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プロローグ


《1》

お兄ちゃんが死んだ。
血がつながってないどころか義妹ですらない私に、あの人をお兄ちゃんと呼ぶ資格なんてないのかもしれない。
でも、私にとってあの人を呼ぶのに一番ぴったりな言葉が「お兄ちゃん」なんだから、いいよね。



四年前、初めてお兄ちゃんが『刻訪(うち)』に来た。
あのときの私と同じ、孤独に押し潰された真っ黒な瞳をしていた。
若い人もそれなりにいたけど、10代っていうのはやっぱり少なくて、お兄ちゃんは私と一番年の近い人だった。
最初は話しかけても心に声が届いてないみたいだったけど、がんばって何回も話してみたら返事してくれた。
「うん」って一言だけだったけど、嬉しかったな。

お兄ちゃんは左腕がなかったから、ママの能力でパパの戦器と調和(シンクロ)することができた。
羨ましかったけど、痛いのはイヤだからやっぱりいいかな。
お兄ちゃんがお仕事をこなしていくうちに、その瞳の黒が少しずつ違う黒になっていくのがわかった。
それも、私とおんなじ。

月日が経って高校生になったお兄ちゃんは、別人みたいに素敵な笑顔を見せるようになってた。
きっといい友達が学校にいるんだろう。
冗談なんかも言ってきたりして、出会った頃がウソみたい。
でもこれが、ほんとのお兄ちゃんなんだって思ったら、私も笑顔になれた。
こないだ、ついに彼女ができたらしい。写真見せてくれたけど、ちょーかわいかった。ぜいたくなやつめ。

事務所にあんまり来なくなった(って言っても週に一回はいたけど)お兄ちゃんが、とうとう音信不通になってしまったのは1ヶ月前のことだ。
刻訪(うち)は悪の組織でもなんでもなくてただの互助会だから、用がなくなれば来なくてもいい。
そういう人は今までにも何人もいた。
でも、私がメールすればだいたい返事してくれるし、なんやかんやでみんな遊びには来てくれている。
けど、お兄ちゃんはまるでこの世界から消えてしまったように、ぷつりと消息を絶っていた。

パパやママに訊いても全然わかんないらしい。
いなくなるとわかるさみしさってあるんだね。
気が付いたら私の腕に、縫い跡が増えていた。
どうやらちょっと、おかしくなってたみたい。



お兄ちゃんが死んだ。
報せを受けて日本橋にある地下駐車場に駆けつけたパパとママが言うには、それは酷い有様だったらしい。
話したがらないパパを私の糸で縛り付けて無理に様子を訊き出したら、私の想像なんかよりはるかに惨い。
爆発的な攻撃を受けたのだろうか、左腕は跡形も無くなっていて、お腹には大穴が空いていたんだって。
血と肉と骨が焦げた臭いにやられた捜査員の人が吐いてしまって大変だったとか。どうでもいいよ。

可哀そうなお兄ちゃん。痛かったね。辛かったね。
どうしてそんな酷い目に遭わないといけないんだろう。
私もお兄ちゃんも、両手は赤で塗り固められている。天国になんて絶対行けやしない。
でも、どうせ地獄に落ちるなら、死に方ぐらい選ばせてくれたっていいんじゃないかなって思う。
ねえ神様、それは私のわがままですか?



お兄ちゃんが死んだ。
もう、零す涙は私に残されていないけど。
私の心にまたひとつ、埋まることのない穴が穿たれた。

◆◇





《2》

それでも朝は平等に、容赦なくやって来る。
眩しい朝日に身を焼かれながら、私は重い心に縛られた体を動かした。
朝食を食べ、登校の準備をする。
ママは学校を休んでいいって言ってくれたけど、やっぱり行くことにした。
うちで休んでいるよりも、学校の子たちの笑顔を見ている方が、元気になれる気がしたから。

テレビを見ると、一瞬お兄ちゃんのニュースが流れ、すぐにいつも通りの朝の特集へと切り替わった。
魔人社会では、死者一名の凄惨な殺人事件の扱いなんてそんなものだ。
お昼のワイドショーではもうちょっとやるかもしれないけど、朝の貴重な時間を割くほどのことではない。

「グッモーニーン!今日は現代芸術(モダンアート)伝統芸能(トラディショナルアート)とのコラボレートが評判の、『書』の達人にお話しをお伺いしマス。では早速! Good morning, my name is ……」
特集ではユーモラスな外国人のおじさんが、茶髪にヘッドホンのお坊さんに突撃取材(えいかいわ)を試みている。
実に平和なひとコマだ。私たちにもちょっとでいいから分けてほしい。

