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梶原恵介プロローグもどきSS『コミックマスターK』


 東京都港区麻布十番。
 『セーラームーン』の舞台として知られるこの町に、その一家は住んでいた。
「凄い! 『坂の上の君』に出てきた家そのままだ!」
 大の少女漫画好きであるレポーター・真賀(まが)烈斗(れっと)はそう感動の声をあげた。
 彼の目の前にあるのは、昔の少女漫画にでも登場しそうな真っ白の洋館。豪邸の立ち並ぶこの一帯でも眩いばかりの存在感を放ち、ヨーロッパの大貴族の屋敷と言われても納得してしまいそうな佇まいである。実際の主はもちろん日本人だが、しかしそれも、主の名を聞けば誰もが納得するだろう。
「流石は尾萩理代子(おはぎりよこ)先生のご住まいですね」
 真賀が学校一のモテ男的スマイルでカメラに向かって言う。
 尾萩理代子――代表作『坂の上の君』『赤い約束』など。少女漫画界に名高い「星の42年組」の1人に数えられ、日本漫画史を紐解けば確実に名の挙がる巨匠である。
 彼らはテレビ帝京のサブカル系深夜番組「漫画家のうちへ遊びに行こう」のスタッフ一行だった。番組名の通り毎週様々な漫画家の自宅や仕事場を訪問しては、雑誌等の企画よりも「生」に近い姿を紹介することで人気を博しているのだが、今回は真賀が幼少から親しんだ漫画家ということで、彼自身特に気合が入っていた。
「ん? あれは――」
『ちゃお』や『りぼん』のヒロインのようにハイライトが入りまくりだった真賀の瞳が、その家のある一部分を見つめ、点になった。
 屋敷の2階には正面側に3つの窓があったが、左端の窓の周りだけおかしなことになっている。
「な、何だ? あの落書きは……」
 「それ」を指差し、伊賀野カバ丸のように崩れた顔でわなわなと震える。
『梶原死ね!!』『FUCK』『●●●●』『(いかずち)wwwwwww』『下剤漏るぞ』『腹切れよ』
 そこには、カラースプレーやペンキで様々な罵詈雑言が書き殴られていた。しかも壁の材質が明らかにボロく、塗装が剥げ落ちてコンクリートや鉄骨が露出している。
 少女漫画風の屋敷にあって、その窓周辺だけはヤングキングやチャンピオンの不良漫画、或いは某格闘グルメギャグ漫画から切り取って貼り付けたかのように異彩を放っていた。
「な、何であそこだけあんなことに……ていうか……」
 ――どうやって書いたんだ?
 そんな疑問を抱えながら、真賀はスタッフと共に取材車を降り、チャイムを鳴らす。
「皆さん、ようこそお越しくださいました」
 ドアを開け、一行を出迎えてくれたのは貴族めいたドレスに身を包んだ金髪縦ロールの女性、尾萩理代子――本名・山本智美――本人であった。現れただけで背景には花が咲く。今日の少女漫画では見なくなった演出だ。
「邸内も凄いですね。あんな立派なシャンデリア、ホテルにもありませんよ。
 流石、お屋敷も先生ご自身も少女漫画の世界というか……」
「ええ、よく言われますわ」
 スタッフ達は邸内へと案内され、豪華な内装や調度品なども映して回りながら、他の家族の待つリビングへと向かった。
 ――あの刃牙の家みたいな落書きは何なんです? 
