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裏第一回戦SS・避暑地その1


にゃんこ師匠気炎万丈! ~夢見て生きなきゃ武士じゃニャい!の巻~










新緑の葉生い茂る木々を両脇に、アスファルトで舗装された山道を行く。
季節は初夏であろうか、日中だが避暑地という事だけあって気温は然程高くも無く、過ごし易い気候である。
斑な木漏れ日と蜩(ひぐらし)の鳴き声を全身に浴びつつ、野山の清涼な空気を胸に吸い込みながら歩いていると、
身体の隅々まで浄化されていくような心地がして、ここが戦いの舞台だという事さえ忘れてしまいそうだ。
無事にこの戦いを勝ち抜いたら、友達を誘ってまたここへ遊びに来てもいいな――ふとそんな思いが、長身の少年……日下景の胸を過ぎった。

(……何を考えてるんだ、僕は)

彼は咄嗟に頭を振り、ふとして漏れ出た暢気な考えを打ち消した。長閑な風景に浸る余り、つい心が緩んでいた。
ここは戦場、いつ敵が襲ってくるかも分からない。相手は『にゃんこ師匠』という(ふざけた)名前以外何の情報も無い。
欠片の時計によって対戦者の名前が知らされてから、彼は彼なりに敵の情報を調べようとしたが、見事なまでに何も分からなかった。
意図的に情報を秘匿しているのか、単に世に知られていないのかは不明だが、どのような相手であれ油断は禁物。
極論、相手が人間ですら無く、本当に猫の姿をしている事もあり得る。
それにもしにゃんこ師匠とやらが魔人であるならば、何だか分からない内に終わってしまう可能性も0では無いのだ。
魔人同士の戦いに絶対は無い。日下景は今一度気を引き締めた。

(必ず勝って帰る。あの日常を取り戻す為に……!)

油断無き武人の顔つきとなった日下は、トンネルのように続いていた木々が拓けた先、青く輝く穏やかな湖の湖畔に辿り着いていた。
水辺には数台のスワンボートがのんびりと漂い、その上で家族と思しき数人の男女が幸せそうな笑顔を浮かべている。
日下の立つ位置から岸辺に沿って右回り、百メートル程進んだ所に小ぢんまりと建つのは、瀟洒な雰囲気を湛えた白レンガ造りのホテルである。
彼は周囲に警戒を払いつつ、しばし黙考した。今問題となるのは、対戦相手が何処に居るのかという事だ。
山中に身を潜めているのか、あるいはあのホテルの中か。まさか湖の中という事は無いだろうが、注意するに越した事は無い。
おおよそ二十秒で考えを纏めた日下は、迷いの無い足取りでホテルへ向かい始めた。あの中で罠など張りながら待ち伏せされては厄介だ。
武道家たる日下は屋外での射撃戦などは極力避けたいという事情もある。ホテルに居なければ居ないで適当に部屋を借り、体力の消耗を抑えつつ今後の方策を練るのも良

い。
幸いにしてここは現代、貨幣は問題無く機能する。日下はしなやかな身のこなしで鉄の門扉を潜り、ホテル内へと足を踏み入れた。






ホテルの外観と似つかわしく小さなフロントは、シックな色合いで統一された調度品と相まって大人びた雰囲気を醸し出している。
やや気後れしながらも受付嬢に宿泊の申し出をした日下は、差し出された台帳に記帳しつつ世間話を切り出してみた。
天気や食事、レジャースポットなど当たり障りの無い話から、ふと思い出したように話題を変える。

「そういえば、今日変な人を見かけませんでしたか?」
「変、と申されますと?」

品の良いダークスーツを着こなした受付嬢はやんわりと問い返した。

「いや、ここに来るまでにすれ違った人の話が耳に入っただけなんですけど、ここらで不審者が出たとか。
 何か異様な風体の人間が居るとかいう話、聞いた事ありません?」
「そうですねぇ……」

受付嬢は一瞬考え込むように口ごもった。何かを知っている……日下はそのように直感した。
知っているけれど話せない。ならばそれは、守秘義務の発生する顧客の情報では無いか?
日下は己の心情が表に出ぬよう、努めてゆっくりとペンを置いた。焦ってはいけない。心の中で自分に言い聞かせる。
焦りはミスを呼び、チャンスのきっかけを取りこぼしてしまう。武術の駆け引きに通じる日下は、心理の駆け引きについても心得があった。
生きて帰りたければ、どんな些細な情報も聞き漏らさない事だ。少年は死に物狂いであった。