「……いってきます」
そんなこんなで準備は万端。
今日も一日、がんばります。



通勤ラッシュに巻き込まれつつもなんとか辿りついた駅から歩いて15分。
銀杏並木の坂を上っていくと、白亜の宮殿……と勘違いしてしまいそうなくらいに壮麗な校舎が現れる。
(セント)アーク女子学園に通い始めてから1年半の時間が経ったが、私は未だに圧倒されてしまうのだ。
上部が滑らかにウェーブしている豪奢な門をくぐりぬける。

「ごきげんよう、綾辻さん」
「ごきげんよう、お姉さま」

挨拶をして下さったのは吾咲有為(あさきうい)先輩だ。
前期の生徒会長(シスター)だった先輩は、学園始まって以来の才媛と呼ばれ、全校生徒の憧れである。
生徒全員の顔と名前が一致しているのも彼女の才能の片鱗にすぎない。
生徒会長(シスター)の任期を終えた現在もこうして毎朝登校する生徒に挨拶をし、一日を頑張る気力を分けてくれている。

「あら、タイが曲がっていてよ」
長い黒髪を揺らしながら、家に飾られている白磁の器のように繊細な指が私のタイに触れる。
いやみの全くない所作に、女子である私も思わずドキッとしてしまう。
「あっと、ありがとうございます」
先輩は私の顔をじっと見つめると、心配そうに言った。
見つめられてますます緊張する私。
「少々お顔色が優れませんわね。なにかございまして?」
「えーっと、昨日ちょっと夜更かししちゃいまして」
「まあ。淑女たるもの、常に美しくあるよう努めなければなりませんよ」
「気をつけます……」
人差し指を立てて私を諭した先輩は、優しい微笑みを浮かべた。
「お悩み事がありましたら、いつでも相談に乗りますわ」
「……ありがとうございます! では、失礼しまーす」

ちょっと浮世離れしている気もするが、そこもまた魅力であるという評判だ。
そして、先輩は心の機微にとても敏い。
きっと、私が落ち込んでいることにも気づいていたと思う。
ここでその時その人に合わせた心遣いができることが、先輩の慕われる一番の理由なんだろうな。
元気をもらった私は、瀟洒な音色の予鈴が鳴り響く校舎へと足を進めていく。



「ごきげんよう、真実(まみ)さん」
教室に入った私は、前の席に座っている、赤みがかったくせっ毛の少女に話しかける。
彼女の名前は(めぐり)真実。新入生合宿で一緒の部屋になって以来の親友だ。
一人称がボクであるところが特徴的な彼女は勉強は普通だけど、だれとでも仲良くなれるフランクな性格が愛されており、今期の生徒会長(シスター)にも選出されている。

いつもの彼女だったら「ごきげんよう! 結丹(ゆに)さん!!」と元気よく返してくれるはずなのだが、今日は全く反応がない。
しょうがないので耳元で、優しく息を吹きかけるようにやり直してみる。
「……ごきげんよう、お姉さま?」
「ふわぁっ、おはよ……じゃなかった、ごきげんよう、結丹さん! もぅ、お姉さまはやめてよー」

ようやく私に気が付いたようだ。
生徒会長(シスター)になったばかりの彼女はお姉さまと呼ばれることに慣れておらず、恥ずかしそうにしている。
耳元で話しかけたことはいいのだろうか。

「だって返事してくれないんだもん」
「ごめんごめん」
ばつが悪そうに謝る彼女。そこには普段の十分の一も元気がない。
明らかに様子がおかしい。

「どうしたの、心ここにあらずってかんじだけど」
とりあえずきいてみる。
「……えっと、そのね、ここじゃ話しづらくて……。お昼休みになったら、相談室に来てもらっても、いいかなぁ?」
予想以上にガチだった。せいぜい1万円の入ったお財布を落としたとかだと思ってた。
「え、いいけど……。ねえ真実、だいじょぶ?」
「ごめんね、後で話すから」
気になってしょうがないけど、とりあえずお昼まで待とう。

「今日ミスドが100円だって!」「お姉ちゃんがスタバのタンブラーくれたんだあ」「わ、わたしね、こ、告白されちゃった!!」「昨日C組の美咲ちゃんがね、前田先生と一緒に歩いてたの!」「宿題できてる?」「まだだよー」「ねえ聞いた!?学園祭のライブのゲストすごいよ!!」「キャー!」「やったー!」「あ、先生来る」「早くない?」

