探偵を巡る別世界からの反応(その2)


 prrr……。
 電話が鳴ったのはその時だった。わたくし遠藤(中略)菖蒲がただの菖蒲と呼ばれるのはいつの日だろう。つい一月前の事だが、当たり前の姓と名だけに呼び名を変えた同期が少し羨ましかった。
 「はい、もしもし。わたくしです。あ、向日葵(ひまわり)? どうですか、元気してました? え、いえそれはいいので。
 うん、うん。ごめんね。それで――」

 pi! 
 電話を切る。想定の範囲内とは言える。許容できるかは、微妙なところでしたが。
 「情報が出揃いました。探偵が殺人鬼に敗れたそうです。遺留品は一切なし、こちらの動向は一切向こうに気取られていません、ご安心ください」
 わたくしが向こう側から発ち、こちら側に出戻って数日のことだった。
 わかっていたことでしたが、流石に堪えるものです。

 「声が震えています。他流派とは言え、同胞が討たれたことは流石に堪えましたか」
 「……はい。おそらく、御両人の敗因は相手を人間と見誤ったことであろうと。現代妖怪、人が変じたそれであるなら納得のいく話でしょう……。わたくし、ショックです」
 シーツ一枚で立ち上がった麗人「芽月(ジェルミナル)・リュドミラ」に指摘され、すごすごと立ち去ろうとするわたくし。
 まさか、二級相当と推定される彼女らが敗れるとは、四級として、どうにも、こうにも、腹立たしい。
 叶うならこのドアを蹴破りたいと野卑な願望に身を委ねたくなる、そんな一瞬だった。

 ――まて。
 幼い声だった。持ち込まれた電話ボックスの中に座るのは、この場を治める芽月(めつき)の盟友たる「葡萄月(ヴァンデミエール)・アマリリス」。
 古式ゆかしき電話ボックスに、ナポレオンコートを着たローティーンの少女が居座っている。
 これは彼女の私物なので全く責められる筋合いはないのだが、たとえこの電話ボックスが公共の乗り物であったとしてもそれを咎める者は誰もいないだろう。一人と一つはそれだけ調和していた。
 古都の風情と枯れた技術の美しさ、そんな老成された雰囲気をこの少女は放っていた。

 言葉を引き継ぐのは芽月である。
 「……仇討は許さないよ。これは君らのボスから念を押されたこと。
 名探偵はこのことも計算に入れていた口振りだったよ。で、その日車とやらは君にしか連絡を寄越さないそうだが、それはどうなっているんだい?」
 「わたし達も風月(ヴァントーズ)という姓(席)をわたしたのよ? 確実なとどめがさされたと百パーセント確証できないとこまるの。わたしたちの同胞になりたいとねがっている人たちのためにも」

 ええと、要は空席になってくれないと自分の息のかかったものを送り込めないと?
 そんな悪魔の証明を、いえ。そうではなく。
 「は? そんなここ数日の事ですよ。てっきり、わたくし経由で姉様(あねさま)に回すものと――」
 「アマリ―、あまり苛めるのはよして。風月の椅子なら特に問題はないから忘れて。
 情報は双方向に……、君の友人、いや探偵? は君のことも監視していたんだ」

 「そうですか」
 陰口と誹(そし)られるようなことはやった覚えはないし、かと言って向日葵は根も葉も無いことを告げる様な心根を持った探偵ではない。
 ただ、籍を入れたばかりの伴侶「伊藤迷路」様相手に逃げ回っているのは確からしいし、人工探偵風情にと、気に入らない方々が僅かな瑕疵でも見つけ騒ぎ立ててやろうと感ずるには十分だろう。
 言っては何だが、わたくしは睨まれるような経歴の持ち主だ。相互監視が機能するにはあまりにぐだぐだな関係過ぎる。言ってはなんですが、我々に甘々すぎますよ、花鶏(あとり)様。

 ですが――、ここは乗っかりましょう。何を今更と、おっしゃられるかもしれませんがわたくしは大げさに声をあげる。ついでに顔を蒼褪めさせてもみる。そして、ここで乗っかってこられるのがこの方だ。
 わたくしは信頼する。交渉相手にも、犯人相手でも、まず相手を信じるところから推理ははじまる故。