「すいません、変な事聞いちゃって。これ、書けました」
「ありがとうございます。ではこちらの……あら?」

台帳を受け取った女性が、日下の名に目を留めた。

「どうかしましたか?」
「いえ、あの……失礼ですが、日下景様でお間違い無いでしょうか」
「ええ、僕が日下景ですが」

首肯しながら、日下は昂揚と不安が綯交(ないま)ぜになった感情を抱いていた。
どうやら先を越された……そのように思ったからだ。

「ここに宿泊されております、……ええと、にゃんこ師匠様からお言伝を承っております」
「……はぁ」

本当にその名前で泊まったのか。未成年の自分が言うのもなんだが、よく泊まれたものだ。
日下は呆れ顔になりそうになる表情筋に喝を入れ、続きを促した。

「『わたしは一階の大広間に居る。しばし時が経てば三階に借りた部屋に移るつもりなので、広間に居なければそちらを訪ねられたし』……との事です」
「へぇ……ちなみに、大広間には他に人は?」
「ええ、今は丁度地元の町内会御一行様が宴席を開かれておりまして」
「はぁ、町内会……」

戦闘の場としてはそぐわぬ単語に一瞬怪訝な表情を浮かべた日下であったが、すぐに気を取り直して言った。

「その、にゃんこ師匠さんが伝言を残したのはどれぐらい前ですか?」
「ええと、20分程前ですね。チェックインの際に申し付けられました」
「20分……」

日下は戦闘開始地点からほぼ真っ直ぐここまで来た。にも関わらず20分もの差が付いているという事は、はなから転送時間が異なっていたという結論になる。
よくよく考えてみれば、欠片の時計を争奪するとは言っても、その条件が公正なものであるという保証はどこにもされていない。
彼は内心舌打ちしたくなるのを堪え、なおも尋ねた。

「あー、その大広間っていうのは?」
「こちらの奥を真っ直ぐ行った突き当りの部屋でございます」
「うん、ありがとう。とりあえず行ってみます」

受付嬢の言葉を爽やかな笑顔と共に遮り、日下は決断的に毛足の長い絨毯を踏み締めた。

十中八九罠であろう。そんな事は分かっている。好機を窺い、隙を突いて仕掛けた方が得策である事も。日下の足取りに迷いは無い。
彼を突き動かしていたのは、若さ故の衝動と義憤と、それをも上回る執念にも似た望郷の思いであった。
敵がいかなる策謀を廻らせようとも、少年の目的は変わらない。再びあの日常を取り戻す。自らの手で終わらせてしまった、あの日々をもう一度蘇らせる。
少年の胸に宿る炎は、いつかあの娘と見た夕焼けと同じ紅に燃え上がっていた。
『松の間』という看板の掲げられた扉の前に立つと、中から微かな喧騒が漏れ聞こえてくる。
日下は一つ深呼吸をしてから、意を決して扉を押し開けた――――。










べべん、べべべん、べべんべんべん、べんべんべべん、べべべんべん。

扉を開けると、猫が三味線を弾いていた。
日下景は瞬間、あれ程心に決めていた覚悟も忘れ、立ち尽くしていた。
あまりにも異質な光景が脳髄に叩き込まれた為、判断機能がオーバーフローを起こしかけていたのだ。
猫の頭をした老人は紋無しの羽織袴を着込み、畳敷きから一段上がった壇上で一心不乱に三味線を爪弾いている。

(猫?にゃんこ?にゃんこ師匠?)(いや待て決め付けるな)
(被り物という可能性も というかその可能性の方が高いしそうであって欲しい)(カワイイし)
(ぼーっとしてる場合じゃ無いだろ)(動揺するな猫が三味線弾いてるだけだ)
(警戒しろ、不自然な動きをする奴に目を凝らせ)

一瞬の間に幾つもの思考が錯綜し、否応無く少年の動きを止める。
何人かの客が振り返り、彼の姿を見て怪訝そうな表情を浮かべたが、やがて壇上に向き直った。
何処かに腰を下ろした方が良いかとも考えたが、結局立ったまま様子を見る事にした。
不審と言うなら無関係の人間がこの広間に入って来た時点で不審である。ならば少しでも危機に対応出来る態勢で居たい。
やがてしめやかに演奏が終わり、猫頭の男が立ち上がって一礼すると、マイクを握って言った。

