外伝・山禅寺梟奇の受難








三千世界の凶器を屠り
   娘と証拠を探したい   ――山禅寺梟奇







「探偵!事件!推理!革命ッ!探偵!事件!推理!革命ッ!探偵!事件!推理!革命ッ!探偵!事件!推理!革命ッ!探偵!事件!推理!革命ッ!」

2001年、京都。木々も紅葉を終え平野神社の栗鼠も冬支度を始める頃。
街外れの山のふもとにぽつんと佇む古屋敷。その半ば朽ちかけた庭に、三十人を超える野探偵が詰めかけ、家主の登場を待っていた。

「ねえねえ、行かなくていいの?お父さん」
「待たせておきなさい。まだ朝の6時じゃ無いか……」
古屋敷の家主――紳士服にエプロンというおよそ探偵に不釣合いな格好で台所に立つ男。くちばしのようにコケた頬と、風切羽の様に鋭い目つきが異質さを倍増させる。山禅寺梟奇(キョウキ)は、丸メガネをくい、と押しあげ、娘に言った。
「君の朝食を作るほうが先決だ。待っていなさい、もう少しだから」梟奇は「む」、とフライパンをひと睨みすると、一瞬にしてフライパンを華麗に三十回転させ、卵焼きを裏返した。優れた推理戦闘術がなせる技である。
「えへへ」小学生の娘、ショウ子が笑った。隙間風の多い家は寒く、ちゃぶ台前に座り、ひざに毛布を敷いている。「お父さんのお料理、無駄が多くて遅いからなー、まだかなまだかなまだかなー」
「君が急ぎすぎるだけだ。今日こそはちゃんと食べて行きなさい」さらに何度も卵焼きを裏返す。この無駄な作業こそが、料理を美味しくするのだと、彼は信じていた。「学校は楽しいか?」

山禅寺家はわけあって、幾度も転居を繰り返している。この京都の家も、知人から安く譲ってもらえたのが半年前。最近になって、やっと落ち着いた暮らしができるようになってきた。ショウ子も新しい友達と毎日会えるのが楽しくて仕方が無いようだ。
幼いショウ子に、今まで可哀そうな思いをさせてきてしまった。と、梟奇は心の中で謝罪する。
「うん!楽しい子いっぱいだよ!昨日もね、牛乳の競争したし、私が勝ったよ!それにね、目から牛乳出すのも教えてもらった!お父さん、見たい?見たい?やってみよっか?あ、ダメだ!熱い!この牛乳熱い!ダメだ!」
「落ち着くんだ」ストーブに置かれたマグカップを厚手で取り、ちゃぶ台に置く。「冷めるまで待ちなさい」
探偵の娘だけあって、ショウ子はそれなりに頭が良い。せっかちすぎて冷静さを欠く時があるのが玉に瑕だが、子供同士ならその方が打ち解けやすいだろう。学校では誰彼かまわず話しかけ、それなりに仲良くやっているようだった。

「んー……ねえお父さん、もう学校行きたくなって来た!」と、突然、ショウ子は立ち上がる。ちゃぶ台の周りをそわそわと動き始めた。
「またか……」梟奇はうなだれた。
ショウ子にスイッチが入ったのだ。このモードに入ると、例え天地が裂けようと急ぐことを止めない。山禅寺ショウ子はせっかちだった。

「護符は持ったか?」
「うん!ある!」

ショウ子がポケットからそれを取り出して見せる。知人の陰陽師から譲り受けた護符は、低級妖怪を寄せ付けぬ。無いよりはましだろう。
「いいか、くれぐれも、うちが探偵の家系だということは、学校の友達にも先生にも内緒だ」
「うん!内緒!もう叩かれたくないもん!痛いのはやだからね!探偵してるのは内緒!」


――探偵禁止法『推理条例』


探偵は、差別対象にある。
人類の探偵弾圧の歴史は根深い。戦後解消されたかに見えた廃偵令も、1977年には東京都の条例……『推理条例』という形で蘇った。曰く――探偵は『事件を呼び起こす』危険な存在である。ゆえに、排除すべきだという。
今では、東京都では政府に許可を得た一部の探偵だけが正式に探偵活動を行える。

(莫迦な話だ。物の怪に唆されている事も知らずに)