 そう聞きたいのを、グッと堪えながら。

 広いリビングに案内されると、3人の家族が待っていた。
 夫の(いつき)はイラストレーター。和のテイストの強い美麗な少女画は海外でも評価が高く、画歴25年を数える現在でも一線で活躍中。個展も度々開いている。
 長女の智里は若くして気鋭の人気漫画家、次女の美樹は高校生で、Web漫画を連載している。2人は若いだけあり、顔の周りにはあのなんかぼんやりした球状のエフェクトが漂っていた。
「皆さん流石にお綺麗ですよね~。それも、それぞれ雰囲気というか画風が少し違うんですね。外見の」
「ええ。ですからあまり家族同士が近くに立つと画風が混じっておかしなことになりますの。ちょっと不便でして」
「凄い悩みだな~。僕らも何だか少女漫画みたいな体型になってきた気がしますよ」
 柔らかなトーンの中で穏やかに取材は続く。真賀は「そういえば」と、壁の落書きの次に気になっていたことを口に出した。
「息子さんもいらっしゃると伺っていたんですが……」
 真賀の指摘に夫婦は「ああ」と頷く。尾萩、もとい山本家には2人の娘の間に息子が1人いるとのことだったが、その姿が見えない。樹がその疑問に答える。
「智樹……息子は今日、都内のイベントに出ることになっていまして」
「そうなんですか。残念だな~」
「でも……多分いても嫌がったでしょうね。息子は子供の頃から『俺だけ画風が全然違う』と気にしてましたし。僕らがこんな感じなのもよく無いんでしょうけど……」
「画風が……? それは、お会いしてみたいですね……」
 真賀の顔にサッと縦線が引かれる。
 何の根拠も無い、だというのに確信に近い予感が、彼の脳内で芽生えていた。
 「画風」というのは、描く絵の話では無いだろう。先程の異常な落書き、あれはその、「画風が違う息子」に関係しているに違いない、と。
 一体、どんな息子なのであろうか。「梶原」とは――。真賀の脳内を、暫しそんな疑問が支配した。

・・・

 その日は都内にて、とある人気ブラウザゲームの同人誌即売会が開かれる予定だった。
 開場1時間前。イベントホール近くの倉庫街。

 ぶえっくしっ!!
「あ~。これ誰か俺の噂してるわ。漫画的に考えて。俺のファンかな。『梶原先生の新刊欲しい』って」
「テメエ、状況見えてんのか!?」
 くしゃみをした男の呑気な声、大して凄味を効かせた太い声が響く。
 そこでは10人近い男達が、1人の男を取り囲んでいた。取り囲む側の男達は如何にもなやくざ者といった風体で、まだ具体的な暴力行為には及んでいないものの、その身から発せられる臭いを隠すこともしない。
 彼らは超大手同人サークル『箍key(たがきい)』の組員。箍keyは絵やエロシーンの構図などのクオリティは申し分ないものの、流行の変遷に合わせて描くジャンルをコロコロ変え、原作とは別人レベルの人気キャラクターが性行為に及んだり、即物的なレズセックスに及んだりする薄い本で荒稼ぎしていた。無論、その行為は嫌われこそすれ不当性は無い(二次創作自体の違法性は別として、だが)。似たようなサークルはいくらでもある。しかし彼らは同じイベントに参加する人気サークルに対し主催者共々圧力をかけて参加を辞退させるというリアル同人ゴロなのである。
 辞退したサークルのスペース箍keyの既刊が並び、会場売上の実に八割を『箍key』が占める――今回もそのはずだった。
 だが。
「……見えてるよ。これもさっさと終わらして、早くイベントに出たいんだ俺は」
「ほお? つまり、オタクは辞退せんと、ウチの要求を呑まんと……そう言いたいってわけか?」
「ああ。ウチはここで新刊を出す。半年前から決まってんだ」
 パンチパーマの組員が相変わらず高圧的に言うと、相手の、サークル代表の男も怯まず返した。
 坊主頭で、口にはペンを煙管のように咥えている。上背は常人より頭一つ高く、筋肉は巌の如く鍛えられ、周囲の組員に比べても明らかに描線が太い。
 梶原恵介(本名:山本智樹)。同人サークル『MAN`S KNUCKLE』の代表を務め、某まんがタイムの萌え四コマのような絵柄と山口貴由めいた過剰に暴力的な作風で知られる男である。
「兄さん……強そうだな。だが身一つでウチと抗争(けんか)ってのは、調子こき過ぎだろ」
「ほれ、立退き料なら払うっつってんだ。大人しく引き下がっとけや」
 組員の1人が蛇皮の財布から札ビラを取り出すと、梶原の右頬を打とうとする。
 『MAN`S KNUCKLE』の予想される売上に比べると少額だったし、金の問題でも無いが、多くの人間はその奥にある暴力に屈服し、左頬を差し出すだろう。
 が。
 ぴしぃっ!
