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プロローグ


 ――天使・須藤四葉の朝は早い。
 真っ白パジャマの少年少女が寝息を立てる「こどもたちのねるへや」で、
 真っ先に起きたのは、銀髪を胸の前に垂らした須藤四葉であった。
 頸にかけられたリングがほのかに光る。
「………ん…ぅん~~っ」
 大あくび。四葉はピアニストのような……いやそれ以上に細く長い指で、顔を揉みくちゃする。
 今日も夢を見なかったなあ、と、脳まで揉むようなマッサージをしながら思う。
 めあかをこすり取り、鼻をすする。ずび。すびび。睡眠中ずっと詰まっていたようで、口の中がひどく乾いている。心なしか塩っ辛い味もする。
 寝ている「妹たち」を起こさないように、小さく鼻をすすりながら、ゆっくりと背筋を伸ばし、立ち上がる。少したよりない足取りで、昨日六歳を迎えた男の子を大股で跨いで、廊下に出る。
 こどもたちのねるへやの正面には、聖母の油絵が飾られている。神々しいマリア様を囲む天使たちはラッパを吹いている。
 頸のリングを無意識に撫で、「せんめんじょ」へ足を向けた。
 数歩あるいたところで、「えんちょーせんせーのへあ」の扉が無音に開かれた。
 四葉と同じ「お姉さん」の、××があらわれる。驚く四葉と目がかちあう。
「あっ、あっ、××ちゃん早いねオハヨー」
「……ぉはよお」
 ××の後方から、両目に眼帯をかけたスーツ男も現れた。
 四葉はぺこりと頭を下げる。
「デューンさん! おはようございます」
 両目部分をくりぬいた眼帯をしたデューンなる男は、著名な画家であり、四葉らの生活する「聖マルガレタ孤児院」に多額の寄付をする善意の協力者でもある。
「おはよう、四葉ちゃん」
 デューンは微笑した。眼帯の中の白目と黒目が、優しい弧を描く。
 優しさを湛えた画家とは対照的に、××の顔は、無数のレイヤーが重なった複雑さであり、複雑の極致は無表情であった。
 四葉は尋ねる。
「なにかあったの?」
 ××は両手を尻で組んで、言葉を選ぶように答えた。
「……うん、あのさぁ、私、今日でここを出ることになったんだ」
「!」突然の告白で四葉の眠気は吹き飛ぶ。
「……デューン様の……子、ってことに」
 指を擦りながら××が顔を赤らめてつぶやいた。
 目をぱちくりさせる四葉を横目に、デューンが××ちゃんに耳打ちする。
 すると、××は目だけを四葉に向け、ぴたっと固まった。そして赤顔をさらに赤くする。
 四葉は眉をあげて頸をわずかに傾ける。「?」のジェスチャーだ。
 奇妙な沈黙を破ったのは、四葉だった。
「今日のいつまで居られるの?」
「あ、うんっ、デューン様と……」××は口をもごもごさせる。「パ、パパと一緒にすぐ出ちゃうから」
(あっ、パパって言うのが恥ずかしかったんだ)
 四葉はクスっと笑う。
「よかったねぇ。落ち着いたら手紙ちょうだいね」
 これまで、引き取られた兄弟姉妹から手紙が来たことは一度もない。
 それでも二人は誓う。
「うん、絶対遊びに行くからね」
 静かに微笑んでいたデューンが、××の腰を引き寄せる。
「それじゃあ行こうか」
「んっ……うん。うん、じゃあね」
 四葉は突然の別離を沈黙で耐える。
 デューンが漆塗の把手を押し開く。
 ××は振り返り片手をあげて振る。
 四葉は、両手を顔の横で広げてみせた。
 新たな家族を見送り、四葉は胸の前で両手を合わせた。
 すずめの鳴き声が小さく聞こえる。
 こどもたちのへやで誰かが起きた気配がする。
 四葉は駆け足で洗面所へ行く。両手に水を溜める。無心に水面を見ていた。あふれそうな、こぼれそうな水を顔にばしゃばしゃかけた。
 それから歯を磨く。