「えー、改めましてこんにちは。にゃんこ師匠です」

にゃんこ師匠だった。日下は今度こそその場にしゃがみこんで頭を抱えたくなる衝動に耐えねばならなかった。

「失礼ながら、そこの入り口に立っている少年……貴殿は日下景殿に相違にゃいだろうか?」

名を呼ばれ、日下は顔を上げた。大広間中の視線が一身に集まる。
一体何を狙っている、にゃんこ師匠――。

「……ええ、確かに僕が日下景です。『欠片の時計』に呼ばれて来ました」

今更取り繕っても意味は無い。そう判断した日下は正直に返答した。
にゃんこ師匠は得心したように頷くと、ひらりと壇上を降り、しなやかな歩みでこちらに向かって来る。
只者では無いと思った。顔からして只者では無いが、そういう事では無い。
歩く姿にあまりにも隙が無いのだ。まるで一挙手一投足が合理を体現したかの如く。
それでいて、不要な力みや気負いといったものも感じられない。恐るべき使い手である。

「ああ、わたしと彼の事はお気になさらず。どうぞ宴を続けてください」

途中で顔見知りと思しき男に断りを入れつつ、にゃんこ師匠は日下景の前に立った。
喧騒の中で、日下は二人の間合いだけが真空めいて無音と化したような錯覚を覚えた。
一瞬でも隙を見せれば撃つ。日下は腕の力を抜き、勁を発するに最適な状態を保つ。

「……何をしてるんですか、貴方は」
「うむ、宴の気配に誘われて来て見れば、これが気の良い方々でにゃ。酒の礼にと拙いながら三味線を披露してござる。
 五十の手習いという奴で、少々心得がござった故」
「そういう事じゃ無くて……」

もし自分が大規模範囲能力者だとか、狙撃能力者だとしたらどうするつもりだったのか。
そうでなくても、あんな目立つ場所で座り込み、両手の塞がる状態を晒すなど自殺に等しい行為ではないか。
困惑する日下の表情をどう読み取ったか、にゃんこ師匠は広間の隅、長机の端を指し示した。

「あすこに席を取っております。差し当たり、酒でも頂きつつ語らいましょう」
「……あのですね」

困惑を通り越して呆れ果てた日下の口から、思わず疑問が突いて出た。

「貴方は、戦う気が無いんですか?」
「無(にゃ)い」
「は――」

即答であった。

「はぁっ!?」
「話し合いで解決出来るならそれに越した事はにゃい。そうではあるまいか?」
「…………」
「そして、話し合いならば立ったままより座して杯を酌み交わすのが道理というもの。まずは一献付き合われませい」

返事を聞く前に、猫頭の老人は踵を返して先程示した席の方へ歩き出す。
日下は人生で一番眉間に力を入れているような気がした。あの猫頭の考えがまるで読めない。
こちらに背を向けている内に不意を打つ事をちらと考えたが、周りは酔客で溢れ返っている。
あのにゃんこ師匠が腰に下げたものを抜けば確実に巻き添えになるだろう。日下はこの歳まで社会経験を積んで来た高校生であり、冷酷非情な殺人鬼ではない。
自分と無関係な人間が意味も無く死んでいくのも目の前で見過ごせる程彼の精神性は破綻していない。
老猫の侍はどうだろうか。今の所は紳士的に振舞ってはいるが、その胸の内は?……分からない。猫の表情を読もうとした事など無い。
結果、彼はペースに乗せられている事を自覚しつつも、渋々老剣士と相席するのであった。






「ふむ、ではつまり日常を取り戻す事が貴殿の望みと」

にゃんこ師匠は杯一杯の清酒を舐めつつ、合点がいったというようにごろごろと喉を鳴らした。

「ええ。……貴方は何の為にここへ?」
「ふむ、成り行きと言えば成り行きににゃるが……目的を問われると何とも答えがたい」

鋭い棘の生えた舌がちろりと口元の酒を舐め取る。

「強いて言うなれば、わたしに呪いをかけた魔女にもう一度会う事か」
「魔女……?」
「然り。その昔、私は魔女に呪いをかけられ、気付けばこんな姿にされてこの世界に飛ばされておった」

日下は一瞬、目の前の猫男が正気を失っているのでは無いかと疑ったか、どうもそんな様子では無い。
よって彼は黙ってオレンジジュース……未開栓の瓶を自分で開けた物だ……を含み、先を促した。

「とは申すれど、実を言えばそれほど執着のある事柄という訳でもにゃいのです。
 この時計とやらを集めた暁には、なるべく多くの者の願いを叶えたいとも思っております」
「それなら」
「貴殿に勝ちを譲る、という訳には参りませぬ」