「ぐっ!!」
 札びらが頬に触れるより先、梶原は咥えたペンを唇で器用に操り、男の手にカウンターを見舞っていた。キャップの上からではあったが、男の手が弾き返され、掴んでいた札ビラを離してしまう。
「いるかよ。テメエらのイカ臭ぇ金なんざ。本に移んだろ」
「小僧っ!!」「殺すぞ!!」
 組員らが興奮し、殴りかかろうとした瞬間。
 部屋が、暗く――黒くなった。それこそ漫画で言う「ベタ塗り」のように、全てが黒い無明の世界。
 困惑よりも先に、男達の短い呻き声、続いて床に倒れる音が立て続けに響いた。
 ひゅうっ!! たっ!!
 そこに混じっての風切り音に地を蹴る音。直後、世界に色が戻る。
 梶原を囲んでいた男達は1人を残して皆気を失い、床に転がされ、残った細身の男が数mの間合いで梶原と対峙していた。
 細身の男は、手にした木剣を先程梶原の居た場所へ振り下ろしていた。暗闇の中、一瞬で男達を倒す梶原に斬りつけ、それを梶原が飛び退いて回避したのだ。
 男は振り下ろした木剣をすぅ、と上げて鋒を梶原に向けると、口を開いて問う。
「今のが、アンタさんの魔人能力で?」
 男は正眼に構え直すと口を開き、梶原に問う。
「まあ、ね……」
 否定するには無理のある問いであったが、言ってはならない情報を喋ってしまったわけでは無い。
 「G戦場ヘヴンズドア」――漫画の「効果」を現実世界に再現する梶原の魔人能力だが、周囲を暗くした、という「結果」から推理してこのような能力(こたえ)に行き着くことはまずないだろう。
「しかし、わざわざ『戻した』ってこたぁ、ご自分も見えなくなるんでしょう? 
 なのにこれたぁ、恐れ入るね……」
 周りの男達は皆、正確に顎を撃ち抜かれ、昏倒していた。先手を取ったとはいえ暗中でのその精妙なる早業は、魔人の基準で測っても梶原の若さに見合わぬ卓越した技量を示している。
 そう褒める男も、突然の暗闇にあって気配だけを頼りに崩れ落ちる男達の隙間を縫うよう木刀を繰り出していた。
 身体は細いが描線は太い。梶原と同じ画風(せかい)に生きる者。
 鋒を向けられ、梶原も構えを取る。男の知るどの武術にも見られぬものだが、虚仮威しでは無いことは明らかだった。
 今、対峙する2人を挟む空間は水面に洗剤を垂らしたように歪んで見えていた。
 格闘漫画にはよくあるこの現象も無論『G戦場ヘヴンズドア』による演出効果だが、一方が弱ければこうはならない。男も梶原も、強敵との死合に肌が粟立つのを覚えていた。
 男が再び口を開き、尋ねる。
「梶原さん、でしたっけ? アンタ、流派は?」
「“漫拳”」
「は?」
「“漫画の拳”で“漫拳”。漫画の世界のあらゆる戦士が、俺の師匠(せんせい)だ」
 ふざけているとしか思えない答えだが、技量も、目に宿る光も、本物であった。
「ふ、は、は、は、はっ。
 ポンチ絵が師匠ねえ。好きじゃあ無いが、そいつぁ笑える」
 細い目が見開かれると同時、男は手にした木刀を居合腰に構える。左手の親指で僅かに滑らせると、樫の木刀が「柄」と「鞘」に別れ、内に仕込んだ刃の鈍色が覗いた。
「アンタみたいな上物を喰いたくて……この世界にいる。こんなイカ臭え場で、血の臭いを嗅げる。
ねえ……『食刃(はみば)』」