歴史上、政府が探偵を敵視する裏には、必ず妖怪の影がある。それも、極めて高度な、組織立って活動する妖怪の影が……。
件(くだん)。それは、そう呼ばれている。
時の流れを読み、操る。人工的に創造された大妖怪。(tp://www35.atwiki.jp/gakumahoa/pages/323.html)
執拗な歴史改変によって、人間と妖怪の対立を煽る事で、妖怪組織による日本支配を確固たるものとした元凶。

(必ずや、革命を成し遂げ、彼奴等の正体を暴きだす。……ショウ子の未来の為にも)

真実を暴き、まやかしを確かなものとする探偵。探偵と妖怪は対立関係にある。
探偵禁止法も妖怪の仕業であると、梟奇は確信していた。

(急がねばならぬ……。究極の人工妖怪に対抗し得る、唯一の存在。究極の人工探偵の開発を――)

妖怪に組織があるように、探偵にもそれぞれ目的を持った組織が複数存在する。
そんな中、梟奇の属する探偵組織『推理隊』ははっきりと打倒政府、革命を目的として掲げており。大きく三つの部に分かれ活動していた。
活動の為の資金や情報、中2力の回収――推理部
凶器や人工探偵の開発――――――――――証拠部
打倒政府。殺戮の戦闘狂集団――――――――事件部

梟奇は推理部と証拠部を掛け持ちしている。
やがてショウ子も探偵魔人へと覚醒し、いずれかの部に入る事だろう。彼女の潜在中二力ならば、先天的転校生(※)である可能性も考えられる。
(※生まれついての転校生。他には、人工的に転校生になった者や、認識の壁を超え転校生になった者がいる)
『転校生探偵』は常に探偵力のオーバーフロー状態にある。時空のはざまをさまよい――時間や空間を無視して、気が付いたら事件に遭遇してしまう厄介な状態だ。必ず、身近な者のフォローが必要だろう。

山禅寺梟奇は覚悟する。
(ショウ子の為ならば、私は凶器にでもなろう)
数年後、彼はショウ子の魔人覚醒の折、殺害される(※真本格プロローグ参照)。娘を思う無念のあまり、彼自身が記憶を失くし妖怪へとその身を墜とす事になるとは、さすがの彼にも、推理の及ぶ所では無かった。


「探偵!事件!推理!革命ッ!探偵!事件!推理!革命ッ!探偵!事件!推理!革命ッ!探偵!事件!推理!革命ッ!探偵!事件!推理!革命ッ!」

「お早う皆。……娘を送るんで、通してくれないか」

「お早うございます、キョウさん!」
庭に集合した探偵達が一斉に梟奇に挨拶する。彼らは皆、推理隊推理部の隊員だ。
その集団から、一人の探偵が梟奇に歩み寄る。「朝早くに申し訳無い、キョウさん。ショウちゃんも、お早う」
「おはよう!タカおじさん!おはよう!」ショウ子が挨拶を返す。
ショウ子が挨拶を返したのは、ガタイの良い葉巻の男。彼の名は鷹屋敷。ハードボイルド派探偵である。「探していた男を捕まえてね。キョウさんに、顔を確認してもらおうと思いまして」

「ああ、悪いね、少し待ってくれ」梟奇は娘のランドセルに手を置く。「ショウ子、あまり急ぎすぎるんじゃないぞ。じゃないとまた遅刻するからな」
「もう!お父さんたらしつこいな~、私、できるだけ急がないよっ!それじゃ行ってきます!」ショウ子は小動物のごとく駆けだした。
娘は父親の忠告をいきなり無視し、通りを超えガサガサと近道の茂みに入っていく。
「ああ、急ぐなと言ったのに……」
「……急ぎ過ぎると遅刻するってのは、禅問答みたいだな」鷹屋敷がハードボイルドな苦笑を漏らした。「まあ、こんな山ン中で走っちゃあ、怪我しちまいますからね」葉巻に火を付け直す。

「さて……」梟奇は振り返り、探偵達を見る。「成程、確かに探していた男だ」
一人の男が鎖で縛られ、探偵達の真ん中に横倒しにされていた。身なりのいい服に、大きな口内に生え揃った金歯が目立つ。
「うおおっ……貴様ら……ッ!どういうつもりだッ!探偵の屑どもが……ッ!儂に!何をするつもりだッ!」
いかにも汚い金持ちといった風の、地方議員であった。
「過激な探偵差別主義者だ。こいつのせいで、死ぬより辛い思いをした探偵が何人もいる」
「ああ、知っているさ」梟奇は金歯の男の前に屈みこんだ。「そのなかに、私の妻もいた」
梟奇は眼を細める。その眼は、夜目に獲物を捕らえる梟に似ていた。

