花といえば貴方はなにを思い浮かべますか?
菊、百合、そして桜。
迷宮時計を巡る戦い。今回の舞台は桜並木。
桜は音楽と関係が深い植物。
桜ソングと呼ばれる桜を題材にした作品は枚挙に暇がないでしょう。
ある吹奏楽を題材にした作品でも音を桜の匂いに例えていましたね。
神の如き天才音楽家にして楽器職人廃糖蜜ラトン。
兵器として生まれた眼鏡少女リュネット・アンジュドロー。
今回のふたりは二人はどんなシンフォニーを奏でるのでしょう。
歌は物語を紡いでいく。
◆◆◆◆◆◆
見わたす限りに桜が並んだ美しい並木道。
風に吹かれて花弁が舞い散る。周囲には桜を見に来たと思わしき人の群れ
道端には80mはあろうかという巨大なカリヨン。
それが見える道の中に廃糖蜜ラトンは立っていた。
背中にはマスケット銃。
楽器職人の彼がマスケット銃を持っていることに疑問を持つかもしれない。
だが、これは音楽に詳しい人間が見れば不思議なことではない。
偉大なるドイツの音楽家「楽聖」ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの楽曲に『ウェリントンの勝利』というものがある。
イギリス軍がフランス軍に勝利したことを受けて、ウェリントン侯を讃える曲としてベートーヴェンが作曲したこの曲は編成としてマスケット銃が指定されている。
つまりこれは楽器なのだ。当然ラトンはこれも誰も上回れるものがいないぐらいうまく射撃できる。
「さて、どうしたものか」
敵との邂逅までの間に十分な時間はあった。
カノンの演奏準備はすでに出来ている。
おそらくあれが演奏されれば対戦者は跡形もなく消滅するだろう。
だが、ラトンは対戦相手を出来うる限り殺したくないと考えていた。
これは別にラトンが慈悲に溢れた人間であるから―――という訳ではない。
彼が迷宮時計を欲したそもそもの目的は平行世界に存在するかもしれない自分より優れた演奏者を見つけること。
そのためにはこの世界にとどまり続けなければならない。
故に、できれば「アリデキリギリス』で捕らえてしまいたい。
ラトンがそう考えていたその時であった!
後ろから迫り来る細長い影。
うねうねと動く謎の影にラトンは指揮棒を取り出すと、それを振りかざし切断する。
切断された先端は水になる。
さらに新手が来る。
無数の水でできた蔦。
それは周囲の誰にも目もくれずに一直線にラトンに向かってきた。
切断、切断、切断、切断、切断。
それはまるで壮大なオーケストラを指揮しているかのような華麗な動き。
舞散る桜吹雪の中、迫り来る水の蔦達を次々と切り刻んでいく。
これも世界レベルの指揮者であれば造作もないことだ。
あらゆる楽器を演奏できる彼にはたやすい。
(どうやらこちらの顔はバレているようだな)
別に不思議なことではない。著名な演奏家であり楽器職人である彼の顔なぞ音楽にまつわる書籍を漁ればいくらでも探すことができる。
天才的な音楽家であると同時に音楽に情熱を傾けすぎたが故の狂気の人物として、
少なくとも音楽に関わる人間で廃糖蜜ラトンを知らないものはモグリといっても良いだろう。
対戦者であるリュネット・アンジュドローが何者か。それはラトンにはわからない。
そうして自分のことを調べたのだろうということは容易に推測がつく。
◆◆◆◆◆◆
「どうして当たらないの!?」
奇襲が思い通りにいかずリュネットはいらだちを募らせていた。
水の植物によって拘束しようとしていたが全く叶わない。
それどころか切断される。
実戦経験が少ないということもあり、敵の戦力を甘く見積りすぎていたというほかはない。
ちなみに廃糖蜜ラトンの名と顔をリュネットは以前から知っていた。
音楽と直接的な縁もゆかりもないも彼女がなぜ?