 そう名づけた無銘の愛刀と一体を成す、彼の魔人能力である。直前に斬り殺した魔人の能力を再現できる。
 今宿った魔人能力は先日立ち会った高名な拳法家のものだ。
 日に一撃のみ、技を「無限」に加速させる。喩え光の速さで動けようと、この一太刀は躱せない。その剣閃は斬殺の運命を象っていた。
 必殺剣を構える男の前で、梶原は酷く奇特な行動を取った。突き出すように構えていた右手を口元にやり、咥えていたペンを持ち変えたのだ。
 男の心中に、初めての苛立ちが生じる。何の意味も見出だせない行動。先程は咥えっ放しだった。ペンと能力は関係あるまい。ペンを投げれば隙を作れるとでも思うのか。或いは――
「ペンは剣よりも強し、とでも洒落たつもりですか?」 
「別にんなつもりは無かったけど、いいねそれ。かっこいいわ」
「……」
 梶原の口ぶりに沸騰しかけた思考。それを冷ましたのもまた、梶原だった。
 梶原が手にしたペンのキャップを外すと、さながら抜き放たれた刃の如く、そのペン先が姿を現す。妖しく輝くその銀尖が、肩から指先に至るまでの持ち手の靭やかさが、それらを含んだ立ち姿の全てが、先程までの無手の構え以上に、完成されて映ったのだ。
「ほぉ……」
 思わず声が漏れていた。
 男は漫画も、その描き方も知らないが、わかってしまう美しさがある。
「なるほど、わけがわかりやせんが、どうも、これは……」
 ――思った以上の、上物らしい。
「ポンチ絵描きの商売道具……その持ち手を落として、殺しましょうか」
「そうか。なら俺も……その腕、落とさせてもらう」
「は、は……」
 剣とペン、両者得物を手に向かい合う。暫しの沈黙を挟み、先に動きを見せたのは、梶原。
「っ?」
 右手を高く掲げると、ひゅうおっと振り下ろす。ペン先から滴る墨が、その軌跡を宙に残した。
 ――何を、した?
「落としたぜ。アンタの持ち手」
 ――は?
 見れば、柄にかけた右手首に赤い線が走り、鮮血が迸っていた。
「はあっ!?」
 男の目が見開かれる。
 ゴオァッ――!!
その一瞬で、梶原は既に必殺の間合いに入っていた。後ろに細い線を無数に引き、恐るべき加速で接近したのだ。
「ぐっ!!」
 先の先を取られながらも、男は梶原に斬撃を繰り出そうとする。
 通常の逆手居合を放つには腰を捻らねばならず、間に合わない。ならば能力は使えないが、半ばまで抜き、体重を乗せて押し斬る“頭浴びせ斬り”を――。
「金剛!!」
「がっ!!」
 瞬速の刃が届くより一瞬早く、それを避ける形で梶原の左拳が胸に突き刺さっていた。心臓への強打で失神させる。漫画『喧嘩商売』からパクった、もといヒントを得た技である。
 ――あれ?
 金剛が決まり、意識を失う一瞬の間に、男はあることに気づいていた。
 ――右手、斬れてねえ……。

「ふぅ……」
 梶原は足で男の頬をつつくと、手にしたペンを咥え直す。
 男の投げ出された右手首は鮮血に染まっているが、実際のところ傷など何処にも無く、流血しているわけでもない。G戦場ヘヴンズドアで「血を描き込んだ」だけだ。本物の偽物。男の注意を一旦ペンに向けさせ、「斬った」と宣告しなければ騙すことは出来なかったろう。無傷で倒したが、その実薄氷を踏む勝利であった。
 ガギィンッ!!