「カハ――ッひょひょひょひょ!」金歯の男は汚い笑い声を上げた。

「妻……?知った事か!探偵すら辞められぬ貧乏人がッ!……だァが、女探偵は数少ないからな~ッ!儂の覚えている限りの探偵を思い出してやっても良いぞ!グッフッフッフ!どれだ!?どいつだ!?指先を切り落とし推理小説をダイイングメッセージ写経させた本格派探偵か!?脳を培養液に漬け永遠のメタ展開の楽園で生かしてやったSF派探偵か!?それとも頭蓋穿孔手術で視るものすべてが時刻表と化した社会派探――のああああああッ!?」

「てめーは勝手に喋んじゃねェよ」ハードボイルド探偵・鷹屋敷の拳が金歯の男の顔を醜くひしゃげさせた。「キョウさん、こんな奴に今更訊くことなんてあンのかよ」
「うひ!うひいィィィィッ!」金歯の男は悲鳴を上げた。「こ、殺す気か!儂を!か、金が!……金が欲しいならくれてやるぞ!?貴様ら、探偵というろくでもない種族を辞めたいんだろう?なァ!だったら、手術で探偵を辞められるだけの金をくれてやろうじゃないか!どうだ、悪い話じゃあ無いだろう?な?な?」

「――…………」探偵達は無言。

「心底救えねェな、こいつ」鷹屋敷が言った。
「金はいらぬ」と梟奇。「必要な情報を明け渡し、私達に協力してもらおう。貴様らを影で操る、物の怪の存在について……」
金歯の男は笑った。「カハ~ッ!物の怪だと!?そのような時代錯誤な……そんなもの、いるわけが……」目をあさっての方へ向け、男はしばらくしてから、続けた。「……ああ、ああ!いたぞ、貴様のような口調で物の怪について語るメフィスト派の女探偵が!いたが、あれはつまらん奴だった!余りにつまらんので小悪鬼共の玩具に与えてしまったからもう――――」
「もう、無理だキョウさん」鷹屋敷が拳銃を取り出した。「こいつ、殺そう……。早いとこ殺人事件したほうがいい」
「待て……」梟奇が制止する。「貴様、『どっち』だ?妖怪の存在を認めるのか?」

「……ぐっひょひょひょひょひょ!だからさっきから言っとるじゃあ無いかッ!儂がくれてやるのは『金』だけだ!便所バエの昼寝の淫夢にも劣る探偵共に、有益な情報など――――」男はぷつ、と口内の折れた金歯を梟奇の顔に吐きつけた。「一銭もくれてやるものか。ほれ!カネだ!受け取れ!ほれほれほれぐっふぉふぉふぉふぉ!」
「…………」梟奇は吐きつけられた金歯を指先でぴん、と払う。

「貴様ッ!」金歯の男の背後にいた探偵が激昂し、男に掴みかかる。それを機に、他の探偵共も男に手を出さんと走り寄る。「ウオオーッ!」
「待て……待て」梟奇は怒りを抑え、思考した。この男、死の瀬戸際だというのに。ただの汚い金持ち男にしては、胆力が強すぎる。「そいつは――」
「キョウさん!?」鷹屋敷は梟奇を見た。
「――――そいつは!人間じゃ無いッ!離れろ!」

バァン!!と男の身体が破裂した。

男の肉が菌糸のごとき金属針に変形し、群がる探偵を次々に貫く。
「グヒャーッッヒャヒャッヒャッ!見よ!これが儂の金!金!金金金ェ~ッ!」
「ヒッ……アッ!?……アアアーーーーッ!」金の針が探偵達の肉体を弄び、蹂躙する。
「おいおいンだよこりゃあ!」BANG!鷹屋敷が拳銃でそれを撃つ。数千本もの針をまとめて破壊!しかし、弾をかいくぐった針が鷹屋敷の腿に突き刺さる!「ちィ……っ!」
「助け……ッアアーーッ!アアアーーーーーーーーーッ!」
一瞬のうちに辺り一面のほとんどの探偵が絶命した。