 「そんな、花鶏様から? どうして――」
 「そのどうしての意味について二つ答えましょう。ひとつめ、私達が君らを呼び寄せることが出来たのは私が受けた恩義のこともあるが、このアマリ―が伊藤園と言う姓を名乗っていた頃の縁もあるんだよ。
 ふたつめ、組織の長と言うものは時に清濁を併せ持たねばやっていけないと言うこと。
 君はあのメフィスト派にやたら肩入れしていたようだが、そんなことでやっていけるのかい?
 日車さんはあちら側からも山禅寺ショウ子を追っていたが、淡々とした尾行に留まったそうだよ」

 (大方、シシキリの本名が堀町臨次と言うことにも気付いていたんじゃないか?)
 いや、流石にこのリューダもそこまでは口に出さないが、探偵連中は一体どこまで掴んでいた?
 パイプ役になっている目の前の菖蒲(あやめ)もよくわからない存在だし、果たして我々はこのまま「迷宮時計」を追っていていいのか? 
 参加者も中々捉(つか)まらないし、おこぼれをもらうなんて消極案ですら覚束なくなっていないか?

 わざとらしい。ああ、じつにわざとらしい。だが、気障(きざ)にもこう言わざるを得ない。 
 「ふ、分からないなら聞き流してくれ、何さほど重要なことを言った覚えはない」

 慣れないことをするものではなかった、考えてみれば私はこの菖蒲に知らず知らずのうちにペースを握られていたような気がする。ああ、そう言えばアマリ―が連れて来たのですね、探偵は。
 私は、ついこの間再会したこの友人を胡乱な眼差しで見つめるほかやることがなかった。
 あとのことはこの子が聞いているはずだ。
 「あなたが、ここに来たときにちかった言葉をもういちどおねがいします」

 「はい、探偵とは――事件を未然に防ぐのが探偵の仕事ではない、以上です」
 「そう、あなたたち探偵は、わたしたちに協力してくれている。けれど、どうじに止めるけんりも有している。それは、ひどく曖昧なせいじと正義のつなひき、と言ったところだけど。
 法偵のていたらく、その程度であゆみを止めるほどに、リューダ! あなたはじぶんの意志というものをもってしまったの?」
 「……アマリ―」
 押し黙るしかない。何だかんだで、私は彼女達に期待していたのだから。
 我々の下に迷宮時計を持って帰ってくれるなんて、甘い幻想を抱いたほどに。
 そうか――! 目の前の犠牲に目が曇っていたのは私も同じだったのか……。

 「閣下からのたっしです。主客をころばせましょう。
 ここからは探偵が主役、我々はそれにきょうりょくする端役なのです。
 これを読めばわかってくれるでしょう。われわれの敵はスズハラ機関もそうですが、あやかし、妖怪変化のそれもひとしいということを!」

 電話ボックスが開かれ、中から一枚の便箋がわたくしに渡される。
 そこには『あやめ から ひまわり だから』と書いてあった。

 「これは……?」
 困惑しながらも、封を開けるとそこに書かれていたのはまるで意味不明の暗号だった。
 たおやかな平仮名は、さらりと何でもないようでいても、一筋の流墨を一時に垂らし込んで長大な文面を作り上げたような感覚を与える。もしや――?

 「はい、それは遠藤花鶏殿直筆、しょざいふめいの伊藤日車から送られたあんごうぶんのうつしです。
 ちなみにあてなには当初『あとり から ひまわり だから』とかかれていましたが、そこをかえたのは差支えないからということでした。本文は一字一句かわりないですよ」

 待って――! 一体これはどういう意味? なぜ、わざわざ連絡を閉ざした向日葵が姉様に――?
 友人のマリッジブルーに、放浪の旅を勧めたばかりに何かよくない事が起こっていると――?

 「ああ、それと『咎無くて死す』、がヒントだそうです。ついで、木様であるからこそ、単純であってもわからなくなってとうぜん。気を落とすことはないともおおせでしたね」
 ……、気を使われた!?
 まずは文面の解読を手早く済ませましょう。

 そして、数刻してわたくしは向日葵、いや日車の真意を知った。 

最終更新:2014年11月17日 00:28