 転がった刀の(なかご)を強く踏みつけ、圧し折ると、この場に残った()()()()へと視線を向ける。
「後はアンタ1人だな……先生……」
「ヒ……ヒヒィ……」
 隅で見ていた酷い肥満体の男は、怯えて上擦った声を出す。『箍key』の代表を務める作家、千之擦太郎(せんのずりたろう)である。
 しかし、梶原は威圧的に詰め寄るでもなく、至極穏やかに言った。
「別に、アンタをどうこうしようってわけじゃあ無いさ。イベントにも、普通に参加すりゃあいい」
「み、見逃してくれるブヒか……?」
「他のサークルに手を出さねえならな。
 悪く言う奴は多いが、アンタ達は売れてるんだろう。じゃああった方が喜ばれるさ。
 愛が無いだのリスペクトが無いだの、外野がとやかく言うもんじゃねえし」
「か、梶原先生……」
 千之の声が震え、目に涙が溢れる。
「それに、アンタの描くの、好きなキャラじゃなけりゃ抜けるしな」
 梶原は敵を赦す主人公のような笑みを浮かべ、下衆な言葉をかける。彼は「むしろよく知らないキャラの方が気軽に使える」と思っているタイプのオタクだった。
 だが。
「『抜ける』ブヒか……」
「おう……ん? ううっ!!」
 千之が卑劣な笑みを浮かべた直後、梶原は股間が急激に昂ぶり、射精していた。
「……ふぅ、いや!! 何だこれは!? うっ!!」
 続けざまに射精。梶原は染みになった股間を押さえ、その場に膝から崩れた。
「ブッヒッヒ……感情に任せて言ってはいけない情報を喋ってしまったブヒね」
「テメエ!! 何をしやが……んあああっ////」
「おかしいと思わなかったブヒ? いくら絵が良くても何故蛇蝎の如く嫌われるウチにここまでの集客力があるのか、何故主催者さえ陥落(おと)すことが出来るのか」
「ま、まさか……」
 千之擦太郎は魔人同人作家である。彼は、自分の作品をオカズに一度でも達した者の快楽中枢をコントロールする能力『K.D.K』(悔しいでも感じちゃう)を持つのだ!!
 因みに、箍keyの同人誌の異常な中毒性は同人板などでは度々話題に上っていたが、梶原は今時珍しいネットに疎いタイプのオタクなのでそんなことは知らなかった。
「ああんっ!! 気持ひぃいいのぉ!!」
 地に転がり、ビクンビクンと身を捩らせ、精液を大量に漏らしながら、梶原は踊り狂った。
 梶原は童貞である。彼はオナニー以上の快楽を知らなかった。そんな男が今、アナルと存在しないはずの膣口を同時に犯される快楽を千之によって流し込まれているのだ。耳まで真っ赤になり、涙と涎を垂れ流し、アヘ顔を晒す。リアル調な彼のアヘ顔は見れたものでは無いが、そんなことを言っている場合では無い。
「ちくしょう!! チンポなんかに!! 絶対!! 負け……らめえっ/////」
「チンポに勝てるわけ無いブヒィ。
 梶原、お前絵は上手いから、ウチに来るといいブヒ。エロいの描けば今よりは稼げるブヒ」
「……ふぅー、ふぅー! ざけんな!! 俺は、最強になって、格闘漫画で……『X-MEN』より売れ……んほぉおっ///」
「アヘ顔で吠えるなブヒ!
 漫画界(このうみ)のレベルを知れば知る程に、そんな夢は見れなくなるブヒ!!
 ウチに来ないなら、お前はせいぜい、白濁の海(ホワイトブルー)で溺れ死ぬブヒ!!」
 精液の海でのたうち回り、テクノブレイク寸前の梶原へ千之は吐き捨てるように言う。だが。
「人の夢は!! 終わらねえ!!」ドン!!
 瀕死とは思えぬ叫びに、千之はやや気圧される。どこからこんな気力が……と思ったが、実際のところは逆で、『ONE PIECE』風に叫ぶことで気力を取り戻していた。「ドン!!」を通せば道理が引っ込む。
「ふ、ふん!! 何だか知らないが、もう息も絶え絶えブヒ! それにしても汚いブヒね。僕まで精液塗れ……ん?」
 ――射精し()過ぎじゃね?