「貴様……ッ」
梟奇はメフィストバリツの手刀で針をはたき壊す。
「貉(ムジナ)か……ッ!!」

「ゲーッヘッヘッヘ!久しくよのォ~ッ!山禅寺キョウキィィ~~ッ!」

ムジナは、狸や狐と同じく妖怪変化を得意とする妖怪である。狸等と違い名称の定義が曖昧、それゆえ変化の幅が広い点が特徴であった。「十年以上前だったかのォォ、懐かしや、儂の歯を全てへし折ってくれた恨み、今ここで炊金饌玉の利子つけて返してくれよう……ッ!」
梟奇に叩き壊された針がぐにゃりと曲り、復活。再度梟奇に襲い掛かる。
「0、5、25、0……」
梟奇は彼の魔人能力『賢者の贈り物』で、防御力を上昇させた。
30の浮遊値を、体力、攻撃力、防御力、精神力に自由に振り分ける。彼の場合はノーモーションで振り分けが可能である。さらに彼の場合、攻撃力に振り分けずともそれなりの攻撃力を維持することができる。何故なら……
「――――――――喝ッ!!」
梟奇の両目が見開かれ、目前に放たれた金の針が霧散する。
何たる消失事件!これぞメフィストバリツの達人がなせる技。気合による証拠隠滅術であった。
だが――。
「グフフフフ!無駄な事よォ~ッ!」
「むぅ……」梟奇が唸る。
霧散したはずの金が他の針に喰うようにかき集められ、質量を取り戻す。
(効かぬか)

「あああ――ッ!クソッ!来るんじゃあ無ェッ!畜生がッ!」BANG!BANG!BANG!一方では、負傷した鷹屋敷の銃弾が針を打ち壊す。打ち壊された針はバラバラになり庭に散らばった。

――効いている。

彼の撃ち壊した針は復活する様子が無い。
(金には……火!)
陰陽道の五行相克に従えば、金には火。熱が有効。現代文明に染まったこのムジナは、明らかに金気(かなけ)の妖怪だ。
(ならば……!)
梟奇は敵に背を向け、我が家の玄関へ飛び込む。
攻撃力を上げ、爆発的な速度で床を蹴る。
敵の針も素早い。居間のストーブを手にとった時、既に針は梟奇の右脚を貫いていた。「……ッ!」
玄関からムジナの本体までは都合よく一直線でつながっていた。梟奇がストーブを投げるのと、金の針が梟奇の脚を破壊するのはほぼ同時だった。「撃てェ―――ッ!鷹屋敷ィィ――――――ッ!!!」

BLAM!!

鷹屋敷がストーブを狙い撃つ。安物のストーブに充満した石油の揮発ガスが、ムジナにぶち当たったストーブを爆発させた。燃え上がるムジナの金属体!「グフォォオオオオ~~~ッ!バカなッ!儂の金がァ~~ッ!」
あっけなく、ムジナの金色の肉体は粉々に燃え、消滅した。

「鷹屋敷!無事か……!他の皆は……」家の内側から外へ声をかける。
「ああ、俺以外は、殺人事件だ……ゲホォッ!くそ、なんて強さだ。百年、二百年てレベルじゃ無ェぞ、あのムジナ……」鷹屋敷が答えた。「俺自身も、腰から下は傷害事件しちまった。立ち上がるのも、もう……」
「そうか……」梟奇は両脚をひきずり、居間から玄関へ歩く。
娘をさっさと学校へ送ったのは正解だった。あとは、彼女があまり急ぎすぎていないことを祈ろう。
梟奇は玄関から外へ出ようとする。

すると突然、ガラ、と音がして玄関の引き戸がひとりでに閉まった。

「キョウさん?」扉の向こうから、鷹屋敷の声。

カシャン、と鍵が閉まった。
「何だ?」
鍵を開けようと手を伸ばす。その腕を、ガシ、と片方が腕が止めた。
「馬鹿な」梟奇は戦慄する。
左腕の手の甲に、先程払いのけたはずの『金歯』が突き刺さっていた。
金歯はジュクリ、ジュクリと音を立て、手のひらに溶け込んでいる。
梟奇はスーツを脱ぎ、シャツの袖を引き裂く。
左腕のほとんどの血管が……、青いはずの血管が金色に染まっていた。

「ムジナッ!――――――――貴様ッ!」
「ヒヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ!」

ムジナである!ムジナが金の溶液となって梟奇の腕の血管に入り込み、梟奇の左腕を操っている!
黄金に輝く左腕は、わなわなと振動し、梟奇の顔を殴打!「――グハッ!」梟奇の身体が吹っ飛び、廊下に投げ出される。

