、《老爺》は華麗な前回り受け身と共に床に倒れ伏す。彼もまた、必敗の達人。
こいつらは本当に楽しそうだ――アークエンジェル平井は笑いを含み、また戦闘の行末を見守り始めた。




***




○Scene 4/4 『友情努力、勝利』 ~迷宮時計の戦い決着~

「死ィィヒャヒャアアアァァァーーーッッッ!!!」
「ォォォ応ッッッ!!!」

二本の丸太が超高速でぶつかり、空中で爆発四散する。
余波で吹き飛んだ綾島も、チャンプも、肩で息をしながら床に着地した。

「ハァーッ! ハァーッ! 私をここまで追い詰めるとは、やってくれますねェェェ……」
「ヌゥ……そろそろ……決着といこうか……ミスター綾島」

かたや反動のある肉体強化能力、かたや使い切りで補填のきかない肉体強化魔法。
既に両者とも限界が近い事を自覚していた。

二人の戦場は、いつしかまたショッピングモール中央、吹き抜けのホールへと戻ってきていた。
電飾で飾られたモミの木、巨大なスノーマンのオブジェ、まばゆいばかりに光り輝くこの場所こそ、
戦闘の決着にふさわしい舞台であると両者は感じていたのかもしれない。

「ヒ……ヒヒャヒャァ……ですが、ここまでですよォォミスター・チャンプゥゥ!
 こうなっては私も奥の手という奴を使わせて頂きますからねェェェ!」

だが、綾島はあくまで不敵な笑みを崩さない。
日曜工具殺法も、殺人料理拳法も、これまで使用したどの技も決め手にはならなかった。
しかし、綾島には最後の手段が残されていた。ここまで生き延びた相手に決着をつける、最後の技。

『剛魔爆身』狂戦士の形相――自らを破壊と殺戮の権化とする究極の肉体強化。
そして――綾島は懐に手を差し込み、そこから糸につながれた五円玉を取り出し――

「いィいですかミスター・チャンプゥゥゥ……私が今から行うのは最強最悪の肉体強化能力行使ィ……
 そしてそしてェェェ! その上さらにこの五円玉を使って自己催眠を行う事でェェェ!
 私は更に更にさらにィィィ! 限界を超えた力を得ることが出来るのですよォォォ!!!」

高速の舌捌きでもって脅威の滑舌を実現する綾島が、
言葉と同時に五円玉を自分の眼前で振り子のように揺らし始めた。

「ミスター・チャンプはご存知ですかァァ? 人間の脳は普段30%しかその機能を使っていなァい!
 しかし私はこの自己催眠によって使われていない70%の機能を引き出すことが出来るのですよォ!」

直後、綾島の肉体に変化が訪れた。それは五円玉が揺れるたびにその度合いを増していく。
綾島の全身が、膨張していく――それは筋肉の驚異的隆起であった。
そう、これこそが綾島の最終奥義、脳機能100%開放型狂戦士の形相である。

「キキョキョ狂戦士の形相にィイィここコの自己催眠ンンの相乗効果でエェェ……!
 わたシの力は更に倍々バイィ……! ショショ勝率ゥゥ200%ォォォ……オウ!」

もはや綾島の神父服は爆発せんばかりの筋肉によって破れさり、剥き出しの皮膚はドス黒い血の如し。
悪鬼か羅刹かという表情は人間のそれを外れ、さながら悪魔の化身。
異国の聖夜に血塗れた靴下を届けるという、伝説の悪魔Mr.レッドラムもかくやというものであった。

「戦いの終局を察知し、筋肉で巨大化する……なんと心得た、見事な心意気か……!
 ならば吾輩もこの一撃に全てを込めるぞ! 来いッ! ミスター綾島ッ!」

チャンプもまた、一撃で戦いを終わらせる、最後の大技を出す腹積もりを決めていた。
エフォートから譲り受けた残る全ての魔力を両手に集め、その手は牙を剥く虎口を象る。
両手のひらを前に、手首を合わせ、そしてその両腕を腰溜めに構える。

これこそが理性なき咆哮をあげる巨大な筋肉の悪魔を倒すにふさわしい技。
友情によって得た力を、全世界のちびっこ達が飽くなき努力を重ね体得しようとするこの技に乗せて。
もちろんチャンプも陰ながら特訓した、この技で。

「死ィィィッィ……ッヒャアアァァァァ!!!」

変化を終えた綾島が、最速を生む脚で大地を蹴った。
不可視のタックルでチャンプをバラバラに――? 否。理性は無くとも綾島の肉体は覚えている。
綾島がこの時に成すべき行動――それは正面からの攻撃ではない。《糸目》が成すべき行動は――

「上かッ!」

五階建てのショッピングモールの吹き抜けの、その天井まで届く跳躍力で頭上を抑えた綾島が、
超筋力による素手解体惨殺ショーを行うべくチャンプに襲いかかる。
だが、その速度は自由落下。全ての準備を終えたチャンプを前に、それはあまりにも遅かった。

――最後まで矜持を貫く、確かな漢よ。

チャンプは畏敬の念と共に、全霊で叫んだ。
それはきっと、次元を越えて世界中の子供達も共に叫んだであろう。



「ウィーーーッ!」

「ヒャアアァァ!」

「アァーーーッ!」

「ヒャアアァァ!」

「チャアァァァーーーンプッッッ!!!」

叫びと共に突き出したチャンプの両手のひらから放たれた、努力の魔法使いの圧縮魔力。
それは不可避の光弾となって上空の綾島の腹にめり込み――
その巨体を吹き抜けの天井まで押し上げ――
のみならず天井を突き破り――