 千之は今更気づいた。成人男子の一回の射精量が3mlと言われているが、梶原はエロ漫画顔負け、バケツ一杯程の精を放っている。これも「G戦場ヘヴンズドア」の作用だったが、状況がエロ漫画よりエロ漫画的なこともあり、相乗効果で凄いことになっていた。
「……千之、澤って奴が、言ってたが……なんか、チェーンソーに精液をぶっかけて、ショートさせるエロゲーが、あるらしいな……。そんな出るわけねえだろと思ったが、出たぜ……」
「ブヒ?」
 青白い顔で見上げながら、梶原が言う。千之は明らかに今必要の無い、不可解な発言に困惑しているようだった。だがこれは、布石だ。
「『こいつ』は単体で人を殺す程強くねえ。せいぜい気絶させる程度さ……濡れて無ければな……」
「ブヒッ!!」
 千之が引き攣った声を発する。梶原が口に咥えたペン。それが、バチバチと電光を纏っていた。
「これが俺の『(いかずち)』だ」
 ポロリ、と口から落としたペン――『雷』が、精液の海へ落ちる。電流は精液を伝い、そして……。
「ブヒィイイイイイイイイイイイイッ!!」
 感電!! 透ける骨格!! 
 当然、これも単なる演出である。実際には千之に電流など全く流れていない。千之が恐怖のあまりそう錯覚しただけだが、例えば先程の剣士相手なら通じなかっただろう。
 千之はその場に倒れ、ピクンピクンと痙攣すると動かなくなった。梶原のジーンズと同じくその股間にも染みが生じ、漏れ出してくる。
「うわっ……汚ねぇ……失禁(もら)しやがった。くそっ」
 自分が精液を垂れ流したことを棚に上げ、梶原は罵倒する。その場から這ってでも逃げたいが、もはや体力が無い。「ドン!!」も2度目では効果が薄いだろう。無力に精液と小便、2つの汚水に浸された。
「あぁ……イベント、出れねえっつーか、これ、他の連中が目ぇ覚ましたら、どうな……うっ」
 危機を覚えるも、限界を超えた反動に叶わず、梶原はその場で意識を失った。意識を失う寸前、五感に拠らない不可思議な情報が流れこむのを梶原は感じていた。
 ――『迷宮時計』……?

・・・

 ――広域魔人暴力団『板餓鬼組』。梶原はその傘下に当たる組の事務所で目を覚ました。マンガ肉を与えられ、体力が回復すると尋問が始まった。
「お前はウチの稼ぎ頭だった『箍key』の千之を殺した……わかってるな?」
 正面のデスクに座った若頭だという男・遠野が言う。
 梶原は失神しただけだと思っていたが、千之はあの時心臓麻痺を起こして死んだらしい。予期せず殺人者となってしまった梶原だが、特に罪悪感も抱かず、咥えペンのまま憮然として返す。
「正当防衛だ馬鹿」
「舐めとんのか小僧っ!!」
 背後にいた側近らしき魔人ヤクザが恫喝するも、遠野は非礼に怒った素振りも見せず、更に言葉を続ける。
「千之を殺られた損失はそのことだけじゃない。お前はもうわかっているだろう。経緯はたまたま……何であんなのが選ばれた、と思うが、奴は『迷宮時計』所持者だった」
 まだ「対戦」が決まるまでは遠く、他の所持者から狙われる心配は無かったが、それでも同人誌即売会にまで腕の立つ用心棒を連れて来ていたのは、そういった理由からだった。
「世界の反社会組織……イタリアンマフィア、台湾黒社会、コロンビアのシンジケート、メキシコの麻薬カルテル……それらの中で最大利益を上げているのがあの『夜魔口組』で、その額8兆円……迷宮時計はその比じゃない価値を生み出しうる物だったが、お前が所持者を殺してくれたわけだ」
 事務所内の空気が険しさを増す。梶原は姿勢をそのままに周囲を見回し、どいつが銃を持っているか、などと考えたが、遠野の話は更に続き、そして予期せぬ方向へ向かっていった。
「しかしその結果……お前は今や、新たな所持者だ」