「どーーーだァ自分の腕に殴りつけられる気分はよォォ――ッ!」殴る!殴る!殴る!「このまま貴様の歯を全てへし折ってくれるッ!」
だが、がつん、とその腕が弾かれる。梟奇が魔人能力で防御力にステータスを振ったのだ。
「――ちぃっ!」
「貴様……ッ!出ていけ、私の腕から……!」
「私の腕だとォ~ッ!?バカめッ!この腕はもう儂のものよ!儂が金で買ったのだ!貴様の腕をな!そして――」
左腕の『金』が、血管をゆっくりとのぼり、肩へと近づく。妖気を伴った溶液、血液に乗って素早く移動することはできない。だがそれでも――

「儂の金はやがてゆぅっくりと血管から心臓へ到達し!貴様の全身を駆け廻る!山禅寺キョウキ!その時が貴様の最後だ~ッ!」
ムジナは、梟奇の肉体を乗っ取る気だ。

「……っ、それは困るな」梟奇は立ち上がり、屋外へ向かって叫ぶ。「鷹屋敷ッ!そこから動くんじゃないぞ!」
庭の倉には灯油があるが、外で重症の鷹屋敷を危険に晒すことになる。ならば、台所だ。この家にガスは通っていないが、カセットコンロがある。コンロの火で、奴を焼き殺す。梟奇は台所へ向けて歩き出した。

「おおっっとォ~それは儂も困るなァ~~ッ!」黄金の腕が廊下の柱を掴み、梟奇の動きを止めた。
ムジナの力が加わった分、金の腕のほうが梟奇の力よりも勝っている。
ムジナに掴まれた柱がミシリ、と音を立てる。
「貴様をすぐに殺しはしないッ!貴様の身体を操作し、娘の帰りを温かく待ちかまえようじゃあないかッ!実の娘を自らの手で殺める快感を、貴様に教えてやるッ!」

(…………どうするか)
ステータスを攻撃力に振れば、柱を壊し進むことができる。だが、その攻撃力でムジナは攻撃してくるだろう。今の負傷した足で素早く進むことは困難。
ならば、攻撃力と防御力を等しく強化するのが最善か。だが――
(だからこそ――!)

ミシリ、と廊下の柱の腹がもろく砕け落ちる。梟奇は足を踏み出す!

あえて、ステータスを攻撃力に振ったのだ。一方、防御力への振り分けは0!
「おっふォ~~ッ!」ムジナは狂喜!操る腕を柱からはずし、振りかぶる!「また攻撃力を上げたなッ!阿呆めッ!そういうのを最悪手と呼ぶのだァ――――ッ!」

「そうとも」梟奇は片手で丸メガネをはずし、そのツルの先を折る。「だからこそッ!選んだッ!貴様の虚を突くためになァ――ッ!」腕を振り上げた!

「ハッハァーッ!」操られた黄金の腕が梟奇の顔面を殴りつける。
「イヤーッ!」同時に、梟奇のメガネのツルが、敵に操られた腕、その上腕部へグシャアと突き刺さる。
血管内のムジナの『金』の動きがツルにさえぎられ、止まった。
彼は、その為に防御力を下げたのだ!ムジナの這い上がる太い血管を、メガネのツルでふさぐ為に!

「ぐふぉォ~~~ッ!儂の通り道を塞ぎ、これで時間稼ぎのつもりかッ!?こざかしいッ!」ムジナが左腕を操作する。「この位置なら儂の操るこの腕自身で!メガネのツルを引っこ抜くことができるわ~ッ!」メガネごとツルを引き抜こうとする!しかし――

「ぬ……抜けぬッ!」

どれだけ力を込めても、ツルを抜く事が出来ない。
「抜けん!抜けんぞッ!」
ムジナの握るメガネの反対側のツルがぽきり、と折れた。力を込めすぎた為である。
「キョウキ!貴様ッ!何をしたァ―ッ!?」

梟奇はその隙に走る!半壊の両足をひきずって!
攻撃力と防御力を天秤にかける事のできる魔人能力『賢者の贈り物』。
彼は一時的に攻撃力を上げ、左腕にツルを突き刺した。その後、すぐに攻撃力の代わりに防御力を上げた。しなやかに硬化した筋肉は、一度突き刺さったツルを離さない。
ストーブの置かれていた居間を這う。台所まであと4丈ある。