教室の会話はいつも通りだ。
本来ならそこに真実が加わって、まるでお祭りの日みたいににぎやかになる。
けれど今日はそれがなくて、どこかみんな盛り上がってない気がする。
元気をもらうつもりだったのに、なんだか大変なことになりそうだな。
そんなことを思っていたら、チャイムが始業を告げていた。



「『迷宮時計』?」
「そうなの! これ見て……」
お昼休みの相談室。
聞きなれない言葉に首を傾げる私に、真実はケータイのメール画面を見せてきた。
メールの差出人は見たこともないアドレス。
内容をよく読むと、そこにはとんでもないことが書かれていた。

現実世界で時計の所有権を手放すことは決してできないこと。
所有権が失われるのは、その時計所有者が死亡した時のみとなること。
所有者の存在しない時計は、最初に触れた者が次の時計所有者となること。
時計所有者になってしまった者は、 絶対にバトルロイヤルに巻き込まれること。
戦闘空間で自分以外の全ての時計所有者を排除しない限り、元の世界に帰還することはできないこと。
欠片の能力を統合した最後の一人は、『迷宮時計』の真の名を知り、その力を手に入れることができること。
『迷宮時計』は望む時間や空間へ自由に向かう力であるとも、時空のすべてを支配する能力であったとも噂されていること。

俄かには信じられないことばかりだ。
かける言葉がみつからないが、とりあえず思ったことを口にしてみる。
「……うっわー。これはやっばいね」
「でしょ!? もうボク、どうしたらいいか……!!」
真実は頭を抱えて涙目になっている。
こんなにも憔悴している彼女は、私のはじめて見る真実だった。

普段の真実だったら、朝にしゃべったとき、ひとめ見ただけで私の様子がおかしいことに気が付いて、
どうしたの? と優しく声をかけてくれたにちがいない。
普段の真実だったら、待ちわびた獲物を前に下卑た笑みを浮かべる獣のような表情の私に気が付いて、
どうしたの? と厳しく問い糺してくれたにちがいない。
それぐらい今の彼女は、日常からかけ離れた心境のもとにあった……のだろう。

迷いはほんのひとときにすぎなかった。
あるいはまだ、私はおかしくなっているままだったのかもしれない。
7年間待ちわびた赤。
7年間探し続けた赤。
それに届く欠片が、いま私の目の前にある。
縫い跡が疼いている。
私の心は決まった。

「真実」
「ふぇ…?」
「放課後、礼拝堂に来て? 一緒に助かる方法を考えよう」

◇◆





*************************

赤いマフラーを編んでいた。
こっちのはしがわたし、むこうのはしがおかあさん。

赤いマフラーはお父さんへのクリスマスプレゼント。
くりすますには、ねがいがかなうの。

お母さんとお父さんは事故で死んでしまった。
あかいまふらーができたら、みんなかえってくるのかな。

マフラーが完成しても、両親は帰ってこなかった。
ちがういとをつかえば、みんなかえってくるのかな。

自分の血で赤く染めた糸を使ってマフラーを作っても、両親は帰ってこなかった。
ちがういとをつかえば、みんなかえってくるのかな。

他人の血で赤く染めた糸を使ってマフラーを作っても、両親は帰ってこなかった。
まじんになったら、みんなかえってくるよね。

人間に翼を縫い付けても、空には連れて行ってくれなかった。
あなたはわたしの、てんしじゃないの?

少女は両親を甦らせてくれる人を探しています。
あなたの赤は、わたしのほしい赤ですか?

*************************





《3》

放課後の礼拝堂。
広大な学校の敷地の隅にあるここは、日曜礼拝のときには神父さまが来るが、平日はがらんとしておりだれもいない。
礼拝堂の周りには神父様の植えた草花が咲き誇っている。
私がお仕事で運んだことのある草も生えている気がするが、それは気のせいだろう。
まだ時刻は16時を回ったところだが、夕焼けは空をくまなく茜色に染めている。
陽射しが壁面のステンドグラスを通過し、礼拝堂の中は荘厳な雰囲気に包まれていた。

「ごめん遅くなった! 進路相談が長くなっちゃって……」
真実が慌てた様子で中に入ってくる。
……準備する時間をくれたのは都合がいい。
そんなことはもちろん口にせず、
「ううん。私もいま来たところだから」
哀れな子羊を優しく迎える。
「そっか! よかったー! ……ありがとね、私の相談に乗ってくれて」
くりくりの瞳を伏せて、真実が申し訳なさそうに言う。
しおらしい真実を目にして、私の口から思いがけず言葉が飛び出した。