貴方はそう疑問を持ったかもしれない。
その疑問に答えるには彼女の保護者というべき存在であるシスターセシルのことを説明する必要があるだろう。
もともと彼女はピアニストを志していた時代がある。
彼女の名セシルとはキリスト教の聖人『聖セシリア』に由来する洗礼名である。
聖セシリアはカトリックにおいて音楽家の守護聖人とされている。
元々は音楽家を目指していた彼女がシスターになったとき彼女に肖ろうと考えた結果選んだ名前がセシルであった。
そしてそんな彼女がリュネットに優れた演奏者であると言っていたのが廃糖蜜ラトンなのだ。
「セシルの言ってたとおりあの人はすごいの」
ラトンの動きは音楽には門外漢のリュネットが見ても美しい。
どこにも楽器もないのに音楽が聞こえてくるようだ。
これは何も不思議なことではない。
ジョン・ケージの『4分33秒』という曲がある。
全楽章にわたって休止を表す記号が支持されているこの曲は、演奏者は楽器とともに登場するがそれが全く演奏されることはない。
いわば「無音の」音楽である。
真に優れた音楽家には楽器を使用しなくても聴取者に音を聞かせ感動させることができるのだ。
「でも、見蕩れているわけにはいかないの」
セシルのために勝たなくてはいけない。
リュネットの背中に水の翼が現れる。
彼女の身体に組み込まれた海鳥の因子の力による飛行形態。
リュネットが翔んだ!
◆◆◆◆◆◆
「あれがリュネット・アンジュドロー……」
ラトンは彼に向かってくる少女の姿を確認すると顔を曇らせた。
水の翼を生やしてこちらに向かってくる人間が他にいるとは思えない。
修道服を改造したような服を着た幼い少女。
おそらく彼女が迷宮時計が指定した対戦相手で間違いないだろう。
「あんなに幼い少女とはな」
参加者は若くとも高校生ぐらいだと思っていたがそうでもないらしい。
ラトンは狂人であるが外道でも悪人というわけでもない。
流石にあそこまで幼い少女を殺害することになれば目覚めが悪い。
リュネットがまっすぐラトンの方に突っ込んでくる。
ラトンはそれを回避する。
そしてラトンは少女に声をかけた。
「戦わないわけには行かないかね」
「じゃあ、おじさんが降参してくれるの?」
「いや」
そういうわけにはいかない。
彼女を、そして彼女の夫を生き返らせなければならない。
それが身勝手な狂人の願いだとしても。
それに向こうの世界に彼女の子供を残してきた。
彼を一人にするわけには行かない。
なるほど、彼女の家族が子供を見つけて引き取るという可能性もあるかもしれない。
だがラトンは彼女の家族に嫌いであったし、
そもそも彼女の家族が中学生だった彼女に行った仕打ちを思えば、渡したいなどと思わない。
彼女もそれを望んでいなかった。
だから帰らなくてはならない。元の世界へ。
目の前の少女を犠牲にしても。
「じゃあ、無理なの。私はセシルの願いを叶えるの」
リュネットがにべもなく拒否する。
何らかの願いを持っている。こうなるのも必然といったところか。
(仕方がないか)
ラトンが指揮棒を掲げる。
それが合図となり、どこかから炸裂音とともに何かが打ち出され、リュネットの背後で大爆発が起こった!
「キャー!」
「な……何の音だ」
桜並木にいた人々が悲鳴をあげ、蜘蛛の子を散らすように逃走をはじめる。
おお、あれは大砲ではないか!
大砲による砲撃!
恐るべき大砲交響楽団がリュネットを狙っている!