「成る程ォォ~~ッ!うまく能力を使ったようだ!時間を稼ぎ『火』を手に入れるつもりだろうが、通り道となる血管は他にもたくさん――――がぼっ!?何ィィィ!?」

巻きつけられる毛布。
梟奇はメガネを腕から引き抜こうとするムジナの隙をつき、ちゃぶ台の下に敷かれていた毛布を手に取ると、ムジナの腕に巻きつけた。これで熱を与え、さらに敵の動きを鈍らすことが出来る。

「毛布の熱で儂の動きを鈍らす気か!くだらん!くだらんあがきだぞキョウキ!……貴様はまだ理解しておらんようだな!儂に身体を乗っ取られるという栄誉をッ!」ムジナが言う。「貴様は妖怪の一族になるのだ!正確には世にも珍しい『探偵の妖怪』にッ!儂らは貴重な研究対象として組織のお上に献上され、金の溶液に浸かり永遠に研究され続けるのだッ!わからぬか~この価値がッ!」
「ふざけるな……娘といられぬ世界なら、どんな極楽だってお断りだ」
「ならその娘も妖怪にしようでは無いか!?グファファファファ!」

「娘に……」梟奇は左腕を抑える。その目に微かな狂気を宿しながら。「娘に手を出してみろ……あらゆる手段を使い貴様らの邪気を抜き取り……己の犯した罪の重さに未来永劫のたうち回らせてやる」
「クハァ~~ッ!そいつぁ恐ろしいわいッ!流石に儂らの一番怖いものをよう知っておる!」

「…………」梟奇はいっそのこと、乗っ取られた腕を切り離すことも考えた。しかし……。
(奴は、私を乗っ取れるのぞみのある限り私を殺さぬだろう。だが腕を切り離せば、のぞみが絶え、自由になった身体でまた針の攻撃を始める危険がある。捨て身では駄目だ、私が死んで奴が生き残れば、ショウ子も殺される)
梟奇は死に物狂いで這う。血管の進路を妨害されたムジナの金の液は、細かな血管から迂回し、徐々に梟奇の肩へと侵入する。

居間を超え、台所は着実に近づいている。残り、わずか一丈。

「しかしキョウキ!つれぬ男だ、儂が貴様に近づくのにどれだけ苦労したと思っている?考え得る限りの人を殺し、探偵を殺し、女を殺し、やっと貴様の肉をこうして捉えたのだ。まさかこんな京の結界にすがり、ガスも通らんような山で貧乏暮らしとはッ!哀れな、泣ける話よのォ~ッ!」
「ガスの……」梟奇はつぶやく。「ガス……まさか、お前……」
梟奇は悟った。ドタン、と到達した台所に倒れこみ、震える手で足元の棚を開く。
カセットコンロのガスボンベの備蓄がそこにはあるはずだった。
「まさか……」


ボンベには全て穴が開けられていた。


肝心のカセットコンロに取り付けられたボンベにも、当然のように、針で空けられた小さな穴。
「ムジナッ!貴様ァ……ッ!うおおおおおっ!」
「フヒャハハハハハハハハハッ!ハハハハハハハハハハハハ―――――ッ!」
ムジナの嘲笑!

梟奇はがくり、と膝をつき、失意の悲鳴をあげる。
一方、ムジナは毛布をガシガシと揺らし、心底楽しそうに梟奇に語りかけた。
「おかしいのォ~、貴様ら探偵のいう推理とは、知的で合理的で論理的で一片の隙も無い思考の順路立てでは無かったのか?ハハァッ!」
毛布から長い爪が突き出した!ムジナが左腕を操り、爪を伸ばしたのだ。
「儂の無数の針が家まで侵入していなかったと思うたか?ストーブが無事ならガスボンベも無事だと?庭の倉庫には灯油もあるのに、貴様が他の手段を選ばずここを選んだのはそれが最速と判断したからか?ヒャア~ッ」
金の溶液は打ち震える梟奇の肩を侵食する。心臓まで、あと少し。
「さあどうする!?苦し紛れに摩擦で火でも起こしてみるか!?やってみろ!その隙をついて貴様の手足をもぎとってやるッ!」