 遠野の眼鏡の奥の瞳が、梶原の右手首へと向けられる。そこには腕時計が巻かれ、否、描かれていた。子供の落書きのような、というか落書きにしか見えないが、皮膚上で歪な針の絵が確かに動き、時を刻んでいる。
「……加えて、お前はウチきっての使い手を無傷で倒し、あの量の射精を経て尚生き残った。
 お前の腕と生命力、買いたい」
若頭(かしら)! マジですか?」
「これが最善だ」
 遠野は煙草を咥え、火をつける。暫し瞠目した後、細く煙を吐くと更に続けた。
「お前にしてもだ、山本智樹」
「梶原恵介だ」
「梶原……どちらにしろお前は、迷宮時計の定めを逃れられない。いくら腕っ節が強かろうとも、お前1人じゃ色々苦しいところもあるだろう」
 梶原にも、この男の言わんとするところは飲み込めてきた。平時の安全や情報、物資等の面で組織がサポートするから戦え、ということだろう。
 生き残るためには戦いを避けられない以上、彼らと手を組むのは得策――あまり賢くない梶原にもそれはわかる。
「そういうわけで。俺の舎弟にならないか、梶原。待遇は聞くぞ」
「だが断るそして死ね!!」
 瞬断すると梶原はスピード線で背後に加速、勢いを乗せた鉄山靠で施錠されたドアをぶち抜く。
「なっ……貴様!?」
「ヤクザの世話んなって優勝したらそれこそヤバいわ馬鹿が! 俺は迷宮時計であらゆる時代の取材と武者修行の度に出る!! お前らは薄い本でも売ってろ! あ、でもカタギには迷惑かけんなよ! じゃあな!!」
 梶原は追いすがる組員を蹴り倒すと、ビルの窓を開け、飛び降りた。下まで10m近くあったが、体格に見合わぬ軽やかさで着地し、そのまま走り去って行く。
「どうします……若頭?」
「奴に言われんでも、カタギには手を出さん……。それに、もし下手に手を出そうとして奴が世間にバラせば俺達が危ない」
 迷宮時計の所持者を擁していることは、この組の構成員しか知らないことであった。遠野は大組織の中の小団体の組長で終わる気は全く無かった。そのための切り札があの迷宮時計所持者となった千之だったわけだが、今回、梶原の手に渡ってしまったのだ。
 そしてその梶原に対する強制力が、今のところ無いというのが遠野らの実状であった。尤も、そんな彼らの事情を梶原が見透かしていたとは思えないが。
「だが、まだ『目』はいくらでもあるさ……。この先戦いが苦しくなれば、向こうから俺達を頼りたくもなるだろう。それまで気付かれんよう監視していろ」
「へい!」
 そのように命じた後、自身も事務所の外に出、倒された部下を起こしてやると梶原が飛び降りた窓から地上を眺める。その姿はもう見えなかった。
 ――まあしかし、あの男がどこまで独力で戦えるか、見てみたいような気もするな。

・・・

「迷宮時計……か」
 事務所を1km程離れた地点で、梶原は手首を見つめる。このミミズのような針は――具体的にいつなのか知らないが――着々と運命の瞬間へと時を刻んでいる。
「ふふん……これが主人公体質って奴か。こんな美味しいモンが舞い込んでくるとはな……」
『漫画を面白くするのはリアリティ』――岸辺露伴の言葉だ。生き残りをかけて幾人もの敵と戦う。この嘗てない体験を経れば、自分は武術家としてだけでなく、漫画家としても高みに立つことが出来ると確信していた。
 梶原はスマートフォンを取り出すと、ある男に電話をかける。ヤクザの助力は拒絶した梶原だが、彼には頼れる――本当に頼れるかはわからない――相棒がいた。
「あ、梶原さん!! 電話しようとしてたんですよ!! イベントブッチってどういうことっすか!?」
「あ、悪い澤。それはまあ、色々事情があるんだけど、それより……『迷宮時計』って知ってっか?」