音楽に詳しい読者諸兄なら偉大なるロシアの作曲家ピョートル・チャイコフスキーが作曲した大序曲『1812年』はご存知であろう。
この曲はチャイコフスキーの代表曲の一つであり、楽譜上に本物の大砲が指定されていることが特徴である。
また『ウェリントンの勝利』にも大砲は使用されている。
大砲はクラシックにおいて一般的な楽器なのだ。
さらに上空に現れたのは4台のヘリコプター。これも当然ラトンの指揮下だ。
流石にヘリコプターは楽器ではないのでは?今これを読んだあなたはそう思ったかもしれない。
しかしながら、読者のみなさんはドイツの作曲家カールハインツ・シュトックハウゼンを御存知だろうか。
彼の作曲した『ヘリコプター弦楽四重奏曲』はその名のとおり演奏に4台のヘリコプターを用いる。
そう、ヘリコプターもまた楽器の一つなのだ。
そして、古今東西の楽器を再現した物が置いてあるラトンの部屋には、当然このような一般的に知られていない楽器も置いてあるのだ。
そして彼らはラトンにより楽器を扱うのに十分な能力を身につけている。
この恐ろしさが賢明なあなたならわかるだろう。
「これでも戦闘をやめる気はないのかね」
「やなの」
取り付く島もないといったところだ。
「そうか」
最後の忠告はしたとばかりにラトンがため息を着くと首を振る。
(仕方あるまい)
目の前の少女は決して弱くはない。殺さぬようになど言っていてはこちらがやられてしまうだろう。
ラトンは合図をしながら大砲交響楽団の方に向かう。
「ヒャッハー!砲撃だー!」
「フヒヒヒヒ!俺の大砲であの少女を跡形もなく吹き飛ばしたい!」
大砲交響楽団の男たちが叫ぶ。今の彼らはラトンの能力に操られた演奏機械だ
大砲から砲撃が放たれる。リュネットはそれを回避する。
大砲から砲撃が放たれる。リュネットはそれを回避する。
大砲から砲撃が放たれる。リュネットはそれを回避する。
大砲から砲撃が放たれる。リュネットはそれを回避する。
大砲から砲撃が放たれる。リュネットはそれを回避しようとした。
だが、移動先にヘリがいる。ヘリが邪魔だ。弾をよけきれない。
「きゃぅ」
リュネットの身体に大砲の弾が直撃する。
爆発!
だが、リュネットはまだ死んでいない。
危ないところだった。彼女の遺伝子に組み込まれた甲殻類耐久力がなければ間違いなく死んでいた。
リュネットは先に大砲を破壊しようとする。
だが、再びヘリが邪魔をしてくる。
大砲が砲撃!砲弾が飛ぶ!避けられない!
また、大砲の弾がリュネットに直撃する。
“音楽家”に属するものは楽器を破壊することはできない。
だから大砲による攻撃はヘリには無効化される。
つまり、大砲交響楽団はヘリを気にすることなく攻撃を続けることができるのだ。
大砲からのリュネットに対する砲撃が続く。
大砲から砲撃が放たれる。リュネットはそれを回避する。
大砲から砲撃が放たれる。リュネットはそれを回避する。
大砲から砲撃が放たれる。砲弾がリュネットに当たる。
大砲から砲撃が放たれる。リュネットはそれを回避する。
大砲から砲撃が放たれる。砲弾がリュネットに当たる。
大砲から砲撃が放たれる。砲弾がリュネットに当たる。
大砲から砲撃が放たれる。砲弾がリュネットに当たる。
痛い。痛い。痛い。
ダメージが大きい。骨がいくつも折れている。
痛い。痛い。痛い。
全身が傷だらけだ。服も一部が焼け焦げている。
痛い。痛い。痛い。
血反吐を吐いた。口の中に鉄の匂いがする。
痛い。痛い。痛い。身体中が痛い。
意識が沈んでいく。深い深い闇の中へ。
◆◆◆◆◆◆
マンションの一室。ピアノを弾くセシルが見える。
リュネットはソファに座りそれを聞いていた。
「ねえセシル」
「何?リュネット」
リュネットの問いかけにピアノの演奏を中断するセシル。
「ピアニストになれなくて後悔はしてないの?」
「どうかな。未練がないとまではいえないけど」
「けど?」
「でも私はシスターになってよかったと思ってるよ」
「どうして?」
「だってあなたと会えた。教会のみんなとも会えた。それだけで私は幸せなの」
そう言ったセシルの顔はとても嬉しそうで。
「だから、ずっとここにいてね。リュネット」
◆◆◆◆◆◆
(……セシル)
リュネットの大切な存在。懐かしい思い出。
走馬灯だろうか。いや、彼女はまだ死んではいない。
またセシルと買い物に行きたい。セシルと話がしたい。
セシルと一緒に遊びたい。セシルと一緒に過ごしたい。
だから、
「だから、私はこんなところで負けるわけには行かないの!」
その時、彼女の思いに答えるようにメガネが青く光り輝いた。
メガネ=カタとは体術と眼鏡を組み合わせて戦う全く新しい格闘術である。
その本質は眼鏡の力を引き出し戦うこと。
では、メガネ=カタに一番大切なことは何か。
それは眼鏡に愛されることだ。
眼鏡に愛されれば、眼鏡はいくらでも答えてくれる。
眼鏡はいくらでも力を発揮する。
再び力が湧いてくる。海の眼鏡は彼女と相性がいい。
当然だ。リュネットはその為に作られたのだから。
彼女はこの眼鏡に愛されるために生まれたのだから。
まずはヘリを破壊する。ヘリに向かう!加速する!
