イシノオ


その夜、”音楽屋”のイシノオがエド・サイラスの店を訪れたとき、綾島聖は不在だった。

エド・サイラスのバーはいつもと変わらない。
営業しているのかどうか、表通りからでは判別もつかなかった。
しかし実際のところ、エド・サイラスにそのような商売人らしい
最低限の心得を求めることは無意味だ。

客は自由に彼の店に押しかけ、好きなだけ彼を苛立たせることができた。

「綾島なら、一週間前から姿を見ていない」

と、エド・サイラスは迷惑そうな顔で答えた。

「あいつの顔を見てると吐き気がするんだよ。
 まだ気分が悪いね」
「わかりますよ、エド」
イシノオは話を合わせた。
いつだって、エド・サイラスを怒らせるのは得策ではない。

「そういえば、あの人はなんだって神父なんかやってるんですかね?」
「他にどんな商売ができるって言うんだ?」
「さあ」

イシノオはそれ以上の言葉を続けなかった。
もとより、綾島聖の話題を続けるほど興味もない。
代わりに、店の隅のピアノを一瞥した。

「弾いてもいいですか? 今日は、私が」
「冗談じゃない」

エド・サイラスは一杯の酒すら、イシノオに勧めようとはしなかった。
むしろ彼は、彼自身のグラスに透明な液体を注ぎ、それを呷った。

「俺は騒音が嫌いなんだ」
「ピアノの音楽は騒音ですか?
 だったら、なんで置いてあるんです」
「知るか。黙れ」

はっきりと怒りを孕んだ声だったので、イシノオはそれ以上の追求を止めた。
代わりに、自分で勝手にビールサーバに手を伸ばす。

「最近、この店には人が来ないですね。今日は私だけですか」
「誰も来ない方がいい。だが」

エド・サイラスは鼻から息を吐いた。
店内には、静かに換気扇が回る音だけが響いている。

「この前は”ソルト”ジョーが来た。綾島の情報を売って儲けるんだと」
「それはいい。私もそうしようかな」
イシノオは笑う。

「いまなら高く売れますね。そしてあの人がブチ殺される阿呆ヅラを見ながら、
 みんなで美味しい酒が飲める」
「結局、俺が仕入れてやったエモノは使ってねえ」
「想像を絶する阿呆なんですよ、綾島さんは。
 自分が何をしたいかすら理解していないんです」
「どうかな」

少し憂鬱そうに顔をしかめて、エド・サイラスはグラスの酒を飲み干した。

「本当に自分が欲しいものを理解している人間は、そう多くないぞ。
 綾島聖は知っている」
「誰だって、自分が欲しいものくらい、わかってるでしょう」
「それは金か? それとも――いや。いい。どうでもいいな」

エド・サイラスはイシノオから目を逸らすと、店の入口を指さした。

「お前、もう帰れ。飽きた」
「酷いですよ、いま来たばかりじゃないですか」
「帰れ」

こうなると、エド・サイラスに取り付く島はない。
イシノオは肩をすくめた。

「また来ますよ。今度は、みんながいる時に」
「二度と来なくていい」

こうして、また店は無人となった。

最終更新:2014年11月29日 19:41