11/9 はれ
 今日は、朝からたいへんだった。
 ××ちゃんはいなくなって、みんな泣いていた。いつも××ちゃんにひっついていた○○○くんは、とくに。
 ついに一番お姉さんになっちゃった。
 ××ちゃんはいつもブスだからだれにももらってくれないって言ってたけど、やっぱりそんなことなかった。××ちゃんはやさしいし声もきれいだしケーキも作れるし。
 四葉ちゃんはうらやましいって言ってたけど、わたしは××ちゃんがうらやましかった。
 園長先生も××ちゃんも、出てくって知ってたら教えてくれればいいのに!!!
 もんくいってやろ!って、けどお昼は園長先生はおせわ係とお外に行くから、○○○くんたちと遊んでいたら忘れちゃった。
 おせわ係はなりたかったけどでも、みんなをねかしつけるのは上手だから、みんなと遊んでるほうがいいんだと思う。これが滴材滴所(※原文ママ)ね。……



 ――天使・須藤四葉の昼は遅い。
 本来なら幼稚園生であったり小学六年生であったりする子供たちが、「おべんきょうのへや」に集まる。
 そして、チャイムもなく園長先生の授業が始まる。内容は、学校で言えば国語とも算数とも生物とも道徳とも保健体育とも言えるような、様々なことだ。
 孤児院の、午前のいつもの風景。それだけに、空席ひとつがやけに目立った。
 学校の時間が終わると、昼御飯まで自由時間。
 子供たちは、好きなように過ごす。
 食いしん坊はおざなりに手を合わせ、プレ昼食(フレンチトースト)一口(かぷり)
 双子の兄弟に頼まれ、びっこの女の子が授業を詳しく教え直している。
 日の当たる敷布団に何人かが寝っ転がって絵本を読んだりおしゃべりしている。
 四葉は台所で麦茶を飲んでいた。ぷはぁ。手の甲で口を拭いたときに、入り口に立った白いコートに白いスカートの子を見た。
「あれ、△△△ちゃん。どうかした?」
 ドアの柱に手をついて、じぃっと四葉を見つめている。
「園長先生のとこ……急にいなくなったから代わりに」
「いれる?」四葉は、持っていた赤いコップを振ってみせた。
「いや、あんまりお腹に溜めるとアレだから……」
「アレって?」
「……四葉ちゃんは天使だもんね」
 嫉妬や皮肉が一切見えない、諦観のような呟き。
 輪っかや羽よりも何千回と繰り返された△△△の口癖によって、四葉は自分が天使だと自覚してきた。
「そのワンピース、××ちゃんのだったのだよね。とっても似合ってるよ」四葉は笑う。「今度のお世話係はわたしかなって思ったけど、わたし、普通じゃないもんね……」
「四葉ちゃんは天使だから……。でも、もし、本当にしたいっていうんなら訊いてみる?」
「うん!」
「……じゃあ」
 △△△は腕を横に伸ばして、引きずり込まれるように部屋を出た。
 四葉は麦茶を注ぎながら、今日はよく手を振られるな、と思った。
 澄んだガラス越しに○○○くんが手を振って招いている。
「よーぉーつーばー! あーそーぼーぉーおーおー!!」
 大きな声だが、近隣住民の迷惑の声はない。園長先生は、自分たちのためにあらゆる手を打っている。なんて優しいんだろう、と四葉はときどき思い返す。園長先生がよく説教でいうS様なんかよりも、ずっとずっとすごい、と思う。
 四葉は裸足のまま外へと飛び出す。遊んでいると、つかれたーなんてだれかがぐずりだす。それが追っかけっこ終了の合図。四葉は足を洗いに浴場へ。子供たち全員が一緒に入れる広さだ。ついてきた子供たちがお風呂に入りたいというので、第二ラウンドが始まる。
 一緒に入り、一緒に出る。ぬるい秋風は心地いい。
 四歳児はタオルでくるくる巻きにされて、四葉のふかふかの羽の上で、すーすーと寝入る。