「ヒャッハー!」
砲撃による妨害!だがそれは回避する!
そして逃走しようとする機体の尾部を掴む。そのまま強引に投げる。
投げたヘリがそのまま別のヘリに直撃する。
ヘリが爆発!
そのまま2台のヘリが墜落していく。
リュネットは次のヘリを狙う。砲弾が飛んでくる。
回避する。
砲弾が飛んでくる。回避する。砲弾が飛んでくる。回避する。
砲弾が飛んでくる。砲弾が当たる。痛い。きっとまた骨が折れた。
「でも、まだ大丈夫なの」
痛みを我慢する。セシルのためなら我慢できる。
セシルのためならリュネットはなんでもできる。
ヘリを追う。
能力を発動。水の樹が地面から伸びる。ヘリに向かって伸びる!
ヘリがリュネットが接近。
ヘリの側面を殴る!殴る!殴る!蹴る!
ヘリがバランスを崩す。
再び能力を発動。水の樹が地面から伸びる!今度はバランスを崩したヘリに突き刺さる。
リュネットその場を離脱する!
ヘリが爆発四散!
◆◆◆◆◆◆
「……恐ろしい少女だ」
ヘリを三機も破壊されてしまった。まだ一機残っているが破壊されるのも時間の問題
リュネットがこちらへ向かって来る!ヘリの数を減らし反撃には十分と見たのか。
マスケット銃を構える。マスケットは長距離狙撃に向いた銃ではない。
だから近づいてきたところを狙う。
大砲が一斉砲撃の構えにうつる。大砲がリュネットを狙い。
其の時、突如水の蔦が周囲に現れた。リュネットの能力だ!
ラトンや砲撃手たちの体、さらに大砲を絡めとろうとする。
蔦が掴んだ大砲を投げる!
狙いは砲撃手たち!
「アバババババ」
「あべしっ」
砲撃手たちが大砲の下敷きになる。
ラトンがマスケット銃でラトンに向かってくる蔦を撃つ!吹き飛ぶ蔦!
そこへ接近するリュネット!
ラトンは回避!すれ違い様にリュネットを狙う!
リュネットが回避!蔦がラトンを襲う!
ラトンがそれを横へ飛び回避。マスケット銃で撃つ!撃つ!撃つ!弾切れ!
ラトンがマスケットを捨て、指揮棒を再び取り出す!
向かってくるリュネットにラトンがそれを振りかざす!
リュネットがそれを回避し、ラトンを蹴る!さらに蹴る!さらに蹴る!
ラトンが吹き飛ぶ!ラトンは背後のカリヨンに叩きつけられていた。
さらに倒れたラトンを蔦が拘束。さらに全身を締め付ける!
「これでとどめなの」
「ぐわあああああああ」
ラトンの全身の骨が砕け散った。
◆◆◆◆◆◆
「まだやるの?」
「いや……」
全身の骨が砕かれては戦闘など続けられない。ラトンは戦闘魔人ではないのだ。
「頼みがある」
「何?」
「本当は……君のような子供に……頼むことではないんだが」
ラトンが息たえだえに喋る。
そもそも彼女の保護者が信頼できるのかもわからない。だがほかに術もない
「子供を……預かってくれないか?私の家にいる……私のような狂人では……ほかに頼む人間もいないんでな」
「わかったの。セシルに頼んでみるの」
「すまない」
そういうとラトンが意識を失った。
◆◆◆◆◆◆
シスターセシルの部屋。迷宮時計のルールに基づきリュネットが帰還。セシルの前に現れる。
「リュネット!?良かった!」
セシルが目の前に現れたリュネットを思わず抱きしめる。
「セシル……?」
セシルの目には涙が見える。心配をかけてしまったのだろうか。
「私疲れたの……少し休ませて」
「うん。ゆっくり休んで」
セシルが右手でリュネットの頭を撫でる。
そのままリュネットは深い眠りについた。