「ギィィニャアァァァァーーーーッッッ!!!」

綾島の断末魔の叫びを残し、はるか彼方へと吹き飛ばしていった。



「ミスター綾島よ……楽しかったぞ!
 もしまた巡り会う日が来た時は、きっとリングの上で再び戦おう!」

チャンプの突き出した両手のひらの先。
吹き抜けの天井に空いた大穴から、聖夜を彩る満天の星空がきらめき、地上を覗きこんでいる。
そのくり抜かれた夜空の中央で、満月が丸く大口を開け、明々と大笑していた。




***




○Epilogue 『またいつか、強敵よ』

「馬鹿なッ! バカなッ! バカなアアァァァッ!!! あの聖が、ま、ま、敗けるなどッ!」

『H.M.P』によって映しだされた光景を前にして、村長の絶叫が山間の洋館に木霊した。
村長は信じられぬとマホガニー製の重厚な机を拳で思い切り叩き、空のグラスがカチャンと跳ねた。

必敗を常に仕損じる、あの《糸目》の里の落ちこぼれが、その闘技の妙を全うするとは。まさか。
到底信じがたい事実だが、目の前には『決まり手:WAC2(ウィーアーチャンプキャノン)』の文字。

「賭けは私の勝ちだな。ええ? 《汚金》さんよ」

愕然とする村長の肩を叩き、アークエンジェル平井がニヤリと笑い、

「グ、グググッ!
 ………………なあ、作よ? この勝負の勝ちを私に譲らんか? 賭金の倍は出すぞ?」
「馬鹿が。勝利は金じゃ買えねぇんだよ」

村長はガクリと膝を付き、肩を落とした。

壊された扉が転がり、札束が散乱する薄暗い洋館の一室。室内を明滅させるのは『H.M.P』の明かり。
未だ意識を取り戻さず床を舐める《黒服》と、試合結果に感涙する《老爺》と、老境の戦士が二人。
此度の迷宮時計の戦いの全てが幕を下ろした瞬間であった。



「聖の奴は死んだか……」

村長が小声でこぼした。

「さてな。こういう腐れ縁ってやつはなかなかしぶといからなァ。
 私とお前が良い見本だ。もしかしたら、またすぐに出会う事になるかもなァ、あいつらも」

アークエンジェル平井はマホガニー製の重厚な机に置かれたウィスキーの瓶を手に、言葉を返す。

「それじゃ、賭けの戦利品にコイツを貰っていくぜ」

机に置かれた空のグラスにウィスキーをなみなみと注ぎ、
グラスをそこに残したままアークエンジェル平井はテラスに出た。
夜空に浮かぶ青白い満月。仰ぎ見ながら、アークエンジェル平井は手に持った瓶を呷った。

「その一杯は私のオゴリだ。遠慮なく呑んでくれや。――馬鹿弟子の戦いに乾杯」

そして空になった瓶を放り、室内を振り返る。
その表情は――してやったりという満面の笑みであった。

「お前も落ちこぼれの馬鹿弟子にしっかりと必敗エリートの敗けっぷりってのを教えてやったんだ。
 不出来な必敗を叩き潰して必敗エリートの矜持が保てただろう? これで私の三勝ゼロ敗だな」

その言葉の意図に気づき、村長は慌てて立ち上がった。
よろめき、怪しい足取りながらも、その双眸は紅く燃えていた。

「ま……まさかッ!? 私に賭けを持ちかけたのはッ! 私が賭ければ聖が必敗すると睨んでッ!?
 私のエリート『必敗』で聖の『必敗』を上書くのが狙いだったのかッ!」
「これも『友情』の勝利ってやつだなァ。狙い通り酒代が儲かったぜ!」
「こ、姑息なッ! なんと姑息な奴めッ!」
「ハッハァ! 私を誰だと思っている?
 天下のダーティープレイヤー、アークエンジェル平井様だ!」
「お、おお……おのれェッ! これで終わったと思うなよ!
 次に会った時は今日という日の出来事を後悔させてくれるわッ! 必ずッ! 必ずだッ!」

激昂する村長を尻目に、アークエンジェル平井は高らかに笑いながら、

「じゃあな。十年後にまた会おうや」

手すりを軽々と乗り越え、テラスから夜の闇に覆われた山陰に消えていった。



客が去り、深山の夜本来の静けさが戻ってきた洋館で、屋敷の主は残された酒杯を手にしていた。

「……フンッ!」

鼻息荒く酒を呷り、空のグラスを乱暴にマホガニー製の重厚な机へ叩きつけた。
床の札束を見下ろし、掃除夫を呼びに足音も荒々しく壁掛け電話へと歩み寄り、

「やはり明日を生きる者にこそ勝利は訪れるのじゃ……これは我々の勝利なのじゃ……。
 今日の卵より明日の鶏……今日の種籾より明日の稲穂なのじゃ……。
 未来を願う彼らが……儂が……勝利の……人生の……」

「我々こそが王者なのじゃ……」
「やかましいわ!!!」

壁際でいつまでも感涙にむせび続けていた《老爺》を扇子でビシリと打ち、受話器を取り上げた。

その様子を終始黙って眺めていたテラスの純金シシオドシが、一つ、カポンと音を鳴らした。

最終更新:2014年12月07日 16:06