「くそッ……」梟奇は天を仰ぐように、頭上の壁にかけられた時計を見た。
「7時……20分。…………時間だな」

ビリッ!と毛布が裂け、中から飛び出す、左手の爪!
「そうッ!その通りッ!もう時間終了だッ!貴様と俺は同じ穴のムジナッ!貴様は俺の一部となって世にも珍しい探偵妖怪としてッ!永遠に生きるんだよォォ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ガフアァァッッ!?」突然のムジナの悲鳴。
勝利を確信したムジナの油断――梟奇はこの好機を待っていたとばかりに、渾身の力で立ち上がり、台所から通じる裏口の戸口へ、倒れ込むようにムジナを――操られた左腕を押し当てていた。
「やはり……庭の倉にある灯油にも穴を開けたか?……だったら、有難い」
「な……アッガガガ……!!」
「私の幼い娘が灯油を持てる『重さ』にまで、軽くしてくれたんだろう?」
「あヴ……あヴぁヴぁが……グッ!キョ……キョ」
「私は時間を守るのが苦手でな、できれば、こうなる前に決着を着けたかったが……」
「キョキョキョキョウキーーーッ!何だこれはッ!何故――――」ムジナの絶叫!


「――――何故こんな所で火が燃えているッ!?」


炎だ!
台所から通じる裏口!その古ぼけた木製の戸口が煌煌とした光を輝かせ燃えている!
梟奇があの時、メガネを腕に突き刺し!ムジナに毛布を巻きつけたのはこの為……裏口の火を悟られぬ為だ!
梟奇は火傷も意に介さず、燃え盛る炎にムジナを毛布ごと押し当てていた。

「――お父さん!お父さんお父さんお父さんっっ!」裏庭からショウ子の泣き声。

「ガ……ッ!娘……!貴様の娘が……!あの生き残った探偵に言われ家に火を付けたというのかッ!?何故だ!何故ここにいる?!怪我か!?忘れ物か!?そもそもキョウキ!何故、娘の帰る時刻がわかったァァーーッ!?」
ムジナは絶叫をもって梟奇に問いかけた。愚かな探偵の推理に滅ぼされる屈辱に身を焼かれながら、微かでも疑問を晴らそうとしたのは、彼に染みついた妖怪らしからぬ知的好奇心ゆえか。

梟奇は質問に答えず、言った。
「私の探偵としての理念はな……『推理とは愛』……だ。…………だからな、娘を想う父親の気持ちは――」ぐん、と敵を炎に押し当てる。「――――いつだってッ!推理なんだよッ!ハハハハッ!ハハハハハハハッ!」

「アバーーーーッ!グアアアグアアバーーーーーーーッ!?」
「ハハハハッ!ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」

音をたて燃え上がる毛布!
緋色の毛布の中から一匹の獣が落下した。
体毛が全て焼け焦げ、声帯は焼き切れ、声もあげずにのたうち回り、開かれた……その口の牙は全て金色だった。

「ショウ子はいつも、学校に早く着く。……妖怪には経験が無いからわからんだろう。その時の寂しさが」
梟奇の腕から毛布が焼け落ちる。梟奇は言葉を続けた。「クラスメイトがやってくるのをそわそわと待っていられるのも、あの子には、10分が限界で……、いつも決まった時間に、一度、家まで帰ってくる」

梟奇が語りかけるムジナはもう死んでいた。

「そして、朝食を食べている間に『遅刻』する。それが半年間の、あの子の幸せな日課だった。――――どうだ、困った子だろう?だから、私は言ったのだ……娘に、『急ぎすぎる』と『遅刻する』……と」
裏庭から、ショウ子の泣き叫ぶ声が聴こえる。

「……ああ、これでまた、遅刻確定だな……」


「お父さんお父さんごめんなさいごめんなさい!……探偵のみんなが!おじさんが!血で!お父さんお父さん!」
燃え落ちた裏口からショウ子が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔をのぞかせた。
火の手は広がり、古びた木製の屋敷が炎に包まれる。

「私は無事だ、ショウ子。……鷹屋敷も無事だな?よし、早く、手当てしに行ってやろう」
裏庭に出た梟奇は火傷した上半身で娘を抱きあげた。

「ねえ、お父さん……。また引っ越すの?」
「ああ、すまないね。またしばらく、友人とはお別れだ。寂しいだろうが……」

「ううん……大丈夫だよ。私は、平気だよ」
ショウ子は涙を拭き、父の肩に額を引っ付けた。
その時の彼女の動きは、今までの、どんな時よりもゆっくりとした動きだった。

「……お父さんが、一緒にいてくれるから――――」


最終更新:2014年11月16日 13:30