「……まかせてよ。だって私たち、親友でしょ?」
嘘じゃない。
「嬉しい。」
真実は照れくさそうにはにかむ。
そんな可愛らしい真実を見て、去年の春から始まったあの日々が脳裏によみがえる。
「初めて私たちがしゃべったのも、この礼拝堂だったよね」
「そうそう。真実ったらいねむりしてるんだもん。神父様の目、怖かったなー」
「あ、あの時はその……ね、眠かったの!」
「あはは。で、新入生合宿で一緒になって」
「それからはずっと一緒だったよね。テスト勉強も、臨海学校も、学園祭も、新年会も。」
全部大切な思い出だ。
かけがえのない、私たちのきらめき。
「……二年生になっても。うん、一緒だった。……どっちかっていったら私が真実に頼ってたかな」
「え、そーなの?」
大きな瞳をさらに丸くして、意外そうに真実が言う。

「そうなの。いつも元気を分けてもらってた。だからね、真実が相談してくれたとき、ほんとに嬉しかったんだよ?」
嘘じゃない。
「そうなんだ。結丹ちゃんはボクと違っていつも落ち着いてるから、ボクが面倒みられてるのかと思ってたよ!」
「面倒みてたのは否定しないよ」
「なんだとー! ……でも、相談して結丹ちゃんが喜んでくれるんなら、ボク、話してみてよかったのかな」
「そうだよ! 真実のおかげでね、私もがんばろーって思えたんだから!」
嘘じゃない。

太陽はさらに地平線へと近づいていったようで、いよいよ礼拝堂の中は赤に染まっていく。
「……私が真実を、『迷宮時計』から解放してあげる」
どうしてそう言えたのかはわからないけれど、とにかく自信満々に、私は真実に宣言した。
「ありがとう!」ぱっと真実の表情が明るくなるが、すぐに曇る。「……でも、どうやって……?」
「それは……」
これから私のしようとしていることを考えると、言葉を続けることができない。
私は沈黙に耐えかねて、彼女に意味もなくお願いをする。

「……目、瞑って」
「な、なんで?」
当然の疑問だ。
でも、目を閉じててくれる方がやりやすいから、いっか。
「いいから。教えてあげないよ?」
「むぅー。わかった」
怪訝に思った顔をしたが、しぶしぶ目を閉じる真実。
私の方が少しだけ背が高いから、さながら口づけをねだる乙女のような状態になっている。

……このままキスしちゃって、真実と一緒に戦うのもアリかな。
私が糸の使い方を教えてあげれば、少しは勝負ができるかもしれない。
ちょっとだけそんな想像も頭をよぎる。
でもダメだ。
ただの人間の真実が、付け焼刃の技術で戦闘魔人に勝てるわけがない。一瞬で殺されておしまいだ。
それにこれは、7年間で初めて訪れたチャンス。これを逃したら、次は無いかもしれない。
やるしかない。

覚悟を決めて、真実が来るまでに張り巡らせておいた糸を握る。
ごめんね、とか、ありがとう、とか、だいすき、とか、かけてあげたい言葉は数えきれないほどあった。
でも、私の口をついた言葉は。
「――さよなら」

真実がその言葉を認識していたかどうかは私にはわからない。
私にわかるのは、ばつん、という音と同時に真実の体が切り刻まれ、礼拝堂の冷たい床に文字通り崩れ落ちていったという事実だけだ。



死体の着ている制服のポケットからケータイを取り出すと、私のケータイの着信音が鳴り響いた。
メールの送信アドレスは真実のアドレス。
内容は真実が私に見せてくれたものと同じだ。
しかし私の目とは別のルートからも流れ込んでくる情報が、私に『迷宮時計』の所有権が移ったことを教えてくれる。

「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」
私の口から無意識のうちに言葉がこぼれて、抑えきれない。
暗くなったケータイの画面が私の顔を映す。
ああ、私は心と表情もバラバラだ。だって私はいま、こんなにも悲しいのに。
見るに堪えない顔から目を背け、私は肌身離さず持っているポーチの中に入っているみんなの写真を見た。
「待ってて、お母さん、お父さん。……お兄ちゃん。…………真実も。もうすぐ私がみんなを連れて帰るから」
今度は思った通りの言葉が口をついた。

手袋もなしに操絶糸術(キリングストリングス)を使ったせいで、指からは血が出ている。
……でもいいの。
両瞳の泉はとうに枯れ果てた私の、これは血の涙。



――あなたの赤と、わたしの赤
絡み重なり、赫くなる――