 四葉一行は「こどもたちのねるへや」につくと、疲れ果てたらしく、畳の上につっぷした。
「床の上で寝ないの。布団を敷くー」
 と言っても、狸寝入りなのか本気寝入りなのか、ぴくりともしない。そのうち寝息を立て始めたから仕方がない。
 四葉は上着を脱いで寝っ転がり、羽をいっぱいに広げ、右翼を子供たちの被布団代わりにする。
 一人、まだまだ元気な○○○が、四葉に全体重を乗っけて揺らす。
「よーつーばー。まだ遊ぼうよー」
 四葉自身も疲れている。
「子守唄、歌ってあげるよ」
「いや!」
「絵本とか」
「いーや~だ~! あーそーびぃた~いー!!」
 羽の下で子供がぐずる気配がした。
「ほら、目を閉じて。すぐ眠らせてあげるから。ほら、目を閉じて。目を」
 ムスッとした○○○は、ムスッとしたまま目を閉じる。
 かわいらしい様子にくすっと笑う四葉は目を閉じ、「世界」を切り替える。
 眼を開く。
 四葉の真っ赤な目に映り込む世界は、もはや尋常なものではなかった。
 あらゆるものの表面にあらゆる色彩が染み、走り、踊っていた。さわやかな風は空間を蹂躙する臼緑で、夏の名残の日差しはアリが這うような茶土の色をしていた。
 あらゆる因果関係が色によって映る世界は、慣れている四葉にさえ気味が悪いものだ。
 四葉の視覚は、抱きつくようにもたれかかる○○○の脳をスキャニングする。頭全体がぼんやりと青い。その青は、バケツに垂らした一滴の墨のようにスゥッと、血管のように張り巡らされた白に吸い込まれ、染み込みつつあった。
(青だ。青はあんまりにも濃いと、動かなくなる。やりすちゃわないように……)
 四葉は呟く。
「モア、モア、モア」
 十秒ほど経って、四葉は視界を切り替え直した。
 正常な色合いが正常に在り続ける、元の世界へと帰還した。
 ふぅーと息を吐く。
 ○○○は、誰よりも大きな寝息をたてていた。
 たまにいびきもした。いびきがあんまりうるさいものだから、これじゃあ誰か起きてしまうかも、と四葉は薄く笑った。
 ――四葉の魔人能力『赤×モア』。運命を見、運命を強化・加速・増幅させる。自在に使用できれば神のような力ではあるが、四葉は神ではないし、天使としても半人前である。運命(いろ)の取り違えが怖いため、四葉はあまり使いたがらない。(今回も、頭から染みる青ではなく、胸で鼓動する赤を濃くしていたら、今も○○○は元気いっぱいに騒いでいただろう)
 ともあれ四葉は目を閉じて、じっと眠りを待った。
 寝付きが悪い。○○○が乗っかったまんまだから。
 どかそうとして、両脇をつかまえて降ろした。
 ○○○は四葉の腹に頭突きした。
 ○○○は寝相がひどく悪い。
 そして、よく寝言を言う。
「……待って……××おねえちゃん……」
 四葉は○○○を抱きしめ、自分ごと左翼でくるんだ。
 素肌に体温を感じているうちに、いつの間にか四葉も深い眠りに入った。

11/9 はれ
 ……
 園長先生がパパ。
 ママはいない。
 いないかわりに、お姉さんグループが、みんなのママになってあげる。
 普通とちがって天使だからずっとここにいるかもしれない。
 でも、園長先生がパパで、わたしがママになれるなら、きっと楽しいと思う。
 △△△ちゃん、おせわ係がちょっといやそうだった。。。かえてくれないかな。。。
 ここだって、どんな家族にもまけないと思う。
 ○○○くんもがんばってる。わたしがみんなのママなんだから、明日もがんばろう。



 ――天使・須藤四葉に夜は無い。
 四葉は夢を見ない。
 闇の底から聞こえる鞭打つ音や悲鳴、哀願、嬌声、大人たちの笑い声に身を震わせたこともない。
 四葉の見る「運命の世界」を他の子供たちが知らないように、
 他の子供たちがいる「夜の世界」を知らない。