出鼻を押さえられ、日下は一瞬言葉を失った。謎めいた金色の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめている。

「……、その理由は?」
「お気を悪くされたにゃら許されよ。理由は単純至極、貴殿ではこの戦い、勝ち抜く事は叶わぬ故」

少年の顔がみるみる険しくなる。武人としての実力を真っ向から否定されたのである。

「貴殿の力を疑う訳ではござらん。むしろその齢でよくここまで練ったものだと感心しておるぐらいです」
「なら、なんで」
「惑うておられる故」

ぴしゃりと冷水を打ちかけるような一言だった。冬空に浮かぶ月の如く冷ややかな猫の瞳を、日下はこちらも負けじと真っ直ぐ見返す。

「会って五分やそこらの人間の事が、そこまで分かると言うんですか?」
「長く生きていると、相手の目を見れば心の動きはなんとは無しに解り申す。貴殿は惑うておられる」
「勝手な決め付けだ」

吐き捨てるように行って、少年はオレンジジュースを飲み干した。
そしておもむろに立ち上がると、無表情のまま酒を煽るにゃんこ師匠に向けて言い放つ。

「そこまで言うなら見せて貰いましょう、貴方の実力を。僕に時計を任せられないと言うのなら、奪い取る他に道は無いでしょう」
「貴殿が譲られるという道は」
「絶対にありません」

ふぅむと唸り、にゃんこ師匠は己が白髭を摘んで毛先までなぞった。
彼は辟易していた。戦いにでは無く、結局刀を抜かなければ物事を解決出来ない自分の口下手さにだ。

「言った筈だ、僕には負けられない理由がある。何としても叶えたい望みも無い貴方には負けない……外に出ますか?」
「いや、そこな壇上にて。良い酒の肴となりましょうぞ」
「……いいでしょう」

にゃんこ師匠は立ち上がり、ちと場を借ります、と先程の男に声をかけて再び壇に上がった。
その後に日下が続く。壇に上がった二人に気付いた酔客が、なんだなんだと声を上げ始めた。

「これより皆様にご覧申し上げまするは、真剣を用いた演舞にございます。成功の暁には、何卒温かい御声援を頂戴したくお願い申し上げます」

大広間に朗々とした声が響き渡ると、瞬く間にやんややんやの大喝采が沸き起こった。
日下はぎりりと拳を握り締め、込み上げる殺意を抑えながらゆっくりと構えを取った。
それに応じて、にゃんこ師匠も刀の柄に手を沿える。

(ナメるのも――)

節くれ立った手が柄を握らんとするその瞬間。一瞬で体重移動を終えた日下の身体が弾かれたように前へ出た。
刹那の虚を突く奇襲である。にゃんこ師匠は咄嗟に鞘ごと刀を腰から抜き、心臓を狙って繰り出される掌打を受け止める。

「――いい加減にしろォッ!!」

発勁!裂帛の気合とともに放たれたそれは、鞘ごとにゃんこ師匠の身体を吹き飛ばした。黒い鞘に蜘蛛の巣めいた罅が走る。
にゃんこ師匠が後足で踏ん張り、なんとか壇上に留まった時には、既に日下が拳の間合いに入っている。
胸骨を狙う拳を半円上に回転させた刀で逸らし、更に顔面への突きを身を沈めてかわしつつ側面を取ろうとする。
それを読んでいた日下の回し蹴りが鎌めいて飛び、これを鞘で受ける。日下は止められた蹴り足をそのまま下へ滑らせ、
強烈な震脚とともに右の崩拳を放った。にゃんこ師匠は身を捻ってこれを回避しようとするも避けきれず、拳が脇腹を掠めるように被弾!

『にゃーん』

後ろによろめくように距離を取りながら、にゃんこ師匠はようやく刀を抜いた。油断無く追撃しようとしていた日下はその場で踏み止まり、再び腰溜めの構えを取った。
ほう……と、観客からどよめきが漏れる。普通人の目には、両者のやりとりはさながら旋風が凪いだようにしか見えていない。

「抜かせずに終わらせるつもりだったんですけどね」
「中々酷い事を申される。見せ場の一つも無くして倒れては剣士の名折れぞ。今の突きも一手間違えば臓腑が破裂しよう」
「僕は拳士なのでね」

軽口を叩き合いながらも、互いに距離は詰めない。状況は一変した。
刀を抜いた以上、間合いの取り合いはにゃんこ師匠が絶対優位。しかし逆に懐へ飛び込めさえすれば、そこは拳打を得意とする日下の独壇場である。
そして日下には奥の手があった。魔人能力『ん………何?』である。
この能力は対象が取った日下にとって望まぬ行動を妨害するという強力なものであるが、けして万能では無い。
弱点の一つは、妨害の際には相手のやろうとしている行動を先読みする必要がある事。
二つ目は、発動から三十秒間は再発動出来ないという事である。一瞬を奪い合う近接戦闘においてこの隙は致命的と言わざるを得ない。
故に日下は慎重を期していた。確実な一打を叩き込む為に、来るべき瞬間を狙わなければならない。

不意ににゃんこ師匠の剣先が揺らぎ、刹那の後には斬撃(にゃーん)が首を狙う。刀を潜るようにして回避。
すぐさま刀を返して頭上からの唐竹割り。身を捩ると鼻先すれすれを刃が(にゃーん)通り過ぎた。
振り下ろした隙を突いて顔面への拳打。にゃんこ師匠が仰け反りつつ左手一本で斬り上げる刀(にゃーん)から遠ざかるように左側面へと回り込む。

(ここだ)

刀を振り上げた事でがら空きになった脇腹へ、渾身の拳を放つ。同時に能力発動。
理想的な攻撃とは、相手の攻撃をかわした直後に反撃する事。所謂カウンターである。
例えどんな達人であろうと、攻撃する際には必ずどこかに隙が生じる。故に、相手が反撃出来ないタイミング……つまり攻撃直後に反撃を見舞うのが理に叶っているのだ。
当然、両者ともにそんな事は理解している。理解しているからこそ、にゃんこ師匠は日下の拳をかわそうとした。出来なかった。
今の今まで存在しなかった筈の空徳利を踏み付け、体勢を崩していた為である!
これこそが日下の魔人能力。正常に発動すれば絶対に防御不能、回避しようとする行動を妨害!
結果として、にゃんこ師匠は受けに回らざるを得なくなった。時間にすればほんの零コンマ一秒にも満たない一瞬で判断を切り替えた老剣士は、咄嗟に刀を壇上に突き立てた(にゃーん)。そこへ直撃する日下の鋭い拳。
それが彼の狙いであった。『避けられない』状態と『防御出来ない』状態、一度に両方の行動を阻害する事は出来ない。
ならば『防御せざるを得ない』状況を作り出し、まずは得物を折る。刀さえへし折ってしまえば、状況の優位は日下へ大幅に傾く事となる。

ただし、それは本当に刀を折る事が出来ればの話。

彼は知らなかったのだ。にゃんこ師匠の持つ刀が、魔女に呪われし魔剣にゃんにゃん棒だったとは。それが絶対不壊を誇る、刀の形をした呪いだとは。
拳打を受けた刀は僅かにしなり、それきりだった。にゃんこ師匠が柄を離し、日下に向かって大きく踏み込む。
振るわれたのは拳である。狙いは心臓、奇しくも日下の初撃と同じ位置。想定外の事態によってもたらされた寸毫の空白に付け込む老獪な一打であった。
しかし日下もさる者、彼はにゃんこ師匠の動きに咄嗟に反応していた。至近の間合いは反射速度が物を言う、天稟を持つ者達だけが支配出来る領域。
剣を持って奪い合う間合いとは根本的にその性質が異なるのだ。彼はにゃんこ師匠の拳を左腕で逸らし、巻き取り、脇に挟んで動きを封じた。
そこは互いに手を伸ばせば届く間合い。渾身の勁を発するには絶好の距離。彼は手を伸ばし――動きを止めた。

腋窩(えきか)動脈は文字通り腋窩(脇の下)を通る動脈である。正中神経と呼ばれる太い神経も同様に走るそこは、古来より人体急所の一つとされてきた。
その脇の下で、にゃんこ師匠の右手が紫の電撃を帯びていた。いかに鍛え抜かれた戦闘型魔人といえど、急所は急所であり――。
体中を走る雷の衝撃冷め遣らぬ間に、拘束されていた右手を抜いたにゃんこ師匠が翻り、壇に突き立った刀を抜いていた。
ブラックアウト寸前の視界で、日下は己が首に迫る刃を克明に見た。峰打ちであった(にゃーん)。





時代劇の殺陣さながら、にゃんこ師匠が繰り出した峰打ちに少年がどうと倒れると、壇上にワッと拍手の雨が降り注いだ。

「三味線を弾くのは初めてでござったが、中々上手く行ったようで。何よりにござる」

刀を納め、誰ともなく呟くにゃんこ師匠の面相は、どこか満足気であった。




劇終